2017年1月5日木曜日

PV-Net 形成までの時代的及び社会的背景 1

「日本の Prosumer 運動としての再生可能エネルギー生産運動の形成とその 課題 -PV-Net の事例からー 」(1) 

 2015年11月14日 第6回政治社会学会研究大会 「エネルギーセッション」 (広島大学) 

三石博行 




はじめに 

この論文は、生産消費者運動を前提にして成立している自然エネルギーを活用し電気を作る市民運 動(以下、自然エネルギー市民運動)や太陽光発電設備を自宅に設置した市民(以下、PV オーナ、 PV パイオニア)の成立に関する社会的背景やそれらの主体的条件の形成について述べたものである。

自然エネルギー市民運動が形成される時代的背景を、1960 年代の工業化社会の過程で起った公害問 題に遡って述べる。また、1960 年代に公害と呼ばれた地域的環境破壊が、1980 年代に大気汚染、 酸性雨という国境を越えた環境問題になり、そして地球温暖化や気象変動と呼ばれる国際環境問題 に広がる中で、それに対する市民や国、そして世界の取組に関して触れながら、自然エネルギー市 民運動が形成された歴史的経過について述べる。

エネルギーの消費者であり且つ生産者でもある自然エネルギー市民運動は、今までの消費者運動と は異なる課題を抱えた。その課題を解決するために、1990 年代の市民運動が模索し、そして確立し た運動主体の条件、取り分け、1970 年代の自主管理労働運動からの影響に関して触れる。この課題 は、今後のエネルギー市民運動の在り方や方向性に対して、貴重な提言を与えている。

今回の論文では、1990 年代から始まったエネルギー市民運動、取り分け著者が参加している NPO 太陽光発電所ネットワークが形成される背景と「太陽光発電設置者連絡会」(仮称)準備会までのそ の過程に焦点を絞り、自然エネルギー社会の条件である生産消費者運動の条件に関して述べる。


1、深刻化する環境問題、地球温暖化とその対策 


1-1、地域から地球的規模へ拡大した環境問題 

我国では、1960 年代の経済高度成長期に環境破壊が多く起こった。水銀汚染による水俣病、カドニ ューム汚染によるイタイイタイ病、大気汚染による四日市ぜんそくはその代表的な事例である(1)。 こうした経験が環境問題に対する日本人の意識を変えたとも言える。しかし、産業活動のみならず 現代的な生活文化によって環境破壊はより広範に広がった(2)。例えば、ヨーロッパ全体に広がった 大気汚染や酸性雨、その山林や淡水湖への被害が 1970 年後半から 1980 年代に掛けて報告されてい る(3)。 

産業活動や生活文化から引き起こされた大気汚染は、四日市ゼンソクのように市町村単位の狭い範 囲から、ヨーロッパの酸性雨のように国境を越えて近隣諸国広域の範囲に影響を与えるものへと拡 大した。そして、最終的には地球全体へ影響を引き起こす人工化学物質フロンガスによるオゾン層 破壊や二酸化炭素等の温暖化ガスによる地球温暖化や気象や気候変動を引き起こしている。 

炭酸ガスの大気中濃度の変動を例に取ると、1800 年までの大気中の二酸化炭素量は約 280ppm であ ったが、1800 年以後、増加傾向にあり、1900 年になって 368ppm まで増加し続け、近年その増加傾 向は急激となり、2006 年には 381ppm に達し(4)、2013 年には 396.0ppm に達したと WMO が報告し ている(5)。大気中の二酸化炭素量の増加と地球温暖化が相関している事実から、それらの温暖化物 質によって地球温暖化が生じているという主張がなされてきた。 

地球の平均気温は 1961 年から 1990 年を基準にすると、BC1000 年から BC1900 年まで殆ど変化なく、 その基準値から約 0.4 度から 0.2 度低い値を示している。しかし、1906 年から平均気温は上昇しは じめ 2006 年には基準値から約 0.4 度を超えた(6)。つまり、1000 年間の間に約 0.8 度の平均気温の上 昇が起こったことになる。しかも、その上昇は約 100 年間、つまり 1906 年から急激に生じている (7)。この事実から、今後の地球温暖化の予測がなされている。温暖化によって、生態系の受ける影 響や気象変動による自然災害等の影響が危惧されている。 



(1)  宇井純 『公害原論』 亜紀書房、1971 年
( 2)  大気環境の情報館 in 「独立行政法人 環境再生保全機構」 https://www.erca.go.jp/yobou/taiki/kangaeru/history/01.html 
(3)  「世界の酸性雨の現状 (01-08-01-22) 」in 「一般財団法人高度情報科学技術研究機構」 http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=01-08-01-22 
(4 )  気象庁 気候変動監視レポート 2001 WMO 温室ガス年報第 3 号(2007 年 11 月) http://rikanet2.jst.go.jp/contents/cp0220a/contents/f_01_07.html
( 5)  Global annual mean mole fractions (2013.7.17) http://ds.data.jma.go.jp/gmd/wdcgg/pub/global/globalmean.html http://www.wmo.int/pages/about/index_en.html
( 6)  IPCC 第4次評価報告書 http://www.env.go.jp/press/files/jp/9125.pdf http://www.env.go.jp/earth/ipcc/4th_rep.html 
(7 )  「地球の平均気温推移」in 「地球の大気と温暖化」 http://rikanet2.jst.go.jp/contents/cp0220a/contents/f_01_08.html 

1-2、地球温暖化に対する国際社会の対応 


1988 年 6 月、NASA ゴダード宇宙センターのハンセン博士はアメリカ上院公聴会で「最近の異常気 象、とりわけ暑い気象が地球温暖化と関係していることは 99%の確率で正しい」と発言した。その 日はワシントンで記録的な猛暑日であった。マスコミがこの発ハンセン博士の発言を取り上げ、ワ シントンの猛暑は「地球温暖化による」と報道した。これを契機として地球温暖化説が一般にも広 まり始めたと言われている。

その後、科学者から地球温暖化が生じると、海水が膨張すると指摘され、また、氷山が溶け出すこ とによる海面上昇の予想が発表された。1988 年 11 月に、世界気象機関(WMO)と国連環境計画 (UNEP)によって「気候変動に関する政府間パネル Intergovernmental Panel on Climate Change IPCC」(8)が設立され、ジュネーブで「IPCC 第 1 回総会」が開かれた(9)。その報告が第 1 次評価報告 書(First Assessment Report )として 1990 年に発表された(10)。同報告書は、「人為起源の温室効果ガスがこのまま大気中に排出され続ければ、生態系や人類に重大な影響をおよぼす気候変化が生じる おそれがある」と警告を発した。

国連では地球規模の温暖化と気象変動に対して、「環境と開発に関する国際連合会議:United Nations Conference on Environment and Development、UNCED」が呼びかけられ、1992 年、国際連合 の主催でブラジルのリオ・デ・ジャネイロで第 1 回目の UNCED の会議が開催された(11)。

国際的な温暖化対策の実現を目指し、IPCC は、地球温暖化問題に対する国際的な枠組みを設定した 条約「国際気候変動に関する国際連合枠組条約 United Nations Framework Convention on Climate Change、UNFCCC、FCCC)」を 1993 年に成立させた。そして、1994 年 3 月 21 日からこの条約が施 行された(12)。さらに、この条約に基づき、1995 年から締約国会議 (Conference of the Parties、COP)が 毎年開催されることになった。


(8)  Intergovernmental Panel on Climate Change IPCC http://www.ipcc.ch/
(9)  気象庁 HP http://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/ipcc/
(10)  環境省 地球温暖化対策 HP http://www.env.go.jp/earth/ondanka/ipccinfo/IPCCgaiyo/report/IPCChyoukahoukokusho1.html
(11)  United Nations Conference on Environment and Development (UNCED) http://www.unep.org/Documents.multilingual/Default.asp?DocumentID=55&ArticleID=274&l=en
(12)  United Nations Framework Convention on Climate Change (UNFCCC)  http://unfccc.int/2860.php http://newsroom.unfccc.int/ 


1-3、京都議定書と日本政府の取り組み、エネルギー政策の中での地球温暖化対策 


第3回目締約国会議 Conference of the Parties (COP)、1997 年 12 月 16 日に京都で COP3 が開催された。 議定書の効力発生を 2005 年 2 月 16 日に定めた京都議定書が締結した(13)。我国は、2008 年から 2012 年までの期間中に、温室効果ガス 6 種の合計排出量を 1990 年に比べて 6%削減することを約 束した(14)。つまり、日本政府は、京都議定書で国際社会と約束した 6%の温室効果ガス排出量の削 減を実現しなければならない立場に立たされた。

