講演会シリーズ第一回目、「放射能による健康障害と放射線による病気の克服」
三石博行
原発事故とその対策を考える講演会シリーズ
NPO法人京都・奈良EU協会では、東日本大震災・福島原発事故について、放射能健康障害を専門にする医師や原子力発電に関する専門家を招き、原発事故で発生する放射能の人体への影響、原発の安全性等に関する理解を深めるために、講演会シリーズ「医師専門家からみた福島原発事故」を企画しました。
5月14日の第一回目の講演は、大阪中央病院の顧問で、放射線医療、白血病治療と骨髄移植の専門家である平岡諦先生をお招きして、「放射能による健康障害と放射能による病気の克服」についてお話をして頂きます。
簡単に平岡諦先生を紹介させていただきます。
平岡先生は1969年大阪大学医学部卒業され、1979年から大阪大学医学部付属病院助手となられ、1983年アメリカのシカゴ大学医学部血液/腫瘍学教室に留学、帰国後、1985年大阪府立成人病センターに勤務され、第五内科(現・血液・化学療法科)医長、そして第五内科部長を経て外来化学療法室長兼任されてきました。2009年より 健保連大阪中央病院の顧問となられています。
また、日本造血細胞移植学会、日本感染症学会、日本血液学会、日本内科学会に参加され放射線医療の研究をされてきました。
さらに、平岡先生はこれまで「医療と人権」に関するテーマを考えてこられました。その課題に関係するお仕事として、ハーバード大学医学部教授ジェローム・グループマンの「セカンド・オピニオン」の翻訳や「白血病;生への希望と歓び」等の著書を出版されております。
今日は、先生のご専門分野から福島原発事故で発生する放射線障害とそれへの治療方法についてお話が聴けると思います。
平岡先生の講演会の様子をYouTubeで公開しています。
講演タイトル
講演の要約
原発事故に携わる労働者の健康障害に対する治療
平岡諦医師は、原発で働く人々に対して、特に今回の福島原発事故のために働く人々が引き起こす放射線障害、白血病に対して、「谷口プロジェクト」(谷口修一先生講演会は2011年9月3日に予定)という骨髄移植法による治療を提案されています。
この講演で平岡先生は、原発事故で被曝される人々の救済を提案されています。是非とも、平岡先生の提案を聴いて欲しいと思います。
今回のYouTube画像では動画4/4で紹介しております。
平岡諦医師の講演の様子
平岡諦医師の講演の様子をYouTubeで4回に分けて公開しました。アクセスしてください。
タイトル 平岡諦医師の講演 2011年5月14日京都奈良EU協会京都講演 1/4
http://youtu.be/VZzqVWz5u-c
タイトル 平岡諦医師の講演 2011年5月14日京都奈良EU協会京都講演 2/4
http://www.youtube.com/watch?v=uRrsykgUfyE
タイトル 平岡諦医師の講演 2011年5月14日京都奈良EU協会京都講演 3/4
http://www.youtube.com/watch?v=nA3f1c_Z51c
タイトル 平岡諦医師の講演 2011年5月14日京都奈良EU協会京都講演 4/4
http://www.youtube.com/watch?v=BvyzUZqkqUg
骨髄移植法による被曝者の治療法「谷口プロジェクト」の提案
京都奈良EU協会京都公演会の今後の活動
第二回 6月18日(土)14時~16時
テーマ、「被爆者医療からみた福島原発事故」
講師 郷地秀夫医師 (東神戸診療所)
場所 クリニックサンルイ 京都市山科区安朱南屋敷町35木下物産ビル4F
第三回 7月16日 (土)14時~16時
テーマ、「原子被ばく問題のこれから」
講師 西野方庸氏 (関西労働者安全センター事務局長)
場所 クリニックサンルイ 京都市山科区安朱南屋敷町35木下物産ビル4F
第四回 8月6日 (土)14時~16時
テーマ、「原発作業員と放射能被爆障害」(予定)その他 映画の上映
講師 長尾和宏医師 (長尾クリニック)
場所 クリニックサンルイ 京都市山科区安朱南屋敷町35木下物産ビル4F
第五回 2011 年9 月3 日( 土) 14 時
テーマ「被曝労働者の職業病への治療 谷口プロジェクト」(予定されている課題)
講師: 谷口修一医師 (虎ノ門病院 血液内科部長)
講演会シリーズ「医師・専門家からみた福島原発事故」の開催
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_25.html
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_25.html
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関連ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
2、ブログ文書集「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
3、ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html
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三石博行のホームページ
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/
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2011年㋅20日 誤字修正
2011年7月9日 YouTube動画変更
2011年7月16日 YouTube動画変更(1/4 音声)
哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠である。言い換えると哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言える。また、哲学の入り口は生活点検作業である。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれるため、日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、反省と呼ばれる遡行作業を哲学は提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検する方法である。生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶ。そして、他者と共感しない哲学は意味を持たない。そこで、私の哲学を点検するためにこのブログを書くことにした。 2011年1月5日 三石博行 (MITSUISHI Hiroyuki)
2011年5月31日火曜日
2011年4月26日火曜日
震災・津波被害からの復興と原発事故対策を分けて対策を立てる必要性
震災に強い国を作る(3)B
三石博行
東日本大震災罹災者と福島原発事故罹災者は異なる立場にある
今回の東日本大震災からの復興構想を考える時、過去に例のない非常に大きな問題は、東電福島第一原発事故が起こったことである。この事故によって、阪神淡路大震災等のこれまでの自然災害にたいする復興活動と異なる課題を抱えた。
4月24日、第二回目の「東日本大震災復興構想会議」(1)後、NHKで会議参加者を集め公開議論がなされた。その報道を見ている国民は、今回の東日本大震災が抱える課題の深刻さに気付いたと思う。何故なら、その場にいた復興構想会議のメンバーで、震災と津波の被害を抱えている立場と東電原発事故を併合している人々の議論の立て方が異なることに気付いたからである。
つまり、東日本大震災復興とは災害はすでに起こり、その被害が残り、そこからどのようにして生活の場を復旧し復興するかという立場にある人々の課題である。従って、復興構想会議の基本的な立場には、被害が現在進行形で進んでいる福島原発事故の罹災者の立場が組み込まれないことになる。
つまり、今回の東日本大震災は二つの課題を持つ。一つは震災・津波で受けた大災害からの復旧復興の課題である。もう一つは現在進行しつつあり、今後その被害がどこまで進行するか未定の状況におかれている福島原発事故の罹災者が抱える被害からの救済と進行形の災害を食い止める課題である。
東日本大震災復興構想会議への提案 二つの異なる課題への対策部会の形成
その二つの異なる課題を分けないで復興構想会議が今後も行われることが、両方の立場に人々にとって不幸な事態が生じる可能性がある。何故なら、一つ目の、震災・津波で受けた大災害からの復旧復興の課題に取り組む人々は、その速度が遅くなる可能性がある。もう一つ目の、福島原発事故の罹災者が抱える被害からの救済を課題にしている人々は、被害は進行しつつあるため、震災復興の議論が自分達と縁遠く感じる可能性がある。
東日本大震災復興構想会議は、この二つの課題を分けて、震災津波の被害を受けた地域、岩手県や宮城県の人々への対応と、それに加えて原発事故の被害を受けつつある地域、主に福島県の人々への対応を分ける方が、復興構想会議の作業効率が上がると思える。
また、原発事故は現在進行形であり、こらから放射能が拡散する地域や震災被害を受けていないが原発事故による風評被害を受けている地域もある。つまり原発事故被害地域は、現在未定であり、今後さらに広がる可能性を持つ。その意味で、原発被害に関する部会を作り、その課題に対応した議論を行う方が復興会議としては運営しやすいのである。
特に、原発事故に関する復興構想会議部会は、原発被害救済のみでなく、現在の原発の安全管理や危機管理に関する提案、さらにはエネルギー政策にまで踏み込んだ議論を展開しなければならないだろう。その議論を、国民運動として展開するためにも、復興構想会議が原発事故の部会を形成した方がより目的や課題を明確に国民に示すことができ、より有効な将来への議論が展開されるだろう。
参考資料
(1)内閣官房 「東日本大震災復興構想会議」
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年4月27日 修正(誤字)
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三石博行
東日本大震災罹災者と福島原発事故罹災者は異なる立場にある
今回の東日本大震災からの復興構想を考える時、過去に例のない非常に大きな問題は、東電福島第一原発事故が起こったことである。この事故によって、阪神淡路大震災等のこれまでの自然災害にたいする復興活動と異なる課題を抱えた。
4月24日、第二回目の「東日本大震災復興構想会議」(1)後、NHKで会議参加者を集め公開議論がなされた。その報道を見ている国民は、今回の東日本大震災が抱える課題の深刻さに気付いたと思う。何故なら、その場にいた復興構想会議のメンバーで、震災と津波の被害を抱えている立場と東電原発事故を併合している人々の議論の立て方が異なることに気付いたからである。
つまり、東日本大震災復興とは災害はすでに起こり、その被害が残り、そこからどのようにして生活の場を復旧し復興するかという立場にある人々の課題である。従って、復興構想会議の基本的な立場には、被害が現在進行形で進んでいる福島原発事故の罹災者の立場が組み込まれないことになる。
つまり、今回の東日本大震災は二つの課題を持つ。一つは震災・津波で受けた大災害からの復旧復興の課題である。もう一つは現在進行しつつあり、今後その被害がどこまで進行するか未定の状況におかれている福島原発事故の罹災者が抱える被害からの救済と進行形の災害を食い止める課題である。
東日本大震災復興構想会議への提案 二つの異なる課題への対策部会の形成
その二つの異なる課題を分けないで復興構想会議が今後も行われることが、両方の立場に人々にとって不幸な事態が生じる可能性がある。何故なら、一つ目の、震災・津波で受けた大災害からの復旧復興の課題に取り組む人々は、その速度が遅くなる可能性がある。もう一つ目の、福島原発事故の罹災者が抱える被害からの救済を課題にしている人々は、被害は進行しつつあるため、震災復興の議論が自分達と縁遠く感じる可能性がある。
東日本大震災復興構想会議は、この二つの課題を分けて、震災津波の被害を受けた地域、岩手県や宮城県の人々への対応と、それに加えて原発事故の被害を受けつつある地域、主に福島県の人々への対応を分ける方が、復興構想会議の作業効率が上がると思える。
また、原発事故は現在進行形であり、こらから放射能が拡散する地域や震災被害を受けていないが原発事故による風評被害を受けている地域もある。つまり原発事故被害地域は、現在未定であり、今後さらに広がる可能性を持つ。その意味で、原発被害に関する部会を作り、その課題に対応した議論を行う方が復興会議としては運営しやすいのである。
特に、原発事故に関する復興構想会議部会は、原発被害救済のみでなく、現在の原発の安全管理や危機管理に関する提案、さらにはエネルギー政策にまで踏み込んだ議論を展開しなければならないだろう。その議論を、国民運動として展開するためにも、復興構想会議が原発事故の部会を形成した方がより目的や課題を明確に国民に示すことができ、より有効な将来への議論が展開されるだろう。
参考資料
(1)内閣官房 「東日本大震災復興構想会議」
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年4月27日 修正(誤字)
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国民運動としての東日本大震災復興構想会議の構築を
震災に強い国を作る(3)A
三石博行
国民運動としての東日本大震災復興活動を展開
民主党管政権は「東日本大震災復興構想会議」を4月14日に立ち上げた。災害から1ヶ月が経過した早い段階、つまり罹災地が「復旧」に専念している中で、敢えて政府が「復興構想」に向けたプロジェクトが発足した。その意味は、災害に強い国を災害の復旧段階から目指すためである。その趣旨は阪神淡路大震災でも議論され、新しい街神戸への復興を前提とした復旧活動の流れによって、現在の関西で最も活発な街・神戸を創り上げたのである。
こうした政府の「東日本大震災復興構想会議」の大きな方向に国民は賛成している。確かに、報道機関がその組織運営に対して、批判を行っているが、それらの批判は「東日本大震災復興構想会議」が目指す大きな方針への批判ではない。寧ろ、「東日本大震災復興構想会議」を国民的な運動にするべく批判的に検討しているように思える。
つまり、今、わが国は国全体の力を結集して、災害復興のための国民運動を作り上げることは大切なことであり、進めなければならないのである。待ったなしの対策、速やかな実現、情報公開による多くの人々からの点検と参画、国を挙げて取り組まなければならない。
特に、政治が問題である。政治の課題は速やかな罹災者の救済と復旧・復興である。特に、生活基盤を失った人々の救済、企業活動の再建は急がれている。従って、すべての政党は、政府への批判を語るなら、まず、党利党略を優先する政局を語る前に、苦しむ日本を救うために、「東日本大震災復興構想会議」を否定するのでなく、その組織運営や活動方針に対して具体的で前向きの批判と参画を行うべきである。
また、民主党管政権も、これまでのように、あらゆる政党、異なる意見の人々、特に罹災地の人々、企業人、大学人、官僚、地方自治体、民間人のすべての人々に、参画を呼びかけ、国民運動としての「東日本大震災復興構想会議」の方向を常に示す努力が必要となるだろう。
国民運動として「東日本大震災復興構想会議」を組織するために
4月24日の第二回会議の後、NHKは会議参加者を集めて、「東日本大震災復興構想会議」(以後、復興構想会議と称す)での課題を国民に紹介した。復興構想会議を国民運動として盛り上げてゆくためには、公共放送の果たす役割は大きい。
その意味で、今後も、NHKを始め他の報道機関でも積極的に、復興構想会議の議論、委員の意見、政府の判断、そして、それらの意見が政治に反映される過程、国会での議論や意見を積極的に報道し、国民の参加、つまり、批判や提案などの意見を求めなければならないだろう。
始まったばかりの復興構想会議の情報を政府はインターネットですべて公開している。(1) 復興構想会議で議論される課題や内容に関する情報をすべて公開している政府の姿勢は、この復興構想会議を国民全体に公開し、評価させ、参画させる姿勢の現れである。この政府と復興構想会議の姿勢は評価すべきである。
更に、この復興構想会議を国民運動に成長させるために、求められることは、政府中心から地域社会へと議論の環を広げることである。そのためには、特に罹災地の現場の意見を反映させる会議の方向が求められる。そのためには、復興構想会議のメンバーが罹災地の人々と共に復興構想に関する話し合いや提案活動を行う必要があるだろう。また、専門家のメンバーは関連学会に呼びかけ、広く多くの研究者の参画を呼びかける運動が必要となるだろう。
つまり、復興構想会議の活動を国民運動とする考え方を会議のメンバーが共有し、会議の情報を公開し、報道機関の協力を得て議論を公開し、さらに色々な意見を収集するために現地罹災者の意見、積極的に復興構想を提案しうる人々の参画を保障する活動が求められている。
政府はその意味で、国民運動に展開する復興構想会議への基本的指針を社会に訴え、そして復興構想会議のメンバーとその考えを共有し、彼らの活動を会議という限定された場から、日常の場へと展開できる支援を行うべきだろう。
参考資料
(1)内閣官房 「東日本大震災復興構想会議」
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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三石博行
国民運動としての東日本大震災復興活動を展開
民主党管政権は「東日本大震災復興構想会議」を4月14日に立ち上げた。災害から1ヶ月が経過した早い段階、つまり罹災地が「復旧」に専念している中で、敢えて政府が「復興構想」に向けたプロジェクトが発足した。その意味は、災害に強い国を災害の復旧段階から目指すためである。その趣旨は阪神淡路大震災でも議論され、新しい街神戸への復興を前提とした復旧活動の流れによって、現在の関西で最も活発な街・神戸を創り上げたのである。
こうした政府の「東日本大震災復興構想会議」の大きな方向に国民は賛成している。確かに、報道機関がその組織運営に対して、批判を行っているが、それらの批判は「東日本大震災復興構想会議」が目指す大きな方針への批判ではない。寧ろ、「東日本大震災復興構想会議」を国民的な運動にするべく批判的に検討しているように思える。
つまり、今、わが国は国全体の力を結集して、災害復興のための国民運動を作り上げることは大切なことであり、進めなければならないのである。待ったなしの対策、速やかな実現、情報公開による多くの人々からの点検と参画、国を挙げて取り組まなければならない。
特に、政治が問題である。政治の課題は速やかな罹災者の救済と復旧・復興である。特に、生活基盤を失った人々の救済、企業活動の再建は急がれている。従って、すべての政党は、政府への批判を語るなら、まず、党利党略を優先する政局を語る前に、苦しむ日本を救うために、「東日本大震災復興構想会議」を否定するのでなく、その組織運営や活動方針に対して具体的で前向きの批判と参画を行うべきである。
また、民主党管政権も、これまでのように、あらゆる政党、異なる意見の人々、特に罹災地の人々、企業人、大学人、官僚、地方自治体、民間人のすべての人々に、参画を呼びかけ、国民運動としての「東日本大震災復興構想会議」の方向を常に示す努力が必要となるだろう。
国民運動として「東日本大震災復興構想会議」を組織するために
4月24日の第二回会議の後、NHKは会議参加者を集めて、「東日本大震災復興構想会議」(以後、復興構想会議と称す)での課題を国民に紹介した。復興構想会議を国民運動として盛り上げてゆくためには、公共放送の果たす役割は大きい。
その意味で、今後も、NHKを始め他の報道機関でも積極的に、復興構想会議の議論、委員の意見、政府の判断、そして、それらの意見が政治に反映される過程、国会での議論や意見を積極的に報道し、国民の参加、つまり、批判や提案などの意見を求めなければならないだろう。
始まったばかりの復興構想会議の情報を政府はインターネットですべて公開している。(1) 復興構想会議で議論される課題や内容に関する情報をすべて公開している政府の姿勢は、この復興構想会議を国民全体に公開し、評価させ、参画させる姿勢の現れである。この政府と復興構想会議の姿勢は評価すべきである。
更に、この復興構想会議を国民運動に成長させるために、求められることは、政府中心から地域社会へと議論の環を広げることである。そのためには、特に罹災地の現場の意見を反映させる会議の方向が求められる。そのためには、復興構想会議のメンバーが罹災地の人々と共に復興構想に関する話し合いや提案活動を行う必要があるだろう。また、専門家のメンバーは関連学会に呼びかけ、広く多くの研究者の参画を呼びかける運動が必要となるだろう。
つまり、復興構想会議の活動を国民運動とする考え方を会議のメンバーが共有し、会議の情報を公開し、報道機関の協力を得て議論を公開し、さらに色々な意見を収集するために現地罹災者の意見、積極的に復興構想を提案しうる人々の参画を保障する活動が求められている。
政府はその意味で、国民運動に展開する復興構想会議への基本的指針を社会に訴え、そして復興構想会議のメンバーとその考えを共有し、彼らの活動を会議という限定された場から、日常の場へと展開できる支援を行うべきだろう。
参考資料
(1)内閣官房 「東日本大震災復興構想会議」
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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民主主義社会での裁判制度と正義
人権学からみた裁判制度
三石博行
一次人権課題と正義の判定基準
マイケル・サンデル教授が「正義の話をしよう」と呼びかける時、そこで語られる正義とは何かという疑問が生じる。一般に、正義という意味は悪(不正義)という意味を片方に必要としている。正義という概念が一般的に成立するためには、その意味がどの社会でも、どの人々にも共通する意味を持たなければならない。
もし、その意味がある社会である人々のしか理解されないなら、正義という概念は、社会的役割やその立場から主張される何らかの社会合理性や正当性に関する意見であると言える。すると異なる社会的立場の数に比例して正義の数も増えることになる。
しかし、どの社会でも人命や財産を奪う行為は正義とは呼ばれない。人を殺す。人の財産を奪う。これらの行為はどの時代のどの社会でも悪である。つまり、一般的に正義という意味が存在するなら、これらの行為、人命や財産を奪うことを止める行為であると理解していいだろう。
すでに人権学の成立条件を考える中で、自己保存系の基本条件、個人の生命や家族を維持する最低限の生活資源を確保(もしくは不足)することを一次人権課題(1)と考えた。この一次人権課題、つまり生命や生存するために必要な最低限の生活条件や生活環境の課題に触れることが「正義」と「悪」の条件を決めることになる。
二人の相反する利害への社会的判断、社会的に解釈される正しさの判定基準
しかし、人権学で述べられる二次人権課題(1)、つまり豊かな生活や社会環境を作り個人や集団の生活の質(QOL)を高めることは、社会集団の利害関係を例に取れば、必ずしも社会全体に共通する課題とならないことが生じている。もし、社会全体の課題となっても、例えば領土問題のように、他の社会と対立する場合もある。
その意味で、その二次人権課題は社会集団によってその人権課題を達成することを正義と考えるなら、社会集団によって正義の意味が異なることになる。つまり、二次人権課題は、ある個人や社会集団にしか理解されないため、そこで主張される正義という概念は、その社会集団や個人の社会的役割やその立場からの主張であると言える。そこで二次人権課題は異なる社会的立場によって異なる正義の主張が存在するのである。
例を用いて説明しよう。例えば、利害の反する隣同士の住民AとBが居たとする。AはBの家から毎日臭う中華料理の臭いが嫌いである。つまり、AにとってBは決まって夕食時に悪臭を放していると感じている。しかし、Bは中華料理が大好きでその匂いを悪臭とは感じない。Aが夏には窓を開けっ放しで中華料理をしないで欲しいと要求したとしても、その要求を認める訳には行かない。
AはBの行為、夏に窓を開けっぱなしにして中華料理の匂いが隣のBの家に入り込むことを何とも思っていない行為は正しくないと思う。Bは料理をするのは人間の当たり前の行為であり、料理の匂いを迷惑と言われることが納得できないと思う。
こうして二人の立場から全くことなる主張がなされ、それぞれの主張の理由が成立している。二人がそれぞれに主観的に正しいと思うことも、第三者から観るなら、その二人の立場に違いの意見の相違に過ぎないと解釈されるだろう。つまり、社会で呼ばれる正義(正しいという主張)は社会的利害関係を前提にして成立するそれらの人々の立場から主張されたそれらの人々の意見や見解の正当性、もしくはその意見が持つ主観的な合理性への解釈に過ぎないのである。
従って、一般に、民事裁判で争われる正当性の論争は、上記した二つ以上の社会的立場の違いによって生み出される利害関係と利害内容に関して生じる。そこで、この場合の「正しい」と「誤っている」の判断は、それらの利害関係を民法に照らしあわし、またこれまでの判例に即して、二つの一方が選択されるケースもあるが、一般に、相互の立場の違いによる利害性を計量することになる。
つまり、相互の立場上生じる利害の内容、不利益を受ける内容を裁判所が法律の解釈、これまでの判例に照らし合わせて、判定することになる。これが、非常に一般的な社会での正しさを判定する方法として採用されている手段である。
弱い立場と強い立場の調整機能・法人
社会的立場の違いによる社会合理性の主張によって生じる主観的な見解が「正義」と呼ばれるものであり、その「正義」は社会相対的にしか成立しないと解釈するなら、すべての人々に共通する正義はないという結論になる。
前記したように隣同士の住民という双方が同じ社会的立場に立つ場合には、立場上乗じる利害関係での判断基準は、民法上の決まりや判例によって決定される。しかし、立場の異なる二人の人間、例えば雇用者と使用人の関係では、日常的に使用人の立場は雇用者に対して弱い立場に立たされている。この場合、使用人(勤労者)の基本的な人権(命や健康、経済的生活権)を守るために、労働基準法、労働安全衛生法がある。また、労働組合法によって、勤労者が個人でなく組織として雇用者と、労働条件の改善を含めて、雇用条件に関して話し合う権利を保障されている。
つまり、使用者と雇い人という関係では、日常的に強い立場と弱い立場が明らかである。そのため、勤労者の人権を守るためには、少なくとも二つの立場を対等な位置に持っていく必要がある。もし、二つの立場が法的に対等化されるなら、そこでそれぞれの立場からの主張に関する評価が法的に成立可能となる。
これが、勤労者に労働組合を社会的(法的)認める根拠である。組合を作ることで、雇用者が背景とする会社という組織に対する対等な立場を得ることになる。会社の社長も元々、組合に参加している職員と同じように雇われの身である場合には、社長は会社という組織を背負い、個人でなく、会社のために経営判断を行う。その立場と同じものを職員に与えたのが組合である。
会社が会社関連法によって運営されるように、組合も組合法によって運営される。組合の執行部は組合員から民主的に選ばれ、労働組合法を守り、また企業と契約している労使協定に即して、組合執行活動を執り行っている。
会社執行部も同じである。会社法に基づき、会社の経営を守るために、会社を運営している。こうして、個人として雇用者と会社組織の役職(権限)を持つ役員との上下関係から、対等な労働組合と企業との関係を成立させることによって、二つの異なる利害関係を持つ立場の違いを前提にした協議が可能となる。これが民主主義社会の選んだ紛争解決の手段である。
つまり、弱い立場と強い立場では、弱い立場の利害が常に強い立場に侵害されるために、基本的に二つの利害関係の解決を見出すことは出来ない。そこで、対等な立場を前提にした話し合いを設定する。それが労働組合法である。その労働組合法によって、結果的には、勤労者が持つ労働力資源を健全な形で維持することが出来ることを長い民主主義の歴史で我々は学んできたのである。
民主主義社会での裁判制度
民主主義の社会では、人々の社会的関係は立場の違いによって成立していることを理解している。その立場の違いを前提にして、一つは共同行動を法律に基づく契約という方法で取り結び、もう一つは紛争解決を法律に基づく裁判という手段で解決するのである。
市民社会の成立する以前の社会、つまり社会契約思想のない社会では、利害を異にする立場の共存・民主主義社会の成立条件に関する考え方がない。支配者と被支配者の役割固定制度から生まれる社会的正義と悪との二分関係で語られた他者への判断方法を社会的立場の違いによって生じる権利上の問題として語ることも、またその解決のために相互の利害性を計量化し判断することも不可能であった。
社会対立に関する中世社会的な思想、つまり社会的対立を正義と悪の関係として判断することから、社会対立に関する近代的な思想、つまり社会的利害の関係として解釈することの変化の背景には、対立する二つの立場の主張を認め、それらの主張を憲法・法律によって評価する作業が前提となっている。
つまり、二つの権利主張の権利は平等に認められ、それぞれの主張が社会全体の機能(社会制度の運用)の中でその主張の合理性を検証され、その意味で、それらの主張が社会的公共性や有用性の評価軸に相対化される。つまり、それぞれ権利の主張は、司法機関(裁判所)によって法律解釈や判例によって、評価解釈され、それらの主張する権利が査定される。その査定結果が司法で下す判決である。
勿論、裁判所では、二つの権利主張に対して、善悪を問いかけているのではない。その主張されている権利が法律的に妥当であるか、若しくは社会的に正当であるかという観点から、それぞれの権利主張を相対的に査定するのである。相対的に査定するもっとも一般的な手段として「和解」を提案することになる。
もし、和解がその両者の一方によって受け入れられなければ、司法本来の手続きで、査定を行うことになる。これが裁判と呼ばれるものである。一般に、二次人権課題の触れる裁判を民事裁判と呼んでいる。
しかし、殺人や強盗など生命や財産の保護に関する一次人権課題に触れる裁判を刑事裁判と呼んでいる。この裁判には被告と原告の間に和解はない。国が定めた刑法によって、被告の刑罰が決められることになる。つまり、有罪か無罪の二つに一つしかない。その場合、社会(司法制度を持つ)は、有罪なら悪、無罪なら悪でないと判断したことになる。
参考資料
(1)三石博行 「人権学 ‐三つの人権概念の定義‐」
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_2567.html
三石博行
一次人権課題と正義の判定基準
マイケル・サンデル教授が「正義の話をしよう」と呼びかける時、そこで語られる正義とは何かという疑問が生じる。一般に、正義という意味は悪(不正義)という意味を片方に必要としている。正義という概念が一般的に成立するためには、その意味がどの社会でも、どの人々にも共通する意味を持たなければならない。
もし、その意味がある社会である人々のしか理解されないなら、正義という概念は、社会的役割やその立場から主張される何らかの社会合理性や正当性に関する意見であると言える。すると異なる社会的立場の数に比例して正義の数も増えることになる。
しかし、どの社会でも人命や財産を奪う行為は正義とは呼ばれない。人を殺す。人の財産を奪う。これらの行為はどの時代のどの社会でも悪である。つまり、一般的に正義という意味が存在するなら、これらの行為、人命や財産を奪うことを止める行為であると理解していいだろう。
すでに人権学の成立条件を考える中で、自己保存系の基本条件、個人の生命や家族を維持する最低限の生活資源を確保(もしくは不足)することを一次人権課題(1)と考えた。この一次人権課題、つまり生命や生存するために必要な最低限の生活条件や生活環境の課題に触れることが「正義」と「悪」の条件を決めることになる。
二人の相反する利害への社会的判断、社会的に解釈される正しさの判定基準
しかし、人権学で述べられる二次人権課題(1)、つまり豊かな生活や社会環境を作り個人や集団の生活の質(QOL)を高めることは、社会集団の利害関係を例に取れば、必ずしも社会全体に共通する課題とならないことが生じている。もし、社会全体の課題となっても、例えば領土問題のように、他の社会と対立する場合もある。
その意味で、その二次人権課題は社会集団によってその人権課題を達成することを正義と考えるなら、社会集団によって正義の意味が異なることになる。つまり、二次人権課題は、ある個人や社会集団にしか理解されないため、そこで主張される正義という概念は、その社会集団や個人の社会的役割やその立場からの主張であると言える。そこで二次人権課題は異なる社会的立場によって異なる正義の主張が存在するのである。
例を用いて説明しよう。例えば、利害の反する隣同士の住民AとBが居たとする。AはBの家から毎日臭う中華料理の臭いが嫌いである。つまり、AにとってBは決まって夕食時に悪臭を放していると感じている。しかし、Bは中華料理が大好きでその匂いを悪臭とは感じない。Aが夏には窓を開けっ放しで中華料理をしないで欲しいと要求したとしても、その要求を認める訳には行かない。
AはBの行為、夏に窓を開けっぱなしにして中華料理の匂いが隣のBの家に入り込むことを何とも思っていない行為は正しくないと思う。Bは料理をするのは人間の当たり前の行為であり、料理の匂いを迷惑と言われることが納得できないと思う。
