2008年11月20日木曜日

ホームページをはじめます

ブログを書きながら、ブログでは表現できないものをホームページを使って表現してみようと思います。

ホームページの名前 「日常性と思想性の相補運動」にするか考えている採集です。取り合えず、進めてみます。


http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/index.html

2008年11月19日水曜日

ブログをはじめた原点に戻って

三石博行


今までの研究してきた課題、これは主観的には一貫した流れを持っていると信じていた。いや信じていたから色々な課題に飛び火しながら、その時その時のテーマに没頭していた。

しかし、時間が経って、それらの課題が今更ながら「何のために、そのテーマを問題にしていたのか」と自問するとき、今まで一貫していると信じていた課題に亀裂が生じ、その主観性を懐疑の坩堝の中に放り込まなければならないのである。

そうしたときに、今まで取り組んできた複数の課題にそって、ファイルを作りなおし、書いてきた論文や文章(未発表文章も含めて)を配列しなおした。これらの狭い研究室行った作業は、それでも、その懐疑の坩堝から完全に何かを抽出するためのラジカル反応を生み出したとは言えなかった。

そこで、そもそも幻想でしかない確信とやらを真面目に取り戻す作業に取り掛からなければならないのである。それらの主観的な確信は、私という人間が現実の世界に対する感覚や感性を前提にして成立している何らかの満足感にすぎないのではないか。真面目に私が取り組む課題が時代的課題だと言えるのか。

そうした主観的思い込みが、しかし、他者の主観的思い込みと共通し、その共通総数が多いなら、真面目に私は、主観的に思い込んだはずの課題を時代的課題と錯覚してもいいのだろう。そう考えるのは共同主観性ということばを知っている人の共通のテラを含んだ言い分なのである。

つまり、その主観的確信の不足とは、共同主化されていない私の課題の自覚に過ぎない。私はこの主観的に納得してきた「時代的問題性の解明のために」という確信と呼ばれる感情一種の幻想を共同幻想化する方法を知らないのだと思えた。

主観的確信を共同主観的確信へと発展させることは、自分を自分で納得させていた行為目的、つまり自分の行為を正当化し続けてきたある大儀を、社会的に検証し、他者の批判の北風と共感の日照りに十分に晒(さら)すことが前提となる。

もし、冷たい他者や暖かい他者との出会いを避けるなら、考えや主張は主観の空間に留まり、彼個人の生活を支え、彼個人の生き方に方向を示したとしても、いつのまにか彼個人の主観的な世界の中で拡大し、そしていつしかその個人の生物的生命現象の消滅と同時にそれも消滅するだろう。

主観的世界を共同主観化することが「生活運動から思想運動」への作業に過ぎない。その作業は、私の主観的確信を発信することによって、まず始まるのである。

そう気付いたとき、今までの私はの哲学作業が問われた。これまで十数年間、参加している学会での発表以外に、自分の考え方を社会に発信したことはなかった。つまり、私は自分のために思想を食べ続けてきた哲学消費者であった。そして私に素晴らしい哲学という生きるための糧を提供した哲学生産者になる努力、そうでなければならないという志向性を真面目に問いかけてはいなかった。

そう思い、昨年の12月にこのブログ、『生活運動から思想運動へ』をはじめてみた。 このブログをはじめた原点に戻り、このブログを継続する意味を再度理解したいと思った。


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

学ぶとは胸に誠を刻むこと

三石博行


久しぶりに自分のブログを開いてみると、未公開の文章があることに気付きました。この文章は匿名の投稿者さんからものです。長いことほっといてごめんなさいね。

とても、素晴らしい文章ですので、記載します。


匿名の投稿文

初めまして。

「直感のない哲学は根拠を失ったことばに過ぎない。生活世界に根拠を持たない思想は心の通じない主張に過ぎない。」医学にも歴史学にも、数学にも、学び、問うていく長い道のりすべてに、先生のおっしゃることが通じると思います。


そして、学ぶとは知識をあつめて自分の周りに要塞をつくり自分を守ることではなく、アラゴンのうたのように「学ぶとは胸に誠を刻むこと」学び、問うていくことに、みずみずしい直感を保てるように、自分を整えていたいです。

知識を集めて気が済むよりも、それはとても難しいことですが。

2008年2月17日



にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

2008年11月18日火曜日

長い休みを明けて

今年の一月からブログを休みました。理由は健康上の都合です。しかし、健康を回復して、今までブログを書く作業に戻るまで時間が大変掛かりました。ブログは簡単に続けられると思っていましたが、一回、ブログ表現に必要なライフスタイルや気持ちを失うと、なかなか元に戻れないことが分かりました。今回、こうしてブログを再び書くことが出来たのは、勝間和代さんの本を読んでブログの意味を教えられたからだと思います。発信することの意味を再度自覚してながら、再出発します。

2008年1月31日木曜日

科学技術文明社会での生活学の課題

現代社会の生活学教育課題について
千里金蘭大学短期大学部助教授(ストラスブール第二大学 哲学博士) 
三石博行


はじめに


科学技術文明社会の中で生活学の教育が問われている。伝統的な教育のあり方や生活学の歴史を振り返りながら、現代社会の課題にコミットする教育の方向について考察する。この論文は、2006年9月7日、フランス、ストラスブール、フランス文部省仏日大学館にて、ルイ・パストゥール大学と高等教育研究会等の共催で開催された日仏共同シンポジューム「大学とその社会機能」で仏語で発表した原稿の一部を日本語訳して記載したものである。

1.家政学・生活学の科学性




1-1. 実学(問題解決学)


問題解決力のある知識と技術を探求する学問を「実学」( la science pratique)と呼ぶ。実学の代表的なものとして、工学、農学、医学、経営学、政策学等がある。家政学・生活学も、現実の生活空間で生じている課題を解決するための知識と技術であるので、実学と呼ばれている。
実学は生産現場で、より良い商品やより有効な技術の開発と結びつく学問である。生活関連産業の生産活動で開発される消費者に歓迎される商品の開発研究、生活支援活動や生活改善運動で提案される技術や知識によって、家政学・生活学は発展して来た。


1-2. 社会文化歴史依存性


実学である生活学の知識や技術では、どの時代を通じ、またどの文化や社会を通じて、普遍的に成立する内容を追及することを目的にしていない。つまり、現実の問題をプラグマチィズム的に解決する知識や技能は問題になる。
その意味で、家政学・生活学は時代や社会文化に規定された生活資源を対象とする学問で、その知識と技術は時代的に社会文化的に有効であると言う条件が、この学問の成立条件に存在している。ある特定の時代や社会文化の条件で成立している課題の解明が常にこの学問活動の目的となっている。
例えば、先進国で研究されている食生活改善に関する家政学・生活学の知識や技術が、必ずしも発展途上国で必要とされているものであるとは限らない。その点から考えると、実学の中で家政学・生活学の研究は社会文化や歴史の条件に非常に規定された学問であるといえる。
工学や医学など、他の実学では、先端の知識や技術は先進国や発展途上国に限定されないで、社会文化的な制約に規定されないで、同時代的にどこでも共通する課題が存在している。勿論、工学や医学も生活の現場により近づくことによって、家政学・生活学と同じように、同時代であれ、その学問も社会文化的に異なる課題が問われることになる。
家政学・生活学が、時代や社会文化の違いによって、異なる問題に関心を持つことは、その学問の基本的な成立条件と関係する。つまり、家政学・生活学は、生活資源の時代的、文化的、そして社会的な制約や状況の中で、その資源の改善を課題にして成立している学問である。そのため、その研究は、必然的にある特定の時代性や社会文化性に依拠することになる。
家政学・生活学の知識や技術の社会文化歴史的な依存性は、その学問のあり方に必然的に付随したものである。その学問の成立条件であると言える。



1-3. 考現学 Modaneology


考現学とは今和次郎が命名した生活学の方法論を意味する。考現学は、同時代の生活文化現象を、生活素材を中心に分析する方法である。つまり、考現学は研究者の生きた時代、研究した時代に限定して、それから過去にも未来にも対象を拡張しないことを前提にして成立している学問である。
その意味で、考現学は、厳密に家政学・生活学の科学性を特徴付けている。つまり、同時代の生活空間への関心は、その目的が極めて直接的に同時代の生活空間の改善に向けられていたからである。
この今和次郎の提案した考現学としての生活学の方法論は、さらにもう一つの科学性について理解を深める機会を与える。つまり、生活学の研究主体は、その研究対象である生活環境の同時代のしかも同質の社会文化観念形態によって形成されているということと、さらに研究対象が、同時代の同質の社会文化観念形態である研究主体によって分析されているという、限定条件をそのまま受け入れて、生活学の科学性が成立しているのである。この生活主体と研究対象を構成する観念形態の同時性の認識が、考現学の科学性のあり方を理解する基本となる。
二つの疑問から、考現学の科学認識論は展開する。
過去の考現学について見ると、その時代の生活学を理解すると同時に、その考現学の研究者の姿も理解できないだろうか。
また、生活学に、厳密に同時代性の限定を与える意味はどこにあるのだろうか。
他の人文社会学において必ずしも、研究対象とその分析主体の時代、社会文化構造は同一であるという条件が成立しているとは限らない。例えば歴史学は現時代の研究主体が、過去の事象を対象にする。それは現在からの過去の事象や出来事への解釈学である。また、民族学や文化人類学や比較社会学や比較文化論でも、ある文化に属する研究主体が他の文化や文明に所属する社会文化を対象とする研究である。そこでも文化的位相の異なる二つの世界の差異によって成立する分析や解釈を前提としている。
家政学・生活学は今和次郎が用いた科学方法論である「考現学」によって成立している学問である。考現学でない家政学・生活学は存在しない。異なる文化での生活の比較研究や家政や生活の歴史研究は、現実の生活改善の課題を取り上げているという家政学・生活学の課題から外れており、家政学・生活学ではない。
家政学・生活学では、生活主体を構築している観念構造、つまり時代的社会的文化的な精神構造によって生み出された対象を研究している科学であると言える。その意味で、対象化されている構造の中に、実際は対象化している世界の観念構造が存在しているともいえるのである。そのため、家政学・生活学では研究主体を対自化するための手がかりがまったく存在しない。
つまり、家政学・生活学と哲学や科学認識論は対極にあると言える。つまり一方は、生活主体は対自化されることはない。つねに問題にされることは生活環境の改善に対して解決力のある知識や技術である。その解決力が家政学・生活学の知識の評価になる。そして他方は、生活主体の生き方や考え方が問題になる。生活環境の改善の前に生活主体の変革が課題になる。そのため生活主体の生活世界の認識のあり方が問われるのである。
同時代性を科学の厳密な成立条件にする考現学としての生活学は、その逆説を観単に導くことを許す。つまり、この科学は認識論や哲学的な介入口を一切、科学方法論的に拒否するが故に、この科学性の分析は、この科学、つまり考現学としての生活学の領域以外のところに行くしかないことを示している。この生活学の領域から徹底的に離れることが、つまり考現学的方法から離れ、反考現学、反省学の領域に考現学に関する科学認識の次元を作り上げない限り、考現学の科学認識は不可のであることに気付くのである。


2. 家政学・生活学研究教育の歴史と現代の課題


2-1। 近代国家形成と科学的家事教育の形成


近代国家の形成を目指した明治政府は、19世紀後半、初等教育の義務教育制度を確立し、工業生産を支える労働力を育成した。初等教育で裁縫を中心にした家事教育も導入された。また良妻賢母教育を進めるための中等教育の教員養成が東京高等女子師範学校(現在の御茶ノ水女子大学)と奈良高等女子師範学校(現在の奈良女子高等師範学校)の設立で進んだ。
良妻賢母教育は富国強兵政策を進める明治政府の利益と一致する。つまり、健康な男子を軍隊は必要し、健康な労働力を産業は必要とし、また健康な新生児を産む健康な母体を国家は必要としている。家事労働の質の向上によって、軍隊や産業の必要な健康な男子、女子の養成が可能になる。近代日本を支える健康な勤労者国民を生産する技術が良妻賢母である。
家事技能の科学的な研究は、近代国家の発展とって重要な課題である。家事技能を向上させることによって、工業社会の生産力を担う健康な労働力を再生産することが可能になる。高等教育での家事科の設置によって、裁縫、育児、栄養、休養に関する技能の研究をより科学的に探求する活動が始まった。
つまり、近代化は国家の政策であるが、資本主義社会の充実は、豊か二次生活資源の存在とその増殖機能の確立である。欧米の社会と異なり、19世紀後半期から始まる日本の近代化や資本主義社会の発展過程は、市民社会の形成とその経済活動、つまり二次生活資源の蓄積によって生じた結果ではない。むしろ欧米の列強に植民地主義から国土を守るため国家の富国強兵政策によって推し進められたものである。その結果として国家指導の資本主義は発展する。そして同時にその結果として豊かな生活を形成し発展するための二次生活資源が生み出される。
この時代では、国家の利益に一致する限りにおいて生活改善の研究、家政学の成立条件が存在し、また家事教育が可能になったと言える。



