2020年7月1日水曜日

パンデミック対策にむけて(b)

ハイブリッド型災害としてのパンデミックとその対策(2)

-21世紀型の災害、パンデミックの構造-

三石博行

2、ハイブリッド型災害としてのパンデミック

ハイブリッド型災害としてパンデミックを位置付けること、さらに、この種の災害は21世紀社会で常態化することを前提にして、ハイブリッド型災害の自然的要素、社会経済的要素、そして文明的要素を分析し、総合的な対策の検討が必要となる。

2-1、病原菌による疾病(自然的要素)

疾病災害を引き起こす病原菌も地球上に存在している生命の一つであり、生態環境系の中の一つの生物に過ぎない。その意味で、病原菌による疾病は生命現象の一部である。そして、疾病は生物の進化史と共にあり、また人類の歴史と共にある。疾病は生物・人が病原体によってその生命活動を破壊される病理的現象に過ぎない。
つまり、病原体による人の感染被害は自然現象の一つであり、人の病気は人と病原体(細菌や微生物等)との生物的生存競争や共存の一形態である。また、人が病気になることによって、その病原体は彼らの生存領域を拡大し、また人を病死させることでその生存環境を失うことになる。
さらに、人が病原体に対する抵抗力や抗体を持ち病気にならないことは、人がよりよい生存条件を獲得したことを意味する。逆に、そのことによって病原体は彼らの生存領域を失うことである。そこで、病原体も進化し、人の抗体を無効化させながら種を維持しようとするだろう。また、人が治療薬を開発し病気を治癒することは、病原体にとっては生存環境を失うことを意味する。そこで病原体は治療薬に対して抗体や無毒化する代謝経路を確立してその治療薬(化学物質)から身を守る。
人も細菌も生存競争と共存の関係を繰り返しながら、生命体の進化に関係し、生命活動の持続に寄与してきた。そして、今現在も、生命現象の一部として人と病原体(微生物)の生存競争や共存は終わることなく続いている。その意味で、生命現象の一部として疾病があり、疾病とは生命活動とよばれる自然現象であるともいえる。

2-2、疾病大流行の社会経済的被害(社会経済的要素)

パンデミックは人類が都市を建設した時代から存在している。そして、パンデミックは、古代社会より中世社会に多く発生し、また中世社会より近代社会や現代社会で、大型化していきた。パンデミックとは、病原菌による感染症であると同時に、都市化、人口増加、熱帯雨林の開発等々によって引き起こされている人工災害の側面を持つ。パンデミックの特徴を理解するために、その感染拡大の人工災害としての解明が求められる。例えば、以下の課題が挙げられる。
1、感染拡大の要因としての社会経済的要素
2、感染拡大の要因としての生活文化的要素、生活文化習慣
3、感染拡大の要因としての生態文化的要素
4、感染拡大防止対策、政策、制度等の社会政治的要因
パンデミックの人工災害的要素を理解することで、病原体の特性、その感染経路や感染媒体等の疫学調査対象を社会や生活環境に広げることが出来る。

2-3、ハイブリッド型災害としてのパンデミックへの三つの課題と解決のための対策

上記したようにパンデミックは、生物、医学的課題としてお疾病とその爆発的感染の背景となる社会文化的課題のハイブリッド型の災害であるため、その対策は、自然科学系の学問を土台とする感染症、疫学、医学的処置と同時に社会経済学的知識を基本とする公衆衛生、医療、社会、経済政策が求められる。さらに、パンデミックが都市化、人口増加、環境破壊等によって引き起こされているとすれば、その地球規模の文明論的課題も検討されなければならないだろう。
つまり、パンデミックへの対策は基本的には三つある。一つは公衆衛生、防疫や医療対策である。二つ目は、社会経済対策である。三つ目が地球温暖化対策と類似した文明論的対策、つまり持続可能な人類社会を構築するための対策である。
これらの基本課題の中で、ここでは、ハイブリッド型の災害であるパンデミックへの公衆衛生や医療対策に関して述べる。まず、自然科学系の学問を土台にする対策を以下に列挙した。
1、病原菌の微生物学的理解、遺伝子解明
2、感染症学的理解、COVID-19感染につての科学的理解、
3、疫学的理解、感染経路、感染媒体の調査、クラスター対策
4、免疫遺伝学的研究、ワクチン開発、PCR検査、抗体検査
5、臨床学的理解、感染症に関する臨床医学的調査、医療の確立
それらの上記した対策は、それをサポートする公衆衛生や医療体制の課題に繋がる。つまり、敏速に疾病対策を行う公衆衛生や医療政策や、その政策を決定する立法、その政策を実行する行政機関の課題が問題となる。
1、感染症を治療するための医療体制の確立
2、感染拡大を防ぐための防疫、公衆衛生制度の確立
3、感染拡大を要因となる社会経済的要因の解明とその解決策
さらに、ハイブリッド型の災害であるパンデミックへの生態文化・文明論的課題とその対策に関して述べる。
1、病原体の起源に関する調査研究とその対策
2、感染症の歴史に関する研究
3、感染経路や感染方法の生活文化的要素に関する調査研究
4、各国の感染防止対策やそれらの制度の調査、比較研究
以上、三つの異なる課題と対策に関して述べた。それらの課題に関する調査や研究は異なる専門分野の人々によって担われることになる。そのため、以下に示す三つの課題、専門分野毎の調査研究チーム、首相をリーダとして、各省官僚、政治家と専門家チームの代表による俯瞰的立場に立った横断型の対策会議、さらに、上記二つの議事録や調査資料の情報公開による大学や民間研究機関でのパンデミックに関する持続的な研究活動の推進のための組織化(制度化)について述べる。
1、各専門分野の委員会を構築する。例えば、病原体の微生物や遺伝子学の研究チーム、防疫や感染対策研究チーム、感染症の治療チーム、検査、検査体制の研究チーム、感染予防や公衆衛生制度に関する研究チーム、経済的影響に関する調査研究チーム、海外の感染対策に関する調査研究チーム、社会や生活、文化環境への影響に関する調査研究チーム、教育や保育、女性の社会的活動への影響に関する調査研究チーム等々、課題別にそれに関する多様な視点を持つ専門家を幅広く集め研究チームを組織する。それらの異なる分野の専門家による現状の理解と問題解決の対策を提言してもらう。
2、政府は異なる専門家集団による意見を俯瞰的に理解し、現状にマッチした政策検討を行う「対策会議」を組織する。この会議は官邸、各省官僚、政治家と専門家チームの代表によって構成される。首相が対策会議の議長を務め政府として対応する。
3、さらに、これらの専門分野の委員会や対策会議の議事録や調査資料は保存され、情報公開されなければならない。何故なら、21世紀の世界では、パンデミック(ハイブリッド型災害)は常態化する可能性が大きく、これらの研究調査資料が大学や企業研究者の次のパンデミック対策の研究資料となり、近未来に必ず起こるパンデミックに対して強い社会文化を構築するための材料になるからである。
21世紀社会で常態化するパンデミックに対して強い社会文化を構築、ハイブリッド型災害との闘いは上記した三つの課題、公衆衛生、防疫や医療対策、社会経済政策、学術的研究による文明論的検討が必要とされる。

目次、『ハイブリッド型災害としてのパンデミックとその対策 -21世紀型の災害、パンデミックの構造-』

パンデミック対策にむけて(a)

ハイブリッド型災害としてのパンデミックとその対策(1)

-21世紀型の災害、パンデミックの構造-

三石博行

1、災害の三つの形態:自然要因、人工要因と自然・人工要因

災害は、その原因や災害要因によって大きく二つのパターンに分類することができる。一つは自然現象によって引き起こされる災害パターンである。これを自然災害と呼んでいる。もう一つは人間が作り出した人工物によって引き起こされる災害パターンである。これを人工災害と呼ぶことにする。また、この二つの要因を同時に持つ災害パターンがある。これを、ここでは自然要因と人工要因のハイブリッド型災害と呼ぶことにする。しかし、現実の災害は、純粋に自然災害や人工災害に分類されるより、自然災害であったとしても人工的要素を含むものが多い。 

1-1、自然現象による災害、自然災害

地球の自然環境とは、地球の大気、海洋の運動、気象現象や地球のマントルや地殻、そしてプレート等の運動、火山活動、地球を取り巻く太陽系の運動、さらには太陽系や太陽系外の小惑星の運動等々によって地球環境が受けきたあらゆる自然現象を意味する。これらの自然現象の中に、自然災害と呼ばれる自然現象が含まれる。自然環境による人間社会への破壊的影響を自然災害と呼んでいる。
人々が自然現象に支配され、その自然の成り行きをそのまま生産や社会文化活動に活用する近代以前の社会では、自然災害は絶対的な自然の姿の一つとして受け止められてきた。しかし、人類が自然現象を支配する法則を理解し、それらの法則を活用するようになることで、自然現象としての自然災害も、その原因を科学的に理解することができた。
自然災害の原因を解明することで、災害の根本原因を防ぐことはできないのだが、それによって被害を受ける建造物等の人工物の災害防止策を検討し改良することが出来た。

1-2、人工物による社会や人への災害、人工災害

人間活動の結果引き起こされる災害を人工災害と呼んでいる。例えば、食料生産や消費活動に付随する食品被害、移動の手段の開発、発展してきた交通手段、自動車や道路等によって生じる交通事故や交通災害、生産活動、技術の開発や発展の中で生じる労働災害や職業病、住環境の改善、建築技術、生活環境の改善によって生じる火災等、劣悪な都市衛生環境等々が例に挙げられる。また、社会経済活動を支える巨大なエネルギー生産、電力産業によって引き起こされる環境破壊、原発事故、そして、国家防衛のための最新兵器開発や大量殺人兵器・原子爆弾等による被害、戦争災害も人工物による社会や人への被害、人工災害の一つであると言えるだろう。
人工災害は、生産活動の巨大化によってその規模を拡大してきた。18世紀から19世紀に掛けて欧米社会でおこった産業革命、20世紀の重化学工業化、巨大工業地帯や巨大都市の形成によって、自然生態系の破壊、大気汚染、ヒートアイランド現象等々、環境汚染が深刻化した。また、人工物による環境汚染(公害)は、工業化の進む発展途上国でも現在深刻な問題となっている。