こうして二人の立場から全くことなる主張がなされ、それぞれの主張の理由が成立している。二人がそれぞれに主観的に正しいと思うことも、第三者から観るなら、その二人の立場に違いの意見の相違に過ぎないと解釈されるだろう。つまり、社会で呼ばれる正義(正しいという主張)は社会的利害関係を前提にして成立するそれらの人々の立場から主張されたそれらの人々の意見や見解の正当性、もしくはその意見が持つ主観的な合理性への解釈に過ぎないのである。
従って、一般に、民事裁判で争われる正当性の論争は、上記した二つ以上の社会的立場の違いによって生み出される利害関係と利害内容に関して生じる。そこで、この場合の「正しい」と「誤っている」の判断は、それらの利害関係を民法に照らしあわし、またこれまでの判例に即して、二つの一方が選択されるケースもあるが、一般に、相互の立場の違いによる利害性を計量することになる。
つまり、相互の立場上生じる利害の内容、不利益を受ける内容を裁判所が法律の解釈、これまでの判例に照らし合わせて、判定することになる。これが、非常に一般的な社会での正しさを判定する方法として採用されている手段である。
弱い立場と強い立場の調整機能・法人
社会的立場の違いによる社会合理性の主張によって生じる主観的な見解が「正義」と呼ばれるものであり、その「正義」は社会相対的にしか成立しないと解釈するなら、すべての人々に共通する正義はないという結論になる。
前記したように隣同士の住民という双方が同じ社会的立場に立つ場合には、立場上乗じる利害関係での判断基準は、民法上の決まりや判例によって決定される。しかし、立場の異なる二人の人間、例えば雇用者と使用人の関係では、日常的に使用人の立場は雇用者に対して弱い立場に立たされている。この場合、使用人(勤労者)の基本的な人権(命や健康、経済的生活権)を守るために、労働基準法、労働安全衛生法がある。また、労働組合法によって、勤労者が個人でなく組織として雇用者と、労働条件の改善を含めて、雇用条件に関して話し合う権利を保障されている。
つまり、使用者と雇い人という関係では、日常的に強い立場と弱い立場が明らかである。そのため、勤労者の人権を守るためには、少なくとも二つの立場を対等な位置に持っていく必要がある。もし、二つの立場が法的に対等化されるなら、そこでそれぞれの立場からの主張に関する評価が法的に成立可能となる。
これが、勤労者に労働組合を社会的(法的)認める根拠である。組合を作ることで、雇用者が背景とする会社という組織に対する対等な立場を得ることになる。会社の社長も元々、組合に参加している職員と同じように雇われの身である場合には、社長は会社という組織を背負い、個人でなく、会社のために経営判断を行う。その立場と同じものを職員に与えたのが組合である。
会社が会社関連法によって運営されるように、組合も組合法によって運営される。組合の執行部は組合員から民主的に選ばれ、労働組合法を守り、また企業と契約している労使協定に即して、組合執行活動を執り行っている。
会社執行部も同じである。会社法に基づき、会社の経営を守るために、会社を運営している。こうして、個人として雇用者と会社組織の役職(権限)を持つ役員との上下関係から、対等な労働組合と企業との関係を成立させることによって、二つの異なる利害関係を持つ立場の違いを前提にした協議が可能となる。これが民主主義社会の選んだ紛争解決の手段である。
つまり、弱い立場と強い立場では、弱い立場の利害が常に強い立場に侵害されるために、基本的に二つの利害関係の解決を見出すことは出来ない。そこで、対等な立場を前提にした話し合いを設定する。それが労働組合法である。その労働組合法によって、結果的には、勤労者が持つ労働力資源を健全な形で維持することが出来ることを長い民主主義の歴史で我々は学んできたのである。
民主主義社会での裁判制度
民主主義の社会では、人々の社会的関係は立場の違いによって成立していることを理解している。その立場の違いを前提にして、一つは共同行動を法律に基づく契約という方法で取り結び、もう一つは紛争解決を法律に基づく裁判という手段で解決するのである。
市民社会の成立する以前の社会、つまり社会契約思想のない社会では、利害を異にする立場の共存・民主主義社会の成立条件に関する考え方がない。支配者と被支配者の役割固定制度から生まれる社会的正義と悪との二分関係で語られた他者への判断方法を社会的立場の違いによって生じる権利上の問題として語ることも、またその解決のために相互の利害性を計量化し判断することも不可能であった。
社会対立に関する中世社会的な思想、つまり社会的対立を正義と悪の関係として判断することから、社会対立に関する近代的な思想、つまり社会的利害の関係として解釈することの変化の背景には、対立する二つの立場の主張を認め、それらの主張を憲法・法律によって評価する作業が前提となっている。
つまり、二つの権利主張の権利は平等に認められ、それぞれの主張が社会全体の機能(社会制度の運用)の中でその主張の合理性を検証され、その意味で、それらの主張が社会的公共性や有用性の評価軸に相対化される。つまり、それぞれ権利の主張は、司法機関(裁判所)によって法律解釈や判例によって、評価解釈され、それらの主張する権利が査定される。その査定結果が司法で下す判決である。
勿論、裁判所では、二つの権利主張に対して、善悪を問いかけているのではない。その主張されている権利が法律的に妥当であるか、若しくは社会的に正当であるかという観点から、それぞれの権利主張を相対的に査定するのである。相対的に査定するもっとも一般的な手段として「和解」を提案することになる。
もし、和解がその両者の一方によって受け入れられなければ、司法本来の手続きで、査定を行うことになる。これが裁判と呼ばれるものである。一般に、二次人権課題の触れる裁判を民事裁判と呼んでいる。
しかし、殺人や強盗など生命や財産の保護に関する一次人権課題に触れる裁判を刑事裁判と呼んでいる。この裁判には被告と原告の間に和解はない。国が定めた刑法によって、被告の刑罰が決められることになる。つまり、有罪か無罪の二つに一つしかない。その場合、社会(司法制度を持つ)は、有罪なら悪、無罪なら悪でないと判断したことになる。
参考資料
(1)三石博行 「人権学 ‐三つの人権概念の定義‐」
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_2567.html
2011年4月25日月曜日
講演シリーズ「医者・専門家から見た福島原発事故」を開催
三石博行
NPO法人京都・奈良EU協会京都講演会
NPO法人京都・奈良EU協会では、講演会シリーズ「医師からみた福島原発事故」を行っています。これまで放射能健康障害を専門にする医師や原子力発電に関する専門家を招き、原発事故で発生する放射能の人体への影響、原発の安全性等に関する講演を企画しています。
講演会
第一回 5月14日(土)14時~16時
テーマ、「放射能による健康障害と放射線による病気の克服」
講師 平岡諦先生 (大阪中央病院顧問)
場所 クリニックサンルイセミナールーム
京都市山科区安朱南屋敷町35木下物産ビル4F
http://www.cslk.jp/
講演の様子をYouTubで紹介しています。
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/05/youtube.html
第二回 6月18日(土)14時~16時
テーマ、「被爆者医療からみた福島原発事故」
講師 郷地秀夫先生 (東神戸診療所)
場所 クリニックサンルイセミナールーム
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/syakai_01_01/lecture110618.pdf
第三回 7月16日 (土)14時~16時
テーマ、「原子力損害賠償制度の正体と労災認定」
講師 西野方庸氏 (関西労働者安全センター事務局長)
場所 クリニックサンルイセミナールーム
第四回 8月6日 (土)14時~16時
テーマ、「福島第一原発事故処理作業員と放射能被爆障害」(予定)
講師 長尾和宏 (長尾クリニック)
場所 クリニックサンルイセミナールーム
第五回 9月3日 (土)14時~16時
テーマ 「被曝労働者の職業病への治療 谷口プロジェクト」(予定)
講師 谷口修一医師 (虎ノ門病院 内科部長)
司会 平岡諦医師 (大阪中央病院顧問)
場所 クリニックサンルイセミナールーム
参加費 無料
会場案内 クリニックサンルイセミナールーム
京都市山科区安朱南屋敷町35木下物産ビル4F
電話 075-583-6866
電車でお越しの方:JR京都線(琵琶湖・湖西線)山科駅から徒歩5分
京阪京津線 山科駅から徒歩1分
地下鉄東西線 山科駅より直結です
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/syakai_01_01.html
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/syakai_01_01/lecture110514.pdf
申込・問い合わせNPO法人京都・奈良EU協会事務局
TEL:070-5072-4862
info@eurokn.com
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NPO法人京都・奈良EU協会京都講演会
NPO法人京都・奈良EU協会では、講演会シリーズ「医師からみた福島原発事故」を行っています。これまで放射能健康障害を専門にする医師や原子力発電に関する専門家を招き、原発事故で発生する放射能の人体への影響、原発の安全性等に関する講演を企画しています。
講演会
第一回 5月14日(土)14時~16時
テーマ、「放射能による健康障害と放射線による病気の克服」
講師 平岡諦先生 (大阪中央病院顧問)
場所 クリニックサンルイセミナールーム
京都市山科区安朱南屋敷町35木下物産ビル4F
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講演の様子をYouTubで紹介しています。
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第二回 6月18日(土)14時~16時
テーマ、「被爆者医療からみた福島原発事故」
講師 郷地秀夫先生 (東神戸診療所)
場所 クリニックサンルイセミナールーム
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/syakai_01_01/lecture110618.pdf
第三回 7月16日 (土)14時~16時
テーマ、「原子力損害賠償制度の正体と労災認定」
講師 西野方庸氏 (関西労働者安全センター事務局長)
場所 クリニックサンルイセミナールーム
第四回 8月6日 (土)14時~16時
テーマ、「福島第一原発事故処理作業員と放射能被爆障害」(予定)
講師 長尾和宏 (長尾クリニック)
場所 クリニックサンルイセミナールーム
第五回 9月3日 (土)14時~16時
テーマ 「被曝労働者の職業病への治療 谷口プロジェクト」(予定)
講師 谷口修一医師 (虎ノ門病院 内科部長)
司会 平岡諦医師 (大阪中央病院顧問)
場所 クリニックサンルイセミナールーム
参加費 無料
会場案内 クリニックサンルイセミナールーム
京都市山科区安朱南屋敷町35木下物産ビル4F
電話 075-583-6866
電車でお越しの方:JR京都線(琵琶湖・湖西線)山科駅から徒歩5分
京阪京津線 山科駅から徒歩1分
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2011年4月21日木曜日
「科学の大衆化」研究と「吉田民人情報科学」の学習
プログラム科学論研究会活動報告(2)
三石博行
2011年3月から4月現在までのプログラム科学論研究会の活動を報告する。この一ヶ月間、二つの研究活動を行っている。一つはEddy VAN DROM氏との「科学の大衆化」に関する研究であり、もうひとつは槇和男氏との「自己組織性の情報科学」読書会である。
Eddy VAN DROM氏との「科学の大衆化」に関する研究
「科学の大衆化」に関する研究活動では、三石博行が1989年にGERSUP「フランスストラスブール第一大学 科学研究に関する人間社会学的研究所」での研究発表時に提出した報告書「La Vulgarisation scientifique comme l`identification du corp social」を基にしながら、日本社会での科学の大衆化の役割についてEddy VAN DROM氏(大阪大学理学博士・宇宙物理学)と分析を行っている。
特に、東電福島第一原子力発電所事故の背景、日本の原子力政策、原発に関する科学技術の大衆化の現状、そのフランスとの比較、等々のデータを用いながら、上記の報告書の批判的点検を行っている。
また、Eddy VAN DROM氏は、科学の大衆化に関する研究ですでに二つの論文(下記に示す)を発表している。それらの研究を展開する意味で、その二つの論文を再度検討しながら、上記した1989年の講演会報告書の分析を行っている。
1、Eddy Van Drom La Vulgarisation Scientifique Baudoin Jurdant : une perspective française 阪南論集 社会科学編 第36巻 第2・3号、2001.1、 pp95-113
2、Eddy Van Drom La Vulgarisation Scientifique (2) Perspective systémique et psychanalytique chez Hiroyuki Mitsuishi 阪南論集 社会科学編 第37巻 第4号、2002.3、 pp89-105
昨日の研究会では、科学の大衆化は社会身体(文化)が社会に登場した新しい科学技術の知識への文化的遺伝子確認作業であるという視点から考えると、科学の大衆化現象と技術改良の社会現象は類似する社会機能・構造から生じている。そのメカニズムを語る課題として吉田民人のプログラム科学論の理論が援用できるだろうという中間的結論に達した。
槇和男氏との「自己組織性の情報科学」読書会
吉田民人先生(以後、吉田民人と呼ぶ)のプログラム科学論・設計科学論を理解するためには、「自己組織系の情報科学」を解読しておかなければならない。しかし、難解の吉田民人のこの著作を完全に読みきるにはかなりの時間と根気が必要である。私も以前、この著書を読み始め、そして中途で何遍もやめてしまった。それぐらい、読み切るためには大変な努力を要請される本の一つである。丁度、廣松渉先生の哲学書を読んだときと同じような状態になる。
20代から30代前半まで京都大学理学部で量子化学の研究をし、その後、花王の研究所で長年研究を続けてきた槇和男氏(京都大学理学博士・量子化学)は非常に幅広い知識人である。物理学、理論化学、統計学、フルート演奏、哲学、言語学、神経生理学、園芸等々、彼の知識活動の幅は非常に広い。彼がプログラム科学論に興味を持ってくれたことが、困難な吉田理論の研究を進める上で大きな力となっている。
「自己組織系の情報科学」第Ⅰ部「情報」では、吉田民人が定義する情報概念を徹底的に解釈、点検、理解しながら一つひとつの文書を読み込んだ。土曜日の午前中4時間を掛けても、2ページしか進まないこともあった。これまで、半年以上続く学習会(毎週一回、3、4時間の読書会)で、我々の読書スピードは平均すると数ページぐらいであった。
吉田民人の情報概念を理解するためには、これまで生物学(遺伝免疫学、神経生理学)、心理学、言語学、社会学で述べられた情報関連概念(遺伝子、脳神経情報、認知心理情報、言語)がすべて対象となる。吉田民人が援用する幅広い先行研究で使われた概念を一つひとつ正確に理解するために、使われている用語を辞書で調べなければならない。インターネットがあるので用語検索は非常に楽になったものの、その用語数が生半可ではない。非常に多い。そのため、一つの文脈を理解するために、30分以上の時間を必要とすることもあった。
そして、漸く、前回の学習会から「自己組織系の情報科学」の第Ⅱ部「情報処理」に入ることが出来た。この章「情報処理」についても、前章と同じように吉田文章との格闘が待っていることは確かだろう。しかし、唯一の希望は、理論や化学の理論計算をするために長年プログラムを書いてきた槇氏の知識がその格闘に役立つということである。
これまでの読書会での我々の解釈を、このブログを通じて報告しなければならない。そのために、再度、これまでの学習会で理解した第Ⅰ部「情報」概念に関するテキスト批評を書かなければならないだろう。
1、槇和男ホームページ「読書と音楽」
http://www.asahi-net.or.jp/~aw7k-mk/books.htm
2、槇和男解説 「吉田民人著 自己組織性の情報科学」(2011年12月)
3、槇和男ホームページ「フルート」岩本由紀子さんとの演奏会(ピアノとフルート)
http://www.asahi-net.or.jp/~aw7k-mk/wma/110224-1.wax
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プログラム科学論・自己組織性の設計科学に関する文書はブログ文書集を見てください。
ブログ文書集「プログラム科学論・自己組織性の設計科学」目次と文書リンク
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/03/blog-post_3891.html
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三石博行
2011年3月から4月現在までのプログラム科学論研究会の活動を報告する。この一ヶ月間、二つの研究活動を行っている。一つはEddy VAN DROM氏との「科学の大衆化」に関する研究であり、もうひとつは槇和男氏との「自己組織性の情報科学」読書会である。
Eddy VAN DROM氏との「科学の大衆化」に関する研究
「科学の大衆化」に関する研究活動では、三石博行が1989年にGERSUP「フランスストラスブール第一大学 科学研究に関する人間社会学的研究所」での研究発表時に提出した報告書「La Vulgarisation scientifique comme l`identification du corp social」を基にしながら、日本社会での科学の大衆化の役割についてEddy VAN DROM氏(大阪大学理学博士・宇宙物理学)と分析を行っている。
特に、東電福島第一原子力発電所事故の背景、日本の原子力政策、原発に関する科学技術の大衆化の現状、そのフランスとの比較、等々のデータを用いながら、上記の報告書の批判的点検を行っている。
また、Eddy VAN DROM氏は、科学の大衆化に関する研究ですでに二つの論文(下記に示す)を発表している。それらの研究を展開する意味で、その二つの論文を再度検討しながら、上記した1989年の講演会報告書の分析を行っている。
1、Eddy Van Drom La Vulgarisation Scientifique Baudoin Jurdant : une perspective française 阪南論集 社会科学編 第36巻 第2・3号、2001.1、 pp95-113
2、Eddy Van Drom La Vulgarisation Scientifique (2) Perspective systémique et psychanalytique chez Hiroyuki Mitsuishi 阪南論集 社会科学編 第37巻 第4号、2002.3、 pp89-105
昨日の研究会では、科学の大衆化は社会身体(文化)が社会に登場した新しい科学技術の知識への文化的遺伝子確認作業であるという視点から考えると、科学の大衆化現象と技術改良の社会現象は類似する社会機能・構造から生じている。そのメカニズムを語る課題として吉田民人のプログラム科学論の理論が援用できるだろうという中間的結論に達した。
槇和男氏との「自己組織性の情報科学」読書会
吉田民人先生(以後、吉田民人と呼ぶ)のプログラム科学論・設計科学論を理解するためには、「自己組織系の情報科学」を解読しておかなければならない。しかし、難解の吉田民人のこの著作を完全に読みきるにはかなりの時間と根気が必要である。私も以前、この著書を読み始め、そして中途で何遍もやめてしまった。それぐらい、読み切るためには大変な努力を要請される本の一つである。丁度、廣松渉先生の哲学書を読んだときと同じような状態になる。
20代から30代前半まで京都大学理学部で量子化学の研究をし、その後、花王の研究所で長年研究を続けてきた槇和男氏(京都大学理学博士・量子化学)は非常に幅広い知識人である。物理学、理論化学、統計学、フルート演奏、哲学、言語学、神経生理学、園芸等々、彼の知識活動の幅は非常に広い。彼がプログラム科学論に興味を持ってくれたことが、困難な吉田理論の研究を進める上で大きな力となっている。
「自己組織系の情報科学」第Ⅰ部「情報」では、吉田民人が定義する情報概念を徹底的に解釈、点検、理解しながら一つひとつの文書を読み込んだ。土曜日の午前中4時間を掛けても、2ページしか進まないこともあった。これまで、半年以上続く学習会(毎週一回、3、4時間の読書会)で、我々の読書スピードは平均すると数ページぐらいであった。
吉田民人の情報概念を理解するためには、これまで生物学(遺伝免疫学、神経生理学)、心理学、言語学、社会学で述べられた情報関連概念(遺伝子、脳神経情報、認知心理情報、言語)がすべて対象となる。吉田民人が援用する幅広い先行研究で使われた概念を一つひとつ正確に理解するために、使われている用語を辞書で調べなければならない。インターネットがあるので用語検索は非常に楽になったものの、その用語数が生半可ではない。非常に多い。そのため、一つの文脈を理解するために、30分以上の時間を必要とすることもあった。
そして、漸く、前回の学習会から「自己組織系の情報科学」の第Ⅱ部「情報処理」に入ることが出来た。この章「情報処理」についても、前章と同じように吉田文章との格闘が待っていることは確かだろう。しかし、唯一の希望は、理論や化学の理論計算をするために長年プログラムを書いてきた槇氏の知識がその格闘に役立つということである。
これまでの読書会での我々の解釈を、このブログを通じて報告しなければならない。そのために、再度、これまでの学習会で理解した第Ⅰ部「情報」概念に関するテキスト批評を書かなければならないだろう。
1、槇和男ホームページ「読書と音楽」
http://www.asahi-net.or.jp/~aw7k-mk/books.htm
2、槇和男解説 「吉田民人著 自己組織性の情報科学」(2011年12月)
3、槇和男ホームページ「フルート」岩本由紀子さんとの演奏会(ピアノとフルート)
http://www.asahi-net.or.jp/~aw7k-mk/wma/110224-1.wax
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プログラム科学論・自己組織性の設計科学に関する文書はブログ文書集を見てください。
ブログ文書集「プログラム科学論・自己組織性の設計科学」目次と文書リンク
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2011年4月20日水曜日
ブログ文書集「大学教育改革論」の目次
目次
三石博行
1、21世紀日本社会のための大学教育改革
1-1、大学の大衆化と問われる大学の社会的機能
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/07/blog-post_8052.html
1-2、現在の三つの大学教育課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/07/blog-post_14.html
1-3、東アジアの高等教育拠点化は可能か
近日公開
2. 大学大衆化による多様化する入学者・先進国型大学の高等教育改革課題
2-1、大学でのリメディアル教育の原因とその課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_28.html
2-2、リメディアル教育とAdvanced Placement(AP)アメリカの高等教育改革から何を学ぶか
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/advanced-placementap.html
2-3、科学技術文明社会に必要な教養教育重視型大学の設置
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_1400.html
3. 教養教育重視型大学の課題
3-1、日本の大学教育の歴史的変遷と教養教育の改革
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_24.html
3-2、PBL(Problem Based Learning )法での教育・学ぶ姿勢の育成
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post.html
3-3、専門教養教育に繋がる基礎学力教育
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_01.html
3-4、教養教育課程を構成する三つの教育課題とその教育内容・科目群
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_3215.html
4. 科学技術文明社会での大学改革の課題
4-1、教養教育重視型大学の社会的機能と教育課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_03.html
4-2、知識の涵養を可能にする基礎的学力・「学ぶ姿勢」の修得
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_08.html
4-3、PBL 参画型教育法 UCSFのPBL・教育課題とJICAの地域開発プログラム
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/pbl-ucsfpbljaic.html
4-4、最先端医学教育 UCSFのJMB(Joint Medical Program)・複数専門知識修得の意味
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/ucsfjmbjoint-medical-program.html
5. 国際社会の中での大学改革の課題
5-1、大衆的な国際化社会のための大学教育の課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/08/1980-pblproblem-basic-learning.html
5-2、教養教育重視型大学の教育開発研究課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_04.html
5-3、地域社会大学コンソーシアムとしての大学間の国際交流の意味
近日公開
5-4、フランスの社会人教育(VAE)の改革
近日公開
6、危機の時代の大学経営問題
6-1、大学改革の新しい局面
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/08/jcast47.html
6-2、学校法人理事会の機能改革
近日公開
6-3、地域社会の教育機能としての運営
近日公開
6-4、地方分権と学校法人の統廃合課題
近日公開
7.科学技術社会と大学教育改革
7-1、科学技術史の視点で観る大学教育改革の課題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2007/12/blog-post_21.html
8. フランスの大学教育改革
8-1、日本とフランスの大学教育改革の課題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2007/12/blog-post_16.html
9. アメリカの大学居行く改革 PBL
9-1、アメリカの大学教授法を紹介したサンデル教授の「白熱教室」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/12/blog-post_08.html
むすび 21世紀社会の形成のために
近日公開
2012年4月11日 変更
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三石博行
1、21世紀日本社会のための大学教育改革
1-1、大学の大衆化と問われる大学の社会的機能
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/07/blog-post_8052.html
1-2、現在の三つの大学教育課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/07/blog-post_14.html
1-3、東アジアの高等教育拠点化は可能か
近日公開
2. 大学大衆化による多様化する入学者・先進国型大学の高等教育改革課題
2-1、大学でのリメディアル教育の原因とその課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_28.html
2-2、リメディアル教育とAdvanced Placement(AP)アメリカの高等教育改革から何を学ぶか
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/advanced-placementap.html
2-3、科学技術文明社会に必要な教養教育重視型大学の設置
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_1400.html
3. 教養教育重視型大学の課題
3-1、日本の大学教育の歴史的変遷と教養教育の改革
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_24.html
3-2、PBL(Problem Based Learning )法での教育・学ぶ姿勢の育成
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post.html
3-3、専門教養教育に繋がる基礎学力教育
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_01.html
3-4、教養教育課程を構成する三つの教育課題とその教育内容・科目群
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_3215.html
4. 科学技術文明社会での大学改革の課題
4-1、教養教育重視型大学の社会的機能と教育課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_03.html
4-2、知識の涵養を可能にする基礎的学力・「学ぶ姿勢」の修得
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_08.html
4-3、PBL 参画型教育法 UCSFのPBL・教育課題とJICAの地域開発プログラム
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/pbl-ucsfpbljaic.html
4-4、最先端医学教育 UCSFのJMB(Joint Medical Program)・複数専門知識修得の意味
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/ucsfjmbjoint-medical-program.html
5. 国際社会の中での大学改革の課題
5-1、大衆的な国際化社会のための大学教育の課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/08/1980-pblproblem-basic-learning.html
5-2、教養教育重視型大学の教育開発研究課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_04.html
5-3、地域社会大学コンソーシアムとしての大学間の国際交流の意味
近日公開
5-4、フランスの社会人教育(VAE)の改革
近日公開
6、危機の時代の大学経営問題
6-1、大学改革の新しい局面
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/08/jcast47.html
6-2、学校法人理事会の機能改革
近日公開
6-3、地域社会の教育機能としての運営
近日公開
6-4、地方分権と学校法人の統廃合課題
近日公開
7.科学技術社会と大学教育改革
7-1、科学技術史の視点で観る大学教育改革の課題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2007/12/blog-post_21.html
8. フランスの大学教育改革
8-1、日本とフランスの大学教育改革の課題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2007/12/blog-post_16.html
9. アメリカの大学居行く改革 PBL
9-1、アメリカの大学教授法を紹介したサンデル教授の「白熱教室」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/12/blog-post_08.html
むすび 21世紀社会の形成のために
近日公開
2012年4月11日 変更
