高度知識社会での生活重視の思想と科学あり方
三石博行
現代科学技術文明社会の課題
20世紀は科学技術文明社会が確立し、私達は豊かな生活文化を獲得した。しかし、その反面、生態系に異変をもたらしている人工化学物質、地球規模で進む自然環境破壊、生命倫理を脅かす生命操作の技術の登場、極度に専門化しつつある知的分業体制、利益追求が目的化した資本主義・金融資本主義等々、この文明は負の側面を拡大させながら21世紀へと続いている。
21世紀の社会では、これまでの現代科学技術文明の進化の方向を人権や環境重視の視点から問いかけなければならない。この点検を進めるためのキーワードの一つが「生活」である。生活重視の社会を形成するために、科学技術文明社会では何が問われ、何を解決しなければならないのか。
その課題を考えるために、まず、現代の生活文化を理解しよう。現代人の生活文化を特徴付ける5つのキーワードがある。(1)
1、「生産し消費する人」
2、「環境に作られ、環境を作る人」
3、「情報を受け取り、情報を発する人」
4、「多文化共生の契約思想と伝統文化を維持する人」
5、「人権や福祉の生活思想を持つ人」
この5つのキーワードに即して、現代社会で問われている課題から、現代社会での人間社会科学のあり方が検討される。つまり、これらの五つの課題に取り組む生活設計科学が必要であり、それが現代生活学の研究課題を提起している。(2)
生産し消費する人
前世紀後半に、新しい市民社会の姿、つまり消費者が社会で大きな発言権を得る時代を予測し、現代の生活者を「生産し消費する人」と定義したのはアメリカの社会学者 A.トフラーであった。彼は1980年に出版した「第三の波」の中で、今日の生活者は生産者であると同時に消費者であると述べた。
市民の生活を重視する社会の第一の課題は、安全な食料等の商品、安心できる住宅等、豊かで高品質の生活資材を消費する社会を作ることである。生産者である市民とは賃金や利潤を得るために働く人々を意味する。しかし、同時に消費者である市民は豊かな生活・消費する生活を得ているのである。つまり、生産し消費する市民とは、豊かな生活条件を獲得した人々なのである。
豊かな消費生活を可能にした市民は、さらに豊かな生活の質を求める。豊かな生活とは、人々のライフスタイルに適した消費生活が可能な条件によって成立する。つまり、消費者社会では、市民生活が市民の消費ニーズにあわせて多様化し、それがさらに消費財を豊富にする。生活者は自分の価値や生活スタイルによって生活行動を選択する。
その多様な選択肢を支えるために、多様な製品(商品・消費財)が生まれる。この多様な消費財を創り出すのは、生産し消費する市民である。この個人的な欲望を満たそうとする消費社会とは、「生活を楽しむ」という生活思想の確立によって発展するのである。この消費文化が現在の高度に発達した資本主義社会の市民生活を形成しているのである。
豊かな消費社会・科学技術文明社会に潜む課題、自由や人権の課題を考える学問として現代生活学がある。そして、真の生活の豊かさを設計する科学として生活学が展開される。
環境に作られ環境を作る人
高度に発達した科学技術文明社会では便利な人工物が多量に生産される。これらの無数の人工物によって、生態系は大きな負荷を受けている。そして、人工物の氾濫は、ついには地球規模の環境問題を引き起こしている。その代表例が二酸化炭素による地球温暖化現象やフロンガス等によるオゾン層の破壊である。
原始時代から大気の成分も生物の活動の結果として作られたように、地球上の自然生態系も人間の活動によって変化する。人間は文化や社会を作りそれを環境とし生きてきた。人間の作る環境は、狩猟時代では生態系の規則内で食料となる植物を選択的に採用し、農耕時代には食料となる植物を改良し生態系を変え、工業時代には鉱物や化石燃料を使い人工物を作り生態系を人工化し続けてきた。これらの生態系の人工化を文明とよび、その道具を科学技術と呼んだ。
自然を支配することで人類はこの地球上で繁栄してきた。そして、現在の社会は巨大な資源活用の上に成立している。この社会が地球上のほとんどの資源を使い尽くすことは予測できる。そして、それによって、地球の生態系に大きな変化が生まれ、これまでの食料生産を支えてきた生態環境にも大きな影響を与えようとしている。つまり、人類は人類の持続可能な生活文化を支える生態環境自体を壊滅させようとしているのである。
