2010年6月22日火曜日

中世社会の人々の意識 感覚中心主義と魔女の存在

三石博行


魔女狩り裁判を起こす社会意識の理解、迷信の存在

▽ 人の思い込みという日常的な心の動きを、歴史の中で繰り返されてきた戦争や民族浄化(大虐殺)の起源として考えた。その思い込みが生じる精神構造について考えた。代表的な例として「魔女狩り裁判」を引き合いに出した。

▽ 魔女狩り裁判が起こった理由は、魔女迷信が信じられていたからである。その迷信は、科学技術の進歩した現代社会では消滅しているので、例えば今日の日本社会で「あの女が魔女と夜中に秘かに会って話をしていた」とか「あの女が魔女から毒を貰って井戸に入れたので、ペストが流行った」などという噂を信じる人はいない。つまり、現代社会では、中世社会で行われていた魔女狩り裁判と魔女と交信していた女(魔女の仲間)の火あぶりの刑は起こることはないのである。

▽ しかし、つい最近(今から20年前1990年に)、セルビア人によるクロアチア人虐殺が起こった。そして1994年にはアフリカのルワンダ共和国でラジオのデマ放送を信じたフツ族によって共存していたツチ族百万人が虐殺された。2003年には、アメリカによってイラク共和国が爆撃され、イラク戦争が始まる。それもイラクが大量破壊兵器を持っているという理由で、アメリカやイギリスなど日本を含める20カ国からなる連合国によって一方的にイラクへの攻撃が開始された。国連の安保理の反対を押し切っての戦争であった。すでに2008年までにアメリカ兵の死者は4千人を超え、イラク人治安部隊の死者は1万人とされ、国際保健機関は民間人の犠牲者は少なくとも15万人以上であると報している。このイラク戦争に見られるように、不確かな情報、デマやうわさを信じることで、一国を滅ぼすことが出来るという現代社会で繰り広げられた蛮行の起源を考えなければならないだろう。

▽ 魔女狩り裁判に関して言えば、中世社会では、迷信が信じられ、古代から続いた祈祷や占いが国家の政務として採用され、例えば、日本の古代社会は祈祷師である卑弥呼(175年から248年、邪馬台国の女王と思われている)が国を治め、また、それから600年後の平安時代(794年から1185年まで)でも天文観測や占いをする陰陽師(おんみょうじ)が中務省に勤め、国の業務の一部を司っていたのである。


中世社会の人々の意識 感覚中心主義と魔女の存在

▽ 中世社会では、世界は、人間の感覚・知覚できるものを基にして存在していると考えられていた。感覚・知覚された世界の姿を形相とアリストテレスは呼び、その形相の基になる物質世界を質料と呼んでいた。

▽ 中世の世界観では、幻覚や妄想も感覚された世界である以上、それは存在するのである。例えば、「あの女が魔女と夜に話をしているのを聞いた」という妄想も、魔女と話をしていたという錯覚を持った人間にとっては、そのリアルな感覚をもって現れる錯覚であり限り、その「魔女との密会」は現実の出来事として理解されるのである。その社会では、この妄想も、魔女の存在を信じている以上、「魔女と女が話をしていた」ということも実際に起きてもおかしくない話となる。そこで「あの女は魔女と密会をし、魔女から毒を貰っていた」という話に発展するのであろう。

▽ つまり、中世社会での魔女狩り裁判は起こるべくして起こる社会現象であった。科学的知識や世界観が存在していなかった。人間の感覚しか世界を了解(理解)するすべを持たなかった。そのため、幻想や幻覚であれ見えるものは全て存在しえたかった。


中世社会の世界観から近代社会への変化 天動説から地動説

▽ 2世紀に形成されたプトレマイオス天動説から17世紀の始めに形成されたケプラーの地動説への変換は、中世的な世界観から近代的世界観の変換を代表する事件であった。

▽ 現在でも、太陽が西に沈む光景を見て、「地球が動いている」と感じる人は誰も居ない。現代科学が活用する機器分析などのない肉眼で世界を観測調査していた中世の人々は、天体観測をして天動説を素朴に信じていただろう。その素朴な感覚経験主義が中世社会の世界観を支配していた。

▽ ケプラーは、これまでの中世社会から受け継がれた観測方法、望遠鏡を使用する天文観測を行っていたが、そのデータを数学的に整理した。つまり、中世の学問、スコラ学の自然学を理論的土台とするアリストテレスの世界観、人間的感覚を中心とした世界から、それを超越した世界(プラトンのイデアの世界)への変換の試みと、絶対的神の法則を信じるキリスト教神学の影響を受けた物理神学の立場から、神は世界(宇宙)を神のことば(数学)によって表現していると考えた。そして神のことばに近い数学を用いることで、宇宙の法則(神の法則)を見つけ出そうとしたのであった。

▽ 物理神学者であったコペルニクスやブルーノの地動説の先行研究を踏まえ、ケプラーは、1609年から1619年に掛けてケプラーの法則,惑星が太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動くという第一法則、惑星と太陽とを結ぶ線分が短時間に描く面積は一定である(面性速度一定)と、惑星の公転周期の2乗は、軌道の長半径の3乗に比例するという第三法則を発表した。

▽ ケプラーの法則によって、地動説が成立したと同時に、その後、万有引力の法則を見つけ出すニュートンなどに大きな影響を与えることになり、古典力学の土台の一歩が形成されたといえる。つまり、ガリレオと共に、その後、デカルト、パスカル、ニュートンやライプニッツへと大きな影響を与え、近代科学の形成の土台を創ったといえる。




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