2-2. 生活環境改善のための生活学・家政学の専門化


A.生活病理(貧困) の解明と生活学の形成

20世紀のはじめに、国家指導の近代化政策や資本主義化によって、資本主義経済を始動するために必要な二次生活資源の蓄積(本源的蓄積)は進み、市民の経済活動を中心として資本主義化が進む。資本主義社会では、まず二次生活資源の増殖機能を作り出す工業生産を中心とした二次産業が興る。同時に工場労働者や都市人口の増加によって二次生活資源の重要は増加する。新興産業の発展と都市の人口増加によって社会の二次生活資源は豊富になる。.
今和次郎は、1911年の関東大震災の罹災者の生活復旧支援活動に取り組んだ。この活動を通じて考現学は形成する。また、その後、生活学は生活病理の解明とその対策の学問として展開される。当時の生活病理の生活構造論の要因は貧困であった。今和次郎は、生活の貧困の現状を生活素材の調査によって示す。科学的に解決するために登場する。戦中、篭山京は、貧しい勤労者を救済するために、生活構造論を提案する。戦後、貧困から生活者を守るために、生活構造論、生活システム論が展開された。
20世紀前半の二次生活資源が豊富になる日本社会で日本の生活学が生まれ発展する。豊かな生活環境をつくり出すために必要とされた生活学の教育は二次生活資源に属する。また、生活学史を生活資源史観の視点で解釈するなら、二次生活資源を必要としる社会が登場することによって、生活学が形成したと言えるのである。


B.戦後民主主義教育と家政学教育

戦後民主主義教育の中で、アメリカで形成され発展したHome Economicsが日本の女子教育の中心的な課題として取り入れられる。家政学教育は、家事をより合理的で科学的な視点から理解し、改善し、より豊かな内容に変えることを目的にして取り組まれる。
戦後、1958年、日本の中学校で「技術・家庭」が導入された。技術は男子に対して「工業技術を中心とした生産技術の基礎を学習する」ことが、また家庭は女子に対して「家庭生活技術を中心として学習する」ことが教育課題になった。
1989年の高等学校での学習指導要綱に即して、1994年から家庭一般、生活一般と生活技術の科目が高等学校の家庭科の教育が導入された。生活技術では、生活一般の教育内容に加えて、「家庭生活と情報」「家庭生活と電気や機械」「家庭園芸」の教科内容が組み込まれている。


C.家政学・生活学の専門化

1960年代の高度経済成長期を境に二次生活資源の豊富な社会が登場する。この時代、それらの資源開発を近代科学の方法を駆使して追及する学問として生活科学が発展する。つまり、生活環境を豊かにするために生活学や家政学は専門的な分野に分かれ、生物学、化学、医学、工学などの分野の専門的な知識を基盤にしながら発展する。食に関する家政学も、栄養学、食品学、食物学など生活科学として発展する。家政学・生活学は生活科学の一つの専門分野となる。
1970年代、高度経済成長も終わり、豊かな消費生活が始まる時代に、生活科学研究所が作られ、消費者論が生活学の課題になる。生活経営学が登場し、生活の科学的な管理を課題にする。また、公害問題など工業生産や消費生活によって作り出された産業廃棄物や生活廃棄物による生態環境の破壊、課題にした生活と環境問題が取り上げられる。また、生態環境の破壊を防ぐための生活スタイルや家庭経営のあり方を考えるリサイクル論が科目として登場した。
生活環境も科学技術文明社会の中で大きく変化する。生活道具の機械化、電化や自動化が進む。家電機器によって、家事労働は短縮され、社会で女性が働くことや余暇を過すことを可能にした。
この時代では、新しい市民社会の利益、家族的な利益に一致する限りにおいて生活改善の研究、家政学の探求が進み、科学的な家政学、つまり生活科学が形成し、その合理的知識に基づいて、家事教育がなされる。

2-3. 今日の家政学と生活学の課題

A.現代の生活環境での家政学の課題

20世紀の後半から、今日先進国と呼ばれている経済的に豊かな社会では、二次生活資源を消費する市民社会が登場する。この社会では、科学技術の進歩により、生産システムの自動機械化、生産管理の情報化、生産部門の高度な専門化や分業化が進み、極度に豊かな二次生活資源の生産を可能になる。
この時代の到来を、トフラーは「生産し消費する人々」の社会の形成と呼んでいる。資本主義社会では搾取される運命にあった労働者階級は、過去の存在となり、所謂日本で言われた「一億総中流」と呼ばれた市民社会が到来している。)
ゆたかな生産力を持つ社会の到来によって、勤労者一人あたりの社会的必要労働時間数は減少していく。その分、余暇時間が増えことにより、三次生活資源を需要が急速に増大する。余暇活動のあり方が課題になり、さらに三次生活資源が要求される。人々は生活をより楽しむための知識を求め、余暇時間の活用のし方が生活の関心の中心になる。
そして、電気通信工学や技術の発達によって作り出されている映像メヂアの世界。テレビから伝わる世界のニュース、文化、映画、音楽、スポーツ。日常的に生活空間には他文化の情報が流れてくる。
さらに、情報工学、情報通信技術インターネットによる世界の人々が情報発信者になれる。家から世界に情報を発信できる社会が登場した。現代の生活者は、不特定な世界の人々に対して自らの情報を発信でくるのである。それだけに、その情報に責任を持つことが求められている。
新たな生活学の課題は、科学技術文明社会の豊かな生産力に支えられた生活空間の分析とその改善に向けられる。生活学教育はこうした生活空間の変化し、多様な生活者の要求の変化を受け止める教育課題を提供する。消費生活論、生活情報論、国際生活論、生き方やライフスタイル論、福祉論、生涯教育論、余暇論等の教育科目が登場する。
この時代では、一次生活資源を確保するための社会的必要労働時間は極めて短縮され、二次生活資源(豊かな生活空間を作り出すために必要な生活資源)の確保も簡単になる。二次生活資源の閉める割合は非常に増加し、その生産力も人類史上まれにみる高いレベルを示す。その結果は、三次生活資のニーズが今までになく発生し、その生産は増加する。
究極の豊かな生活資源とは、個人的な要求を満たす二次生活資源である。個人のニーズを尊重したオーダーメイド商品が多く生まれ多様な商品が生まれる。つまり、高度な二次生活資源が登場する。
人々の関心は、経済的に豊かな生活を作るというだけではなく、精神的に満足の行く生活や自己満足的な欲望を満たす生活を求める。そのため、社会には多様な要求が発生し、個人的な欲望を満たすための商品が開発、生産される。つまり、多様な要求によって、さらに社会には多様な労働が成立する。そうした意味で第三次産業が経済活動の大きな割合を占めることになる。)
この時代では、個人の利益や関心が、生活の中心課題として登場し、自分らしいライフスタイルを確立するための研究が、生活学・家政学の課題になる。個性的な生き方として生活学を学ぶことが生活学教育の中で取り上げられ、これまでの体系的な生活学教育ではなく、必要に応じた生活知識の習得や他の分野を取り入れた生活学の学習に関心が集まる。

B.先進国での新たな生活病理に対する生活学の課題

豊かな生産力を持つ科学技術文明社会の結果として導かれる豊かな生活の中で、新たな生活病理が発生し始める。その病理構造は、20世紀のはじめ今和次郎が分析した経済的貧困によるものではなく、こころや家族の問題に関する新しい生活病理の内容である。
生活の経済的な貧困や古い制度からくる貧困を課題にして発展してきた伝統的な生活学の科学パラダイムはこの新たに生じている生活病理に対して有効な知識や技術を提供することができない。
伝統的生活学が実学としての有効性を失うとき、生活学の科学性を分析する科学認識論の作業が必要となる。そして、有効な理論の形成に向けてメタレベルの生活学基礎理論の展開が試みられる。日本での生活学基礎論の学説史、つまり生活構造論、生活システム論と生活空間論等の理論を歴史的に検討し、現実の生活学の抱えている課題に有効なメタレベルの理論、生活学基礎論の構築を目指すべきである。
しかし、現実の生活学の展開の方向は、基礎理論の点検には向いていない。例えば生活工学のように、むしろ、より有効な知識を取り入れる方向で発展している。有効な実学を構築することで、現在の生活病理への課題を解明しようとする方向は間違いではない。その中で、実際は、生活学のメタレベルの点検がなされるのである。
この論旨で示す生活学基礎論としての生活資源論から現在の生活病理の構造を分析するなら、現代社会の生活病理の構造は、個人の欲望や理念を満たす生活行為に付随して生じている現象である。つまり、この生活行為とそれを満たすための三次生活資源のあり方が問題になる。自己の欲望を満たそうとする生活行為全体ではなく、個々にその一つひとつを点検しなければならないが、それらの具体的な行為の中で、明らかに、これまでの社会的観念や規範から受け入れられないものが発生している。例えば、麻薬、援助交際等々。同時に、その行為を満たすために発生している三次生活資源が、これまでの社会倫理の埒内で認められていたものに反する場合が生じている。例えば、インターネットで流されるポルノや残酷な映像(未成年にも簡単にアクセス可能)。報道の自由というこの社会の基本原則によって、それらを規制する方法を見つけ出すことができない。多くの課題が、この多様にしかも多量に生み出される三次生活資源に発生している。その問題が生活空間への影響を生み出していることは間違いがない。
非人間的で有害な情報への規制は政治や法律の問題である。しかし、他者との共存、安全や平和が生活学の最終目的であり、生活空間を破壊するそれらの有害な三次生活資源の過剰な発生に対して、生活学は何らかの問題解決を提供する必要はないだろうか。
表現の自由という我々の社会理念の大原則に触れる情報規制の考え方を、法律や政治に任すことは危険ではないだろうか。むしろ、他者との共存や安全や平和を課題にする人間社会学の点検の課かで取り上げることが正しいのではないだろうか。
個人の理想や欲望を充足さす生活行為に必要とされる生活資源を三次生活資源と呼んだ。つまり、三次生活資源の増加とは、社会や生活共同体全体に共通する生活資源ではなく、個人の生活活動に依拠した生活資源である。三次生活資源は必ずしも一次生活資源や二次生活資源のように、生産、消費、再生産の経済過程を前提にしない、消耗品である場合が多い。
言い換えると、三次生活資源の増加は、社会システムの中に非生産的な要因が発生し、その要因が他の要因との関係で生産性に転化する機能を形成しない限り、三次生活資源の増加によって、社会経済の生産力は減退することを意味する。
例えば、余暇は休養と違い、直接的に労働力の再生産過程に組み込まれない。余暇はむしろ体力を消耗する場合があり、労働の疲れを取るとは限らない。この考え方の中には、生産活動を中心にした生活観が残存している。つまり、
労働の疲労を肉体的な次元に留めて考える限り、余暇は労働力の再生産過程に組み込まれえ
都市人口の異常なまでの増加、高齢化と人口減少によって経済的に疲弊する地域社会、都市と地方の格差の広がり、子育てや家族から発生する問題、初等教育の現場での子どものいじめ、フリーター、ニートの発生核家族化、都市の離婚、し共同体の個人的な
そして、現代の生活学の課題は、その新たに生成する生活病理の分析と、その解決のための知識や技能の探求や検討に移るのである。言い換えると、どの時代においても生活学は存在する。何故なら、生きることはよりよい生存環境の構築過程を意味する以上、そして全ての個人の具体的な存在の事実として、生活がある以上、生活改善の探求は、つねにどの時代や社会でも、存在しつづけているからである。生活様式や生活素材の改善は、生きた生活空間の姿に過ぎない。)

३. 現代生活学教育の課題

3-1. 学部学科名称の商品化の批判(学問的基盤を保証しない学科名称)
入学志願者数が全大学や短期大学の定員数を超えた時代の到来による理由に現実を抱えているからである。大学では、学生に興味ある授業方法を検討するための教授法の点検が日々に行われている。しかし、大学教育としての生活学の課題は、教授法のみでは語れない課題を抱えている。
例えば、教育改革によって、学部や学科の名称が変更することがある。この名称変更は、今まで文部省によって厳しく審査されてきた。つまり、新設されたカリキュラムとそれを構成する科目群、そして科目内容、科目担当者の資格等が厳しい審査を受けていた。新しい学部や学科の教育内容を満たしているかが、その部門の専門家で構成される文部省の専門委員会で検討された。
市場原理を取り入れて大学改革を進める現在の文部科学省は、大学が行う改革の中身を規制する基準を緩和した。市場が大学を選択する。つまり、大学は市場によって評価され、その存続を決定される。現在の日本の大学は志願者数の増減という現実から実際厳しく評価を受けている。
その文部科学省の大学行政によって、プラスの面とマイナスの面が生じている。
プラスの面は、すべての資本主義社会の経営組織と同じように、大学教育が市場原理によって社会的評価を受ける。その意味で社会的需要が評価の基準となるため、全ての大学に対して公平な視点から評価が行われる。つまり、社会的需要に対して応える努力をしていく大学が結果的に生き残ることになる。
しかし、そのプラスの面がマイナスの面の原因となる場合がある。その一つが、学部学科の名称変更とその教育内容の一致を巡る問題である。つまり、一言で言うと、新しく付けられた名称が、ともすれと、教育の内容の基本的な変革を伴わないで単に市場受けする名称になる場合が生じる。つまり、学部学科名称の商品価値が、その教育内容を抜きに検討されることになる。
この問題を解決するためには、提案される新しい教育内容(科目群の構成)は、その分野の学問的な理念と学問的な体系によって説明されること、また教育論的な視点から、教育方法が説明されることが必要となる。
新しい名称が、つまり伝統的な生活学系の教育の形態は変化し、生活文化学、生活工学、生活情報学、人間生活学、色々な学科名称が登場する。その大きな理由は、大学内部の改組によるもので、命名された学科名称に相当する学問が確立し、その学問の内容によって提案された教育課題が必ずしも存在していないのが多くの場合の現実である。