1-3、自然現象と社会的要因による災害、ハイブリッド型災害

近年の災害の殆どが自然・人工災害、つまりハイブリッド型に分類される。例えば、大雨が洪水という災害を引き起こすが、同時に、荒れ果てた人工林の森から伐採し放置された木材が増水した河川を流れ出て、下流域の人家を破壊する洪水と廃棄木材によるハイブリッド型の水害が起こっている。
近年、このハイブリッド型の災害の事例として、人々の生活や産業活動によって排出される化学物質、例えばフッ素化合物によるオゾン層の破壊、また地球温暖化ガス(二酸化炭素やメタンガス)による地球温暖化、そしてその温暖化による異常気象、巨大台風や大雨、異常乾燥とそれによる森林火災、また海面上昇による高波や田畑の海面への沈没被害等々が報告されている。
ハイブリッド型災害に関して、以下三つの課題、多様な災害形態、総合型災害学、国際協力による解決が挙げられる。
1、ハイブリッド型災害は、21世紀社会、科学技術文明社会化、情報社会化、国際経済化、巨大都市化の形成と共に、広範で多様な形態を取りながら発生し続ける。人類がこれまでに経験したことのない未来社会の災害のパターンである。しかも、世界では多様な産業化、工業社会化があるため、この種の災害もそれぞれの国によって異なる特徴を持つ。それらの共通する形態や多様な形態を同時に理解する必要がある。
2、これまでの甚大な災害は自然災害(大雨、洪水、地震、火山活動、台風等々)であると考えられた。従って、災害学のテーマは自然災害の研究が中心であった。しかし、この後、全世界に被害を与える地球温暖化等ハイブリッド型災害が課題となる。その対策は災害原因である自然的要素や人工的要素の分析やそれに対する文理融合型の対策が求められる。つまり、この災害科学は総合型災害学を必要としている。
3、ハイブリッド型の災害、例えば地球温暖化やパンデミックの特徴は被害の範囲が国を超え、世界の至る所で起こることである。ある特定の地域で発生した温暖化ガスは簡単に国境を越え世界に広がる。また、病原体も社会経済の国際化による人々の国際的な移動によっての世界に広がる。そのため、この災害の解決方法は国際協調によって行わなければならない。一国内で温暖化ガスを削減したとしても地球温暖化を防ぐことは出来ない。同様に、一国内で感染病の流行を抑えたとしても、国際化社会では感染は他の国々から常時侵入し続ける。自然災害では災害国内で対策が取られていたが、ハイブリッド型災害、パンデミックでは一国内での災害対策は通用しなくなる。国際協働機関と歩調を合わせながら、国際協力の基にした一国の災害対策が求められる。パイブリッド型災害の解決方法として、国際機関(WHO等)の形成と改善、感染症の調査研究、ワクチン、治療薬開発の世界的連携が求められる。


目次、『ハイブリッド型災害としてのパンデミックとその対策 -21世紀型の災害、パンデミックの構造-』

1章、災害の三つの形態:自然要因、人工要因と自然・人工要因

1-1、自然現象による災害、自然災害
1-2、人工物による社会や人への災害、人工災害
1-3、自然現象と社会的要因による災害、ハイブリッド型災害


2章、ハイブリッド型災害としてのパンデミック

2-1、病原菌による疾病(自然的要素)
2-2、疾病大流行の社会経済的被害(社会経済的要素)
2-3、ハイブリッド型災害としてのパンデミックへの三つの課題と解決のための対策


3章、災害学的視点からのパンデミックへの対策 

3-1、二つの災害形態:安全管理可能な疾病災害と安全管理不可能な疾病災害

3-2、予防策のない新型感染症対策期間:第一期

A、最も重要かつ最優先の課題(国、大学、企業が担う防疫政策)
A1、病原体の遺伝子、感染媒体、感染症の病理的特徴に関する情報
A2、ワクチン・治療薬の開発
A3、検査キッドと検査体制の確立
A4、予測される危機的状況に対する公衆衛生・医療体制の確立

B、科学的でより現実的な対策(健康保険行政と医療行政)
B1、感染拡大を防ぐ人と人との空間的隔離(ソーシャルディスタンス)の設定 
B2、検査体制確立、経済的な感染者隔離
B3、既存治療薬の援用 

C、合理的、経済的な政策(政府)
C1、既存の体制の敏速な援用と最適な体制のための改革: 
C2、人命や生活被害と社会や経済被害の双方を最小限に食い止める政治的判断:
C3、国民と国家の負担を最小限に食い止めるための経済政策:
C4 、感染症拡大と格差社会
C5 、総合的にパンデミック対策を担う政府機関と地方自治体の体制



2020年5月4日月曜日

COVID-19感染防止に対して、日本政府は正常な科学的判断力を持っているだろか。(4)

4、公衆衛生学の基本、隔離の概念

a. 感染症とは

感染症とは病原菌が人から人へと感染して起こる病気の一般的名称である。感染症を引き起こす原因(病原体)は、寄生虫・細菌・真菌・ウイルス・異常プリオン等がある。感染を引き起こす病原体の種類によって感染症は種類は異り、その研究分野も異なることになる。例えば、微生物による感染症を研究する学問は微生物学、細菌によるそれは細菌学。ウイルス感染に関する学問はウイルス学、真菌や寄生虫による真菌学や寄生虫学も感染症学の中に分類される。

また、病原体の種類によって感染症の病名が決定される。例えば、RNAウイルスのインフルエンザウイルスがインフルエンザの病原体であり、これまでA型からC型のインフルエンザウイルス3種類が存在すると言われてきた。

今回の新型コロナウイルス感染もRNAウイルスであり、「ウイルス粒子表面のエンベロープ(膜構造)に、花弁状の長いスパイク蛋白の突起(S蛋白、約 20 nm)を持ち、外観がコロナ(太陽の光冠)に似ていることからその名が付けられた」(Wikipedia)と言われている。はじめてコロナウイルスが発見されたのは1960年代で、ニワトリの伝染性気管支炎ウイルスであったが、その後、風邪をひいたヒト患者の鼻腔からの2つのウイルスが発見された。そして、2003年にSARS-CoV、2004年にHCoV NL63、2005年にHKU1、2012年にMERS-CoV、2019年に2019新型コロナウイルス (COVID-19) が発見されている。


b ,PCR検査、感染確認者と非感染確認者の確認・隔離の方法 

色々な病原体による感染が、その病原体によって生じる感染症を引き起こすのであるなら、当然ながら、感染しないように病原体との接触を避けることが、感染症対策の基本となる。

病原体の感染能力を調べることが感染症対策の基本となる。つまり、今回の新型コロナウイスは飛沫感染や接触感染が問題となっている。接触感染の場合でも素材によってCOVID-19の生存時間が分析されていた。そして、プラスチック素材が銅などの金属より、コロナウイルスの生存時間が長いことなどが判明していた。

感染予防の基本として、病原体に触れないこと、つまり感染者との接触を避けることが原則となる。そのため、まず感染者を探し出さなければならない。感染者の調査は、まず、病原体に侵された感染者がもつ病状の医学的判明がなされなければならない。医学的な診断によって感染症の疑いがなされ、それを正確に診断するために生物学的検査が行われる。今回問題となっているPCR検査は、RNAウイルスの遺伝子を検出する検査である。この方法を用いて、感染者か非感染者かを判断することが出来る。


C,  感染症対策としての隔離 PCR検査による感染確認者のあぶり出し

感染症予防のための隔離とは感染者から非感染者を引き離すこと、つまり、非感染者と感染者の間に感染しない距離(物理的な)を築くことである。これが最も原始的・初歩的な感染症予防策である。当然のこととして感染者を見つけ出すことがその感染症対策の第一の課題となる。

感染者を見つけ出すために、前記したように感染者が持つ病理的特徴(症状)を細かく観察、診断する作業(診察)が必要となる。今回のCOVID-19でも、これまでの臨床データから、色々な症状が取り上げられている。そして、COVID-19の症状は、さらに多くの臨床事例から、付け加えられてきた。

問題はそれらの症状群の中の一つが充たされるなら、すべて検査の対象となると言うことになる。それが隈なく感染者を見つけ出す方法であり最善の手段となる。PCR検査による感染確認者のあぶり出しは、感染確認者から非感染者を隔離するためのもっとも有効な手段である。

しかし、今回のCOVID-19感染症が、その隔離を困難にしているのは、無症状の感染者が存在することであった。つまり、病理的特徴(症状)を確認できない感染者が存在していることがCOVID-19感染の拡大を広めている。言い換えると、COVID-19は、極めて対処しにくい病原体(敵)である。病理的特徴をもって感染可能者を判明し、検査し、感染確認を行うことが不可能となる。つまり、感染症対策としての隔離が困難になるのである。

そのため、もし、COVID-19と戦うためには、感染者が持つ病理的特徴(症状群)をさらに詳細かつ繊細に見つけ出し、それらの一つがある場合にはすべてPCR検査を行い、感染の確認を急ぐべきなのである。


D、科学的感染症対策としての検証が必要、しかし時間がない。

しかし、不思議なことに、日本では、今までPCR検査の対象者は、それらの症状の全てを持つ場合に限定され、それらの症状群の中の一つの症状がなければ、検査の対象から切り捨てられてきた。これは、感染症対策としては全く間違いであり、出来る限り多くの感染者を見つけ出し、非感染者が感染者と接する機会を出来る限り少なくする手段を自ら放棄する行為であると言いようがないのである。それも、日本が、感染症の専門家をして、世界七不思議の感染症対策を行っているという、話となっている。

PCR検査を徹底的に行った韓国やドイツをはじめ多くの先進国の感染症対策と異なり、PCR検査を出来るだけ控えた日本の対策の根拠は何か。その考え方を列記してみた。

1、PCR検査を行い、多くの陽性者(感染確認者)が出れば、医療崩壊が起こる。(この考え方は2月から3月に掛けて、多くの感染症専門家や政治家たちまでもが主張していた意見であったことは事実である。

2、PCR検査は極めて難しい検査であり、日本では困難である。この考え方は多くの報道機関が、PCR検査が何故少ないかを、専門家の意見と述べていた。

3、日本でのPCR検査は、国立感染症研究所・保健所が行う行政検査を中心として行われていたため、その検査能力に限界があった。それを民間検査に素早く移行することが出来なかった。その理由の一つとして、民間検査会社では、PCR検査を行うスキルがないと言われた。

