2010年8月31日火曜日

現代哲学の新たな地平 プログラム科学論

三石博行


現代哲学の存続条件 主観的思惟世界の認識活動

哲学的知を他の科学的知と同様に対象認識の知として競い合う以上、数学的解析方法、統計的調査方法も実験的実証方法もない哲学的知が他の科学、自然科学や人間社会科学に対してその有効性を競い合うことは出来ない。

つまり、自然科学や人間社会科学のような対象認識に関する厳密な方法論を哲学は持たない。すると哲学はどのような有効な思惟活動、技能、方法を持っているのだろうか。もしあるとすれば、唯一、他の科学分野の方法論に決定的に不足する思惟形態、つまり、対象認識を行う主体の意識分析に関する反省的思惟である。

科学が論理実証的存在論において勝利を収めたその時から、つまり、哲学が存在論的領域から追放されたときから、哲学は新たな領土を獲得する旅に出ることが出来た。それは科学が絶対に踏み込めない世界、思惟する主体への点検活動という、対象認識でなく主体認識の世界である。


現代科学技術文明への批判学

現代哲学の存続条件は、現代科学技術文明社会の動力である科学的知への批判者、それは反科学的な批判者でなく、科学的知が必然的に持ち込む観察主体の固定化に対する点検活動にあるように思われる。

と同時に哲学を支える新しい科学の領域が生れる。それは主体、もしくは主観的世界のあり方を理解する科学である。例えば、心理学や精神分析がその典型となる。つまり、現代哲学は、またもやその存在領域に侵入する科学・主観世界の人間学を提案しながら、現代科学技術文明社会での新しい役割を主張する。


現代哲学と新たな科学・人間学の形成

現代哲学が切り開く主観世界の点検活動、その活動を支える新しい科学・人間学への影響、つまり人間学の科学認識論の確立のための知的活動が現代哲学の課題となっている。

大きく哲学的関心は変更される。つまり認識論的関心は自然学の王者物理学より、20世紀以後に形成された人間学へ、存在論的関心も物理現象的存在論から、自己組織性の生命や社会現象を生み出す資源的存在へ、つまり吉田民人の進化論的存在論へ、哲学の流れは、現代科学技術文明時代のイデオロギー的存在の暴露やその機能構造分析に、そしてそれらのすべての情報資源の現象を司るプログラム的存在様式の分析、科学哲学への変換されていくのである。




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