3-2. 資格取得教育の点検 (知識の即時的活用の重視と体系的知識教育)

もともと実学である家政学にとって、その学問の発展は実学の発展を意味している。またその教育の内容も、実学的な教育内容の向上にある。つまり現実の社会に即有効な知識と技術である実学の研究や教育は、家政学研究と教育の基本である。そして、実学的な教育内容を向上することがその教育の改革を意味する。
家政学教育の改革の具体的課題として、資格取得を目的にした教育が導入されてきた。単に、生活に役立つ知識や技術に関する単位取得では、学生は満足しない。大学卒業資格という商品価値が低下することによって、高い授業料を払って大学で学ぶ学生にとって、大学教育で得られる別の商品価値を探すことは当然の行為である。
しかし、大学で資格試験の対策を中心として教育が行われるなら、本来資格試験のための教育を中心としてカリキュラムを提供してきた専門学校と同じ教育内容を提供することになる。
家政学系の大学教育が専門学校の教育に近づくことが、実学教育市場の需要に答え、実学教育を進める大学の教育改革の解決策であると言えない。家政学の教育で必要とされる知識のあり方を以下に示す。
1 ,実際の生活に役立つ専門知識(実学的知識)
2 ,資格取得に必要な専門知識
3 ,実学を支えている学問的知識

3-3. 科目群の自由選択制度の点検 (情報化した知識と大学教育の基本)

現在、大学教育を専門分野に必要な教育としえ位置づける考えが生まれている。したがって、家政学科の教育は家政学専門知識に必要な教養教育であると解釈できる。この傾向は、高度な知識社会の到来、そして社会経済生産が専門知識集団の分業によって成り立つ高度分業社会の成立、言い換えると科学技術文明社会によって生じたものである。
短期大学の学科や大学の学部教育の知識は、科学技術文明社会の基礎となる。つまり、それらの大学で学ぶ知識は、社会で活用されている専門的な知識を理解するための基礎となる。大学の学部教育で学んだ知識が、生産現場の先端知識に即役立つ訳ではない。このことが、大学教育の社会的評価を意味している。
こうした大学教育の位置づけの変化に合わして、大学教育のカリキュラムが変化して来た。つまり、資格取得科目を中心にしたカリキュラムの提供とは逆に、即時的に役立つ科目の提供でなく、学生が興味を持つ科目を自由に選択できる制度が導入されてきた。その場合、資格取得の科目の集まり(科目群)を一つのユニットとして提供することで、自由選択と資格教育を両立するカリキュラムが提供されている。
この科目群の自由選択制度(ユニット制)は実際に学生に高い評価を受けている。しかし、自由に選択するという目新しく刺激的な教育方法の否定的面を理解する必要もある。それは、現在の日本の子供たちに蔓延しようとしている生活習慣病と同じように「好きなものだけ食べる」ことが、子供の健康に悪いという現象と類似する。好きな学習だけをすることが、果たして将来の知的活動にとって約に立つのかと考えなければならない。
学問的知識も情報であるが、それは体系化された公理系の中に整然として分類整理可能な情報である。したがって、知識の内容としての情報を伝えると共に、その知識がどの分類箱に所属しするかという情報も提供しなければならない。そのことは、自分で情報を生産するために役立つのである。
数学を学ぶように、一般に知識の公理系のフレームを教えることは、つまり学問としての知識を教えることは、一定の忍耐が必要である。大学教育であるから、その忍耐を要求することが出来る。言い換えると、卒業資格や単位取得という教育の大原則があることで、学ぶ忍耐を教育できるのである。もし、学ぶ忍耐の教育を必要としないなら、趣味としての学習、生涯学習で十分である。教育である以上、学ぶことに一定の強制が付きまとうのである。
科目の自由選択制度という社会の多様性に対応する教育の利点を保証するためにも、その制度のなかで、知識の体系を理解する学習が可能になるカリキュラムが必要とされる。

3-4. 教材作成企業との連携

大学での教材は学生の理解を助けるために、ますます統計、画像、映像資料を教材として活用しつつある。しかも、それらの教材の殆どは専門機関の提供する統計資料、NHKなどメヂィアが提供する映像資料、さらに専門雑誌なの提供する画像資料である。また、今日、教材資料を専門的に販売する企業が登場している。その産業は当然大学の研究活動と結びつき、専門的な研究から導かれる情報をまとめて教材商品を作成する。
言い換えると、大学教育の材料は大学の中で自己生産することが出来ない。家政学や生活学教育では、生活関連産業、生活科学研究機関、メヂア産業のアーカイブスやデータベース、教材作成企業、自治体の生活福祉部門、NPOなどの生活支援組織などの協力や資源を活用して充実した教育内容を作ることになる。または大学教材作成産業から教材を購入する。
大学が独自にその資源の中で、大学教育の材料(教材)を作成できない大学教育の意味することは、以下のことである。
1 ,大学の教育は大学内で自己生産できない
2 ,大学の研究は教育産業に教材作成の材料を提供する。

३-5 . 社会の専門家、生活関連企業との連携

高度の知識社会、科学技術文明社会では、大学教育は、必然的に社会の専門家の参加を必要とする。大学は他の社会の知的生産機能(企業、研究所、市民運動組織)と同格の一つ知的生産機能である。大学教育では、必然的に、社会の他の知的生産機能の資源を活用することになる。このことが、科学技術文明社会、高度な知的生産社会での大学での実学教育の基本を決定している。
言い換えると、実学系の大学教育の改革は、社会の知的生産機能との協同作業が必要となる。単にそれらの専門分野の機能を活用するだけではなく、その専門機関で働く人々と共に、高等教育の改革を共有することが問われている。
具体的には、現在までに、特に実学教育においては、以下の二つの課題を展開し、一定の成果を作り出してきた。
1 ,社会の専門家を大学教育の中に取り入れる。
2,学生を社会の専門分野で教育する。

つまり、社会の専門家を大学教育の中に取り入れる方法について、生活関連企業や生活支援運動や自治体活動の専門家と提携して、それらの人々を大学教育に積極的に活用している教育がなされている。大学によっては企業と契約し、例えば経営学のコースでは大手の商社や企業から専門家を呼んで講座を開いているケースもある。また企業も、積極的に大学に専門家を派遣し大学の授業を担当することがなされている。それは企業の社会貢献との一つとして評価されている。さらに、学生も企業への研修やインターンシップを行い。ある一定期間の間、専門的な仕事を学習するコースもある。
実際、実学系の生活学の教育は大学内部の教育資源で十分に教育活動を完結することは不可能である。そのため、大学教育に社会の専門家を活用し授業を行うことや、また社会の専門分野を大学教育の場として活用し、学生がその場で実習を行いまた、講義を受ける場を作ることが教育内容の充実につながった。
この方法を高等教育に採用するためには、大学と社会との間にある専門的な知的生産の関係について、特に大学の教員として理解しておかなければならい課題が含まれている。その課題を以下に示す。

1、大学を社会の中にある多くの知的生産機能の一つと位置付ける。
2、大学の教員は、社会的に生産される実学的な知識のメタレベルの研究者となる
3、大学の教員は、社会の知的生産機能を担う研究者との共同研究者となる
4、大学教育は、社会的の専門的な知識生産に必要な基礎的知識教育を担う

3-6. 社会の専門機関での経験を大学が評価する。

この制度は現在フランスで実施されているVAEの制度で、日本では存在しない。大学教育の内容は、大まかに社会経験の知識と内容と同一のものであるという前提条件をもって、この制度は成立している。例えば、理論的に高度な専門分野の学習を前提にして成り立つ社会的な経験は、多分に先端科学技術を開発する企業や公共団体の研究機関となる。その人々は、多くの場合、すでに高学歴の所有者であり、理工系では博士号の学位を得るために、多くの場合、大学に形式的に所属しながら、これまでの研究成果を論文にして、共同研究している大学教員を指導教官として提出する。





参考資料

赤碕眞弓、「生活技術と家庭科」 岩垂芳男 福田公子編集 『家政教育学 教職科学講座第24巻』、福村出版、1990、pp53-67
岩垂芳男 福田公子編集 『家政教育学 教職科学講座第24巻』、福村出版、1990、237p
高橋正立 生活世界の経済学-経済本質論序説- ミネルバ書房 1988.12 391p
今和次郎 『生活学 今和次郎集5』1971.9、505p
『考現学 今和次郎集1』1971.1、544p
篭山京 『国民生活の構造』長門屋書房、
青井和夫、松原治郎、副田義也編『生活構造の理論』有斐閣双書、東京、1971.11、324p
青井和夫 『生活体系論の展開』 in 青井和夫、松原治郎、副田義也編『生活構造の理論』東京、有斐閣、 pp139-180、1971
天野寛子、伊藤セツ、森ます美、堀内かおる、天野晴子共編 『生活時間と生活文化』 1994年4月、光生館、163p
今井光映、山口久子、『生活学としての家政学』 有斐閣ブック、有斐閣、1991年9月、378p
石田威望、小林登、清水博、村上陽一郎、情報システムとしての人間 ヒューマンサイエンス2 1984年9月、中山書店、244p
渡部益男 「生活構造」概念の動態化と生活の構造的把握の理論(1) in 『東京学芸大学紀要 3部門』31、pp63-75、1980、
渡部益男 「経済学的生活構造論に関する考察 -「生活構造」概念の動態化と生活の構造的把握の理論(4) in 『東京学芸大学紀要 3部門』45、pp165-219、1994、
江口英一 日本における階層の分布構造と貧困層の形成過程 大河内一男編『社会保障』東京、有斐閣、p1957
副田義也 生活構造の基礎理論 青井和夫、松原治郎、副田義也編『生活構造の理論』東京、有斐閣、p1971
中鉢正美 『生活構造論』東京、好学社、1956
三浦典子、森岡清志、佐々木衛編 『日本の社会学5 生活構造論』東京、東京大学出版会、1986
三浦典子 「生活構造概念の展開と収斂」 in 『現代社会学18』vol.10、No.1、pp5-27、東京、アカデミア出版会、1984
松原治郎 生活体系と生活環境 -生活とコミュニティ- in 青井和夫、松原治郎、副田義也編『生活構造の理論』東京、有斐閣、 pp95-138、1971
吉田民人 生活空間の構造-機能分析 in 作田啓一編『人間形成の社会学』現代社会学講座Ⅴ 東京、有斐閣、 pp137-196、1964年、
吉田民人、「俯瞰型研究の対象と方法 「大文字の第二次科学革命」の立場」in 『学術の動向』第5巻第56号、2000.11 36-45pp
T. パーソンズ 倉田和四郎編訳『社会システムの構造と変化』東京、創文社、1984
三石博行「科学技術哲学と社会システム論」in 『社会システム論』新田俊三編 日本評論社、1990.3 pp57-83
三石博行「マルクス経済学批判と科学技術論」 in 『龍谷大学経済学論集』 第34卷1号、1994.6、pp45-63

2006年9月7日 フランス、ストラスブール、フランス文部省仏日大学館での日仏共同シンポジューム「大学とその社会機能」での研究発表(仏語)の日本語訳 



にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

日常性を維持する力

日常生活の意識構造
- 生存するために人類が身につけた精神構造 -
三石博行

常識の意識構造

日常生活の中では、常識、慣習や決まりに従いながら判断を行う。それらの判断は、生きて生活するという行為にとって必要な選択の基準や方向を決めるためのものである。日常生活の判断基準をフロイトの精神分析学では現実則と呼ぶようだ。
現実則とは、現実の自我、生活している自分を生かすために用意された判断、行為選択の基準、決まりや規則である。もっとも代表的なものが常識である。常識は生活習慣を取り決めた決まりである。生活人にとって常識に反するという表現は厳しい非難になり、共同社会から排除される理由として使われる。
その意味で常識は明確に意識化された生活行為の抑制と刺激の方法であり、それをここでは現実則と呼んでいる。常識は、その意味で生活者個人の意識や生活行為の次元で理解される共同体の規則、意識構造を意味する。