以上、それらの理由が正しいのかどうか、検証しなければならないが、そうゆっくりと検証する時間はない。それほど感染爆発の状況、医療崩壊の危機が起こる切羽づまった状況にあるのではないだろうか。


E, 最もコスト高の感染症対策、 都市封鎖

さらに不思議なことは、日本ではPCR検査によつ感染確認者のあぶり出しを行う前に、何と小池東京都知事から、都市封鎖「ロックダウン」が持ち出された。ロックアウトは、感染者を非感染者から隔離するための最終手段とも言うべき方法である。

まず、感染者がどこに、何人いるのか不明であり、そうした状況の中で、感染爆発が生じている情況、例えば2月の中国武漢市の状況や3月の韓国テグ市のような場合に、緊急事態として取り挙げられる感染症緊急対策である。

平たく考えて、ある集団があるとする。その集団の中での感染者と非感染者の分離が極めて困難な状態があり、しかも、非感染者が急激に感染している状態の時、感染者と非感染者の物理的接触の可能性をすべて絶つというのがロックダウンのやり方であり、いわゆる家からの外出の禁止となる。

ロックダウンはすべての社会経済活動の中止を意味するため、それによる経済的打撃は非常に大きくなる。そのため、政治は出来る限りロックダウンを行わないように、まず、事前に出来る限りの対策を取るのである。それが徹底したPCR検査である。家、地域社会、町全体の閉鎖という方法でなく、病理的症状の違いによる隔離を行うこと、つまり感染確認者を症状に応じて、韓国が行ったように、生活治療センター、病院、高度医療病院に振り分けて隔離・入院させ、治療を行い、陰性になった患者(非感染化を確認した者)から退院させて行く方法が、最も経済的な方法であると言える。

最も高くつく方法は、すべての人、非感染者も感染確認者もすべて、感染者として扱い、それらの人々を物理的に隔離し、その中で、重症者を、集中治療室に入院させるという方法である。まず、すべての人々の社会・経済活動が奪われる。そのために支払われる犠牲が、想像を超えて大きいこと。さらに、軽症者の感染者が重症化するまで放置される可能性が高いことである。そして、それことは結果的に莫大な医療費負担が伴うことを意味する。

2021年になるまでもなく、韓国や台湾と日本の今後の経済状況への影響が、この事実を証明するだろう。PCR検査を行わない日本のCOVID-19感染症対策による経済的負担、社会的損失が明らかになるのは時間の問題であり、その犠牲を払うのは、私たち国民であることを忘れてはならない。
 

2020年5月4日、フェイスブックに記載


三石博行 ブログ文書集「パンデミック対策にむけて」

COVID-19感染防止に対して、日本政府は正常な科学的判断力を持っているだろか。(3)

3、感染者数でなく感染確認者数、それは国別の感染状況を理解するデータなのか。


日本の報道から流れる大きな誤解情報、それは日本のPCR検査陽性者を「感染者」として、その数を「感染者数」とし、他の国々の「感染者数」と絶対比較していることである。PCR検査を制限し、その制限された検査数によって陽性になった感染(確認者)者の数を、徹底して検査を行っている世界の国々の感染(確認者)数と絶対比較しているのである。この比較は、そもそもその母数(検査件数)とその母数を導く検査条件が異なることによって、不可能であるという科学的理解すら日本の感染対策を担う専門家には、不思議なことに、ないのである。

ある集団の感染者数という概念は仮定の数を意味する。何故ならその集団の全ての人々の感染状態を調査した上ではじき出された数を意味するからである。保健所の判断基準にしろ、医師の判断基準にしろ、そこからPCR検査を行って検出された感染者は「感染確認者「」であり、その感染者数は「感染確認者数」と呼ぶことが正確な呼び方・概念になる。

では、何故、公衆衛生のプロ中のプロ、WHOで活躍した専門家、そうした人々が「厳しく制限されたPCR検査によって陽性と判断された日本の感染者の数と、徹底してPCR検査をおこなっている国々の感染者数とを、絶対比較するという科学者らしからぬことを平然と行っているのだろうか。不思議な話である。それにはもっと深い理由があるのではと思われる。

その理由とは何か、それがむしろ重大な問題に見えてくる。世界的に評価されてきた日本の公衆衛生や感染病や感染対策の専門家に対して、彼らの科学的合理性に問題があると言い切れる人はそう多くないだろう。また殆どの科学者がそう言わないだろうと思う。しかし、私は、どう自分の論理を疑っても、PCR検査を積極的に行わない専門家の判断に対しては、腑に落ちないのである。

何が彼らの判断の基準なのか。これほど不可解なことはない。

2020年5月4日、フェイスブックに記載
三石博行 ブログ文書集「パンデミック対策にむけて」

COVID-19感染防止に対して、日本政府は正常な科学的判断力を持っているだろか。(2)

2、日本政府(COVID-19感染拡大防止対策の司令塔)の判断は正しいのだろか。

日本政府の取ったCOVID-19感染拡大防止対策は、第一段階が2月初期からの中国武漢から入国者への対策・クラスター対策であった。この対策は一応評価できた。徹底したクラスターの調査と感染者可能者への調査による感染確認者のあぶり出しによって、感染拡大は食い止められた。

しかし、感染源が判明できない「市中感染」が広がった段階からは第一段階の感染対策(クラスター対策)では対応できない状態になっていた。

しかも、第一段階の感染可能者の判明基準が現実的ではなかった。それをいち早く指摘したのが病院でのCOVID-19感染が起こった和歌山県の対策であった。この教訓を厚労省・感染対策本部は学ぶことはなかった。何時までも、「37.5度以上の熱が4日以上続く場合」「中国からの帰国者」等々の条件に拘っていた。

ましてや、PCR検査を行うことを判断するのは保健所の職員であり、医療の現場で患者に接する医師ではなかった。数少ない保健所の職員が電話で相談してくる人々に対して、一人30分以上の時間を掛けて、きめ細かい行動・移動歴を調べ、また発熱等の症状を事こまめに聞き取り、基準に合う人々に対してのみ、PCR検査を行った。その数は相談者数のなかのほんのわずかな数に過ぎなかった。。

PCR検査の普及拡大が問題にあっても、あた総理大臣がお願いしても、国会で一日万件できますと答弁しても、検査件数は検査を希望する数に比例して増えなかった。

こうした現実に対して、PCR検査は技術的にも難しく、それが出来る専門家がいないとか、PCR検査をこなう装置や検査試薬がない とか、耳を疑うような話がまことしなやかに報道されている。もしそうなら、「医先進国」日本と言う形容詞をやめて「医療後進国」日本であると、まず厚生労働省の官僚、日本政府は自覚しなければならないだろう。

2020年2月初めから一貫してCOVID-19感染拡大に関する報道を行い続けてきた「報道1930 BS-TBS」で、PCR検査の必要性が常に課題になっていた。2月初旬から4月初旬の2か月間の時間が経っても、PCR検査は普及しないのである。この原因は何か。それは単に、PCR検査体制を阻止している人々(集団)がいるという問題と言うよりも、もっとその原因を生み出している問題の深さを感じるのである。

つまり、日本ではPCR検査によって陽性となった感染者を「COVID-19感染者」と呼んでいる。その数が世界の他の国々に比較して少ないことが「日本でのCOVID-19感染対策が成功している事実を示すデータ・現実」として評価されてきた。今でも、その評価は変わらない。

しかし、「慶応大学病院のHPには、4月6から12日では97人の検査では0%、4月13日から19日までは、67人中5人、7.46%、4月13日から19日までは67人中4人、5.97%、そして4月20日から26日までは60人中2人、3.33%、さらに4月27日から30日までは34人の検査で誰も陽性者はいなかったと報告されている。」(1) 同時に、「その後同じ病院で研修をしていた医師99人に対してPCR検査を行なったところ、18人が陽性となったことが明らかになっている」(2)と報道されていた。

この事実から、慶応大学病院では外来患者や医師のPCR検査を行うことで、院内での感染状況を調査し、その対策を取り、院内感染を防止する努力がなられた。しかし、他の多くの病院では、このような対策が取られているかが問われる。医療機関はCOVID-19パンデミック対策のための基幹機能である。その意味でも、院内感染をまず防止するための政府の一貫した対策が急がれる。

この現実は、言うまでもなく、病院の外(院外)に多くの感染者がいて、それらの未確認感染者が通院や入院をしていることによると理解しなければならない。そのことが、最も恐れる「医療崩壊」の原因となっているという今後の状況を予測させていることである。

この深刻な事態を理解できないほど、日本の厚労省官僚や政府、感染症対策本部の専門家たちは無知なのだろうか。無知という次元で語っていいのだろうか。私が恐ろしく思うのは、この国を滅ぼしかねない人々がCOVID-19感染拡大防止対策の司令塔にいるということなのだ。


2020年5月4日、フェイスブックに記載

2020年7月8日、修正
(1) 高鍬博医師からの情報で修正を行う。
(2)https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5ea0dbfcc5b699978a32fbbc
三石博行 ブログ文書集「パンデミック対策にむけて」

COVID-19感染防止に対して、日本政府は正常な科学的判断力を持っているだろか。(1)

1、民主主義国家の中でのCOVID-19感染爆発対策への二つの成功事例

COVID-19感染爆発に最も合理的(少ない労力で多い成果を得る方法)に対応した国は韓国と台湾である。

台湾は中国のご機嫌を伺うWHOの支援もなく独自にCOVID-19の中国大陸での感染情報を昨年12月に入手し、徹底した水際対策と検査体制を構築し、感染を食い止めた。

韓国は最も経済活関係の深い、しかも陸続きの中国からの人々の移動を敏速に制御することは出来なかったが、その後、政府中心の合理的で強烈な感染拡大防止の対策(疾病対策の実務をこなす専門家集団でなる疾病管理本部・コントロールタワーの設置、3月17日に1兆円の感染拡大防止対策予算の成立、選別診療所・国民安心病院・ドライブスルーで行う徹底したPCR検査体制、軽症感染者の医療を担う生活治療センターの設置)を取った。韓国式のCOVID-19感染対策は世界のモデルとなり、ドイツや米国カルフォルニア州のモデルとなった。


2020年5月4日、フェイスブックに記載

日本社会は、COVID-19感染対策として正しい判断を行っているだろか。(1)

1、何が9月入学なのだろうか?