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災害時の危機管理を前提としたネットワーク型の社会形成
災害に強い国を作る(2)C
三石博行
東日本(東海岸)大震災でのソーシャルメディア(SNS)の役割
2011年3月29日のNHKクローズアップ現代 「いま、私たちにできること ~“ソーシャルメディア”支援~」(1)でソーシャルネットワークサービス(SNS)を活用した安否情報検索システム、グーグルマップでの罹災地マップ作り、地図から罹災地の生活情報検索できるシステムや災害情報の手話ニュース発信等々の情報ボランティア活動が紹介された。
クローズアップ現代で報道されたソーシャルメディアによるボランティア活動の一例を紹介しよう。一人の情報技術者の男性(情報企業の経営者)が東日本大震災に対して何かできることはないかと考えていた。その時、彼はTwitter で非常に多くの安否情報が流されていることを知った。そして、安否情報を確認したい人々が多くいること、それに対して何か協力しようと考えた。自分の専門知識を活かして安否情報をインターネット上で検索できるプログラムを作ったのである。
しかし、その検索システムを動かすためには、Twitter上の安否情報のデータベースを作ならなければならなかった。そこで再びソーシャルネットワークサービス(SNS)を活用して安否情報の入力ボランティアを呼びかけた。その呼びかけに全国からデータベース入力作業ボランティアが集まる。そして、SNSで繋がった日本全国に広がるボランチィア達の共同作業が始まる。瞬く間に、安否情報検索システムは完成した。すぐに、その検索システムは罹災者に活用され、数日で十万単位のアクセスがあったと言う。
これは、ソーシャルメディアが果たす災害時の生活情報サービスの一例である。当然であるが大災害時に行政の機能は麻痺する。そのため罹災者は安否情報、重要な生活情報を得られない状態に陥る。有線電話はもちろんのこと携帯電話も通じない状態が生じる。その時、今回の東日本大震災ではソーシャルメディアを使った情報発信が非常に大きな役割を果たした。
阪神・淡路大震災の反省から、災害情報学会を中心としてインターネット(携帯メール)を活用した災害時の生活情報のサポート体制が検討されてきた。大学を中心として研究されてきた災害時の情報サポート体制の検討や先行研究を飛び越えて、今回、それまで災害情報研究をテーマにしたことのない一般の社会人が、ソーシャルメディアの情報を活用する安否情報検索プログラムを作り、しかも、ソーシャルネットワークサービスを活用して、データベース化をソーシャルメディア上で可能にしたのである。
ボランティア情報ネットワークと市民の力
ソーシャルメディアでの情報ボランティア活動の組織化は、今回の震災時の罹災者救援活動や生活情報サポート体制にとって革命的な変化が生じていると理解すべきである。何故なら、これまでの災害ボランティア活動は罹災地の自治体によって管理されていた。阪神・淡路大震災では、自治体の職員が全国から集まるボランティア活動を組織する機能を担っていた。
今回、震災直後、多くのボランティアが現地に行くことによって混乱が生じると、ボランティア活動に対して政府は、罹災地への移動や救援物資の提供に関する制限を行った。つまり、阪神・淡路大震災以来、行政がボランティアを活用する機能として確立してきた経過がある。今回の国によるボランティア活動の制限はその意味で行われたのである。
実際は罹災地では多くのボランティアを必要としていた。そこでソーシャルネットワークサービスを活用することで、罹災地で活動するボランティア活動の情報を集め、市民にその活動の内容を提供し、またそれらのボランティア活動が必要とする物資や人材に関する情報がソーシャルメディアを通じて流し、必要な場所に必要なボランティア人材と物資を手配するボランティア組織が生まれた。この基本を創ったのも阪神・淡路大震災の後に生まれた日本災害救援ボランティアネットワーク(NAVAD)(2)であった。
阪神淡路大震災時にも、それぞれの避難所の救援物資の情報を交換し、不足している物資を避難所に届ける情報を「ディリーニーズ」が提供していた。避難所間でお互いに不足している救援物資の情報が流れ合っていた。当時は、紙情報であった。今回は、ソーシャルメディアがその役割を担っている。阪神・淡路大震災と違い、罹災地は非常に広域に亘っている。そのため、紙情報では、避難所間の情報交換は不可能である。
そこでインターネットを活用し東日本大震災支援全国ネットワークでは「支援状況マップ」(3)を作り、地図上にボランティア活動団体の活動拠点とその組織が必要としている救援物資や人材の情報が記載されている。また、Googleマップを活用して、「東北地方太平洋沖地震ボランティアマップ」(4)が作られ、罹災地で活動しているボランティア団体の情報が記載されている。このボランティアマップを多くの人々が見て、ボランティア活動に参加している。
また、「災害情報東日本大震災 Jahoo!Japan 」(5)では検索エンジンであるJahooJapanがすべての分野での災害情報を提供している。そして、「sinsai.info 東日本大震災 みんなでつくる復興支援プラットフォーム」(6)を16の企業で作り、サーバ、監視サービス、運営、携帯電話サービス、システムやプログラム開発スタッフ派遣のサービスを提供している。
さらに、首相補佐官としてボランティア担当をおき、また内閣府(7)や厚生労働省(8)から民間ボランティア活動の情報が提供されている。
インターネットでソーシャルメディアを活用したボランティア活動情報が、災害救済活動の推進に大きな役割を果たそうとしている。それは、ソーシャルメディアによって全国の人的資源を集め活用することを可能にしたからである。災害時に国民が力を合わせて助け合う道具としてソーシャルメディアやインターネットは活用されているのである。
ネットワーク上でボランティア情報が流され、多くの市民が自分に合った(自分に出来る)災害救援活動に参加できる。そしてネットワーク上で組織された一人ひとりの市民の力が集まり大きな支援活動の力となる。この経験を通じて、一人ひとりの市民はソーシャルメディアの媒体を通じながら国を変革し運営する市民の政治的主体性を自覚するのではないだろうか。
ソーシャルメディアの発展と情報プロシューマー文化・第二の市民革命の形成
東日本大震災の前にも、北アフリカや中東の民主化運動で、SNSによる情報伝達の威力は世界中に知れ渡っていた。今、震災時の生活情報の伝達にSNSが活用されようとしている。ソーシャルメディアはそれ自体、情報交換の道具にすぎない。しかし、多くの市民が切実に要求する情報を相互に理解し、主張することによって一つの政治的力に変貌してゆく。
情報化社会では、情報を受け取る人は発信する人である。メールは個人的情報交換をインターネットで可能にした。その場合、情報を受け取る人と情報を発信する人は、手紙を書きあう二人の関係でしかなかった。受信や通信者が複数となるグループメールにしてもメールと同じ次元である。
しかし、ソーシャルメディアでは世界中に情報が発信される。情報受信者は不特定多数となる。そのため発信者は自分の意見を世の中に示すことになる。そして同時に、情報発信者は情報受信者でもある。多くの不特定多数の人々から情報を受け取る。これがソーシャルメディアの情報交換の姿である。
言い換えると、ソーシャルメディアによって大衆は情報消費者であり情報生産者でもある情報生産=消費者、換言すると情報プロシューマー(情報を消費し生産する人)である。(9)情報化社会の進化の形態がソーシャルメディアによる情報プロシューマー文化の形成であると言える。
情報プロシューマーの形成によって、震災時のボランティア活動を市民が運営管理することが可能になった。市民が情報を管理することで社会は大きく変化する。何故なら、情報生産はある特定の集団や団体、例えば報道機関、出版社、政府機関、企業等の情報発信の資金を持つ団体に限られていた。
つまり、情報を発信できる者と出来ない者との関係が社会を支配する者と支配される者との関係になっていた。しかし、ソーシャルメディアによって、誰でも情報を発信できるようになった。そのため、今まで権力者が持っていた情報発信権がすべての市民に与えられることになるのである。情報発信権を得た市民は権力の情報管理や情報操作から自由に情報を得る機会を持つことになる。すでに、北アフリカや中東の民主化運動でSNSが大きな役割を果たしたのは、市民が情報発信権を持ったからである。
市民が自由な経済活動を行う権利を得たことを第一の市民革命であると言うなら、情報化社会で進む情報プロシューマー文化の形成、つまり市民が自由な情報発信の権利を得たことは、現代社会で第二の市民革命が進んでいると考えることも出来る。その第二の市民革命の道具はソーシャルメディアである。
人的資源の形成が災害に強い社会の基礎となる
東日本大震災救援活動でソーシャルメディアが活躍している条件は、単に情報化社会が発達したと言うだけではない。情報化社会でSNSを構築する情報処理技術や通信機能の発達は、今回のソーシャルメディアによる救援活動が可能になった第一条件である。
しかし同時に、SNS(情報社会インフラ)を活用する人々(人材・人的資源)の存在を忘れてはならない。Twitterで流れる安否情報を検索できるソフトを開発した人やデータベースを作った人々は偶然に存在しているのではない。情報処理技術に詳しい人々を生み出した社会によって形成された人材・人的資源である。つまり、その人的資源の形成は、大衆化した高等教育、知的生産力を持つ社会、インターネットを活用する情報処理技術が日常化している社会的背景によって可能になっているのである。こうした社会を科学技術文明社会と呼んできた。そして知的労働によって成り立つ産業構造を第四次産業と呼んだ。
つまり、ソーシャルメディアによる震災救援活動の背景には、第四次産業を中心にして機能する科学技術文明社会とそれを担う知的労働力が存在している。今回の災害に対する危機管理の一例として、市民ボランティアによるソーシャルメディアを活用する罹災者救援のための生活情報の伝達と管理体制の構築がある。SNS(ソーシャルネットワークシステム)を活用しながら全国からデータベースやGoogle災害地図作りの市民情報ボランティアが活動した。つまり、ネットワークを使い全国から人材・人的資源を集めることが出来た。
言い換えると、日本社会全体の生産性を高めることが、災害時の危機管理となる。災害時に、全国の至る所から、災害ボランティア活動が生まれ、工夫される基盤は、日本社会を構成する人々の生産性、つまり能力である。人的資源を持たない限り災害時の危機管理は基本的には不可能であるといえる。この考え方は今に始まったものではない。戦国時代の武将武田信玄が述べたという「人は城、人は石垣」の名言があるように、人的資源が最も大切な資本であり、組織の危機管理の基本となる。
ネットワーク型生産システム・災害に強い産業社会の形成
科学技術文明社会・日本では、全国に高度な技術を必要とする情報ボランティア活動をする人材が存在している。しかし、それらの人々は地理的には離れ離れに居る。その人々(人的資源)をネットワークで結びつけ、一つの作業を共同で行う。ネットワーク社会では、有用な資源をネットワーク上で有機的に結びつけ、それらの資源力を活用することが可能となる。すでに企業では常識化しているネットワーク上での共同作業が、今回、市民ボランティア活動に適用されたのである。
言い換えると、資源集中管理型から資源ネットワーク管理型への発想の転換を情報化社会は可能にしているのである。その意味で、資源集中型社会は災害によって、その場所を破壊されることで、機能しなくなる。しかし、資源分散型‐ネットワーク管理型社会は、仮に一箇所の資源拠点を災害によって破壊されても、他の資源拠点をネットワークで結びながら、生産を維持することが可能になる。
これまでの経済学では、資本集中型によって経済効率が導かれると考えられていた。その最も代表的な生産システムがコンビナートである。原料生産では経済効果を求め大型化する生産システムが有効であると考えられる。しかし、加工生産や知的生産では、資本集中による生産システムの大型化は必ずしも必要はないと考えられる。
特に有能な技術力や知的生産力の高さを問われる企業では、全国に存在する優秀な生産拠点をネットワークで結びつけ、活用することがより質の高い生産を可能にする。今回、世界の需要の半分ぐらいを占める部品を生産する優秀な自動車部品メーカが津波の被害を受けたために、世界中の自動車産業に影響が出ていると言われている。高度に分業が進むことで、たった一つの部品が不足することで生産ラインが止まる。これは高度な技術生産によって成り立つ現代の産業を物語る典型的な例である。
災害に強い生産活動を考えるために、現在、地域的に集中している生産拠点を、政策的に全国に少なくとも二箇所に分散することは出来ないだろうか。例えば、東北にある工場を中国か九州にもう一つ作る。しかし、優秀な部品生産メーカであっても、中小企業であるために二つの生産拠点を作る資本力はない。
国家の危機管理体制を作るための今後の課題として、優秀な中小企業の生産拠点を分散しネットワーク上で全国的な生産と流通システムを作ることを検討しなければならないだろう。国は、今回の震災復興計画の中に、生産システムの安全管理や危機管理の国家的体制を検討する必要があるだろう。そして、災害に強い経済システムを検討する課題は、地域経済の活性化を課題にして取り組まれる地方分権の計画とセットになって議論される必要があるだろう。
参考資料
(1) 2011年3月29日のNHKクローズアップ現代 「いま、私たちにできること ~“ソーシャルメディア”支援~」
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3022
(2)日本災害救援ボランティアネットワーク(NAVAD)
http://www.nvnad.or.jp/
(3)東日本大震災支援全国ネットワーク 「支援状況マップ」
http://www.jpn-civil.net/
(4)東北地方太平洋沖地震ボランティアマップ Googleマップ
http://maps.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&oe=UTF8&msa=0&msid=214722352147164630282.00049eabf66d3dd2fcfc2
(5)災害情報東日本大震災 Jahoo!Japan
http://info.shinsai.yahoo.co.jp/
(6)sinsai.info 東日本大震災 みんなでつくる復興支援プラットフォーム
http://www.sinsai.info/ushahidi/
(7)助けあいジャパン ボランティア情報ステーション 内閣官房震災ボランティア連携室 連携プロジェクト
http://tasukeai.heroku.com/gallery
(8)厚生労働省 ボランティア活動について
http://www.mhlw.go.jp/bunya/seikatsuhogo/volunteer.html
(9)三石博行「生活重視の思想に基づく生活世界の科学性の成立条件」 『研究報告集』、第38集、大阪短大協会 2001.10、pp64-71
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_02_02/cMITShir01b.pdf
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年4月21日 修正(誤字)
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三石博行
東日本(東海岸)大震災でのソーシャルメディア(SNS)の役割
2011年3月29日のNHKクローズアップ現代 「いま、私たちにできること ~“ソーシャルメディア”支援~」(1)でソーシャルネットワークサービス(SNS)を活用した安否情報検索システム、グーグルマップでの罹災地マップ作り、地図から罹災地の生活情報検索できるシステムや災害情報の手話ニュース発信等々の情報ボランティア活動が紹介された。
クローズアップ現代で報道されたソーシャルメディアによるボランティア活動の一例を紹介しよう。一人の情報技術者の男性(情報企業の経営者)が東日本大震災に対して何かできることはないかと考えていた。その時、彼はTwitter で非常に多くの安否情報が流されていることを知った。そして、安否情報を確認したい人々が多くいること、それに対して何か協力しようと考えた。自分の専門知識を活かして安否情報をインターネット上で検索できるプログラムを作ったのである。
しかし、その検索システムを動かすためには、Twitter上の安否情報のデータベースを作ならなければならなかった。そこで再びソーシャルネットワークサービス(SNS)を活用して安否情報の入力ボランティアを呼びかけた。その呼びかけに全国からデータベース入力作業ボランティアが集まる。そして、SNSで繋がった日本全国に広がるボランチィア達の共同作業が始まる。瞬く間に、安否情報検索システムは完成した。すぐに、その検索システムは罹災者に活用され、数日で十万単位のアクセスがあったと言う。
これは、ソーシャルメディアが果たす災害時の生活情報サービスの一例である。当然であるが大災害時に行政の機能は麻痺する。そのため罹災者は安否情報、重要な生活情報を得られない状態に陥る。有線電話はもちろんのこと携帯電話も通じない状態が生じる。その時、今回の東日本大震災ではソーシャルメディアを使った情報発信が非常に大きな役割を果たした。
阪神・淡路大震災の反省から、災害情報学会を中心としてインターネット(携帯メール)を活用した災害時の生活情報のサポート体制が検討されてきた。大学を中心として研究されてきた災害時の情報サポート体制の検討や先行研究を飛び越えて、今回、それまで災害情報研究をテーマにしたことのない一般の社会人が、ソーシャルメディアの情報を活用する安否情報検索プログラムを作り、しかも、ソーシャルネットワークサービスを活用して、データベース化をソーシャルメディア上で可能にしたのである。
ボランティア情報ネットワークと市民の力
ソーシャルメディアでの情報ボランティア活動の組織化は、今回の震災時の罹災者救援活動や生活情報サポート体制にとって革命的な変化が生じていると理解すべきである。何故なら、これまでの災害ボランティア活動は罹災地の自治体によって管理されていた。阪神・淡路大震災では、自治体の職員が全国から集まるボランティア活動を組織する機能を担っていた。
今回、震災直後、多くのボランティアが現地に行くことによって混乱が生じると、ボランティア活動に対して政府は、罹災地への移動や救援物資の提供に関する制限を行った。つまり、阪神・淡路大震災以来、行政がボランティアを活用する機能として確立してきた経過がある。今回の国によるボランティア活動の制限はその意味で行われたのである。
実際は罹災地では多くのボランティアを必要としていた。そこでソーシャルネットワークサービスを活用することで、罹災地で活動するボランティア活動の情報を集め、市民にその活動の内容を提供し、またそれらのボランティア活動が必要とする物資や人材に関する情報がソーシャルメディアを通じて流し、必要な場所に必要なボランティア人材と物資を手配するボランティア組織が生まれた。この基本を創ったのも阪神・淡路大震災の後に生まれた日本災害救援ボランティアネットワーク(NAVAD)(2)であった。
阪神淡路大震災時にも、それぞれの避難所の救援物資の情報を交換し、不足している物資を避難所に届ける情報を「ディリーニーズ」が提供していた。避難所間でお互いに不足している救援物資の情報が流れ合っていた。当時は、紙情報であった。今回は、ソーシャルメディアがその役割を担っている。阪神・淡路大震災と違い、罹災地は非常に広域に亘っている。そのため、紙情報では、避難所間の情報交換は不可能である。
そこでインターネットを活用し東日本大震災支援全国ネットワークでは「支援状況マップ」(3)を作り、地図上にボランティア活動団体の活動拠点とその組織が必要としている救援物資や人材の情報が記載されている。また、Googleマップを活用して、「東北地方太平洋沖地震ボランティアマップ」(4)が作られ、罹災地で活動しているボランティア団体の情報が記載されている。このボランティアマップを多くの人々が見て、ボランティア活動に参加している。
また、「災害情報東日本大震災 Jahoo!Japan 」(5)では検索エンジンであるJahooJapanがすべての分野での災害情報を提供している。そして、「sinsai.info 東日本大震災 みんなでつくる復興支援プラットフォーム」(6)を16の企業で作り、サーバ、監視サービス、運営、携帯電話サービス、システムやプログラム開発スタッフ派遣のサービスを提供している。
さらに、首相補佐官としてボランティア担当をおき、また内閣府(7)や厚生労働省(8)から民間ボランティア活動の情報が提供されている。
インターネットでソーシャルメディアを活用したボランティア活動情報が、災害救済活動の推進に大きな役割を果たそうとしている。それは、ソーシャルメディアによって全国の人的資源を集め活用することを可能にしたからである。災害時に国民が力を合わせて助け合う道具としてソーシャルメディアやインターネットは活用されているのである。
ネットワーク上でボランティア情報が流され、多くの市民が自分に合った(自分に出来る)災害救援活動に参加できる。そしてネットワーク上で組織された一人ひとりの市民の力が集まり大きな支援活動の力となる。この経験を通じて、一人ひとりの市民はソーシャルメディアの媒体を通じながら国を変革し運営する市民の政治的主体性を自覚するのではないだろうか。
ソーシャルメディアの発展と情報プロシューマー文化・第二の市民革命の形成
東日本大震災の前にも、北アフリカや中東の民主化運動で、SNSによる情報伝達の威力は世界中に知れ渡っていた。今、震災時の生活情報の伝達にSNSが活用されようとしている。ソーシャルメディアはそれ自体、情報交換の道具にすぎない。しかし、多くの市民が切実に要求する情報を相互に理解し、主張することによって一つの政治的力に変貌してゆく。
情報化社会では、情報を受け取る人は発信する人である。メールは個人的情報交換をインターネットで可能にした。その場合、情報を受け取る人と情報を発信する人は、手紙を書きあう二人の関係でしかなかった。受信や通信者が複数となるグループメールにしてもメールと同じ次元である。
しかし、ソーシャルメディアでは世界中に情報が発信される。情報受信者は不特定多数となる。そのため発信者は自分の意見を世の中に示すことになる。そして同時に、情報発信者は情報受信者でもある。多くの不特定多数の人々から情報を受け取る。これがソーシャルメディアの情報交換の姿である。
言い換えると、ソーシャルメディアによって大衆は情報消費者であり情報生産者でもある情報生産=消費者、換言すると情報プロシューマー(情報を消費し生産する人)である。(9)情報化社会の進化の形態がソーシャルメディアによる情報プロシューマー文化の形成であると言える。
情報プロシューマーの形成によって、震災時のボランティア活動を市民が運営管理することが可能になった。市民が情報を管理することで社会は大きく変化する。何故なら、情報生産はある特定の集団や団体、例えば報道機関、出版社、政府機関、企業等の情報発信の資金を持つ団体に限られていた。
つまり、情報を発信できる者と出来ない者との関係が社会を支配する者と支配される者との関係になっていた。しかし、ソーシャルメディアによって、誰でも情報を発信できるようになった。そのため、今まで権力者が持っていた情報発信権がすべての市民に与えられることになるのである。情報発信権を得た市民は権力の情報管理や情報操作から自由に情報を得る機会を持つことになる。すでに、北アフリカや中東の民主化運動でSNSが大きな役割を果たしたのは、市民が情報発信権を持ったからである。
市民が自由な経済活動を行う権利を得たことを第一の市民革命であると言うなら、情報化社会で進む情報プロシューマー文化の形成、つまり市民が自由な情報発信の権利を得たことは、現代社会で第二の市民革命が進んでいると考えることも出来る。その第二の市民革命の道具はソーシャルメディアである。
人的資源の形成が災害に強い社会の基礎となる
東日本大震災救援活動でソーシャルメディアが活躍している条件は、単に情報化社会が発達したと言うだけではない。情報化社会でSNSを構築する情報処理技術や通信機能の発達は、今回のソーシャルメディアによる救援活動が可能になった第一条件である。
しかし同時に、SNS(情報社会インフラ)を活用する人々(人材・人的資源)の存在を忘れてはならない。Twitterで流れる安否情報を検索できるソフトを開発した人やデータベースを作った人々は偶然に存在しているのではない。情報処理技術に詳しい人々を生み出した社会によって形成された人材・人的資源である。つまり、その人的資源の形成は、大衆化した高等教育、知的生産力を持つ社会、インターネットを活用する情報処理技術が日常化している社会的背景によって可能になっているのである。こうした社会を科学技術文明社会と呼んできた。そして知的労働によって成り立つ産業構造を第四次産業と呼んだ。
つまり、ソーシャルメディアによる震災救援活動の背景には、第四次産業を中心にして機能する科学技術文明社会とそれを担う知的労働力が存在している。今回の災害に対する危機管理の一例として、市民ボランティアによるソーシャルメディアを活用する罹災者救援のための生活情報の伝達と管理体制の構築がある。SNS(ソーシャルネットワークシステム)を活用しながら全国からデータベースやGoogle災害地図作りの市民情報ボランティアが活動した。つまり、ネットワークを使い全国から人材・人的資源を集めることが出来た。
言い換えると、日本社会全体の生産性を高めることが、災害時の危機管理となる。災害時に、全国の至る所から、災害ボランティア活動が生まれ、工夫される基盤は、日本社会を構成する人々の生産性、つまり能力である。人的資源を持たない限り災害時の危機管理は基本的には不可能であるといえる。この考え方は今に始まったものではない。戦国時代の武将武田信玄が述べたという「人は城、人は石垣」の名言があるように、人的資源が最も大切な資本であり、組織の危機管理の基本となる。
ネットワーク型生産システム・災害に強い産業社会の形成
科学技術文明社会・日本では、全国に高度な技術を必要とする情報ボランティア活動をする人材が存在している。しかし、それらの人々は地理的には離れ離れに居る。その人々(人的資源)をネットワークで結びつけ、一つの作業を共同で行う。ネットワーク社会では、有用な資源をネットワーク上で有機的に結びつけ、それらの資源力を活用することが可能となる。すでに企業では常識化しているネットワーク上での共同作業が、今回、市民ボランティア活動に適用されたのである。
言い換えると、資源集中管理型から資源ネットワーク管理型への発想の転換を情報化社会は可能にしているのである。その意味で、資源集中型社会は災害によって、その場所を破壊されることで、機能しなくなる。しかし、資源分散型‐ネットワーク管理型社会は、仮に一箇所の資源拠点を災害によって破壊されても、他の資源拠点をネットワークで結びながら、生産を維持することが可能になる。
これまでの経済学では、資本集中型によって経済効率が導かれると考えられていた。その最も代表的な生産システムがコンビナートである。原料生産では経済効果を求め大型化する生産システムが有効であると考えられる。しかし、加工生産や知的生産では、資本集中による生産システムの大型化は必ずしも必要はないと考えられる。
特に有能な技術力や知的生産力の高さを問われる企業では、全国に存在する優秀な生産拠点をネットワークで結びつけ、活用することがより質の高い生産を可能にする。今回、世界の需要の半分ぐらいを占める部品を生産する優秀な自動車部品メーカが津波の被害を受けたために、世界中の自動車産業に影響が出ていると言われている。高度に分業が進むことで、たった一つの部品が不足することで生産ラインが止まる。これは高度な技術生産によって成り立つ現代の産業を物語る典型的な例である。
災害に強い生産活動を考えるために、現在、地域的に集中している生産拠点を、政策的に全国に少なくとも二箇所に分散することは出来ないだろうか。例えば、東北にある工場を中国か九州にもう一つ作る。しかし、優秀な部品生産メーカであっても、中小企業であるために二つの生産拠点を作る資本力はない。
国家の危機管理体制を作るための今後の課題として、優秀な中小企業の生産拠点を分散しネットワーク上で全国的な生産と流通システムを作ることを検討しなければならないだろう。国は、今回の震災復興計画の中に、生産システムの安全管理や危機管理の国家的体制を検討する必要があるだろう。そして、災害に強い経済システムを検討する課題は、地域経済の活性化を課題にして取り組まれる地方分権の計画とセットになって議論される必要があるだろう。
参考資料
(1) 2011年3月29日のNHKクローズアップ現代 「いま、私たちにできること ~“ソーシャルメディア”支援~」
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3022
(2)日本災害救援ボランティアネットワーク(NAVAD)
http://www.nvnad.or.jp/
(3)東日本大震災支援全国ネットワーク 「支援状況マップ」
http://www.jpn-civil.net/
(4)東北地方太平洋沖地震ボランティアマップ Googleマップ
http://maps.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&oe=UTF8&msa=0&msid=214722352147164630282.00049eabf66d3dd2fcfc2
(5)災害情報東日本大震災 Jahoo!Japan
http://info.shinsai.yahoo.co.jp/
(6)sinsai.info 東日本大震災 みんなでつくる復興支援プラットフォーム
http://www.sinsai.info/ushahidi/
(7)助けあいジャパン ボランティア情報ステーション 内閣官房震災ボランティア連携室 連携プロジェクト
http://tasukeai.heroku.com/gallery
(8)厚生労働省 ボランティア活動について
http://www.mhlw.go.jp/bunya/seikatsuhogo/volunteer.html
(9)三石博行「生活重視の思想に基づく生活世界の科学性の成立条件」 『研究報告集』、第38集、大阪短大協会 2001.10、pp64-71
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_02_02/cMITShir01b.pdf
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年4月21日 修正(誤字)
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2011年4月11日月曜日
災害救援のための広域災害ネットワーク形成の意味
震災に強い国を作る(2)B
三石博行
人的交流の意味
国は罹災地の支援のために全国の都道府県市町村に対して地方自治体職員一万人の支援要請を行った。既に阪神淡路大震災や上越沖地震を経験した自治体から職員が派遣されて、罹災地の各市町村の自治体職員と罹災者救援や復旧作業に従事している。
災害を経験していない自治体から職員を派遣することは、やはり重要なことである。何故なら、派遣された自治体の職員の罹災地での救援や復旧活動の経験を通じて、派遣した自治体は今後予測される災害に対する対策を検討する場合、実際に罹災地での活動を経験した職員がいることによって、より具体的なそして効率の高い対策を検討することが可能になるからである。
実際の災害現場に立会い、罹災者住民救済活動を通じて、自治体職員たちは行政サービスの原点に立ち戻ることになるだろう。つまり、行政は住民の生活を守るためにある社会機能である。災害直後に住民から要求される課題は、生命や最低限の生活条件の確保である。その要求に対して、形式的な対応は許されないだろう。誠心誠意をもって要求を受け取ることが職員に求められるだろう。その経験は、必ず正常時の仕事にも活かされるに違いない。
住民情報の安全管理体制
今回、三陸地方の市町村の住民台帳が津波に流された。すでに阪神大震災で経験したこの重大な自治体の情報管理に関する対策が議論されてきた。そして、関西では殆どの市町村が、住民台帳を含める自治体の貴重な情報を他の自治体と共同管理するシステムを取り入れている。
このシステムは、大手新聞社などではすでに取り入れられ、例えば東京本社と西日本本社で新聞データの相互保存がなされて来た。それと同様に、二つの自治体が相互に住民情報等を相互管理するシステムを取り入れている。これは、自治体としての最低限の住民情報の安全管理である。
今回、津波で多くの市町村の住民台帳が流され、行方不明者の名簿はもとより、生存者確認の作業に大きな支障を来たしたと聞いて驚いた。阪神淡路大震災時に罹災自治体の経験が全国化していなかったことがその原因である。本来、こうした問題は自治省が指導すべき課題である。しかし、もし自治省が指導したとしても、その切実な必要性を感じなければ多額の費用を必要とする住民情報の安全管理体制作りを先延ばしにする可能性もある。
その意味で、災害救援のための自治体ネットワークが形成され、罹災経験のない自治体から職員が派遣されることによって、災害時の救援体制のみでなく、災害への安全管理に関するシステム作りの必要性やすでにシステムを持つ自治体職員との交流を通じて、具体的な対策を考える契機となるだろう。
災害時相互応援協定締結の意味
今回、三陸地方の市町村でも災害時に近隣の自治体との災害時相互応援協定を締結していた。しかし、今回の大震災では同時に近隣の自治体も被害を受けることになった。それでこの災害時相互応援協定は十分に機能を発揮することは出来なかった。阪神淡路大震災にしろ、そして今回の東日本大災害でも、大災害に襲われた地域では必ず近隣広域の自治体機能が停止する。