慣習の意識構造

共同社会を維持するための社会の慣わし、習慣や慣習がある。これらの習慣や慣習は常識と同じように日常生活の生活様式を決定付けている。しかし、「人によって習慣が違う」とか「家族によって慣習が異なる」と言うように、常識ほど厳しくある一つの生活様式の概念に規格されていない。
しかし、習慣や慣習の異なる人々を生活文化の異なる人々と呼ぶ。それらの人々はお互いに異なる社会常識を持ち、お互いに日常的に交流することはない。つまり、習慣や慣習が異なると言うことが、生活文化に対する価値概念が異なることを意味する。
その意味で習慣や慣習はさほど明確に意識化されていない生活活動の抑制や刺激の方法であり、文化や生活環境の次元で理解される共同体の規則、文化を意味する。

タブーの意識構造

共同社会を維持するために社会的な価値観がある。否定的な価値観をタブーと呼び、肯定的価値観を崇拝と呼ぶ。人々はタブーを犯すことで社会から排除される。人々は崇拝を勝ち取ることで社会から歓迎される。その二つの社会的価値によって、生活は方向付けれれる。
多くの生活者が、否定的価値観に反せずに生きることも出来ず、また肯定的価値観に則して生きることも出来ない。つまり、それらはある理想の生活様式を意味する。現実の生活では、タブーも崇拝も神棚にしまい込まれた偶像のようなものであるが、その偶像を無くすことによって、生活習慣や常識は失われる。
その意味で、タブーや崇拝は無意識的な生活活動の抑制や刺激の方法であり、その方法を快感原則と呼んでいる。タブーや崇拝は、その意味で感覚や感性の次元で理解される共同体の規則、規範を意味する。

日常性を維持する精神機能

日常生活の意識構造、常識、習慣、慣習、タブーや崇拝は、ある個人が勝手に決めたものでない。それは言語のようにいつの間に、自分を作り、自分はそれによって創られているのである。それらによって生きることの出来る根拠は、それらの規則が、自分の身の回りにいる自分以外の人々によって日常的に信じられ、執り行われ、解釈了解されているという現実からである。
これらのすでに与えられている判断基準に従うことによって、簡単に生存することが出来るのである。それらの判断基準に則して、周りの人々と同じように認知し、解釈し、指示を出すことが出来る。そのことは共同行動が可能になったことを意味している。その判断基準の則して行動する限りに於いて、他人とのトラブルは頻繁に生じない。
トラブルを生じさせないという精神構造は共同体にとって、最も効率良い機能である。行為の目的を効率良く果たすために、目的の行為を行う以外に出来る限りエネルギーを消費しないように、全ての生命力を共同体維持のために使い切るための方法として常識や習慣などの日常生活の判断基準、現実則が必要とされるのである。
その意味で、常識は共同生活の歴史の中で生み出された生命や生活を守るための知識であり技術である。言い換えると、人類は長い間、厳しい自然の中で、食物を集め、狩をし、敵と戦い、子孫を残すために、共に支えあって生きてきた。その常識がなければ、人々は生き延びることは出来なかっただろう。

生命を維持するための手段

日常生活とは具体的な個人の生活を意味する。日常生活はある具体的な生活行動や生活空間で成立している。つまり、人々の生活は、常にある具体的な場所(空間)に限定される。人々の行動は、今という現在(時間)を越えて存在しようがない。日常生活は生きている現在に於いてのみ成立する具体的なある固有の人格の生活行為である。
言い換えると、日常生活にとってその連続は、それを構成する空間と時間の生存条件が存在し続けることを意味している。一時間の間、生存の場所を失うことで、日常生活は成立しなくなる。例えば、津波がある村を襲い、その村が波に飲み込まれ、一時間の間水浸しになったとすると、多分、多くの人の生命が奪われ、殆どの人の生活基盤が失われるであろう。
人は生存するために日常生活を維持しているのである。しかし、その日常性の条件を失うことで人は生存することが出来ない。人の生存は維持された日常性によって成立しているのである。例えば、食事をする、衛生的な生活環境を保持する、生命の危険から身を守る等々、命を守るために必要な環境を作り出し、その作り出された環境によって、生命を維持しているのである。
現実生活の社会秩序を守ることが常識の機能であると言うことは、それによって生存の条件を作りだそうとする人類の知恵であることに気付くのである。現実則は、他者との共存、社会的分業への参加、社会的機能の分担、共同生活等、それらの社会的行為を可能にするために身につけた方法、手段であり精神機能である。


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ


2008年1月30日水曜日

生活世界の哲学

生きる場の哲学の課題
- 生活運動と思想運動の相互点検活動 -
三石博行


直感のない哲学は根拠を失ったことばに過ぎない。生活世界に根拠を持たない思想は心の通じない主張に過ぎない。

しかし、生活世界では、ことばは「いま、ここに」という限定から飛び立つことは出来ない。生活世界で見つける素晴らしいことばは、視界の届く所に、足の赴くところにまで届く。

しかし、見知らぬ人々と遠い世界までは届かない。ただそのことばは生き生きと現在の世界に飛び交うのである。

生活で語られることばは、生きた人間の温もりと脈動が伝わる。

「今、ここに生きる」脈動から、新しい生命が生み出され、新しい関係が創られ、新しい感性が生まれる。生活で語られることばは、今、すぐそこにある明日に向って語られる。生活で語られることばは、そこ、すぐそこにいる人々に向って語られる。

生活はそれゆえにその前向きの生命を支える固定概念、共同体の常識と欲望を肯定するための立場、身近な利益集団の立場、個人が所属する経営体の立場、それらの利害を前提にして成立する。

その生活の利害は、今、ここに生きることを保障するための利害である。それは近未来に対して共同体の観念(常識)や制度を自己保存するための利害である。

しかし、生活の利害は、国家や社会の未来を保障するとは限らないのである。

生活の利害のままに人々の行動が流されては国家も社会も成立しない。生活の将来は保障されない。

その自然発生的な生活運動の渦巻きを、ある社会の形態に方向づける必要があった。

思想はそのために必要とされた。思想によって、個々の生活空間の利害を超えて、ある民族や国家と呼ばれる共同体の利害に立つことが出来たのである。

思想は、生活世界で語られた素晴らしいことばを明日よりさらに未来に、近よりさらに遠い社会にまで届けようとする。思想はなき生活は、未来のない生活である。

生活活動を思想活動にまで高めることによって、現在は未来に続く時間を獲得できるのである。

しかし、生活のない思想は人の香りを失ったことばである。

思想のない哲学は、困難に立ち向かう力と人々の共存を願う愛を失ったことばである。

哲学なき思想は、時として我々を危険に導く。

独裁政治、国家社会主義、国粋主義、原理主義、愛国心、民族主義、多くの思想は生まれ、激しく燃え盛り、どれだけ多くの人々を戦火の犠牲にしただろうか。

哲学は、思想に生活世界の香りを届け、人の悲しみと温もりを与える。哲学を失った思想は生活世界の直感を失ったことばに過ぎない。

そこで哲学は、同時代的精神の主張、社会思想として語られたことばを未来と過去の時間を越えて、文化と社会の国境を越えて、人間という抽象的空間に届けようとする。

何故なら、哲学のない思想は、同時代性に固守した偏見を捨て去ることも、省みることもできないからである。そして、時として、それらの危険性は、生活世界を破壊する。

哲学の役割は、同時代的精神をそれらの精神の歴史(思想史や哲学史)の中で、見つめさせることである。

哲学は、同時代的精神活動、思想に生活世界の直感を所有することを要求する。

その哲学の要求によって、支配者の時代的偏見や多数者の社会的固定概念を自然発生的に所有する時代的精神、思想を点検批判し、その思想によって多くの人々が危険に晒されることを防ごうとするのである。

哲学は、無条件な楽観論、肯定的思考を点検批判し、ある時は否定し、それらの思想の前提条件を懐疑し、それらの時代性や文化性に付随する共同主観的世界の様相を反省的に理解させようと努める。

しかし、哲学は思想、時代精神を介して生活世界に入り込むことはできない。

何故なら、哲学は否定の学であり、肯定のベクトルで形成される生活運動にそのまま参加することは困難である。

前向きに生命と欲望をもって成り立つ生活世界の力は、時代性と文化性の時間的空間的方向性を与える思想、時代精神によって方向付けられる。

哲学はその逞しさを持っていない。哲学が生活運動と結びつくことを望むとき、懐疑や点検の学としての哲学の本来のあり方を中止し、哲学の思惟から生まれる、つまり「否定の否定」によって帰結された世界を思想運動に渡さなければならないのである。

哲学は、その時、生活世界の再生、再生産、新たな生活思想の起爆作用を導くのである。

哲学は、その根拠として、生活理念の思想や生活実践の科学を必要とする。

哲学が、生きる場の哲学の成立条件として、生活運動から思想運動への課題を要求している。

つまり、哲学はつねに反哲学を必要とし、反哲学を哲学に内蔵することで、哲学はその存在理由を見つけるのである。

そこに哲学と呼ばれる特殊な学問が成立する。

我々は、終わりなき生の模索と終わりなき理念の追求を限りある時間と空間で試みる。

哲学は、その個人の限界とそれらを繋ぎとめる人間の偉大さを教える。

そして哲学は、その具体的人間生活に溶け込みながら、それを導いた哲学を否定し、反哲学に変貌し、解体し、また新たな哲学を求め続けるのである。


2008年1月28日月曜日

前向きな悲観論

前向きに悲観すること
-自分の弱点と共存する生き方-

三石博行


失敗と決意の終わりなき連鎖・一秒の人生

▽ 今、私の職場は試験期間である。私自身、自分の学生時代の試験の内容に関する記憶は殆どない。何が出たのか、さっぱり思い出さない。思い出すことは、一日多くて3、4科目の試験の準備で、徹夜をしたことなどである。そして、一夜漬けで試験に臨みながら「次回は、こんな一夜漬けの試験勉強は止めよう」と決意したことである。

▽ しかし、その決意も、次の学期が始まると完全に忘れ去り、試験期間には、また前と同じように一夜漬けを繰り返しことになる。しかも、まったく前回と同じように「次回は、こんな一夜漬けの試験勉強は止めよう」と決意するのである。その決意の不履行と再決意を繰り返しながら学生時代は終わった。

▽ 学校を卒業して、仕事をしながら、まだ同じことを繰り返している。仕事の期限ぎりぎりまで、なかなか仕事が終わらない。予め立てた計画も、一日分の仕事完成率の点検も、まだ時間があると思えがすぐに甘くなる。

▽ 期限を切られなければ仕事が終わらない。期限ぎりぎりになって、「こんなことをしていてはいけない。もっと計画的に仕事をこなす必要がある」と決意するのであるが、この決意も次の仕事を始めた時には忘れさられ、次も同じように期限ぎりぎりになってやり始める。そしてまったく以前と同じように、「こんなことをしていてはいけない。もっと計画的に仕事をこなす必要がある」と再決意するのである。そして、そうこうしている内に、年を取って、仕事も出来なくなり、あの世からお迎えがくるかもしれない。

▽ これまで、常に「毎日、確りと計画を持って生きる」ということを考えたし、その為に、中学や高校時代には、日記や生活記録を書いた。大学時代でも生活時間を記録する日記や手帳を書いた。社会に出てからはシステムノートを書いてきた。しっかりと予測される近未来の情況を分析し、現在の生活時間の配分を計算し、こつこつと仕事をこなす態度を身につけようと、長年、努力してきたのであるが、しかし、結果は、こうした几帳面で計画性をもった生活設計が出来るようにはならなかった。

▽ 多分、こうして同じ課題を持ち続けながら時間が過ぎ、いつの間にか人生を50年過ごし、60年過ごし、そして若い人々から見ればと自分を高齢者として位置づけなければならない年齢に達するのであるが、それでも、同じ失敗と同じ問題を抱え、同じ決意と同じ努力を繰り返す生活を続ける。


大人的と子供的な観方、生き方・二つの異文化現象

▽ 子供のころは、大人が偉く見えた。また、子供のころは、大人は分かって生きていると思っていた。そして、子供のころは、大人になるときっと解決できると信じていた。

▽ しかし、大人になると、子供と自分との距離がそうないことに気付く。また、大人になると、子供のころから抱え込んだ問題が解決していないことに気付く。そして、大人になると、子供から今までの時間が余りにも短いと感じる。

▽ 子供は大人を経験してないので大人を知らない。大人は子供を経験しているので子供を知っている。それが大人と子供の違いはである。つまり、子供より大人が長く生きた分だけ多くのことを経験してきた。そして、経験の少ない分、子供は大人より自分の可能性を信じている。他者の死との出会いを多く経験してきた分、大人は未来という時間が無いことを理解している。それが少ないだけに、子供はまだまだ未来があると信じている。