今、COVID-19感染爆発で教育を受けられない子供・青年たちが抱えた深刻な問題は大きく二つある。一つは学習環境の問題だ。この課題の二つの具体例を示す。

1、例えば、自宅でのインターネットを通じての学習環境がない。タブレット学習のためのインフラや機材がない特に、貧しい家庭の子供たち。

2、また、タブレット学習教材を作成しなければならない教師たちへのサポートが不十分であること。

二つ目は経済的な問題だ。この課題の二つの具体例を示す。

1、例えば、、高い授業料の大学・高等教育を受けている学生たちの13%が退学を考えているという。この学生たちをサポートしなければならない。

2、また、これまで給食等のサポートを受けていた子供たちが長い休校のためにそのサポートが受けられない状態にある。その子供たちのサポート(こども食堂等のボランティア運動のサポートも含め)が必要である。

それらの二つの課題以外にも、深刻な問題が多くあるだろう。

例えば、家庭内暴力の苦しむ子供たち、また、貧しい家、自宅環境の悪い家、遊びを奪われた子供たち等々、多くの課題、貧困からくる課題が噴出している。

それなのに、何だろう、全国知事会では9月入学(新学期を9月にする)の問題が話し合われたとか。少し、現実離れしていないのか。確かに、その課題も話し合ってもい今も知れないが、その課題の優先順位は、上記した深刻な二つの課題に比べると、低いと思う。

今、困っている問題に集中しなければならない。そのことを優先的に解決するのは、敵(COVID-19感染爆発)が余りにも大きく、その闘いに我々の力・資源が余りにも限られているからなのだ。

問題を有効に解決するためには、取り組むべき課題の優先順位を考えなければならない。そうでないと、結果的に、国民に犠牲を強いることになるだろう。

また、そのこと、つまり自分たちが出す指示によって国民が不必要に経済的な負担を負うこと、生活や生命を犠牲にすることを理解できないリーダーは、その資格を持たないと言える。そうしたリーダは、さっさと辞めて欲しい。この戦いで、出来るだけ多くの犠牲者を出さないために、私たちは、有限な私たちの力や資源を集中させなければならないのである。

2020年5月4日、フェイスブックに記載
三石博行 ブログ文書集「パンデミック対策にむけて」

目次、「パンデミック対策にむけて」

ハイブリッド型災害としてのパンデミックとその対策

-21世紀型の災害、パンデミックの構造-

三石博行
序文

第1部 21世紀型災害COVID-19̶̶パンデミックの構造とその対応

1章  災害の三つの形態:自然要因、人工要因と自然・人工要因
   http://mitsuishi.blogspot.com/2020/07/1.html
1-1  自然現象による災害、自然災害
1-2  人工物による社会や人への災害、人工災害
1-3  自然現象と社会的要因による災害、ハイブリッド型災害

2章  ハイブリッド型災害としてのパンデミック
   http://mitsuishi.blogspot.com/2020/07/b.html
2-1  病原菌による疾病(自然的要素)
2-2  疾病大流行の社会経済的被害(社会経済的要素)
2-3 二つの災害形態:安全管理可能と安全管理不可能な疾病災害
   http://mitsuishi.blogspot.com/2020/07/d.html

3章  日本政府の COVID-19 対策を検証する
3-1 民主主義国家の中での COVID-19 感染爆発対策への二つの成功事例
3-2 日本政府(COVID-19 感染拡大防止対策の司令塔)の判断は正しいのだろうか
3-3 感染者数でなく感染確認者数、それは国別の感染状況を理解するデータなのか
3-4 公衆衛生学の基本、隔離の概念


第2部 パンデミックへの三つの対策戦略

1章 予防策のない新型感染症対策期間:第一期

A 最も重要かつ最優先の課題(国、大学、企業が担う防疫政策)


A1 病原体の遺伝子、感染媒体、感染症の病理的特徴に関する情報
 A2 ワクチン・治療薬の開発
 A3 検査キットと検査体制の確立
 A4 予測される危機的状況に対する公衆衛生・医療体制の確立

B 科学的でより現実的な対策(健康保険行政と医療行政)
 B1 感染拡大を防ぐ人と人との空間的隔離(ソーシャルディスタンス)の設定
 B2 検査体制確立、経済的な感染者隔離
 B3 既存治療薬の援用

C 合理的、経済的な政策(政府)
 C1 既存の体制の敏速な援用と最適な体制のための改革:
 C2 人命や生活被害と社会や経済被害の双方を最小限に食い止める政治的判断:
 C3 国民と国家の負担を最小限に食い止めるための経済政策:
 C4 感染症拡大と格差社会
 C5 総合的にパンデミック対策を担う政府機関と地方自治体の体制
この後の記載予定(2020 年 7 月 6 日現在)

D 民主主義社会の文化、教育政策(報道、教育機関、文化施設、NPO、市民運動、自治体運動)
 D1 感染症恐怖と感染者差別への対応
 D2 人権問題、教育、育児問題への対応
 D3 文化施設、イベント、娯楽施設の保護
 D3 感染症対策の主体が問われる( 国家か市民か)

E 防災 緊急時の安全対策 (防災関係の政府・地方行政、等々)
 E1 移動制限
 E2 生活活動の自粛
 E3 プライバシー保護と感染防止、ソフト開発
 E4 地方自治体の課題、
 E5 複合災害対策


2章 ワクチンや治療薬開発後から始まる医療・社会経済対策:第二期

A マクロ社会学的課題
 A1 第一期の被害の修復作業
 A2 防疫安全保障と国際協力
 A3 経済安全保障と国際連携

B ミクロ社会的課題
 B1 新しい社会経済活動や生活スタイルの普及 経済活動の在り方
 B2 民主主義社会の在り方 市民参加型
 B3 総合的パンデミック対策を課題にした社会インフラ


3章 パンデミックが繰り返し起こり、常態化する時代:第三期

A 社会文化的課題
 A1 21 世紀の災害パターン:繰り返し起こるパンデミック
 A2 第一期での被害を最小限に食い止めるための対策
 A3 第二期の重要な作業内容の再確認
B 地球環境的課題
 B1 環境問題、熱帯雨林の保護、地球温暖化対策
 B2 国際協力体制に向けた課題とその解決の道筋

 B3 関連課題との連携 (エネルギー問題、食料問題、教育、公衆衛生、生活文化、民主主義文化の成長への協力)


2020年4月13日月曜日

パンデミックの中で、何が今問われているのか

パンデミック(新型コロナウイルス肺炎爆発的感染)に見られる現代社会文化の構造的問題を語らなければならない。
ここでの大きなテーマは、医療体制に関する二つ、経済政策に対する一つの三つがある。

1、何故、日本はPCR検査(感染状況の科学的調査)が普及しないのか。

2、日本を含め医療崩壊(感染症への合理的医療戦略の失敗)が生じている国々の政策上の問題とは何か。

3、行動規制を行うことが、感染病対策、医療崩壊を防ぐために取られる唯一の手段であると提案される。経済活動の保護と感染症対策が二律背反(二つの異なる原則)として語られるのは何故か。

この議論を進めるための前提条件を理解する必要がある。
何故なら、まずこの感染症の基本的な課題を前提にして、対策を取らなければならないからである。つまり、この感染症対策を考える上で大切な視点で最も大切なことは、COVIC-19(新型コロナウイ)への感染を防ぐためのワクチンがないと言うことである。

さらに、感染症に対する治療薬がまた確定していないことも大きい。感染し重症化すれば死亡してしまうのである。そのために、重篤な状態になった感染者の治療は大変な状況となる。
これらのことはすでに2月中旬に明らかになっていたのであるが、その対策がここまで遅れ、そしてその結果、感染爆発を引き起こしているのが現状である。

それにも関わらず、日本の感染症対策は、迅速で広範なCPR検査(感染状況の科学的調査)体制を構築しない世界の例外中の例外であると言える。

こらまで、議論の優先順位、感染防止対策上の合理的戦略、経済政策上の優先順位、社会資源活用上の合理的戦略を決定するための姿勢(考え方)等々の基本的な議論が不足していると思われた。
今後、出来る限り、この課題に関する考察を行うことにする。

2020年4月6日フェイスブックに記載

2020年2月29日土曜日

新型コロナウイルス感染防止に関する政策提案

すでに3.11原発事故で国家的な危機管理の在り方が問われていた。あの時、政府は必死に対応していた。それまでの原子力むらの体質、電力会社の原発安全危機管理皆無の現実に立ち向かいながら、下手すると、日本列島の半分が放射能汚染されてもしかたのない状態を切る向けることが出来た。もう一度、あの時を、今、思い出しながら、対応しなければならない。

 中国で新型コロナウイルスによる感染が1月中旬から報道されて今日まで、国内、海外で色々な議論がなされてきたが、以下、簡単に対策の基本を8点に纏めた。多分、それ以上の課題があると思う。また、1から8の課題はすべて同じ重さで重要な課題である。そして、8で述べたように、今、大切なことは、この課題に全ての国民が、自分の出来ることをやることであると思う。

 1、正確な情報の公開と報道 (公共等報道機関の責任)

2、現場の医者の判断に基づく「検査」 (感染患者の重症化予防)

3、無症感染者、軽症感染者と重症感染者への対応(隔離や医療)の明確な基準化 (現場の医師の判断の重視)

4、感染者発生に対して、感染防止対策 (接触者への検査の徹底)

5、外来医療相談窓口を民間医療機関以外に特別に設け、検査を徹底し、陽性反応者を広く掘り起こし、3に繋げる (医療機関の全般的な機能維持)

6、重症患者の受け入れ態勢を公共・民間病院で確立する (重症者医療体制の設置)

7、感染拡大状況に合わせて政策(休業、閉鎖、移動規制とそれに伴う経済的負担へのサポート等々)を提案、実行する (感染拡大を防ぐための社会経済政策)

8、与野党を挙げ、国民(国)全体でこの危機に取り組む覚悟をもつ(批判よりも対策と協力を行う姿勢)


2020年2月29日、フェイスブックに記載

三石博行 ブログ文書集「パンデミック対策にむけて」
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Proposal for response to new coronavirus infection 

The nuclear accident in Japan (2011.3.11) have already asked how national crisis management should be. At that time, we know that the Japanese government was responding desperately. The Japanese government had to confront the nuclear power policy and the reality of no management of nuclear power plant power crisis till then. If not, half of the Japanese archipelago would not have been able to turn to a crisis that could not be helped by radioactive contamination. We have to respond to the new coronavirus infection again, remembering that time now. 

