2010年8月31日火曜日

現代哲学の意義を問う

三石博行


- 現代哲学の問われるその存在意義について- 

20世紀後半までどことなく信じられていた哲学の存在意義、つまり「哲学はすべての学問の基本であるという理念」は、この20世紀になった急激に消滅しようとしている。

哲学的知は何に対して有効なのだろうかと哲学研究者は問いかけられ、その答えを見つけるために模索し始めている。そして、哲学は哲学という古い学問の歴史、つまり哲学史になったと言う人もあれば、哲学はかっこいい教養であるという人も現れて可笑しくない時代になった。

もっとも哲学者を危機に追い込んでいるのは、哲学科の学生が減ったことである。大学の文学部で、現在、哲学科を選択する学生はいるだろうか。殆どの哲学研究者が将来の大学の職の可能性を信じて研究しているだろうか。

そうした世俗的問題としても、哲学的知の有効性が問われ、哲学的知の存続の危機が、まずそれを育ててきた大学文学部哲学科で起ころうとしている。形骸化し化石化した哲学的知に対する興味が薄れ、その学問領域が風化消滅しつつある。

その理由は、哲学的知が現代社会の基本的知の体系に対して影響を与えるものでなくなったという現実から来ている。例えば、中世までの哲学研究で行われていた存在論や自然哲学は、それ以後、自然学、物理学に進化した。その意味で、中世哲学的な存在論は現代哲学の課題では無くなったと言える。

また、20世紀の哲学がその存在意義を主張してきた認識論は、脳神経生理学の発展や認知科学の進歩によってその存在意義を失いかけている。認識問題を哲学的な思惟活動の中で反省的に理解する以上に、認知科学的研究は認識過程や認識メカニズムを明確に示してくれる。脳科学研究から逆に哲学はこれまでの認識論を検証される形になっている。そして、脳科学からの哲学的認識論の批判的点検は、そのまま哲学的認識論の存在意義を問いかけていることを意味しているといえる。

哲学は正しく不要の学問になろうとしている。それが現代科学技術文明社会の形成がもたらした古い学問への徹底的な有効な知性様式を問う淘汰の大波の姿である。

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