▽ 言換すれば、子供が自分の可能性を信じているのは、まだ人生の時間があるという根拠のみである。しかし大人が諦め(あきらめ)を抱くのは、人生の時間がもうないという根拠なのみである。その両者の根拠を説明できるものは何もない。主観と統計的な推測、つまりそう思ったということと平均的にそうなっているという説明以外になにもない。

▽ 未来を信じられる子供たちは、無謀であり、大胆であり、鈍感であり、そして前向きである。そして、子供たちは、幻想にとりつかれ、無我夢の中に、冒険とロマンを追い求める。つまり、子供たちは、真理や愛を語るドラマの中で、自らの利益や命を顧みず、主役を演技し続ける。彼らは生命の塊で、命の凄さを放し続ける。

▽ だが、大人たちは、現実的で、臆病で、後ろ向きである。何故なら、彼らは世界の中で己の小ささを知り、己の能力に幻滅し、己の力に絶望しながらも、それでも生きなければならないことを知っているからである。 彼らの言い分は自己弁護的で、後ろ向きで、遠慮ばかりしている。彼らは、つまらない映画の脇役である。

▽ 未来への悲観は大人への入り口で与えられ、人生への悲観は大人へ成長の証である。そして、自分への悲観は大人としての優しさや繊細な人の香りを与えるのだろう。

▽ しかし、子供は将来と呼ばれる不在の根拠へ向かう無謀な楽観性を持っている。幻想と呼ばれる未来へ立ち向かう勇気を持っている。無知ゆえに強靭な楽観的感性と未経験ゆえ描く未来への幻想に向かって進む生命力を持っている。

▽ 繊細で「後ろ向きの大人」と鈍感で「前向きな子供」の二つの文化。私はその二つのどれを自分の生きる方法として選び、どれを他人の行き方として評価するだろうか。



怠け癖を治すことは出来ないが、しかし、追い詰めることはできる

▽ 私の試験を落とした学生がやって来た。暗い顔をして、失敗した色々な理由を私に話した。彼と私との隔たりは、社会的には、「採点した私」と「採点され彼」の違いによって生み出されている。私は教師という社会的役割を果し、学生である彼を不可にした。教師と学生いう立場を成立させている学校において存在している関係に過ぎない。

▽ つまり、私という個人は、試験勉強を一夜漬けで行うという点では、その学生と同じ人間であることは間違いない。

▽ 試験勉強は一夜漬けであった若いころから、私は怠け者だった。その怠けものは大人になっても治らなかった。そのため、学位(博士)論文を終えるのも長い年数が掛かった。単著の本すら出版してない。書きかけの論文原稿の山に囲まれている。

▽ 書けないのは怠け者であるだけでなく、勇気がないからであった。つまり、書いて出す自信がなかった。色々書きながら、不十分な文書を世の中に出すことは、自分の名誉を傷つけることであると思った。発表することで恥ずかしい思いをすることに耐える勇気がなかった。

▽ 未完成の論文原稿が記憶媒体の中にどんどん溜まる。文書は、書いてもまた書いても、みんなしまい込まれ、誰の点検からも批判からも隔離され、記憶媒体という閉鎖空間の中に、誰も侵入できない安全地帯の中にしまい込まれていた。しかし、それらの文章は、その安全地帯の中では世界的な論文であるかのように大切に扱われていた。

▽ ある日、不十分な状態であったが発表することを先に決めてしまったことがあった。研究発表までに終わらなければならない。不十分である箇所を出来るだけ少なくするために他の論文や本を読む。そして、不十分なまま発表した。結果は明らかであった。つまり、恥ずかしい思いしか残らなかった。

▽ 記憶媒体の安全地帯の中で、あたかもいい論文であると自負していた私は惨めな自己の現実を知らされ、その未熟な身体を晒(さら)された恥ずかしさと悔しさに打ちのめされていた。

▽ それでも、また、不十分なまま発表することを先に決めて、研究発表するために研究した。研究成果があったから研究発表するのではなく、研究発表を決めたから、研究する作業が続いた。「僕は怠けものなのだよ」という理由によって選択した行動であった。

▽ 今でも、この怠けものは治らない。小学校の時に夏休みの宿題を一夜漬けでやったあの日から続いているこの怠け者を治すことは出来ない。それで、この怠け者を追い詰めることにした。それ以外に、今のところ私が気付いた方法はないようだ。

▽ その追い詰め方として、実に大胆で無責任な手段を取った。まだ、論文は書けていない、まだ研究成果を明確に言えない、だが発表すると学会事務教に宣言するのだ。画家がまだ書いてない絵について画商と交渉するようなものだ。研究者としてこれほど無謀な行動があるだろうか。しかし、この無謀さをもってはじめて怠け者の私は焦るのである。

▽ 大人になっても子供のころと同じ性格は変わらない。大人は、ただ自己変革の可能性を信じない悲観論者なのだ。そしてその悲観論者である自分を認め。自分が自分で変えられないことを知るしかない。自分は自分によって変革することのできる存在であるなら、不可能な試みをする必要はない。もし、自分の怠け者を変えるためにもう一度生まれ変わるしかない。しかし、それは不可能な希望である。

▽ 結果的に、私が選んだ道は、みっともないと言われるかもしれないが、怠け者である自分を変えなくてもいいということであった。今後も怠け者として生きるしかないということであった。つまり、怠け者である自分を認めることだった。そして、同時に、この怠け者の自分が怠けておれないようにしてしまう。怠け者の自分を追い込むことが、私の選んだ方法であった。

▽ 勿論(もちろん)今でも、これ以外の色々な怠け者対策を調べる。そして、よち有効な方法があれば、それを取り入れることにしている。しかし、怠け者の自分を追い込むという方法が、現在の私が考えた最も有効な対策である。


前向きな悲観論者の煩悩

▽ 自分の意志の強さに自信を持つ人なら、自分の弱点を人の力を借りて治す方法を取らずにすんだかも知れない。しかし、自分に自信のない人なら、自分の力で自分の弱点を克復する方法は取らないだろう。何故なら、その方法は意志の弱い自分にはハードルの高い難しいやり方であるからだ。

▽ 自分の能力に自信のある人なら、自分の力を信じて自分の考えを中心に仕事をするだろう。しかし、自分の能力に自信を持たない人なら、他者の考えや方法を聴き、自分を点検するだろう。

▽ 本当に必要な能力は、精々、自分の弱点を理解する能力である。その弱点を克服するための方法を見つけ出す知性と技能が、最も実践力のある能力である。だが、予め自信をもつ人々は、その実践的な能力を身につけるための条件を失っていると言える。

▽ 真摯に生きること、その条件として自分の弱点を認めることが挙げられる。その生き方は、前向きに自信を持って生きる楽観主義を捨て、前向きに自分への自信や確信を疑う悲観的な立場を取ることではないだろうか。

▽ 子供の柔らかい精神と大人の強かな(したたかな)技法を共存させることは出来ないものかと思った瞬間に、希望という幻想に囚われ楽観主義が生まれようとしている。そして、この子供じみた幻想から前向きな根拠なき自信や確信が生まれようとしている。これは、何ということだ。




にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

2008年1月25日金曜日

いじめるという行為

「いじめない」ことの困難さ

三石博行

いじめるという行為の文化性

いじめるということに鈍感である日本社会で、いじめるという行為がこれ程までに問題にされた歴史はないかもしれない。その意味で、いじめを問題にしたことは、ある古い文化が問題にされ、ある新しい文化が台頭しようとしていると理解していい。
では、どのような文化が批判されようとしているのだろうか。そして、どのような文化によって批判されているのだろうか。そのことを問題にしてみよう。

いじめとは暴力のあり方を示した表現である。いじめるという行為が他者を傷つけるという行為であることを日常的ないじめという行為で表現しているのであるが、それは肉体的な暴力と言われないのは、その行為が明らかに暴力でありながら、顕著な肉体的暴力の形態をとらない状態も含めているからである。
つまり、ことばによる暴力、態度での暴力、まなざしによる暴力等々、極めて顕著に、しかも、分かりやすく第三者に理解される暴力の形態を取っていないことが多いのである。「嫁をいじめる」とか「新入社員をいじめる」とかいじめは、いびること、陰湿に振舞われる暴力のニュアンスがある。
その意味で、ある文化的価値観(男らしさのモラル)から見れば恥ずかしい行為でもある。
しかし、もしその価値観から見ても恥ずかしくない態度でいじめが横行したなら、つまり、今のいじめも、軍国主義の時代のように新兵を暴力的に古参兵がいじめるように、陰湿なことばのいびりでなく、激しい暴力であれば、その行為によってつくられたあざや傷、怪我などで、その暴力は明らかに顕在化するだろう。そうなると、「男らしく」いじめた人はすぐにその暴力が発覚し、その結果、その行為は刑事的に問題にされ、結果的に刑務所か損害賠償金を取れれることになるだろう。
しかし、いじめる人間は、そこまでのリスクを掛けていじめる対象に「真剣に」向かい合っているわけではない。彼らは(我々は)社会的に問題にされるぎりぎりの境界線で振るわれる暴力の形を選択しながら、いじめるのである。この行為こそ、実に、現代社会のある精神構造、つまり今の日本の文化のあり方を示すもんではないだろうか。
いじめという行為の蔓延が現代日本の文化構造を意味するなら、その文化構造とは自我のあり方を意味すると謂える。つまり、その構造は私を作る精神世界の姿だと言うことになる。

いじめを語る我々は、弱いものをいじめる人は正しいことの好きな自分とは無縁の人であると思うだろう。そして、いじめをするひとを隔離し、どこか正しい空間から離し、間違った空間に閉じ込めてしまうのである。
もっと極端に言えば、いじめる人々、いじめっ子を捕まえて、それに厳しい制裁を加えることがいじめをなくする最も手っ取り早い解決策であると信じている大人、偉い教育者たちがいるのである。この意識構造こそ、いじめの基本的な精神構造、文化ではないかと思うのであるが、まじめに、教育者と呼ばれる人々がいじめっ子をいじめる対策を考える姿を見るとき、そこに今の日本の文化としてのいじめをみるのである。
いじめるという行為を対自化することが求められている文化(自我)である。そして、いじめるという行為を無自覚のまま放置できた文化(自我)が、今、問われているのかもしれない。

いじめるという行為、自我のあり方
入学して来た学生達に、「いじめられたことがあるか」というアンケートを取ると、殆どの学生が「ある」と答える。その逆の「いじめたことがあるか」という質問に「ある」と答える学生は少ない。そこで、いじめたことがないということばを「人を傷つけたことがあるか」と問いかけると「ある」という答えになる。「いじめる」と「ひとを傷つける」とは、そのニュアンスの違いは、暴力の程度なのか、それとも自己の行為への罪悪感なのか。
多くの人々が、ひとを傷つけてしまったという罪悪感(良心)を持っている。特に自分の愛する人に対してこの感情を持つ。この感情が愛なのだろう。ひどいいじめを受けてトラムウマになっている人に「あなたも誰かを傷つけたでしょう」と言うと、殆どの人が(学生が)自分の母だと言う。それは、その学生が母への愛という哀しみを持つからだろう。

学生に向って、パスカルが言てるんだけど、「人間には二種類の人間がいて、一人は自分を罪人だという善人と、もう一人は善人だという罪人」らしい。。。と話してから、このパルカルのことばから「自分を善人とも悪人とも」断定できない人間の姿が観えると話す。
何故なら、断定は必ず、その確信の逆の意味へ自分を導くからである。これほど、よく、人間の自己規定の姿を的確に表現したものはないだろう。また、これほと、反省の困難な姿を明快な一言で言い表した表現はないだろう。

人が生きること、よくよく考えなくても、お弁当にはいている肉は、ついこの前まで、豚小屋でかわいらしく歩いていた子豚であった。海の中を颯爽と泳いでいた魚であった。それをこうして食うことになる。
捕鯨反対の動物愛護、鯨を守る人々が、日本の捕鯨船に乱入したという話で、評論家達がテレビで議論していた。殆どが、経済の課題になる。しかし、あの乱入した人は、鯨を食わないことは理解できたのだが、牛を食っているのかなと疑問に思った。一回、彼に何を食っているのか聞いてみたかった。きっと、彼は菜食主義者かもしれない。それなら、よく分かる。きっと、そうに違いないと信じたい。
私は、菜食主義者ではない。昔、トサツ所で殺される子豚達を見たことがあった。あの悲鳴が今でも耳に残るが、それでも豚肉を食べている。それが私という人間である。

学生たちに「私は昔、番長みたいなことをいてね。ずいぶん人をいじめたと思うよ」と語る。すると、いじめられている学生のうつむいた目からは激しい敵意や嫌悪の靄(もや)が立ち込める。
「いまでも悔やんでいることがあってね。藤坂君という好きだった友達にひどいことを言ったんだ。それを今でも悔やんでいるのだよ。あれは中学一年生だったから、もう45年も経つんだけどね。いじめた奴も、こうしてそのことを一生悔やんだり、恥ずかしがったりしているんじゃやないか」と言うと、その靄(もや)のような嫌悪や敵意が引いていくのを感じた。