そのためには、近隣のみでなく他府県の、しかも複数の自治体との災害時相互応援協定が必要となる。例えば、福岡県京都郡苅田町では遠隔地の自治体との災害時の相互応援体制を作るために「市町村広域災害ネットワーク災害時相互応援協定締結」に参加している。(1)
「市町村広域災害ネットワーク災害時相互応援協定締結」に基づき、自治体職員は遠隔地での罹災地での活動を行うことになる。罹災地では役場、市役所の機能は麻痺している。職員も罹災し、中には家族に犠牲者が出た人もいるだろう。これが現実の罹災状況である。その中で、自治体職員はボランティアの力、罹災した市民の力を活かす能力が求められる。つまり、自分達が抱え込み罹災者を救済するという正常時の判断から、みんなで力を合わせて、どんな些細なことでもお互いに協力し合い、困難に立ち向かう姿勢と状況に合わせて臨機応変に行動力する技術が問われることになる。
日本は頻繁に災害がある。災害救援のための自治体ネットワークが形成され、常時そのネットワークシステムが機能することで、各自治体は遠方の罹災地に職員を派遣することになる。そのことによって、それぞれの自治体の職員は罹災地での危機管理や住民救済活動を多く経験する。それらの経験を通じて、自治体の危機管理を行える人材が育成されるのである。
参考資料
(1) 福岡県京都郡苅田町ホームページ 「市町村広域災害ネットワーク災害時相互応援協定締結」
「平成21年1月13日、大阪府泉大津市において、市町村広域災害ネットワーク災害時相互応援協定を締結しました。参加団体は苅田町、行橋市、大阪府泉大津市、滋賀県野洲市、京都府八幡市、兵庫県高砂市、奈良県大和郡山市、和歌山県橋本市、高知県香南市の8府県の9市町で、いずれかの自治体が大規模災害に遭った際、同一被災の少ない遠方からの物資支援や職員派遣などで支え合うことを目的としたものです。」
http://www.town.kanda.lg.jp/oshirase/00722.htm
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年4月13日 修正(誤字)
三石博行
人的交流の意味
国は罹災地の支援のために全国の都道府県市町村に対して地方自治体職員一万人の支援要請を行った。既に阪神淡路大震災や上越沖地震を経験した自治体から職員が派遣されて、罹災地の各市町村の自治体職員と罹災者救援や復旧作業に従事している。
災害を経験していない自治体から職員を派遣することは、やはり重要なことである。何故なら、派遣された自治体の職員の罹災地での救援や復旧活動の経験を通じて、派遣した自治体は今後予測される災害に対する対策を検討する場合、実際に罹災地での活動を経験した職員がいることによって、より具体的なそして効率の高い対策を検討することが可能になるからである。
実際の災害現場に立会い、罹災者住民救済活動を通じて、自治体職員たちは行政サービスの原点に立ち戻ることになるだろう。つまり、行政は住民の生活を守るためにある社会機能である。災害直後に住民から要求される課題は、生命や最低限の生活条件の確保である。その要求に対して、形式的な対応は許されないだろう。誠心誠意をもって要求を受け取ることが職員に求められるだろう。その経験は、必ず正常時の仕事にも活かされるに違いない。
住民情報の安全管理体制
今回、三陸地方の市町村の住民台帳が津波に流された。すでに阪神大震災で経験したこの重大な自治体の情報管理に関する対策が議論されてきた。そして、関西では殆どの市町村が、住民台帳を含める自治体の貴重な情報を他の自治体と共同管理するシステムを取り入れている。
このシステムは、大手新聞社などではすでに取り入れられ、例えば東京本社と西日本本社で新聞データの相互保存がなされて来た。それと同様に、二つの自治体が相互に住民情報等を相互管理するシステムを取り入れている。これは、自治体としての最低限の住民情報の安全管理である。
今回、津波で多くの市町村の住民台帳が流され、行方不明者の名簿はもとより、生存者確認の作業に大きな支障を来たしたと聞いて驚いた。阪神淡路大震災時に罹災自治体の経験が全国化していなかったことがその原因である。本来、こうした問題は自治省が指導すべき課題である。しかし、もし自治省が指導したとしても、その切実な必要性を感じなければ多額の費用を必要とする住民情報の安全管理体制作りを先延ばしにする可能性もある。
その意味で、災害救援のための自治体ネットワークが形成され、罹災経験のない自治体から職員が派遣されることによって、災害時の救援体制のみでなく、災害への安全管理に関するシステム作りの必要性やすでにシステムを持つ自治体職員との交流を通じて、具体的な対策を考える契機となるだろう。
災害時相互応援協定締結の意味
今回、三陸地方の市町村でも災害時に近隣の自治体との災害時相互応援協定を締結していた。しかし、今回の大震災では同時に近隣の自治体も被害を受けることになった。それでこの災害時相互応援協定は十分に機能を発揮することは出来なかった。阪神淡路大震災にしろ、そして今回の東日本大災害でも、大災害に襲われた地域では必ず近隣広域の自治体機能が停止する。
そのためには、近隣のみでなく他府県の、しかも複数の自治体との災害時相互応援協定が必要となる。例えば、福岡県京都郡苅田町では遠隔地の自治体との災害時の相互応援体制を作るために「市町村広域災害ネットワーク災害時相互応援協定締結」に参加している。(1)
「市町村広域災害ネットワーク災害時相互応援協定締結」に基づき、自治体職員は遠隔地での罹災地での活動を行うことになる。罹災地では役場、市役所の機能は麻痺している。職員も罹災し、中には家族に犠牲者が出た人もいるだろう。これが現実の罹災状況である。その中で、自治体職員はボランティアの力、罹災した市民の力を活かす能力が求められる。つまり、自分達が抱え込み罹災者を救済するという正常時の判断から、みんなで力を合わせて、どんな些細なことでもお互いに協力し合い、困難に立ち向かう姿勢と状況に合わせて臨機応変に行動力する技術が問われることになる。
日本は頻繁に災害がある。災害救援のための自治体ネットワークが形成され、常時そのネットワークシステムが機能することで、各自治体は遠方の罹災地に職員を派遣することになる。そのことによって、それぞれの自治体の職員は罹災地での危機管理や住民救済活動を多く経験する。それらの経験を通じて、自治体の危機管理を行える人材が育成されるのである。
参考資料
(1) 福岡県京都郡苅田町ホームページ 「市町村広域災害ネットワーク災害時相互応援協定締結」
「平成21年1月13日、大阪府泉大津市において、市町村広域災害ネットワーク災害時相互応援協定を締結しました。参加団体は苅田町、行橋市、大阪府泉大津市、滋賀県野洲市、京都府八幡市、兵庫県高砂市、奈良県大和郡山市、和歌山県橋本市、高知県香南市の8府県の9市町で、いずれかの自治体が大規模災害に遭った際、同一被災の少ない遠方からの物資支援や職員派遣などで支え合うことを目的としたものです。」
http://www.town.kanda.lg.jp/oshirase/00722.htm
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
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2011年4月13日 修正(誤字)
2011年3月31日木曜日
社会資本の基底を維持する機能(文化や生活)の経済的評価を行う
災害に強い国を作る(2)
三石博行
農業資本としての土
庭で野菜を作るという家庭菜園をやっていて気付くことがある。それは野菜や花を育てるために花壇や畑の土が自然のものでありながら、人工物であると言う事だ。山土を耕し、花や野菜の植えられる環境にするために、どれだけの労力を投入したか。土を耕し、石ころを取り除き、堆肥を入れ、石灰を撒く等々、土作りに費やされた労力は莫大なものだ。
土が良くない限り、花も野菜も育たない。つまり、家庭菜園のようなレベルでの話しだけでなく、農業にとって土作りは工業で例えるなら工場を作るようなものである。農業生産の最も大切な環境が土である。土作りは時間の掛かるものである。そして非常に多くの労力を必要とするものである。
農家の人が作物を取られるよりも土を取られるのを怒ると聞いたことがあった。その意味は、土という農業にとって最も大切な資本を取られるからだ。企業で言うなら工場や事務所に置いてある会社の生産活動を担う機械や機器を取られることを意味する。倉庫においてある商品(植えてある作物)を取られるのとは違って、今後の生産活動に直接に影響を受け、会社にとっては致命的な打撃や損害となる。
生産効率を決める農地の質
古典派経済学で、「資本の本源的蓄積」と言う用語がある。資本主義経済が成立する過程における生産様式の変化を意味する。一般に、剰余生産物(余った生産物)の存在が、商品経済が成立するための前提条件となる。剰余生産物を交換すること、つまり商品が形成される。この商品生産が目的化し、商品経済は発展する。資本主義経済は、商品経済の発展によって導かれたものである。そして、商品経済は市場原理によって発展してきた。市場原理を支える社会思想が自由経済主義である。
畑の土は資本の本源的蓄積を生み出す前提条件であると言える。耕作地の土を改善すること、つまり耕作地の土が良くなることで、農業生産力は上がり農業経営はよくなる。
土は過去の農作業時間が蓄積したもの、農業資本の一つである。その過去の農作業時間は、先祖代々とか、昨年の堆肥撒き作業とか、いずれにしても過去に投入されたすべての農作業時間を意味する。
土と呼ばれる自然生態系の素材に対して、過去に投入されたすべての労働、つまり、開墾、農地化、農道整備、農地改革、耕作、堆肥作り、あらゆる農作業に人手を費やして作り出された生産手段・農地という人工的な資源が形成される。その資源価値は農業生産性によって決まる。農業経営では農地を改良し、生産性の高い農地を維持することが重要な課題となる。
社会資本の基底を維持するための経済理論はあるのか
農業経済では土のような経済活動の基盤を作るものがある。例えば、生態環境(里山とか)、家族、共同体、今回の大震災で活躍するボランティア運動などの市民運動を挙げることが出来る。しかし、それらの経済的価値の評価を厳密に(計量的に)算出することが困難であると言われている。
それは、経済的価値を算出する方法、つまりこれらの経済効果や価値に関する経済学的理論が完成していないと言い換えてもいいのだろう。
災害に強い国を考えるとき、市場経済や公共経済の考え方だけでは、国民の創意と参画による危機管理体制を考えることは出来ない。そのためには、国を運営するための経済思想をもう一度、考え直す必要がある。
災害に強い国を考えるとき、社会機能の基底を維持する機能に関する、つまり文化や生活に関する経済学の研究が必要となっていると言える。
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2011年4月5日 修正(誤字)
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三石博行
農業資本としての土
庭で野菜を作るという家庭菜園をやっていて気付くことがある。それは野菜や花を育てるために花壇や畑の土が自然のものでありながら、人工物であると言う事だ。山土を耕し、花や野菜の植えられる環境にするために、どれだけの労力を投入したか。土を耕し、石ころを取り除き、堆肥を入れ、石灰を撒く等々、土作りに費やされた労力は莫大なものだ。
土が良くない限り、花も野菜も育たない。つまり、家庭菜園のようなレベルでの話しだけでなく、農業にとって土作りは工業で例えるなら工場を作るようなものである。農業生産の最も大切な環境が土である。土作りは時間の掛かるものである。そして非常に多くの労力を必要とするものである。
農家の人が作物を取られるよりも土を取られるのを怒ると聞いたことがあった。その意味は、土という農業にとって最も大切な資本を取られるからだ。企業で言うなら工場や事務所に置いてある会社の生産活動を担う機械や機器を取られることを意味する。倉庫においてある商品(植えてある作物)を取られるのとは違って、今後の生産活動に直接に影響を受け、会社にとっては致命的な打撃や損害となる。
生産効率を決める農地の質
古典派経済学で、「資本の本源的蓄積」と言う用語がある。資本主義経済が成立する過程における生産様式の変化を意味する。一般に、剰余生産物(余った生産物)の存在が、商品経済が成立するための前提条件となる。剰余生産物を交換すること、つまり商品が形成される。この商品生産が目的化し、商品経済は発展する。資本主義経済は、商品経済の発展によって導かれたものである。そして、商品経済は市場原理によって発展してきた。市場原理を支える社会思想が自由経済主義である。
畑の土は資本の本源的蓄積を生み出す前提条件であると言える。耕作地の土を改善すること、つまり耕作地の土が良くなることで、農業生産力は上がり農業経営はよくなる。
土は過去の農作業時間が蓄積したもの、農業資本の一つである。その過去の農作業時間は、先祖代々とか、昨年の堆肥撒き作業とか、いずれにしても過去に投入されたすべての農作業時間を意味する。
土と呼ばれる自然生態系の素材に対して、過去に投入されたすべての労働、つまり、開墾、農地化、農道整備、農地改革、耕作、堆肥作り、あらゆる農作業に人手を費やして作り出された生産手段・農地という人工的な資源が形成される。その資源価値は農業生産性によって決まる。農業経営では農地を改良し、生産性の高い農地を維持することが重要な課題となる。
社会資本の基底を維持するための経済理論はあるのか
農業経済では土のような経済活動の基盤を作るものがある。例えば、生態環境(里山とか)、家族、共同体、今回の大震災で活躍するボランティア運動などの市民運動を挙げることが出来る。しかし、それらの経済的価値の評価を厳密に(計量的に)算出することが困難であると言われている。
それは、経済的価値を算出する方法、つまりこれらの経済効果や価値に関する経済学的理論が完成していないと言い換えてもいいのだろう。
災害に強い国を考えるとき、市場経済や公共経済の考え方だけでは、国民の創意と参画による危機管理体制を考えることは出来ない。そのためには、国を運営するための経済思想をもう一度、考え直す必要がある。
災害に強い国を考えるとき、社会機能の基底を維持する機能に関する、つまり文化や生活に関する経済学の研究が必要となっていると言える。
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
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2011年4月5日 修正(誤字)
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2011年3月29日火曜日
国家の危機管理としての地方分権制度の構築
災害に強い国を作る(1)
三石博行
日本の自然生態環境と多様な地域社会性を持つ伝統的生活文化
日本の歴史を観ると中央集権政治が成立したのは奈良平安時代と明治以後の時代である。それまでとその間は地方にそれぞれ独立した政権があった。もちろん、江戸時代は将軍が全国を支配していたが、地方にいた諸大名は自分の領地を持っていた。その領地内で独自の政治が営まれていた。
この歴史的で伝統的な日本社会のあり方にはそれなりの理由がある。その理由の一つに日本の風土や生態系の特徴を挙げることができる。
つまり、日本は海に囲まれ、南北に長く、平野は少なく、殆どが山地で出来ている地形をした島国である。しかも、南から北まで、つまり亜熱帯から亜寒帯までの気候で、雨量が多い。川が至るところに流れ、山は森林に覆われている。そうした日本の自然生態環境がそこに暮らす人々の生活文化を規定してきた。
豊かな自然、温暖多雨な気象条件、森、水や太陽に恵まれた日本では、山地を隔ててそれぞれの地域で独自の農林水産業が成立してきた。つまり、それらの隔離した自然生態環境で、独自の生活文化圏が発達した。
海によって隔てられた地形、つまり九州、四国、本州と北海道の四つの島、それぞれの島の中央を走る山地や山脈によって区分された地形と共通する気象条件の地域、つまり山陰、山陽、関西、北陸、中部、東海、関東、東北日本海側、東北太平洋側と大きく区分される。これらの区分は、古代から存在している。そして中世(平安から室町時代)や近世(江戸時代)まで続く。
日本の生態環境が日本の伝統文化や古代からの生活や経済活動の基盤となり、日本の社会を構築する基本的な要素となったと言える。この日本の生態環境が江戸末期まで続いた日本の多様な地方経済文化の基本的要因であるとい考えられる。
近代化政策としての中央集権国家
この伝統的な地域の区分が崩壊しはじめたのは明治に入ってからである。欧米列強の植民地にされないために日本は近代化を猛スピードで進める必要があった。そのため、絶対君主制(天皇制)による一つの司令塔で動く近代日本が必要であった。その政治体制(軍隊と官僚組織)を作り、国営企業を興し、日本国民と国土のすべての力を集めて、統一国家日本をつくってきたのである。
戦後も政治体制は基本的には戦前と同じであるといえる。つまり、中央官僚によって経済社会発展のための行政を推進してきた。その中心が東京であった。日本の高度経済成長は、中央集権化した政治体制によって可能になった。つまり、明治以来の近代化推進に必要とされた優秀な官僚機構の役割によって、日本は目覚しい発展を遂げたとも謂えるのである。
近代化政策の成功によって、自由主義経済、つまり資本主義経済は発展し、民主主義が大衆文化として根付く。その結果、経済界が次第に力を持ち、世界的な企業が数多く生まれ、日本経済の成長発展を牽引していく。そして市民は自分たちの政治的主張を行い、地域社会では市民の自由な政治や文化活動が生まれる。自由が人々の生活文化の中に浸透することによって、古い共同体は崩壊し、村落共同体的な町内会などの運営は出来なくなる。
近代化政策は日本を欧米と同格の発達した資本主義国家にした。それと同時に、伝統的な共同体社会は解体されたとも言える。
都市集中化による地方経済の崩壊
強烈な中央集権政府によって効率良く国家運営が可能になった一方、首都を含めた三大都市近郊への人口の集中は著しく、2010年には東京都の人口は1300万人(日本全体の約10分の1)が居住し、東京都のGDPは92兆円と日本全体の約5分の1を占めている。(1)
「総務省が2007年8月2日に発表した07年3月末時点の人口調査で、東京圏(東京、神奈川、千葉、埼玉)、名古屋圏(愛知、岐阜、三重)、関西圏(京都、大阪、兵庫、奈良)の3大都市圏の人口が初めて総人口の半数を上回った。総人口は1億2705万3471人で06年同期より1554人減り、2年連続で減少した。また、仙台市の人口が100万人を超え、全国で人口100万人以上の都市は11市になった。」(2)
つまり、現代の日本は人口、企業活動や大学などの教育機関が東京圏、名古屋圏と関西圏の三大都市圏に集中しているのである。地方の過疎化は都市への人口移動と少子化によって益々深刻な状態になりつつある。そのため、地方では交通機関(鉄道やバス)、学校、医療機関、生活道路や農業用水等々の社会資本の維持管理が困難な状態になろうとしている。この社会資本の機能不全は、さらに地方社会の経済的基盤を根底から弱体化させようとしている。
この産業や行政機能の都市集中型社会の形成は、生産効率を上げるために形成されたものである。一箇所に行政、生産、運輸、公共サービス、教育、商業等々の社会機能を集中することによって高い生産能率を獲得することが可能になるのである。そのために産業は都市化を行い、都市環境が産業活動の必要条件となるのである。この産業化社会の進化した姿として、人口の半分が三大都市に集中し、11の100万都市を含めて日本の人口の6割が大都市に居住しているのである。
この生産拠点の集中化によって高度な経済発展を遂げた今、その集中化による弊害が生じようとしている。その一つが、地方経済の疲弊である。さらにもうひとつは、国の危機管理問題である。今回の東日本大震災の二次災害、東京での停電問題は、その一例である。災害に対する国の危機管理体制を考える場合に、経済や政治機能の東京集中型の体制を検討し、最も現実的な解決政策を模索展開することが求められている。
地方分権制度を構築する困難な課題
今後、今回のような巨大災害が首都東京を襲う可能性は否定できない。関東大震災のような直下型地震が首都を襲うことで、政府機関、企業本社が東京圏に集中している日本では、今回の東日本大震災での長期停電が生じた場合を想定すると、非常に大きな経済的打撃を受けることになる。そこで、生産拠点の地域分散化対策が考えられる。
しかし、上記したように生産効率から考えると生産拠点の分散化には緻密な計画が必要となる。つまり、地方を活性化するために、色々な産業を地方に誘致するにしても、誘致される産業が地域社会でより高い生産効率を維持できるように、国全体の産業、流通、行政サービス等々の総合的な地域活性化政策を打ち出さなければならないだろう。
ここで、地方分権の問題が提起される。この課題は、現在の日本にとって進めなければならない課題であるが、地方分権を道州制の地方分割の行政システムの導入に関する形式論議論、つまり地方行政区間の再編成問題にしてはならない。地方分権の目的を明確にし、国家の危機管理のための体制と地域社会の活性化に必要な地方行政の権限の拡大の内容を検討しなければならない。
と同時に、前記したように圧倒的に東京圏に集中したGDPを考えるなら、地方分権の強化を進めることと、例えば地方自治体が納税収入を管理し、その一部を国に支払うという制度を導入したとしても、東京圏に集中する納税収入(法人税のみ、つまり住民税ではない部分)を段階的に地方行政の財源として保障しなければ、ならないだろう。
つまり、地方分権を導入するためには、多くの困難な課題が存在しているのである。政府も2007年に地方分権改革推進委員会を作り、多くの専門家を交えて審議を重ねている。委員会は会議を重ねながら、内閣総理大臣に対して4つの勧告と2つの意見を提出している。(3)今後も、学会、大学研究者、シンクタンク、企業研究所等の多くの専門家による意見を集め、検討を重ねなければならない。
地方分権化初期段階で最も配慮しなければならない課題は財政問題である。つまり、地方分権化を地方財政の確保を前提にして進めなければ、都道府県知事は二の足を踏むに違いない。
21世紀の災害に強い国家と地方分権へ道筋を立てる・政策構想
地方分権制度を行うためには、まずその制度が国家戦略として、将来の日本の経済や社会を強化するために必要であることを十分に理解なければ実現しないだろう。例えば、その課題の一つとして災害に強い国を作るという国家戦略を明確に説明する必要があるだろう。
地方分権化は、道州制の行政システム分割問題になろうとしている。それでは本末転倒し、中央集権制度の弊害である官僚制度をそのまま道州政府に移行するだけになる可能性もある。また、役人の人数を減らすことが目的化し、地域社会のサービスの低下を招く可能性もある。従って、地方分権を行政制度の形式に関する議論にしてはならない。
つまり、原点に戻り、現在の災害に弱い国家、地方経済の貧困化を招く国家を変えるために何が必要かという課題に戻り、その課題解決を第一の目的にした議論をする必要がある。
つまり、地方分権化の必要性とは、国全体の力を取り戻すための制度作りを目的にしているのであって、その行政形態の形式を議論する前に、現在の中央集権・官僚制度で生じている地方社会での経済や社会発展を阻害するすべての要素を分析し、その要素を改善するための考え方、また規則や制度を吟味する必要がある。それらの細かい一つ一つの課題の見直しを具体的に進めるための活動が、つまり、地方分権化の活動である。
そうすれば、地方分権は中央政府の官僚機構から提案され、議論されるものではないことにまず気付くだろう。そして、地方毎に、それらの議論が始まるようにお膳立てをすることが、中央政府の役目であることにも気付くだろう。
災害に強い国を作るために地方分権化を進める
日本という国は、素早い近代化によって20世紀のアジアの国で列強欧米の植民地支配を受けなかった。と同時に欧米列強のように他のアジアの国々を植民地支配した国である。第二次世界大戦で敗北し、また原爆投下による犠牲者と被爆被害者を持つ国でもある。さらに、戦後経済復興のために農業や漁業を犠牲にしながら、水俣病を始めとする公害病を生み出した国でもある。
そして1960年代からの高度経済成長によって、1970年代に再び世界の経済強国となり、国民は豊かな生活を手に入れた。しかし、その結果、都市への人口や社会経済機能の集中化が生じた。その集中化によって生産効率を上げながらも、今、その限界に達しようとしているのである。それが、今回の東日本大震災による都市機能の麻痺となって明らかに示されたように思う。
災害に強い国を作るために、都市に集中した人口、行政、生産、教育等々の社会機能を地方に戦略的に分散させるためには何をすべきだろうか。以下、その目的と方法について述べる。
地方分権化の目的
1、 地方分権化は、地方社会の経済文化の活性化を促進するのが目的である。
2、 地方分権化は、地方行政の経済効率を上げるために行うのが目的である。
3、 地方分権化は、災害の多い日本を災害に強い国家にするのが目的である。
地方分権化作業の方法
1、 現在の都道府県の地方行政の自由度を高めるために現在の地方行政システムの範囲で可能な地方分権化のための法律や制度を国は整備する。
2、 地方分権化はあくまでも地方行政の長を中心とする委員会で行う。それら活動を国は支援する。
3、 地方分権化の具体的な地域分割(道州制導入)に関しても、地方自治体に任し、地方自治体の利益や主体性を尊重しながら進める。
参考資料
(1) 公益社団法人 経済同友会 「道州制移行における課題 -財政面から見た東京問題と長期債務負担問題‐」HP 提言・意見・報告書 2010年5月19日 KEIZAI DOYUKAI
http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2010/pdf/100519b.pdf
(2)JCASTニュース 「三大都市圏人口が全人口の半数を上回る」2007年8月3日
http://www.j-cast.com/2007/08/03010009.html
(3)内閣府 「地方分権改革推進委員会の勧告・意見等」
http://www.cao.go.jp/bunken-kaikaku/iinkai/torimatome/torimatome-index.html
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年3月31日 修正(誤字訂正、文書追加)
Tweet
三石博行
日本の自然生態環境と多様な地域社会性を持つ伝統的生活文化
日本の歴史を観ると中央集権政治が成立したのは奈良平安時代と明治以後の時代である。それまでとその間は地方にそれぞれ独立した政権があった。もちろん、江戸時代は将軍が全国を支配していたが、地方にいた諸大名は自分の領地を持っていた。その領地内で独自の政治が営まれていた。
この歴史的で伝統的な日本社会のあり方にはそれなりの理由がある。その理由の一つに日本の風土や生態系の特徴を挙げることができる。
つまり、日本は海に囲まれ、南北に長く、平野は少なく、殆どが山地で出来ている地形をした島国である。しかも、南から北まで、つまり亜熱帯から亜寒帯までの気候で、雨量が多い。川が至るところに流れ、山は森林に覆われている。そうした日本の自然生態環境がそこに暮らす人々の生活文化を規定してきた。
豊かな自然、温暖多雨な気象条件、森、水や太陽に恵まれた日本では、山地を隔ててそれぞれの地域で独自の農林水産業が成立してきた。つまり、それらの隔離した自然生態環境で、独自の生活文化圏が発達した。
海によって隔てられた地形、つまり九州、四国、本州と北海道の四つの島、それぞれの島の中央を走る山地や山脈によって区分された地形と共通する気象条件の地域、つまり山陰、山陽、関西、北陸、中部、東海、関東、東北日本海側、東北太平洋側と大きく区分される。これらの区分は、古代から存在している。そして中世(平安から室町時代)や近世(江戸時代)まで続く。
日本の生態環境が日本の伝統文化や古代からの生活や経済活動の基盤となり、日本の社会を構築する基本的な要素となったと言える。この日本の生態環境が江戸末期まで続いた日本の多様な地方経済文化の基本的要因であるとい考えられる。
近代化政策としての中央集権国家
この伝統的な地域の区分が崩壊しはじめたのは明治に入ってからである。欧米列強の植民地にされないために日本は近代化を猛スピードで進める必要があった。そのため、絶対君主制(天皇制)による一つの司令塔で動く近代日本が必要であった。その政治体制(軍隊と官僚組織)を作り、国営企業を興し、日本国民と国土のすべての力を集めて、統一国家日本をつくってきたのである。
戦後も政治体制は基本的には戦前と同じであるといえる。つまり、中央官僚によって経済社会発展のための行政を推進してきた。その中心が東京であった。日本の高度経済成長は、中央集権化した政治体制によって可能になった。つまり、明治以来の近代化推進に必要とされた優秀な官僚機構の役割によって、日本は目覚しい発展を遂げたとも謂えるのである。
近代化政策の成功によって、自由主義経済、つまり資本主義経済は発展し、民主主義が大衆文化として根付く。その結果、経済界が次第に力を持ち、世界的な企業が数多く生まれ、日本経済の成長発展を牽引していく。そして市民は自分たちの政治的主張を行い、地域社会では市民の自由な政治や文化活動が生まれる。自由が人々の生活文化の中に浸透することによって、古い共同体は崩壊し、村落共同体的な町内会などの運営は出来なくなる。
近代化政策は日本を欧米と同格の発達した資本主義国家にした。それと同時に、伝統的な共同体社会は解体されたとも言える。
都市集中化による地方経済の崩壊
強烈な中央集権政府によって効率良く国家運営が可能になった一方、首都を含めた三大都市近郊への人口の集中は著しく、2010年には東京都の人口は1300万人(日本全体の約10分の1)が居住し、東京都のGDPは92兆円と日本全体の約5分の1を占めている。(1)
「総務省が2007年8月2日に発表した07年3月末時点の人口調査で、東京圏(東京、神奈川、千葉、埼玉)、名古屋圏(愛知、岐阜、三重)、関西圏(京都、大阪、兵庫、奈良)の3大都市圏の人口が初めて総人口の半数を上回った。総人口は1億2705万3471人で06年同期より1554人減り、2年連続で減少した。また、仙台市の人口が100万人を超え、全国で人口100万人以上の都市は11市になった。」(2)
つまり、現代の日本は人口、企業活動や大学などの教育機関が東京圏、名古屋圏と関西圏の三大都市圏に集中しているのである。地方の過疎化は都市への人口移動と少子化によって益々深刻な状態になりつつある。そのため、地方では交通機関(鉄道やバス)、学校、医療機関、生活道路や農業用水等々の社会資本の維持管理が困難な状態になろうとしている。この社会資本の機能不全は、さらに地方社会の経済的基盤を根底から弱体化させようとしている。
この産業や行政機能の都市集中型社会の形成は、生産効率を上げるために形成されたものである。一箇所に行政、生産、運輸、公共サービス、教育、商業等々の社会機能を集中することによって高い生産能率を獲得することが可能になるのである。そのために産業は都市化を行い、都市環境が産業活動の必要条件となるのである。この産業化社会の進化した姿として、人口の半分が三大都市に集中し、11の100万都市を含めて日本の人口の6割が大都市に居住しているのである。
この生産拠点の集中化によって高度な経済発展を遂げた今、その集中化による弊害が生じようとしている。その一つが、地方経済の疲弊である。さらにもうひとつは、国の危機管理問題である。今回の東日本大震災の二次災害、東京での停電問題は、その一例である。災害に対する国の危機管理体制を考える場合に、経済や政治機能の東京集中型の体制を検討し、最も現実的な解決政策を模索展開することが求められている。
地方分権制度を構築する困難な課題
今後、今回のような巨大災害が首都東京を襲う可能性は否定できない。関東大震災のような直下型地震が首都を襲うことで、政府機関、企業本社が東京圏に集中している日本では、今回の東日本大震災での長期停電が生じた場合を想定すると、非常に大きな経済的打撃を受けることになる。そこで、生産拠点の地域分散化対策が考えられる。
しかし、上記したように生産効率から考えると生産拠点の分散化には緻密な計画が必要となる。つまり、地方を活性化するために、色々な産業を地方に誘致するにしても、誘致される産業が地域社会でより高い生産効率を維持できるように、国全体の産業、流通、行政サービス等々の総合的な地域活性化政策を打ち出さなければならないだろう。
ここで、地方分権の問題が提起される。この課題は、現在の日本にとって進めなければならない課題であるが、地方分権を道州制の地方分割の行政システムの導入に関する形式論議論、つまり地方行政区間の再編成問題にしてはならない。地方分権の目的を明確にし、国家の危機管理のための体制と地域社会の活性化に必要な地方行政の権限の拡大の内容を検討しなければならない。
と同時に、前記したように圧倒的に東京圏に集中したGDPを考えるなら、地方分権の強化を進めることと、例えば地方自治体が納税収入を管理し、その一部を国に支払うという制度を導入したとしても、東京圏に集中する納税収入(法人税のみ、つまり住民税ではない部分)を段階的に地方行政の財源として保障しなければ、ならないだろう。
つまり、地方分権を導入するためには、多くの困難な課題が存在しているのである。政府も2007年に地方分権改革推進委員会を作り、多くの専門家を交えて審議を重ねている。委員会は会議を重ねながら、内閣総理大臣に対して4つの勧告と2つの意見を提出している。(3)今後も、学会、大学研究者、シンクタンク、企業研究所等の多くの専門家による意見を集め、検討を重ねなければならない。
