2010年4月9日金曜日

プライド



その年の冬にインドのカルカッタ(現在のコルカタ)に私は着いた。

マザーテレサも 彼女がその年(1979年)にノーベル平和賞を受賞したことも、まったく知らないままで、外人の集まるサマーストリートのホテルで知り合ったオーストリアの青年に誘われ、「死を待つ人々の家」を訪問した。
だった。
一日目のボランティアは、その施設に運び込まれた人々に食事を与えることだった。

その日、十代(多分高校生ぐらいの少女)とそのお母さんがボランティアに来ていた。サリーの良く似合う美しい少女と気品を感じさせる中年の女性、二人は寝たきりの人々の食事を手伝っていた。

一人の老人の前で少女が困惑した様子をしている。その老人は、二人の女性を睨み付けている。彼女がスプーンに注いだ食べ物を頑なに口を閉じて拒絶している。少女は、困惑した顔から悲しそうな表情へと移っていく。

私は、その二人の横に行った。そして、少女の指からスプーンをそっと取って、それを老人の口元に持っていった。

彼は私に微笑みかけながら口を開いた。




「死を待つ人々の家」でのボランティア作業の最中、明らかに病気で苦しんでいる人々を前にして、私は「何か薬はないですか」と近くにいたシスターに聞く。すると、彼女から「私達は、ここに運ばれてくる人々の病気を治そうと思って、この活動をしているのではありません」という答えが返ってきた。

「何故」と聞こうと思った瞬間、「ここに運ばれてくる人々は、生まれてから一回も、人々に大切にされた経験を持っていないのです。自分が生まれてきてよかったと思うことも、生を得たことに感謝することなく、悲惨な人生を送ってきたのです。これらの人々にせめて一回だけでもいいから、他人から親切を施してもらった経験をしてもらいたいのです。死ぬ前に、一回でも、生きているとこんなこと(他人が自分に何を期待することもなく親切にしてくれること)もあるのだという経験をしてもらいたいのです。」と彼女は答えた。

この答えは私にはショックだった。そんな人々が、今、自分の目の前にいる。今まで、これほどにも悲惨な生き方をしてきて、人としての基本的な尊厳の一かけらも受けたことのない人々が、今、私の目の前にいる。
本や映画では奴隷や女工哀史の少女たちを読んだりみたりしてきた。しかし、自分の目の前にいる人々は、明らかに人間でありながら人間としての扱いを受けていなかったのだ。そう思った時、今までの、自分の社会思想が問われ、解体して行くようだった。




コルカッタの町を歩く。当時、コルカッタ市は地下鉄の工事をしていた。市の大通りは深く掘られ、地下の土を多くの労働者が頭の上にのせて、竹や木で造った階段を上がり、トラックに積み込んでいた。その労働者の殆どが不可触(賎)民と呼ばれる人々だった。友人のジャーナリストは、「彼らには、給与は支給されず、その日の食事が与えられるだけで、まるで奴隷と同じだ」と言っていた。

ある日、年取った老人、明らかに不可蝕民が路上電車の線路を渡ろうとしていた。彼は、近づいてくる電車を機敏に避けることが出来なかった。
勿論、電車は人が線路上に居るからといって、事故を避けるために、速度を落とすことはない。そして、老人は電車にはねられた。
電車は止まった。それは線路に倒れた障害物(怪我をした老人)を取り除くためであった。車掌が出てきて、その足を痛めた老人を、ぽいと線路の横に投げ捨てて、電車に乗り込み、そのまま電車は立ち去った。

こうした光景は、コルカタの日常風景だとのことだ。それを観ていた我々は、ショックを隠しきれない。この社会では、不可蝕民は人間としては扱われていないのだという現実を見せ付けられたのだった。




優しく食事を口に運ぶ少女、ボランティアに来た少女、美しいサリーを着た少女、その少女への老人の怒った目つき。
この現象を理解するためには、難解な方程式を解かなければならない。

難解な方程式の解として、コルカッタを歩かなければならない。
不可蝕民の生活に触れなければならない。
地下鉄工事の現場を見なければならない。
路線電車にはねられた老人のその後の経過を知らなければならない。

あの目の奥には、優しく差し出された少女の手や指へ、激しく唸る怨念の嵐が渦巻いている。
あの目の奥には、美しいサリーに象徴された冷酷な人々の行為への憎しみや怒りが焼き付けられている。

そして、悲しそうにした少女もそれを知っていたのだ。
そして、自分の力を超えた世界に対して、救いを求めようとしていたのだ。




インドには古代社会から続くカースト制度に属さない人々が居る。代表的な人々が不可蝕民である。これらの人々の多くはイスラム教化している。
他方、長いイギリスの植民地時代の中で、イギリス人とインド人の間に生まれた子供達、アングロインディアンと呼ばれる人々の多くはキリスト教化している。

キリスト教化した人々の中には、インド南部からくる人々、ポルトガル植民地政策に影響されている人々、カースト制度から抜けた知識人もいる。
あの少女と母親は、多分、キリスト教徒ではなかったか。

その不可蝕民に親切さを与えるべきと思うキリスト教徒もカースト制度からはみ出しイスラム化した不可蝕民も、1947年に独立し、約33年目を迎えた、1980年の若いインドの現実に苦しみ、洪水のように押し寄せてくる問題解決の問いかけに闘っていのだ。

その人々のこころを支える力、それはプライドであった。インド人としての、人間としての、プライドであった。

老人は差別者の服装をした人間を、たとえ死んでも、許さなかった。
少女は、キリストの前で、カースト制度と植民地化によって作り出された歴史の産物である貧困と迫害への罪を、自ら引き受けようとしていた。

コルカタは今日も轟音を発しながら動いている。
生きるために、自らであり続けるために、コルカタの人々は、
歩き、働き、話し、寝るのだ。

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