この状況に来て、我々は未来に対する不安を感じ始めた。つまり、それは未来の人類のために、現在の生態資源の維持に対して私達は責任を持たなければならないということである。自然環境との契約思想をライフスタイルとする人間社会のあり方が問われ、そのことが人類の持続可能な社会文化として求められているのである。
生活文化が人間の作った生活環境系の代表である。そしてその環境に規定されて人間は生活する。つまり、我々は「環境に作られ環境を作る人」である。この人間と環境の相互関係を自覚し、自ら作った人工物・化学物質によって自らの生存環境(生態系)の破壊や汚染によって、自らの生命を危機に落とすこと、つまり人体への悪影響を避けなければならない。
現代の生活者は自らが「環境に作られ環境を作る人」であると自覚するための知識・学問として現代生活学を位置づけ、持続可能な生活環境、生態環境の設計科学として生活学を展開しなければならないだろう。
情報を受け取り情報を発する人
全世界の人々がインターネットによって通信できるようになった高度情報化社会では、生活者は世の中の色々な情報を簡単に入手し、そればかりでなく自分の情報を世の中に発信することが出来るのである。
情報の入手や発信は「いつでも、どこでも、何でも、誰でも」簡単に出来るようになった。 ユビキタス社会の到来をもたらしたのは情報機器の進化とネットワーク社会の構築である。コンパクト化するPC、通信の高速化とマルチメディア対応の携帯電話やモバイルが日常生活の道具になる。人々は携帯端末でどこからでも情報を取得し情報を発信できるのである。
先進国で普及したネットワーク社会が世界中の国々に広がり、発展途上国の人々がインターネットで観る先進国の豊かな生活風景、それに刺激されどの社会からも先端の情報社会へのアクセスが行われ、情報処理技術が大衆化してゆく。この情報化社会の世界化を止めることはできない。情報は世界中を駆け巡り、不特定多数の人々がその情報にアクセスし、砂漠の街でも、極東の村でも、人々は自由に情報を入手し、そして自由に情報を発信することが出来るのである。
しかし、その反面、過剰な情報、間違った情報やデマなどの悪意ある情報も簡単に素早く伝達される。その意味で、情報化社会では、コミュニケーションのための社会規範、モラル、生活思想が問題になり、豊かな自己表現ができるようになった私達は、同時に、その表現内容に責任を持たなければならない。
しかし、その反面、権力者達が隠していた情報も暴露され、世界中を駆け巡り、人々は自由にそれらを知ることが出来る。そして、自由にその権力者への反発を発信することも出来る。現在、北アフリカの市民が独裁政権に立ち向かう武器は、携帯端末である。この携帯端末で情報を交換し、権力者の不当な搾取が暴露され、集まりが呼びかけれ、抗議行動のデモが起こる。
情報化社会は民主主義の入り口を作る。何故なら、これまで国家や権力者の情報管理は、携帯端末によって簡単に破られるからである。権力者たちが隠していた情報が流れ、また、それらの情報を簡単に他の市民に発信する手段を得ることが出来るのである。
現在の中国政府のように、国家権力は都合の悪い情報を隠そうとする。しかし、その行為は、戦時中特高警察が都合の悪い文章を黒く塗りつぶしたように、ネット上で黒く塗り潰され、またぽっかりと空白になったサイトの画面が登場することになる。そのことは、「やぶ蛇」行為となる。国家権力が公に隠せば隠すほど、人民は知りたがる。この欲望の原理を知らない現在の中国政府は、中国人民の知りたい欲望を自分から刺激しているのである。
そして、情報を管理できると信じた国家は、都合の悪い情報を隠し、都合のいい情報を見せる。しかし、情報化社会というものはそう甘くない。その国家の情報隠しの情報が広がることになる。その流れは止めることはできないのである。それは商品経済を持ち込みながら、商品の売買を禁止することに近い行為である。一旦、資本主義経済が走り出したら、その資本主義経済で動く市場を破壊しない限り、資本主義は止められないように、社会の情報化を行い社会システムの効率を上げようとするなら、もはや、国家の都合で情報を制限することはできないのである。それが情報化社会の発展や進化の必然的な流れであると言える。
