三石博行
一
自分の人生は自分のもの。
だから、自分が納得して生きるしかない。
それが、自分らしいという自分の姿をつくる。
自分の姿は、将来のイメージにはない。
自分の姿は、自分の足跡によって作られたものだ。
自分らしいということは、自分の足跡への自分なりの納得にすぎない。
これから未来に、創ろうとしているものでなく、
今までつくられたものとして、自分が存在する。
二
全ての人に、それぞれの自分があるのは、それぞれの足跡があるからだろう。
予め(あらかじめ)用意された自分はない。
自分が昨日何をして、
その前の日に何をして、
そして一ヶ月前に何をしたのかということが自分なのだ。
だから、もっと自分に正直に生きるしかない。
だから、もっと自分の現実を受け止めるしかない。
そこに、納得という自分がつくられた自分に対する理解が生まれる。
三
そして、もし明日があれば、それは今日の自分の姿の現れ。
そして、もし未来があれば、それは今まで過去の生き方の方向。
だから、未来という自分を生み出すものは今という時間しかない。
自分を変える可能性を持つものは、今という時間でしかない。
過去はもう返らない時間のことだ。
過ぎ去った時間は、今の自分を作ってはいるが
明日の自分へとその過去をつなぎとめることは保障できない。
明日の自分へ過去の自分をつなぎとめるものは、唯一今の自分だけなのだ。
四
だから、今しかない。
今しか、自分は存在しない。
問われていることは、
今をどう生きるか、どう今に生きているか、
ということだけである。
明日は、今の自分によってしか創れないのだから。
未来に逃げることはできない。
過去に逃げることもできない。
だから、自分の現実を受け止め
だから、自分らしく生きることだ。
もう、未来に逃げることも過去に逃げることもできない。
だから、今の自分の志向性は昨日の自分から継続されたのか。
だから、今の自分の志向性は明日の自分へと継続されようとしているのか。
それのみが問われるのだ。
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