地球温暖化対策への国際的関心の広がりの中、1997 年 12 月 16 日の京都議定書を提案した COP3 の 主催国として、日本政府は積極的に地球温暖化対策に取り組むことになった。同年 12 月 19 日に地 球温暖化対策推進本部(15)の設置を閣議決定し、1998 年 10 月 9 日に「地球温暖化対策の推進に関す る法律」が公布され、「(1)京都議定書目標達成計画を策定する、(2)社会経済活動その他の活動によ る温室効果ガスの排出の抑制等を促進するための措置を講ずる、等により、地球温暖化対策の推進 を図る」ことが法律に明記された(16)。

「地球温暖化対策の推進に関する法律」を施行するにあたり、同年 6 月 19 日、地球温暖化対策推 進本部は「地球温暖化対策推進大綱」を作成した。翌年、1999 年 4 月 7 日に「 地球温暖化対策の 推進に関する法律施行令」(17)が定められ、そして施行され、「地球温暖化対策の推進に関する法律」 が動きだした。

政府・地球温暖化対策推進本部と環境省は、「地球温暖化対策推進法の提案の背景・地球温暖化対 策推進法の構造等」の中で、京都議定書で国際公約した。①6%削減目標を達成するための今後の対策、②温室効果ガスの全てを対象にした取組を促進、③国民に開かれた形での計画的な取組を広く 促進、④地方公共団体の責任と役割、⑤啓発・広報、相談、推進員の研修、調査研究、製品情報提 供等を行うための国、都道府県の地球温暖化防止活動推進センターの設定を挙げた(18)。

「地球温暖化対策の推進に関する法律」に基づき、地球温暖化、環境問題についての情報サイト 「地球温暖化対策推進法/EICネット環境用語集」一般財団法人環境情報センター(19)、国際機関、 開発途上地域に対する環境協力を推進する環境省地球環境局の設定(20)、さらに、地方自治体の地球 温暖化防止関する「啓発・広報活動」「活動支援」「照会・相談活動」「調査・研究活動」「情報 提供活動」などを推進する全国地球温暖化防止活動推進センター(JCCCA:Japan Center for Climate Change Action)(21)が設置された。

1990 年 10 月に政府は「地球温暖化防止行動計画」を立て、2000 年までに1人あたりの二酸化炭素 排出量を 1990 年レベルで安定化させる目標を立てた。1993 年に新エネルギー、省エネルギー、及 び地球環境技術の3分野の技術開発を推進するためニューサンシャイン計画(エネルギー環境領域 国際技術開発推進計画)をスタートさせ、太陽光、風力、燃料電池、等の技術開発を進めた(22)。

また、1993 年 3 月に、「エネルギー需給構造高度化法」「省エネ、リサイクル支援法」を成立させ た。更に、温室効果ガスを排出しないクリーンエネルギーとして原子力エネルギーを位置づけ、原 子力エネルギーの活用を推進した。つまり、政府の地球温暖化対策は、政府がこれまで、エネルギ ー安全保障政策の一貫として進められてきた原子力エネルギー活用と自然エネルギー普及が矛盾す ることなく繋がっていた。

そして、1994 年 6 月、総合エネルギー調査会は、これまでのエネルギー政策「長期エネルギー需給 見通し」の改定を行ない、京都議定書の温室効果ガス削減目標を前提にした「地球温暖化防止行動 計画」との整合性を取った。しかし、「長期エネルギー需給見通し」の中では、太陽、風力といっ た新エネルギーの供給量は、2000 年には1次エネルギーの2%、2010 年には3%程度の導入を見 込んでいるに過ぎなかった。

しかも、経済成長を前提にした政策によって見込まれる一次エネルギー総供給量の増加を前提にし ながら、「地球温暖化防止行動計画」を実行することは、化石燃料の消費を最大限抑制したとして も無理があり、その分、原子力に依存しなければならなくなった。つまり、1995 年の原子炉 47 基、 設備出力容量約 4000 万 Kwh を 2010 年には 7250 万 Kwh にまで拡大しなければならなかった。

2011 年 3 月 11 日の東電福島第一原発事故を予測できなかった当時の判断は、明らかに原発依存の 「長期エネルギー需給見通し」の誤りであり、自然エネルギーの活用へエネルギー政策を変換出来 なかった政府に責任があると言える。

「このように日本のエネルギー政策の変遷をみてみると、一貫して「経済成長維持」 を前提とし、 そこから見込まれるエネルギーを安定的に確保することを、最重要の命題としてきたことが分かる。 通産省の資料の中でも、今後のエネルギー政策に対する要請として、まず、「エネルギー需給の安 定」が挙げられ、次に「エネルギーの効率的供給、市場原理の重視」「地球環境問題への対応」と なっている。(資源エネルギー庁 強靭かつしなやかなエネルギービジョン)しかしながら今後は、 「二酸化炭素排出量の少ない産業への転換」等も含め、経済 成長のありかたから、根本的にエネル ギー政策そのもののありかたを検討していく事 の重要性も指摘されよう。」(23)

つまり、「日本のエネルギー政策は、通産省資源エネルギー庁の諮問機関が立案しており、行政組 織の特徴から見れば「産業政策従属型」となっている。しかしながらデンマークなどは、環境省が エネルギー政策を立案する、「環境政策従属型」であることが指摘される。今後わが国のエネルギ ー政策が、産業政策従属型の「エネルギー安定供給政策」か らの脱却をはかるには、行政組織の改 革なども同時に検討することが必要であろう。」(24)と藤沢裕美氏は述べている。



(13)  UNITED NATIONS「KYOTO PROTOCOL TO THE UNITED NATIONS FRAMEWORK CONVENTION ON CLIMATE CHANGE」 ⒛p, 1998  http://unfccc.int/resource/docs/convkp/kpeng.pdf
(14)  環境省 HP、気球環境・国際環境協力 地球温暖化対策 「気候変動枠組条約・京都議定書と国際交渉」 http://www.env.go.jp/earth/ondanka/cop.html
(15)  地球温暖化対策推進本部 https://www.kantei.go.jp/jp/singi/ondanka/
(16) 「地球温暖化対策の推進に関する法律」(平成十年十月九日法律第百十七号)
(17) 「地球温暖化対策の推進に関する法律施行令」 (平成十一年四月七日政令第百四十三号)
(18)  環境省「地球温暖化対策推進法の5つのポイント」http://www.env.go.jp/earth/ondanka/ondanref.pdf
(19)  EIC ネット 地球温暖化、環境問題についての情報サイト http://www.eic.or.jp/
(20) 環境省地球環境局 http://www.env.go.jp/earth/index.html#ondanka
(21) 地球温暖化防止活動推進センター http://www.jccca.org/
(22) 三石博行 「太陽光発電の将来性と問題点-再生可能エネルギー社会を実現するための課題-」45p、第 11 回縮小社会研究会 講演配布資料 京都大学 2012 年 9 月 30 日  http://shukusho.org/data/11-2.pdf
(23)  藤沢裕美 「日本のエネルギー政策の現状 その1」http://www.mskj.or.jp/report/276.html
(24)  藤沢裕美 「日本のエネルギー政策の現状 その1」http://www.mskj.or.jp/report/276.html


2、環境、エネルギー問題に取り組む市民運動 


2-1、高まる環境意識と国際環境市民運動 


1960 年代に入り、我国では、水俣病、イタイイタイ病や四日市ゼンソクに代表される公害病が、急 速に工業社会化する日本で蔓延した。そして、公害に対する市民・住民運動が 1960 年代から起こ り、環境問題に関する市民の意識は高まった。政府は 1967 年 8 月に公害対策基本法( 昭和 42 年 8 月 3 日法律第 132 号を公布し(25)、公害対策に乗り出した。多くの環境問題に取り組む市民運動や市 民活動が行われた。と同時に、そして、地方自治体も環境保護条例や環境保全条例を制定し、環境 保護に乗り出した。