In China, the infection by the new coronavirus was reported from mid-January, and various discussions have been held both domestically and abroad to date, but the basics of the measures are briefly summarized below in eight points. Maybe there are more challenges. In addition, issues 1 to 8 are all important issues with the same weight. And, as I said in 8, we think that what is important now is for all the people to do what they can to this task. 


1. Disclosure and reporting of accurate information (Responsibilities of the public and other media) 

2. “Inspection” based on the judgment of the on-site physician infection (prevention of severe cases of infected patients) 

3. Clear standardization of measures (isolation and medical care) for asymptomatic, mildly and seriously infected persons (emphasis on the judgment of on-site doctors)

4. Measures to prevent infection against outbreaks of infected persons (Thorough inspection of contacts) 

5.Specially set up an outpatient medical consultation desk outside the private medical institution, thoroughly conduct tests, dig out positive responders widely, and connect it to 3. (Maintain the general functioning of medical institutions) 

6. Establish a system for accepting severely ill patients at public and private hospitals. 

7. Proposal and implementation of policies (such as suspension of work, closure, restrictions on movement and support for the associated economic burden) according to the spread of infection. 

8. With the ruling and opposition parties, the people (nations) should be prepared to tackle this crisis as a whole. 


2020年2月29日、フェイスブックに記載


2019年9月14日土曜日

日本の朝鮮半島植民地化はその近代化にはたして寄与したか

-日韓の異なる歴史認識を支える理論の点検を代表する植民地近代化論-


三石博行


はじめに 植民地近代化論とは何か

日韓関係の歴史認識をめぐる課題の中に、で日韓併合によって朝鮮半島の近代化・工業化が進んだという考えと、それに対する批判の二つの論争がある。この二つの解釈は日韓併合や日本の植民地主義を評価する側とそうでない側の極めて大切な論点である。そこで、植民地支配が朝鮮半島の近代化に寄与したという考えについて分析してみようと思う。このテーマに関しては多くの先行研究論文が存在している。それらの全てに目を通すことは出来ないので、主な論文を参考にすることにした。その上で、考えを述べることにした。

1、近代化とは何か

1-1、鹿鳴館と反射炉建設、二つの西洋文化の導入形態

まず、近代化とは何かという定義について考えてみる。例えば日本の歴史を紐解くとき、不平等条約に苦しむ明治政府が欧米列強に日本が西洋文明をいち早く取り入れた近代国家であることを示すため鹿鳴館を建設し日本の上流社会の人々が洋服を身に着け西洋の音楽と舞踊を嗜んでいる光景を創りだした。このことを近代化の一貫であると述べることが出来るだろうか。つまり、近代化とは西洋の物まねと意味するのだろうか。

また、1872年10月14日に明治政府は日本で初めての鉄道を新橋駅 - 横浜駅(現桜木町駅)間に開通させた。この鉄道は海外の技術と技術者によって敷設されたものである。当初、枕木をはじめすべての敷設材料をイギリスから輸入しる予定であったがこの敷設計画にあたったイギリス人エドモンド・モレルの意向によって国産の木材が使われた。全線29キロの日本初の鉄道が開通したのである。鉄道敷設は近代国家日本の富国強兵政策の一貫として取り組まれ、その後、全国に鉄道網が敷設された。鉄道建設のための技術、例えばレール用の鉄鋼素材やトンネル掘削技術等々、海外の技術を導入しながらそれらを自国で生産に必要な技術開発が行われた。

近代産業にとって製鉄工業は基幹産業の一つである。江戸時代末期に、伊豆国、江戸、佐賀藩、薩摩藩、水戸藩、鳥取藩、萩藩や島原藩などで反射炉の建設が行われ西洋式の大砲の製造に必要な上質の製鉄技術が導入された。それらの技術によって江戸末期、1862年には小型蒸気船軍艦建造も可能になっていた。

また、自前の技術改良による反射炉建設技術から始まる日本の製鉄工業は、1875年明治政府が工部省管轄の釜石鉱山の製鉄事業を立ち上げ、本格的に始まった。その後この製鉄事業を軌道に乗せるために1885年に民営化が行われ、釜石・田中製鉄所が出来た。また、明治政府は富国強兵策の一貫として官営大製鉄所の建設に着手し、1896年官営八幡製鉄所の官制発布し、ドイツの技術を導入して工場建設を行った。

このように近代化を語る場合、引用される事例は殆どが西洋の技術の導入であり、それによる新しい産業、工業や新しい流通システム、鉄道や船舶の建設であり、洋風建築技術や土木技術等々、西洋の科学技術の導入を近代化と呼んでいる。つまり、この概念からは、上記した洋服を身に纏い西洋の舞踊物まねをした鹿鳴館も近代化の概念に入ることにはならないだろうか。

近代化を国民国家とそれを担う国民の形成という概念から観るなら、西洋の物まねをした鹿鳴館とオランダの書物から学びながらも日本の技術を駆使して建設した反射炉は全く異なるものであると癒える。何故なら、近代化とは西洋文化や技術を文化的異なる東洋日本に持ち込む作業である。単にその技術を導入するだけでは、その技術の再生産が日本では不可能となる。つまり、国民国家とは日本人が近代国家的自我を形成し、日本人による日本人のための近代国家になることによってはじめて成立する概念である。西洋の技術に関する日本への導入も、その技術が日本人になじみ日本人の思考や技能となることで、日本で再生産が可能になる。それら一連の技術や生産工程等の日本化を改良と呼んでいる。

言い換えると、日本で日本人によって生産工程が機能するように、西洋の技術が日本風に解釈される必要がある。その日本風の解釈を改良と呼んでいる。もし、改良という作業が機能しない場合には、近代化は進まない。それは近代化ではなく、文化的侵略として理解され、また伝統技能や生産システムを解体する植民地政策として解釈されることになる。

多くの場合、近代化の基本概念や観念構造に関する議論を行わず、単に海外の技術導入を近代化と理解していたことによって多くの技術導入過程における失敗や混乱を生み出したのである。それらの反省にたって、新らためて近代化とは何かという基本的概念について考えなければならないのである。


つづく 

1-2、近代化過程のプログラム科学論的解釈

1-3、植民地で近代化は可能か


2019年9月14日 ファイスブック記載 

哲学とはなにか(1)

現代社会で問われる科学技術哲学の課題


三石博行


なぜ哲学とは何かを哲学は問うのか

私は何回も哲学とは何かを問いかけ続けている。自分のことを哲学者と呼ぶにはあまりにも自信がない。だから、今まで自分を哲学者と呼んだことはない。しかし、哲学者になりたいと思う。それが私の希望である。そのためにはもっと努力が必要だと思うが、その前に、哲学とは何かを明確に定義付けることが出来るのかを自問自答してきた。


現代社会や文明の観念構造を問いかける道具としての哲学:反省の学問

残された現代哲学の課題は、「自己を振り返る行為・反省に関する省察」である。何故なら、自然哲学は自然科学へ、政治哲学は社会科学・政治や政策学へ、科学哲学や認識論は認知科学や科学技術社会科学へ、論理学は数理論理学や情報科学へ、中世社会まで体系的知を目指す学問として哲学は、近代社会、現代社会の歴史的発展の中で、発展的に消滅したからである。

その意味で、中世的な哲学専門家も消滅した。それに代わりより詳細に分業化された科学分野の専門家が登場した。彼らは実際社会の役に立っているし、もし役立たないなら社会から消滅するのみである。社会経済成長は市民社会の発展とは、中世的な哲学者・宗教神話的世観が消滅による現代社会の技術的生産性を持つ現代社会の科学者・実証主義的世界観の形成によってもたらされた。

宗教的世界観に根拠を持つ哲学には神の存在に対する盲目的信仰があった。近代合理主義思想も科学研究も神の真理を求める信仰があった。その近代合理主義思想から生まれた科学法則・ニュートン力学によって科学的実証主義が形成され、その実践力への信仰が科学主義を生んだ。現代社会の世界観は科学主義の上に成立している。

科学的実証主義は社会科学を変えた。社会科学も社会変革に実践的で有効な知識と技術でなければならない。これが啓蒙主義によって生まれた新しい人間社会科学の考え方である。啓蒙主義を支える自由や平等、民主主義思想は、経済社会制度を変革した。資本主義経済や民主主義社会制度はそうして生まれた。これらの経済社会制度への変換を総じて近代化と呼んでいる。

近代化とは総じて中世的世界観を持つ社会から科学的世界観を持つ社会への変換を意味する。近代化は世界にある様々な中世的世界観(宗教的世界観)をことごとく科学主義思想に塗り替えてきた。そしてほとんどの国がその恩恵を受け、工業生産活動を可能にし、さらにはIT情報化社会を展開し、国際経済へ参加している。科学主義は確かに豊かな社会を導いた。

しかし今、それぞれの国での近代化の過程、受け入れた西洋文明・科学主義思想、科学技術文明社会構造が問われている。その問いかけは伝統文化の破壊、生態環境汚染、都市化による伝統的共同体社会や文化の崩壊、新しい産業構造の中で生じる経済格差等々によって生じてきた。これらの問題も科学技術の進歩によって解決できると言われ、実際にその技術的解決が試みられている。

これらの問題を科学技術が解決することが出来るのはと言う疑問も投げ掛けられている。つまり、科学技術知識による問題解決の立場は、科学技術の知識を所有する人々の利益を前提にしている。つまり、その知識は「科学技術を所有する人々のためであり、その科学技術の更なる発展のため」に自己増殖し続けるのである。

