三石博行
▽ 私は、今から30年ほど前、1980年にリックを一つ背負って、インド、バングラディシュ、パキスタン、イランの国々を鉄道やバスを経由しながら陸路で旅行をした。若いからこそできる旅で、その中で多くのものを見た。
▽ インドのデーリーから汽車に乗ってパキスタンへ向かう途中、アムリトサルにあるシーク教の黄金寺院に立ち寄った。アムリサルは、インド北西部にあるパンジャーブ地方のシーク教の聖地であり、1919年アムリットサル事件でも有名である。アムリットサル事件とは、イギリスのインド植民地政府が交付した法律で、テロ組織に参加していると疑われる人を令状なく逮捕し、裁判なくして投獄できる制度であった。この法律に反対するために集まった非武装の市民にインド植民地の軍隊が無差別射撃し多数の市民を射殺した事件である。そのため、アムリットサル事件のあった場所は、インド独立運動を牽引した非暴力抵抗運動の始まりの地として多くの観光客が集まる。
▽ パンジャーブ州(インド北西部)は、公用語としてヒンディー語と共にパンジャーブ語が使われている。しかも、隣接するパキスタンにも同じパンジャーブ州がある。そして同じ言語、パンジャーブ語が話されている。この二つの地方は、宗教上の違いを理由にイギリスからインドとパキスタンがそれぞれ1947年に独立したときに、インドとパキスタンに分離されたのである。その後、1948年にカシミールの領有権をめぐり二つの国は戦争を起こすことになる。インドとパキスタンに分離された一つの民族、パンジャーブ人は、インド人とパキスタン人として争うことになるのである。
▽ 私はインドからインダス川を渡りパキスタンに入った。パキスタンで宿を取った。その日の夕方、安ホテル待合室の椅子に座って夕日を眺めていた時、同じ宿泊者の二人のパキスタンの青年と会った。二人は兄弟だった。弟のほうは二十歳前後だろうか、まだ若かった。彼がたどたどしい英語で私に話しかけてきた。
▽ 「君は、私達の民族の歴史を知っているか。インダス川の向こうに自分たちと同じ民族がいて、同じことばを喋る。しかし、国が違う。それだけでない。我々の文字と彼らの文字が違う。我々はアラビア風になった文字を使い、かれらはヒンディー風の文字なのだ。どうだ、この大変さが理解できるか。どうして、自分達はこんな目にあうのだ。同じ民族が、どうして違う国に所属し、違う文字を使わなければならないのだ。」
▽ 彼の目には怒りが漲(みなぎ)っていた。そして、何もしらない日本人の私に、その怒りの目は突き刺さるように向けられていた。私は困惑し、ことばを失っていた。その青年の気持ちを理解するにも、理解できる土台がないのだ。迷惑そうに彼の質問に答える私を見ていたか、三十歳前後の彼の兄が、心配そうに近づいて来た。私に済まなそうな視線を送りながら、弟に言った。
▽ 「もういい、もういい、彼(日本人)にそんなこと言ったって、解るわけがないだろう。」とやさしく、弟の肩に手を掛けて、弟を自分達の部屋に連れて行った。
▽ 私は、一人の青年の深刻で苦しそうな目を忘れることが出来なかった。彼は、引き裂かれた民族の歴史をそのまま背負っているのだろうか。そんな深刻で、どうしようもない現実を私は経験したことはない。日本が二つの国に分断され、家族に会うにも会えない。そんな経験をしたことのない私に、彼の悩みが解るわけがないのだ。
▽ 同じ民族が二つの国に分断されていると言えば、東アジアの国では韓国と北朝鮮、1940年から1990年まで続いた東西ドイツを思い出すだろう。しかし、それらの国々ばかりではない。世界には、私の知らない多くの民族が、政治的理由によって分断されているかもしれない。そしてどれだけ多くの人々が不条理な民族、家族の分断に苦しんでいるかを私は知らない。
参考 Wikipedia 「パンジャーブ」「パキスタン」「アムリットサル事件」等々
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