また、大気汚染、酸性雨のように、1970 年代になると国境を超える公害問題が課題となっていた。 そして、それに対する国際的な取組が国家間でまた市民の間で始まっていた。1971 年に 4 か国の環 境団体によって国際的な環境市民運動 FoE (Friend of the Earth International)が結成され(26)、地球レベ ルでの環境問題を取り上げる市民運動が広がった。1970 年代後半になると、地球温暖化問題が取り 上げら、現代社会のライフスタイルを見直す人々が生れた。地球全体に広がる環境問題、環境汚染 に対して形成された国際的な環境市民運動に連携し、日本でも 世界 74 ヵ国に 200 万人のサポー ターを有する Friends of the Earth International のメンバー団体として 1980 年から FoE Japan が活動が 始めた(27)。

1988 年 11 月に Intergovernmental Panel on Climate Change (IPCC)が設立され、990 年に、地球温暖化 による海面上昇を指摘した IPCC 第 1 回総会の第 1 次評価報告書 (First Assessment Report)が発表さ れた。1989 年に気候変動に取り組む、90 カ国以上・850 の NGO からなる国際ネットワーク組織である CAN(Climate Action Network)気候行動ネットワークが設立された(28)。そして、日本でも CAN のメンバーとして NPO 法人気候ネットワークが 1998 年から活動を始めた(29)。

地球温暖化問題は、その原因となる温室効果ガスの抑制が必要である。そこで、化石燃料の消費を 抑制す課題が生じ、エネルギー問題や経済発展と直接関連して展開されることになる。そのため、 それぞれの国の経済的事情を前提にしながら地球温暖化問題の解決が求められる。つまり、国際会 議や国際サミットの動きに連携し、国際的コンセンサスを確立しながら地球温暖化問題の解決を進 めることになる。こした状況を踏まえ、市民運動の側からも、国際的なネットワーク運動、Action for Solidarity, Equality, Environment and Development Japan (A SEED Japan)/(青年による環境と開 発と協力と平等のための国際行動)(30)が。1991 年 10 月に組織された。

日本では、1973 年(第 1 次)と 1979 年(第 2 次)に始まったイル・ショックが起こった。国は、 原子力を基幹エネルギーとして位置付け、国家のエネルギー安全保障政策、エネルギー政策と打ち 立てった。それに対して、原子力発電所の危険性と核廃棄物の処理問題、環境問題に対して危惧す る社会的批判が起こった。その政策に反対する市民は地球温暖化対策として自然エネルギーの利用 を訴え、省エネルギーや自然エネルギーの普及を課題にした市民の意識が高まった。そして、1990 年代に入り自然エネルギーの普及を課題にした市民運動が始まった。と同時に、政府も国際的問題 となった地球温暖化対策に乗り出した。


(25)  UNITED NATIONS「KYOTO PROTOCOL TO THE UNITED NATIONS FRAMEWORK CONVENTION ON CLIMATE CHANGE」?p, 1998  http://unfccc.int/resource/docs/convkp/kpeng.pdf
(26)  環境省 HP、気球環境・国際環境協力 地球温暖化対策 「気候変動枠組条約・京都議定書と国際交渉」 http://www.env.go.jp/earth/ondanka/cop.html
(27)  「地球温暖化対策の推進に関する法律」(平成十年十月九日法律第百十七号)
(28)  「地球温暖化対策の推進に関する法律施行令」 (平成十一年四月七日政令第百四十三号 (29)  地球温暖化対策推進本部 https://www.kantei.go.jp/jp/singi/ondanka/
(30)  環境省「地球温暖化対策推進法の5つのポイント」http://www.env.go.jp/earth/ondanka/ondanref.pdf


2-2、自主管理生産者運動としての自然エネルギー市民運動へ 


自然エネルギーを利用し電気を作る市民運動、市民共同発電所運動が 1990 年代になって日本で始 まる。この課題はこれまでの市民運動とは異なる課題を問い掛けていた。つまり、エネルギー生産 設備を設置、維持管理する技術的課題も市民運動の一貫として組み込まれることになった。これま での市民運動は、公害運動や消費者運動に代表されるように、企業生産活動への批判や点検運動で あった。しかし、エネルギー生産を市民が担う活動は、それまで経験していない運動形態であった。

1970 年代に起こった自主管理労働組合運動では、労働者が職場を管理し、会社の経営や管理を担っ た。それまでの郎度運動のスタイル、つまり賃金値上げの要求運動とは違い、職場を維持するため に、労働者自らが経営に参加し、経営を維持した。この経験は、これまでの労働運動を含め消費者 運動や市民運動と異なる課題を持ち込んでいた。その課題こそが、今、エネルギー生産を担う市民 運動が必要としているものに他ならない。これまでの市民運動とは異なる課題を解決しなければな らなかった。その課題とは、運動を維持するために必要な資金、例えば事務所の維持や通信及び移 動等々の活動に必要な経費であるが、を参加した人々の会費で担えたこれまでの市民運動と異なり、 自然エネルギー市民運動の場合には、自然エネルギーを生産するために必要な設備や労力に関する 経費が必要となる。

また、自然エネルギー生産を運動課題とする自然エネルギー市民運動に取って、設備投資や設備の 維持費が発電によって生産した電気の価格を越えて高額であるなら、自然エネルギー生産を課題に する市民運動は成立し得ない。そこで、それを成立させるために、自然エネルギー市民運動を担う 人々は、それらの問題を解決しなければならなかった。当時、その課題を解決する唯一の方法は、ボランティアによる設備設置、その維持活動であった。1990 年代の自然エネルギー市民運動は、多 くの無償労働と募金活動によってしか成立しえない状態であったと言っても過言ではない。

しかし、観方を換えれば、自然エネルギー生産が利潤に結び付かない時代であったことが、自然エ ネルギー生産を市民運動として取り組む契機を与えたとも言えるのである。その逆境的条件に立ち 向かった人々には、新しい市民運動、生産消費運動を形成するための課題が与えられていたのであ る。
自然エネルギーを生産することが、地球温暖化や環境問題、更にはエネルギー資源枯渇問題を解決 する方法であるという自然エネルギー市民運動の目的が成立したとしても、それを実現するために は、消費者運動から生産活動を課題にする市民運動が必要とされていたのであった。しかも、その 生産活動は利益を前提にした企業活動が成り立ち得ない条件の下にあった。当時、この運動を担っ た人々が選択した運動形態は、自主管理生産運動であった。この運動形態は、すでにこれまで、自 主管理労働運動や無農薬農業を目指した農業運動の中で経験されていたのである。

自然エネルギー市民運動は、必然的に、これまでの自主管理労働運動や無農薬農業運動の経験を踏 襲することになる。つまり、運動を維持するための経営方法やスキルを獲得することが、運動の課 題となった。言い方を換えれば、安価に自然エネルギーを作る方法やスキルを見つけ出し、実践し、 それらの経験を点検し、反省し、改良を加え、さらに安価な生産活動を開発するという事が運動の 課題となった。この課題は、ベンチャー産業に挑む人々、新しい産業を興すために日夜奮闘してい る人々と同じ視点に立っている。自然エネルギー市民運動家や有機農業家、つまり生産者市民運動 の活動家も、新しい産業を興す企業家も、「働く」ことが賃金を得ることでなく、社会を変えるこ ととして理解されている点は共通していると言えるのである。

2-3、RPS 制度、FiT 法がもたらした自然エネルギー市民運動への影響、三つの自然 エネルギー市民運動 


A. 第一期自然エネルギー市民運動 

1990 年代の自然エネルギー市民運動では、その生産設備の建設とその管理に必要な資金や、安価に 自然エネルギーを生産ための方法や技能、それを持つ人材が必要であった。当然、業者に委託しな いで、自分たちの力で発電設備を作ることが最も安価である。それが出来ない場合は、運動の趣旨 を理解している業者の協力を求める。同時に、多くの賛同者を得て、組織を作り、会費や寄付金を 集める。そのためには、情報を広く社会に伝えることが必要であり、また、生産活動は参画型運動、 自主管理型運動、協働者のネットワーク形式という運動方法が選ばれた。この時代の自然エネルギ ー市民運動を第一期自然エネルギー市民運動と呼ぶことにした。


B. 第二期自然エネルギー市民運動 

しかし、2002 年 12 月に施行された「電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法」 RPS 制度( Renewables Portfolio Standard)(1)によって、状況は変化した。RPS 制度によって自然エネ ルギーから生産した電気を電力会社が買い取ることになった。この法律の施行以後、自然エネルギ ー市民運動は生産した電力の売電によって、ある程度の収入を確保することが可能になった。その 意味で、それ以前の自然エネルギー市民運動が課題にしていた資金確保が、売電によって可能にな ったとも言える。