そこで、この科学技術の知の在り方に対する基本的な点検が必要となる。それはもちろん科学技術的知識の中で可能にならない。それは科学技術の発展やその発展の上に成立している科学技術文明社会に影響を受ける人々の立場から可能になる。それをこれまで「反科学」、「反科学思想」、「反近代化」、「反進歩主義」、「反資本主義制度」、「反グローバリゼーション」等々と呼んできた。

これらの科学技術文明社会やそれを担う科学主義思想への反抗による中世的な社会制度への後退が仮に主張されたとしても、それらの主張や主義は現実的な解決を導くことはない。しかし、同時に、それらの主張は人類の存続に関わる地球規模の環境汚染を前にして非常に説得力をもつことは疑いもない。

現代社会文明の基本的理念の骨格である科学主義とそれを実現している科学技術、そして科学技術を最も合理的知識や技術として成立している社会・科学技術文明社会、その上に成立している私たちの生活文化や生活様式を問いかける作業は、言ってみれば、自分を形成しているものを自分が問いかける作業に似ている。そんな困難なことが出来るのか。一般に出来ないと言うべき作業であると言うのが正常な精神状態からの回答である。


社会と個人の失敗の経験の上で成立する学問:哲学

哲学は自らが信じて疑わない観念(ドグマ)を見つけるために用意された学問である。伝統的に哲学の方法論は「自らを疑う作業」から始まる。その代表者がソクラテスであり、ベーコン、デカルト、パスカル等々、現在の哲学の基本を創った人々の考え方である。その考え方は疑うことであった。しかし、自分で自分を疑うことはできない。自分が疑いの対象者とならない限り疑えないのである。だから、哲学を深化するためには、生活行為、社会行為、また科学的行為と呼ばれる他者と共に社会観念を再生産する行為主体になる必要がある。

大いに行動し、実験し、失敗する人生こそが哲学を行う最低条件である。大学の哲学部で哲学は出来ないし、哲学書を読んでも、それが自分の経験と共鳴しない限り、哲学にはならない。

哲学は何とも分かりにくい学問である。しかし、失敗をしたことのある人には必要な学問であるし、是非とも多くの失敗を重ねてきた人は、哲学をやる意味があると思う。これは私の経験からの助言でもある。

今、科学技術文明社会を引き起こす問題、つまり、その成功や評価に対して、否定的な側面が語られ、その文明や社会を否定するスローガンが「反科学」、「反科学思想」、「反近代化」、「反進歩主義」、「反資本主義制度」、「反グローバリゼーション」等々と呼ばれている時代にこそ、哲学は科学技術文明社会を支えた科学主義思想を根本から問いかける学問としての役割を果たすと思う。しかも、その役割を果たすべき人々は、科学技術文明にどっぷりとつかって失敗してきた人である。それらの人々が失敗を自覚したときに現代哲学が深化する機会を得るのだと思う。

2019年9月14日 ファイスブック記載 



自分勝手な自己分析記録(1)

思考実験としての書く行為 


三石博行

ぼんやり頭で理解していることは殆どが気持ちの上で了解された内容に留まる。これらの内容を文書化する作業は理解していると思っていることを点検する作業であり、一種の思考実験である。

書いてみると不十分な点が明らかになる。また、書いたものがあるために自分の理解や認識の不足を再度点検することが出来る。そのために書くのである。書くことは他者への表見であると同時に自己への確認でもある。

書かなければ生きていけない人々がいる。日記を書き続ける人、ブログを書き続ける人、詩、エッセイ、小説、読書日記等々、書かざる得な人は自分にあった表現を選び、文章を書き続ける。

本当に知っていることはわずかである。しかし、多くことを知っているからと言って、それが自分の納得する知性の在り方には通じないかもしれない。勿論、知識力を競うテレビ番組に参加することを目標としていれば、知識の量が問題となるだろう。しかし、自分の生きている生活空間の中で求められる知識はその生活空間に有用な知識のみであり、わずかな知識で人は生きている。

書くという行為は、自分の知識の量や豊かさを確認するためのものではない。もちろん、知っているべき知識が書く作業の中で問われる。そのため、書く作業を通じて、多くの情報を取り入れ、勉強をしなければならない。

色々な課題に関して書くと言うことは、今まで関心をもっていた世界、それは専門的な学習をしたのではないが、興味を持ち続けていた世界、何となく知っていると思っていた世界が、各行為を通じて、自分の理解していた情報の曖昧さを気付かせてくれる。

書くという行為に通じて、知らなかった世界が明らかに浮き上がってくる。それは書く行為を楽しむ一つの要素でもある。この実験作業によって、多くのことが明らかになる。それが書く行為ではないだろうか。

2019年9月14日 ファイスブック記載 

関係としての祈り

-日韓関係を改善するために問われる課題―

三石博行


平和主義や人権主義を基調にしながら日韓交流を行い続ける人々の祈り 


韓国でも日本でも、反日や嫌韓を扇動する排他的民族主義者や報道機関、そして政治家たちは、これからも大声で日韓関係の破壊を叫び続け、両国の市民の友好活動を攻撃し排除し続けるだろう。

しかし、その中でも、過去の苦い戦争や侵略の歴史を繰り返してはならないという人々は必ずいる。それらの人々こそが、私たちの希望である。何故なら、それらの人々が、諦めず、自分のできる範囲で、平和と人権を守るための、生活と未来を守るための活動をし続けるだろうと信じることが出来るからだ。

平和や人権を守りたいという願いは祈りに近い、それは現実の大きな世界の流れの中で、何もできない弱い自分であることを知りながらも、しかし、それでも、その願いを一歩を前にすすめるための、勇気をもって生きようとするからだ。

光州市で市民が9月から11月まで、市民自由大学を開催しているらしい。日韓の専門家を呼んで、「ノウジャパン」、「No JapanでなくKnow Japanらしい」を開催することになっている。素晴らしい企画だと思う。


フェイスブック 2019年9月14日記載

「光州市の市民自由大学」 https://blog.goo.ne.jp/micchan_oohashi/e/f76fee7a1966010e7954fd31e4f5b686?fbclid=IwAR1Jz76XNx2pP4EJRoSdl2RqYmyENZwc7U4UHm7bPdPZil2UMDWJwwdNDHY


人々の人権を守るために生きてきた人々への祈り


日本が朝鮮半島を植民地支配していた時代に韓国の人々に寄り添って生きた日本人はいた。その数は少なかったにしろ、そしてその行為は日々の細やかなものであったにしろ、また社会的な事業であったにしろ、それらの人々の記憶を忘れたくはない。何故なら、それらの人々の存在こそ、今、私たちに希望を与えてくれるからである。

ブログ「ほこぽこ日和」で紹介されていた「全羅南道(チョルラナムド)木浦(モッポ)市にある「木浦共生園」への旅の記録を読んだ。この施設は1928年に、尹致浩(윤치호:ユン・チホ、1909-1951)、および妻・高知県出身の田内千鶴子(たうち ちづこ)、結婚後 尹鶴子(윤학차:ユン・ハクチャ、1912-1968)の二人が身寄りのない子どもたちを家に連れてきて共同生活を始める活動から生まれた。1945年の日本の敗戦(日本植民地からの解放)や朝鮮戦争の激動の中、尹致浩・尹鶴子夫婦が、地域の人々の援助によって「木浦共生園」を守り続けた記録が書かれてあった。

過去にも、そして今でも、些細ながらも、自分のできる範囲ではあるが誠意をこめて、海外で生きている日本人がいたししいる。これらの人々の名前はない。しかし、これらの人々に触れた人々の記憶が残る。それは空気のようにいつの間にか歴史のどこかに流れ去っていくだろう。それは空気のようにあることが当然のように透明な存在であるだろう。しかし、この存在こそが、友情や共感の文化の源であり、そこに異なる文化の人々の和が形成されると信じる。

彼らはその信念や願いが困難な時代や社会の壁に閉ざされようとした時、また、無知ゆえに邪悪な人々の妨害に会った時、祈ったであろう。必ず、その願いが通じることを祈ったに違いない。


フェイスブック 2019年9月14日記載

「木浦の旅[201902_01] - 孤児のために生涯を捧げた韓日夫婦を称え記憶継承する「木浦共生園 尹致浩尹鶴子記念館」」
http://gashin-shoutan.hatenablog.com/


自由と民主主義を守るために犠牲になった人々への祈り


2016年2月に光州に行った。1993年の光州事件(5.18民主化運動)は私の記憶にはっきりと残っていた。一回は光州に行きたいと思っていた。光州の大学に勤務する友人の車に乗せてもらい、光州事件が起こった公園広場、銃撃戦の舞台となった旧市役所(今は記念会館になっている)、犠牲者を祭る墓地や記念碑を巡った。しかし、残念ながら、光州蜂起の切掛けとなった学生運動の根拠地・全南大学校には訪問できなかった。

現在の韓国の市民や若者にとって光州事件は現在の韓国の民主主義社会の原点の一つになっているだろう。何故なら、自らの血をもって軍事政権の圧政に立ち向かった市民の歴史がそこにあるからだ。現在も続くろうそく運動の原点も、これらの民主化運動にある。その意味でこれらの運動が現在の韓国市民社会のアイデンティティを形成していると言っても過言ではない。

日本でも幕末の社会を変革した人々がいた。それらの人々の志や犠牲が明治維新や日本の近代化の原動力となった。しかし、その流れは日本の軍国主義に飲み込まれ、彼らは日本民族主義者として神格化され利用された。その延長線上に敗戦があった。軍国主義と闘った人々がいた。共産党から自由民主主義者まで非国民として投獄された。その中に獄中で非業の死を遂げた三木清もいた。日本が世界に誇る哲学者を日本軍国主義は虐殺した。

日本の戦後民主主義の形成史は、当然、韓国とは違う。だから、日本には光州事件のような名誉ある民主主義運動のモニュメントはない。しかし、私の記憶には60年安保闘争、65年日韓条約反対運動、67年ベトナム反戦運動と70年安保闘争、そして水俣をはじめ全国の反公害運動、安全食品を求めた消費者運動、使い捨てを考えたリサイクル運動、命と健康、雇用や生活を守るための労働運動、数々の市民の闘いが記憶にある。それらは現在の日本の民主主義文化の土となり、そこに私たちの今の市民社会の樹が成長し続けている。しかし、こうした無名の活動家のモニュメントはない。そのことを歴史に刻み、今いる若い人々、後世の人々に伝えるための公共の施設・社会装置を持っていない。しかし、それらの人々の記憶は書籍となり、残されている。もし、いつか人々がそれを掘り起こしたくなったとき、それはきっと大樹の根として地表に現れるだろうと、願うしかない。

