三石博行
犯罪防止のための冤罪防止
犯罪は社会を不安にする。それは人命や生活を奪う憎むべき人権侵害を引き起こすものである。犯罪のない安心した社会を作り、また維持したいと願う市民のために警察は日々犯罪防止、また犯罪者逮捕のために闘っている。
犯罪防止とは人権擁護のためのもっとも基本的な行為である。司法も犯罪者に対して厳しく対応し、重大犯罪に対しては死刑を含む重い刑罰を科している。
その反面、これらの予防や対策にも過失が付き物である。過失とは、罪を犯していない人を犯罪者として裁くことである。その結果、市民はだれでも冤罪を被る(こうむる)被害者となる。また、真犯人を見逃してしまい、犯罪が再び起こる可能性を社会に残してしまうことである。
冤罪問題を、二つの立場、冤罪被害者と犯罪被害者の立場から考える。
冤罪(えんざい)とは
冤罪とは、捜査の過程で無実であるのに犯罪容疑者とされ、裁判で犯罪者として判決を受け、無罪である人を犯罪者にしてしまうことを冤罪(えんざい)と呼んでいる。テレビドラマなどでは、冤罪にあうことを「濡れ衣(ぬれぎぬ)を着せられる」と表現している。
冤罪事件の犯す被害は、無実の人を犯罪者にしてしまうため、その人の人権を剥奪し、また人生を破壊することになる。そればかりか、冤罪者の家族も社会から犯罪者の家族としての差別を受け、生活を破壊されるケースが多い。さらに、重大な問題として、冤罪を犯すことで、実際の犯罪者(真犯人)を取り逃がしてしまう結果となる。そのため、真犯人が、犯罪を繰り返す機会を防げないことになるとこともあり得る。
なぜ冤罪が発生するのか
1、 強引な調査と自白強要
2、 報道機関の誤報、作為的な編集や誇張による偏向報道
二つの冤罪事件から
1、松本サリン事件「松本市内における毒物使用多数殺人事件」
松本サリン事件(まつもとサリンじけん)は、オウム真理教によって引き起こされたテロ事件である。1994年6月4日、オウム真理教関係の裁判を行っていた司法関係者をねらって、裁判所官舎に神経ガス猛毒のサリンが散布され、死者8人・重軽傷者660人を出した事件である。
しかし、事件直後は使用された毒ガスの成分は判定出来ず、「謎(ナゾ)の毒ガス」による犯罪として新聞は報道した。同年6月28日、事件の第一通報者であった河野義行さんに疑いを持ち、自宅を捜査する。河野さんの自宅から薬品類(農薬)を数点押収し、さらに河野さんを重要参考人として連日取調べを行った。その間、マスコミによる報道が過熱し、7月3日に毒ガスが猛毒サリンであることが判明した。
サリンを農薬から簡単に製造することが不可能であるという専門的知識のない捜査員やマスコミによって、一方的に河野さんは犯人扱いされた。地元の信濃毎日新聞は「農薬からサリンが生成できるという誤った免罪報道を続けた。また、週間新潮は、「毒ガス事件発生源の怪奇家系図」と題した記事で河野家の家系図を掲載し」(Wikipedea)、河野さんの人権を著しく侵害し、免罪を助長する報道を行った。
河野さんが逮捕され10ヶ月過ぎて、1995年3月20日、東京都の地下鉄でサリン散布のよる事件、死者13名、負傷者6300名(現在でも後遺症の苦しむ人々多数)が発生した。松本サリン事件で冤罪を犯していた警察は、結果的に、重大な過失、つまり事件の再発を防ぐことができなかったのであった。
2、足利事件
足利事件(あしかがじけん)とは、1990年5月12日、日本栃木県足利市にあるパチンコ店の駐車場から女児(4歳)が行方不明になり、翌朝、近くの渡良瀬川の河川敷で遺体となって発見された事件。犯人とされて服役していた菅家利和(すがや としかず、1946年10月11日-、同県出身)と、遺留物のDNA型が一致しないことが2009年5月の再鑑定により判明し、冤罪であったことが発覚。すぐに菅家は釈放され、その後の再審で無罪が確定した。」Wikipedea
菅家さんは、釈放後の記者会見で、逮捕された当時の取調べの状況について警察が自白を強要したことを述べた。彼がうその自白をしたのは刑事達の過酷な取調べで、肉体的に追い詰められていた。その苦しさから逃れるために自白したとのことであった。
彼の言葉によると、刑事たちは菅家さんに「菅家さんがやった証拠はあるので、早く自白しろとか、そうしたら気持ちが楽になる」と言われた。しかし菅家さんは、始終無実を主張していた。それでもその主張は聞いて貰えず、警察はただ菅家さんに「自分がやりました」と認めるようにと同じ事を繰り返し強要したそうである。
菅谷さんがその自白を拒否すると、殴る蹴るの暴行のみならず、頭髪を引きずり回まわし、体ごと突き飛ばされる等の拷問に等しい暴行を加えながら取調べを続けた。しかも取り調べは連続で15時間近くにも及び、肉体的限界に達していたと菅家さんは述べていた。(Wikipedea)
また、事件当日、被害者の女の子を連れて歩いていた男性の姿を目撃したという証言(買い物途中の主婦やゴルフ練習をしていた数人の男性の証言)は無視された。そして、唯一検察が有罪判決の決定的証拠として用いたDNA鑑定も、1990年当時の方法では不正確であるため、新しい精度の高い分析方法で再鑑定することを要求してきた弁護側の主張を受け入れず、菅家さんへの刑(無期懲役)の執行は続いた。
逮捕から17年目の2008年12月にDNA鑑定を行うことが決定し、その結果、東京高等裁判所の嘱託鑑定(しょくたくかんてい)で菅家さんのDNAと女児(じょじ)の下着に付着していた体液のDNAのタイプは一致しないことが判明した。その結果、菅家さんを有罪とした唯一の証拠はなくなったのである。
DAN鑑定の結果は、真犯人を特定するための有力な証拠になるのだが、事件から17年を経過しており、すでに事件の公訴時効が成立しており、真犯人を逮捕起訴する機会は法的に失われていた。
0 件のコメント:
コメントを投稿