2011年1月31日月曜日

生理的感覚空間の形成から社会的関係空間の形成の前哨段階へ 欲望の形成

精神分析学的説明仮説から推論できる他者性の形成過程に関する哲学的議論(3)


三石博行


生理的感覚空間から場所的配置空間の変移

前節で、寝返りを打てない状態からようやく二足歩行をはじめた乳児期(生まれて1年以内・フロイト精神分析学で言う口唇期)の他者性(非自己)の形成過程についての仮説的説明の可能性を述べた。(1)

まず、制御不可能な自らの身体をはじめて非自己として乳児は認める。この自己の身体を他者性(非自己)として認知する段階を、他者性(非自己)の形成第一段階と考えた。(2)

その後、乳児は寝返り運動などの制御可能な身体を獲得する時期を迎える。制御可能な身体を得ることで、非自己化された身体は自己化することになる。その自己化した身体によって、身体の外に生理的に感覚される世界が形成される。さらに、ハイハイをすることで、生理的に感覚された世界は広がる、つまり「非自己的身体(しんたい)から個体としての身体・身体(からだ)への進化によって、「ここ」と「ここでない」二つの位置関係(空間的関係)が生じるである。身体の外に生理的感覚された空間の形成を第二段階の他者性(非自己)が形成される。」(3)

そして、二足歩行運動によって、ハイハイの運動する身体から見えて「生理的要求対象」と「生理的要求」との視覚平面内(平面的視野)での直線的関係から、立体的視野へと変化することになる。すると、乳児の視覚には、生理的要求対象とそれ以外の対象物とが同時に見える。言い方を変えると生理的要求対象はそれ以外のものにと混在することになる。乳児は、それ以外の対象物を避けて、生理的要求対象への運動を選択する運動が可能となると考えられる。

つまり、平面的視野の世界では、生理的要求対象は「ある」か「ないか」の二つに一つであった。しかし、立体的視野から確認できる生理的対象は「どこにある」という場所を持つことになると考えられる。乳児は「生理的感覚としての空間」から「生理的感覚対象の場所的位置」へと「空間」は広がるのではないかと仮定できる。


生理的身体運動の秩序 快感原則で動く身体運動

この場所的位置の登場は、生理的対象物が「ある」か「ないか」という次元から「場所的に配列されている」次元、つまり「場所的秩序」をもつ次元への変化であると解釈できないだろうか。されに飛躍すれば「生理的要求対象が感覚的空間において場所的秩序」をもっていることを乳児が理解する仮定できるのではないだろうか。

つまり、乳児は制御可能な身体運動の秩序、つまり生理的要求に即して動く身体機能を得る。この身体運動の秩序は、すべての動物が持つ「生理的要求に従う身体運動の秩序」であるといえる。

秩序化された生理的身体運動から、その身体運動を活用し、つまり生理的反応で動く身体を使って、さらに乳児の生理的要求を満たすために、寝返りをし、ハイハイをし、二足歩行を行って、その要求の対象に身体を動かす。その生理的行動を通じて、生理的感覚空間における場所的秩序を理解する。

つまり、より経済的な生理的行動、合理的な身体運動は乳児から生理的要求対象への最短距離を見つけること、さらにその最短距離内にある障害物を避けること、生理的感覚空間の外的世界に登場した最初の区分作業の基準となる。つまり、「ある」か、もしくは「ない」かという生理的感覚空間では、対象が「ある」場合には、同時にそれへの直線的行動が可能となる。そうでない場合には、つまり対象は存在しない(見えない)ため生理的感覚空間はない。

しかし、二足歩行を可能にした乳児には、生理的対象は、色々なものの中に混在して「ある」。つまり、そのとき、空間は対象が「ある」と「ない」の二つによって構成されず、対象はいろいろなものの中に「ある」ことになる。そのため、乳児はその対象に対して、直線的な動きでなく、生理的要求以外のものを避けながら、生理的要求に近づかなければならない。

