2010年4月22日木曜日

魔女狩りは中世社会だけでない現代社会でもある

三石博行


ダヤ人虐殺と魔女狩り裁判

中世ヨーロッパの終焉、異端裁判(審問)と大災害ペスト大流行

▽ 中世ヨーロッパでの異端審問が魔女裁判の原型と言われている。1307年から1313年まで継続されたフランス国王がおこなった騎士たちの異端を裁く宗教裁判が広範囲に行われた。南フランスでは、宗教裁判官たちが、実際には存在しなかった魔術をつかう異端の徒を裁判にかけたと記録されている。

▽ そして、悪魔を追い払うためにみずからの体が血に染まるほど鞭(むち)を打つ「鞭説教」が、民衆の中で起こった。群衆が鞭打ちしながら行進する「鞭説教」はペスト大流行よりも1世紀以上前1260年ぐらいから行われた。彼らはペストが発生した町に押しかけ、またユダヤ人の町に押しかけ、悪魔を追い払うために自らに鞭を打った。

▽ ペストがヨーロッパを襲った1350年前後、世界のペスト(黒死病)による死者数は、「大まかな計算で、約1億という」言われている。この数字から、「全ヨーロッパでの死者数を二千五百万人程度と推定する」ことが出来る。つまり、ヨーロッパの人口の約半数近くの人々が死亡したと推定できるのである。そして、「都市の人口の三分の一から三分の二の人々が死んだ」という記録もある。このように、ヨーロッパにとってペスト流行はこれまでの歴史で経験したこともない大災害であったと言える。


ペストとユダヤ人迫害や魔女狩り裁判

▽ ヨーロッパでの「ユダヤ人迫害の歴史は、紀元後の二0世紀間、絶えることなく続けられ、現在にまで到っている。」それで、ペストがその原因であると言えないが、「キリスト教徒の敵」異教者ユダヤ人への感情を、ペスト病因説に向けるためには、誰かが(キリスト教徒の誰かが)一人が、ユダヤ人かが井戸に毒を投げ込むのを、自分は見たといえば十分であった。

▽ ペスト大流行期の最初のユダヤ人虐殺はスイスのジュネーブで1348年に起こる。この年のペスト大流行の原因に、ユダヤ教徒が「井戸に毒をまいてペストをはやらせた」といううわさが流れ、ユダヤ人はペストを大流行させた疑をかけられ、捕まり、拷問され、女子供まで殺された。この虐殺で300以上の集団(ユダヤ人は集まって住んでいた)が滅亡したと言われている。

▽ 例えば、1349年、「アルザスのストラスブールの近くにある小さな村ペンフェルトではユダヤ人がペスト流行の張本人であるという告発」があって村民の意志を問う会議が開かれた。その場に居た一人の男の発言が決定的な結果を生み出した。彼は「彼ら(ユダヤ人たち)は何ゆえに、あらかじめ自分たちの使う井戸には蓋(ふた)をし、外に出ていた汲み置き水のバケツを、屋内に取り込んだのか」と質問した。この村人は、ユダヤ人が自分たちの井戸に毒を入れないようにあらかじめ蓋をした。そして井戸の水を汲まないようにバケツを屋内に取り込んでいたという推察をして、井戸に水をまいたのはユダヤ人に違いないと結論づけたのだった。そして、村人たちはこぞってユダヤ人狩りを行い、処刑した。このあとすぐに、ストラスブールでも同様の事態が起こり、わずかな子供が同情によって命を救われたが、二千人を超える人々が処刑されたと記録されている。

▽ また、この時期は、魔女狩りの盛んな時代でもあった。しかし、魔女狩り裁判とペストとの関係を明確に裏付ける歴史的資料は乏しいが、黒死病に触発され鞭打教徒の運動があり、それがユダヤ人(異教徒)の虐殺運動に関連したことは否定できない。


ペスト流行の張本人とされたユダヤ人の虐殺と魔女狩り裁判の姿

▽ 中世ヨーロッパで行われたユダヤ人虐殺や魔女狩りや異端裁判(審問)では、誰かが「あの人は魔女である」とか「ユダヤ人が井戸に毒を入れた」といえば、ユダヤ人や魔女と看做された(みなされた)人々は捕らえられ、厳しい拷問にあい、自白を迫られる。

▽ いずれにしろ、ユダヤ人であることが、処刑の理由となる。また魔女として捕らえられた人々も、自白しなければ「魔女だから自白しない」と逆に判断され、また拷問から逃れるために嘘の自白をすれば「やっぱり魔女なのか」と判断され、いずれも火あぶりの刑に処せられたのである。

▽ この時代、多くの無実な人々が厳しい拷問で苦しみ、また火あぶりの刑で死んでいったのである。こうした歴史的悲劇は、「ユダヤ人は自分達の井戸に蓋をしていた。」という理由で、また「あの人は魔女だ」という一人の人間の証言がそのまま信じられ、その証言を検証する場、つまり、魔女にされた人々に反論の余地を与え、つまり弁護士をつけて、反論させる。また魔女であると告訴する人々にその証拠を提示させ、それが信頼できるものであるかどうかを検証する場としての現代社会の裁判所のようなものはなかったのである。

