三石博行
インド社会の成り立ちと多言語文化社会
▽ インドは紀元前2600年から前1600年頃までにインダス川流域に文明(インダス文明)が栄え、紀元前1500年頃にアーリア人がパンジャーブ地方に移住、その後、ガンジス川流域の先住民を支配し、司祭階級(バラモン)を頂点とした身分制度(カースト制度)に基づく社会を形成し、今日のインド社会の基礎を創った。その後、長い歴史を経て、1877年から1947年まで続いたイギリス植民地時代から独立し、南アジア最大の国、インド亜大陸の28州からなる連邦共和国(インド憲法に書かれている正式国名はインド社会主義共和国「Indian Sovereign Socialist Secular Democratic Republic」である)、インド共和国を1947年8月に設立(イギリスから独立)した。
▽ インドの公用語はヒンディー語と英語である。インドで話されている言語は800種類に及び、中央政府とは別に各州に政府があり、それぞれの地方政府別に地方政府の公用語がある。主な言語だけでも15以上あり、インド政府の発行する紙幣には17の言語で印刷されている。インド憲法には22言語が公的に承認された言語と言われている。
▽ インドの人口は、1950年に約3億5千万人、1980年には約6億9千万人、2008年には約12億に達している。インドで最も多くの人々が日常的に話していることばはヒンディー語で、全人口の約40%(約4億人)、11%(約0.9億人)が英語を第一、第二ないし第三の公用語として話している。
カルカッタ(コルカタ)の街での会話風景
▽ 私は1979年の冬から1980年の初夏まで、インドのコルカタ(カルカッタ)に滞在した。コルカタは西ベンガル州の首都で、ベンガル語が地方政府の公用語となっていた。ベンガル人にとってベンガル語は大切なことばであり、ベンガル語を国語とする人々はバングラディシュの人口をあわせると、約2億2千万人で、世界で7番目に多い人口を持つ言語である。ベンガル語はまた文化的に高い歴史を誇り、ベンガル語で書かれた文学は多くある。中でも詩人であり思想家であったタゴールはベンガル語で詩を書きアジアで初めて1913年にノーベル文学賞を受賞した。タゴールの詩は世界的にも有名であり、彼のベンガル語の詩が多くの外国語に翻訳されている。
▽ 当時(1979年)、カルカッタ(現在のコルカタ)には、ベンガル語で講義する大学、カルカッタ大学と英語で講義する大学があった。小学校でもヒンディー語とベンガル語で教育がなされていた。また、英語教育は一般に小学校6年から行われ、高校では英語の授業もなされていた。英語は日常的に使われているため、インド連邦内の企業や公務員は日常的に仕事で英語を使うため、インド社会では、英語を使えない人は大きな会社では働けない。
▽ コルカタ(カルカッタ)の家族の会話は、ベンガル人であれば家庭内でベンガル語を話している。しかし、タミール地方から来た人々は、その現地の言葉を家族内では喋る。しかし、外ではベンガル語を話したり書いたりできない限り、コルカタでの社会生活は不自由であるため、会社や公共施設で働く人々は殆どが、出身地の地方公用語、ベンガル語、ヒンディー語と英語の四ヶ国語を話す。例えば南インドのケララ州から来ている場合にはマラヤラーム語を話し、コルカタの会社ではヒンディー語や英語を話し、街ではベンガル語を話している。
▽ こうしたコルカタの人々の日常生活の庶民の会話風景から、多言語文化社会で成立しているインド社会では、教育を受けていない人々を除いて、国民の多くがバイリンガル(二つのことばを自由に喋る人)やトリリンガル(三つのことばを自由に喋る人)であるといえる。
世界の国々の半分以上が多言語文化社会
▽ 多言語社会はインドに限らない。Wikipedea によると、北米ではアメリカ合衆国では州によって、フランス語やスペイン語が公用語となっている。カナダでは英語とフランス語(ケベック州はフランス語のみ)、中南米では、ニカラグア、ペルー、ボリビア、パラグアイ、アルゼンチンなどでスペイン語以外に先住民の言語が公用語となっている。
▽ アジアでは、中国、香港、マカオ、シンガポール、台湾、フィリピン、スリランカ、東ティモール、ブルネイ、パラオ、中央アジア諸国など、またヨーロッパでもアイルランド、イギリス、スイス、スペイン、フィンランド、ベルギー、マルタなど二つ以上の言葉が公用語となっている。
