三石博行
「いじめ」に混入する社会的制裁のニュアンス
▽ 「いじめる」ということに、なぜ日本社会は鈍感であるだろうか。この問いかけは「いじめる」という行為が何らかの形で社会から認められているからではないだろか。また、「いじめる」ということばに関連する他のことば、例えば「排除する」、「戒める」、「懲らしめる」等々、「いじめ」には処罰的意味合いが含まれている。それらの処罰的意味には、つねに誰かが誰かに対して、ある決まりの下に、ある理由をもって発動されるというニュアンスが付着している。社会的処罰的意味は、つねに社会や共同体的決まりから発動される、秩序を乱す者への戒め処罰というニュアンスを持つ。つまり、もし「いじめ」が「戒める」という意味を付着するなら、同時に、また暗黙の裡に(うちに)共同体の秩序を乱す者への懲罰を意味し、その上で、「いじめ」がその正当性や存在理由を主張しているように思われる。
▽ では、なぜ個人的な私怨(しえん)や妬みから発生した「いじめる」という行為が、社会的な制裁のニュアンスを漂(ただよ)わすのだろうか。そして、極めて個人的な負の感情がどのようなカラクリを使って「社会的正義」の紋章を付けることに成功しているのか。それらの疑問を解明し、その原因を知る必要がある。その疑問を紐解くために、まず「いじめ」に連想し思い浮かび上がる言葉を考えてみよう。
▽ 例えば、「村八分」という言葉がある。村八分は村の多数者がある少数者へ行う制裁行為であり、その制裁行為が強い者(多数者)によるよわい物(少数者)への行為と解釈される。その限りにおいて、村八分は「いじめ」と同じように集団からある人間を排除し、人間としての権利を奪い、名誉を剥奪する行為であると解釈されるだろう。その行為の現象面から観て、村八分といじめが同次元の行為、同義語として理解されることになる。
▽ 村八分は中世日本社会、取り分け村落共同体で行われていた共同体の秩序維持のための慣わしであり、村民は村の長(おさ)の私怨によって村八分にあったのでなく、村の秩序を破壊したために、二分の権利、葬式と火事に対して村の協力を得られる権利を除いて、村の八分の権利を失うことになったのである。中世社会の村落共同体の秩序を維持するための掟が村八分であった。
▽ 国民主権と民主主義によって成立している現代日本社会での社会秩序の根本は日本国憲法によって定められている。日本国憲法に則して、犯罪者を取り締まる刑法が決まっている。村ごと、村にあったように懲罰規則を決めているわけでない。どのような集団、社会や組織であっても、その中でしか適用できない規則を決めて、集団の多数の人々といえどもそれを遵守しない少数の人にいかなる制裁も加えてはならないのである。日本国憲法に違反しないこと、違反者に対して刑罰を科すことは国家以外にはできないこと等が、組織が懲罰規定を設ける条件となる。会社であれば就業規則は、憲法、労働基準法に違反してはならないし、また違反者を、牢獄の代わりに会社の倉庫に閉じ込めるとか、死刑に代わりに上司が平手打ちをすることは出来ない。就業規則上の懲罰規定は、会社へ損失を与えた職員に対して最も重い処分として、会社に所属している身分を奪う、解雇処分である。
▽ ところが小学校のクラスで起こるいじめは、クラスの5、6人の小さな集団がある特定の個人に行う暴力行為である。いじめにあっている子供がクラス(共同体)の秩序を破壊している訳でもなく、またその子供への制裁をクラス会で決めたわけでもないし、クラス全員が制裁に参加している訳ではない。いじめを行っている少数のグループの子供たちが、同じクラスのある子供に対して、個人の主観的な感情によって引き起こされている暴力行為、ある特定の個人を陰惨に痛めつける暴力行為である。
▽ 私怨による暴力が社会的制裁のニュアンスを獲得していく過程について、古い日本社会の伝統にある村八分や村落共同体意識について理解を深めなければならない。
中世社会での村落共同体の制裁としての村八分