つまり、このとき乳児は、避けるという行動を起こすことになる。生理的要求に近づくために、それ以外のものを避ける行動が取られる。この避ける行動、ここでは生理的に避けるという意味であるが、避けながら近づく、近づくために避けるという行動運動のプラスとマイナスを組合し、生理的要求対象に接近する運動規則(秩序)を身につけることになる。生理的対象が「ある」場合、そこに生理的対象への空間が存在し、そして生理的行動は生まれる。それが「ない」場合には、生理的対象への空間はなく、生理的行動も生じない。

つまり、ハイハイを行っている段階の乳児の世界は、要求する対象とは接近できる対象を意味する。対象が「ある」ということは、それに対して接近が可能な空間的対象を意味する。見方を変えれば、生理的要求対象が「ある」という「感覚」が、その対象物を得る条件で成立することになる。この成立条件は快感原則と類似する。

つまり、すべての生理的要求対象とはすべての獲得可能な対象であると言える。それは、獲得可能な対象しか「ある」と感覚されない乳児の世界の姿であり、生理的要求対象が「ない」世界とは乳児の感覚の外を意味する。つまり、あるものは得られるものである。これを得られるものから見ればすべての世界が彼には得られる対象であることになる。この世界を快感原則に基づく一次ナルシズム的世界と呼ぶことが出来るだろう。


生理的身体運動の秩序から場所的運動の秩序へ

二足歩行を行うようになった乳児が、生理的感覚対象が場所的空間に配列する過程で、生理的感覚世界に場所的秩序が持ち込まれることになる。つまり、乳児はその場所的秩序を理解することで、最も経済的な運動を選択し、生理的に要求する対象へ接近することが出来るようになるのである。

これらの、生理的身体の秩序化から生理的感覚対象の場所的秩序化の乳児における学習過程の延長上に、所謂、社会秩序の受け入れが準備されるのではないだろうか。つまり、一次ナルシズム的世界から二次ナルシズム世界への移行過程には、つまり、二次ナルシズム的精神現象を誘発する精神経済則・現実則(社会文化的規則を基にして機能する精神経済法則)までに、幾つかの段階が仮定される。その仮定は、生理的運動空間が場所的運動空間へ移行する時に生じる場所的身体運動を獲得する過程から想定されるのである。

また、この説明仮説には、ある意味で、上記した仮設的説明は、フロイトが常に引き合いに出す「個体発生は系統発生を繰り返す」という考えを想定している。

つまり、原始的動物も生理的要求対象にたいして反応する個体を持つ、それらの反応は単純な反応から、次第にそれらが高等な動物に進化することによって、生理的要求対象を得るための一次元的な行動から次元数を増やす行動バターンを獲得する。そして、もっとも合理的に身体を動かすことによって獲物を獲得する運動を獲る段階にまで発達するのである。その合理性とは、身体運動を規定する規則を活用し、最小の身体エネルギーで最高の運動効率を上げることを意味しているのである。

さらも、乳児はこれまでの動物が獲得した生理的運動の合理性を得る身体内運動(筋肉運動)の規則性を獲得することから場所的空間運動の合理性を得る身体外運動(場所的空間認識)の規則を見出すのである。

言い換えると、快感原則から現実則を得る過程は、個体が生理的要求対象を場所的に感覚し、その対象に対して接近するための生理的方法、つまり、最小エネルギーによる最大効果を得る身体運動の獲得によって、可能となる。その過程は、場所的空間運動の合理的運動能力の獲得をもって表現される。この合理的な場所的移動や運動の法則(秩序)を現実則の前哨段階と考えることも可能である。

このようにその合理的な身体の運動能力を得ること、つまり場所的配置空間で身体の運動の規則性(障害物を避け、生理的対象を最小エネルギーの力で獲得するための身体の動かし方)を理解するのである。この規則性の理解によって、個体保存のための能力は磨かれ、個体は与えられた環境に順応するという表現で生存することが出来るのである。この合理的な場所的移動や運動の法則を理解することによって、現実則を身につける身体的ど土台が出来上がっていることになる。


