2019年3月15日金曜日

人間社会科学の成立条件(7)

近代科学の形成 

中世的世界観・偏見や先入観への「懐疑」


近代科学は、一切の偏見や先入観を排斥し、明晰判明な思考を獲得するために「疑う」という精神を前提にして成立している。この精神は、ペストへの集団的ヒステリーとも言える西洋社会で起こった「魔女狩り裁判」への思想的批判に基づいている。魔女狩り裁判と称する殺戮は、中世的世界観によって引き起こされた悲惨な事件であった。中世的世界観を点検するためにミシェル・ド・モンテーニュ(1533-1592、フランス)は懐疑論を展開した。

イギリスのフランシス・ベーコン(15611626)はイドラ(偏見や先入観)を列挙した。一つ目は、「種族のイドラ」と呼ばれるもので、人が生まれながらにして持ち込んでいる観念形態(社会文化的偏見)、例えば民族や種族、社会文化や風土に付随している風習、習慣、常識等である。二つ目は「洞窟のイドラ」と呼ばれるので、個人的な経験によって身につけている私たちの先入観である。三つ目は、「市場のイドラ」と呼ばれるもので、人々が社会的生活をおくる中で受け入れている常識(社会的偏見・共同主観)である。それによって悲惨な事件、例えば1923年関東大震災時に起こった在日朝鮮・中国人の虐殺事件、1994年アフリカのウワンダでフツ族過激派によるツチ族の虐殺事件を起こすこともある。四つ目は「劇場のイドラ」と呼ばれるもので、人々は自分の考えを他者や正論と称される考え方を信じることで受け入れている誤った考えである。

ベーコンは四つのイドラを示すことで、中世社会の観念形態(常識、信条、理論)を疑うことを提案し近代科学の方法・「帰納法」や経験哲学を提唱した。かれは、個々の実験や観察結果を整理し集計しながら規則性(法則性)を見出す帰納法の考え方、実験科学によって成立する帰納的方法と、それによって成立した理論を実際に実現する「知は力なり」と言う実践的証明・実証性を持つ近代科学の精神を確立した。

他方、フランスのルネ・デカルト(15961650)は、モンテニューの懐疑論を「方法的懐疑」と呼ばれる近代合理主義を形成する方法論として提唱した。デカルトはガリレオの地動説を擁護したために、フランスを追われ、先進国オランダで、1637年、「理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法」『方法序説』の中で、「方法的懐疑」について書くのでる。彼は、方法序説第2部で、「探求した方法の主たる規則の発見」ために必要な四つの規則を述べた。その一番目の規則が物事を徹底的に疑う「明証性の規則」である。

デカルトの「探求した方法の主たる規則の発見」を行うための四つの規則とは、一つは物事を徹底的に疑い「明証性の規則」、二つ目は物事を構成している要素を分析的に分ける「分析の規則」、三つ目は、最も細かく分析された単純な要素によってより複雑な世界を構成する「総合の規則」、そして最後の四つ目は、分析された要素によって総合された結論を検証・再検討する「列挙の規則」である。

デカルトは方法序説の第4部で、感覚・論証・精神に入りこんでるすべてを虚偽と考えて、それに対してそれ以上疑問を続けることができないまで、徹底的に(方法的に)疑うこと必要性を述べている。この方法的懐疑によって、はじめて、「疑い続けている私を、私は疑うことは出来ない」という論理、つまり「我思う、ゆえに我あり」の命題に辿り着く。これを第一命題として、明晰判明な論理が演繹的に構成される。明晰判明な概念として確立されている公理や定義を基にして複雑な世界を証明する数学の方法が演繹的な近代科学の代表となる。

デカルトの演繹法(近代合理主義)やベーコンの帰納法(経験哲学)は、共に、真理を発見するための方法(考え方・哲学)として近代科学を構成する方法論の基本となる。それらの方法の成立は「疑う」行為が前提となっている。実験という科学的方法により疑う行為が帰納的に展開される。数学的、論理的な証明作業によって疑う行為が演繹的に確認される。その後、近代科学は、疑い、実験し、検証し、実証する精神によって成立し発展することになる。


自然神学、自然哲学からニュートン力学へ


ガリレオ・ガリレイ(1564-1642、イタリア)は「宇宙は数学という言語で書かれている」と信じていた。彼は物体の落下実験結果を集計し、帰納的方法を用いて数式化した。数学的に表現された落下運動(数式)に即して、全ての落下運動も演繹的に予測計算される。ガリレオが立てた落下運動則の実証が行われる。つまり、落下運動は、地理的、時間的に異なる場所に関係なく、同じ測定結果を示し、落下運動の法則、落下運動に関する数式の正しさが証明されなければならない。こうして、落下運動の統一した実験方法や測定方法、実験結果集計方法が確立し、落下運動の法則が証明(実証)される。この実験や観測方法、データ集計方法、数式による説明方法の確立によって、近代科学として自然学が成立した。ガリレオによって近代科学の基本的な方法論が成立した。

アイザック・ニュートン(1642-1727、イギリス)は、1617世紀の天文学や物理学(自然哲学)の業績、例えばガリレオの落体運動の法則やヨハネス・ケプラー(1571-1630、ドイツ)の惑星周回運動の法則を、統一的、体系的な力学の運動法則として説明した。著書『自然哲学の数学的諸原理』(プリンキピア)の中で、ニュートンは、絶対的な時間と空間を前提にし、慣性の法則(第一法則)、物体の加速度を力と質量の関係で示した運動法則(第二法則)、作用・反作用の法則(第三法則)と万有引力の法則(ケプラーの法則)等、広範な力学的現象を数学的、演繹的、統一的(体系的)に示した。

ニュートンによって、中世の自然神学的世界観に代わる、宇宙(神)の証明を近代科学の方法、演繹と帰納法、経験(実験)や実証(数式による証明)によって、解明する手段を与えた。そして、その手段(ニュートン力学)によって宇宙の運動(自然の現象)を統一的、体系的に説明した。このニュートン力学の歴史的業績によって、これまでのキリスト教的世界観を新たな科学的世界観へと転回していった。キリスト神学的(神の法則による)自然学が物理的運動法則による近代科学としてのニュートン力学へと変換された。

ニュートン力学は新たな世界解釈の方法の確立(科学革命)をもたらした。ニュートン力学の成立によって、近代社会の考え方、観念形態が形成し始める。帰納法や経験哲学は実験科学、経験主義として近代科学の方法や思想の基本を形成した。観測結果の数式による表現は、その数式化された法則を基にして自然現象を予測計量する演繹的方法、計算科学、論理実証主義へと発展していくのである。

世界を統一的に、力学的に説明する科学思想は、中世の自然神学を終焉させた。それだけではない。近代から現代への時代精神の構築に寄与した。すべての物理的世界は、ニュートン力学の法則を基に展開される。他の物理現象、振動、熱、電気、電磁気、光、化学反応、無機、有機、生物物性が、力学的に解釈され、新たな力学的法則が発見され、新たな物理学が生まれる。そして、自然は物理的現象として解明できるという思想、物理主義が生まれることになる。


参考

三石博行 「中世的世界観の終焉 デカルトの方法的懐疑とその役割」

三石博行「中世社会の人々の意識 感覚中心主義と魔女の存在」

三石博行「中世社会の世界観の崩壊 ケプラーの地動説の影響」

三石博行「魔女狩り裁判を引き起こす世界観」

三石博行「人間的な感性、思い込みから生まれた歴史の悲劇とその精神構造」

三石博行「魔女狩りは中世社会だけでない現代社会でもある」



修正作業190318



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