▽ 一人の人が、ある人(異端者と思われる人、ユダヤ人や異教徒などキリスト教社会からはみ出した人々)を魔女であると訴えることで、またユダヤ人であるという理由で、それらの人々は簡単に捕らえられ、拷問にあい、撲殺され、火あぶりの刑にされるのである。それを支えた社会とその社会の持っていた考え方、制度を分析し、何故、ユダヤ人虐殺や魔女狩り裁判が生まれたのかを理解しなければならない。


ヨーロッパ中世の終焉、農奴制の解体と中世医学の権威失墜

▽ ペストの大流行によってヨーロッパ社会は危機を迎えた。都市の人口の三分の一から三分の二の人々が死んだという記録もある。町や村の半分の人々が病死する事態を引き起こしたペスト大流行は、中世ヨーロッパ社会に大きな衝撃を与え、その社会を大きく変えることになる。

▽ まず、「多くの死亡者の発生によって、14世紀ヨーロッパ社会では農奴が不足した。当時の荘園では、農地に縛られていた農奴と自由農民がいた。農業労働力の不足は、農奴を含め農民の立場を強くした。」自由農民や労賃を受け取り農業に従事する農民層が増えた。そのため、中世社会の土地に縛られた農奴と荘園領主の関係は崩壊し、労賃を払って働く農民が多くなったのである。しかも、人手不足や労働力不足は農民の労賃を高騰(こうとう)させた。その結果、「領主は仕方なく支払えなくなった労賃の代わりに、土地を農民に賃貸しという名で下げ渡す」ことになった。農民達は一揆やストライキを行い、少しずつ土地の権利を獲得していったのである。

▽ 黒死病は中世社会の領主社会を崩壊させ、農奴から、小作農民と労働者という二つの社会階級を生み出したのである。

▽ また、「ヨーロッパ社会では、14世紀半ばに三十の大学のうち四つが消滅している。」その理由はペストによって教育従事者が不足したという現代の社会では想像できない理由によるものである。つまり、中世の大学では、知の伝達は職人的な方法によるもので、長年の修行を前提にして知は伝達可能になる。その中世の知の再生産のあり方が問われたのである。

▽ 勿論(もちろん)、「中世ヨーロッパの医学の理論であるピポクラテス主義やガレニズム(古代ギリシャ時代の医学者ガレノスの学説による医学)がペストの大流行においてまったく無力」であったことが、中世医学を失墜させ、その医学を教える大学の権威を落としたと言える。

▽ こうして古い中世ヨーロッパの社会は解体し、その新しい活路を求めるようにルネッサンスが始まるのである。




参考
(1) クルト・バッツュビッツ著 川端豊彦・坂井洲二訳 『魔女と魔女裁判』 法政大学出版局 りぶらりあ選書 1970年11月20日、504p
(2) 村上陽一郎 『動的世界像としての科学』、新曜社、1980年6月20日、296p
(3) 村上陽一郎 『ペスト大流行 -ヨーロッパ中世の崩壊-』岩波新書225、1983年3月22日、192p



1-2、魔女狩り裁判の思想と現代社会

魔女狩り裁判は中世だけの話だろうか

▽ 前記した魔女狩り裁判を起こす社会、中世の社会では、告発者によって非常に簡単に人々の命や生活が奪われた。今から考えれば不思議だろうが、ある人が別の人を魔女だと告発すれば、告発された人は魔女として捕まえられ、拷問に会い、そして火あぶりにされた。このようなことは現在の社会から考えられないと思われるだろう。

▽ しかし、死者行方不明者が14万2800名、負傷者が10万3800名弱の大災害であった1923年9月1日に起こった関東大震災では、「在日朝鮮人が暴徒化し」「井戸に毒を入れて、放火し回っている」というデマや噂が立って、6415名の人々が(当時の司法省は233名と発表したが)殺害されたと言われている。

▽ 今から、90年前の近代国家日本でも、14世紀ヨーロッパ社会と同じような事件が起こったのである。そのことは、魔女狩り裁判は中世社会の古い話であって、現代社会では起こりようもない事件であるということが出来ない事実を突きつけている。



デマや噂を信じる精神構造とは

▽ このようなデマや噂が一人歩きする社会の風潮はどうして生まれたのかということを考えなければならないことが、ここで問題にすべきことである。

▽ 何故人々はうわさやデマを信じるのだろうか。何故、人々は自分の思い込みを点検することが出来ないのだろうか。この疑問に答えなければならない。

▽ なぜ人は、うわさを信じ、デマに踊らされるのだろうか。そしてこうした精神行動は日常的に行われているのではないか。

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