地方分権化初期段階で最も配慮しなければならない課題は財政問題である。つまり、地方分権化を地方財政の確保を前提にして進めなければ、都道府県知事は二の足を踏むに違いない。
21世紀の災害に強い国家と地方分権へ道筋を立てる・政策構想
地方分権制度を行うためには、まずその制度が国家戦略として、将来の日本の経済や社会を強化するために必要であることを十分に理解なければ実現しないだろう。例えば、その課題の一つとして災害に強い国を作るという国家戦略を明確に説明する必要があるだろう。
地方分権化は、道州制の行政システム分割問題になろうとしている。それでは本末転倒し、中央集権制度の弊害である官僚制度をそのまま道州政府に移行するだけになる可能性もある。また、役人の人数を減らすことが目的化し、地域社会のサービスの低下を招く可能性もある。従って、地方分権を行政制度の形式に関する議論にしてはならない。
つまり、原点に戻り、現在の災害に弱い国家、地方経済の貧困化を招く国家を変えるために何が必要かという課題に戻り、その課題解決を第一の目的にした議論をする必要がある。
つまり、地方分権化の必要性とは、国全体の力を取り戻すための制度作りを目的にしているのであって、その行政形態の形式を議論する前に、現在の中央集権・官僚制度で生じている地方社会での経済や社会発展を阻害するすべての要素を分析し、その要素を改善するための考え方、また規則や制度を吟味する必要がある。それらの細かい一つ一つの課題の見直しを具体的に進めるための活動が、つまり、地方分権化の活動である。
そうすれば、地方分権は中央政府の官僚機構から提案され、議論されるものではないことにまず気付くだろう。そして、地方毎に、それらの議論が始まるようにお膳立てをすることが、中央政府の役目であることにも気付くだろう。
災害に強い国を作るために地方分権化を進める
日本という国は、素早い近代化によって20世紀のアジアの国で列強欧米の植民地支配を受けなかった。と同時に欧米列強のように他のアジアの国々を植民地支配した国である。第二次世界大戦で敗北し、また原爆投下による犠牲者と被爆被害者を持つ国でもある。さらに、戦後経済復興のために農業や漁業を犠牲にしながら、水俣病を始めとする公害病を生み出した国でもある。
そして1960年代からの高度経済成長によって、1970年代に再び世界の経済強国となり、国民は豊かな生活を手に入れた。しかし、その結果、都市への人口や社会経済機能の集中化が生じた。その集中化によって生産効率を上げながらも、今、その限界に達しようとしているのである。それが、今回の東日本大震災による都市機能の麻痺となって明らかに示されたように思う。
災害に強い国を作るために、都市に集中した人口、行政、生産、教育等々の社会機能を地方に戦略的に分散させるためには何をすべきだろうか。以下、その目的と方法について述べる。
地方分権化の目的
1、 地方分権化は、地方社会の経済文化の活性化を促進するのが目的である。
2、 地方分権化は、地方行政の経済効率を上げるために行うのが目的である。
3、 地方分権化は、災害の多い日本を災害に強い国家にするのが目的である。
地方分権化作業の方法
1、 現在の都道府県の地方行政の自由度を高めるために現在の地方行政システムの範囲で可能な地方分権化のための法律や制度を国は整備する。
2、 地方分権化はあくまでも地方行政の長を中心とする委員会で行う。それら活動を国は支援する。
3、 地方分権化の具体的な地域分割(道州制導入)に関しても、地方自治体に任し、地方自治体の利益や主体性を尊重しながら進める。
参考資料
(1) 公益社団法人 経済同友会 「道州制移行における課題 -財政面から見た東京問題と長期債務負担問題‐」HP 提言・意見・報告書 2010年5月19日 KEIZAI DOYUKAI
http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2010/pdf/100519b.pdf
(2)JCASTニュース 「三大都市圏人口が全人口の半数を上回る」2007年8月3日
http://www.j-cast.com/2007/08/03010009.html
(3)内閣府 「地方分権改革推進委員会の勧告・意見等」
http://www.cao.go.jp/bunken-kaikaku/iinkai/torimatome/torimatome-index.html
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年3月31日 修正(誤字訂正、文書追加)
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2011年3月28日月曜日
政府は、原発大災害に向けて緊急体制を採るべきである
東電福島第一原発大災害に立ち向かう(1)
三石博行
人災としての原発事故 それに対する緊急対策
東日本大震災は日本社会に大きな打撃を与えた。今、一刻も早い復旧が急がれている。その復旧活動に大きな妨げになり、また東日本大震災の被害をさらに増大させようとしている要因としてこの大震災の二次災害として発生した東電福島第一原発事故がある。
この災害は戦後日本が経験したことのない大災害に発展する可能性が強くなっている。この災害をもたらした要因は、地震と津波の自然災害であることは言うまでもないが、同時に、我々日本社会での安全管理や危機管理の甘さによるものでもあると言える。
東洋経済の記事によると、東電の危機管理に関しては2006年3月1日の衆議院予算委員会で吉井英勝議員(共産党)が今回のような地震や津波での被害を想定した質問をしている。吉井議員はその後数回質問をしている。そして自家発電の電源が使えない状態になった場合の対応についても質問している。それに対して、経済産業省原子力安全・保安院の寺坂信昭院長は原子炉が停止後も冷却して行くことが大切だとか、冷却機が持続的に動くことが大切だと答えた。(1)
しかし、経済産業省は、国会での指摘を受けて、そして自らの答弁の責任として、東電福島第一原発の危機管理を点検し、そして改善を指示指導したのであるなら、今回の事故は防げただろう。
東洋経済の記事には、そのほかにも東電福島第一原発での不祥事を国会で近藤正道議員(社民党)が指摘した事実が記されている。しかし、経済産業省はその指摘や批判に何も対応していなかったし、寧ろ東電擁護の答弁を行ったことが書かれている。(1)
つまり、今回の東電福島第一原発事故は地震と津波だけによって生じた事故ではない。東電の危機管理の無さ、産業通産省の官僚的仕事と企業との癒着等によって、生じたものであると解釈できる。そして、事故が進行しつつある段階でも、東電の危機管理の甘さ、産業通産省の官僚的姿勢は変わらなかった。
したがって、これまでの経過を見る限り、さらに重大な危機がどのように迫ったとしても、東電の体質も経済産業省原子力安全・保安院の官僚的体質も変わらないだろう。政府は、この二つの元凶を理解し、現状の危機管理として、至急、民間人を入れた対策会議を形成し、経済産業省原子力安全・保安院に依存した政策を出すことを止めなければならない。(3)
最悪の事態を想定した対策を立てる
現在も原発での災害は進行しつつあり、何一つ予断を許さない段階である。最悪の場合、福島第一原発のすべての原子炉が崩壊し、炉内や使用済み核燃料の放射能物質による環境汚染が起こるだろう。その最悪のシナリオを考えて被害を最小限に食い止めるための準備をしておく必要がある。
国民に不安を与えないという政治的立場から政府が発言することは当然のことである。もし、最悪の事態が生じるとしても、無用な恐怖や不安を掻き立てることはない。しかし、それだけに、その最悪の事態への万全の準備が必要となる。
取るべき手段のすべてを採ることしかない。そのために、多くの犠牲者が出る。特に、事故防止のために現場で働く人々の被曝は避けられない。それを恐れて、重大な災害を引き起こすことになれば、さらに多くの人々が被曝することになるだろう。
あらゆる支援と協力体制が必要
もはや、緊急事態が起こることを想定しなければならない。そして現在はその一段階を越えてたと判断すべきである。つまり、国家としては非常事態に突入したのである。
今後、国を揺るがし、そして国家の経済的な基盤や国際的信頼を崩壊させる大事態であることは確かである。この事態に立ち向かうための政府としての、そして東電としての決意が必要である。
政府は、最大の危機を想定した国際的支援体制と国家の協力体制を緊急に作る必要がある。そのためには、現状の事故の情報を公開し、そして今後生じる課題に関して合理的で現実的な対策を検討し続けるために、国内のあらゆる部門の専門家を集め、その力を借りて、対策を検討すべきである。(2)
また、国際的には、海外、アメリカやEUに対して協力を求めるべきである。取り分け米軍の援助をさらに要請し、またヨーロッパなどの専門家の協力を得るべきだろう。
参考資料
(1)東洋経済 「国政の場で指摘されていた 福島第一原発への「不安」(1)(2)
http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/fe2850f53fedccdefb3d90f747346430/
http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/fe2850f53fedccdefb3d90f747346430/page/2/
(2)earth garden 「WebMagazin ヨミモノ」「再び13日17時:原子力資料情報室による記者会見」
http://www.earth-garden.jp/magazine/7521/
(3)毎日jp 「福島第一原発:前知事が批判「破局招いた無分別」 仏紙に」2011年3月29日 11時(このブログ記載の後に出た記事です)
http://mainichi.jp/select/science/news/20110329k0000e040028000c.html
引用
「佐藤氏は福島県知事時代の98年、全国で初めてプルサーマル計画を了承。プルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料が福島第1原発に搬入されたが、02年に東電の原発トラブル隠しが発覚、了承を撤回した経緯がある。
佐藤氏は「(今回の事故で)恐れていたことが現実になってしまった」と指摘。日本の原発行政を推進する経済産業省と監視機関の原子力安全・保安院を分離すべきだとの声があったのに実現していないことを挙げて「日本は民主国家だが、浸透していない分野がある。正体不明の利益に応じて、数々の決定がなされている」と原子力行政の不透明性を暴露した。
また「今回の破局は(原発に関する)政治決定プロセスの堕落に起因している」と指弾した。」
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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修正(誤字) 2011年3月29日
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三石博行
人災としての原発事故 それに対する緊急対策
東日本大震災は日本社会に大きな打撃を与えた。今、一刻も早い復旧が急がれている。その復旧活動に大きな妨げになり、また東日本大震災の被害をさらに増大させようとしている要因としてこの大震災の二次災害として発生した東電福島第一原発事故がある。
この災害は戦後日本が経験したことのない大災害に発展する可能性が強くなっている。この災害をもたらした要因は、地震と津波の自然災害であることは言うまでもないが、同時に、我々日本社会での安全管理や危機管理の甘さによるものでもあると言える。
東洋経済の記事によると、東電の危機管理に関しては2006年3月1日の衆議院予算委員会で吉井英勝議員(共産党)が今回のような地震や津波での被害を想定した質問をしている。吉井議員はその後数回質問をしている。そして自家発電の電源が使えない状態になった場合の対応についても質問している。それに対して、経済産業省原子力安全・保安院の寺坂信昭院長は原子炉が停止後も冷却して行くことが大切だとか、冷却機が持続的に動くことが大切だと答えた。(1)
しかし、経済産業省は、国会での指摘を受けて、そして自らの答弁の責任として、東電福島第一原発の危機管理を点検し、そして改善を指示指導したのであるなら、今回の事故は防げただろう。
東洋経済の記事には、そのほかにも東電福島第一原発での不祥事を国会で近藤正道議員(社民党)が指摘した事実が記されている。しかし、経済産業省はその指摘や批判に何も対応していなかったし、寧ろ東電擁護の答弁を行ったことが書かれている。(1)
つまり、今回の東電福島第一原発事故は地震と津波だけによって生じた事故ではない。東電の危機管理の無さ、産業通産省の官僚的仕事と企業との癒着等によって、生じたものであると解釈できる。そして、事故が進行しつつある段階でも、東電の危機管理の甘さ、産業通産省の官僚的姿勢は変わらなかった。
したがって、これまでの経過を見る限り、さらに重大な危機がどのように迫ったとしても、東電の体質も経済産業省原子力安全・保安院の官僚的体質も変わらないだろう。政府は、この二つの元凶を理解し、現状の危機管理として、至急、民間人を入れた対策会議を形成し、経済産業省原子力安全・保安院に依存した政策を出すことを止めなければならない。(3)
最悪の事態を想定した対策を立てる
現在も原発での災害は進行しつつあり、何一つ予断を許さない段階である。最悪の場合、福島第一原発のすべての原子炉が崩壊し、炉内や使用済み核燃料の放射能物質による環境汚染が起こるだろう。その最悪のシナリオを考えて被害を最小限に食い止めるための準備をしておく必要がある。
国民に不安を与えないという政治的立場から政府が発言することは当然のことである。もし、最悪の事態が生じるとしても、無用な恐怖や不安を掻き立てることはない。しかし、それだけに、その最悪の事態への万全の準備が必要となる。
取るべき手段のすべてを採ることしかない。そのために、多くの犠牲者が出る。特に、事故防止のために現場で働く人々の被曝は避けられない。それを恐れて、重大な災害を引き起こすことになれば、さらに多くの人々が被曝することになるだろう。
あらゆる支援と協力体制が必要
もはや、緊急事態が起こることを想定しなければならない。そして現在はその一段階を越えてたと判断すべきである。つまり、国家としては非常事態に突入したのである。
今後、国を揺るがし、そして国家の経済的な基盤や国際的信頼を崩壊させる大事態であることは確かである。この事態に立ち向かうための政府としての、そして東電としての決意が必要である。
政府は、最大の危機を想定した国際的支援体制と国家の協力体制を緊急に作る必要がある。そのためには、現状の事故の情報を公開し、そして今後生じる課題に関して合理的で現実的な対策を検討し続けるために、国内のあらゆる部門の専門家を集め、その力を借りて、対策を検討すべきである。(2)
また、国際的には、海外、アメリカやEUに対して協力を求めるべきである。取り分け米軍の援助をさらに要請し、またヨーロッパなどの専門家の協力を得るべきだろう。
参考資料
(1)東洋経済 「国政の場で指摘されていた 福島第一原発への「不安」(1)(2)
http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/fe2850f53fedccdefb3d90f747346430/
http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/fe2850f53fedccdefb3d90f747346430/page/2/
(2)earth garden 「WebMagazin ヨミモノ」「再び13日17時:原子力資料情報室による記者会見」
http://www.earth-garden.jp/magazine/7521/
(3)毎日jp 「福島第一原発:前知事が批判「破局招いた無分別」 仏紙に」2011年3月29日 11時(このブログ記載の後に出た記事です)
http://mainichi.jp/select/science/news/20110329k0000e040028000c.html
引用
「佐藤氏は福島県知事時代の98年、全国で初めてプルサーマル計画を了承。プルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料が福島第1原発に搬入されたが、02年に東電の原発トラブル隠しが発覚、了承を撤回した経緯がある。
佐藤氏は「(今回の事故で)恐れていたことが現実になってしまった」と指摘。日本の原発行政を推進する経済産業省と監視機関の原子力安全・保安院を分離すべきだとの声があったのに実現していないことを挙げて「日本は民主国家だが、浸透していない分野がある。正体不明の利益に応じて、数々の決定がなされている」と原子力行政の不透明性を暴露した。
また「今回の破局は(原発に関する)政治決定プロセスの堕落に起因している」と指弾した。」
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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修正(誤字) 2011年3月29日
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2011年3月26日土曜日
2011年3月25日金曜日
可愛い迷惑な訪問者
2011年3月25日の庭
三石博行
毎年、冬に訪問者がやってくる。冬しか来ない。多分渡り鳥かもしれない。もしくは、山に食糧がないから人家のある所に来るのかもしれない。
彼らの好きな野菜は、ケール、キャベツと栄養分の多い肉厚の葉っぱを持った野菜だ。小松菜やホウレン草はそんなに好きではない。
今年の冬は、ビタミン菜を植えた。ビタミン菜が随分お気に入りで、毎日、葉っぱをつつきに来る。殆ど良いところは、ツガイでくるこの家族に食べられる。
真冬が終わり、寒さが和らぐ。すると野菜たちに変化が起こる。
まず、小松菜のとうが立ちだしたので、まず、小松菜を食べてから、ビタミン菜の葉っぱを食べることにした。
今週に入って、私もようやくビタミン菜を取ることが出来た。もう、鳥に葉っぱの先を突かれて、まるで破れた扇子のようになっている。
それでも、今朝も葉っぱをとった。ここは寒いから朝早くは野菜の葉っぱは凍っている。
葉っぱを集めて、雨水タンクの水で洗って、鳥に食べられてぼろぼろになった葉っぱを捨てて、食べられるところを集める。
それで野菜ジュースを作る。
確かに、この野菜は、今までの小松菜より甘い。
おいしい野菜ジュースが出来た。
彼らは、野菜のことをよく知っているのだと、改めて彼らの能力を見直したのだった。
3月25日
友人から、この迷惑者の名前は「ヒヨドリ」だろうと連絡を貰う。
早速、調べてみた。
確かに、ヒヨドリみたいだ。
参考 Yshooオンライン野鳥図鑑
http://www.yachoo.org/Book/Show/462/hiyodori/
三石博行
毎年、冬に訪問者がやってくる。冬しか来ない。多分渡り鳥かもしれない。もしくは、山に食糧がないから人家のある所に来るのかもしれない。
彼らの好きな野菜は、ケール、キャベツと栄養分の多い肉厚の葉っぱを持った野菜だ。小松菜やホウレン草はそんなに好きではない。
今年の冬は、ビタミン菜を植えた。ビタミン菜が随分お気に入りで、毎日、葉っぱをつつきに来る。殆ど良いところは、ツガイでくるこの家族に食べられる。
真冬が終わり、寒さが和らぐ。すると野菜たちに変化が起こる。
まず、小松菜のとうが立ちだしたので、まず、小松菜を食べてから、ビタミン菜の葉っぱを食べることにした。
今週に入って、私もようやくビタミン菜を取ることが出来た。もう、鳥に葉っぱの先を突かれて、まるで破れた扇子のようになっている。
それでも、今朝も葉っぱをとった。ここは寒いから朝早くは野菜の葉っぱは凍っている。
葉っぱを集めて、雨水タンクの水で洗って、鳥に食べられてぼろぼろになった葉っぱを捨てて、食べられるところを集める。
それで野菜ジュースを作る。
確かに、この野菜は、今までの小松菜より甘い。
おいしい野菜ジュースが出来た。
彼らは、野菜のことをよく知っているのだと、改めて彼らの能力を見直したのだった。
3月25日
友人から、この迷惑者の名前は「ヒヨドリ」だろうと連絡を貰う。
早速、調べてみた。
確かに、ヒヨドリみたいだ。
参考 Yshooオンライン野鳥図鑑
http://www.yachoo.org/Book/Show/462/hiyodori/
2011年3月24日木曜日
災害に強い社会を作るための主な三つの課題
今までの震災への対応を検証し、即、それを活かそう
三石博行
災害に強い社会を目指す
国民参画の救援体制
今回の東日本大震災は、地震と津波による未曾有の被害をもたらした。犠牲者と行方不明者数を合わせて2万人を越え、31万人が避難生活をしている。また全壊した建物は警察庁の発表によると14697戸、半壊したものは4901戸、部分的破損を含めると12万戸以上の家屋への被害が出た。(1)
懸命の救援活動が続く中で、まだ社会インフラが麻痺し続けている。生活必需品の不足は深刻である。阪神淡路大震災の教訓から市民からの支援物資を断り続けているが、その判断は正しいのだろうか。阪神淡路大震災は都市圏に囲まれた地域での震災であった。しかも津波の被害もなかった。今回の場合は、津波の被害が大きく、しかも非常に広域、阪神淡路大震災の5倍に及ぶ広域災害である。その罹災者も異なり農業や漁業を営む人々が多く含まれている。
東京を中心とする都市圏から市民が提供する生活必需品が多く集まるだろう。その中には不要なものがあるから、予め救援物資の提供を断っているらしい。それなら、必要な救援物資を提示し、それを最寄の区役所や市役所に届けてもらい、さらにその地域の市民に呼びかけて救援物資を送るための活動ボランティアを呼びかけたらいいのではないか。昼間なら高齢者、夕方からは勤めから帰ってきた人々が生活の場所から、ボランティア活動に参加できる。
例えば、阪神淡路大震災で大阪府箕面市の市民が罹災者救援ボランティア情報紙「WANTED」を発行し、箕面市民の「おにぎり作り」や「洗濯」ボランティアを組織し、神戸市長田区の罹災者に届けた。この活動は、すでに忘れ去れられようとしている。(2)しかし、大震災に立ち向かう市民の力を集めることで、市民の独自の運動は、豊かな想像力(生活者であるので可能な)と行動力を持つ。
行政はその市民力(国民の力)を活用し、箕面市が行ったように、市民に活動の場を提供することによって、罹災地に送ることができるように分類整理することも出来る。こうした事態では、行政組織の救援体制だけでなく、広く市民参加を呼びかけ市民による救援体制を作るべきではないだろうか。市民参画の災害危機管理に関しては後に述べる。(3)
罹災現場のニーズに合わせた救援策
今回の大震災はこれまでに経験したことのない色々な課題を投げかけている。例えば、災害時に必要な救援物資は大まかに想像できるし、過去の経験から予測できる。今回の場合は1995年の阪神淡路大震災や2007年の新潟県中越沖地震災害が参考になっている。しかし、今までの災害と異なる状況にあることを前提にして、つまり現実の状況とニーズに即した救援策を展開する必要がある。
例えば、今回のような深刻なガソリンの不足も阪神大震災では起こらなかった。その理由は、多くの製油所が壊滅的打撃を受けたというだけでなく、今回の震災が青森県から千葉県に渡る広域災害であったこともその一つである。
救援物資を送るためには、自衛隊や警察機動部隊等による補給路の確保、そして民間運送企業の協力による運搬体制の確立である。しかし、ガソリンがなければその両方に影響が出る。政府は、ガソリン確保のための緊急対策を取った。製油や運搬企業への協力体制を政府指導で作ることで、その成果が3月22日から見え始めてきている。
国の力を一つにして取り組む
これほどにも大きな災害に対しては、国を挙げて取り組まなければ人命の救助、二次災害防止を食い止めることは不可能である。今回の東日本大震災(東北関東大震災)は、戦時の災害に次ぐ近代日本が始まってから二回目の大災害である。国家がそのためにあらゆる対策を行う必要がある。
自衛隊の出動も一日目に8千人、そして二日目に2万人と5万に増員され、3日目には10万人体制となった。何故はじめから10万人、いや、現勢力26万人の自衛隊員の殆どでないのかという批判もある。しかし、日本の自衛隊の構成は実働部隊の割合が事務系や将校系に比べて低い。実際の国の防衛活動(災害時のみでなく)こうした自衛隊自体の問題も今回明らかになったのではないだろうか。いずれにしても、国が所有する防衛力(自衛隊)や治安維持体制(警察)を災害救助に敏速で有効に活用しなければならない。
さらに、緊急時では超党派での政治体制が必要である。勿論、議会制民主主義を無視することは憲法違反であるし、災害を理由に国会での話し合いを中止することは民主主義社会のルールを破壊する危険な行為である。しかし、超党派で震災への対応、つまり東日本大震災救援対策本部(委員会)を超党派で形成し、他の政党の有能な議員を対策本部のリーダーとして起用することが必要である。
今回、管直人総理大臣は自由民主党総裁の谷垣氏に入閣を要請した。3月19日、残念ながら谷垣氏は断わった。しかし、管総理の姿勢は評価できる。そしてその姿勢を国民に示したことがもっと大きな意味を持つことになるのである。
今後事態が進む場合には、もう一度、自民党は、重大災害時における超党派的団結を検討してもよいのではないだろうか。そして、若い自民党の議員や政治家が、国家の危機を救うためにより積極的な立場に立つ機会を与えるべきではないだろうか。
すべての国の力、官僚組織、企業、公共団体、シンクタンク、大学、学術等団体、自治体、NGO、ボランティア、市民運動、自治会、サークル、家族等々、ありとあらゆる共同体、集団すべての国民の力を合わせ、この危機に立ち向かわなければならないのである。
常に失敗から学ぶ姿勢を持つ
甘い予測での甘い安全管理
今回の東日本大震災(東北関東大震災)は、千年に一回の確率で生じる災害であると報じられている。東電福島第一原発はマグニチュード(M)8以上の地震は来ないことを想定して建てられたらしい。今日(2011年3月23日)のTBSの番組「みのもんた朝ズバッ」で取材に応じた設計者の説明である。
世界の地震の歴史を紐解けば、20世紀に起こったM8以上の地震は、南北アメリカ大陸だけで、12件以上もあり、1960年5月22日のチリ地震はM9.5で、日本でも津波の被害が起きた。(4)
日本でも、1911年喜界島地震(M8.0)、1918年千島列島得撫島(うるっぷとう)地震(M8)、1933年昭和三陸地震(M8.1)、1946年南海地震(M8.0)、1950年十勝沖地震(M8.2)、1959年 択捉島付近地震(M8.1)、1963年択捉島沖地震(M8.1)、1994年北海道東方沖地震(M8.2)と8回もM 8を越える地震があった。(4)
東電福島第一原発は1971年3月に運転が始まる。その建設は1960年から調査が始まり、1966年に原子炉設置許可申請を出し、同年に認められている。(5)つまり、東電福島第一原発が設計された1966年までに20世紀始めから日本では7回もM8を越える地震を経験しているのである。
従って、今朝のTBSの番組で東電福島第一原発設計者がM8以上の地震は来ないと仮定して設計したという発言自体が信じられない内容であることに気付くだろう。
市民からの批判を恐れる企業は、つねに甘い予測を立てる。それは経営陣が危機や災害の予測を立てることによって、世間の批判を受けることを恐れるからである。原発は建設当時から、その危険性を専門家や市民によって指摘され続けてきた。その意味で、原発事故が発生することを建設を推進した国や電力会社が危険性を述べることはタブーに近い状態にあった。
原発は安全ですと電力会社のコマーシャルで毎日のように宣伝してきた。何故なら、これからも原発建設を進めなければならないからであった。しかし、今回も、東電の甘い事故発生の予測が二次災害を拡大する原因となった。初期段階で取るべき緊急対策、海水の投入や外部電力の使用は、水素爆発が起こった後にようやく取られる結果となった。
この姿勢は、東電がこれまで、原発事故への甘い予測をし続けてきたことと同じである。この同じ失敗を繰り返す「企業体質」を変えなければならない。それは東電の不利な情報隠し、小さな事故隠しの体質である。この体質は、他の電力会社も同じように持っている。その意味で、今後、他の電力会社の原子力発電所に事故が起こらないという保障は何もない。
そして、現在も、放射能汚染に対して、「それほど健康障害を起す値ではない」という曖昧な発言が繰り返されている。殆どの国民が被曝線量の計算の仕方を知らない中で、被曝量として使われているシーベルトという単位、その一時間での被曝量と被曝量の違いも明確に説明されていない。確かに1時間の被曝量は少ないかもしれないが、しかし、その現場にいる時間は何時間、何日なのか。そうだとすると一時間の被曝量で説明するのは不十分ではないかという発言や批判がインターネットで記載されはじめている。
甘い災害予測、甘い危機感、甘い被害予測、これらのすべてによって、これからも被害が拡大し続けることは間違いないだろう。
また、そして、今、原発の致命的な事故を防ぐために東電の職員、消防レスキュー隊、自衛隊、警察機動隊、民間企業の職員、報道関係者が放射能被曝を覚悟で働いている。それらの人々に今後起こる放射能被曝障害(労災)に関する情報も殆どない。何故なら、これまで原発で働いてきた人々の被曝被害(労働災害)に関する報道がなかったからではないだろうか(6)。
甘い責任追及から生じる危機管理
今回の東電福島第一原発事故の直接の原因は東日本大震災(東北関東大震災)による津波である。今回の未曾有の津波による被害は、確かに東電にも予測できなかっただろう。地震による停電を補助するためのジーゼル発電機が津波で故障したと言うことは、東電は二次災害対策を持っていなかったことを意味する。つまり、停電対策として非常用電源(ジーゼル発電装置)のみが東電の取っていた危機管理であった。非常用電源が機能しなくなる状況は全く想定していなかったのである。
緊急時に炉心を冷やす「緊急炉心冷却装置」が機能しなくなることで、さらに重大な原発事故が引き起されることを想定するなら、二次災害防止対策、つまり予備電源を外部から引いてくるという一番効果的な対策、さらにその二次災害防止対策が機能しない場合の三次災害防止対策、例えば発電機能を持つ緊急車両等々と、何重にも危機管理対策を取ることが必要であった。しかし、その判断がなかったのは、東電が原発事故補償へのコスト計算を間違ったとしか言いようがないのである。
広域放射能汚染による、農業や漁業への被害、居住地を失う市民への損害賠償、機能不全となる市政や自治体への損害補償等々、その被害額は国家予算の一部に相当するだろう。その意味で、東電は間違いなく倒産寸前の経営状態となるだろう。すでに東電は1兆円の資金融資を銀行に要請している。しかし、その金額で今後の東電の復旧と周辺の社会に与えた被害の補償が出来るとは思えない。
とは謂え、関東一帯の電力供給を担う事業である東京電力株式会社を国は潰す訳にはゆかない。そこで、国は何らかの財政支援を行うに間違いないだろう。国はバブル経済が破綻した時に、都市銀行の救済をした。その時と同じく今回も東電を救済するだろう。その国の姿勢は、どこかですでに東電の側に期待されている。それ故に、その甘い期待の上に、第二の福島第一原発事故は東電だけでなく、他の電力会社でも起こるに違いない。
危機管理体制・報道機関での専門家の発言責任
今回の東電福島第一原発事故が表面化して、報道は専門家を呼び、原発事故の説明を行った。NHKで原発事故に関する説明を行った関村直人東京大学大学院工学系研究科教授は、事故当時まで独立行政法人原子力安全基盤機構(JNES)(7) のホームページに「私にまかせてください」というキャッチフレーズで登場していた(今、ホームページ画面が変わり関村直人氏の写真はない)。
独立行政法人 原子力安全基盤機構(以後、JNESと呼ぶ)の理事長の曽我部捷洋(そがべかつひろ)氏は旧通商産業省(通産省)及び科学技術省原子力安全局の出身者で、財団法人原子力発電技術機構の参事を歴任してきた人である。6人の役員のうち3名が旧通産省の出身者で他の1名も官庁出身、前大学教員1名、日本航空(殆ど官製企業と謂える)から1名で構成されている。見方を変えれば、JNESは政府官僚経験者が作る原子力安全を謳い文句にした天下り組織である。(7)
関村氏は、原発事故が発覚した当初、「そう重大な問題はない」とか「あまり心配する必要はない」と言った内容の発言を続けていた。その発言に多くの人々から批判が起こった。関村氏の発言では、現在の重大事故が発生する可能性は極めて低いことになっていたはずである。
専門家(東京大学の教授)の発言であり、しかもNHKのニュース番組である。その場で日本の最高権威が「多分、大丈夫だろう」と言い続けてきた結果の大災害である。民放では、原発建設に批判的であった専門家をNPO原子力資料情報室(CNIC)(8)や京都大学原子炉実験所(大阪府泉南郡熊取町)(9)から招待し、発言を求めていた。
事故が報道されたすぐ後、3月15日の原子力資料情報室(CNIC)の専門家の発言が非常に印象的だった。つまり、東電は「緊急炉心冷却装置」が機能しなくなったと判断したすぐ後に、重大な二次災害を防ぐために躊躇せずすぐそこにある海水を冷却用水として使うべきである。しかし、それを何故しないかと言うと、もし海水を入れるなら、その原子炉は殆ど二度と使えない状態になるからであるという内容の発言であった。
実際、東電の事故防止対策の判断が遅かったのは、そのためであり、政府から厳しい指摘を受けて、ようやく、東電は海水を冷却水として使用し始めた。その時は、もう手遅れであった。東電のこの体質が変わらない以上、今後も、同じ失敗を繰り返すだろう。それならば、政府は独自に原子力安全の専門家を置き素早い対策を採らなければならない。
