新しい国際交流活動のあり方を模索して
京都・奈良EU協会副理事長 三石博行
大衆化し日常化した国際化社会のなかでの国際交流運動の課題
国際化社会は資本主義経済の進歩によって成立した。19世紀以降、鉄道、海運や航空等の交通機関の発達によって国際的な経済活動が発展し、20世紀後半以降、インターネットの発達によって、高度情報化社会が確立していった。情報伝達は早大量の生産物が国境や海洋を越えて流通し、国際化社会は急速に進んだ。
豊かな社会は、市民は国際観光を楽しみ、簡単に海外を旅行することができるようになった。また大衆化した大学でも海外との学術交流や学生留学が取り組まれ、日本の大学で学びながら外国の大学の講義を受けることもできるようになった。日常的に美術館には海外の美術館の有名作品が展示され、海外の芸術作品が、展示会場、ギャラリー、喫茶店などで頻繁に紹介されている。市民センターやコンサートホールでは海外の音楽が紹介され、海外へ行かなくとも海外の伝統文化、音楽や美術に触れることができる。
テレビから海外のニュースが流れ、珍しい海外の事情を知るためにはインターネットやテレビ番組を自宅で十分検索することができる。スーパーや商店にも海外から輸入された商品が並んでいる。また、各市町村の自治体では国際文化交流事業が取り組まれ、海外の市や町と姉妹都市を結び、全国津々浦々まで広がったわが国の国際交流活動は国民の日常生活に溶け込み、お茶の間の、そして街角の課題になっている。
今までの国際交流団体の活動では、珍しい海外の文化を市民に紹介する役割があった。しかし、大衆化し日常化した国際化社会では、その伝統的な国際交流活動の役割の占める意味が希薄になろうとしている。言い換えると、海外の珍しい文化の紹介という非日常的なニュアンスで語られていた国際交流は意味を失いかけている。国際化社会での国際交流活動には、海外の生活文化との交流である以上、非日常的な世界への興味ある交流活動というニュアンスが付属していることは否定できない。
しかし、大衆的で日常的になった国際化社会では、国際交流活動の果たす社会的機能や役割について考え直す必要があった。日本の近代化過程、戦後民主主義社会化過程での伝統的な国際交流スタイル、特に欧米先進国との国際交流活動では、少数エリートの海外留学経験者・文化人を中心とした文化活動が中心となり、大衆社会からすれば非日常的な海外先進国の文化を紹介することを主な目的とした国際交流の社会的役割があった。その社会的必要性が、今、大衆化し日常化している国際化社会・現代日本社会では失われようとしている。
生活世界の日常的な活動の一部となった国際交流活動が、伝統的な国際交流、つまり非日常的な海外の文化を学ぶ活動のスタイルの存在理由とその社会的必要性、新たな国際文化交流のあり方を問いかけようとしている。我々は、以上のべた状況の中で、京都・奈良EU協会を発足することになった。この協会の在り方を提案するために、国際化社会での国際交流の存在理由を明確に示さなければならなかった。
「地域という世界の一部」と「世界という他の地域」の交流
海外を旅した人々は、世界のどこであろうと旅先で会う人々、言い換えれば、世界の一部である国や地域に住む人々が、その生活空間や地域社会が世界の中心に位置づけられていることに気づく。世界のへき地と思われた所でも、そこで生活する人々にとってはそこが世界の中心として位置づけられているのである。
地球が丸い球である限り、「地域という世界の一部」は地球の中心であり、そこから世界のすべての他の地域に地理的にも空間的にも広がりが出来ているのである。つまり、地域という世界の一部は、そこに定住する人々にとっては、つねに世界の中心に位置するのである。この感覚は地理的にも合点がいく。言い換えれば、旅先を世界のへき地であると感じたのは、旅人が住んでいた町や国を世界の中心と思っていた主観的な解釈によるものであることに過ぎない。地域という世界の一部で生活する人々は、その人々にとっては常に地球の中心なのである。
世界のへき地と世界の中心の主観的判断理由こそ、私たちの意識を作り出している文化や社会の姿である。この自己中心的な世界観に、自己の外にあり自我を規定する文化や社会の基本的な姿を見ることができる。この基本的な姿を一般に哲学者や社会学者は「共同主観」と呼ぶ。
