2010年8月20日金曜日

書くという行為

私は、誰に伝えたくてブログを書いているのだろう。

いつも、書く行為の背景に存在している私の欲望、伝えたいという私の気持ちの対象が、抽象的な人物ではないように思える。

文章を書くごとに、誰かに、日常生活の中で出会った、そして関心を持った、または心に残った誰かに、書いているように思える。

私にとって書くという行為は、自分の心情を伝えたいという行為である。

伝えたいと思う人がいて、私は書くのだ。

それは、一方的な行為であり、ある意味で、片思いのようなものだ。


Aさんへ

今日も異常なくらい暑い。

友人たちのホームページをながめる。

私は今まで自分のホームページを作りかけては失敗してきた。
その理由は、勿論、私が怠慢であることに過ぎないのだが、
しかし、いつもそれなりの言い訳が用意されている。

「何のために書くのか」
「何のために自分を公開するのか」
「公開しなければならないものは何か」
と、その理由は続く。

人は、はたして抽象的な誰かに書いているのだろうか。
人は、自己の考え方を匿名の誰かに述べることが出来るのか。

そうした疑問というより、その行為への情念が湧かない。

私は、つねに、誰かへ話しかけたいと思う。
それは、具体的な誰かだと思う。

今日も異常に暑い。


三石博行のホームページ
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/


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