2013年1月23日水曜日

プログラム科学・自己組織性の設計科学としての政治社会学

東アジア共同体の可能性を巡る機能的推進の課題(1)
Problems about Functional Promotion for Possibility of East Asia Community

三石博行


調査研究活動目的、 問題解決型科学としての政治社会科学を目指すために

「東アジア共同体の可能性を巡る機能的推進の課題」を調査分析する課題は、私たちが所属する「東アジア」として国際的に分類されている地域、つまり少なくとも近隣諸国(台湾、中国、韓国、北朝鮮とロシアや米国(アラスカ)の諸国との平和的共存関係の在り方や方法を検討し、その関係が成立する政治的条件や経済文化的環境を分析することである。

これらの課題を取り上げた目的は、近年日韓や日中の間で紛糾している領有権問題を巡って、今、日本外交の在り方が深刻に問われている。

しかし、この危機的な外交環境は、別の見かたをすれば、漸く日本は近隣諸国と真正面に外交関係を検討しなければならない時代に入ったと解釈した上で、日本の所属する「東アジア」地域の平和的共存の在り方を模索するための第一歩が始まったと理解することもできる。その為に、この調査課題を取り上げる。そして、この作業の目標は、あくまでも現実の「東アジア」地域の平和的共存を目指す政治経済文化活動に役立つことである。


方法の問題、自己組織性の設計科学としての政治社会科学の方法を課題にする

この調査分析方法をプログラム科学論に即して展開する。そして、同時に、この研究活動を通じて人間社会科学の方法論としてのプログラム科学論の有効性を検証する。その方法論を確立するための課題を、以下列挙する。

1、 調査研究課題の目的と目標が明確に位置付けられているか。つまり、何を何のために、どの問題をどのように解決するために、研究調査活動を行っているか。つまり、指示プログラムの課題を理解しておくこと。

2、 政治社会学の課題や研究方法には、予め政治的立場を持つ場合が避けられない。つまり、何らかの結論や予測が無意識的にも予定されている。その為に、研究方法に不十分さが生まれる。しかし、この研究の宿命である研究者の「予め希望する政治的立場」を白紙化することは出来ないだろう。それが政治社会科学の科学性に関わる問題となる。従って、少なくとも、自らの無意識にあるその立場を暴露し露出させる自覚的な作業が問われる。それは科学哲学の課題を常に政治社会の調査研究の方法の問題としてリンクさせ続けることになる。つまり、指示プログラムの基本構造を問題にし続けること。

3、 2に上記した課題の解決方法として、調査研究課題に関する統計的なデータ(調査主体を明確にし、その調査方法も検討しながら)を集め、そのデータを基にしながら、基本的な分析材料を作成する。つまり、認知と解釈評価プログラムの多様性を明確にしておくこと。

4、 また、問題解決の現場に赴き、そこで問題現場の現実を観ること。そして、その問題現場で取り組まれている問題解決のための活動を理解し、それに携わる人々を知ること。つまり、認知と評価プログラムの原則、現場主義の立場を明確にしておくこと。

5、 さらに、その課題を検討する論文や文献資料を集め、それらの資料から窺える(うかがえる)研究目的や方法、さらには解決の方向や政治的立場を理解し、出来るだけ、多面的に、それらの立場の異なる資料を採集する。つまり、認知と評価プログラムの多様性を相対化する作業を意識的に課題にすること。

6、 上記した5の課題から、自らの研究目的は目標の主観的立場性(政治的立場)を相対化し、その自らの立場を含めて批判的検討を行う作業を政治社会科学研究は用意する必要がある。つまり、相対化された認知、評価プログラムの集合体の中で、自らの認知と評価プログラムの立場を相対化する作業を試みること。研究主体の持つ指示プログラムの有効性を求めるために、この研究主体の指示プログラムの相対化は欠かせない作業となる。

7、 上記した方法の問題は、具体的調査研究活動と同時並行的に進行し、点検される。つまり、予め完成されてはいない。科学方法が科学実践の先にあるのでなく、それらの二つの関係、つまり方法の問題と調査研究内容の蓄積は同時に進む。その意味で、段階的に成果発表を行い続けることになる。つまり、プログラム科学論は、問題解決を目標とする具体的研究課題とリンクしながら形成発展する。これはプログラム科学論自体が自己組織性の設計科学の一部であることを意味する。