また人々の意識・観念形態もその共同主観的な判断様式(社会常識)に由来している。いずれにしても、世界のへき地や世界の中心に関する主観的な判断は、旅人や定住者のそれぞれに固定し定着し、不可避的にそれらの人々の価値観、ものの見方、判断基準、行動パターン、言語活動を規定する文化や社会的意識であるといえる。
つまり、その不可避的な文化・社会的意識、観念形態によって、それに規定される人々の生活世界の認知基準、解釈基準、判断基準、行動形態が作られる。その二つの立場が相互に交差することがない限り、他の世界の地域をへき地と決め、自分の地域を世界の中心と思い込むことを対自化、つまり自分の外に置いて観察することはできない。その意味で、旅が反省の行動様式をもつといわれるのである。
そして、世界という他の地域との交流は、旅人のこれまでの世界を地域という世界の一部に相対化する作業として、意味をなす。つまり、旅によって、他の文化や社会の共同主観的空間を理解することによって、無意識的に絶対的に固定されている己の共同主観的空間を相対化する機会が与えられる。そのことが、生活や文化交流と呼ばれる旅の意味となる。
もし、無意識的に絶対的に固定されている共同主観性(自己の所属する文化)を相対化することのない場合、他者の住む世界のへき地と自分の住む世界の中心の主観的判断理由を問いかける機会はない。そして、その非反省的な日常生活、文化や社会の観念形態を固定した視点、文化的社会的常識を無条件に前提とした意識から、「絶対的ナショナリズムや民族主義」が自然発生的に生み出される。
「絶対的ナショナリズムや民族主義」は非反省的な社会文化観念形態・共同主観の極端な結末である。世界の中心から世界のへき地へ一方的に取り結ばれる国際的関係、支配する国と支配される国、優勢に立つ地域と劣勢に置かれた地域、中心と周辺、経済や政治的優越度の差異がそのまま文化的、生活世界的優越度として判断され、植民地国家への偏見と差別意識が絶対化されるのである。
欧米植民地主義に対抗し、豊かな生産力を獲得し、強い国家を目指す我が国の近代化政策の歴史の中では、欧米諸国との友好関係を推進する市民運動の場合にも、両者の経済的政治的優越の差異を無くし、国家的優勢と劣勢の位置関係を改善するために、文化交流活動が機能していたことは否定できないだろう。それゆえに、我々は「学ぶ側」であり続け、彼らは「伝える側」であり続けた。
「差異」や「差別化」は文化や社会意識に基本的に存在する。我々が文化的社会的存在であると規定されるなら、我々の意識は、その文化や社会の共同主観性から切り離され、歴史的社会的要素と無縁に、またそれらの要素から超越して存在することはない。一般にある固有の歴史性と社会性、文化性の名詞を前提にしない「共同主観」という概念はない。それらは具体的で現実的な社会文化のそしてその伝統的な共同主観の産物であり、それゆえにある共同主観性は他の共同主観性に対して常に不可避的に「差異」や「差別化」を前提として存在する意識形態であるといえる。
「いま、ここに」という地理的時間的限定のない自我はない。すべての自己は具体的な今と具体的なここを前提にして成立していたし、している。自我を創り出している文化的社会的に固定された観念形態や生活世界の意識(常識)は、絶対的な自己中心性を前提として成立している。共同主観的確信、言い換えると常識的判断は、一般にその生活者の住んでいる世界、共同体の内部から批判的に観察することは不可能である。そのために、その生活者の無条件に成立していた生活世界から離れ、他の人々、異なる文化や社会制度で生きる人々の中にさまよいこむことによって、それらの人々の文化や社会に対する「驚き」や「違和感」という感覚を通じて、意識的に対象化される。
そして、他の生活文化世界への「差異」や「差別化」は、絶対的に中心化されている自己の生活文化意識、自己意識の外に置かれた世界に過ぎない。無条件に設定されている「差異」や「差別化」の社会文化意識を対自化することなしには、自分の文化や社会を地域という世界の一部として理解することも、他国の文化や社会を自国のそれと共通の世界の地域として解釈することもできないことに気づくのである。
他国の生活世界と自分の生活世界の差異を他国の生活世界の中で理解することは、他国の生活世界への差異感として始まる。それを我々は、「カルチャーショック」と呼んでいる。自分の常識や社会観念を根底から否定される経験を通じて、無条件に絶対的に世界の中心の置かれている自己の生活文化意識の文化的な相対化が可能になる。