▽ アフリカでは多くの国が英語とフランス語の2カ国語を公用語にしているが、多種多様な先住民の言語存在し、民衆は日常生活では、もともと先祖が使っていたことばを喋っている。
▽ 日本の周り、東アジアの国では、ロシア連邦の極東連邦でもロシア語と先住民の言語が公用語として使われている。中国では、公用語は中国語(北京語)であるが、数多くの方言(広東語など)があり、それ以外にも50以上の少数民族の言語が存在している。中国は多民族国家である。多くの少数民族自治州(区)では、中国語が公用語とされているが、その民族独自の言語が公用語として使われている場合もある。台湾では中国語が公用語であるが、先住民(オーストロネシア語族やマレー・インドネシア文化に属する人々)の言語が使われ、国語(中国語)以外に、台湾語(中国語と同じシナ・チベット語)、客家語(中国語の方言)、原住民語(オーストロネシア語)の教育も義務化されている。
▽ 東アジアでも、国民が一つのことばを喋る国は、日本、韓国や北朝鮮である。つまり、世界を見渡すと、一のことばを話す、モノリンガルの言語文化を持つ国が大半を占める分けではない。
▽ 我々は、モノリンガルの言語文化の中で育った。そして、国民は全て日本語を話すのが当然と思ってきた。そのため、南米、特に日系ブラジル人や日系ペルー人が、日本人の姿をし、日本人の名前を持ちながら、日本語が話せない姿をみて、逆にショックを受けているのである。このショックや違和感の中に、実は、モノリンガル言語文化社会から出た経験を持たない私達日本人の大半の人々の異文化理解の姿(本音)が隠されている。
多言語文化社会を土台とした新しい国家建設の実験・EU(ヨーロッパ連合)
▽ ヨーロッパは1914年から1918年の第一次世界大戦で約2千万人の死者と2千2百万人の負傷者を出した。また、1940年から1945年まで第二次世界大戦の戦場となり、約5千万人以上の犠牲者が出た。この二つの悲惨な戦争を繰り返さないために、ヨーロッパは半世紀をかけてEU(ヨーロッパ連合)を形成してきた。
▽ このヨーロッパ連合では、23カ国が公用語とされている。EUは、ヨーロッパが多数の民族による多言語文化圏であることを前提にして、ヨーロッパの文化の多様性に価値を置き、その多様性を維持するために、少数民族の言語文化の保護を、EUの文化政策として実行してきた。そのため、これまで、アイルランド、コルシカ、バスク、アルザスなど境界地方にあった方言や独自の文化の保護が行われ、それらの人々の分離独立運動を抑えることが出来た。
▽ すでに、近代国家としての連邦国家は1776年7月に独立したアメリカ合衆国、1917年3月に成立した(旧)ソビエト連邦や1947年に独立したインド共和国では、多言語文化社会の国家建設がなされてきた。これらの国々は、その国の事情もあり、一つの公用語を選択した国、二つの公用語を設定した国などがある。しかし、いずれにしても、ヨーロッパ連合のように連合に参加した主な国23カ国の言語を公用語としてはいない。EUとそれまでの連邦国家の形成過程が異なる以上、公用語決定に関する政治的見解の相違がある。
▽ しかし、すでにヨーロッパでは多言語文化社会を経験している国々が多くあり、特にEUの中心になっているベルギーでは、フランス語、ドイツ語とオランダ語が公用語として活用されている。また、中立国スイスでも、約4万平方キロメートル(日本の約9分の1より小さい)小さな国土でフランス語、ドイツ語、イタリア語とロマンシュ語の四つの言語が使われ、日本と同じように不自由なく公共サービスや市民生活が営まれている。
▽ 多言語文化社会環境を永年形成した国々の経験が、これから世界が交流し、多くの民族や文化が交差する時代に必要となるのかもしれない。スイスでは4つの言葉が公用語になっている。また、ベルギーでは3つの言葉が公用語となっている。
▽ すでに、これまでヨーロッパ社会に存在していた多言語文化社会の歴史を土台にしながら、EUは新しい政治経済制度の建設のみでなく、多言語文化国家の建設も試みているのである。
参考 Wikipedia 「インド」、「多言語」、「台湾」「第一次世界大戦」「第二次世界大戦」「アメリカ合衆国」「ソビエト連邦」等々
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