問題解決学としての政治社会科学の成立の一つの条件、政治社会哲学

問題解決型の研究活動では、一般に研究調査課題や対象選択、調査方法、採集資料の整理分析方法、評価分析に至るまで、研究者のそれらの方法や解釈に関する選択が存在する。その選択は科学的方法に於ける立場選択と言えるだろう。その意味で、政治社会学に於いてある科学的方法が選択されると言える。その選択の基準や判断を決定するものが、問題解決を進めるために研究主体が決定している立場である。

つまり、政治社会に関する調査研究には必然的に政治的立場が介在してくる。その介在を取り除くことは不可能に近いと思われる。そのために自己の政治的立場という固定観念を相対化するための方法論が、特に、政治社会研究では問題となった。しかし、主体の相対化は、研究主体の調査研究行為進行中で可能になるだろうか。何故なら、鏡を持たない人が現実の自分の姿、鏡に映る自分の姿を客観的に認知出来ないのと同じ認識作用の構造を持ちこむからである。

視点を変えて述べるなら、政治的立場のない政治社会研究はないと言える。政治的に客観的な立場をもった政治社会調査研究活動はない。問題となるのは、その視点の中身である。その中身を対自化するためには、「何のために、この課題を取り上げるのか」という疑問を自らに問い掛ける必要がある。

自己認識を可能にする知性の道具、鏡とは、「何のためにその課題を探究するのか」と自問する哲学的問い掛けを意味する。つまり、問題解決型の学問は、具体的に問題の解決を続けられる限り、その学問の方法論やその学問の深化に必要な認識の在り方を問い掛けることはない。つまり、科学的思惟は反省学(哲学的知識)を必要としているのである。


今回の課題発表の成立条件

私の専門は科学哲学と人間社会学基礎論である。これまでの研究分野は、科学技術論、精神分析論、科学認識論、言語学、生活情報論、生活資源論である。ブログ等での評論活動として、再生可能エネルギー論、高等教育論、政治社会改革に関する記述を行っている。また、国際交流や太陽光発電所ネットワーク等のNPO活動に参加している。

その意味で、「東アジア共同体構想」に関する専門的な議論は、謂わば、「領空侵犯」である。そのことを前提にしながら、今回の発表を行う。そのため、この発表は、専門家が長年掛けて、現場調査、データ解析、研究交流活動の蓄積を前提にしていないことを前提にしている。その意味で、「東アジア共同体構想を議論する」には専門的な知的蓄積の極めて不足したものであると言える。

上記した報告者の課題提供能力や専門的知識に関する限定的資格条件を明らかにした上で、今回の議論の焦点を二つ挙げる。
1、 政策提案や問題解決を目指す政治社会学の科学性に関する課題
2、 東アジア共同体構想を展開するための課題

一つ目は、この節で述べた。二つ目は、第一節と第二節で述べる。第一節では、20世紀前半までの帝国主義の時代の反省に立った新しいグローバリゼーションを求めて進められている(現在進行形)地域連合であるEUの成立過程やその機能を理解し、21世紀型の国際地域での平和共と経済文化発展のための事例として「EUモデル」の要素を分析解釈してみる。第二節では、第一節で述べた「EUモデル」が東アジア共同体構想のモデルと成り得るかについて議論する。

今回の発表の機会を与えてくれたのは、政治社会学会の理念である。この学会は、荒木義修会長の提案によって政治社会学を問題解決型の政策設計学として位置付けたてきた。つまり、政治社会学会は「現社会が抱える様々な問題解決のためには、異分野、異業種の有識者との活発な対話」を通じて、「政治学、経済学、法律学、社会学などの個別科学を超え、自然科学的知見を取り上げ、現状分析に基づくプログラム設計を中心とした問題解決型の新学会」を目指す活動を行ってきた。21世紀型の社会問題と向き合う組織としての学会の理念、そしてその理念を実現するために、社会政治学会が取った一つの学会活動のスタイル、それが、今回、東京外国語大学で開催された、この第一回「アジア共生」ジョイント・コンファレンスであったと理解できる。21世紀の大学や専門機関の研究者の活動として、研究活動の横断的交流を行い、より総合的視点から具体的で実践的な問題解決の提案を社会に示すことが要請されている。そのため、政治社会学会は多くの専門機関や市民団体を集め、多様な立場の意見を基にし、議論の場の設定、企画、組織するコーディネータとして機能してきたのである。この21世紀型の学会活動の基調を前提として、私の今回の「領空侵犯」的な、言い換えると、横断化を狙う研究発表の可能性とその資格に関する条件が成立していると考える。


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