大衆化し日常化された国際化社会での国際交流活動は、「一つの地域という世界の一部」と「世界という他の地域」の二つの立場の相互交換が常に前提となる。我々は旅人として世界の他の地域の人々に会い、彼らの日常生活の中に交わり、彼らとの交流を通じて、ひとつの地域という世界の一部としての自分の所属している社会文化を自覚できる。と同様に世界の他の地域から来た友人と、自分たちの生活世界の中で交流する。彼らの立場を、旅人であった自分の姿に投影することによって、彼らの社会での彼らの立場や感覚を、共同主観性を無条件に前提としている現実の自分の今を反省的に理解することができる。
このように、「一つの地域という世界の一部」と「世界という他の地域」の二つの立場の相互交換を可能にすることで、一つの地域である自分の住む世界が、無条件に他の人々の住む地域からみて中心に位置すると思う感覚のおかしさを自覚的に理解する機会を与えることになる。こうした反省的な文化社会共同主観中心主義への観察が、結果的に「絶対的ナショナリズムや民族主義」を反省的に理解する契機を与える。
つまり、大衆化し日常化された国際化社会での国際交流活動は、「一つの地域という世界の一部」の人々ともう「一つの地域という世界の一部」の人々との交流からはじまる。それは二つの文化的に異なる生活世界の人々の交流である。そして、それぞれの生活世界の固定化された文化や社会観念形態の相対化を意味する。二つのもしくは多様な地域・世界の一部の人々の相互訪問活動や協同事業活動によって、地理的文化的な立場の相互交換を生み出しながら、それらの新しい時代の国際交流活動は可能になる。
生活の場からはじまる国際交流
京都・奈良EU協会を始めるために、国際化に伴う生活環境を前提として、多文化共生社会での生活様式を見つけ出すための活動について議論し検討してきた。その現在の具体的な提案は「生活の場からはじまる国際交流活動」であった。二つの生活の場の相互訪問活動や協同事業活動は、一つの地域の人々がもう一つの地域の人々との相互交流すること、世界の二つの異なる地域に生活基盤を持つ人々が協同で生活生産活動を行うことを意味する。
自分の文化の特殊性を他の文化群(多くの文化)の中で相対的に理解すること、言い換えると自分たちの社会文化の姿を世界の一部の地域の文化を他の世界の地域の文化群の中で理解することが地理的な差異を超えて相互交流することになる。地理的差異を超えて二つの文化が交流するためには、相互に文化的社会的な差異を自覚しなければならなかった。
自分達の文化と他国の文化の違いと共通点を理解し合うことで、二つの生活の場の相互訪問活動や協同事業活動は可能になる。すなわち相互生活生産活動を行うことは、相互に自らの地域的基盤を前提とすることが要求される。他国の人々の文化との関係(違いや共通点の理解)で自分達の文化を理解することによって、自分たちの文化を対自化することが可能になる。
生活の場からはじまる国際交流活動は自分達の文化を他の文化との関係で理解することによって二つの文化の差異(違い)を理解していく契機を与えてくれる。何故なら、生活の場は地域社会の伝統的な我々の生活文化を前提にしている。そしてそこからはじまる国際交流活動は、他の地域社会の伝統的な生活文化への理解が文化交流活動の課題になる。このような国際交流活動のスタイルを、「相互交流型の国際交流活動」と呼ぶことにしよう。
相互交流型の国際交流活動は、海外の文化を地域社会に紹介するだけでなく、自分たちの地域社会の文化を他の海外の地域社会に発信することになる。つまり、この協会活動は、ヨーロッパ社会の文化を私たちの地域社会に紹介するだけでなく、京都や奈良の文化をヨーロッパ諸国の地域社会に発信する活動を課題にする。
生活の場からの相互交流型の国際交流活動は、文化、経済活動を含むすべての生活活動を意味する。従って、これまでの国際交流活動が文化交流活動に限定されていた枠を超える可能性が生まれる。その意味で、これからの国際交流活動は、文化交流が余暇活動や教育活動に限定されず、経済活動や社会活動に発展する可能性を持つ。生活の場から創出されたあらゆる形態、多様な活動のスタイルが、相互交流型の国際交流のあり方になる。生活の場という多種多様な人々の特殊性と共通性から生み出される文化活動の可能性がそこで展開されることになる。