生理的要求対象から言語的意味対象へ (欲望の発生)

乳児が二足歩行を始めることで、フロイトの説明仮説である口唇期(一次ナルシズム的世界、快感原則で機能する自我)は終焉に向かう。

生理的要求対象が場所的空間運動によってそれ以外の障害物と混在しはじめ、その混在はますます広がる。つまり、乳児は二足歩行によってより多くの生理的要求対象以外のものを見る。視覚的能力が向上することによって、その混在はますますひどくなるだろう。もはや、自分欲しいもの(オッパイ)は、それ以外のものの中に隠れてします。

乳児は、色々なものを口にし、それが生理的要求物(オッパイ)でないことを確認し続けることになる。そして、ますます大きくなる生理的要求を求めて、色々なものを口にし、それを一つ一つ確かめなければならない。

それらの生理的要求物意外のものを口から吐き出すことで、それらは明確に非身体であり、身体の外に置かれることになる。乳児が口にするもの、それらが生理的要求以外のものの初めての出会いを意味し、それらが身体の外に生まれる初めての世界である。生理的要求物でない「もの」を吐き出すことで世界は外に広がる。(4)

それらの身体の外に吐き出され、生理的要求の対象物でないもので覆い尽くされながら、非自己の空間的世界が生まれる。それらの空間を占めるものは、まず、生理的要求の対象物への障害物となる。生理的要求の対象物を得るためには、それらの障害物を理解しなければならない。それを避けるために、それを生理的要求の対象物と誤解しないために、乳児は、それと生理的要求の対象物を区別するために、まず、その対象物を区別する手段を手に入れようとする。

「マンマ」という呼び名が生理的要求の対象物に命名される。それはその対象物を持つ母であり、母のオッパイである。そして、「マンマ」ということ対象物がそれ以外の他ものと区別される。つまり、乳児の音声から生じた「マンマ」は「オッパイ」を意味するもの(記号)であり、乳児の頭には「オッパイ」の視覚的表象が指示物として存在し、その視覚的に指示するものと「マンマ」という音声によって指示するものが、その「マンマ」の記号によって意味されるものと連動する。そこに「マンマ」(音記号)と「オッパイ」(視覚的表象)と「マンマ・オッパイ」(意味)が形成するのである。(5)(6)

生理的要求の対象とは視覚的な対象である。その視覚的対象が言語化されることによって、生理的反応から言語活動的反応にと変化することになる。つまり、生理的要求の対象であった「オッパイ」は母の身体の一部である。しかし、言語化された「マンマ」は、その身体から切り離された「対象」となる。ある具体的な他者の身体性を捨象することで、意味としての独立した「マンマ」が存在することになる。乳児は、母の身体性から抽象的な「マンマ」・オッパイを要求する。つまり、この抽象的なオッパイ、言語化されたオッパイ「マンマ」は、もはや乳児の生理的要求の具体的に対象物でなく、意味化した要求物に抽象化されることになるのである。この抽象的な要求を「欲望」と呼んでいる。

欲望は生理的要求を土台にしている。その意味で欲望は身体的作用がその背景となるように思われるが、明らかにそれは言語活動によって生じたものである。つまり、乳児が生理的要求対象を言語化しなければ、「欲望」は形成されないのである。


参考資料

(1)NHKアインシュタインの眼「赤ちゃんの奇跡」2011年1月23日放映
司会 古田敦也  ゲスト:堀ちえみ、小西行郎(日本赤ちゃん学会理事長) 
番組 「赤ちゃん 運動発達の神秘」
http://www.nhk.or.jp/einstein/archive/index.html

(2)「非自己としての身体性の発見 一次ナルシシズム的世界の亀裂現象」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/1_27.html

(3)「非自己としての生理的空間の発見と場所的空間の形成」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/2_27.html

