A 仲井秀昭氏の試み・1990年代の奈良での「フランス語クラブ」
仲井氏が奈良でフランス語で喋る交流会・フランス語クラブを作ったのは今から20年ぐらい前のことである。そのフランス語クラブが奈良日仏協会を創る母体となり、奈良日仏協会は結成された。
私は1993年にフランスから帰国し、京都大学で短い期間の仕事を見つけた。そして仲井氏とお会いする機会があった。はじめて奈良日仏協会の集まりに参加したのが、フランス語クラブであった。約30名近い人々がフランス語で自己紹介し、一人ずつ何か喋ることになっていた。フランス語の得意な人、そうでない人、それぞれのレベルで話をした。確か、フランス人も参加していて、集まりは盛り上がっていた。
その集まりの中で、すごくよくフランス語の喋りたい人々が集まって、私の新しい職場、金蘭会学園で、めちゃくちゃレベルの高いフランス語での討論会をやった。
B 第三期国際交流運動のプロモーターとしての奈良日仏協会の活動(1990年代から2007年まで)
仲井氏が事務局長を勤めたいた奈良日仏協会では、新しい国際交流活動が起こっていた。それは国際交流活動が市民生活の中で日常化していく第三期の国際交流活動の始まりであるといえる。
彼は、フランス語、フランス文化への接点を奈良の市民生活の中に持ち込み、フランス映画や音楽を単にフランスを紹介するレベルから奈良での映画文化活動や奈良を紹介する(発信する)活動へと展開していた。
つまり、これまでの日仏協会の活動から一歩出た、奈良という地域性を同時にフランスに発信する活動であった。
その一つに「奈良の代表文化の一つ、仏像美術文化をフランスに紹介する活動」が取り組まれ、奈良日仏協会の国際交流のレベルの高さを国内は勿論国外にも示した。
C 引き継がれる市民生活運動としての国際交流活動 京都奈良EU協会
仲井氏は、奈良日仏協会をNPOにして、任意団体としての国際交流運動から一歩出た、新しい運動体にしたいと望んでいた。その希望は、当時の奈良日仏協会の理事会では理解不可能であったと思える。彼の考えは、当時の理事会の中では余りにも先を歩んでいたように思えた。
仲井氏と私は、そうして京都奈良EU協会を立ち上げることになった。その目的は、21世紀の益々国際化する市民社会での、国際交流活動を模索することであった。
今でも、私たちにその答えはないのであるが、なぜか、その方向に対する確信がある。
それは、市民生活活動の一つに融合化した国際交流運動のスタイルである。
そのスタイルは、すでに、若い人々に、市民の中に、存在しているように思える。
それを、私たちNPOは吸収し、その力を集める努力をしているのだと思う。
三石博行のホームページ
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