「いや、これは居直りでない。しかし、事実なのだ。人は弱いから人をいじめるのだ。なぜなら、いじめたいという欲望は最も人間的な欲望で、人と違う、自分が人より偉い、人に自分の優越性を見せ付けたい、等々。
普通の人は、自然にそう思うんだ。その証拠に、皆話し始めたら、自分の自慢話、子供の自慢話、兄弟の自慢、友達の自慢、恋人の自慢、になるだろう。」と言う。自慢話ほど聞いていられない話はないが、その聞きたくない人の話と同じことを本当は人にしたいと思っているのが我々である。

ここで、飛躍をしないように、まず、以下のことを理解しておきたい。つまり、一点目は、いじめるという概念を「人を傷つける」から「ひとにいやな思いをさせる」と拡張するなら、この聴いていられない自慢話もいじめの精神構造と少し類似することになる。
その上で、何が、問題かということである。問題は、それは自分と関係のない人々の慣わしであると思うか、自分の最も基本的な精神構造にその慣わしが住み着いていると思うかの違いになる。

したがって、いじめるという行為は、自己を中心としてみているしかない人間にとって、自然に、殆ど無意識的に、行われる行為のように思える。

いじめないという行為へ
「いじめない」ということを考えるとき、中学2年だったころの思い出が浮かぶ。それは、白石三郎先生のことばだった。中学の周りに生えていた松の木が春になると、すっと細長い小枝を伸ばす。その小枝は柔らかく、棒で叩くと、まるで刀にすっぱりと切られた枝のように簡単に折れる。その快感を味わいながら、パクパクとようやく待ち望んだ春に力いっぱい伸びる松の枝を切っていた。担任の白石先生が「君、その枝はまっすぐと伸びようとしているではないか。何故、そんな可哀そうなことをするのだ」と私に注意した。
その時、はじめて松が必死になって生きようとしている生命であることに気付いた。想像力のなさ。子供であるということを一言でいうと、想像力のなさだろう。そして無邪気な残酷さだろう。

いじめとはその無邪気な残酷さ、想像力のない子供じみた行為のように思える。いじめないということは、その無邪気で残酷な子供らしさから抜け出て、大人になること、想像力を持つこと、によって獲得される人間性ではないだろうか。

他者への共感は、自己にある他者という共通する存在を自覚した経験を前提にして生まれる。もっと高く伸びたかった白石先生には、まっすぐと高く伸びようとする松の若芽が美しく見えたのだ。その伸びようとする生命を残酷に切り落とす私の行為を見過ごすことは出来なかったのだろう。

いじめないという行為の困難さを教える。否、共に自覚しあうことが、いじめに対して大人が子供に語らなければならない作業かもしれない。

今は、あの白石三郎先生のように、諭す大人や教師がいないのだろうか。それとも、大人もこともと同じくらい陰湿ないじめにあっているのだろうか。


--------------------------------------------------------------------------------

メタ科学としてのプログラム科学論

プログラム科学論の科学性を問題にした間違い

三石博行
2004年度科学基礎論学会での課題
2004年の科学基礎論学会で、「プログラム科学論の科学性」に関して研究発表を行った。 http://phsc.jp/dat/rsm/2004.1b03.pdf

この分析の問題点

1、「プログラム科学論」と「プログラム科学」との違いが明確になっていなかった。つまり、プログラム科学論はメタ科学であり、科学ではない。その意味 で、プログラム科学論の研究対象は科学認識構造、科学論理構造、科学存在構造、科学分析方法や科学研究方法である。つまり、この研究はメタレベルで科学 的に言及された存在論を課題にしていると謂える。

2、したがって、その科学対象を科学する作業をしているのでなく、その科学対象をメタレベルで点検する作業をしているのである。

3、その意味で、2004年科学基礎論学会で発表した三石博行の「プログラム科学論の科学性」http://phsc.jp/dat/rsm/ 2004।1b03।pdf での吉田民人のプログラム科学論への批判は正しいとは言えないのである。


プログラム科学論研究会 2008年1月25日記載文書


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

2008年1月18日金曜日

サイバー研究会としてのプログラム科学論研究活動

何故、インターネット上で科学哲学研究会を開くのか

プログラム科学論研究会 会員 三石博行


情報ネットワーク上での研究活動の意味
プログラム科学論研究会は、昨年2007年12月に、槇和男氏と三石博行の二人によって呼びかけられ、結成されました。この研究会は、インターネット上に存在し、参加は自由、議論もオープン、会費は無料、これまでの研究会とは違う。つまり、勝手にやっている研究会である。その意味で、これまでの大学研究者を中心とした学術学会とは違い、学術研究会としての権威も資格もない。
吉田民人先生の提案されたプログラム科学論は、科学技術文明社会で生活し生産する人々の世界認識と世界改革の哲学、科学哲学である。この研究会は、新たに形成されようとする文明社会、科学技術文明社会の社会観念形態の基本構造に関係する社会思想を問題にしている。科学技術文明社会の生活世界で活動する人々が、この思想形成の主体である。
したがって、研究メンバーは大学の研究所に限定されない、科学技術文明社会の課題を受け止め、それを何とか解説したいと思うことが、この研究会への参加資格である。参加する人々の学歴、職歴、国籍、年齢、性別などは入会の条件とはならない。参加したいから参加するということで、この研究会の参加資格は成立するのである。

研究活動の目的
プログラム科学論は科学技術文明時代を生きるための知である。科学技術が生活世界の基本要素であり、社会文化環境の中心構造である以上、人間存在の志向性を決定する知としての科学哲学が求められている。これが、プログラム科学論は課題なのである。
Post工業社会、科学技術文明社会の彼方に、我々が目指さなければならない社会と文明のあり方を巡って、このプログラム科学論は新たな科学の基礎理論を提起する。
そして、新たな科学哲学としてのプログラム科学論の構築は、確実にしかも深刻に迫りつつある科学技術文明社会の限界、それ以上に我々の哲学の貧困に立ち向かうために、取り組まれる作業である。
つまり、我々の研究会は、現実の問題を解決するための活動として位置づけたい。何故なら、問題解決に有効なプログラムを正確なプログラム構築と評価できるからである。近代科学の伝統を引き継ぐ「理論的整合性を持つことは、実践的合理性を持つことである」というテーゼは、同様にプログラム科学論の公理でもある。


我々の研究活動の内容と現実
多くの人々がこの理念やプログラム科学論という新しい科学哲学に賛同してくれると、我々は決して期待しない。事実、現在、我々の研究会の会員は現在非常に少数である。しかし、少数であっても、我々には、現実の問題を受け止め、それを解決するために、日々、思索と実験を繰り返す生真面目な姿勢がある。今、我々が唯一、確信をもって言えることは、この生真面目な姿勢を貫き通す態度が、我々にあるということだけである。
情報化社会では、多くの人々が情報を入手することが出来る。この研究会は、情報を公開し、研究活動を公開し、議論を公開する。すべての同時代の人々に、我々の問題提起を述べ、それを展開するための理論を提起し、プログラム科学論を進化させる活動を提案する。
我々の直感が、そして真面目な問題提起が、必ずや多くの人々に共感されることを信じたい。

今後の課題
今、我々にはやらなければならない多くの作業がある。
1、プログラム科学論研究会のホームページの作成。これは、プログラム科学論の議論を体系化するために必要である。
2、吉田民人先生の論文のダウンロードファイル
3、すでに個人のホームページで語られているプログラム科学論に関する文書を紹介する。

2008年1月17日木曜日

科学主義を超えられるか

反科学主義と科学主義の議論を超えて
-プログラム科学論における存在論の課題-

三石博行

はじめに
啓蒙主義運動は科学主義によって生み出された思想運動である。今日の科学技術文明社会はこの思想運動から形成され、社会常識として科学主義が普及している。地球環境化防止の対策にしろ科学技術の開発研究によって取り組まれている。この歴史的流れを批判することは出来ない。しかし、現代巨大科学技術進化の方向に、地球環境を考える科学や技術、また国際化の中で地域社会が持続共存できる経済や政治政策が形成されるのか疑問を抱く人々は多い。この難問に挑戦することは、即科学主義に関する課題を考えることに直結するのである。その道は遠いし困難である。ここでは、歴史的に科学哲学の課題が欠落した存在論の問題に触れながら、その解決の糸口をプログラム科学論に展開に託す理由を述べるの留まる。

現代科学哲学の必修課題・科学主義研究
「知は世界認識、生きるための力である」である信じた近代合理主義を背景に近代科学の代表者、ニュートンの力学は成立する。その力学の成立は、その後の哲学や社会思想に大きな影響を与えた。フランス啓蒙主義はニュートン力学を構築している科学性を全ての知の基本理念とすることを提案した。何故なら、その知は世界の認識によって世界を変えることが出来たからである。知ることは力であり、認識することは変革することであるという近代合理主義精神はニュートン力学の成立をもって実証された。
しかし、近代合理主義の科学哲学が物理神学的使命を持ち続け、「世界への認知を通じて行われる神の存在証明のための科学行為」を人間社会の豊かさのために存在する科学行為として位置付けるのである。そこに近代合理主義と科学主義の哲学的分岐点(パラダイム転換)が行われる事になる。近代合理主義の科学の目的は神の存在証明、つまり絶対的真理の追究であった。短絡した表現を用いれば、科学主義の目的は、人類世界の豊かさを齎す(もたらす)科学的真理の追究であった。
パスカルなど17世紀フランスのサロンでの科学論議の社会的風景から、近代合理主義思想とその科学は新興貴族の知的興味や哲学的関心に基づいて行われた行為であったと理解できる。それに対して、ディドロなど18世紀フランスでの科学主義に基づく啓蒙活動は、豊かな生産活動や市民社会制度の構築を目的にしていたと解釈できる。こうした歴史的な背景を考えれば、現代社会の科学的合理主義は近代合理主義思想から生まれたが、実践的世界変革の知、資本主義生産様式を支え近代工業社会を推進してきた社会思想は科学主義によって形成されていると謂えるのである。
つまり、今日の科学技術文明社会を問題にする場合、科学主義の哲学、現代社会を規定している科学哲学を語らなければならない。科学主義の分析と批判的点検は現代科学哲学研究にとって避けられない必修課題であると謂える。

近代国家形成と啓蒙主義思想と科学主義
科学主義と啓蒙主義は表裏一体の思想である。科学主義は啓蒙主義を生み、系も主義は科学主義の思想的意思を実現し、科学主義世界観を普及するのである。世界の変革の武器として科学的知を理解した科学主義が必然的にその思想目的を達成する手段が啓蒙活動なのである。
科学主義は振興階級であるブルジョワ階級の社会的自我を代表する思想である。科学、合理的世界観と実践的知は生活世界の豊かさを導くための武器であり道具である、つまり、この科学思想によって、合理的な生活行為や生産行為の様式や素材が生み出され、それらの新しい技術や道具によって豊かな生活世界が実現すると科学主義から謂える。科学を広めること、科学を活用すること、科学的な合理主義が社会の常識となること、科学的な方法が人々の行動の指針となること、科学主義が社会観念の基本となることによって、国家、社会、人々の生活は豊かになると科学主義は主張したのである。
実際、科学主義に基づく、科学の産業生産への応用、軍事への応用、国家制度の確立への応用は、資本主義生産様式、市民社会、民主主義制度を生み出し、今日の社会を形成した。科学主義と啓蒙主義がなければ今日の資本主義、科学技術文明社会は成立していないのである。
「知は国家、社会と産業の力である」という科学啓蒙主義の主張から、知的資源を国家がより多く所有すること、教育が強い国家の機能を果たす。つまり、教育とは知的資源を国家が豊かに持つための政策である。国家は、知的資源を生産するために教育制度を作りだす。豊かな知的資源に支えられ、近代化政策は推進され、近代工業生産は可能になる。近代国家形成の使命を担い国民教育制度、義務教育制度や高等教育制度が形成されてきた。
18世紀から19世紀のフランスでは、ナポレオンによって中世以来の伝統を引き継ぐ旧来の大学制度から、現在のフランス国家の官僚を生み出している新しい大学校制度が導入され、同時代のドイツでも大学制度が改革された。日本でも明治以来、欧米の教育制度が導入され、教育改革が国家近代化政策の重要な役割を果たしている。
近代化政策として導入された教育制度改革は、富国強兵政策、工業化政策のために有効な役割を果たす。つまり、近代的教育制度は近代国家の装置であった。国民教育制度と呼ばれる近代化の社会装置の構築が必要であった。そして、その社会装置を動かすエネルギーが啓蒙思想と科学主義であったのである。