(4)岸田秀氏が「ものぐた精神分析」で語る肛門期での空間の成立過程を参考

(5)ソシュールの言語学を基にした考え方を参考

(6)三石博行 システム言語学研究
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_02_04.html

http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_02_04/cMITShir00j.pdf



(7)Hiroyuki Mitsuishi DECONSTRUCTION ET RECONSTRUCTION DE LA METAPSYCHOLOGIE FREUDIENNE - ESSAI D'EPISTEMOLOGIE SYSTEMIQUE - 邦訳 フロイトメタ心理学の解体と再構築-システム認識論の試み- Atelier national de reproduction des these France、584p 1993年10月 単著
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_05_02.html

http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_05.html





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2011年1月27日木曜日

非自己としての空間の発見と場所的空間の形成

精神分析学的説明仮説から推論できる他者性の形成過程に関する哲学的議論(2)


三石博行


身体性の自己化による生理的空間の発見

前節では、寝返り運動の出来ない乳児の身体運動に関する研究報告を活用しながら、非自己状態の身体性の出現、つまり「第一次の非自己化過程」について語った。その中で、この第一次の非自己化過程・一次ナルシシズム世界での亀裂出現期での、生理的空間や生理的時間の概念についても触れた。つまり、その時期での空間や時間概念は、我々が知る空間や時間概念では想像することの出来ない世界であると謂える。この段階を前期口唇期と呼ぶことにする。

さて、この節では、寝返り運動が可能になった乳児を例にとりながら、非自己化している身体が自己化する過程について考える。つまり、一次ナルシシズム的世界に生じた亀裂過程では、非自己は自己の要求に従って運動しない身体・制御不可能な身体であった。換言すると、この身体が自己の要求に従って運動する身体・制御可能な身体である。この段階は前期口唇期が終焉しようとしている段階であると考えることにする。

この段階で、乳児は制御可能な身体を持つことで寝返りを打ち、生理的要求対象を獲得するための身体運動の飛躍的一歩を踏み出すことができるようになった。その意味で、第一次の非自己化過程で登場した非自己としての身体性は自己化され始める。つまり、生理的反応に即して身体運動を可能にすることで、非自己的身体性は消滅し、自己化した身体が形成される。

しかし、この場合の自己とは、自らの生理的要求を獲得するために自らの身体を動かすことのできる条件を意味する。自己化とは、つまり、生理的要求内容と制御可能な身体運動内容に一対一関係が成立したことを単に意味しているに過ぎない。その意味で、自己の身体性に非自己性という要素が消滅することを意味する。そして、ここから後期口唇期が始まると考える。



感覚的空間の発見 身体運動量による生理的感覚空間

寝返り運動を可能にした乳児は、さらに生理的要求に対して動く身体を次第に獲得して行く。寝返り、ハイハイと乳児の行動半径は広がる。つまりそのハイハイによって生まれる新しい空間は、行動半径の広がり、前節でのべた、寝返りを打てない赤ちゃんの生理的反応から生じる空間感覚、つまり、「つかめる対象・ここ」か「つかめない対象・ここでない」の関係が絶対的に成立している二つの対象理解に付随する差異から生じる感覚ではない。

ハイハイをすることで、赤ちゃんは、「つかめた」と「つかめない」の二つの生理的反応結果を自らの身体運動で可能にし得る。言い換えると、生理的要求を満たす対象物が「つかめないもの・ここでない」であったとしても、それを寝返りやハイハイ運動によって「つかめるもの・ここ」へと変化さすことが可能になる。

この二つの空間関係は身体運動によって能動的に創られる。「ここ」と「ここでない」の関係をつなぐのは運動する身体(自己化した身体)である。言い換えると、「ここ」と「ここでない」の感覚的空間的関係が生じるのは、「つかめない」ものを「つかめる」ように変えうる身体運動を獲得した身体(からだ)によるものである。その非自己的身体(しんたい)から個体としての身体・身体(からだ)への進化によって、「ここ」と「ここでない」二つの位置関係(空間的関係)が生じるである。