民主主義とは文化である。人という社会を生きる人々の人格でありその生活スタイルや生活文化である。もちろん、それを守るための政治社会制度や法律や司法制度がなければならないし、それを支える政策、国や自治体の行政機能、企業や民間の運営機能がなければならない。それらの全てを支え維持するものが人であり、その人の人権や平和への考えや願いである。それらの考え方や願いを醸成するために、私たちは教育の在り方や地域社会での文化活動や色々なモニュメント、記念館等々の社会文化装置を形成し用意している。

すべての現在の文化はそれを育できた伝統文化や歴史の上に成立している。栄光や失敗の過去の歴史を引き継ぐことによって、未来は準備される。今現在の実利的な社会機能にのみ人々の関心が向かい世界は危険である。何故なら、それは過去の人々、未来のために生きた人々の祈りを忘れているからだ。そして、もっとも自覚しなければならないことは、その忘却は、今ある私たちが未来への祈りを忘れたときから始まるのだという現実である。


フェイスブック 2019年9月14日記載

「光州の旅[201705_08] - 5.18民主化運動の出発点「全南大学校」、そして全史跡踏破へ」 http://gashin-shoutan.hatenablog.com/entry/2017/09/30/230000


一人の勇気ある青年・桑原功一さんの行為


日韓関係の情報を検索しているとき、国際情報誌「ハフィントンポスト」に記載されていた 「韓国の反日本政府デモで、フリーハグを求めた日本人に反響「彼らは日本人を嫌いなわけじゃない」の記事を読んだ。「韓国・光化門広場で8月24日に開かれた安倍政権への抗議を示すデモ集会で、日韓関係改善を求めてフリーハグをした桑原功一さん」のことが書いてあった。そしてその動画も記載されていたのでそれも観た。

私はこの勇気ある青年・桑原功一さんに拍手を送りたい。桑原さんが言うように、日韓関係の改善は私たち市民が責任を持って努力し積み上げていくしかない。まさに、彼はそれを実践した。彼は、政府や行政が企画するイベントに日韓関係の改善を期待するのでなく、ソウル市内の光化門広場で行われていた市民の集会に出かけ、デモに参加している人が日本人を嫌いで集まっているのでないと韓国の市民に呼びかけ、それを示すために集まった人々にフリーハグを求めたのである。

記載された動画では、多くの市民が彼にフリーハグをしていた。勿論、全員ではないが、反日を掲げた集会の横で、あえて日韓関係改善を求めてフリーハグを求める桑原功一さんに答えるのは難しいだろう。何故なら、彼に賛同していたとしてもフリーハグという習慣が韓国の市民には馴染めないだろう。同じことが日本でも言えると思う。韓国の青年が韓国政府を批判する日本の市民の集まりの横で「あなた方は韓国政府を批判しているのであって、韓国人が嫌いだとは言いってないのです。それを示すために、私にフリーハグをして下さいと言ったとすると、果たして何人の市民がこたえられるだろうか。

動画では多くの老若男女や子供連れの母親まで子供と一緒にハグをしていた。こうした光景を観るとき、何よりも私たちは韓国の市民が決して日本の報道が一方的に扇動しているように日本人全体を嫌う反日運動をしているのではないと理解できるだろう。その意味で桑原功一さんの行動は称賛に値する。そして、彼は私たちに、良好な日韓関係の構築とは市民が市民の生活の場から、市民のやり方で、自由に日常的に、小さくてもいいから行い続けることの大切さを示したと思う。

私は彼に多くのことを学んだ。彼の行動はある種の祈りに近い。その祈りとは、一人ひとりが日韓関係を構築する主体であることへの願いであり、また、何年かかっても続けなければあらない課題であることの自覚でもあるように思えた。また、その祈りは、多くの人々に、ただ自分のできることを自分のやり方でやることで、日韓両市民の友情が育っていくという未来を信じるものの思いに聴こえた。

フェイスブック 2019年9月13日記載


国際情報誌「ハフィントンポスト」 https://www.huffingtonpost.jp/news/ 


「韓国の反日本政府デモで、フリーハグを求めた日本人に反響「彼らは日本人を嫌いなわけじゃない」  https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5d64e284e4b008b1fd204d6b?ncid=other_facebook_eucluwzme5k&utm_campaign=share_facebook&fbclid=IwAR0D2DwQhD6JzHuS9TKX8DfGKjPqCtvAcfex8Ll49ZqjxPaf9uiZtQxF4ug


2019年9月13日金曜日

市民の日韓交流のために「NGO日韓問題解決機構

市民による市民のための国際交流活動が問われている


三石博行


日韓関係を政府に任せていいのだろうか

2019年9月12日の毎日新聞に「政治が止めよ、日韓対立 大きな合意で出口模索を=アジア調査会会長・五百旗頭真」の記事があった。確かに、政治の責任として、日韓関係の悪化を食い止めるべきだろう。しかし、この日韓関係が最悪の状況になったのは、まさに、現在の日韓両国の政府によるものである。

強制徴用工も問題の解決でも、被害者の民事的な請求権がある以上、そして1960年の日韓基本条約がある以上、その二つの条件を満たす方法があったし、ある。それでも双方、歩み寄ることなく、また話し合いをすることもなく、まるでこういう最悪の日韓関係を期待したように、子供じみた頑なな姿勢を変えなかった。

そして、日本から韓国の基幹産業に必要な素材への輸入制限を宣言し、経済戦争に持ち込んだ。韓国はこの経済制裁を日韓の安全保障問題に展開した。韓国では地方自治体が先頭を切って不買運動を起こし、日本への観光旅行をキャンセルするためのキャンペーン、青少年のスポーツ文化交流の中止等々、日本では展示会の中止、排他的民族主義や反韓嫌韓を扇動するスピーチや文章等々、両国の国民も冷静な感情を失いつつある。

これこそ、両国の現権力が期待したことである。韓国の政権は人気を上げるために反日活動を行う。日本の政権も、韓国の反日反応を利用し、反韓や排他的民族主義を扇動し、人気を取る。こんな負のスパイラル状態を作ったのは、取りも直さず、日韓両国の現政権である。その現政権に「政治が止めよ、日韓対立 大きな合意で出口模索を」と呼びかけることは出来るのだが、残念ながら無意味な呼びかけにならないだろうか。私は「市民が止めよ、日韓対立」と主張したい。もはや、政治に日韓関係の改善を任せてはならないと思う。


反日や嫌韓感情を持つ人々日韓関係を市民を説得し続ける力を磨く

私は「反日運動や日本批判をする韓国の市民」を排除し批判しようとは思わない。何故なら、韓国の人々の心に刻み込まれた日本の植民地時代の歴史があるからだ。しかし、同時に、私は彼らにその歴史を超えるのは、未来に一歩進むことだと言うだろう。その未来を作るのはあなた方だし、あなた方の子供や孫だと言うだろう。

私は「嫌韓や韓国批判をする日本の市民」を排除し批判しようとは思わない。何故なら、日本の多くの人々の心に留め置対きたいものとして「素晴らしき日本民族の誇り」があるだろう。第二世界大戦で味わった敗戦の現実を直視することを避けたいという気持ちがあるだろう。また、「欧米列強の植民地支配にあったアジアの解放や大東亜共栄国の建設」の理念は正しかったと考える戦前戦中の侵略戦争と多くの近隣国家の人々の犠牲の歴史的事実を拒否する感情があるだろう。しかし、私は私を含む日本人に対して、もっと強くなって欲しいと言うだろう。不都合な事実を受け止め、加害者であった自分たちを自覚し、そして潔く堂々と、批判する人々に真摯に向き合い、心から謝罪し、共に未来に向かうために手をつなぐ勇気を持ってほしいと言うだろう。

私の考える日韓友好の市民主体の活動は、特別なものではない。日常的な交流であり、個人個人の友情関係であり、趣味を通じ、経済活動を通じ、スポーツを通じ、研究活動を通じ、家族や友達と一緒の観光も兼ねた旅行を通じ、映画鑑賞や音楽イベントを通じ、日常的に行われている生活の中で、そこに韓国の友人がいるという風景なのだ。

私の目指す日韓友好の活動とは、反日の韓国市民や嫌韓感情を抱く日本市民にもその発言の場を与え、本音を語りながら、未来がどうあるべきかを考えるための機会を与えるものでありたい。


政治家の日韓関係を任せない市民による活動機関、 NGO日韓問題解決機構の必要性

私が最も警戒することは、反日や嫌韓を報道企業や政治団体の利益に使う人々である。直前の利益に未来の大きな利益を燃やす人々であり、嫌悪や反感を煽り若者たちの将来の可能性を潰す人々である。そうした人々に対して、私は立ち向かい、批判をするだろう。しかし、それは政治的批判でなく、人道的な批判であり、それらの人々が変わることを願っての批判である。

だから、この活動は、非暴力であり、自由であり、民が主体である。それを担う民・市民によって企画運営され、そのために必要な資金集めや情報伝達の手段が検討され、市民活動で得た経験がそのまま力となるだろう。

だから、この活動は、国際友好というより、自分たちの市民生活をより豊かにする活動である。日韓友好とは自分の家族、街、地域を豊かにする活動である。

そうした草の根の市民の努力の輪を広げるために、市民による日韓友好に関するイベントや交流活動に関する情報交換、資金活動や組織運営のサポートを推進するための「NGO日韓問題解決機構」の創設が必要とだと思う。



修正 2019年9月14日

2019年9月11日水曜日

日韓関係を改善するには、以下の5つの課題を考える必要がある。(2)

課題解決を両政府間に任すことの限界 


三石博行


5-1、「韓国併合」か「朝鮮半島植民地支配」か

現在の日本政府が「1910年の韓国併合は国際法上合法であった」と言うのなら、現在の日本政府は戦前の日本政府の政治的立場と同じであると言える。しかしながら、戦前の日本政府は大日本帝国憲法の下で機能しており、戦後の日本政府は日本国憲法の下で運営されている。その点で、戦後の日本政府と戦前のそれは政治的理念の全く異な政府である。その意味で、厳密には現在の日本政府が「1910年の韓国併合は国際法上合法であった」としか解釈しないのは、現在の日本政府にとっては日本国憲法の理念に反しているとしか言えない発言ではないだろうか。