科学技術文明社会を形成した科学哲学・科学主義
人類社会の進歩と科学技術の進歩が同義語概念として、今日の社会では使われている。つまり、科学主義は社会常識化したのである。この科学主義の常識化した社会を科学技術文明社会と呼ぶことが出来る。
例えば、1960年代から70年代の日本での公害反対運動では、公害を引き起こす資本主義社会への批判と同様に、その道具として機能する科学技術への批判があった。反公害運動を通じて、多くの大学の理工系研究者が地域社会、農村漁村社会へ行き、そこで生活活動を行った。大学での科学研究を辞め、科学技術の進歩の被害者である地域社会の人々と生活することが、彼らの科学批判であり加害者としての科学技術者を拒否するモラルや生活思想であった。
しかし、1980年代になると、公害国日本でも、公害防止法などを制定しながら、公害対策が行われる。何故なら、1970年代の淀川の水質調査からも、河川の水質汚染を放置することは飲料水の確保だけでなく工業用水の確保も保証できない状態であった。国家は企業の環境汚染放置によって生じる国家経済への被害が大きいと判断したのである。公害対策を行う企業活動の負担による国家的被害を公害によって生じる国家的被害が上回る時点で、国家は公害対策をせざる得なくなたのである。公害対策も公害企業保護もマクロ経済的視点に立って、国家の利益と損失の計算によって採択された政策に違いない。
公害防止の科学技術開発研究の促進として国家による公害対策が取り組まれ、大学の衛生工学、安全工学、環境工学などの研究分野が充実していく。これらの技術は、1973年のオイルショックと重なり、公害防止と省エネルギー対策は同時的に解決可能な技術課題となってゆく。日本の省エネルギーや自然エネルギー活用の技術は、この時代から精力的に始まった。
今日の環境汚染や地球温暖化は、科学技術の進歩や工業化社会の発展が資本主義工業社会の大量生産によるものであることや、それを支えている科学技術の力が背景にあることを疑う人は少ない。しかし、同時にそれらの対策は科学技術の開発によってしか可能にならない考える人が殆どであると謂える。環境破壊と地球温暖化への対策は、それを生み出した資本主義的生産様式、市場原理の経済社会によって、立てられる以外にないのである。つまりCDMやカーボンチャンスと呼ばれる二酸化炭素の排出量の売買による環境ビジネスとして、また、技術革新や開発による二酸化炭素の排出削減の新しい環境産業の形成によって、二酸化炭素の削減を行うことしか、我々の地球温暖化への対策は考えられないのである。
この社会観念とそして精神構造こと、科学主義によって出来上がっている科学技術文明社会の文化と我々の自我を意味する。そして、好むと好まざるに拘わらす、現代の科学技術の先端的知識を駆使して、公害対策や地球温暖化対策は進むのである。つまり、科学主義批判を科学哲学者が行っていても、この現実をその批判によって変えることが出来ない限り、科学主義批判の有効性は皆無であると自覚すべきである。現実は、科学主義を批判する科学哲学者は科学主義と呼ばれる巨大な力の前に付し折れているのである。

科学主義と反科学主義の境界・存在論の位置づけ
科学技術文明社会の社会観念の基本を作る科学主義を超えることが出来るのだろうか。科学主義批判を行う科学哲学は、その批判のかなたにどのような有効あ知、科学哲学を提起するのだろうか。仮に、現代の巨大科学技術の延長線上に基本的な地球温暖化対策の技術や思想がないとすれうば、その科学思想やそれから導き出される技術とは何か。しかし、この答えを持つ科学哲学者はいない。
科学主義への批判は、メタ科学的次元での科学主義への批判は存在している。その代表者は19世紀後半から生じた、生の哲学、現象学、実存主義、ポスト構造主義、解釈学などである。こららの批判は、近代以前の社会への回帰を目指す反科学主義と癒着する傾向、つまり、科学的合理主義の形成過程で課題になった自由や平等、人権の課題までもが、喪失しかねない反動思想に援用される可能性を阻止することが出来ない。
また、科学主義は哲学の中にその支持者を歴史的に形成してきた。唯物論、実証主義、分析哲学、新実証主義、プラグマチィズム等である。これらの新しい科学哲学では、科学主義の持つ単純な科学楽観主義は存在しないが、これらの親科学主義哲学の流れは、巨大科学技術文明社会への流れを食い止める直感や感性を持ち得ないと危惧するのである。
以上のような反科学思想と新科学思想という現代哲学の分離は非常に短絡すぎて危険であるが、その境目を作る要素は、哲学史で問題となる存在論の位置付けにある。反科学思想は、自然哲学の中で語られた存在論を、科学の領域に渡し、哲学は人間存在に限定すると考える。しかし、親科学主義思想では、自然科学で課題にする存在を前提として、その方法で人間存在のあり方を課題にする。その場合も、エンゲルスの言う「自然の弁証法」のように哲学的な存在論は自然科学の課題に置き換わるのである。

科学主義を超えられるか・プログラム科学論の挑戦
存在論に対する哲学上の議論が、科学主義と反科学主義の境界領域に横たわる課題であるとすれば、現在、この課題を問題にしている哲学はプログラム科学論以外にない。哲学の主流、とりわけ科学哲学の主流は、自然科学に自然存在論を社会科学の社会存在論、そして人間科学に人間存在を委ねながら、その哲学が委ねた存在論を批判的に検証しているようには見えない。何故なら、存在論は哲学の課題ではないと考えるからだ。
もっぱら、科学認識論が科学哲学の主な課題になっている。例えば、科学理論を文化的歴史的解釈として理解する解釈哲学や、科学認識の構造を合理主義や現実則の形成過程におおて理解する精神分析主義や発達心理主義ことや、科学認識を社会文化的な観念形態の中で理解する相対主義などがある。それらの全ては、科学哲学の課題として科学認識を問題にした。
吉田民人のプログラム科学論、科学哲学を支える進化論的存在論がある。この存在論は科学が対象とする生物や遺伝子ではない。それらの存在はメタ科学として位置付ける。つまり、生物存在を語る権利は生物科学だけではない。その科学理論のメタ構造を課題にする科学哲学者にも同じようにその権限がある。
科学哲学者吉田民人が課題にするのは生命、生物、社会などの個別世界の存在形態でない。それらに共通するある形態、メタレベルに存在する自己組織性の存在形態である。科学者が自然存在を語るように、科学哲学者は、科学認識された個別存在世界のメタレベルの世界について語る権利を持つ。それは権利の問題であり、語ることが良いか悪いかの問題でない。つまり、科学者がその職務として具体的対象世界を語るように、科学哲学者もその職務として、具体的存在形態のメタレベルのあり方を語るのである。
ここでは、科学主義を乗り越えるために、また科学主義を超えていく思想としてプログラム科学論が存在していると帰結しているのではない。しかし、存在論を課題にしなくなった現代哲学の流れ、それらの哲学から、新たな科学を構築しながら現在の科学主義を乗り越える視点が生まれるのだろうかという問題提起をするの留める。その問題提起からプログラム科学論の進化論的存在論の意味と位置付けを、簡単に述べるに留める。

2008年1月17日 「プログラム科学論研究会」メーリングリスト記載文章
プログラム科学論研究会への参加者を募集しております。参加は自由です。また吉田民人先生の主要論文のダウンロードも可能になるようにします。

2008年1月15日火曜日

日本の近代化と科学の大衆化

わが国の近代化過程での「科学の大衆化」
La vulgrisation scientifique dans le processus de la modernisation sociale au Japon


三石博行

はじめに
日本の近代化過程では、地域社会、農村社会で科学啓蒙教育が起こる。この活動も科学の大衆化と呼ばれる社会文化現象である。それらの活動を推進する人々は大学研究者であった。何故、大学が地域社会の科学の大衆化に寄与しなければならなかったか、近代化過程で生じる古い社会観念形態と科学主義のそれとの葛藤に焦点をあてながら議論する。

「プロレタリア科学」・「大衆的科学」の形成としての「科学の大衆化」
「科学の大衆化」という用語は、我が国では戸坂潤によって、はじめて用いられた。彼は説明によると、市民社会になったとしても、科学はそれ以前の少数の封建支配者と同様、少数のブルジョワ階級に占有されている。そこで、科学をより多くの人民、無産者の知識とすることが科学の大衆化であると彼は述べている。
戸坂は科学の大衆化を科学の通俗(popular)化を分別する。何故なら、科学の通俗化によって科学を多数者の平均水準に下げるのでなく、多数者をこの科学のレベルに近づけることが科学の大衆化であると、彼は考えていた。
また、科学の大衆化は科学の啓蒙化ではないと戸坂潤は述べている。啓蒙とは、彼の解釈では「蒙を啓く」こと、つまり大衆の愚かな知識(蒙)を正しい方向に啓である。しかし、「科学の大衆化」は、啓蒙のような「支配者による被支配者の教育を意味するのではない」。つまり、彼は科学の啓蒙と「科学の大衆化」を峻別したのである。
そして、大衆化は「多衆を組織する」であると考える彼は、「多衆」によって、または「多衆」のために、科学を組織すること、「科学が大衆みずからのものとなる」なることが「科学の大衆化」であると考えた。大衆自らが創造する科学が戸坂潤の解釈した「科学の大衆化」であった。
そして、科学が真に大衆のものとなるには、「大衆的科学」、「プロレタリア科学」の成立が無ければならないと帰結するのである。戸坂潤によって、定義された「科学の大衆化」とは、科学を分かりやすく市民に理解させるための科学報道や科学の啓蒙活動でもなく、大衆の科学の成立、「プロレタリア科学」の成立を意味するのであった。

科学啓蒙教育活動としての「科学の大衆化」
戸坂潤の「大衆の科学・プロレタリア科学」の思想は、終戦直後1946年に、マルクス主義者によって結成された民主主義科学者協会の活動に引き継がれる。そして、その後、左翼科学者運動に受け継がれながら、日本科学者会議の活動として展開していく。彼の継承者によって、今でも「科学の大衆化」の用語は使われている。しかし、彼の継承者達の用語と彼が使った用語には、基本的な意味の食い違いが生じている。
例えば、民主主義科学者協会や日本か学者会議の中で語られた「科学の大衆化」は、科学的合理主義精神や科学知識の大衆への啓蒙伝達を意味していた。何故なら、非合理的封建制度の風習や習慣に地域社会、取り分け農村生活者が支配され、搾取されることを防ぐために、科学的知識とその合理的精神を学ぶ必要がある。また、科学的知識の権力者の独占と乱用を防ぎために、市民が科学を正しく理解する必要があると考えた。
明治以来、近代化を進める日本社会で、もっとも封建的制度が残存したのは地主制度を持つ農村社会であった。地域農村改善運動によって、農家での古い仕来りや生活習慣の改善や農村社会の近代化によって、豊かな生産活動や生活が導かれると「進歩的知識人」は考えた。
戸坂の主張する「大衆の科学・プロレタリア科学」の形成以前に、大衆が科学的合理主義精神や科学的知識を持たなければならない。当然、学識や近代合理主義精神文化のない農村社会で、戸坂の謂う科学の大衆化は実現しそうもない高い理想であった。その高い理想、戸坂の謂うプロレタリア科学の創造を目指すにしても、最初に取り組まなければならない課題は、地域社会の教養教育普及運動としての啓蒙活動であった。地域農村改善運動を進めるためには、農村地域社会での科学教養教育普及活動、科学啓蒙教育活動であり、その活動を担う民主科学運動を推進する研究者の民間教育研究であった。
理論家、哲学者の戸坂が科学の大衆化を科学教育の啓蒙化と峻別したが、現実の地域社会、農村社会での科学の大衆化の活動は科学啓蒙教育活動から出発するのである。そして、戸坂の科学の大衆化の用語は、民主主義科学者協会や日本科学者会議の科学の運動の中では、市民がより豊かな生活社会環境が創りだすために、科学的合理主義の精神や科学的知識を普及するための啓蒙教育活動として理解されているのである。