東電の危機管理の遅さ、それから予測される重大事故の可能性をJNESに関係し、原子力安全の専門家として東京大学で教鞭に立つ関村氏は知らなかったのだろうか。彼も東電と同じ判断に立っていたのかもしれないと批判され、悪く解釈されても仕方がないのである。
これから、関村氏に代表される専門家のNHK等公共放送での発言内容は社会的に検証される必要がある。つまり、その発言が的確でない場合、また将来の事故を予測できていない場合、専門家としての責任は、無知では済まされない場合が生じる。もし、被害を正確に指摘できない場合、引き起こされる被害を予測できない場合には、公共放送に専門家として登場した責任を問題にされても仕方がないのである。
原発擁護のための虚偽発言をしたという積極的立場なら専門家の犯罪性を指摘できるのだが、今回のように、明確に今後の事故の進展を指摘できない場合にも、専門家としての責任が付随すると思える。関村氏のNHKでの発言内容を、当時の事故状況と照らし合わせて、専門家達は検証する必要はないのだろうか。
もっと厳しい言い方をするなら、この検証作業は東京大学の他の専門家を入れて行う必要がある。もし、関村発言が的確でなく、誤解を招くような内容であったとすると、その社会的責任の一角を東京大学も負う必要はないだろうか。この考えは極端であると批判されるかも知れないが、是非とも、重大災害対策について社会が検討している最中の公共放送での専門家の発言に関しては、その専門家の発言内容のもつ社会的影響を前提にして、その内容の是非とその社会的責任について議論をして欲しいものである。もし、この議論すらないのであれば、この国では、教育と研究機関である大学の社会的役割やその結果への責任は問われないことになるだろう。
こうした公共的立場に立ち、世論に大きな影響を与える専門家と報道機関が、今回の原発事故の初動段階でどのような報道と発言をしたかを徹底的に検証しなければ、今後、同じことが繰り返され、重大事故を未然に防ぐことは出来ないだろう。
国際化する災害被害と国際災害協力体制
国際化社会での災害救助体制の意味
今回の東日本大震災は、地震と津波による未曾有の被害のみでなく、重大な二次災害・東電福島第一原発事故の被害が加わった。この災害は、将来、日本や世界の災害史に残るだろう。否、未来社会にこの災害記録を残さなければならない。
今回の災害救助のために、世界から支援が集まっている。外務省のホームページによると3月23日までに130カ国・地域及び33の国際機関からの支援の申し入れがあり、18の国と地域から緊急救援隊、国連災害評価調査チーム及び国際原子力機関(IAEA)専門チームが来ている。(10)
今回の大災害を通じて、我々は国際災害救助活動を相互に受け入れることは、国際平和活動に繋がるとことを学んだ。反日運動を書きたてた中国のメディアは尖閣諸島の領有地問題で激しく日本を攻撃し続けていた。そのメディアも今回の震災に対して、哀悼の意を表し、震災支援の報道を行った。日本と国交を持たない国も赤十字を通じて、救援活動を申し出てきたようである。
海外から災害救助隊が送られ、被害国での救援活動を行うことを可能にしている背景に国際化した現代社会がある。日本の社会が災害で機能しなくなることによって、例えば韓国のIT関係企業が必要とするある部品の20%の品不足が生じることになるという。また、原発事故などは、近隣の国も大きな二次災害を受ける。そして放射能汚染は世界に拡散する。特に、アメリカにとって日本での原発事故は、海流や偏西風の流れを考えると、放置できない。アメリカが東電福島第一原発事故による放射能汚染の影響を受けるのは避けがたいし、時間の問題となる。
つまり、現代社会の重大災害では、国際化した経済活動による自国産業への他国災害からのダメージ、他国の事故によって生じる汚染物質の地球規模の拡散と自国の環境汚染、農業や漁業への打撃等々が生じる。従って、今回の東日本大震災・東電福島第一原発事故も必然的に世界の国々が関心を持ち、自国経済の立場から、日本の災害被害を小さく抑えることの意味を理解している。
東日本大災害への支援を申し出た国々は、以前、日本の災害救助隊のお世話になったという事実はあるものの、同時に、もう一つの意味、つまり変化する社会、つまり国際化社会での巨大災害救援体制の意味を理解しておく必要がある。
日米同盟を活かした災害救援活動の展開
つまり、これから21世紀の国際化の進む社会では、災害救助活動も国際化してゆく。海外で災害が生じれば、多くの国々、もしくは国際機関が救助隊を派遣する制度が作られるだろう。そのことによって、発展途上国での災害救助は画期的に進歩する可能性がある。
こうした国際社会の流れに対して、今回の東日本大震災、取り分け二次災害・東電福島第一原発事故に対して、国際社会から厳しい指摘があった。つまり、原発事故に対する日本政府の対応が遅いこと、情報公開が不十分であること等々の批判である。
国際社会に対する震災情報、取り分け原発事故の情報公開は政府外務省の責任で果たす作業である。誠実な対応に欠けているのではないかと批判されている。特に、同盟国アメリカの原発事故によって発生する放射能汚染に対する日本政府の対応への指摘を十分に聴き、出来ればアメリカ政府の災害担当専門官の派遣を要請し、日米共同で事故対策を検討し、解決に向けた動きをする必要はないだろうか。
日米同盟の意味は、国の存亡に関わる重大災害時にも発揮されるべきであると理解されても不思議ではないし、寧ろ、積極的に日米同盟を活かした、災害救援活動を展開すべきではないだろうか。米国の強大な軍事的機動力と技術力の援助を受けて、東電福島第一原発事故対策を急ぐことで、世界的な環境汚染の危機に直面している現状を一刻も早く打開しなければならない。
これは、世界に対して責任ある国家としての義務である。そのために政府は早急に日米同盟に基づく両国間の協力体制を日本の危機管理対策の展開のために活用する必要がある。
21世紀社会の国際災害救援活動形成のために、この災害に立ち向かおう
この東日本大震災の救援活動で経験した国際社会での災害救助の協力体制は、今後、検証され、そして21世紀社会での危機管理のあり方に活かされるだろう。何故なら、巨大科学技術文明社会での危機管理は一国の力量では乗り越えられない危険な事態を引き起こす可能性を秘めている。
今回の大震災はその意味で、大きな教訓を世界に残した。
現在進行形の東日本大震災救援活動と東電福島第一原発事故対策活動の中で、国際社会での災害救援体制のあり方を模索し、実験し、そしてその結果を検証し、未来の国際社会のために、最も現実的で有効な対策に必要な貴重な経験値を集めよう。
参考資料
(1)日本経済新聞 2011年3月22日 朝刊14面 「未曾有の災害 立ち向かう」
(2)三石博行 「阪神大震災で問われた情報文化の原点」 in 『第7回情報文化学会全国大会講演予稿集』、東京大学、東京、pp29-36、ISSN 1341-593X
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_02_03.html
(3)三石博行 「災害ボランィア活動を生み出す文化的土壌としてのコミュニテイ・市民運動 ‐現代社会での危機管理(3)-」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_22.html
(4)「地震の年表」 Wikipedia 2011年3月23日
(5)「福島第一原子力発電所」 Wikipedia 2011年3月23日
(6)平井憲夫 「原発がどんなものか知ってほしい」(原発被曝労働者救済センター)
http://www.iam-t.jp/HIRAI/index.html#about
(7)独立行政法人 原子力安全基盤機構 JNES
http://www.jnes.go.jp/tokushu/keinen/businessman/03.html
(8)原子力資料情報室(CNIC)
http://www.cnic.jp/
(9)京都大学原子炉実験所
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/
(10)外務省 「東北地方太平洋沖地震」平成23年3月23日
http://www.mofa.go.jp/mofaj/saigai/index.html
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
1、今、何が問われているか
1-1、日本国民全ての力を集めて震災罹災者を救援しよう ‐東日本大震災への救援・二次防災活動を担う機動部隊の構築‐
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_17.html
1-2、東電原発事故 国は徹底した情報開示と対策を取るべきである ‐畑村洋太郎 失敗学の基礎知識に学ぶ-
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_16.html
1-3、災害に強い社会を作るための主な三つの課題‐今までの震災への対応を検証し、即、それを活かそう‐
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_8089.html
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修正(誤字) 2011年3月28日
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三石博行
災害に強い社会を目指す
国民参画の救援体制
今回の東日本大震災は、地震と津波による未曾有の被害をもたらした。犠牲者と行方不明者数を合わせて2万人を越え、31万人が避難生活をしている。また全壊した建物は警察庁の発表によると14697戸、半壊したものは4901戸、部分的破損を含めると12万戸以上の家屋への被害が出た。(1)
懸命の救援活動が続く中で、まだ社会インフラが麻痺し続けている。生活必需品の不足は深刻である。阪神淡路大震災の教訓から市民からの支援物資を断り続けているが、その判断は正しいのだろうか。阪神淡路大震災は都市圏に囲まれた地域での震災であった。しかも津波の被害もなかった。今回の場合は、津波の被害が大きく、しかも非常に広域、阪神淡路大震災の5倍に及ぶ広域災害である。その罹災者も異なり農業や漁業を営む人々が多く含まれている。
東京を中心とする都市圏から市民が提供する生活必需品が多く集まるだろう。その中には不要なものがあるから、予め救援物資の提供を断っているらしい。それなら、必要な救援物資を提示し、それを最寄の区役所や市役所に届けてもらい、さらにその地域の市民に呼びかけて救援物資を送るための活動ボランティアを呼びかけたらいいのではないか。昼間なら高齢者、夕方からは勤めから帰ってきた人々が生活の場所から、ボランティア活動に参加できる。
例えば、阪神淡路大震災で大阪府箕面市の市民が罹災者救援ボランティア情報紙「WANTED」を発行し、箕面市民の「おにぎり作り」や「洗濯」ボランティアを組織し、神戸市長田区の罹災者に届けた。この活動は、すでに忘れ去れられようとしている。(2)しかし、大震災に立ち向かう市民の力を集めることで、市民の独自の運動は、豊かな想像力(生活者であるので可能な)と行動力を持つ。
行政はその市民力(国民の力)を活用し、箕面市が行ったように、市民に活動の場を提供することによって、罹災地に送ることができるように分類整理することも出来る。こうした事態では、行政組織の救援体制だけでなく、広く市民参加を呼びかけ市民による救援体制を作るべきではないだろうか。市民参画の災害危機管理に関しては後に述べる。(3)
罹災現場のニーズに合わせた救援策
今回の大震災はこれまでに経験したことのない色々な課題を投げかけている。例えば、災害時に必要な救援物資は大まかに想像できるし、過去の経験から予測できる。今回の場合は1995年の阪神淡路大震災や2007年の新潟県中越沖地震災害が参考になっている。しかし、今までの災害と異なる状況にあることを前提にして、つまり現実の状況とニーズに即した救援策を展開する必要がある。
例えば、今回のような深刻なガソリンの不足も阪神大震災では起こらなかった。その理由は、多くの製油所が壊滅的打撃を受けたというだけでなく、今回の震災が青森県から千葉県に渡る広域災害であったこともその一つである。
救援物資を送るためには、自衛隊や警察機動部隊等による補給路の確保、そして民間運送企業の協力による運搬体制の確立である。しかし、ガソリンがなければその両方に影響が出る。政府は、ガソリン確保のための緊急対策を取った。製油や運搬企業への協力体制を政府指導で作ることで、その成果が3月22日から見え始めてきている。
国の力を一つにして取り組む
これほどにも大きな災害に対しては、国を挙げて取り組まなければ人命の救助、二次災害防止を食い止めることは不可能である。今回の東日本大震災(東北関東大震災)は、戦時の災害に次ぐ近代日本が始まってから二回目の大災害である。国家がそのためにあらゆる対策を行う必要がある。
自衛隊の出動も一日目に8千人、そして二日目に2万人と5万に増員され、3日目には10万人体制となった。何故はじめから10万人、いや、現勢力26万人の自衛隊員の殆どでないのかという批判もある。しかし、日本の自衛隊の構成は実働部隊の割合が事務系や将校系に比べて低い。実際の国の防衛活動(災害時のみでなく)こうした自衛隊自体の問題も今回明らかになったのではないだろうか。いずれにしても、国が所有する防衛力(自衛隊)や治安維持体制(警察)を災害救助に敏速で有効に活用しなければならない。
さらに、緊急時では超党派での政治体制が必要である。勿論、議会制民主主義を無視することは憲法違反であるし、災害を理由に国会での話し合いを中止することは民主主義社会のルールを破壊する危険な行為である。しかし、超党派で震災への対応、つまり東日本大震災救援対策本部(委員会)を超党派で形成し、他の政党の有能な議員を対策本部のリーダーとして起用することが必要である。
今回、管直人総理大臣は自由民主党総裁の谷垣氏に入閣を要請した。3月19日、残念ながら谷垣氏は断わった。しかし、管総理の姿勢は評価できる。そしてその姿勢を国民に示したことがもっと大きな意味を持つことになるのである。
今後事態が進む場合には、もう一度、自民党は、重大災害時における超党派的団結を検討してもよいのではないだろうか。そして、若い自民党の議員や政治家が、国家の危機を救うためにより積極的な立場に立つ機会を与えるべきではないだろうか。
すべての国の力、官僚組織、企業、公共団体、シンクタンク、大学、学術等団体、自治体、NGO、ボランティア、市民運動、自治会、サークル、家族等々、ありとあらゆる共同体、集団すべての国民の力を合わせ、この危機に立ち向かわなければならないのである。
常に失敗から学ぶ姿勢を持つ
甘い予測での甘い安全管理
今回の東日本大震災(東北関東大震災)は、千年に一回の確率で生じる災害であると報じられている。東電福島第一原発はマグニチュード(M)8以上の地震は来ないことを想定して建てられたらしい。今日(2011年3月23日)のTBSの番組「みのもんた朝ズバッ」で取材に応じた設計者の説明である。
世界の地震の歴史を紐解けば、20世紀に起こったM8以上の地震は、南北アメリカ大陸だけで、12件以上もあり、1960年5月22日のチリ地震はM9.5で、日本でも津波の被害が起きた。(4)
日本でも、1911年喜界島地震(M8.0)、1918年千島列島得撫島(うるっぷとう)地震(M8)、1933年昭和三陸地震(M8.1)、1946年南海地震(M8.0)、1950年十勝沖地震(M8.2)、1959年 択捉島付近地震(M8.1)、1963年択捉島沖地震(M8.1)、1994年北海道東方沖地震(M8.2)と8回もM 8を越える地震があった。(4)
東電福島第一原発は1971年3月に運転が始まる。その建設は1960年から調査が始まり、1966年に原子炉設置許可申請を出し、同年に認められている。(5)つまり、東電福島第一原発が設計された1966年までに20世紀始めから日本では7回もM8を越える地震を経験しているのである。
従って、今朝のTBSの番組で東電福島第一原発設計者がM8以上の地震は来ないと仮定して設計したという発言自体が信じられない内容であることに気付くだろう。
市民からの批判を恐れる企業は、つねに甘い予測を立てる。それは経営陣が危機や災害の予測を立てることによって、世間の批判を受けることを恐れるからである。原発は建設当時から、その危険性を専門家や市民によって指摘され続けてきた。その意味で、原発事故が発生することを建設を推進した国や電力会社が危険性を述べることはタブーに近い状態にあった。
原発は安全ですと電力会社のコマーシャルで毎日のように宣伝してきた。何故なら、これからも原発建設を進めなければならないからであった。しかし、今回も、東電の甘い事故発生の予測が二次災害を拡大する原因となった。初期段階で取るべき緊急対策、海水の投入や外部電力の使用は、水素爆発が起こった後にようやく取られる結果となった。
この姿勢は、東電がこれまで、原発事故への甘い予測をし続けてきたことと同じである。この同じ失敗を繰り返す「企業体質」を変えなければならない。それは東電の不利な情報隠し、小さな事故隠しの体質である。この体質は、他の電力会社も同じように持っている。その意味で、今後、他の電力会社の原子力発電所に事故が起こらないという保障は何もない。
そして、現在も、放射能汚染に対して、「それほど健康障害を起す値ではない」という曖昧な発言が繰り返されている。殆どの国民が被曝線量の計算の仕方を知らない中で、被曝量として使われているシーベルトという単位、その一時間での被曝量と被曝量の違いも明確に説明されていない。確かに1時間の被曝量は少ないかもしれないが、しかし、その現場にいる時間は何時間、何日なのか。そうだとすると一時間の被曝量で説明するのは不十分ではないかという発言や批判がインターネットで記載されはじめている。
甘い災害予測、甘い危機感、甘い被害予測、これらのすべてによって、これからも被害が拡大し続けることは間違いないだろう。
また、そして、今、原発の致命的な事故を防ぐために東電の職員、消防レスキュー隊、自衛隊、警察機動隊、民間企業の職員、報道関係者が放射能被曝を覚悟で働いている。それらの人々に今後起こる放射能被曝障害(労災)に関する情報も殆どない。何故なら、これまで原発で働いてきた人々の被曝被害(労働災害)に関する報道がなかったからではないだろうか(6)。
甘い責任追及から生じる危機管理
今回の東電福島第一原発事故の直接の原因は東日本大震災(東北関東大震災)による津波である。今回の未曾有の津波による被害は、確かに東電にも予測できなかっただろう。地震による停電を補助するためのジーゼル発電機が津波で故障したと言うことは、東電は二次災害対策を持っていなかったことを意味する。つまり、停電対策として非常用電源(ジーゼル発電装置)のみが東電の取っていた危機管理であった。非常用電源が機能しなくなる状況は全く想定していなかったのである。
緊急時に炉心を冷やす「緊急炉心冷却装置」が機能しなくなることで、さらに重大な原発事故が引き起されることを想定するなら、二次災害防止対策、つまり予備電源を外部から引いてくるという一番効果的な対策、さらにその二次災害防止対策が機能しない場合の三次災害防止対策、例えば発電機能を持つ緊急車両等々と、何重にも危機管理対策を取ることが必要であった。しかし、その判断がなかったのは、東電が原発事故補償へのコスト計算を間違ったとしか言いようがないのである。
広域放射能汚染による、農業や漁業への被害、居住地を失う市民への損害賠償、機能不全となる市政や自治体への損害補償等々、その被害額は国家予算の一部に相当するだろう。その意味で、東電は間違いなく倒産寸前の経営状態となるだろう。すでに東電は1兆円の資金融資を銀行に要請している。しかし、その金額で今後の東電の復旧と周辺の社会に与えた被害の補償が出来るとは思えない。
とは謂え、関東一帯の電力供給を担う事業である東京電力株式会社を国は潰す訳にはゆかない。そこで、国は何らかの財政支援を行うに間違いないだろう。国はバブル経済が破綻した時に、都市銀行の救済をした。その時と同じく今回も東電を救済するだろう。その国の姿勢は、どこかですでに東電の側に期待されている。それ故に、その甘い期待の上に、第二の福島第一原発事故は東電だけでなく、他の電力会社でも起こるに違いない。
危機管理体制・報道機関での専門家の発言責任
今回の東電福島第一原発事故が表面化して、報道は専門家を呼び、原発事故の説明を行った。NHKで原発事故に関する説明を行った関村直人東京大学大学院工学系研究科教授は、事故当時まで独立行政法人原子力安全基盤機構(JNES)(7) のホームページに「私にまかせてください」というキャッチフレーズで登場していた(今、ホームページ画面が変わり関村直人氏の写真はない)。
独立行政法人 原子力安全基盤機構(以後、JNESと呼ぶ)の理事長の曽我部捷洋(そがべかつひろ)氏は旧通商産業省(通産省)及び科学技術省原子力安全局の出身者で、財団法人原子力発電技術機構の参事を歴任してきた人である。6人の役員のうち3名が旧通産省の出身者で他の1名も官庁出身、前大学教員1名、日本航空(殆ど官製企業と謂える)から1名で構成されている。見方を変えれば、JNESは政府官僚経験者が作る原子力安全を謳い文句にした天下り組織である。(7)
関村氏は、原発事故が発覚した当初、「そう重大な問題はない」とか「あまり心配する必要はない」と言った内容の発言を続けていた。その発言に多くの人々から批判が起こった。関村氏の発言では、現在の重大事故が発生する可能性は極めて低いことになっていたはずである。
専門家(東京大学の教授)の発言であり、しかもNHKのニュース番組である。その場で日本の最高権威が「多分、大丈夫だろう」と言い続けてきた結果の大災害である。民放では、原発建設に批判的であった専門家をNPO原子力資料情報室(CNIC)(8)や京都大学原子炉実験所(大阪府泉南郡熊取町)(9)から招待し、発言を求めていた。
事故が報道されたすぐ後、3月15日の原子力資料情報室(CNIC)の専門家の発言が非常に印象的だった。つまり、東電は「緊急炉心冷却装置」が機能しなくなったと判断したすぐ後に、重大な二次災害を防ぐために躊躇せずすぐそこにある海水を冷却用水として使うべきである。しかし、それを何故しないかと言うと、もし海水を入れるなら、その原子炉は殆ど二度と使えない状態になるからであるという内容の発言であった。
実際、東電の事故防止対策の判断が遅かったのは、そのためであり、政府から厳しい指摘を受けて、ようやく、東電は海水を冷却水として使用し始めた。その時は、もう手遅れであった。東電のこの体質が変わらない以上、今後も、同じ失敗を繰り返すだろう。それならば、政府は独自に原子力安全の専門家を置き素早い対策を採らなければならない。
東電の危機管理の遅さ、それから予測される重大事故の可能性をJNESに関係し、原子力安全の専門家として東京大学で教鞭に立つ関村氏は知らなかったのだろうか。彼も東電と同じ判断に立っていたのかもしれないと批判され、悪く解釈されても仕方がないのである。
これから、関村氏に代表される専門家のNHK等公共放送での発言内容は社会的に検証される必要がある。つまり、その発言が的確でない場合、また将来の事故を予測できていない場合、専門家としての責任は、無知では済まされない場合が生じる。もし、被害を正確に指摘できない場合、引き起こされる被害を予測できない場合には、公共放送に専門家として登場した責任を問題にされても仕方がないのである。
原発擁護のための虚偽発言をしたという積極的立場なら専門家の犯罪性を指摘できるのだが、今回のように、明確に今後の事故の進展を指摘できない場合にも、専門家としての責任が付随すると思える。関村氏のNHKでの発言内容を、当時の事故状況と照らし合わせて、専門家達は検証する必要はないのだろうか。
もっと厳しい言い方をするなら、この検証作業は東京大学の他の専門家を入れて行う必要がある。もし、関村発言が的確でなく、誤解を招くような内容であったとすると、その社会的責任の一角を東京大学も負う必要はないだろうか。この考えは極端であると批判されるかも知れないが、是非とも、重大災害対策について社会が検討している最中の公共放送での専門家の発言に関しては、その専門家の発言内容のもつ社会的影響を前提にして、その内容の是非とその社会的責任について議論をして欲しいものである。もし、この議論すらないのであれば、この国では、教育と研究機関である大学の社会的役割やその結果への責任は問われないことになるだろう。
こうした公共的立場に立ち、世論に大きな影響を与える専門家と報道機関が、今回の原発事故の初動段階でどのような報道と発言をしたかを徹底的に検証しなければ、今後、同じことが繰り返され、重大事故を未然に防ぐことは出来ないだろう。
国際化する災害被害と国際災害協力体制
国際化社会での災害救助体制の意味
今回の東日本大震災は、地震と津波による未曾有の被害のみでなく、重大な二次災害・東電福島第一原発事故の被害が加わった。この災害は、将来、日本や世界の災害史に残るだろう。否、未来社会にこの災害記録を残さなければならない。
今回の災害救助のために、世界から支援が集まっている。外務省のホームページによると3月23日までに130カ国・地域及び33の国際機関からの支援の申し入れがあり、18の国と地域から緊急救援隊、国連災害評価調査チーム及び国際原子力機関(IAEA)専門チームが来ている。(10)
今回の大災害を通じて、我々は国際災害救助活動を相互に受け入れることは、国際平和活動に繋がるとことを学んだ。反日運動を書きたてた中国のメディアは尖閣諸島の領有地問題で激しく日本を攻撃し続けていた。そのメディアも今回の震災に対して、哀悼の意を表し、震災支援の報道を行った。日本と国交を持たない国も赤十字を通じて、救援活動を申し出てきたようである。
海外から災害救助隊が送られ、被害国での救援活動を行うことを可能にしている背景に国際化した現代社会がある。日本の社会が災害で機能しなくなることによって、例えば韓国のIT関係企業が必要とするある部品の20%の品不足が生じることになるという。また、原発事故などは、近隣の国も大きな二次災害を受ける。そして放射能汚染は世界に拡散する。特に、アメリカにとって日本での原発事故は、海流や偏西風の流れを考えると、放置できない。アメリカが東電福島第一原発事故による放射能汚染の影響を受けるのは避けがたいし、時間の問題となる。
つまり、現代社会の重大災害では、国際化した経済活動による自国産業への他国災害からのダメージ、他国の事故によって生じる汚染物質の地球規模の拡散と自国の環境汚染、農業や漁業への打撃等々が生じる。従って、今回の東日本大震災・東電福島第一原発事故も必然的に世界の国々が関心を持ち、自国経済の立場から、日本の災害被害を小さく抑えることの意味を理解している。
東日本大災害への支援を申し出た国々は、以前、日本の災害救助隊のお世話になったという事実はあるものの、同時に、もう一つの意味、つまり変化する社会、つまり国際化社会での巨大災害救援体制の意味を理解しておく必要がある。
日米同盟を活かした災害救援活動の展開
つまり、これから21世紀の国際化の進む社会では、災害救助活動も国際化してゆく。海外で災害が生じれば、多くの国々、もしくは国際機関が救助隊を派遣する制度が作られるだろう。そのことによって、発展途上国での災害救助は画期的に進歩する可能性がある。
こうした国際社会の流れに対して、今回の東日本大震災、取り分け二次災害・東電福島第一原発事故に対して、国際社会から厳しい指摘があった。つまり、原発事故に対する日本政府の対応が遅いこと、情報公開が不十分であること等々の批判である。
国際社会に対する震災情報、取り分け原発事故の情報公開は政府外務省の責任で果たす作業である。誠実な対応に欠けているのではないかと批判されている。特に、同盟国アメリカの原発事故によって発生する放射能汚染に対する日本政府の対応への指摘を十分に聴き、出来ればアメリカ政府の災害担当専門官の派遣を要請し、日米共同で事故対策を検討し、解決に向けた動きをする必要はないだろうか。
日米同盟の意味は、国の存亡に関わる重大災害時にも発揮されるべきであると理解されても不思議ではないし、寧ろ、積極的に日米同盟を活かした、災害救援活動を展開すべきではないだろうか。米国の強大な軍事的機動力と技術力の援助を受けて、東電福島第一原発事故対策を急ぐことで、世界的な環境汚染の危機に直面している現状を一刻も早く打開しなければならない。
これは、世界に対して責任ある国家としての義務である。そのために政府は早急に日米同盟に基づく両国間の協力体制を日本の危機管理対策の展開のために活用する必要がある。
21世紀社会の国際災害救援活動形成のために、この災害に立ち向かおう
この東日本大震災の救援活動で経験した国際社会での災害救助の協力体制は、今後、検証され、そして21世紀社会での危機管理のあり方に活かされるだろう。何故なら、巨大科学技術文明社会での危機管理は一国の力量では乗り越えられない危険な事態を引き起こす可能性を秘めている。
今回の大震災はその意味で、大きな教訓を世界に残した。
現在進行形の東日本大震災救援活動と東電福島第一原発事故対策活動の中で、国際社会での災害救援体制のあり方を模索し、実験し、そしてその結果を検証し、未来の国際社会のために、最も現実的で有効な対策に必要な貴重な経験値を集めよう。
参考資料
(1)日本経済新聞 2011年3月22日 朝刊14面 「未曾有の災害 立ち向かう」
(2)三石博行 「阪神大震災で問われた情報文化の原点」 in 『第7回情報文化学会全国大会講演予稿集』、東京大学、東京、pp29-36、ISSN 1341-593X
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_02_03.html
(3)三石博行 「災害ボランィア活動を生み出す文化的土壌としてのコミュニテイ・市民運動 ‐現代社会での危機管理(3)-」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_22.html
(4)「地震の年表」 Wikipedia 2011年3月23日
(5)「福島第一原子力発電所」 Wikipedia 2011年3月23日
(6)平井憲夫 「原発がどんなものか知ってほしい」(原発被曝労働者救済センター)
http://www.iam-t.jp/HIRAI/index.html#about
(7)独立行政法人 原子力安全基盤機構 JNES
http://www.jnes.go.jp/tokushu/keinen/businessman/03.html
(8)原子力資料情報室(CNIC)
http://www.cnic.jp/
(9)京都大学原子炉実験所
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/
(10)外務省 「東北地方太平洋沖地震」平成23年3月23日
http://www.mofa.go.jp/mofaj/saigai/index.html
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
1、今、何が問われているか
1-1、日本国民全ての力を集めて震災罹災者を救援しよう ‐東日本大震災への救援・二次防災活動を担う機動部隊の構築‐
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_17.html
1-2、東電原発事故 国は徹底した情報開示と対策を取るべきである ‐畑村洋太郎 失敗学の基礎知識に学ぶ-
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_16.html
1-3、災害に強い社会を作るための主な三つの課題‐今までの震災への対応を検証し、即、それを活かそう‐
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_8089.html
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修正(誤字) 2011年3月28日
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槇和男氏からのメール
深刻な地中放射能汚染問題
「どうもお見舞いありがとうございます。日々状況が悪化していきますのでなかなか返事を書く気ににもなりませんでした。Kの鹿島、栃木、すみだ はかなり被害があったものと思われますが、詳しいことは判りません。怪我人などは聞いていません。S寮は立ち入り禁止になっているようです。
この海域で紀元600年頃にとてつもなく大きな地震があったらしい、というのは最近の調査の結果浮かび上がってきたところだったようですが、その推定規模があまりに大きいので、まともに対策を取るにも大変なことであるし、どうしたものか議論していたようです。それが1400年後に再現したということのようです。
死者と行方不明で16000人位になるものと思われます。戦後最大です。 今日になって、やっと被害地への輸送路が整備されてきましたから、避難している人たちへの支援が本格化するものと思われます。震災に乗じた悪事これといってなく、パニックにもならず、整然と耐えている様子は、確かに海外からみると不思議に見えるかもしれません。日本はまだそれだけ豊かなのでしょう。
さて、問題は原子炉ですが、東京電力の危機管理能力の無さには驚きます。目前の現象を何とかしようとするばかりで、対策が及ばかった場合を考えていないように思えます。原子炉の冷却のための海水注入にしても、通産省に命令されるまでやろうとしなかったし、津波で破壊された予備電源を外部から引いてくるという一番効果的な策を今日になって始めています。
何かが起きても内部で解決してから外部に発表する、という習性が抜けていないようで、早くから外部の知恵や力を借りるべきだったと思います。もたもたしている間に燃料を冷やすべき水は無くなって、既に溶融し始めていて、現場の放射能レベルが上って、作業が困難になってしまいました。
こういうときに無人ヘリコプターなど使えないのだろうかと思います。宇宙まで行った制御技術はどうなったのでしょうか?