1990 年代の自然エネルギー市民運動が解決しなければならなかった資金問題がこ の法律によって緩やかに解決可能になったともいえる。勿論、2002 年当時の発電システムコストが非常に高いために、この法律の成立によって、市民が発電所を容易に作ることが出来たわけではな い。しかし、発電システムコストは緩やかではあるが廉価化して行った。同時に、企業が新エネル ギー産業に参加する機会も生まれた。

その意味で、効率の悪い自然エネルギー市民運動の成立条件 が厳しくなったとも言える。一般社団法人 太陽光発電協会の資料によると、2002 年から 2012 年 4 月末までの国内における住宅用太陽光発電システムの累計設置件数は約 100 万件を突破した。(31) この時代、つまり、2002 年 12 月 RPS 法が成立し、次に述べる固定価格買取制度(FIT)が成立するま での期間の自然エネルギー市民運動を、第二期自然エネルギー市民運動と呼ぶことにした。


C. 第三期自然エネルギー市民運動 

さらに、2012 年から固定価格買取制度(32) が始まり、太陽光発電はビジネスになった。多くの企業 がメガソーラ建設に参加し、また、地域社会でも新しいビジネスとして太陽子発電事業が取り組ま れた。その意味で、固定価格買取制度以後の自然エネルギー市民運動は、それ以前の運動とは全く 異なる課題を持つことになる。

多くの市民が固定価格での電気の買取り制度によって生まれる実利 を目的にして住宅用太陽光発電施設を設置し始めた。しかも、その住宅用太陽光発電補助金申込受 付件数は、2012 年 4 月から 2014 年 3 月までに 592,382 件(33)、つまり 2 年間で約 60 万世帯で、明ら かに、FiT 法によって、多くの市民が太陽光発電施設を設置している。「太陽光発電システムを設置 している住宅の数は 2013 年(平成 25 年)で 157 万戸と 2008 年に比べ3倍と」なっている。(34)

つまり、FiT 法成立から、太陽光発電施設を自宅に設置することが、これまでの自然エネルギー市民 運動の意味としては成立しなくなった。市民は、自分の利益を目的にして、自然エネルギーから電 気を作るために太陽光発電施設を設置し始めている。2013 年の FIT 法施行以後の自然エネルギー市 民運動を第三期自然エネルギー市民運動と命名した。現在は第三期自然エネルギー市民運動の時代 である。それは、大衆化し、生活活動化した自然エネルギー生産活動に対して、これまでの自然エ ネルギー市民運動が問われている時代であるとも言えるだろう。


D. 自然エネルギー生産者消費者運動の三つの形態 

こうした自然エネルギー市民運動の期間分けは、RPS 法施行以前の自然エネルギー市民運動(第一期 自然エネルギー市民運動)を理解し、その運動が FIT 法施行以前、2002 年から 2012 年までにどのよ うな自然エネルギー市民運動の形態 (第二期自然エネルギー市民運動)に発展したかをさらに分析し、 そして、2013 年の FIT 法施行以後の自然エネルギー市民運動を第三期自然エネルギー市民運動の在 り方、言い換えると国民的な生産者消費者運動の方法と模索するために、行ったものである。

この自然エネルギー市民運動が、社会政策によって、その運動形態を変化させる中、2002 年までの 自然エネルギー市民運動を第一期自然エネルギー市民運動、2002 年から 2012 年の FIT 法施行まで の運動を第二期自然エネルギー市民運動、2013 年の FIT 法施行以後の自然エネルギー市民運動を第 三期自然エネルギー市民運動と分類した。これらの分類化によって、より鮮明に、時代や社会的背景を前提にして、自然エネルギー市民運動を理解しながら、運動主体が抱えた課題の分析を試みる ことが出来るのである。

しかし、この論文では、三つに分類された自然エネルギー市民運動のそれぞれの特徴は、それらの 比較分析は行わない。この論文では、「電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置 法」施行以前の自然エネルギー市民運動に限定した分析を試みる。


(31)  一般社団法人 太陽光発電協会 「住宅用太陽光発電システムの設置が累計 100 万件を突破」 http://www.jpea.gr.jp/pdf/t120517.pdf
(32)  三石博行「再生可能エネルギー促進法とその問題点について 持続可能なエネルギー生産社会を 目指すために」20p、2011 年 11 月 19 日 おおつ市民環境講座 配布資料
(33)  太陽光発電協会 「補助金申請の都道府県別集計データ」http://www.jpea.gr.jp/jpec/data/doc/pdat_uketsuke_20140801.pdf
(34)  総務省 「太陽光発電システムを設置している住宅の数」平成 26 年 9 月 5 日 http://www.stat.go.jp/info/wadai/pdf/018.pdf

2-4.1990 年代から 2002 年までの第一期自然エネルギー市民運動 


この期間(2002 年に RPS 法が施行される)までの第一期自然エネルギー市民運動と呼ばれる自然エ ネルギー市民運動を理解するためには、この時代の特徴を理解しなければならない。日本の現代史 の中でのこの 1990 年代という時代を理解することであるが、この論文では、必要とされる現代日 本史に関する考察を行う能力も時間的余裕もない。そのため、この考察を割愛する。

更に、この期間の自然エネルギー市民運動の全てを調査し尽くしたと訳ではない。つまり、ここで 言及されなかった自然エネルギー市民運動がある可能性を残している。その意味で、この議論は、 今後の調査を前提に、継続され、展開される。今回は、特に、PV-Net の母体を形成した自然エネル ギー市民運動についてのみ言及する。


A. エコテック、レクスタと自然エネルギー推進市民フォーラムの三位一体

エコテック(ワーカーズコープエコテック)は、「働く人が自ら出資し、働き、自立的に運営する 事業体」であると自らの組織を定義している。つまり、「労働者生産協同組合(ワーカーズコー プ)」という形態を取っている自主管理労働運動として、1993 年に設立された、日本で最も古い自 然エネルギー市民事業運動である(35)。

エコテックでは、通常の株式会社としての役割をもって、消費者に高い品質の製品を提供すること も運動の課題となっている。この自主管理労働組合的要素をもったエコテックが企業運営体でなく、 市民運動であり続けるために、取り入れるために、エコテックを「非営利(NPO)的な事業を目指 す」「市民事業」と自己規定し、自然エネルギー市民運動を形成するための有効な機能として自ら を位置づけた。当然、この運動を担う人々は自然エネルギー市民運動の開拓者となっていった。

また、同時に、エコテックと同じ理念を持つ自然エネルギー利用関連の事業を行うメンバーが運営 する 15 の市民事業体が連携し、経営と市民運動的機能性を相互に協力し合いながら、参加してい るメンバーの経営を堅持するために、「市民事業」組合、「自然エネルギーに関する事業協同組合 レクスタ」が、エコテックによって呼びかけられ、1994 年 12 月に結成した。(36)。

どのような市民運動であれ、その運動を維持するために、運動が依拠する生活が無ければならない。 生活活動に依拠した市民運動、社会運動や労働運動でなければ、その運動の存立条件が物質的にも 精神的にも成立しなくなる。その意味で、エコテックもレクスタも、極めて現実的な生活活動・生 産活動に依拠した自然エネルギー市民事業である。

この自然エネルギー市民事業を担った都筑健氏を中心とした人々が、「自然エネルギー推進市民フ ォーラム (Renewable Energy Promoting People`s Forum・REPP)(37)を形成する。このエコッテク、レク スタと自然エネルギー推進市民フォーラムの三つの組織によって、この時代の自然エネルギー市民 運動を展開するための条件を確保することが出来た。

つまり、エコテックは、自然エネルギーから電力を生産するための、専門的知識や技術、技能や必 要な資金を確保するための組織、太陽光発電設置業者としての企業であり、具体的、かつ現実的に 太陽光発電施設を設置するための手段を持っていた。エコテックは、太陽光発電事業に企業もビジ ネスとして手を出さない時代、自然エネルギー生産者運動が必要とした基本インフラを(資金、技 能、人材)の確保に寄与した。

