- 人格としての人権思想、文化としての民主主義 -
三石博行
世界には多様な人権思想と民主主義がある。
米国が中国に人権問題を語る。中国も米国に人権問題を語る。双方の人権に関する理念はそれぞれ正しいように思う。
まず、中国の考える人権は「餓死しないこと。家に住めること。生活が出来ること。」である。実際、中国共産党は日本帝国主義の侵略と闘い、列強の植民地になっていた中国と中国人民を解放し、貧困をなくし、経済を豊かにしてきた。それによってどれほど多くの人々が救われたか。そう彼らが主張するのは当然である。つまり、中国が言いたい人権とは「生きる権利」のことである。だから、今、彼らは農村地帯から貧困をなくすための政策を展開している。
COVID-19の感染源であったにしろ、また、初期段階でその対応が悪かったにしろ、中国政府は強烈な感染症対策で、感染を食い止め、犠牲者数も非常に少なく抑えた。そのやり方が強権的だと批判する人々もいる。しかし、自由と人権の国米国では60万人の犠牲者が発生し、日本でも1万5千人弱の犠牲者が発生している。犠牲者が少ない中国を日本も米国も批判する権利などない。
では、アメリカの言う人権とは「自由に生きること」である。人は自らの信念に基づいて生きることが出来、何人にも強制されない自由がある。この自由を保障されない社会は人権を無視した社会だと考えている。殆どの先進国において、アメリカの言う人権は当たり前の概念である。だから、アメリカは中国が香港の人々の要求を弾圧することは人権侵害だと考えている。
トランプ政権でのCOVID-19対策は失敗であった。そのため多くの犠牲者が出た。しかし、その政権を選挙で変え、バイデン政権になると猛スピードでワクチン接種を行い、感染拡大を食い止め、正常に近い経済活動が戻ってきた。民主主義とは国民主権が成立し、国民に選ばれた代理人(政治家)が国政を担う。もし、それらの代理人が十分に国民のために働いていなければ、選挙を通じて、辞めさせることが出来る。その点、中国の共産党による一党独裁は、余程、共産党指導部のモラルや理念が確りしていない限り、非常に危うい体制であると言えるだろう。
しかし、民主主義は一つではない。百の国があれば百の民主主義のスタイルがある。それは、その国や社会の文化であり、人々(国民)の歴史である。どれだけ民主主義的な法律があっても(ないよりましだが)、それを自覚的に運用する国民がいなければそれらの法律に謳われている民主主義や人権は実現しない。人権思想や民主主義は人の人格や社会文化である。人々の生活様式、行動様式、人に対する豊かな感性や想像力、それらがない所に民主主義は形成されないし、人権思想は育たない。貧しい人々への共感、社会的・経済的格差への問題意識、それらがない限り人権思想や民主主義は形成されないだろう。しかし、それは簡単なことではない。我々は元々、自己中心的で、他人に対して無関心な存在である。そうした私たち人間の自然の姿を反省的にとらえる力(モラル)がなければ、民主主義も人権思想も育たないだろう。
こんな大変で難しい文化を創ろうとしているのだから、それぞれの段階の民主主義や人権思想を理解し合う方がいいと思う。
だからと言って、中国共産党政権は行う香港の人々への弾圧は許されない。また、米国の人種差別や経済格差社会も非難されるべきだろう。そうした批判を行う我々日本人は弾圧を受けている香港人でも米国の黒人でもない。それ故に、弾圧をしている中国共産党政権、また人種差別をしている米国社会を批判的に観ながらも、他方において、それぞれの民主主義や人権思想の違い、歴史的背景を理解する余力があるのだと思う。
そして、最も大切なことは、民主主義や人権を求める香港や米国の人々の勇気ある行動を、自分たちの立場、自分たちの関わりを点検する問題提起にすべきではないだろうか。もう一度、わが国日本の人権思想と民主主義のレベルを問いかけるべきだろう。
ブログ文書集
三石博行 ブログ文書集「市民運動論」
三石博行 ブログ文書集「人権学試論」
三石博行 ブログ文書集「わが国の民主主義文化を発展させるための課題について」
2021年6月18日 ファイスブック記載
Tweet
0 件のコメント:
コメントを投稿