2011年3月21日月曜日

Eric DOLPHY 

音楽について(1)

三石博行


ジャズとの出会い

私がJAZZに接する機会を作ってくれた二人の友人が居た。槇和男君と岩本晴穂君である。当時、大学の近くの農学部前の電停近くに「メルヘン」というジャズ喫茶があった。槇君は殆どそこで量子力学の勉強をしていた。量子力学の原書を章ごとに分けて、コンパクトにした本を持ち込んで朝から晩まで、ジャズを聴きながら、原書を読んで、演習問題の微分法方程式を解いていた。

そんな彼に連れられて、私もメルヘンに行った。当時はクラシック音楽を出町柳の「柳月堂」で聴くのが私の楽しみであった。よく岩本君と柳月堂に行った。私の好きな音楽はベートーベンで、当時は弦楽四重奏に魅せられていた。よく岩本君と弦楽四重奏を聴いていた。

メルヘンでの初めてのジャズは衝撃的だった。槇君が私に選んでくれたのがEric Dolphyの曲だった。余りの衝撃さに心が動顚したことを記憶している。それは音楽と謂うよりも、何か叫びのような、そして語りかけてくる音楽であった。はじめて出会った音楽であった。


Eric Dolphy in Europe

今、私は東日本大震災で苦しむ人々に何かしなければと思いながら、ここ1週間続けざまに、これまで阪神淡路大震災の生活情報調査活動や関西労働者安全センター常任事務局員の時代に学んだ災害への安全管理や危機管理に関する考え方を書き続けている。

今、無性に、Eric Dolphyの音楽が聴きたくなって、書斎にラジカセを持ち込み、「Eric Dolphy in Europe, Vol.2」を聴いている。

彼は、このヨーロッパ演奏旅行の最中に死んでしまったのだ。これは、彼の陽気で力強い鎮魂歌かもしれない。

彼らのこの音楽は、あの演奏会の一瞬にしか残らない。つまり、この音楽は偶然に録音されて残ったものだ。何ということだ。これほどのすごい音楽を、彼らは一瞬の出来事として永遠に葬り続けてきた。多分、その一部がここに残されたのだろう。


そして今もなお

彼が今から半世紀以上前に、母国アメリカから遠く離れたヨーロッパの小さなジャズ演奏会場で、仲間と共に作曲し演奏している自分たちのための「レクィエム」を、今日も私は聴く。

そして、この偶然に録音され残された小さな演奏会場での音楽に、私は限りなく感銘し続ける。

もうあれから40年が過ぎた今でも、やはりこの音楽から受ける感銘は変わらないのだ。

彼の魂の叫びは、今、苦難に立ち向かう罹災者、救済のために闘う人々に、きっと届くに違いない。


リンク資料

Eric Dolphy演奏動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=27QVenKmDBI


修正(誤字)2011年3月22日





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