地震発生直後に制御棒が入って核分裂は止まっていますから、軽水炉では炉心が融けても核分裂には至らないそうです。発生する水素以外は燃えるものがありませんから、黒鉛炉のチェルノブイリのような惨事にはなりませんが、スリーマイル・アイランドのようにはなるでしょう。
今となっては、融けだした核燃料や放射性物質を飛散させないようにすることが一番重要です。幸い風は北西で、空気中の飛散物は海の方に流れていきます。この際多少の海の汚染は陸地の汚染よりはましと考えざるを得ないでしょう。
問題は、地中に入っていくもので、これを何とか最小限にしたいものです。入っても地中拡散を防ぐべきでしょう。137Csは水溶性で半減期が30年ですから、この地域は今世紀中立ち入り禁止となるかもしれません。
パニックにもならず、とは書きましたが、水や缶詰、米、トイレットペーパーなど、ここ京都でもかなり売り切れ始めています。半径20km以内は退避、30kmまでは屋内退避ということになっていますが、現場を離れれば現状では放射能レベルは微々たるものですし、政府もそう訴えては居ますが、トラックがなかなか入ろうとしなくて、屋内退避域の人たちは困っているようです。(もっとも米軍は80km圏内には入らないということですが。)
それで自主的に避難する人が多いです。KのOBの一人がその辺に住んでいて、一家5人で宇都宮に避難してきました。当面住むところがないので、私の家にしばらく入ってもらう事にしました。
原発の事で株価が下がったのは当然としても、円高になったのは意外でした。復旧のために日本の企業が海外資産を円に替えるだろうという予想だそうです。資本主義というのはどんなときでも経済合理性でしか動かないようですね。では、お元気で」
槇和男 3月17日
「どうもお見舞いありがとうございます。日々状況が悪化していきますのでなかなか返事を書く気ににもなりませんでした。Kの鹿島、栃木、すみだ はかなり被害があったものと思われますが、詳しいことは判りません。怪我人などは聞いていません。S寮は立ち入り禁止になっているようです。
この海域で紀元600年頃にとてつもなく大きな地震があったらしい、というのは最近の調査の結果浮かび上がってきたところだったようですが、その推定規模があまりに大きいので、まともに対策を取るにも大変なことであるし、どうしたものか議論していたようです。それが1400年後に再現したということのようです。
死者と行方不明で16000人位になるものと思われます。戦後最大です。 今日になって、やっと被害地への輸送路が整備されてきましたから、避難している人たちへの支援が本格化するものと思われます。震災に乗じた悪事これといってなく、パニックにもならず、整然と耐えている様子は、確かに海外からみると不思議に見えるかもしれません。日本はまだそれだけ豊かなのでしょう。
さて、問題は原子炉ですが、東京電力の危機管理能力の無さには驚きます。目前の現象を何とかしようとするばかりで、対策が及ばかった場合を考えていないように思えます。原子炉の冷却のための海水注入にしても、通産省に命令されるまでやろうとしなかったし、津波で破壊された予備電源を外部から引いてくるという一番効果的な策を今日になって始めています。
何かが起きても内部で解決してから外部に発表する、という習性が抜けていないようで、早くから外部の知恵や力を借りるべきだったと思います。もたもたしている間に燃料を冷やすべき水は無くなって、既に溶融し始めていて、現場の放射能レベルが上って、作業が困難になってしまいました。
こういうときに無人ヘリコプターなど使えないのだろうかと思います。宇宙まで行った制御技術はどうなったのでしょうか?
地震発生直後に制御棒が入って核分裂は止まっていますから、軽水炉では炉心が融けても核分裂には至らないそうです。発生する水素以外は燃えるものがありませんから、黒鉛炉のチェルノブイリのような惨事にはなりませんが、スリーマイル・アイランドのようにはなるでしょう。
今となっては、融けだした核燃料や放射性物質を飛散させないようにすることが一番重要です。幸い風は北西で、空気中の飛散物は海の方に流れていきます。この際多少の海の汚染は陸地の汚染よりはましと考えざるを得ないでしょう。
問題は、地中に入っていくもので、これを何とか最小限にしたいものです。入っても地中拡散を防ぐべきでしょう。137Csは水溶性で半減期が30年ですから、この地域は今世紀中立ち入り禁止となるかもしれません。
パニックにもならず、とは書きましたが、水や缶詰、米、トイレットペーパーなど、ここ京都でもかなり売り切れ始めています。半径20km以内は退避、30kmまでは屋内退避ということになっていますが、現場を離れれば現状では放射能レベルは微々たるものですし、政府もそう訴えては居ますが、トラックがなかなか入ろうとしなくて、屋内退避域の人たちは困っているようです。(もっとも米軍は80km圏内には入らないということですが。)
それで自主的に避難する人が多いです。KのOBの一人がその辺に住んでいて、一家5人で宇都宮に避難してきました。当面住むところがないので、私の家にしばらく入ってもらう事にしました。
原発の事で株価が下がったのは当然としても、円高になったのは意外でした。復旧のために日本の企業が海外資産を円に替えるだろうという予想だそうです。資本主義というのはどんなときでも経済合理性でしか動かないようですね。では、お元気で」
槇和男 3月17日
2011年3月23日水曜日
ブログ文書集「東日本大震災から復旧・復興、災害に強い社会建設を目指して」
「東日本大震災の復旧・復興、 災害に強い社会建設を目指して」の目次
三石博行
はじめに
1、東日本大震災犠牲者の冥福を祈る ‐自分なりの支援を始めよう‐
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_14.html
2、政府は、原発大災害に向けて緊急体制を採るべきである
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_28.html
3、災害救援活動を通じて「現代日本社会の病理構造」の解明とその治療を行う
(未完成)
1、今、何が問われているか
1-1、日本国民全ての力を集めて震災罹災者を救援しよう ‐東日本大震災への救援・二次防災活動を担う機動部隊の構築‐
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_17.html
1-2、東電原発事故 国は徹底した情報開示と対策を取るべきである ‐畑村洋太郎 失敗学の基礎知識に学ぶ-
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_16.html
1-3、災害に強い社会を作るための主な三つの課題‐今までの震災への対応を検証し、即、それを活かそう‐
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_8089.html
2、現代社会での安全管理
2-1、市場経済的視点からみる安全管理 大津波対策は可能か
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_15.html
2-2、自由主義経済の中での社会政策・安全管理の意味
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_9774.html
2-3、社会政策としての安全管理 原発事故防止や大津波対策の可能性を求めて
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_2687.html
3、現代社会での危機管理
3-1、危機管理と安全管理の独自性と連関性 -現代社会での危機管理(1)
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_19.html
3-2、企業、行政主導の危機管理体制の必要性、その限界への課題(市民ボランティアの役割) -現代社会での危機管理(2)
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_21.html
3-3、災害ボランィア活動を生み出す文化的土壌としてのコミュニテイ・市民運動 ‐現代社会での危機管理(3)
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_22.html
むすび 災害に強い国をつくる
4-1、国家の危機管理としての地方分権制度の構築
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_29.html
4-2、社会的資源の有効利用システム構築とネットワーク社会の形成
A、社会資本の基底を維持する機能(文化や生活)の経済的評価を行う
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_31.html
B、災害救援のための広域災害ネットワーク形成の意味
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post.html
C、災害時の危機管理を前提としたネットワーク型の社会形成
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_20.html
4-3、東日本大震災復興構想会議への提案
A、国民運動としての東日本大震災復興構想会議の構築を
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_2631.html
B、震災・津波被害からの復興と原発事故対策を分けて対策を立てる必要性
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_5265.html
4-4、東アジア共同体としての共同災害援助機構の形成
A、危機管理の国際機構の提案
(未完成)
B、東アジア災害援助機構の提案
(未完成)
2011年3月30日 修正(文書追加)
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三石博行
はじめに
1、東日本大震災犠牲者の冥福を祈る ‐自分なりの支援を始めよう‐
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_14.html
2、政府は、原発大災害に向けて緊急体制を採るべきである
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_28.html
3、災害救援活動を通じて「現代日本社会の病理構造」の解明とその治療を行う
(未完成)
1、今、何が問われているか
1-1、日本国民全ての力を集めて震災罹災者を救援しよう ‐東日本大震災への救援・二次防災活動を担う機動部隊の構築‐
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_17.html
1-2、東電原発事故 国は徹底した情報開示と対策を取るべきである ‐畑村洋太郎 失敗学の基礎知識に学ぶ-
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_16.html
1-3、災害に強い社会を作るための主な三つの課題‐今までの震災への対応を検証し、即、それを活かそう‐
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_8089.html
2、現代社会での安全管理
2-1、市場経済的視点からみる安全管理 大津波対策は可能か
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_15.html
2-2、自由主義経済の中での社会政策・安全管理の意味
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_9774.html
2-3、社会政策としての安全管理 原発事故防止や大津波対策の可能性を求めて
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_2687.html
3、現代社会での危機管理
3-1、危機管理と安全管理の独自性と連関性 -現代社会での危機管理(1)
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_19.html
3-2、企業、行政主導の危機管理体制の必要性、その限界への課題(市民ボランティアの役割) -現代社会での危機管理(2)
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_21.html
3-3、災害ボランィア活動を生み出す文化的土壌としてのコミュニテイ・市民運動 ‐現代社会での危機管理(3)
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_22.html
むすび 災害に強い国をつくる
4-1、国家の危機管理としての地方分権制度の構築
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_29.html
4-2、社会的資源の有効利用システム構築とネットワーク社会の形成
A、社会資本の基底を維持する機能(文化や生活)の経済的評価を行う
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_31.html
B、災害救援のための広域災害ネットワーク形成の意味
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post.html
C、災害時の危機管理を前提としたネットワーク型の社会形成
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_20.html
4-3、東日本大震災復興構想会議への提案
A、国民運動としての東日本大震災復興構想会議の構築を
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_2631.html
B、震災・津波被害からの復興と原発事故対策を分けて対策を立てる必要性
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_5265.html
4-4、東アジア共同体としての共同災害援助機構の形成
A、危機管理の国際機構の提案
(未完成)
B、東アジア災害援助機構の提案
(未完成)
2011年3月30日 修正(文書追加)
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2011年3月22日火曜日
災害ボランィア活動を生み出す文化的土壌としてのコミュニテイ・市民運動
現代社会での危機管理(3)
三石博行
ピースボートの役割・災害情報ボランティア活動とその伝達
1995年1月17日、阪神淡路大震災は起こった。都市直下型地震によって神戸を中心とする関西中心西部一帯の社会インフラは壊滅的打撃を受けた。震災は至る所で火災(二次災害)を引き起こし、神戸の街は火の海に化した。
しかし、近隣の街から救援活動も倒壊した建物に道を塞がれ、進まなかった。当時の政府の対応は非常に遅く、自衛隊の出動命令も出ず、アメリカの空母からの支援も断るというお粗末な対応の中、炎上する神戸の街とその中で救済を待つ人々の多くが犠牲になった。
近隣の街からそして全国から救援の消防隊や警察、市民ボランティアが続々と神戸に向かった。支援のボランティアが集まった。例えば、ピースボートはトラックに震災情報ボランティア活動に必要なありとあらゆる資材(テント、印刷機、発電機、インク、紙、食料、水、寝袋等々)を積んで神戸に駆けつけた。
幸い都市に囲まれた神戸の被災地には多くの救援物資が届いた。しかし、安否情報や必要な生活情報は不足していた。行政の機能は麻痺していた。避難所に届けられる救援物資をそれが不足している他の避難所に届けるための情報交換の体制も出来ていなかった。罹災地での生活情報の発信は大きな課題となっていた。
地震から1週間を経た1月25日に、ピースボートは「デイリーニーズ」を最も被害を受けた長田町で発行した。ピースボートの「デイリーニーズ」は1月25日から3月9日までの44日間に43回、つまり、毎日発行された。(1)
震災直後から約3ヶ月間は水道、ガス、電気、交通手段の社会インフラが復旧されていなかった。震災罹災者は生存のための生活情報、例えば安否や天気(寒さや雨天)などの災害緊急情報、衣類、食料、水、風呂、病院、トイレ、洗濯、葬式、義援金、還付金、交通手段等々の生活基本情報、住宅、教育、職業紹介、保険等々の生活条件情報を必要としていた。「ディリーニーズ」はそれらの情報を毎日記載し続け罹災者に配布し続けた。(2)
ピースボートは災害情報ボランティア活動を地元の人々に伝えていった。ピースボートは持ち込んだ印刷機等をすべて地元で生まれたボランティア活動組織に譲り、3月9日発行の「ディリーニーズ」を彼らの最後の活動にして、神戸から去っていった。
ピースボートに学んだ地元の若者達によって「これからの長田を考える会」が発足し、1995年3月12日から災害生活情報「ウィークリニーズ」を発行し始めた。彼らはピースボートの震災情報ボランティア活動に学び自分たちの街のために活動を開始した。震災罹災者の生活再建と震災からの復興を支援するための情報発行が彼らの情報ボランティア活動となった。また、情報紙の発行回数も1週間に1回ほどになった。つまり、記載される情報も、緊急性の高い生活情報から持続的な生活再建課題の情報に変化していった。(3)
人権運動から生まれたWANTED 市民の等身大のボランティア活動
震災直後、最も早く震災支援の情報紙を出したのは大阪府箕面市に拠点を置いた「WANTED」であった。このWANTEDは、当時、箕面市の萱野中央人権文化センター(箕面市が1969年に同和対策10カ年計画で建てた萱野文化会館を1994年に再建した)の「共用スペース、ひゅーまん」でボランティアや読書会を行っていた二人の女性によって、1995年1月23日に発行された。
当時、箕面市の萱野中央人権文化センター(箕面ライトピア21)(4)の「共用スペース、ひゅーまん」(箕面市人権協議会事務局の管理で運営されていた)を70団体のボランティアや市民グループが利用していた。それらのグループにそれぞれ別々に参加していた二人の女性(山本みち子氏と大橋英子氏)が中心となって、震災から2日目の1月19日に、当時釜ヶ崎におにぎりを送るボランティアの会「おにぎりの会」と共に長田区の被災地に250個のおにぎりを届けた。翌日、1月20日には箕面市の緊急車両を使って3500個のおにぎりを届けた。(5)
彼女らは箕面市の市民に震災罹災者を救援するための伝言板として「WANTED1号」を発行した。無料で市から提供されていた「共用スペース、ひゅーまん」の印刷機や複写機を活用して、「WANTED1号」を300部印刷し市民に配布(20ボランティア団体の協力で)した。「WANTED」は、瞬く間に箕面市の市民に配布され、市民からおにぎりが届いた。
また、長田区の避難所におにぎりを運んだボランティアの人から、避難所では「洗濯」に困っているという話が持ち込まれ、洗濯ボランティアを「WANTED」は募集した。多くの市民(特に主婦)が洗濯ボランティアに参加した。彼女らは罹災地にリックを背負って行けない。しかし、家で、朝、一合ほど余分にご飯を炊き、子供や夫を見送った後に、洗濯をもう一回増やし、そして洗濯物を乾かし、それをビニールに入れて、市の緊急車両が出る萱野中央人権文化センターに届けたのである。(6)
「WANTED」は、市民が生活の場から参加できる等身大の災害救援ボランティア活動を展開した。ボランティア活動への参加のハードルを日常生活レベルに下げて、多くの主婦の参加を得たことは評価できる。そして、今もう一度、「WANTED」の活動の意味を考える必要がる。
人権思想と市民参加・大災害時の危機管理体制
阪神淡路大震災で活躍したピースボートやWANTEDを担った人々も、元々災害救助ボランティア活動を目的にした組織を運営していた訳ではなかった。
ピースボートは国際平和活動を行ってきたNGOである(7)。1983年に辻元清美氏(前外務副大臣、現総理大臣補佐官)ら早稲田大学の学生数名がピースボートを設立し、吉岡達也氏を中心に現在まで運営されている。この団体は、平和・民主主義・人権と地球環境保全の立場から、船旅を通じて世界の市民と交流する運動に取り組んできた。
また、「WANTED」は、震災救援のために大阪府箕面市の二人の女性が中心となって震災直後生まれた市民グループである。彼女らに活動の場を与えたのは、箕面市人権協会である。その人権協会の母体は、部落差別反対運動を長年取り組んできた部落開放同盟運動の中で育った箕面の人権市民運動である。つまり、人権、平和や民主主義のための市民の運動の長い歴史があり、その上に(その運動の成果として)箕面市の人権運動の文化とその象徴である箕面市人権協議会である。
その人権運動を推進してきた箕面市とそれを支えた箕面市民である。それらの箕面市での人権運動(部落差別反対運動)の成果として箕面市萱野中央人権文化センター(現在の箕面ライトピア21)の「共用スペース、ひゅーまん」が「WANTED」の基盤となっている。
人権運動や平和運動を行う人々(市民)が、積極的に震災罹災者救援活動に参加することは凡そ想像できる。その意味で、ピースボートやWANTEDの人々が阪神大震災の罹災者救援活動に素早く取り組んだことは理解できる。
しかも、震災や原発事故等の広域災害に対する罹災者救援活動は、行政や電力会社が担える範囲、能力や力量を遥かに越えて、要請される課題が発生する。阪神淡路大震災以後、発生した大災害に対して市民ボランティア活動は常に罹災者救援活動に大きな役割を果たしてきた。つまり、阪神淡路大震災を経て、災害救援ボランティア活動がわが国でも定着したと謂える。
今回の東日本大震災と東電福島第一原発事故でも、多くの人々がボランティア活動を志願している。大阪市は阪神大震災の教訓を活かし、市として市民ボランティア活動を支援してきた。大阪ボランティア協会(8)は、東日本大震災へのボランティア希望者への説明会を開き、阪神大震災と異なる今回の大震災でのボランティア活動に関する注意点を説明した。
また、NPO日本ユニバーサルデザイン研究機構(9)は専門的な知識を持つ人々のボランティア活動を組織するために「日本ユニバ震災対策チーム」を3月13日に発足した(10)。
大災害に対する危機管理は、市民(国民)の力を集めて可能になる。何故なら、巨大災害の場合には危機管理対策はコスト計算を前提にした安全管理対策の延長で考えられない。そして、その場合の危機管理体制に市場経済学や公共経済学の理論で導かれる対策は通用しないのである。大災害時の広域社会の危機管理体制に必要な経済学は需要と供給のコスト計算を超えた社会経済理論を必要としているのである。
問われる新しい共同体思想・災害危機管理対策の基本
大災害への危機管理に必要なものは、共同体であり、人々のつながりである。そしてその運動を支える人権思想である。
言い換えると、自然災害をもたらす自然条件を前提にしてこれまで日本の風土が形成されてきた。それが日本型共同体であった。伝統的な日本の集落文化、村落共同体、そして家の造りから集落、田畑、山里の造り方に至るまで、伝統的に災害に耐えられる形態が選択され続けてきた。
こうした伝統文化は、日本の近代化と共に消滅しつつある。そして、同時に、震災大国日本では新しい共同体文化が必要となっている。古い封建的な社会思想から自由主義経済と個人主義を前提にしながら、震災に強い共同体社会を造る必要が生まれている。
その社会思想は、ピースボートや「WANTED」が示したように人権と生活重視の考え方や生き方ではないだろうか。
参考資料
(1)ピースボート「デイリーニーズ」N01-No43 1995.1.25 ‐1995.3.9 神戸大学人文系図書館「震災文庫」所蔵
(2)三石博行 「阪神大震災時の住民情報の分析(2) —第一期住民情報の統計分析とその特徴について—」 in 『日本災害情報学会 第2回研究発表大会 予稿論文集』、大宮ソニックス市民ホール、大宮、pp60-79
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_02_03/cMITShir00h.pdf
(3)三石博行 「阪神大震災時の住民情報の分析」in 『日本災害情報学会1999年度研究発表大会』予稿論文集、東北大学、仙台、pp121-130
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_02_03/cMITShir99c.pdf
(4)箕面ライトピア21 (箕面市中央人権文化センター)
http://www2.city.minoh.osaka.jp/RIGHTPIA/
(5)三石博行 「阪神大震災で問われた情報文化の原点」 in 『第7回情報文化学会全国大会講演予稿集』、東京大学、東京、pp29-36、ISSN 1341-593X
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_02_03.html
(6)山本みち子、大橋英子発行「WANTED」No1‐No17、1995年1月23日‐1995年7月8日、神戸大学人文系図書館「震災文庫」所蔵
(7)ピースボート (国際交流NGO)
http://www.peaceboat.org/index_j.html
(8)社会福祉法人大阪ボランティア協会
http://www.osakavol.org/
(9)NPO日本ユニバーサルデザイン研究機構
http://www.npo-uniken.org/
(10)日本経済新聞 2011年3月22日 朝刊 14面 「専門ボランティア、活動」
修正(誤字、文書表現)2011年3月22日
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
目次 現代社会での危機管理
1、「危機管理と安全管理の独自性と連関性 -現代社会での危機管理(1)-」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_19.html
2、「企業、行政主導の危機管理体制の必要性、その限界への課題(市民ボランティアの役割) -現代社会での危機管理(2)‐」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_21.html
3、「災害ボランィア活動を生み出す文化的土壌としてのコミュニテイ・市民運動 ‐現代社会での危機管理(3)-」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_22.html
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三石博行
ピースボートの役割・災害情報ボランティア活動とその伝達
1995年1月17日、阪神淡路大震災は起こった。都市直下型地震によって神戸を中心とする関西中心西部一帯の社会インフラは壊滅的打撃を受けた。震災は至る所で火災(二次災害)を引き起こし、神戸の街は火の海に化した。
しかし、近隣の街から救援活動も倒壊した建物に道を塞がれ、進まなかった。当時の政府の対応は非常に遅く、自衛隊の出動命令も出ず、アメリカの空母からの支援も断るというお粗末な対応の中、炎上する神戸の街とその中で救済を待つ人々の多くが犠牲になった。
近隣の街からそして全国から救援の消防隊や警察、市民ボランティアが続々と神戸に向かった。支援のボランティアが集まった。例えば、ピースボートはトラックに震災情報ボランティア活動に必要なありとあらゆる資材(テント、印刷機、発電機、インク、紙、食料、水、寝袋等々)を積んで神戸に駆けつけた。
幸い都市に囲まれた神戸の被災地には多くの救援物資が届いた。しかし、安否情報や必要な生活情報は不足していた。行政の機能は麻痺していた。避難所に届けられる救援物資をそれが不足している他の避難所に届けるための情報交換の体制も出来ていなかった。罹災地での生活情報の発信は大きな課題となっていた。
地震から1週間を経た1月25日に、ピースボートは「デイリーニーズ」を最も被害を受けた長田町で発行した。ピースボートの「デイリーニーズ」は1月25日から3月9日までの44日間に43回、つまり、毎日発行された。(1)
震災直後から約3ヶ月間は水道、ガス、電気、交通手段の社会インフラが復旧されていなかった。震災罹災者は生存のための生活情報、例えば安否や天気(寒さや雨天)などの災害緊急情報、衣類、食料、水、風呂、病院、トイレ、洗濯、葬式、義援金、還付金、交通手段等々の生活基本情報、住宅、教育、職業紹介、保険等々の生活条件情報を必要としていた。「ディリーニーズ」はそれらの情報を毎日記載し続け罹災者に配布し続けた。(2)
ピースボートは災害情報ボランティア活動を地元の人々に伝えていった。ピースボートは持ち込んだ印刷機等をすべて地元で生まれたボランティア活動組織に譲り、3月9日発行の「ディリーニーズ」を彼らの最後の活動にして、神戸から去っていった。
ピースボートに学んだ地元の若者達によって「これからの長田を考える会」が発足し、1995年3月12日から災害生活情報「ウィークリニーズ」を発行し始めた。彼らはピースボートの震災情報ボランティア活動に学び自分たちの街のために活動を開始した。震災罹災者の生活再建と震災からの復興を支援するための情報発行が彼らの情報ボランティア活動となった。また、情報紙の発行回数も1週間に1回ほどになった。つまり、記載される情報も、緊急性の高い生活情報から持続的な生活再建課題の情報に変化していった。(3)
人権運動から生まれたWANTED 市民の等身大のボランティア活動
震災直後、最も早く震災支援の情報紙を出したのは大阪府箕面市に拠点を置いた「WANTED」であった。このWANTEDは、当時、箕面市の萱野中央人権文化センター(箕面市が1969年に同和対策10カ年計画で建てた萱野文化会館を1994年に再建した)の「共用スペース、ひゅーまん」でボランティアや読書会を行っていた二人の女性によって、1995年1月23日に発行された。
当時、箕面市の萱野中央人権文化センター(箕面ライトピア21)(4)の「共用スペース、ひゅーまん」(箕面市人権協議会事務局の管理で運営されていた)を70団体のボランティアや市民グループが利用していた。それらのグループにそれぞれ別々に参加していた二人の女性(山本みち子氏と大橋英子氏)が中心となって、震災から2日目の1月19日に、当時釜ヶ崎におにぎりを送るボランティアの会「おにぎりの会」と共に長田区の被災地に250個のおにぎりを届けた。翌日、1月20日には箕面市の緊急車両を使って3500個のおにぎりを届けた。(5)
彼女らは箕面市の市民に震災罹災者を救援するための伝言板として「WANTED1号」を発行した。無料で市から提供されていた「共用スペース、ひゅーまん」の印刷機や複写機を活用して、「WANTED1号」を300部印刷し市民に配布(20ボランティア団体の協力で)した。「WANTED」は、瞬く間に箕面市の市民に配布され、市民からおにぎりが届いた。
また、長田区の避難所におにぎりを運んだボランティアの人から、避難所では「洗濯」に困っているという話が持ち込まれ、洗濯ボランティアを「WANTED」は募集した。多くの市民(特に主婦)が洗濯ボランティアに参加した。彼女らは罹災地にリックを背負って行けない。しかし、家で、朝、一合ほど余分にご飯を炊き、子供や夫を見送った後に、洗濯をもう一回増やし、そして洗濯物を乾かし、それをビニールに入れて、市の緊急車両が出る萱野中央人権文化センターに届けたのである。(6)
「WANTED」は、市民が生活の場から参加できる等身大の災害救援ボランティア活動を展開した。ボランティア活動への参加のハードルを日常生活レベルに下げて、多くの主婦の参加を得たことは評価できる。そして、今もう一度、「WANTED」の活動の意味を考える必要がる。
人権思想と市民参加・大災害時の危機管理体制
阪神淡路大震災で活躍したピースボートやWANTEDを担った人々も、元々災害救助ボランティア活動を目的にした組織を運営していた訳ではなかった。
ピースボートは国際平和活動を行ってきたNGOである(7)。1983年に辻元清美氏(前外務副大臣、現総理大臣補佐官)ら早稲田大学の学生数名がピースボートを設立し、吉岡達也氏を中心に現在まで運営されている。この団体は、平和・民主主義・人権と地球環境保全の立場から、船旅を通じて世界の市民と交流する運動に取り組んできた。
