2010年7月14日水曜日

受刑者の人権問題を考える

三石博行


1、累犯者が非常に多い日本社会


インターネットの検索エンジンで「犯罪加害者」と「人権」の二つのキーワードを入力すると、ほとんどのサイトで「犯罪加害者には人権はない」という内容の文章に出会う。もし、彼らに人権がないなら彼らは日本国民ではないと言っていることになる。何故なら、わが国の憲法によってすべての国民が基本的人権を擁護されているからである。

犯罪被害者が犯罪加害者に対する憎しみや怒りの感情は理解できる。しかも、第三者がその犯罪被害者の気持ちを痛感し、また自分が犯罪被害者になることへの恐怖から、犯罪加害者への批判や憎しみの感情があるのは理解できるし、そうした社会的反応が起ることも不思議ではない。

犯罪学の専門家として有名な菊田幸一氏の著書によると、累犯者(るいはんしゃ 繰り返し犯罪を犯す人々)は、男子の場合2000年の統計では刑務所の全収容者の52.5%に及んでいる。つまり、刑務所の「初入者より再入者が多い」ことになっている。(KIKUko02A p.i )

2、刑務所の社会的機能 受刑者の社会復帰

この事実から、二つの仮説が立てられる。一つは、最犯罪率が高いのは日本の犯罪者の特徴ではなく、犯罪者とはつねに犯罪を再び繰り返す傾向にあると言える。この仮説は世界の犯罪者の再犯率を調べることで検証できる。二つ目の仮説は、本来刑務所は受刑者の犯罪行為を反省させ、再び罪を犯さないように教育矯正する社会的機能を担っているが、日本の刑務所はその社会的役割を十分発揮していないというものである。この事も、前記した仮説と同様に世界の先進国の再犯罪率の統計を見ることで検証可能である。

犯罪加害者という名称を与えることで犯罪者が生涯償えない加害者としての履歴を背負うことになる。彼らが刑務所で刑の執行を受けたとしても、元犯罪者という呼び方は彼らに生涯、刑務所での刑罰に服し、被拘束生活と刑務作業を続けたとしても、一旦、罪を犯したものは再び社会が許すことはないという烙印(らくいん)を意味する。

この烙印は、江戸時代、窃盗などの犯罪者に入れ墨を入れ、三回入れ墨が入る死罪となる制度と似ている。中世社会までは、犯罪者が生れないようにするのでなく、犯罪者を社会から排除することが社会の犯罪対策として取られていた方法であった。しかし、現代の人権擁護を基本する憲法を持つ社会で、罪を犯した者を社会から徹底的に排除することは、人権問題となると言える。

人権の守られている社会とは、人々の生命と生活を守ることが出来る社会を維持するために、犯罪が発生しないように機能している社会である。そのために、犯罪者を逮捕し、裁判にかけ、刑務所に入れ、再び犯罪を繰り返さないよう矯正教育を行い、そして彼らの社会復帰を助けることが社会の大切な治安機能の一つである。防犯とは犯罪を未然に防ぐことであると同時に、犯罪者を出さないような社会を作ることを意味する。


3、市民の人権擁護・防犯と受刑者の人権擁護・社会復帰

また人権問題を考える以上、刑に服している人々を「犯罪者」と呼ぶのでなく「受刑者」と呼ぶことにする。受刑者が再び罪を犯し、累犯者となることを防ぐにはどうすべきか、それが、この社会の安全対策につながる。人権擁護と防犯は矛盾するとは思われない。もし矛盾するなら私たちの社会は人権擁護の思想を破棄し、江戸時代のように、罪を犯した人々を徹底的に社会から排除し、また死罪にして、抹殺し続けなければならない。

現代社会でも中国のように、麻薬を持っていたという理由で死刑になる国もある。その国では年間数千名の人々が死刑になっていると謂(い)われている。刑罰を強化しながら中国政府は国の治安を維持している。インターネットでも中国で行われていた公開の銃殺刑の写真が出回り、人権感覚のない国として悪評を買っている。

人権擁護を掲げる先進国では、受刑者の人権を考える法律や社会制度が存在している。つまり人権を守る社会では、極刑をもって犯罪者を抹殺するのでなく、犯罪者を出さない、累犯者にさせない社会のあり方を市民が積極的に考えなければならない。そのきっかけを裁判員制度は与えるだろう。市民生活の安全を守るために犯罪を防ぎ、犯罪者の社会復帰を助け、累犯者を出さない社会を構築していくために、もう一度、受刑者の人権問題を考えてみよう。


参考資料
(KIKUko02A)菊田幸一著『日本の刑務所』岩波新書794 2002年7月19日第1刷発行 205p

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