感覚的空間は、自己化した身体と自己化していない世界との関係によって生じたのでなく、自己化した身体の運動によって獲得した生理的要求の結果獲得されるのである。つまり、もし、それが欲しいという生理的要求がなければ、そしてその要求を叶えるための身体運動、寝返りやハイハイはない、すると身体運動に結果としての感覚的空間は登場しえないのである。

要求が増えるごとに、その要求を叶える身体運動が必要となる。手や足の指の筋肉を使って効率のよい前進運動を工夫される。そして、ハイハイのスピードが変化し、「ここ」と「ここでない」二つの地点は狭まる。ハイハイの段階では、赤ちゃんの平面的な視覚からは生理的要求物への距離とは、我々の理解している立体的な距離、二つの間にある物理的な距離感覚はないと理解できないか。

生理的感覚で理解される距離とは、「ここ」から「ここでない」までの到達に必要な生理的エネルギー量(消費エネルギー量)によって理解される。つまり、我々の眼から見える赤ちゃんの身体運動速度が、獲得しやすいもの(近いもの)と獲得しにくいもの(遠いもの)の感覚を生み出すことになる。その意味で、生理的感覚空間は生理的運動時間と不可分の関係になると謂える。


二足歩行運動から得られる場所的空間の形成

さらに乳児の生理的要求が大きくなることで、生理的感覚空間は広がり続ける。そして同時に、生理的要求の対象を手に入れるための身体運動は鍛えられ、身体運動効率を上げる。そのことで、生理的感覚空間は相対的に縮まると思われる。

しかし、乳児の生理的要求対象はますます増え続ける。それはハイハイによる身体移動では可能にすることが出来ない。そのために、ハイハイから二足歩行へと身体運動は変化することで、乳児は効率の高い身体運動を獲得しようとするのである。しかし、必ずしも、ハイハイから二足歩行が移動効率の高い運動であったいうより、赤ちゃんの足や手の胴体とのバランスの変化、成長にともなう身体的変化によって、二足歩行へと移行するのではないかた考えられている。

二足歩行をするようになって、乳児の視覚世界を大きく変えることになる。今まで、平面的視野から生理的要求の対象物を見ていた世界が、立体的視野へと変化する。そのことで、身体運動量として理解されていた対象物への距離感を支配していた生理的空間は生滅し、対象物が配列されている空間が登場することになる。つまり、対象物に間にあった「ここ」と「ここでない」空間から、対象物が自分の身体の位置「ここ」から、色々な「ここでない」位置、「そこ」に配列されていることになるのではないだろうか。

「ここ」と「ここでない」一次元的な距離概念の関係は、「ここ」と「そこ」という二つのまったく異なる場所の関係や位置関係へと変化することになる。そのことは、象徴的表現を借りるなら「ここ・自己」と「ここでない・自己でない」同一空間的関係に存在している自己と自己でない世界の未分化状態を意味している世界が「ここ・自己」と「そこ・他者」という二つのまったく異なる存在関係へと変化することになる。

こうして、生理的要求の対象がから空間的配列された対象へと変化する。これは生理的空間が場所的空間へと匿名化される過程、つまり、直接的な欲望対象から間接的な視覚の世界を構成するものへの変遷を意味する。この変遷こそ、超自我が欲望の対象への精神エネルギーの直接投資を禁止する過程(一次ナルシズム世界の終焉・快感原則による精神エネルギーの投資形態の変化)によるものであると理解される。

生理的空間感覚は消滅し、つまり生理的要求に一次元的に了解されていた世界、それゆえに対象に対する直接的な投資形態が可能であった世界から脱却し、場所的(視覚的)空間に配列されて登場している生理的要求対象に対して直線的でないアクセスの仕方を理解する。それは、障害物を避けるための方法の生理的理解であり、間接的に近づく方法の取得でもある。つまり、この生理的空間が場所的空間に変化する段階で、後期口唇期が終焉する。一次ナルシシズムによって機能していた自我はすべて抑制されることになり、口唇期の精神現象は消滅する。