情報化社会とは情報を受け取る人と情報を発信する人が重なり合う社会、情報ユビキタス社会、生活空間の情報処理化と制御化が進化する社会である。その社会進化、情報化社会への進化過程において、情報処理能力の格差が生じている。その格差をなくするために、情報処理技能の大衆化、生活空間のユビキタス化へ貢献する生活設計科学が求められる。
高度情報社会の中で知る権利や発信する権利を獲得した人々の共存のあり方をめぐって、つまり、科学技術文明社会での人権思想について考える生活学が求められる。何故なら、それらの知識・情報はすべて生活向上のための道具である。しかし、それらの道具に支配され、それらの道具に翻弄されることを防ぐには生活重視の思想を原則とする生活設計科学の展開が必要とされるのである。
多文化社会で共生しながら自己の伝統文化の維持する人
豊かな消費社会と高度な情報化社会は国際化社会を推し進めてきた原動力であった。豊富な食料生産物がスーパーマーケットに揃い、高級な洋服が街のファッション専門店に並ぶ。海外の映像やニュースが毎日テレビに登場し、世界の出来事をすぐさま知ることが出来る。
海外へ旅することも、また街で海外から日本に旅行に来た人々に会うことも日常化し、数十万人の日本人が連休ともなれば海外に出かけ、また海外からも同じくらいの観光客がやって来る。高度に発達した航空技術によって人々の国際的な異動は非常に簡単にそして安価になった。
そればかりではない、多国籍企業による世界経済活動、同時に多くの人々が国外で働く。つまり、職場は多国籍化する。国際化する社会では、多文化共生の社会が進み、色々な民族が同じ地区で生活し、多様な生活様式が共存している。また、海外での出張生活も日常的になり、異なる文化圏で過ごす生活が一般化する。
異文化社会の中で生活するためには、異文化に自己を適応させながらも、自分を作っている文化的アイデンティティーを維持する必要がある。国際化する生活環境の中で「多文化社会で共生しながら自己の伝統文化を維持する人」のライフスタイルが模索されることになるのである。
多文化社会化する生活環境、結婚、家族、地域社会に大きな変化が生じる。多言語文化社会や多文化共同体が生まれる。そこが新しい人々の生活文化環境となる。国際化社会では、こうした新しい文化環境に人々が適応し共存するために多くの課題を解決しなければならない。
国際化社会での生活学は、国際結婚、多言語家族、多文化共同社会(学校や地域社会)に生じる生活文化の課題を解決しなければならないのである。
人権や福祉の生活思想を持つ人
私達は年齢を重ねることによって人生経験を多く積み重ね、豊かな人格と知識を身につける。しかし、同時に、身体は衰え、多くの障害を持つことになる。高齢化社会は豊かな人的資源に恵まれた障害者予備軍の社会である。この社会の生活者は「人権や福祉の生活思想を持つ人」であることが望まれる。
生活学の最終目的は、豊かな生活である。生活学の謂う豊かさとは人間としての豊かな生活権を持つという意味である。つまり、人権(命と生活)が守られること、人々が平和に生活をする(共存する)ことである。
つまり、生活設計科学の課題の一つが人権学である。その人権学は、平和学、基本的生活条件を形成するための社会福祉学、教育学、危機管理学、災害生活情報学等々によって構成されるのである。
豊かな科学技術文明社会に於ける社会の平和維持(共存のための生活設計科学)と人権擁護(生存のための生活設計科学)が生活政策学の最後の課題となる。
参考資料
(1)この5つのキーワードは旧金蘭短期大学(2003年に千里金蘭大学短期大学部改組され2007年に募集停止、2009年に廃止)の生活科学科生活経営専攻の教育方針として掲げられて物である。同短期大学の生活経営教育の課題とカリキュラムの基本に据えられていた。
(2)三石博行 「設計科学としての生活学の構築 –人工物プログラム科学論としての生活学の構図に向けて-」 金蘭短期大学 研究誌 第33号 2002.12 pp21-60 (A4)
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_02_02/cMITShir02d.pdf
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2011年2月23日 誤字修正
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