京都・奈良EU協会を発足するにあたって、以下の3つの国際交流活動の課題を考えた。
1 、生活の場から始まる文化事業
2 、地域社会に根ざした国際交流活動
3 、自己実現型の文化交流事業
持続可能な参加型国際文化事業
地域社会(地域という世界の一部の)に根ざした文化事業が世界という文化的に異なる他の地域と交流することは、それぞれ異なる生活文化の場をもつ人間達が、地理的距離を越えて行き交い、また文化的差異を超えて理解し合うことを意味する。交流の主体は地域社会の住民である。従って、この組織は京都、奈良などの関西地方の人々である。関西地方の文化、社会の特殊性を前提にして、EU諸国やその周辺国の地域社会の人々との交流が京都・奈良EU協会の活動の目的である。
また、この組織はEU諸国やその周辺諸国の地域社会の文化を京都、奈良などの関西地方の人々に紹介し、また自分達の文化をEU諸国やその周辺諸国の地域社会に紹介する組織である。この文化交流は、京都・奈良を中心とする関西地域の人々が主体となる。それらの協会会員の主体的な文化事業に参画することは、それらの人々がその事業を起こすこと運営することである。活動の参画や運営する人々の多様な活動の過程によって、協会の組織や運営形態が形成される。従って、協会は会員の活動の過程を重視することが求められる。
そして、会員が創る文化交流事業である以上、参加者の事業への主体的な参画度(企画、参加の程度)によって、この協会の活性が保障される。協会の事業構築過程を通じて、その事業に参画した人々の自己実現を可能にしようという活動が、この協会の原動力となる。この協会は、明確に「会員による会員のための組織」であることを強調する必要がある。協会の活力は、会員の積極的な参加と多様な活動の創造にありことを明確にし、それらの人々によって運営される組織であるように制度化しておく必要がある。京都・奈良EU協会は、以上の活動の基本を保証するための会則を準備した。
そして、現代社会では、自己の生きがいを求めることも社会的要求となっている。この社会的要求を満たすことには、自己実現を可能にする活動が求められていることを意味する。その自己実現を可能にする運動を課題にすることが、この協会に問われるのである。そのため、協会は、若者の自由で多様な活動の場を保証することを、活動の課題に挙げてきた。
また、国際文化交流事業を、地域社会の人々の生活経済を豊かにし、生活環境を快適にするものとして位置づけ、自分達の生活文化を豊かにする社会文化機能として活用することが求められている。その意味で、この協会の役割は、諸外国の社会文化に関する知識や情報の提供だけでなく、参加者の生活の場からの諸外国の社会への知識や情報の発信や生活の場からの生産物や創造物の発送への協力も、その中に含まれるのである。
国際化した社会では、企業が企業の論理の上でこれまで国際文化の交流に貢献してきた。世界中の素晴らしい商品や文化が、レストラン、スーパーマッケットや商店の軒先に溢れ、人々は日常的に食卓で、ファッションで、住居の装飾で、国際経済文化の交流の成果に潤されている。この日常化する国際化社会の中で、京都・奈良EU協会は、国際化社会に対応しようとする地域の人々、商店やレストラン、企業家などの経済活動を支援できる文化事業を模索する。この新たな試みを実現するために、京都・奈良EU協会をNPO、非営利社会法人にした。
新たな国際交流活動としての地域社会での国際文化事業
以上の視点から、協会はこれまで奈良を中心に多くの事業を起こしてきた。そして、今後も精力的に以下に示す事業を企画したい。
1、新しい文化経済事業を起こし、経済生活の場、事業の創造を目指す人々をサポートする活動。
2 、豊かな経験やスキルを持つ人々が、若い世代の文化経済活動を支援し援助する人材バンクとしての活動。
3、学生のインターンシップを受け入れ、大学では経験できない社会活動、文化マネージメントを体験してもらい、その経験を、これからの自分の生活形成に役立てる活動。
4 、関西地域に居住するEU諸国やその周辺の人々との文化交流を通じ、それらの人々(留学生)の支援。
5 、EU諸国とその周辺国の地域社会文化を学ぶ関西地方の学生や社会人が参加する研修の企画。
6 、市民が生活の場で日常的に接し理解し合える国際文化交流活動。
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