さらに、自然エネルギーに関する事業協同組合レクスタは、エコッテクのように市民事業体と自ら の企業活動を位置づけ、自宅に太陽光発電施設を設置する市民や自然エネルギー市民運動をサポー トしたいと考える日本全国の企業や、またそれに賛同する企業の協同組合である。それらの企業活 動に必要な資金、資源(知的資源、人的資源、設備資源等々)の相互扶助を行うために作られた。 その事によって、個々の事業体の経営的安全保障を確立し、かつ積極的により安価なサービスの提 供も可能になる。

そして、自然エネルギー推進市民フォーラム  Renewable Energy Promoting People`s Forum(REPP)は、 自然エネルギー市民運動や PV パイオニアと呼ばれる太陽光発電に挑戦する市民を支援する市民運 動体である。この運動は、自然エネルギー活用が成立し得ないこの時代的な社会的な状況の中で、 自然エネルギー市民運動の旗印として、自然エネルギーを活用する市民やそれらの運動をサポート する機能を開発して行った。例えば、自然エネルギー市民運動の可能性を広く社会に呼びかけ、多 くの賛同者を得て、例えば寄付金を集めるたり、イベントを開いたりしながら、自然エネルギー社 会の未来を語る運動である。この組織を通じて、自然エネルギー運動、現実の運動の母体はエコテ ックやレクスタの活動を前提にして成立しているのであるが、自然エネルギー推進市民フォーラム は、それらの活動の情報を広く社会に伝える自然エネルギー市民運動の大衆化に寄与していた。

例えば、「PV 独立型システムを家庭内配線に持ち込み、電力会社とやりあう」原発問題に深い関心 を持つ市民、地球温暖化防止に自然エネルギーの活用を主張した人々は、それを実践する為に、自 宅や地域に、PV を設置する運動を始めた。この先駆的な運動とこの運動を推進した人々(PV パイオ ニア)を支えるために、エコッテクやレクスタは機能した。このエコテックやレクスタの下支えに よって、多くのパイオニアが生まれた(38)。

特に注目したい自然エネルギー推進市民フォーラムの活動として、自然エネルギー推進市民フォー ラム助成がある。1990 年代の始め、国の太陽光発電設置に関する補助金制度の前から、PV を自分 で設置したいと望んだ市民たち、採算を度外視して高額の太陽光発電装置を家に設置した人々「太 陽光発電の市民パイオニア PV パイオニア」(都筑健氏が呼んだ)である。これらの人々に対して、 自然エネルギー推進市民フォーラム助成は、大いに役立った。

また、自然エネルギー推進市民フォーラム助成は、自然エネルギー市民運動が目指した市民共同発 電所の建設にも大いに貢献した。例えば、この制度を活用して、NPO 法人足元から地球温暖化を考 える市民ネット・えどがわ(通称・足温ネット)は 1998 年 7 月市民立・江戸川第1発電所(太陽 光・5.4kW)を関東地域で初めて建設した。この市民運動は、1996 年 11 月に江戸川区内在住の市民 団体メンバーや区民たちで「気候フォーラム江戸川ネットワーク」実行委員会立ち上げ、そのフォ ーラムを 1997 年 1 月に、任意団体「足元から地球温暖化を考える市民ネット・えどがわ」として発 足させた。そして、新エネルギー財団助成、自然エネルギー推進市民フォーラム助成、草の根市民 基金・グラン助成を受けて、1998 年 7 月に市民共同発電所をを関東地域で初めて建設した。その後、 東京都より特定非営利活動(NPO)法人として認定を受け、団体名を「足元から地球温暖化を考える市 民ネットえどがわ」に変更した。(39)

まさに、PV パイオニアや自然エネルギー市民運動が生まれる PV 時代の黎明期に欠かせない存在と して、エコテック、レクスタと自然エネルギー推進市民フォーラムの三位一体の組織を理解するこ とができる。以上の分析は、エコテックやレクスタを市民運動のサポートとして位置づける従来の 市民運動論の側から観たのでなく、寧ろ、自然エネルギー社会を構築するための現実的な方法や手 段の構築を市民運動の一形態として位置づけ、その視点からエコテックやレクスタ、市民事業を生 産消費者運動に欠かせない市民運動の機能として観たのである。つまり、従来の市民運動論に潜む、 運動体の組織形式から観るのでなく、その組織の機能性から、組織の目的実行性の高い運動形態を 評価しようとして解釈したものである。


B. 太陽光・風力発電トラスト等の市民の市民共同発電所建設 

太陽光・風力発電トラストは、1994 年に、チェルノブイリやスリーマイル島、日本では福井県の美 浜原発などの事故が繰り返され中で、日本の原子力に依存したエネルギー政策を批判する知識人に よって、太陽光などの自然エネルギーを利用するエネルギー社会を実現するために始まった運動で ある。この会では、発電所の設置に関わる費用を各プロジェクトの参加者が共同で負担すること、 発電所は、屋根を提供できる方と共同で運営すること、そして、発電所で作った電気は、社会に届 けるため、系統連携を、市民発電所建設の基本理念として。太陽光風力発電トラストは 1994 年 8 月、日本初の「市民共同発電所・ひむか1号くん」(4.5Kw)を宮崎県の串間市に設置した。2001 年 7 月に、「ひむか3号くん」(3.75Kw)を設置した(40)。

この太陽光・風力発電トラストの運動は、関西の自然エネルギー市民運動に大きな影響を与えた。 例えば、1996 の秋に設立された「関西で初めての市民共同発電所をつくる会」は、「太陽光・風力 発電トラストの市民共同発電所に関する考え方」を参考にしながら、「市民の、市民による、市民 のための、共同発電所」設置プロジェクトを呼びかけた。このプロジェクトに 119 名の賛同者(大 学研究者、環境保護運動家、反原発運動家、滋賀県職員及び全国の自治体関係者、会社員、人権運 動家、文化人、芸術家、俳優や学生)が名前を連ねて、広範な市民の運動としての自然エネルギー 市民運動を目指した(41)。

「いしべに市民共同発電所をつくる会」は「関西で初めての市民共同発電所をつくる会」の呼びか けを受けて活動を始めた。そして、1997 年 6 月に関西で初めての市民共同発電所「てんとうむし1 号」を滋賀県湖南市に設置した(42)。

その後、滋賀県では、精力的に市民共同発電所の建設が進められる。その背景には、「市民の、市 民による、市民のための、共同発電所」設置プロジェクトを呼びかけた「市民共同発電所を作る会」 の代表世話人であった村本孝夫氏が、当時、滋賀大学教育学部教授であったことが考えられる。以 下、滋賀県で 2002 年までに設置された市民共同発電所を列記してみる。

☆ 大地に市民共同発電所をつくる会が 1997 年に滋賀県高島市の障害者施設屋根に「大地 1 号」 5.45kW を設置(43)する

☆  湖北・市民共同発電所“さといも”プロジェクト が 1998 年に 滋賀県長浜市の共働作業所屋 根 2.7kW の発電施設を設置(44)する

☆  市民共同発電所を作る会・おおつ が 2001 年に、滋賀県大津市のおおつ あいあい保育園の屋 根に「さんさんくん」5.22kW を設置(45)する

☆  風車村に市民共同発電所を設置する会 が 2001 年に滋賀県高島市の風車村に「ひかりちゃん」 2.9Kw を設置(46)

きょうとグリーンファンドは、 2000 年 3 月準備会を作り、2000 年 12 月に特定非営利活動法人取得 し、2001 年 3 月、京都市左京区の法然院・森のセンターに「おひさま発電所」1 号機を完成させた。 翌年 2002 年 2 月、京都市伏見区のあけぼの保育園「おひさま発電所」2 号機を完成させた。(47)

また、労働組合が積極的に支援した市民共同発電所もあった。「ふくい市民共同発電所を作る会」 は 200 年に福井市職員労働組合(福井県本部)に拠点を置き(48)、「個人や市民団体及び事業者など による, 単独の太陽光発電設備設置に対して補助」や「ヒートポンプを用いた地下水の利用につい て技術開発を実施」(49)した。

1997 年から 2001 年に多くの PV パイオニアが生まれ、11 の市民共同発電所が建設された。それら の市民発電所の規模は、いずれも、出力 6 ㎾未満のものであった。また、1990 年代から 2001 年ま での市民共同発電所建設運動に、1998 年に結成された NPO 法人気候ネットワーク(50)や 2000 年 9 月11 日に設立した特定非営利活動法人環境エネルギー政策研究所(51)が大きく貢献したことは言うに 及ばないことである。