また、「WANTED」は、震災救援のために大阪府箕面市の二人の女性が中心となって震災直後生まれた市民グループである。彼女らに活動の場を与えたのは、箕面市人権協会である。その人権協会の母体は、部落差別反対運動を長年取り組んできた部落開放同盟運動の中で育った箕面の人権市民運動である。つまり、人権、平和や民主主義のための市民の運動の長い歴史があり、その上に(その運動の成果として)箕面市の人権運動の文化とその象徴である箕面市人権協議会である。
その人権運動を推進してきた箕面市とそれを支えた箕面市民である。それらの箕面市での人権運動(部落差別反対運動)の成果として箕面市萱野中央人権文化センター(現在の箕面ライトピア21)の「共用スペース、ひゅーまん」が「WANTED」の基盤となっている。
人権運動や平和運動を行う人々(市民)が、積極的に震災罹災者救援活動に参加することは凡そ想像できる。その意味で、ピースボートやWANTEDの人々が阪神大震災の罹災者救援活動に素早く取り組んだことは理解できる。
しかも、震災や原発事故等の広域災害に対する罹災者救援活動は、行政や電力会社が担える範囲、能力や力量を遥かに越えて、要請される課題が発生する。阪神淡路大震災以後、発生した大災害に対して市民ボランティア活動は常に罹災者救援活動に大きな役割を果たしてきた。つまり、阪神淡路大震災を経て、災害救援ボランティア活動がわが国でも定着したと謂える。
今回の東日本大震災と東電福島第一原発事故でも、多くの人々がボランティア活動を志願している。大阪市は阪神大震災の教訓を活かし、市として市民ボランティア活動を支援してきた。大阪ボランティア協会(8)は、東日本大震災へのボランティア希望者への説明会を開き、阪神大震災と異なる今回の大震災でのボランティア活動に関する注意点を説明した。
また、NPO日本ユニバーサルデザイン研究機構(9)は専門的な知識を持つ人々のボランティア活動を組織するために「日本ユニバ震災対策チーム」を3月13日に発足した(10)。
大災害に対する危機管理は、市民(国民)の力を集めて可能になる。何故なら、巨大災害の場合には危機管理対策はコスト計算を前提にした安全管理対策の延長で考えられない。そして、その場合の危機管理体制に市場経済学や公共経済学の理論で導かれる対策は通用しないのである。大災害時の広域社会の危機管理体制に必要な経済学は需要と供給のコスト計算を超えた社会経済理論を必要としているのである。
問われる新しい共同体思想・災害危機管理対策の基本
大災害への危機管理に必要なものは、共同体であり、人々のつながりである。そしてその運動を支える人権思想である。
言い換えると、自然災害をもたらす自然条件を前提にしてこれまで日本の風土が形成されてきた。それが日本型共同体であった。伝統的な日本の集落文化、村落共同体、そして家の造りから集落、田畑、山里の造り方に至るまで、伝統的に災害に耐えられる形態が選択され続けてきた。
こうした伝統文化は、日本の近代化と共に消滅しつつある。そして、同時に、震災大国日本では新しい共同体文化が必要となっている。古い封建的な社会思想から自由主義経済と個人主義を前提にしながら、震災に強い共同体社会を造る必要が生まれている。
その社会思想は、ピースボートや「WANTED」が示したように人権と生活重視の考え方や生き方ではないだろうか。
参考資料
(1)ピースボート「デイリーニーズ」N01-No43 1995.1.25 ‐1995.3.9 神戸大学人文系図書館「震災文庫」所蔵
(2)三石博行 「阪神大震災時の住民情報の分析(2) —第一期住民情報の統計分析とその特徴について—」 in 『日本災害情報学会 第2回研究発表大会 予稿論文集』、大宮ソニックス市民ホール、大宮、pp60-79
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_02_03/cMITShir00h.pdf
(3)三石博行 「阪神大震災時の住民情報の分析」in 『日本災害情報学会1999年度研究発表大会』予稿論文集、東北大学、仙台、pp121-130
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_02_03/cMITShir99c.pdf
(4)箕面ライトピア21 (箕面市中央人権文化センター)
http://www2.city.minoh.osaka.jp/RIGHTPIA/
(5)三石博行 「阪神大震災で問われた情報文化の原点」 in 『第7回情報文化学会全国大会講演予稿集』、東京大学、東京、pp29-36、ISSN 1341-593X
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_02_03.html
(6)山本みち子、大橋英子発行「WANTED」No1‐No17、1995年1月23日‐1995年7月8日、神戸大学人文系図書館「震災文庫」所蔵
(7)ピースボート (国際交流NGO)
http://www.peaceboat.org/index_j.html
(8)社会福祉法人大阪ボランティア協会
http://www.osakavol.org/
(9)NPO日本ユニバーサルデザイン研究機構
http://www.npo-uniken.org/
(10)日本経済新聞 2011年3月22日 朝刊 14面 「専門ボランティア、活動」
修正(誤字、文書表現)2011年3月22日
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
目次 現代社会での危機管理
1、「危機管理と安全管理の独自性と連関性 -現代社会での危機管理(1)-」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_19.html
2、「企業、行政主導の危機管理体制の必要性、その限界への課題(市民ボランティアの役割) -現代社会での危機管理(2)‐」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_21.html
3、「災害ボランィア活動を生み出す文化的土壌としてのコミュニテイ・市民運動 ‐現代社会での危機管理(3)-」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_22.html
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2011年3月21日月曜日
Eric DOLPHY
音楽について(1)
三石博行
ジャズとの出会い
私がJAZZに接する機会を作ってくれた二人の友人が居た。槇和男君と岩本晴穂君である。当時、大学の近くの農学部前の電停近くに「メルヘン」というジャズ喫茶があった。槇君は殆どそこで量子力学の勉強をしていた。量子力学の原書を章ごとに分けて、コンパクトにした本を持ち込んで朝から晩まで、ジャズを聴きながら、原書を読んで、演習問題の微分法方程式を解いていた。
そんな彼に連れられて、私もメルヘンに行った。当時はクラシック音楽を出町柳の「柳月堂」で聴くのが私の楽しみであった。よく岩本君と柳月堂に行った。私の好きな音楽はベートーベンで、当時は弦楽四重奏に魅せられていた。よく岩本君と弦楽四重奏を聴いていた。
メルヘンでの初めてのジャズは衝撃的だった。槇君が私に選んでくれたのがEric Dolphyの曲だった。余りの衝撃さに心が動顚したことを記憶している。それは音楽と謂うよりも、何か叫びのような、そして語りかけてくる音楽であった。はじめて出会った音楽であった。
Eric Dolphy in Europe
今、私は東日本大震災で苦しむ人々に何かしなければと思いながら、ここ1週間続けざまに、これまで阪神淡路大震災の生活情報調査活動や関西労働者安全センター常任事務局員の時代に学んだ災害への安全管理や危機管理に関する考え方を書き続けている。
今、無性に、Eric Dolphyの音楽が聴きたくなって、書斎にラジカセを持ち込み、「Eric Dolphy in Europe, Vol.2」を聴いている。
彼は、このヨーロッパ演奏旅行の最中に死んでしまったのだ。これは、彼の陽気で力強い鎮魂歌かもしれない。
彼らのこの音楽は、あの演奏会の一瞬にしか残らない。つまり、この音楽は偶然に録音されて残ったものだ。何ということだ。これほどのすごい音楽を、彼らは一瞬の出来事として永遠に葬り続けてきた。多分、その一部がここに残されたのだろう。
そして今もなお
彼が今から半世紀以上前に、母国アメリカから遠く離れたヨーロッパの小さなジャズ演奏会場で、仲間と共に作曲し演奏している自分たちのための「レクィエム」を、今日も私は聴く。
そして、この偶然に録音され残された小さな演奏会場での音楽に、私は限りなく感銘し続ける。
もうあれから40年が過ぎた今でも、やはりこの音楽から受ける感銘は変わらないのだ。
彼の魂の叫びは、今、苦難に立ち向かう罹災者、救済のために闘う人々に、きっと届くに違いない。
リンク資料
Eric Dolphy演奏動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=27QVenKmDBI
修正(誤字)2011年3月22日
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三石博行
ジャズとの出会い
私がJAZZに接する機会を作ってくれた二人の友人が居た。槇和男君と岩本晴穂君である。当時、大学の近くの農学部前の電停近くに「メルヘン」というジャズ喫茶があった。槇君は殆どそこで量子力学の勉強をしていた。量子力学の原書を章ごとに分けて、コンパクトにした本を持ち込んで朝から晩まで、ジャズを聴きながら、原書を読んで、演習問題の微分法方程式を解いていた。
そんな彼に連れられて、私もメルヘンに行った。当時はクラシック音楽を出町柳の「柳月堂」で聴くのが私の楽しみであった。よく岩本君と柳月堂に行った。私の好きな音楽はベートーベンで、当時は弦楽四重奏に魅せられていた。よく岩本君と弦楽四重奏を聴いていた。
メルヘンでの初めてのジャズは衝撃的だった。槇君が私に選んでくれたのがEric Dolphyの曲だった。余りの衝撃さに心が動顚したことを記憶している。それは音楽と謂うよりも、何か叫びのような、そして語りかけてくる音楽であった。はじめて出会った音楽であった。
Eric Dolphy in Europe
今、私は東日本大震災で苦しむ人々に何かしなければと思いながら、ここ1週間続けざまに、これまで阪神淡路大震災の生活情報調査活動や関西労働者安全センター常任事務局員の時代に学んだ災害への安全管理や危機管理に関する考え方を書き続けている。
今、無性に、Eric Dolphyの音楽が聴きたくなって、書斎にラジカセを持ち込み、「Eric Dolphy in Europe, Vol.2」を聴いている。
彼は、このヨーロッパ演奏旅行の最中に死んでしまったのだ。これは、彼の陽気で力強い鎮魂歌かもしれない。
彼らのこの音楽は、あの演奏会の一瞬にしか残らない。つまり、この音楽は偶然に録音されて残ったものだ。何ということだ。これほどのすごい音楽を、彼らは一瞬の出来事として永遠に葬り続けてきた。多分、その一部がここに残されたのだろう。
そして今もなお
彼が今から半世紀以上前に、母国アメリカから遠く離れたヨーロッパの小さなジャズ演奏会場で、仲間と共に作曲し演奏している自分たちのための「レクィエム」を、今日も私は聴く。
そして、この偶然に録音され残された小さな演奏会場での音楽に、私は限りなく感銘し続ける。
もうあれから40年が過ぎた今でも、やはりこの音楽から受ける感銘は変わらないのだ。
彼の魂の叫びは、今、苦難に立ち向かう罹災者、救済のために闘う人々に、きっと届くに違いない。
リンク資料
Eric Dolphy演奏動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=27QVenKmDBI
修正(誤字)2011年3月22日
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企業、行政主導の危機管理体制の必要性、その限界への課題(市民ボランティアの役割)
現代社会での危機管理(2)
三石博行
民間企業の安全管理と危機管理の論理
前節で、災害後の対策・危機管理と災害前の防災対策・安全管理の違いと、その二つの連関性について述べた。つまり、危機管理は安全管理の延長線上に存在しないことや安全管理が崩壊した後に設定される対策が危機管理であることが確認できた。
以上の前節で述べた危機管理対策を導く理論として、二次災害防止対策、三次災害防止対策と危機管理に含まれる安全管理を支えている社会経済学理論は、前章「現代社会の安全管理」で述べた市場経済や公共経済の原理を適用することが可能であると考えられる。
例えば具体的実例を挙げながら、火災事故を想定した企業(製造業)の危機管理について考えてみる。A製造会社では火災を起こさないための安全管理と危機管理を行っている。その場合の安全管理は、漏電、防熱、発火危険物等、出火要因への防火対策と職員の避難体制(火災被災者への安全対策)である。
危機管理は、出火後の対策で消火設備、消防、警察への緊急連絡体制、火災に巻き込まれた職員の救出や救援体制、貴重な資料や施設等の避難体制、近隣の企業や住宅への火災拡大防止体制がある。危機管理は被害者救助と二次災害の防止に大きく分類される。
更に危険物を取り扱う企業の場合には、二次災害発生後の危機管理体制を考えなければならない。つまり、それらの安全管理や危機管理の具体的内容は企業によって異なる。
中小企業の場合、安全管理や危機管理システムは、主に、防災、犠牲者救済、二次防災のシステムが検討され、そのシステムはそれぞれの企業経営の中でコスト計算された予算によって造られる。労災保険、生命保険、災害保険への加入(掛け金の支払い)、安全施設の設置、防災訓練、二次災害防止対策等々への経費負担が生じる。それらの経費は企業の経営規模によって異なる。
つまり、個々の企業が投資する防災・安全施設の設置内容は市場経済によって決まり、また負傷者や犠牲者家族の救済制度は公共経済(労災保険制度)によって決定されている。
国や地方自治体の義務・社会インフラの安全管理や危機管理
大規模災害を引き起こす可能性のある企業、例えば東日本大震災(東北関東大震災)の二次災害として発生した東電福島第一発電所、石油コンビナート、鉄道等の社会インフラの事故は、その企業の生産システムへの被害のみでなく、社会全体へ大きな被害を与えることになる。
従って、これらの社会インフラを支える企業の防災(安全管理)や危機管理に関して、企業にその対策を一任する訳には行かない。国家や地方自治体は法的にそれらの企業の安全管理や危機管理を点検する権利があり、それらの企業は国家と地方自治体に対して重大災害防止への対策の法的義務を持たなければならない。
換言すると、それらの事業は公共事業として運営されるべき内容を持っている。つまり本来なら、国や地方自治体が行う事業である。しかし、これらの事業の多くは、現在、民営化されて来た。その結果、自由主義経済の利点を活かしてより効率よく事業が運営されている。しかし、それらの企業が担う公共的役割はそのまま存続し続ける。そこで、国家や地方自治体は、それらの企業が引き起こす社会全体への負の影響、つまり事業の安全・危機管理(事故や災害、経営失敗による倒産等々)に対する監視の義務を負う事になる。
自然災害の多い日本では、ここ20年間を振り返っても、雲仙普賢岳火砕流災害(1991年)、阪神淡路大震災(1995年)、三宅島噴火(2000年)、有珠山噴火(2000年)、新潟・福島豪雨災害と福井豪雨と斜面災害・地すべり(2004年)、新潟県中越沖地震(2007年)、南九州豪雨・斜面災害(2006年)、ゲリラ豪雨による神戸市都賀川水難事故(2008年)、兵庫県作用町豪雨水害(2009年)、日本海豪雪災害(2011年)、霧島新燃岳噴火(2011年)、東日本大震災(2011年)と殆ど毎年のように自然災害が発生し続けている。
また、自然災害以外にも、地下鉄サリン事件(1995年)、東海村JCO臨海事故(1999年)、関西電力美浜原発3号機事故(2004年)、JR西日本福知山線脱線事故(2005年)、今回の東電福島第一原発事故(2011年)とこれまで大きな被害と多数の犠牲者を生み出す事故(事件)が発生している。
つまり、自然災害や事故等の災害対策に対する社会的な体制は、日本社会を運営するための必然的条件であると謂える。その条件を整えることは国や地方自治体の義務である。国や地方自治体は、そのために災害防止に関する行政、公共事業を行っている。
そして、自然災害や事故によって引き起こされる社会インフラの損害を最小限に食い止めるために、国や地方自治体はそれらの企業の防災・安全管理と救済・危機管理に関して介入し援助や補助を行う義務と責任がある。
国や地方自治体は、事故や災害の防止に対して、税制上の支援や助成金を出して企業の安全管理体制作りを支援している。また、自然災害に備えて防災(防潮堤、防波堤、堤防や排水施設の設定)、耐震強度等の法律制定、洪水、火山噴火、地震や津波に対する安全監視体制等々の災害対策を行っている。
また、災害直後の応急的な罹災者の生活救済を目的にした災害救助法や災害被害者の生活再建を援助する被災者生活再建支援法、そして消防、警察や自衛隊派遣による災害直後の救援救助体制等によって、国家は災害や事故への危機管理体制を作っている。
大災害時の危機管理・市民ボランティア運動
大災害では一刻を争う被災地での人命救助、負傷者運搬、危険物撤去、前線部隊への補給、その補給路確保等々、危険な作業を、自衛隊、警察機動部隊、消防レスキュー部隊、海上保安庁災害救助部隊等々の前線部隊が担う。その危険作業に従事する最前線部隊を担う後方部隊も、自衛隊、警察消防や海上保安巡視艇員である(1)。
今回の東日本大震災直後に、国は10万人の自衛隊員の出動命令を出した。自衛隊員は、津波に襲われ壊滅的な被害を受けた地域に出動し、人命救助と補給路の確保のために働いた。また東電福島第一原発事故現場の最も厳しい前線での事故進行防止作業に従事している。
震災直後の最前線での救援活動によって多くの人命が救出された。このことは、今回の災害対策における政府の敏速な対応の成果である。確かにもっと早く、10万人の自衛隊の出動命令を出すべきだという批判もある。しかし、阪神淡路大震災直後またその後にあった多くの災害に対する政府の対応に比較して格段の進歩であったと言えるのではないか。勿論、今後はさらにもっと敏速な対応を取れる政府体制が必要であるのは確かである。
今回の課題として、罹災地や避難所での生活物資の不足、例えば燃料、食料、水、毛布等の運搬配給が問題になった。阪神淡路大震災と比較して約5倍の罹災地を持つ今回のケースでは、幹線道路、鉄道等の補給運搬経路が広範囲に破壊されているために、その復旧活動に時間が掛っている。その分、素早い救援物資の運搬は難しいのが現状である。
つまり「より十分な後方部隊の活動を展開するためには、災害支援NGO,民間ボランティア団体、被災者組織、罹災地の自治体、企業、市民の参加が必要となる。つまり、前線部隊の補給、補助、危険作業に従事する後方部隊と罹災者の生活支援を行う後方部隊を分ける必要」(1)がある。
そして「罹災者の生活支援を行う後方部隊は、民間ボランティア組織や市民が中心となり、全国から集まる災害支援金や支援物資を避難所へ届け、避難所の生活環境の改善を行う活動に従事することになる。この活動は、16年前の阪神淡路大震災で、ピースボート等の市民ボランティア団体が担い、また、その後の震災でも多くの市民ボランティア組織が支援活動を行ってきた。その経験を活かし、彼らの協力を得ながら、罹災者生活支援の後方部隊を組織する必要がある。」(1)
我々は、阪神淡路大震災の時に、市民の力で、国を挙げて大震災に立ち向かった経験を持っている。多くの災害ボランティアが罹災地に集まり救援活動に従事し、また近隣の住民達が自主的に災害救助活動を始めた。その貴重な経験はその後の災害時の救援活動に活かされてきた。そして、今回の西日本大震災(東北関東大震災)でも活かされるだろう。
避難した人々のいる地域では、まだ社会インフラが復旧していない。特に、救援物資の運搬、生活必需品の補給、生活情報の提供、被災地での子供支援、教育支援、等々、多くの課題を解決する力は、国や地方自治体の力だけでは不可能である。国民の参加、あらゆる支援の手を受け入れ、組織し、罹災者に届けることが今必要とされている。
その力は、すべての国民が等身大で差し伸べる手を受け入れ、組織する市民運動の豊かな経験と組織力によって可能になるのである。一刻も早く、市民ボランティアの活動を自衛隊、警察消防隊の前線部隊や後方部隊と連携する体制を作る必要がある。
その運動と組織化の発想も市民運動に任せることで、より豊かで敏速な危機管理の体制が可能になるのである。今回、管直人首相は辻元清美前外務副大臣を「災害ボランティア担当の総理大臣補佐官」に任命した。
この判断を評価したい。何故なら、辻元氏はピースボートを創設し、さらに阪神淡路大震災の時には、ピースボートを率いて、素晴らしい震災救援市民運動を組織、展開した一人である。その経験が、今回の大震災に必ず活かされることは間違いないだろう。
修正(誤字) 2011年3月22日
参考資料
(1) 三石博行 「日本国民全ての力を集めて震災罹災者を救援しよう ‐東日本大震災への救援・二次防災活動を担う機動部隊の構築‐」2011年3月17日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_17.html
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
目次 現代社会での危機管理
1、「危機管理と安全管理の独自性と連関性 -現代社会での危機管理(1)-」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_19.html
2、「企業、行政主導の危機管理体制の必要性、その限界への課題(市民ボランティアの役割) -現代社会での危機管理(2)‐」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_21.html
3、「災害ボランィア活動を生み出す文化的土壌としてのコミュニテイ・市民運動 ‐現代社会での危機管理(3)-」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_22.html
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三石博行
民間企業の安全管理と危機管理の論理
前節で、災害後の対策・危機管理と災害前の防災対策・安全管理の違いと、その二つの連関性について述べた。つまり、危機管理は安全管理の延長線上に存在しないことや安全管理が崩壊した後に設定される対策が危機管理であることが確認できた。
以上の前節で述べた危機管理対策を導く理論として、二次災害防止対策、三次災害防止対策と危機管理に含まれる安全管理を支えている社会経済学理論は、前章「現代社会の安全管理」で述べた市場経済や公共経済の原理を適用することが可能であると考えられる。
例えば具体的実例を挙げながら、火災事故を想定した企業(製造業)の危機管理について考えてみる。A製造会社では火災を起こさないための安全管理と危機管理を行っている。その場合の安全管理は、漏電、防熱、発火危険物等、出火要因への防火対策と職員の避難体制(火災被災者への安全対策)である。
危機管理は、出火後の対策で消火設備、消防、警察への緊急連絡体制、火災に巻き込まれた職員の救出や救援体制、貴重な資料や施設等の避難体制、近隣の企業や住宅への火災拡大防止体制がある。危機管理は被害者救助と二次災害の防止に大きく分類される。
更に危険物を取り扱う企業の場合には、二次災害発生後の危機管理体制を考えなければならない。つまり、それらの安全管理や危機管理の具体的内容は企業によって異なる。
中小企業の場合、安全管理や危機管理システムは、主に、防災、犠牲者救済、二次防災のシステムが検討され、そのシステムはそれぞれの企業経営の中でコスト計算された予算によって造られる。労災保険、生命保険、災害保険への加入(掛け金の支払い)、安全施設の設置、防災訓練、二次災害防止対策等々への経費負担が生じる。それらの経費は企業の経営規模によって異なる。
つまり、個々の企業が投資する防災・安全施設の設置内容は市場経済によって決まり、また負傷者や犠牲者家族の救済制度は公共経済(労災保険制度)によって決定されている。
国や地方自治体の義務・社会インフラの安全管理や危機管理
大規模災害を引き起こす可能性のある企業、例えば東日本大震災(東北関東大震災)の二次災害として発生した東電福島第一発電所、石油コンビナート、鉄道等の社会インフラの事故は、その企業の生産システムへの被害のみでなく、社会全体へ大きな被害を与えることになる。
従って、これらの社会インフラを支える企業の防災(安全管理)や危機管理に関して、企業にその対策を一任する訳には行かない。国家や地方自治体は法的にそれらの企業の安全管理や危機管理を点検する権利があり、それらの企業は国家と地方自治体に対して重大災害防止への対策の法的義務を持たなければならない。
換言すると、それらの事業は公共事業として運営されるべき内容を持っている。つまり本来なら、国や地方自治体が行う事業である。しかし、これらの事業の多くは、現在、民営化されて来た。その結果、自由主義経済の利点を活かしてより効率よく事業が運営されている。しかし、それらの企業が担う公共的役割はそのまま存続し続ける。そこで、国家や地方自治体は、それらの企業が引き起こす社会全体への負の影響、つまり事業の安全・危機管理(事故や災害、経営失敗による倒産等々)に対する監視の義務を負う事になる。
自然災害の多い日本では、ここ20年間を振り返っても、雲仙普賢岳火砕流災害(1991年)、阪神淡路大震災(1995年)、三宅島噴火(2000年)、有珠山噴火(2000年)、新潟・福島豪雨災害と福井豪雨と斜面災害・地すべり(2004年)、新潟県中越沖地震(2007年)、南九州豪雨・斜面災害(2006年)、ゲリラ豪雨による神戸市都賀川水難事故(2008年)、兵庫県作用町豪雨水害(2009年)、日本海豪雪災害(2011年)、霧島新燃岳噴火(2011年)、東日本大震災(2011年)と殆ど毎年のように自然災害が発生し続けている。
また、自然災害以外にも、地下鉄サリン事件(1995年)、東海村JCO臨海事故(1999年)、関西電力美浜原発3号機事故(2004年)、JR西日本福知山線脱線事故(2005年)、今回の東電福島第一原発事故(2011年)とこれまで大きな被害と多数の犠牲者を生み出す事故(事件)が発生している。
つまり、自然災害や事故等の災害対策に対する社会的な体制は、日本社会を運営するための必然的条件であると謂える。その条件を整えることは国や地方自治体の義務である。国や地方自治体は、そのために災害防止に関する行政、公共事業を行っている。
そして、自然災害や事故によって引き起こされる社会インフラの損害を最小限に食い止めるために、国や地方自治体はそれらの企業の防災・安全管理と救済・危機管理に関して介入し援助や補助を行う義務と責任がある。
国や地方自治体は、事故や災害の防止に対して、税制上の支援や助成金を出して企業の安全管理体制作りを支援している。また、自然災害に備えて防災(防潮堤、防波堤、堤防や排水施設の設定)、耐震強度等の法律制定、洪水、火山噴火、地震や津波に対する安全監視体制等々の災害対策を行っている。
また、災害直後の応急的な罹災者の生活救済を目的にした災害救助法や災害被害者の生活再建を援助する被災者生活再建支援法、そして消防、警察や自衛隊派遣による災害直後の救援救助体制等によって、国家は災害や事故への危機管理体制を作っている。
大災害時の危機管理・市民ボランティア運動
大災害では一刻を争う被災地での人命救助、負傷者運搬、危険物撤去、前線部隊への補給、その補給路確保等々、危険な作業を、自衛隊、警察機動部隊、消防レスキュー部隊、海上保安庁災害救助部隊等々の前線部隊が担う。その危険作業に従事する最前線部隊を担う後方部隊も、自衛隊、警察消防や海上保安巡視艇員である(1)。
今回の東日本大震災直後に、国は10万人の自衛隊員の出動命令を出した。自衛隊員は、津波に襲われ壊滅的な被害を受けた地域に出動し、人命救助と補給路の確保のために働いた。また東電福島第一原発事故現場の最も厳しい前線での事故進行防止作業に従事している。
震災直後の最前線での救援活動によって多くの人命が救出された。このことは、今回の災害対策における政府の敏速な対応の成果である。確かにもっと早く、10万人の自衛隊の出動命令を出すべきだという批判もある。しかし、阪神淡路大震災直後またその後にあった多くの災害に対する政府の対応に比較して格段の進歩であったと言えるのではないか。勿論、今後はさらにもっと敏速な対応を取れる政府体制が必要であるのは確かである。
今回の課題として、罹災地や避難所での生活物資の不足、例えば燃料、食料、水、毛布等の運搬配給が問題になった。阪神淡路大震災と比較して約5倍の罹災地を持つ今回のケースでは、幹線道路、鉄道等の補給運搬経路が広範囲に破壊されているために、その復旧活動に時間が掛っている。その分、素早い救援物資の運搬は難しいのが現状である。
つまり「より十分な後方部隊の活動を展開するためには、災害支援NGO,民間ボランティア団体、被災者組織、罹災地の自治体、企業、市民の参加が必要となる。つまり、前線部隊の補給、補助、危険作業に従事する後方部隊と罹災者の生活支援を行う後方部隊を分ける必要」(1)がある。
そして「罹災者の生活支援を行う後方部隊は、民間ボランティア組織や市民が中心となり、全国から集まる災害支援金や支援物資を避難所へ届け、避難所の生活環境の改善を行う活動に従事することになる。この活動は、16年前の阪神淡路大震災で、ピースボート等の市民ボランティア団体が担い、また、その後の震災でも多くの市民ボランティア組織が支援活動を行ってきた。その経験を活かし、彼らの協力を得ながら、罹災者生活支援の後方部隊を組織する必要がある。」(1)
我々は、阪神淡路大震災の時に、市民の力で、国を挙げて大震災に立ち向かった経験を持っている。多くの災害ボランティアが罹災地に集まり救援活動に従事し、また近隣の住民達が自主的に災害救助活動を始めた。その貴重な経験はその後の災害時の救援活動に活かされてきた。そして、今回の西日本大震災(東北関東大震災)でも活かされるだろう。
避難した人々のいる地域では、まだ社会インフラが復旧していない。特に、救援物資の運搬、生活必需品の補給、生活情報の提供、被災地での子供支援、教育支援、等々、多くの課題を解決する力は、国や地方自治体の力だけでは不可能である。国民の参加、あらゆる支援の手を受け入れ、組織し、罹災者に届けることが今必要とされている。
その力は、すべての国民が等身大で差し伸べる手を受け入れ、組織する市民運動の豊かな経験と組織力によって可能になるのである。一刻も早く、市民ボランティアの活動を自衛隊、警察消防隊の前線部隊や後方部隊と連携する体制を作る必要がある。
その運動と組織化の発想も市民運動に任せることで、より豊かで敏速な危機管理の体制が可能になるのである。今回、管直人首相は辻元清美前外務副大臣を「災害ボランティア担当の総理大臣補佐官」に任命した。
この判断を評価したい。何故なら、辻元氏はピースボートを創設し、さらに阪神淡路大震災の時には、ピースボートを率いて、素晴らしい震災救援市民運動を組織、展開した一人である。その経験が、今回の大震災に必ず活かされることは間違いないだろう。
修正(誤字) 2011年3月22日
参考資料
(1) 三石博行 「日本国民全ての力を集めて震災罹災者を救援しよう ‐東日本大震災への救援・二次防災活動を担う機動部隊の構築‐」2011年3月17日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_17.html
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
目次 現代社会での危機管理
1、「危機管理と安全管理の独自性と連関性 -現代社会での危機管理(1)-」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_19.html
2、「企業、行政主導の危機管理体制の必要性、その限界への課題(市民ボランティアの役割) -現代社会での危機管理(2)‐」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_21.html
3、「災害ボランィア活動を生み出す文化的土壌としてのコミュニテイ・市民運動 ‐現代社会での危機管理(3)-」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_22.html
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