(一)
いじめを受けて自殺する子どもたちに
今日もニュースでいじめを受けて自殺する子こどたちの話が
報道されている。
いじめを受けて死を選ぶ子どもたちに対して、
私たちは、それを食い止めさせる言葉をもたな。
ただ、いじめた側の子どもたちを罰することがで、
死んでいった子どもへの償いが可能だと
思ってはいない。
弱い人をいじめる。
そんな恥ずかしいことが横行する。
それが、今の日本の文化なのか
それが、私たちの社会の姿なのか
それに対して、誰も何も言わない
いじめる子どもに、
いじめられる子どもに
優しく、生きるための力を諭すことばを失った
それが、今の私たちの生き方なのか。
いじめる子どもに
いじめないことの勇気を
いじめないことの優しさを
語る姿を失った
それが、今の社会の姿なのか
人が生まれ、言葉を話すまで
人が生まれ、歩き出すまで
どれだけ人は、多くの愛情によって支えられたか。
そのことを知ることで、
命の重さを知ることが出来ると
伝えることは出来たはずなのだ。
私もあなたも、
そしてすべての人々も
(二)
いじめを受けて自殺する子どもたちに
いじめを認めることは出来ないが、いじめはどこでもある。
いじめというのは自分の世界がすべての世界だと思う心から生まれた暴力だ。
いじめというのは自分の世界がすべての世界だと思う心から生まれた暴力だ。
だから、いじめは自然に生まれるのだ。
考えてみてほしい
どんなことばも、他者への優しさを持つまでに、時間を費やしたか。
どれだけの時間をかけて、他者への共感や優しさを身につけたか。
思い出してほしい
自分を認めてもらいたいと叫んでいた自分が、どうのように他者を理解できるようになったか。
自分中心の世界に、どうのようにして他者が現れたのか。
だから、
いじめられなければいじめられる苦しみは分からない。
いじめられたことは、優しさとは何かをしる試練なのだ。
だから、
君は死んではならないのだ。
君は生きなければならないのだ。
君は生きなければならないのだ。
(三)
いじめを受けて自殺する子どもたちに
きみの後に、どれだけ多くの子どもたちがいじめられるか、
君は、知っているだろう。
だから、
生きて、いじめてはいけないと言う人にならなければならない。
君をいじめたあの子も、また、どこかで、いじめられる。
その時、君はその子を助けることができる。
その子といじめてはいけない人と人の在り方を語ることができるのだ。
だから、死んではだめだ。
もっと強く生きなければならない。
もっと強く生きなければならない。
強くなければ、
優しく人々を包むことは出来る。
あの傍観していた友達も、
本当は、君を助けたかった。
しかし、彼らは、強くなかった。
いじめるのを止めろと言えなかった。
彼らは、いじめは悪いと知っていた。
しかし、それを行動に移す勇気がなかったのだ。
だから、君は、死んではいけない。
もっと強く生きなければならない。
もっと強く生きなければならない。
そして、いじめる友達を見たら、
それは悪いことだという勇気を持った強い子になって欲しい。
すると、今まで、きみへのいじめを傍観していた友達が、
きっと、一緒に、いじめを止める友達になってくれるだろう。
踏まれることはいいことだ。それは人を強くする。
叩かれることはいいことだ、それは人を強くする。
叩かれることはいいことだ、それは人を強くする。
踏まれても、伸びる。
倒れても、立ち上がる。
倒れても、立ち上がる。
道端の名もなき草のように生きる。
ただ、前をみて生きる。
ただ、前をみて生きる。
そうだ。
きっと君には素晴らし未来がある。
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