C. 第一期自然エネルギー市民運動の特徴 生産者消費者市民運動の模索 

敢えて、第一期自然エネルギー市民運動の特徴を述べるなら、「エコテック、レクスタ、自然エネ ルギー推進市民フォーラム 」で述べた自然エネルギー市民運動を支える事業活動を「市民事業活動」 と呼び、働く人々の自主管理組織として運営することであった。この活動によって、市民共同発電 所設置を試みた自然エネルギー市民運動組織に大きな貢献をし続けてきた。例えば、「NPO 法人足 元から地球温暖化を考える市民ネット・えどがわ」は、自然エネルギー推進市民フォーラムから助 成を受けて太陽光発電設備を建設している。

しかし、自然エネルギー推進市民フォーラムの助成金は、エコテックと、レクスタ参加の企業活動 の支援によって集められたものである。多くの市民共同発電所の設置を助成するために、エコテッ クは大きな負担を背負うことになる。この負担は、無償の活動を要求する市民運動によって、結果 的に債務不履行とされる可能性もある。こうしてリスクを企業組織である市民事業体・エコテック は、どのようにして、受け止めてきかた、今後、調査しなければならない。

また、一方、「太陽光・風力発電トラスト」に代表され、そえに賛同した「市民の、市民による、 市民のための、共同発電所」設置プロジェクトを呼びかけた「関西で初めての市民共同発電所をつ くる会」の運動とその運動の中で生れた市民共同発電所の設置運動と市民共同発電所の運営のその 後の経過を調べると、殆どが、この時代、つまり第一期自然エネルギー市民運動の時代では、設定 後の維持に大変な労力を払っていたことが報告されている。

発電施設の管理や維持を、ボランティア運動を前提にした市民がどこまで担えたのか、また、故障 は修理の必要が生じたとき、これらの市民団体はどのようにしてそれを行ったか等々の困難が予測 されるのである。事実、こうした困難に出会った。そして、その時、市民運動としてどのように対 応したのだろうか。多くの課題が残される。

この第一期の自然エネルギー市民運動は、謂わば、生産者運動と消費者運動のどちらでもない中間 的な課題を、「太陽光・風力発電トラスト」に代表され大衆市民運動論者に、また同時に、エコテ ック」に代表される市民事業体の考え方に、それぞれ大きな課題を投げかけたと言える。その答え は、その二つの視点の異なる運動のその後の展開を調査する中から、見つけ出すことが可能となる。 そして、その後のこれらの運動の展開の現実から、自然エネルギーを活用した生産消費者の運動や 事業の在り方を巡る議論のための有意義な資料が準備されるのである。



(35)  エコテック(ワーカーズコープエコテック)1993 年設立 http://www.ecotechnet.com/
(36)  自然エネルギーに関する事業協同組合レクスタ  1994 年 12 月に設 http://www.rexta.or.jp/
(37)  自然エネルギー推進市民フォーラム  Renewable Energy Promoting People`s Forum(REPP) http://www.jca.apc.org/repp/home.htm
(38)  都筑健 「市民が支える太陽光発電システムの普及」Journal of JSES,Vol.28.No6,2002,pp1-8、
(37)  自然エネルギー推進市民フォーラム  Renewable Energy Promoting People`s Forum(REPP) http://www.jca.apc.org/repp/home.htm
(38)  都筑健 「市民が支える太陽光発電システムの普及」Journal of JSES,Vol.28.No6,2002,pp1-8、
(39)  NPO 法人足元から地球温暖化を考える市民ネット・えどがわ(通称・足温ネット)http://www.sokuonnet.org/,  https://www.facebook.com/sokuonnet/
(40)  太陽光・風力発電トラスト http://trust.watsystems.net/trust.html http://ha2.seikyou.ne.jp/home/ngnd/trust.html
(41)  関西で初めての「市民共同発電所を作る会」 http://trust.watsystems.net/project.html
(42)  いしべに市民共同発電所をつくる会  http://www.pref.shiga.lg.jp/f/eneshin/files/simin-kyoudouhatuden.pdf  http://trust.watsystems.net/project-tentoumusi.html
(43)  大地に市民共同発電所をつくる会  http://www.pref.shiga.lg.jp/f/eneshin/files/simin-kyoudouhatuden.pdf  http://www.pref.shiga.lg.jp/f/eneshin/files/3-3shimin.pdf  http://www.kikonet.org/wpcontent/uploads/2014/04/citizens-co-owned-renewables-report2007.pdf
(44)  湖北・市民共同発電所“さといも”プロジェクト  http://www.pref.shiga.lg.jp/f/eneshin/files/siminkyoudouhatuden.pd http://trust.watsystems.net/s-syui.html
(45)  市民共同発電所を作る会・おおつ http://www.pref.shiga.lg.jp/f/eneshin/files/simin-kyoudouhatuden.pdf  http://aoibiwako.shiga-saku.net/e515481.html
(46)  風車村に市民共同発電所を設置する会  http://www.pref.shiga.lg.jp/f/eneshin/files/simin-kyoudouhatuden.pdf  http://trust.watsystems.net/sinasahi-p.html
(47)  認定 NPO 法人 きょうとグリーンファンド http://www.kyoto-gf.org/
(48)  ふくい市民共同発電所を作る会 雪国における太陽光発電普及の取り組み 福井県本部/福井市職員労働組 合 http://www.jichiro.gr.jp/jichiken_kako/report/rep_tokushima29/jichiken/5/5_2_12.htm
(49)  査 蕾 竹歳一紀「日本の市民共同発電所 -市民の関わりと地域活性化への取組み-」桃山学院大学総合研究 所紀要 第 41 巻第1号 pp167-187 https://www.andrew.ac.jp/soken/pdf_3-1/sokenk212-2.pdf
(50)  NPO 法人気候ネットワーク  http://kikonet.org/link/index.html
(51)  特定非営利活動法人環境エネルギー政策研究所  http://www.isep.or.jp/  52


3、「太陽光発電設置者連絡会」(仮称)準備会を構成した人々 


3-1、東京電力の協力の背景 RPS 制度と増え続ける太陽光発電設備への対応 


こうした状況の中で、2002 年 7 月に東京電力株式会社(Tokyo Electric Power Company )(52、太陽光 発電を研究している大学研究者、環境自治体会議「The Coalition of Local Government for Environmental Initiative, Japan 」・全国地球温暖化防止活動推進センター)(53)や自然エネルギーを 推進する市民運動(自然エネルギー推進市民フォーラム(Renewable Energy Promoting People`s Forum(REPP))(54)とエネルギー・環境政策を考える会 )のメンバーと住宅用の太陽光発電設備を設 置している市民があつまって、「太陽光発電設置者連絡会」(仮称)準備会を立ち上げるための準備 活動が始まった。 

東京電力株式会社(東電)は 1992 年以来、送配電区間内に設置されている太陽光発電設備や風力 発電設備の余剰電力を、売電価格設定を基準にして約 14.8 円/kwh から 29.8 円/kwh の価格で購入し てきた(55)。東京電力配電区間内で、1992 年には太陽光発電施設が 3 件でその設置出力は 37kw であ った。それが、1996 年には設置件数は 1068 で設置出力は 4278Kw、2001 年には 19560 件の設置者 でその設置出力は 96522kw と急激に増加を続けていた(56)。さらに、2003 年には、約 57000 件の設 置者から約 9200 万 kwh の余剰電力を東電は購入したと報告されている(57)。 

当時、小泉政権は独占企業である電力会社にも、「聖域なき構造改革」を断行するために 2002 年 6 月 7 日に「電 気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法」(平成 14 年法律第 62 号) を成立させ、同年 12 月 6 日からこの法律は施行された。この法律は、電気事業者に対して、エネル ギーの安定的かつ適切な供給の確保を義務づけ、さらに毎年、その販売電力量に応じた一定割合以 上の新エネルギー等から発電される電気 の利用を義務化した制度、RPS 制度(Renewables Portfolio Standard)によって、新エネルギー等の更なる普及を図るものである(58)。 

2002 年 12 月に施行された RPS 制度(Renewables Portfolio Standard)によって、東電は太陽光発電を 含む自然エネルギーから作られる電気の利用が義務付けられ、その意味で住宅用太陽光発電設備か らの電力購入の必要性が生じたとも謂える。 