しかし、現在、日本政府は1910年から1945年までの朝鮮半島の植民地支配を「韓国併合」と呼んでいるし、それが国際法上合法であったと言っている。それは韓国・朝鮮の日本による植民地支配と言う解釈と全く相いれないだろう。そして、1965年に日韓基本条約が締結したと言っても、日本と韓国は日本による1910年から1945年までの朝鮮半島の日本の支配に対する異なる解釈を前提にした状態で日韓基本条約を締結したと言うことになる。

日本への併合という考え方は、例えば琉球王国(15世紀から19世紀)が1879年に沖縄県として日本に併合されたという事と同じような意味になる。琉球・沖縄では日本語方言である沖縄方言・沖縄語が使われている。琉球は大陸中国と日本の間に位置する島嶼地帯で文化や社会制度に関しては大陸中国文化に影響を受けて来た。1609年から薩摩の侵略を受けて薩摩による琉球の実効支配が続いた。そして、1872年の琉球藩設置や1879年の沖縄県設置に至る琉球処分と呼ばれる明治政府により琉球が強制併合された。琉球処分によって450年続いた琉球王国は滅亡し沖縄県として大日本帝国に併合された。併合と言う概念には、以前にあった国が日本国の一部になることを意味する。琉球と日本とが言語的にも同じ文化圏に属すること、また併合まで260年以上も薩摩の支配下にあったことが、併合の意味の背景にある。

しかし、朝鮮半島は日本古来の伝統文化圏にも言語圏にも併合できない。全く異なる言語や伝統文化、社会政治システムを持つ朝鮮半島に対して併合という文字を使うことは無理がある。日本が朝鮮半島を併合すると言うことは朝鮮半島支配を支える日本神話に代表される観念形態(イデオロギー)を確立すること、天皇家を朝鮮半島の人々の象徴的先祖として理解すること、朝鮮語は日本語方言であると解釈すること等々、かなり無理な解釈を前提にしてしか成立しないのである。また、こうした解釈を朝鮮半島の人々が受け入れる筈がない。

朝鮮半島の人々にとって、1910年の韓国併合とは日本帝国による朝鮮半島植民地化であるとしか解釈されないだろう。事実、1965年の「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」(日韓基本条約)でも、1910年の「日韓併合二関スル条約」による韓国合併を国際法上合法とする日本政府の考え方と国際法上違法とする韓国との考えが対立したまま、日韓基本条約が締約されている。つまり、日韓基本条約によって日韓間の基本的な問題である36年間の韓国併合・日本帝国による朝鮮半島植民地化に関する歴史認識は異なったままの状態である。

日本政府は1910年の韓国併合は国際法上合法であったと説明している。当時の列強国、つまり植民地支配をしていた国々の立場から言えば、日本政府の言い分が成立するだろう。しかし、今日の国際社会の視点に立ってば、日本政府の解釈に異論が生じるだろう。もし、日本政府が「1910年の韓国併合は、植民地支配を行っている当時の列強国家の視点に立った国際法の解釈では合法と言えたが、今日の国連を中心とする国際社会の視点に立って解釈するなら韓国併合とは朝鮮半島植民地化を意味し、国際法上合法と解釈するのは無理があると言える」と言えば、現在の韓国との解釈とあまり矛盾することはない。

確かに、現在の日本政府は戦前の日本国とは国家の基本理念・憲法が異なる。しかし、それ故に、現在の日本政府は戦前の日本政府の犯した国内的及び国際的な人権侵害や戦争行為、植民地化政策に対する反省とそれによって生じた被害への責任を果たすこと、つまり補償をしなければならないのである。それが、日本政府は1965年「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」(日韓基本条約)の締結の原則であったはずである。

日韓関係の基本課題とは日本と韓国の間にある日本による朝鮮半島の植民地支配の問題(1910年から1945年まで続いた韓国併合問題)である。韓国併合という呼び方は日本の側からの歴史解釈を前提にした名称である。韓国や朝鮮の立場に立つなら、併合ではなく植民地支配である。まず、植民地支配か日本への併合かという視点からもこの歴史に対する解釈が異なる。



米中貿易戦争という21世紀国際社会での政治経済覇権闘争の構図

21世紀の国際社会構図形成の前哨段階としての米中経済戦争


三石博行


米中貿易戦争の彼方に何が見えてきたのか

米中二国間貿易収支の差、米国の対中貿易赤字をめぐって米中貿易戦争が起こったと理解した。しかし、この米中貿易戦争が示す課題は、大きく変貌し、その本題を露呈しつつある。つまり、それは、21世紀の世界、高度科学技術文明社会、国際化する経済や社会の在り方の課題である。

問題は、はじめ、トランプ米国大統領が主張した貿易収支の是正をめぐる課題から始まった。米国は、中国政府や企業が行っている海外提携企業への技術移転や公開制度の課題へと転化し、不平等な競走条件を指摘した。そして現在、米国の攻撃は中国の先端企業の国際化、取り分け中国のハイテク企業が展開しているIT国際インフラ事業・ITプラットフォームの中国化に向かっている。つまり、米国は、21世紀社会の脅威として中国を捉え、その対応・阻止へと問題を展開しているのである。言い換えると、これが米国の対中貿易戦争の本題であった。


新自由主義に基づく金融資本主義経済と国家統制経済主義による国家資本主義経済の二つの資本主義の対立

そこで、米中貿易戦争とは、高度科学技術文明社会・21世紀国際社会での二つの資本主義国家間の政治経済覇権闘争であることを明確に構図化しつつある。その特徴を以下、4点にまとめて挙げてみる。

一つ目は、この貿易摩擦の歴史的構図である。G7を代表する先進国は新自由主義に基づく金融資本主義経済を基本路線としている。しかし、新興国家、発展途上国や後進国では迅速な経済成長を実現する国家統制経済主義による国家資本主義経済を基本路線としている。つまり、米中貿易戦争・米中経済戦争とは、先進国型金融資本主義経済国家群と発展途上国型国家資本主義国家群の経済戦争の前哨段階を意味する。

二つ目は、この貿易摩擦を構造化している非妥協的な要素についてだある。つまり、米中の貿易戦争では、両国間に異なる自由貿易主義の解釈が存在している。中国の主張する自由貿易とは関税の撤廃である。しかし、米国のそれは特許権の保護や国家の企業経営への介入をめぐる課題、つまり中国の国営企業と欧米の民間企業の不平等な関係を指摘する課題である。欧米日企業からすると中国企業は国家によって過大にサポートされており、両者間には平等な競争条件が初めから存在しないという指摘である。その意味で、平等な経営条件を持たない両国の企業間には平等な競争関係が成立していないという考え方である。

三番目は、この二つの資本主義国家の経済構造が世界的な視点で観るなとどう評価されるか、もしくは二つを代表する勢力についての分析である。つまり、それらの二つの国々の間には異なる経済保護主義が存在している。新自由主義・金融資本主義経済国家群では、そこに所属し拠点を置く多国籍企業や国際企業がある。それらの企業は中小国家一国を超える財政力を持ち、またその所属国家にも必ずしも正当な納税義務も果たしていないのが現実である。しかし、それらの企業を擁護するためにG7を代表する先進国家連合では関税撤廃、自由貿易主義を主張してきた。他方、G20を構成する新興国群では、より安価な労働力や国家資本主義経済によって国際競争力をつけてきた。これらの国々、中国を代表とする国家資本主義経済国家群では関税によって貿易収支の赤字を防ぎながら、一方においては自由貿易によって国際収支の黒字を導いている。保護貿易主義や経済保護主義の立場から観れば、両方の国家群で、それぞれの段階によって、異なる貿易や国際経済政策が取られている。

最後にこの貿易戦争が向かう方向について述べる。20世紀型の国際経済覇権国家・米国の立場は、主に以下の3つ特徴をもっている。つまり、第1番目は、第2世界戦争後、そして東西冷戦終結後の国際的に唯一強大な軍事力を持つ国家として君臨してきた。第2番目は自国の通貨ドルを準国際通貨として世界金融資本システムを構築してきた。第3番目は、インターネットに代表される国際情報インフラを支配し、そのインフラに基づく、IT産業、ITプラットフォーム企業を独占してきた。この三つの要因によって、国際政治と経済の覇権を続けてきた。


新二つの資本主義国家群の国際的対立と日本・東アジア

しかし、21世紀になり、中国が新たな経済システム・国家資本主義経済体制を確立し躍進してきたことによって、米国一強時代は終焉を迎えようとしている。同時に、この米国の状況がトランプ政権に代表される「アメリカ第一主義・米国一強主義を維持するための経済政策」を展開している。それは、20世紀型の国際社会での米国一強主義ではなく、米国の国内経済中心主義による相対的な米国の経済強国や軍事強国への転換である。

米国は、これから何を優先しながら、外交を行うか、そのことが問われるだろう。21世紀の国際社会で進む新興国家や発展途上国の経済政策、国家資本主義経済国家の戦略に対して、どのような外交と内政を行うだろうか。また同時にそのことは、国家資本主義経済政策の産みの親であった日本、その政治経済政策によって導かれた近代日本の正と負の歴史、それを踏まえて出発した戦後民主国家日本の歴史、ポスト国家資本主義経済から新自由主義経済への変換を行った現在の日本の政治経済政策も同時に問われるだろう。

米中貿易戦争と日韓問題、そして香港や台湾での市民運動の本質を理解しなければならないだろう。つまり、東アジアでの政治経済強国中国の形成や先進国家としての韓国の台頭が今後の日本経済や社会に及ぼす影響と、日本の在り方を考えなければならないだろう。つまり、現在の日韓問題を考える時、米中貿易戦争の基本的な課題を前提にした考察が必要となるだろう。その意味で、日本や韓国の両方に側にも、そうして視点で問題を考え、また日韓関係を現実的な視点に立って解決し、中長期的視点に立って両国の関係を模索する意見は少ないように思える。

2019年9月11日 ファイスブック記載 


つづく