参考資料

「精神分析学的説明仮説から推論できる他者性の形成過程に関する哲学的議論(1)」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/1_27.html


訂正
2011年1月27日 誤字訂正
2011年1月29日 誤字訂正






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非自己としての身体性の発見 一次ナルシシズム的世界の亀裂現象

精神分析学的説明仮説から推論できる他者性の形成過程に関する哲学的議論(1)

三石博行


超自我の形成とは、欲望の抑制機能として働くマイナスの精神エネルギーの登場によって生じる。それまでの世界は対象と自己との融合された、言い換えると自己の欲望を満たす「対象」として対象世界が存在している。この精神状態を一次ナルシシズム的世界と呼ぶ。

つまり、超自我の形成によって一次ナルシシズム的世界の終焉が始まることになる。比喩的表現をするなら、この一次ナルシシズム的世界にその一次ナルシシズム的世界以外の新しい世界が登場する。これを一次ナルシシズム世界の亀裂と表現することも出来る。つまり、その亀裂とは、ナルシシズム的自己と非自己(ナルシシズム的自己でない世界)の分裂であると表現することも出来る。この亀裂によって生じる世界存在化過程を、「第一次の非自己化過程」と考えることにする。

例えば、赤ちゃん学の研究から寝返り運動を始めた乳児の腹筋と背筋運動に関する興味深い報告がある。寝返り行動のできない乳児は腹筋や背筋の運動を同時に行い、その二つの筋肉運動を時間的に調整することができない。逆に、寝返りできるようになった乳児は腹筋と背筋運動を調整する能力を得たことになる。(1)

寝返り運動の出来ない状態の乳児にとって、自己の身体は自己調整できない存在で(状態に)ある。つまり、あかちゃんは視覚に入る対象「欲しいもの」に向かって身体を動かすことは出来ない。赤ちゃんの脳は腕や足などへ「欲しい」という生理的要求を満たす生理的身体運動を実現することは出来ない。

この時期(寝返り運動をする前)の乳児は、しきりに自分の足をあげ(腹筋運動をして)、その足を指で握り口に入れる。こうした身体運動から、乳児は口でしゃぶられる足から生理的刺激を受ける。口や手の刺激によって生じるその不明の物体(非自己化されている身体部分・足)から明らかに伝わる生理的刺激を感じる。

つまり、この時期の赤ちゃんには二つの身体が存在している。一つは自己化された身体、つまり、それは口を動かすという生理的要求と口の身体運動の同時性によって成立している。身体運動の生理的指示(生理的要求)、生理的運動するもの(口の筋肉)と生理的に刺激されるもの(口内の感覚)が同時化することで自己の身体性が成立している。

他方、刺激された足は、生理的に刺激されるもの(足の皮膚感覚)のみがある。それらは生理的要求に従って動かすことも、また動くことも出来ない。つまり、足はまだ自己身体として認識されない身体、非自己状態の自己身体であると言える。

比喩的な表現を使うなら、寝返り運動できない乳児にとって「自分である身体・制御可能な筋肉運動をもつ身体」と「自分でない身体・制御不可能な筋肉運動をする身体」が存在しているように思える。つまり、母親からオッパイをもらう「口」(唇や吸う筋肉運動を支配している顔面や喉などの筋肉)などの生理的要求を満たすために動くことが出来る身体的部分と、生理的要求を満たすために動かない身体部分(寝返りを打つための筋肉運動が出来ない腹筋や背筋、足の筋肉等々の身体部分の二つが存在している。