また、同時に、東京電力は配送電区間内で急激に増え続ける太陽光発電設備に対応するために、 2001 年から太陽光発電設置者へのアンケート調査を始め、2002 年に集計を行った(59)。言い換える と、それらの設備の設備出力とその発電量の正確なデータが必要となることを理解し、設置者の協 力が東電は必要であった。そのことが、この「太陽光発電設置者連絡会」(仮称)準備会を積極的に サポートした理由であると考えられる。 


(52)  東京電力株式会社 Tokyo Electric Power Company  http://www.tepco.co.jp/en/index-e.html 
(53)  The Coalition of Local Government for Environmental Initiative, Japan. 「環境自治体会議」 http://www.colgei.org/  
(54)  Renewable Energy Promoting People`s Forum(REPP)  自然エネルギー推進市民フォーラム http://www.jca.apc.org/repp/home.h 
(55)  東京電力株式会社 「東京電力の太陽光発電における余剰電力購入の実績」(2005 年 11 月 2 日) http://www.re-policy.jp/shinenekentou/2/1102toudenyojyou05.pdf 
(56) 「太陽光発電施設者連絡会(仮称)設立に向けてのお知らせ」東京電力株式会社 営業部「太陽光発電設置者 連絡会(仮称)準備会」連絡係作成、2002 年 7 月 17 日、「太陽光発電設置者連絡会準備会(仮称)準備会の設立 に向けて」の会議の配布資料「増え続ける太陽光発電施設件数と設置出力」 
(57)  東京電力株式会社 「東京電力の太陽光発電における余剰電力購入の実績」 (2005 年 11 月 2 日) http://www.re-policy.jp/shinenekentou/2/1102toudenyojyou05.pdf  
(58) 三石博行「再生可能エネルギー促進法とその問題点について 持続可能なエネルギー生産社会を目指すため に」20p、2011 年 11 月 19 日 おおつ市民環境講座 配布資料  http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_03_04/cMITShir11a.pdf   
(59)  「太陽光発電設置者連絡会」入会意向アンケート集計結果(平成 14 年 8 月 6 日現在)] 4p, 東京電力株式会社 営業部「太陽光発電設置者連絡会(仮称)準備会」連絡係作成 


3-2、経済的に豊かで環境意識の高い太陽光発電設置者

 

東京電力のニーズと地球温暖化対策として自然エネルギーの普及を課題にした地方自治体や市民運 動のニーズが、太陽光発電設置者の組織化という課題で結びつき、「太陽光発電設置者連絡会議(仮称)」の設置に向けての準備活動が 2002 年 2 月から取り組まれ、準備会の会議が頻繁に開かれ、 2002 年 10 月には「太陽光発電設置者連絡会(仮称)」の準備会からその発起人会へと発展した(60)。 

「太陽光発電設置者連絡会(仮称)」準備会は、東電のアンケートの集計(19560 名)を基にして、同会 の「趣旨に賛同し参加したい」(2004 名 約 10%)「興味があるので案内を送って欲しい」(3955 名 約 20%)と答えた太陽光発電設置者 5959 名(約 30%)に対して、より詳しいアンケート調査を行った (61)。2002 年 11 月 13 日を期限にアンケートを回収し、それを集計、統計処理を行った。この集計 から、5959 名の 46%の 2004 名が会への参加を希望し、36%の 3955 名が会からの情報提供を希望 していた。(62) 

会への参加と情報提供を希望する人々(5959 名)中で、太陽光設置の動機で最も多かったのが、環境 問題の解決(75.54%)で、その次が電気代の節約(62.7%)、三番目がエネルギー問題の解決(60.0%)であ った。76.1%の人が「太陽光発電システム」に「非常に満足、やや満足」と答えている。また、会 の目的に関するアンケートでは、社会への貢献と答えた人数が最も多く、46.6%を占めた。さらに、 「会の活動」に関しては「太陽光発電の普及推進」と答えた人が最も多く 65.7%を占めた(63)。 

太陽光発電設備費(システム価格)は、「1993 年の IKW 当たりのシステム価格は 250 万円、1994 年に は 200 万円、1995 年では 170、万円、1996 年では 120 万円と 4 年間で半分以下(0.47 倍に減少する) に減少した。しかし、1997 年(106 万円/KW)から 2001 年(75.8 万円/KW )の 5 年間でシステム価 格の減少率は3分2以下(0.72 倍に減少する)である。さらに、2002 年(71.0 万円/KW)から 2009 年(62 万円/KW)の 8 年間では僅かに 10 万円の減少(0.87 倍に減少する)であった。日本の太陽電 池システム価格は 2003 年から 2009 年までは、ほぼ横ばいに推移している。」(64) 

「太陽光発電設置者連絡会(仮称)」準備会のアンケートの、住宅用の太陽光発電設備のシステム容 量に関する調査結果から、2 ㎾未満が全体の 3.8%、2 ㎾から 3 ㎾が 30.2%、3 ㎾から 4 ㎾が 41.9%、 4 ㎾から 6 ㎾までが 20.8%、6 ㎾以上が 3.1%であった(65)。 設置時期は 2000 年が全体の 27.4%で 最も多く、次は 2001 年の 24.4%、三番目は 1999 年の 14.0%であった。2002 年は 9.8%と 2001 年 比べると極度に少なくなっている。その理由は補助金の減少によるものであると思われる。 

例えば、2002 年のシステム価格が 71.0 万円/KW で、それ以前のシステム価格は 2001 年が 75.8 万円 /KW 、1997 年が 106 万円/KW、1993 年が 250 万円/KW、1994 年は 200 万円、1995 年では 170 万円 /KW、そして 1996 年では 120 万円/KW、1993 年では IKW 当たり 250 万円もした。 

 つまり、アンケートの結果から、最も多い 41.9%の設置者が 3 ㎾から 4 ㎾の発電施設を 2000 年に 造ったとすると、2000 年のシステム価格は、殆ど 2001 年の 75.8 万円/KW のシステム価格と変わら ないので、2000 年に 3 ㎾から 4 ㎾の発電施設を設置した費用総額は、227.4 万円から 303.2 万円と なる。もし、それを 1997 年に設置したなら 1 ㎾あたり 106 万円の費用が掛かるので、318 万円から 424 万円必要となる。勿論、補助金があるので、上記した金額にはならない。例えば、2000 年には 前期(1 月から 6 月まで)の補助金は 1 ㎾あたり 27 万円であり、後期(7 月から 12 月まで)は、1㎾あ たり 18 万円である(66)。例えば、補助金額の大きい前期で 3 ㎾なら 81 万円で設置者の自己負担金は 146.4 万円となり、4 ㎾では補助金は 108 万円で、設置者の自己負担金は 195.20 万円となる。 

当時の設置者は少なくとも 100 万円以上 200 万円の投資金を必要とされた。つまり、よほど経済的 に余裕のある人でなければ、太陽光発電を設置することは出来ないと謂える。ましては、新築の家 の場合、土地、住宅への巨額の支出に加えて高価な太陽光発電設備を設置できる人々は極めて裕福 な人々であったことが理解できる。 

しかし、確認しなければならないことは、上記の分析が物語ることが、豊かな人が PV を設置した ということを述べているのではなく、彼らが豊かであったという事が PV を設置する条件の一つで あったと述べているのである。観方を換えれば、採算を度外視しても、地球温暖化問題や原発問題 に対して自然エネルギーの活用がその解決手段と信じるなら、PV を自宅に設置した問題意識の高い 人々である。これらの人々のことを都筑健氏は「PV パイオニア」と呼んだ。(67) 


