政治運動化した日本の労働運動の歴史(戦前戦中から1960年代)の削除とその理由
三石博行
日記形式のブログとは
我々は、言いたいことがあるから文章を書くのだ。
もし、書くべき主張がなければ、あえて書くことはない。
自分のために書く作業を日記と呼ぶ。これは、他人には絶対に見せたくないものだ。
つまり、書くという行為に意味がある。書きながらこころをまとめ、整理し、癒しているのである。だから、これは見せるために書いてはいない。
ブログで日記を公開しているが、それは本当の意味で、日記ではない。
それは、見せたいものがあり、他人に伝えたいものがあるために、書かれている文章である。
多分、毎日、書き続けるので「日記」と呼ぶことにしているのだ。
その意味で、私のブログも日記である。
論文作成作業では表現できない直感中心の文書化作業
論文を書くように、資料を収集し、それを全て分析し、自分の仮説に従って、再度、資料分析を配列しなおし、また、それを分析する。論文を書くには、当たり前のことだが、大変な労力が必要である。
私は、そうした研究作業を続けながらも、ブログのように、すでに直感的にはっきりしている結論を、出来るだけ素早く書く方法が欲しかった。それが、このブログになっている。
だから、毎日、出来るだけ書くようにしている。
調査や実証なくして論説は出来ない
しかし、場合によっては、よく調べなければ書けない課題が生じる。「裏を取る」というジャーナリストがよく使うことばと同じように、文書を書くためには、裏を取らなければならない。実証できない仮説を言うことは、意味のないことを長々と話していることになるので、読む人に迷惑な話である。そんな話は、インターネットという公共資源を使わないで、自分勝手に、日記のように書けばよいのである。
もし、インターネットを使って書くなら、それは伝えたいことなのである。つまり、社会的に役に立つと主観的に思うから、ブログで公開しているのである。自分なりの主張を持っているから長々と書いているのである。
その意味で、今回は、社会運動の形態を生活資源論から説明する課題を選んでいる最中である。この仮説が正しいかを実証する必要がある。どこかで、生活資源論で社会運動の全ての運動や組織形態は構造的に説明できると直感的(楽観的に)に感じるのである。
しかし、つねにすべての予測に付きものではあるが、直観的に導かれる結論は必ずその楽観的な帰結による落とし穴を持っている。厳密な論証では、常に「そうは問屋が卸さない」のである。
つまり、直感的な結論に執着することは論証や実証を行うために書かれる論文形式の文書では危険なことになる。それで、今、労働運動に関する分析作業が足踏み状態になっている。しかし、同時に、スランプと呼ばれる、この神様の与えてくれた思索活動の貴重な休息日を十分に満喫してもいいのだと思う。
生活資源論は社会運動を説明する理論に成り得るか
そこで、生活資源論を使って、歴史的な民衆運動(社会運動)の発生とその形態を説明してみる。生活資源論(仮説)が正しいなら、民衆運動、社会運動、市民運動と歴史的も現代社会でも呼ばれる大衆運動のすべての形態がその仮説によって説明可能である。もし、説明不可能なら、その仮説は間違いっていることになる。
例えば、中世封建社会で頻繁に生じた百姓一揆であるが、その理由は明確である。そして、それらの運動の形態、暴力性や組織性、非政治化などの運動態の属性を仮説から説明できるだろうか。また、日本の近代国家形成初期に起る労働者の反乱、そしてその後に形成される労働運動の歴史。戦前の労働運動が政治化する現象と戦後初期の労働運動と政党政治との関係、さらに現代の非政治化する労働運動の発生等々、全く異なる運動や組織の在り方を、一つの理論・生活資源論から説明できるだろうかという課題である。
この仮説の検証作業を行うのは、今日の社会運動の方向を理解するためである。この仮説から、近未来と21世紀にわたる社会運動の果たすべき役割、つまり成熟した民主主義文化と社会システムの形成に果たす市民の活動や運動について理解したいのである。それが、この仮説検証の最終的な目的であり、目標でもある。
今現在の課題は、今日の労働運動を始めとして、多様化する市民活動、ボランティア運動の社会的機能(役割)を理解し、それらの運動や組織に対しる有効な社会政策を提案することである。市民活動が社会システムを形成するための社会資源となることを理解するためには、これらの運動組織や形態に引き継がれている反体制運動の遺伝子を解明し、その社会的意味付けを与えることである。これが生活資源論から説明しよとする試みの意図である。そして、それにはさらに私の主観的な希望が潜んでいる。つまり、それによって、市民運動の原動力である体制批判性は、未来社会のために活用される豊富な社会文化資源となると信じたいのである。その意味で、この仮説には私の主観(哲学)が潜んでいて、それを排除できない。
この主観的願望に近い理論的説明の有効性を問わなければならない。これが詩人と科学者の違いである。私が詩人であるなら、この主観的願望に満ちた仮説を極限まで表現し、直観的に示された言葉の力によって、説明作業を終了できるのである。しかし、科学者としては、詩人性を徹底的に排除し、詩的表現の一片をも許すことなく、冷たく分析的な表現によって、言葉の色彩や音色を取り除かねばならない。
そのために、科学者は詩的な言葉をすべて音や色のない言葉(専門用語)や数字にして考えることにした。それは人間科学者の気持ちに反する作業であったとしても、この作業を抜きにしては美しさに潜む欺瞞に目を奪われることの恐ろしさ(被害)を知り尽くしているからである。そこで、近代科学としての社会学研究は社会調査によって社会現象の実態を理解する作業を前提にしているのである。
それと同時に、近代科学の伝統を汲む社会科学には、現象するそれらの社会実態を構造的に説明する作業も求められる。その作業を理論と呼ぶ。理論は現実を理解するための道具である。理論社会学は社会調査法、社会実態研究や社会政策に有効に活用されない以上、その意味を失うことになる。この考えを私に何遍となく説明したのは故吉田民人先生であった。彼の理論社会学(社会科学哲学)・プログラム科学論や自己組織性の設計科学の目的と、これらの理論研究の今後の在り方を言い残されたのだと理解している。
その意味で、私は吉田民人先生の理論社会学研究を継承したいと願った。その作業に一つに、生活資源論があった。阪神淡路大震災後の罹災者の生活復旧や復興活動として派生した「生活再建のその段階で必要とされた生活情報」の調査とその分析から導きだした生活情報の三つの構造、生活情報論を篭山京の「生活構造論」、青木らの「生活システム論」と吉田民人の「生活空間論」で再検討して導いたのが「生活資源論」であった。
この仮説を使って以前、「人権学試論」を展開してみた。社会運動主体の行動要因(動機)は人権を求める人間の行動要因と同じである。その意味で、人権学の基礎理論、生活資源論は社会運動論を説明するための有効な仮説となる考えた。これが、生活資源論で社会運動が説明できると直感的に感じた理由の一つである。そして、それが同時に、この労働運動に関する分析の中断(足踏み状態)の理由でもある。
文書の削除を突然します
4月16日にブログ発表した文書「政治運動化した日本の労働運動の歴史(戦前戦中から1960年代)社会運動としての労働運動 (1)」があまりにも未熟なので、今日、それを削除した。
もう一度、初めから書き直すことにする。もし、その文章を読んでいる最中の人が居たら、申し訳ないことをしている。
もう少し、お待ち下さい。納得いく文章を発表しますので。
2012年4月19日 誤字修正、文書修正
(120418c)
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