こうした身体部分の亀裂を生み出したものは増幅する生理的要求であった。触りたいもの興味あるものに近づく要求が生まれること、つまり寝返りを打ちたいという要求が生じる。しかし、その要求を満たす身体を赤ちゃんは持っていない。その要求を実現しようとする。そことで、乳児は生理的要求を満たすために動かない身体部分を見つけ出す(比喩的表現を借りるが)ことになる。この生理的要求を満たすための運動をしない身体は、乳児にとって始めに登場した非自己的存在ではないだろうか。つまり、身体の発見が、一次ナルシシズム的な世界の亀裂によって生じる非自己的存在ではないかと想像できる。この身体の発見を「第一次の非自己化過程」と仮定する。

非自己状態の自己身体の以前の状態は、身体性自体が存在しないと比喩的に表現できる。つまり、増幅する生理的要求によって非対象化された自己身体(口)に対峙する形で、非自己化した身体(足)を見つけ出すことになる。これが生理的要求によって生じる身体性(空間)の登場を意味するのである。

寝返りを打てない赤ちゃんの空間と時間は、生理的反応から生じる、例えばその空間感覚は、要求対象と要求する側の関係で生み出される。つまり、その空間感覚は、つかめるかそうでないかの二つの生理的反応結果で示される意味しかない。また、時間感覚は、「要求を満たそうとする」状態から「満たされた状態」の二つの生理的反応の変化によって生まれる。つまり、その時間感覚は、二つの生理的反応の差異を意味する。その時間と空間の感覚は、「第一次の非自己化過程」で登場した身体の生理的反応の一つであるといえる。


参考資料

(1) NHKアインシュタインの眼「赤ちゃんの奇跡」2011年1月23日放映
司会 古田敦也  ゲスト:堀ちえみ、小西行郎(日本赤ちゃん学会理事長) 
番組 「赤ちゃん 運動発達の神秘」
「人間の一生の中で一番成長のスピードが早い「赤ちゃん」。寝返り、ハイハイ、二足歩行と、たった1年の間に、驚異的な進化を成し遂げる。赤ちゃんの運動能力はいかにして発達するのか。その謎にスーパーカメラで迫る。まず注目するのは、赤ちゃんにとっての最初の移動行動の、寝返り。赤ちゃんが生まれて初めて寝返りする決定的瞬間を定点カメラでとらえるとともに、寝返りができる子、できない子の差はいったい何なのか探る。さらに、巨大な頭を持つ赤ちゃんが、なぜ二足歩行できるようになるのか? 定点カメラやハイスピードカメラで、その秘密を解き明かすとともに、最初は両手を上にあげ2歩程しか進めない赤ちゃんが、どのようにして上手に歩けるようになっていくのか、赤ちゃんの二足歩行獲得の秘密を解明する。 」
http://www.nhk.or.jp/einstein/archive/index.html


誤字訂正 2011年2月21日





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2011年1月25日火曜日

教師について

三石博行


教師をしてもう16年が経つ。このごろ、教師という職の意味が少し理解できるようになった。

私に教師とは何かを教えてくれた一人の人間、小田原洋八郎先生、先生は2006年に肝臓がんのために亡くなられた。

その前に、教え子たちが、先生へのメッセージを書こうと、立ち上がり、中心となった山中正人君が、メッセージ集とその朗読をCDに焼いて、先生に渡した。先生は、「これは私の宝だ」と言った。

私は、高校時代、担任だった小田原先生にもっとも反抗した生徒であった。

そして、もっとも理解し合えた人間であった。なぜなら、それは、先生が人間として私に対して真剣に向き合い、ぶつかり合たからだと思う。

教えるためには、対等でなければならない。

教えることは、それは共に学ぶことを理解しておかなければならない。

そう思う。



まだまだ、教えてほしいことがある


二00五年四月六日 三石博行




一年一組、五月
机ごと生徒を外に引きずり出そうと顔を真っ赤にして怒る教師
目を三角にして必死に抵抗する生徒
今なら、少年鑑別所行きの不良生徒
今なら、新聞沙汰になる超熱血教師
一九六四年、昭和の地層に埋もれた二つの化石
真剣ザウルスと呼ばれた絶滅種
「教えることと学ぶことは闘いではないか」
化石の残骸は昭和の粘板岩の中から叫んでいた