▽ 人間が社会的存在であると言うことは、社会なしには個人が成立していない人間的存在様式の基本を物語っている。つまり、どの時代でもどの文化社会でも、その人間的存在様式は変化していない。例えば、家族という制度なくしては人類は種を保存することができなかっただろう。つまり、人間がこの地球上で活動し始めてから現代まで人間個人と社会文化を切り離すことはできない。
▽ その限りにおいて、社会はつねに社会自体の保存のために社会制度を作りそれを維持してきた。ある意味で、社会とは人類が存続するための装置として、人間個人にその装置の維持管理を委ねてきたのである。個人は社会制度の中で、自分の社会的役割を理解し、それを果たすことで、人類が長年かけて作り上げてきた人類の保存装置の維持管理に貢献しているのである。
▽ 社会機能が祈祷や占いによって運営された古代社会から、律令制をもって運営していく社会への転換は時間をかけて行われた。日本でも7世紀の大化の改新以降、当時の先進国である唐を真似て律令制を導入する。
▽ しかし、中世前期(平安末期~鎌倉中期)までは、民衆(百姓など)の生活を維持管理するための法律、国家的な法令はない。当時の律令(法律)は公家や武家に対して定められた法令・公家法・本所法・武家法など支配者により定められたものしか存在していなかった。そして、民衆に対する司法権・警察権の行使(検断沙汰)も支配者である荘園・公領領主や地頭武士に限られていた。(Wikipedia)つまり中世前期の社会では、国家として村落共同体の運営管理を行う規則はなかった。
▽ 鎌倉後期ごろから室町前期にかけての中世日本社会の村落共同体では、強い自治意識と連帯意識に支えられた惣村を形成する。その惣村では惣掟(そうおきて)と呼ばれる村落共同体での掟(おきて)を独自に作った。
▽ 惣掟とは、中世日本社会での百姓の自治的共同体である惣村(そうそん・多くは地縁的結合によって作られる共同組織)において、その共同体の秩序を維持するための掟とそれに違反するものへの制裁を惣村の全構成員による寄合で決議したものである。そのため、惣村構成員に惣掟は厳しく適用された。特に、共同体秩序を崩壊させるような行為(窃盗、放火、殺人など)に対する罰則は、ほとんどの場合、死刑とされた。
▽ 中世前期の社会では、現代社会のように国民全体に適応される憲法や刑法があったわけではなく、村民は村の掟を独自に作り、その掟に従って村の運営と管理、政(まつりごと)と治安を行っていた。その意味で、村八分はこの惣掟に中に含まれる共同体独自の刑法である。
▽ 中世社会では、国民という概念がなく、封建身分制度社会の秩序を維持するために律令(法度)しかなかった。そのため村落では惣掟の制定以来、村独自に掟が定められ、それに従い、村の秩序に従わないものを処罰し排除してきた。村八分という制度は、村落共同体の十の共同行為の中で、葬式と火事以外の結婚式、出産、病気の世話などをしないという習慣を示すものである。江戸時代では、村八分にあったものは村落共同体で共有する土地の使用も禁止されるために、共同山林での薪炭(しんたん)・用材(ようざい)・肥料用の落葉の採取が不可能となり、事実上生活が不可能になる。
▽ 村八分は、中世の村落共同体で成立していた掟に従って執り行われた刑罰の一つであり、その目的は村の秩序維持であった。今日、現代法治国家では、村落独自の刑法は存在しないため、村八分行為は憲法及び法律違反となる。
▽ 戦前まで村八分の習慣は根強く古い習慣を維持してきた村落共同体に残存してきた。しかし、現在では、それらの村八分の習慣は、村の有力者による脅迫や人権侵害行為として法律上認められていない行為として理解されている。この村八分は戦後も続き、例えば「2004年の新潟県関川村(せきがわむら)で起こった村の有力者による「お盆の行事」に参加しない人たちへの村八分にするという発言は裁判にまで発展したことが記録されている」(Wikipedia)
法律違反としての村八分
▽ 社会秩序の維持機能としての中世社会での村八分を、現代社会で古き伝統を守る村落共同体でも行うなら明らかに法律違反となる。中世社会では、民主主義社会や国民主権国家は成立していない。そのため、村の掟が村民に適用されることに対して、その是非を問う社会的機能(司法制度)はない。村民の同意が村の掟とその執行を決めていた。しかし、現代社会では、憲法がありそれに基づく刑事訴訟法や民事訴訟法があり、訴訟された罪状を法律に基づいて認否評価する司法制度があり、個人への刑の判断と執行が決定するのである。
