2010年6月22日火曜日

冤罪防止と死刑廃止論

三石博行


▽ 本来、司法の民主的運営、つまり市民に開かれた裁判を目指して裁判員制度は導入された。その基本的目標は冤罪を防ぐことであった。冤罪が最も重大な裁判による人権問題である以上、それを防がなければ民主主義国家としての基本的理念、基本的人権擁護の社会思想を維持することは出来ない。

▽ もし、中世社会の「魔女狩り裁判」と同じように「冤罪」を犯す裁判が横行するなら、その社会は民主的社会でもなければ、国民主権を謳う(うたう)近代国家でもない。それはまるで宗教権力の恐怖国家と同じような検察や警察権力の恐怖国家であるといえるだろう。日本国憲法で基本的人権を守れている国民である以上、魔女狩りのように不当な冤罪被害を受けることは許されない。

▽ しかし、私たちは神でないので、間違いを犯す。その意味で私たちは冤罪を起こす可能性を否定することはできない。そうであればせめて、冤罪によって悲惨な結果になることを防ぐ必要はないだろうか。

▽ その意味で「死刑の廃止」は最低限の冤罪によって引き起こされる重大な誤りへの防波堤にもなる。

▽ しかし、これまで、冤罪による重大な失敗を食い止めるために、死刑廃止という考え方を述べたが、それに反対する意見もあった。何故なら、死刑廃止を行うことで重大犯罪が増加すると思われるからである。人は死刑を恐れて重大犯罪に走らないなら、死刑を廃止することは、社会に重大犯罪を起こす可能性を作ると考えるからである。

▽ これまで冤罪問題への解決を考えるために、色々な角度から犯罪による人権侵害、犯罪被害者とその家族の人権問題、犯罪加害者家族の人権問題、さらに犯罪者(服役中の犯罪者)の人権問題と異なる角度から、問題を考えてみる。



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