2012年4月14日土曜日

友の死を悼む

最近、多くの友人達の逝去の知らせが入ってくる。そううい歳になったのだと自覚する。

中学時代の友人の木下重治君、、京大で毒物垂れ流し糾弾闘争をしていた清水美和君、そして伊方原発反対闘争をしていた重松君(おそ松君の愛称で呼ばれていた。彼は今から3年前にすでに他界していた)や尾崎氏の奥さん。

それらの人々の顔が想い出される。いつも間にかこの世から消えていく。これは避けがた命の在り方なのだろう。

思い出すと、今から30年近い前に京大安全センターを共に創った長瀬君が亡くなった知らせをフランスで知った時、あの懐かし声や表情を思い出し、涙がこぼれた。残念でたまらなかった。傍にいてやれなかった自分を詫びた。彼は優秀だった。そして何よりも心の優しい人だった。家族をおいて他界へ行った彼。どうしてなのか。そのわけを会って聞いてみたいと思った。彼が書いた手紙を今でも持っている。それが彼が私に残してくれたただ一つの送りものになってしまった。

こうして、多くの友人達が去っていくのだ。そして、いつか自分も、最愛の人も、去ることになるのは確かだ。

何のために生きたのか。それを問い掛けるのは、生きている現在があるからだろう。
もし、死んでしまった後に、誰が、この問い掛けをするだろうか。

何に向かって生きようとしているのか。そんな問い掛けが生まれるのは、今が十分でないからだろう。
いつまでたっても、今が十分だと思えたことのない自分に、いつか、この問い掛けが消える日があるだろうか。
その時は、今の私が消える時なのかもしれない。

多くの大切な人々が去ってゆく。榊の伯父さん、両親も、大切なことを教えてくれた父、好きだった母、尊敬していた母。そして岩松先生。世話になった義父や義母や角田の義伯父さん、もう会えない大切な人が増えてゆく。

多くの尊敬していた人が去って行った。上田等氏、黒川幸夫先生、岸田綱太郎先生、梅棹忠男先生、吉田民人先生。

これからも、多くの親しい友人達が私より先に、旅立つに違いない。

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