(60)  資料「平成 14 年度「太陽光発電設置者連絡会」活動計画(案) 2002 年 4 月 9 日」1p 、資料「議事次第 太 陽光発電施設者連絡会(仮称)設立に向けて」4p, 2002 年 7 月 17 日、資料「太陽光発電施設者連絡会(仮称)設立 に向けて」8p, 2002 年 8 月 20 日、資料「太陽光発電施設者連絡会(仮称)発起人会」7p, 2002 年 10 月 15 日、 
(61)  太陽光発電設置者連絡会(仮称)準備会作成資料「今回のアンケートをお送りする皆さまの構成」2p, 2002 年 9 月 19 日 
(62)  環境自治体会議 環境政策研究所「太陽光発電設置者連絡会(仮称)「会のあり方」アンケート調査結果 (速報)」22p, 2002 年 11 月 22 日 
(63)  環境自治体会議 環境政策研究所「太陽光発電設置者連絡会(仮称)「会のあり方」アンケート調査結果 (速報)」22p, 2002 年 11 月 22 日 
(64)  三石博行 「太陽光発電の将来性と問題点-再生可能エネルギー社会を実現するための課題-」45p、第 11 回縮小社会研究会 講演配布資料 京都大学 2012 年 9 月 30 日 http://shukusho.org/data/11-2.pdf 
(65)  環境自治体会議 環境政策研究所「太陽光発電設置者連絡会(仮称)「会のあり方」アンケート調査結果 (速報)」22p, 2002 年 11 月 22 日 
(66)  中川修治 「家庭用太陽光発電設備普及と国の補助金制度(1994-2003+(2005)」  http://trust.watsystems.net/hojyokin2002matome.html  
(67)  都筑健 「市民が支える太陽光発電システムの普及」Journal of JSES,Vol.28.No6,2002,pp1-8、 


3-3、自然エネルギー市民運動を担った来た人々 


2002 年 7 月 17 日の開催された会議、「太陽光発電設置者連絡会議(仮称)」準備会の設置に向けての 会議、に第一期自然エネルギー市民運動を推進してきた自然エネルギー推進市民フォーラム (Renewable Energy Promoting People`s Forum(REPP)とエネルギー・環境政策を考える会 の中心メン バーが参加している。しかし、第一期自然エネルギー市民運動を担った「太陽光・風力発電トラス ト」に代表される、所謂、大衆市民運動として自然エネルギー市民運動を展開した人々は参加して いない。 

その考えられる理由の一つとして、元々、自然エネルギー市民運動を原子力発電に反対する立場か ら担ってきた「太陽光・風力発電トラスト」に代表される大衆市民運動グループは、原子力発電を 稼動している東京電力と共に、自然エネルギー生産を推進する「太陽光発電設置者連絡会議(仮称)」 に参加することを拒否した可能性がある。「太陽光発電設置者連絡会議(仮称)」の呼びかけ段階か ら、この会議を構成するメンバーとして、「太陽光・風力発電トラスト」に代表され原発反対運動 のメンバーは参加しなかったのである。 

自然エネルギー推進市民フォーラムを運営してきた自然エネルギー市民運動は、この会に積極的に 参加している。その考えられる背景には、彼らが、地球温暖化や原発問題を考えて、採算を顧みず、 自宅に PV を設置したいと願った多くの PV パイオニアと呼ばれる市民の活動をサポートしてきたこ とが考えられる。彼らは、PV パイオニアに出来るだけ安く設備を設置し、また、PV パイオニア達 が参画できる PV の設置業務を企画してきた。市民企業活動として、PV 設置を進める中で、身に付けた生活運動的発想がある。つまり、PV を入れた新しい生活スタイル、のちに都筑健が述べる「ソ ーラーライフ」(68)に繋がる考え方であった。 

また、自然エネルギー推進市民フォーラムの人々は、同時に、エコテックを経営し、レクスタを運 営してきた。太陽光発電施設の設置や管理維持に必要な資金問題、技術的サポート、市民事業の経 営的管理等々、それらの事業活動の中で身に付けて具体的で、現実的な問題解決の方法を身に付け てきたと言える。その現実主義的な考え方や実践的なプラグマティズムが、現実を度外視し、観念 的な運動に走りがちな自然エネルギー市民運動を、確りと持続可能な生活運動にしてきたとも言え る。 

その意味で、仮に原発に反対していても、東電とも協力し、PV パイオニアである当時の太陽光発電 設置者の現実的な利益となるための運動を展開したのである。「太陽光発電設置者連絡会議(仮称)」 を、太陽光発電設備設置者の利益向上にのみに視点を当て、それ以外の課題を持ち込み、連絡会が 他の原発反対運動団体や、ある政治的主張をサポートする団体になることを、自然エネルギー推進 市民フォーラムは、極力避けた。つまり、連絡会の目的は、あくまでも、PV 設置者の利益である。 そのためにのみ、組織理念をまとめ、誰でも参加できる組織にした。 

この考え方が、その後、「太陽光発電設置者連絡会議(仮称)」準備会から生まれた太陽光発電所ネ ットワーク(PV-Net)の運動の在り方を決定することになる。そして PV 設置者の利益を優先し、 誰でも参加できる組織としての PV-Net 運動の今日の組織や運動理念を決定づけていることも確かで ある。 

その背景には、自然エネルギー社会を構築すること、具体的には社会に PV 設置者が多くなること は、市民社会に自ずと、地産地消型の社会、生産消費者意識を持つ市民の台頭、自然エネルギーの 消費と生産に責任を持つ参画型社会の形成、それらの新しい市民社会と市民意識が形成されること を信じるという立場に立っているとも言えるだろう。そして、結果的に、環境問題や原発問題に、 その市民社会や市民意識は、最も現実的で有効な解決手段を見出すと信じた。これが、この準備会 の設置に向けての動いた自然エネルギー市民運動の担い手の、極めて公平な視点であったことは、 すでに 10 年以上の時間を経た今でも、理解できるのである。 


(68)  都筑健「ソーラーライフ」、PV-Net2013 年第五回理事会提出資料、3p、2013 年 7 月 

4、結論と問題提起  



今回の報告は、PV-Net(NPO 太陽光発電所ネットワーク)の形成の社会的背景、PV 時代の黎明期に 活躍した市民運動について述べた。PV パイオニアと呼ばれた市民たちの時代背景、自然エネルギー を活用し電気を生産する運動が成立した時代的社会的状況についてについて分析した。 

21 世紀になった広がりつつある市民運動・ここでは自然エネルギーから電力を生産する自然エネル ギー市民運動であるが、エネルギーの消費者であると同時にエネルギーの生産者である新しい時代 の市民の形成過程に若干触れた。この新しい時代の市民に関しては、すでに、トフラーが彼の名著、 第三の波の中で言及した、生産消費者(prosumer)のことである。 

自然エネルギー市民運動は、まさしく、生産消費者の形成を前提にして成立していると言える。そ の成立条件として、ここでは、自主管理市民事業について簡単に触れた。この事業スタイルが、自主管理労働組合の経験から生まれたと言うのは私の見解であるが、いずれにしても、過去の市民活 動や労働運動など、人々が取り組んだ社会の民主主義化や人権尊重の社会文化の形成、自然保護の ための活動など、人々の生活運動と社会運動が直接的に間接的に寄与している。 

未来の自然エネルギー社会を形成するために、それを支える科学技術の進歩だけでなく、新しい思 想、生活様式、社会思想、社会制度、産業形態、国際関係の全てが問われていると言っても過言で はない。自然エネルギー社会を実現するために、自然エネルギーの特性から地産地消型の社会や市 民参画型の小規模生産活動等々、生産活動、市民社会の在り方、生活の在り方の等々、あらゆる課 題が、自然エネルギー社会の実現の視点から、考え直さなければならない。 
いずれにしても化石燃料が枯渇し、人々は自然エネルギーを使って生きていく時代が来ることは確 かである。その場合、これまでの化石燃料がもたらした巨大生産と消費の産業システムや生活スタ イルは維持できない。それに代わる政治、経済、社会、生活の在り方を見つけ出さなければならな いだろう。 

そこには余りにも多くの課題が提起されていることは事実である。その時、現在は、極めて僅かな 影響力しかない自然エネルギー市民運動とその社会実験によって得られる数々の貴重な経験を確り と受け止め、深化させなければならないだろう。その意味で、この報告がその一部に触れることが 出来ることを期待したい。 

今後の研究課題として、その後の PV-Net の運動の分析を1のテーマで、そして現在の PV-Net の運 動課題について2のテーマで研究を続けていく。 

1、「日本の Prosumer 運動としての再生可能エネルギー生産運動の形成とその課題 -PV-Net の事 例からー 」(2) –第二期自然エネルギー市民運動としての PV-Net の課題とその時代的及び社会 的背景- 

2、「日本の Prosumer 運動としての再生可能エネルギー生産運動の形成とその課題 -PV-Net の事 例からー 」(3) –第三期自然エネルギー市民運動としての PV-Net の課題とその時代的及び社会 的背景- 
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 2015年11月14日 第6回政治社会学会研究大会 「エネルギーセッション」 (広島大学) での研究報告資料











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