今年10月16日に柏崎刈羽原発の再稼働に反対する新潟知事が誕生し、11月20日、その再稼働を支持する柏崎市長が誕生した。そして、今日11月22日に福島沖で震度5(マグニチュード7)の地震が起こり、約1mの津波が発生した。誰しも、福島第一原発事故現場の安全を気にしたに違いない。そして、同時に、こんな日本に原発建設などという無謀なエネルギー政策が続くことを不安に思ったに違いない。
しかし、現実はどうだろう。原発を抱えた県民が反対する中で、原発を抱える町が原発再稼働を支持するのは、柏崎に限らず、鹿児島の川内でも同じである。つまり、原発を抱える町は、直接に電力会社から利益を受ける。町は電力会社からの資金援助で潤う。この構造が、なんともいびつな世界を作っている。これが否定しようのない現実の日本社会の姿である。
この構造は、言い換えると一種の「賄賂」と同じ仕組みになっている。つまり、施設が引き起こされる地域社会の安全性が問われる全ての地域が、その施設の公共性と安全性を点検する社会的機能を与えられていない。そして、その一角である一つの町、つまり経済的援助を受ける町のみが、広域災害の可能性を無視して、原発の再稼働に対する同意の大きな役割を果たす。言い換えると、ある一部の人々に特別にお金を渡し、他の同じ立場の人々との格差を作ることで、利権を獲得する構造である。この仕組みを国や電力会社が作った。それは、少ないお金で、電力会社が利益を得ることが出来るからである。その意味で、これは、確かに、政治的に仕組まれた「賄賂」の構造であると言える。
例えば、東電が柏崎市のみでなく、新潟県、いや原発事故が発生した場合に被害を受ける可能性のある半径80キロに及ぶすべての地域に柏崎と同じくらいの援助をするなら、それは賄賂ではなく、正当な東電の対応となる。しかし、それでは東電が経営的に破綻する。そこで、原発立地の市町村に限って、安全を脅かす対価を払うことにしたのである。金を払うから黙ってくれと言ったのである。それも、ごく一部の人々のみに限定して。だから、これは一種の賄賂に観える。
そして、この賄賂を貰って恥ずかしくないかと市長選挙で原発再稼働を支持した川内や柏崎の市民にに言いたくもなる。その気持ちが同じ被害を受けるだろう隣町の住民から聞こえても不思議ではない。この賄賂によって、そんな悲しい分断が生まれているのである。
だから、この賄賂的な資金援助の構造を変えて、すべての被害を受ける可能性のある市民への資金援助しなければならないと法律を変えるべきだとい主張することも納得できる。そうすれば、柏崎や川内の市民に対してもこんな気持ち・「外から言うしかない」という気持ちを持たずにすむかも知れない。そして、電力会社に対して半径80キロに及ぶすべての地域の人々への公平な安全保障費用の支出を求めるだけで、電力会社は原発建設や再稼働をあきらめるだろう。何故なら、それぐらい原発の安全管理の金額は高いのである。
電力会社が賄賂的な援助を行うことは、明らかに民主主義社会への冒涜だと思う。その冒涜を食い止めるためには、原発誘致地域の人々も納得できる被災可能な地域全体の市民が総出で電力会社への公平な安全管理費用の支払いを要求する法律を求めてもいいのではないだろうか。福島原発事故は、その根拠を十分に私たちに与えていると思う。
2016年11月22日 Blog記載
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