2011年2月2日水曜日

厳密な哲学的思索の成立条件とは

三石博行


哲学の証明問題を解く場合の、もっとも参考になる方法や技術は、その作法が数学的であることにある。何故なら、数学は、証明問題を解く場合に、非常に厳密で確定した方法を持っているからである。つまり、数学の証明問題を解くには、用いられる式と式の展開に飛躍は許されない。式の展開にはあらかじめ決められた約束事があり、その約束後と、つまり公理に従って証明問題を解かなければならない。

哲学の証明問題を解く場合にも、数学的推論の厳密さに匹敵するような哲学的推論の厳密さとは何かというという問題が生じる。

つまり、哲学的命題や論理の根拠が果たして現実に存在し、それが事実であるかいうことである。その答えをめぐって、哲学は科学のように事実命題を明確に示すことが出ない。哲学的命題の根拠が現実の世界に存在しないといわれる。そこで哲学は、歴史的に自然学を自然科学に、存在論を科学一般に、認識論を認知科学や脳科学に、科学哲学を科学社会学(歴史学)(文化人類学)に社会哲学を社会科学に譲り渡してきた。そして、哲学は、益々その存在意義を失いかけている。

しかし、哲学における哲学性の有効や、その論理の確信問題は、実証科学的に世界を証明することではない。つまり、哲学の場合、その最終的な確認の根拠とは哲学をする主体の問題となる。それを「コギト」と語ってきた。その根拠、つまり確信問題を解くための論理の厳密さについて、哲学は時代的に異なる考え方を提示してきた。

そして、現代もそのことが問われている。そのことを問いかけるのは、あくまでも(最終的に)、この一人称の私である。その私が納得(了解)できる論理展開が問題となる。それは、その一人称の私が、それによって生き、生活し、生産し、関係しテイクからである。そのために、この確信問題が問われている。つまり、一人称の私のために、すべての哲学的な証明の厳密さが問われているのである。

以上の了解事項を前提にして、厳密な哲学的証明の様式について、その成立条件について述べる。

1、 哲学の論理展開上、思想的説明仮説を活用した事例の説明(証明)を行う場合、その説明仮説を持ち出した人名は引用文献に正確に示すこと。(根拠問題)

2、 哲学の論理展開上、先行研究の紹介を行う場合、1で示した文献、そしてその文献で述べられている説明仮設を、自らの解釈を前提にして述べること。(解釈問題)

3、 つまり、「誰々が述べた」という表現をもって、証明問題の解の説明としてはならない。それは、数学者が証明問題を解く場合、その証明に使う(援用する)公理に対して、まずそれが援用可能かどうかを検証しなければならない場合に、公理式を導き出した数学者の名前、例えば「ポアンカレーが言ったように」と言うに等しい。哲学の場合、もし先行研究である哲学的命題が成立し、それが歴史的に検討されているなら、その命題を示し、その内容を検証することが必要となる。仮に、それが「ヘーゲル」であろうと「デカルト」であろうと、ここでは「デカルトが言うように」という表現で哲学的命題の証明を済ましてはならない。もし、この表現によって哲学的推論が成立するなら、その哲学的推論は論理的な厳密さを失っているといえる。(説明問題)

4、 厳密な哲学的推論は、常に、表現主体の主観的納得と表現主体を取り巻く共同主観的納得を前提にして成立する。その意味で、厳密な哲学的推論の根拠は自らに帰る、つまり、その哲学的知がそれを導き出した主体の生活空間を規定しているということに他ならないのである。(説明仮説を支える主体的基盤問題)

5、 哲学的厳密さは、論理的推論に対する緻密な先行研究の分析作業と厳密な分析主体の解釈への確信(きわめて主観的な)問題に帰着し、それに第一次的に依拠することになる。つまり、特殊個別的思索行為(ある個人的思惟活動)が根拠にしている、「哲学的に厳密な思索」の根拠さとは、その思惟から導き出された哲学的説明仮説が、社会、文化、科学、生活や人間関係等々に有効に応用される以外に、それを証明するものはない。つまり、厳密な哲学的作業は、つねに社会実践、科学技術実践、生活実践、コミュニケーション実践や精神活動の実践と結びつくこと、その作業上必要とされるのである。(説明仮説の援用有効性問題)

以上、ここで提案される「厳密な哲学的思索の成立条件」も、この成立条件の検証作業の中で確認されなければならない。哲学的命題は、このように、すべての説明仮説の有効性をいまここにいる私という主体の中で行う以外に、方法がないと言うことに、その哲学としての意味を持つのである。

その意味で、哲学は科学でなく倫理であり、生き方であり、社会や他者との関係に仕方であり、生活態度であるとも言える。その姿勢の正しさを自己点検する作業として哲学の有効性や意味が存在している。


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