▽ ある集団がその集団の利害を損するという理由から、その集団が独自に作っている刑法を被疑者に適用することはできない。それらの罰則規定は憲法や法律に違反する場合、無効となる。法律に違反しない範囲で、企業や法人の就業規則における罰則規定が成立している。
▽ 当然ながら、団地の集まり、自治会、学校、クラスでもし村八分が生じるなら、その村八分こそ基本的人権を守る日本国憲法に違反することになる。いかなる集団も勝手に人を罰することはできない。それらの集団が集団構成員に対する懲罰規定を作るなら、その条項は法律違反をしていないか国家によって検証される。例えば就業規則での罰則規定に関しても、労働基準法に触れないか労働監督所によって点検される。もし就業規則(罰則規定)が法律違反と判断されるなら、直ちに就業規則改善命令が企業に出されることになる。
▽ 民主主義と国民主権で運営される現代社会では、どのような理由があっても村八分は法律違反となる。
虐め(集団的暴力)を是認する傍観者の存在
▽ 村八分は民主主義社会では認められない人権侵害行為であるが、我々日本人が深層心理にもつ「村落共同体意識」には、村八分を正当化する、正当化しないまでも、それが行われていることを無言のうちに了承している意識がある。
▽ クラスで数人の子供がある子供を虐めているとする。クラスの多くの子供たちは、いじめっ子によって絶好のターゲットが決まり、虐めが行われていることを理解している。しかし、大半の子供たちは、その虐めには参加してはない。ただ、それを傍観しているだけである。虐めているグループにあえて虐めをやめるように忠告する訳でなく、もし虐めをやめろといえば逆に自分が虐めの対象にされる危険性があることを知っている。だから、ただその虐めの現実にかかわりたくないと決め込んでいるのである。それがクラスの大半の子供たちの姿である。
▽ これらの傍観者の存在によって、つまり虐めを認めている人々の存在があることが、虐めている人々にとっては、自分たちの行為の承認者として映る。その消極的な承認者を得ることで、私怨(しえん)や個人的鬱憤行為(うっぷんこうい)も社会的存在理由を見つける。もはや、私怨による行為でなく、皆が認めている皆と共同してやっている行為に変貌するのである。
▽ このクラスの大半の子供たち、不特定多数の傍観者の存在によって、いじめっ子の暴力は、社会的制裁行為の意味付けをもらい、伝統的に村の中で繰り広げられた村八分的行為に変貌するのである。
▽ 傍観者の存在は、伝統的な村落社会の無言の協同者を意味する。その存在は、古い村落共同体の社会運営に関する慣わし、つまり日本人の深層心理にしっかりはまり込んでいる「暗黙の同意」によって運営される村の掟を呼び覚ます。
▽ いじめっ子が堂々とクラスで暴力を振るためには、傍観者の存在が必要なのだ。もし彼らがいなければ、その行為の主観性は見破られるのである。彼らは堂々と暴力を振るうことは難しくなるだろう。それだけでも、虐めはクラスの中で公然と起こらないだろう。
▽ そして、クラスの大多数の子供が、傍観者から虐めを批判する側に立つなら、つまりクラスの多くの子供たちが、「弱いもの虐めをやめよ」というなら、いじめっ子の中で正当化したい暴力の公共性は忽ち(たちまち)崩れ去り、虐めという行為が露に(あらわに)社会(クラス)の中に露呈(ろてい)するだろう。個人的感情によって生まれた自分の行為としての虐めに含ませたかった「社会的」制裁の意味合いを失うだろう。
▽ 私怨によって生じる暴力「いじめ」に、社会的制裁にニュアンスの混入を防ぐためには、虐めが暴力であると明確に意識する契機を得るためには、その虐めを見て見ぬ振りをする大多数の傍観者達のモラルを問いかけ、彼らの協力を得る以外にないのである。
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