専門研究者による「科学の大衆化」
専門分野の知識を一般市民が理解できるように伝える手段は市民向けに公開講座だけではない。専門知識を市民、大衆が理解できるように解説する著作活動もその一つである。例えばアインシュタインの著書「物理学はいかにして創られたか」は、最先端の物理学の知識を困難な数式を使わないで一般市民に分かりやすく説明している。
専門家が専門分野の知識を分かりやすく解説する書物は、科学の大衆化の手段である。岩波新書、講談社ブルーバックス、中央新書等々、わが国では多くの専門家による大衆向けの科学解説書が出版されている。これらの著作活動も、科学者による啓蒙教育活動としての科学の大衆化の一つである。
科学啓蒙教育活動を推進する社会機能の一つとして高等教育機関がある。大学の学部学科の専門教育では、教育方法は制度として、つまり専門教養教育、専門入門教育、専門課程教育の段階的な教育課程の内容を成り立っている。そこで、大学が取り組む科学啓蒙教育活動では、地域社会の生産者や市民が理解できるように、講義内容をより一般的により易しく理解可能な方法で提供できるように、その制度や教育方法を活用しながら市民への啓蒙教育活動に活かすことになる。
戦前の戸坂潤、戦後の小倉金之助や現代の神田嘉延氏らの科学の大衆化、プロレタリア科学創造から地域社会の教養教育普及運動や民間教育研究運動に共通する点は、科学啓蒙活動が商業的ジャーナリズムでなく大学など高等教育機関等の専門家が科学教育活動の担い手になるという見解である。
戸坂潤は科学の通俗化と科学の大衆化を峻別する基準として、科学的説明とジャーナリズム的説明を分けている。戸坂の謂うジャーナリズム的説明とは正確な科学知識の説明ではなく、分かり易さを優先した比喩的な説明が用いられることを意味している。大衆的理解を第一の目的にした科学知識のジャーナリズム的説明を科学の通俗化であると述べている。科学の通俗的説明は、科学的知識を曲解し説明伝達することで、大衆の中に似非科学と科学の混乱が生じるからであると考えた。
戸坂に限らず、科学は純粋に世界を認識するための思考や論理であり、学問は真理探究の行為であると理解している人々にとって、その正確厳密な科学的説明を歪めて伝達することは許されない。したがって、科学真理探究の行為が、ある個人の利益、一部の支配者階級、資本家や国家権力の利益追求の道具になってはならない。科学者の倫理問題として、科学伝達の厳密なあり方を主張しているのである。
つまり、20世紀の科学啓蒙教育活動では、科学知識は正確に知る専門家がそれを伝える権利を持つと解釈されている。例えば、相対性理論に関する解説書を書く権利は、相対性理論の専門家以外の人々が持つことは許されないのである。科学の大衆化を行うことの出来る人々はその分野の専門研究者のみであり、専門家になって初めて普及本を書く権利が与えられたのである。

近代化過程での科学の大衆化
今日の科学知識の普及に科学ジャーナリズムの果たす役割の大きさを知る我々にとっては、前記した科学の大衆化を担う人々の資格を問題にする風潮やジャーナリズムの科学報道へ無理解が時代錯誤であると言えるのである。
勿論、科学を良く知るものがその知識をより分かりやすく説明することが出来るという理由から専門的知識の紹介は専門家に限るという考え方もある。しかし、素晴らしい研究者が必ずしも素晴らしい教育者ではないという実態もある。また、日経新聞で報道される先端科学技術の知識の量と内容を提供できる大学の先端科学技術情報サービス機関は日本に存在しない。NHKの科学普及番組を制作できる情報系やデザイン系の学部をもつ大学も存在しない。また、専門研究者がその分野の知の社会普及活動の中心に必ずしなっていない。そして、大学の研究機関や生涯学習センターが先端の科学の大衆化の資材を作る拠点になっている訳でもない。
明らかに、わが国の20世紀の科学の大衆化機能と21世紀のそれは異なる社会文化現象を引き起こしている。その社会機能の変化は、科学の大衆化の資格を専門研究者に限定した20世紀の日本社会と現代のそれと異なる社会的背景を前提にしながら分析しなければならない。
科学的合理主義を大衆的に普及する活動は、地域農村社会の民主化運動や民主主義科学者協会の活動だけでなく、近代国家、資本主義工業社会の建設を推進する活動にとっても必要であった。近代国家を支える生産活動は近代科学技術の知識を基盤にして形成されている。科学や技術教育は国家の生産能力に直接的に関係してくる重要な課題であった。理工系教育を重視した明治以来の大学教育によって日本の近代工業化は推進したと謂える。
近代化を支える文化的基盤を欧米から取り入れ、伝統文化に支配されている生活文化を欧米化することは、近代化を支える社会基盤を創る事であった。そのため、欧米式の学校教育制度を導入し科学教育を普及した。更に、封建的な文化土壌を欧米化する社会変革が近代化政策として取り組まれ、都市生活は欧米式の生活文化が取り入れられた。しかし、古い地主制度を維持した農村社会では、欧米式の生活文化化の浸透は遅く、封建的伝統文化や生活様式が根強く残存した。農村社会で維持されている伝統文化の古い仕来りは、日本の近代化を進める社会制度に対立し、近代化を阻害する機能として働くのである。
農村社会での伝統文化や生活習慣は近代化政策の障害物として登場する。今和次郎の「生活病理」の概念は、貧困の原因である農村社会の古い伝統文化の生活様式や生活環境の構造を意味した。そして生活病理に対する対策が生活改善運動であった。封建的な生活習慣を生み出す生活文化の近代化が、農村社会での生活改善運動に結びつくことになる。
18世紀の啓蒙活動はニュートンの力学の有効性、知は力であり科学は世界を変革する道具であり、それを普及することが世界を変えることであると信じた科学主義から生み出される。つまり、科学の発展によって社会は進歩すると信じる科学主義は、必然的に科学主義の啓蒙活動を前提として社会に登場するのである。
現代科学の知識を普及することは、それ以前の世界観を駆逐することであり、科学の発展によって社会が進歩するという社会思想、政策、社会制度を構築することである。当然、古い社会観念形態によって支えられている伝統文化や社会制度は、この科学と対立する。対立を持ち込まれた社会観念は、科学主義を拒否するか、もしくは科学主義に駆逐されるか、その思想生命を掛けた闘争を行うことになる。
つまり、科学啓蒙教育によって持ち込まれた科学主義によって二つの異なるパラダイムを持つ文化の葛藤が引き起こされる。科学啓蒙教育は、農村社会での封建的な生活文化の様式や環境を支える社会観念を解体するために仕組まれた文化活動である。そして、その科学教育啓蒙活動によって生み出された人々の観念と彼らの観念に支えられた新たな生産活動や生活運動が、次の闘争の幕を開くのである。
この闘争を進めるために、新しい社会思想はより正確な自然科学の知識を提供しなければならない。何故なら、科学の知をより正確に知ることで、より有効な力を発揮することが出来るからである。近代合理主義の基盤に「知は力なり」という17世紀のベーコンの思想を例にとるまでもなく、西洋近代哲学に一貫して流れる知の実践的形態に関する思想は、18世紀から19世紀のヘーゲルの「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」という考えから、20世紀のサルトルの有名なことば「知ることは変わることである」まで、現代に脈々と引き継がれている。
正確な科学的知によってより実践的知が導かれる。社会変革に必要な科学教育の啓蒙活動は、より有効なその成果を求めるためにも、曖昧な科学的理解でなく、より正確な科学的理解を要求することになる。日本の近代化過程で取り組まれた科学教育啓蒙活動は、18世紀フランスのサロンで話題になる目新しい科学への教養的関心や興味を刺激する啓蒙活動ではなく、農業の合理化や科学的農業を営むために必要な科学的知識や技術に関する知識を学ぶ活動であった。そのため、地域農村社会での啓蒙活動では生産活動に関連する教育が行われるのである。そして、その啓蒙活動をするために必要とされた人々は、広く科学情報を知る科学ジャーナリストではなく、専門分野の詳しい知識をもつ大学研究者であった。また、その教育活動の方法を教育学的立場から研究開発できる教育学部の研究者であった。


参考資料

戸坂潤 「戸坂潤全集 第一巻」
広重徹 科学と歴史 みすず書房 1965年 
小倉金之助 小倉金之助著作集 勁草書房  
神田嘉延 地方大学と生涯学習 鹿児島大学教学部紀要 2003年投稿論文
今和次郎 「生活学 今和次郎集」


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

2008年1月14日月曜日

新たな世界観形成と科学の大衆化

同時代的合理主義思想の形成活動と「科学の大衆化」
La vulgarisation scientifique: une formation de la pansée rasionaliste d'une époque
三石博行

はじめに
科学の大衆化という社会現象は社会や歴史によって異なる。この科学の大衆化を必要とする社会文化の機能について議論する。つまり、新たに登場する科学や新しい合理主義思想は、過去の観念形態を一掃するための闘争を行っている。新しい合理主義の観念構造を普及活動を科学の大衆化作用と考えれば、それはあらたな社会制度や生産活動を構築する階級の社会的自我の確立運動に関連して生じる社会文化現象であると謂える。

文明や社会によって解釈多様な「科学の大衆化」の概念
科学の大衆化の概念は、「科学」と「大衆化」の二つの歴史的や文化的に多様な意味を前提にしている用語であるために、明確に一つの用語で定義することができない。
「科学」性という概念を、科学史で用いる異なる時代や文明社会での同時代的合理性と解釈すれば、科学は単数形でなく複数形で存在し、古代エジプトやメソポタミアの科学、古代中国科学、古代ギリシャ科学からアラブ科学、中世ヨーロッパの科学、近代科学、西洋科学、東洋科学等々、多様な科学の概念が成立する。そこでそれらの科学の大衆化という概念が、科学の大衆化であるといえる。例えば、古代ギリシャ科学での「大衆化」という概念になる。また、「大衆化」という概念を「通俗化」や「啓蒙教育」等々の意味として理解することも出来る。先ず、「科学の大衆化」の用語から問題にする。
フランス語で科学の大衆化をLavulgarisation scintifiqueと表現する。また英語では Popularisation of scienceと謂われる。我が国では、坂潤潤によって「科学の大衆化」という用語が始めて用いられた。この場合、科学とは近代科学を意味する。大衆化とは「通俗化」でなく科学を大衆みずからのものにすることを意味する。しかし、日本で他に使われている大衆化という概念は、戸坂潤の使った意味と同じではない

科学革命を推進する自我と科学の大衆化
「科学」を同時代の有効な知の体系として広義に解釈すれが、宗教的世界観を支える神学も中世ヨーロッパの科学と謂えた。実際、スコラ哲学や神学は中世を支配する知であり、現代の科学と同じように人々の世界観や社会の秩序、中世キリスト教社会の観念形態を決定する秩序や論理を規定していた。つまり、科学史の視点に立って「科学」を同時代的知の体系として解釈するなら、科学の概念は中世の世界観を説明するキリスト教神学、自然神学を含むことになる。また、大衆の聖書購読を目的としていたルターの聖書ドイツ語翻訳はキリスト教の教義の大衆化である。そこで、聖書のドイツ語翻訳は、「科学の大衆化」のの一例として解釈できるのである。
「科学の大衆化」を説明するために、科学史の中で一般に引用されるのは、17世紀、近代科学を生み出したガリレオの『新科学対話』の著作活動である。ガリレオは当時の学者が使用したラテン語でなく、イタリア語で『新科学対話』を書いた。また、同様に、デカルトも『方法序説』もラテン語でなく、彼の母国語フランス語で書いた。近代科学の構築に貢献した二人が、歴史に残る近代科学の形成の礎を作る理論を母国語で書き記したことは、彼らが科学の大衆化を意図して行った訳ではないが、新しい科学理論を理解し、それを有効な知として活用する人々は中世封建社会の支配者でなく、新しく勃興しようとしていた市民でありそれらの市民への理解(大衆化)を意図したものである。

新しい世界観の形成と科学の大衆化
知識はそれを背景とした世界観を持つ。知識はある世界観の一部として存在している。それを知の観念形態という。そこで、地動説のように、ある新しい知識が、過去の学説を解体することになる。過去の学説が崩れ去ることで新たな知の体系化が始まる。この新しい学説の登場を科学革命と呼ぶ。
新しい学説が登場しその学説から導かれる諸々の学説の成立、それを体系化する学問の成立、例えば物理神学から力学への変換が生じる。新しい科学や学問が成立することで、新しい自然観が生まれ、世界観が登場する。そして、自然法則を支配する世界に教会や封建領主権力の介入は一切否定されなければならない。絶対的な神が支配する法則によって、自然現象は生じているという世界観が成立することになる。これら一連の新しい科学理論の確立や新しい世界観が成立するこの過程を科学革命と呼ぶ。
新しい世界観は科学革命によって呼び起こされる。新しい科学理論、その技術的、産業的、社会的応用を必要とする人々によって、その新しい世界解釈や世界観が生み出され、展開され、発展される。それらの生産活動が、その新しい世界観に依拠する人々の社会文化意識を作り出す。さらに、新たな社会文化意識の形成によって新たな科学思考は発展する。新たな世界観をもつ階級や市民によって新たな科学は発展する。つまり、新たな科学の形成とそれを支える大衆化によって、新たな世界観とそれに依拠する生産や生活活動によって、科学革命は展開するのである。その科学革命の展開によって、人々の社会的意識が形成され、その観念形態が社会文化の基盤構造を担うことになる。
したがって、科学の大衆化は新しい世界観を必要とする社会的自我運動と結びついた人々や社会文化の現象であると言える。


参考資料
1、Baudouin Jourdant “Lavulgarisation scintifique” 1975 
2、Marie-Francoise Mortureux ”La foramation et le fonctionnement d`un discours de la vulgarisation scientifique au XVIIème siecle à traver l’oeuvre de Fontenelle” 1983、
3、Pierrre Laszlo “Lavulgarisation scintifique” Que sais-je?  1993
4、戸坂潤 「戸坂潤全集 第一巻」



にほんブログ村 哲学・思想ブログへ