ベトナム戦争に傷ついた高校時代
ヒューマニスト運動の限界
帝国主義に反対するしかないのか
そう信じた時に、退学勧告が伝えられた
挫折感に充ちた暗い青春のはじまり
二度と、この正門をくぐるまいと誓って出て行った
しかし、長い海外生活から帰って来たとき教師になっていた
あれほど嫌な教師という職に就いていた



「小田原先生が指高に帰ってきているよ」と馬場君が言う
二人で会いに行く
先生は
入試を目指す生徒を真剣にサポートしていた二十代の姿はなく
落ちこぼれの生徒や問題児に愛情を注ぐ五十代の姿になっていた
私は
研究論文や学会発表に追われる元劣等生
学問の体系を夢見る元番長
三十年という時間が二人の姿をまったく変えてしまったのだろうか
しかし、これは絶滅した真剣ザウルスの進化種ではなかったか



最近はやりの学生からの授業評価
学生の機嫌取り、評判取り
教師もサービス満点を目指すホストになった
「信念がない教育は存在しない」、だから「闘争なのだ」と昭和の化石は叫ぶ
学校で最も評判の悪い教師
学校で最も嫌がられている授業
研究中心主義、教師失格
自分の好きなように生きている人間なのだ



「もう、学校、やめるわ。ニ回生に上がられへんもん」
二色茶髪、お尻半分、おへそ丸出しの学生が、朝やって来た
教務に見捨てられたのだ
「そんなことあるものか、あきらめるな」
熱血教師が履修内容を点検
友達も入って、ワイヤワイヤとカリキュラム作り
「やった、万歳、万歳」
三人が叫んだのは夜の八時をすぎていた
濃いアイシャドーの奥に隠れたあどけない目がうるんだ

教師とはいい仕事ではないか
教師とは楽しい仕事ではないか



四十代、教師であって教師を自覚したことがなかった
教師であることに気付いたとき、五十をすぎていた
「三石は、イチテンポおそいからな」
一年一組、十一月
反抗的な生徒をやさしく見つめる教師が言った

まだまだ、小田原という教師に学ぶことがある
まだまだ、小田原という人間に教えてほしいことがある



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民主主義国家としての日米同盟のあり方を考える

三石博行


民主主義国家間の軍事同盟関係の基本原則とは何か


アメリカのすべての軍事行動に従うことが日米軍事同盟なのか

すでに知られているように1980年代に日米安保条約が軍事的同盟関係に変化した。今日、日米間の強い絆は、この日米同盟によって確立していると言える。この日米同盟に関する議論の中で、非常に気になる意見を聞くことがある。

それは、もしアメリカが軍事的行動に出た場合には、如何なる事情があっても、日本はそれを支援し、そのアメリカの軍事行動に参加しなければならないという意見である。つまり、今回のイラク戦争の場合、アメリカは国連の決議を待たず、戦争を起こした。その場合でも、日本はアメリカの宣戦布告に従い、イラクとの戦争に参加することが、日米軍事同盟を締結した日本側の義務であるという意見である。

現実的には、日本国憲法の第9条があり、日本が日米同盟を結ぼうと積極的に他国への軍事的行動を起こすことは出来ない。その意味で、イラク戦争でも、日本の自衛隊は補給部隊としての役割を担った。

しかし、その現実の日本の軍事行動上の限界的な立場を理由にして、ここで、最初に投げかれられた疑問を無視することは出来ない。つまり、日米同盟がある以上、アメリカのすべての軍事行動に従う必要があるかという疑問に対して答えなければならない。

つまり、日米同盟がさらに重要さを増して行く現実の日本における国際政治の課題として、上記した疑問への回答を得ない限り、日米同盟に関する意見は二分することになる。一つは、アメリカの傘の下でアメリカに追従する国家となること、二つ目は、アメリカの傘からはみ出して、まったく新しい国防の方法を模索すること。

この二つに一つの選択を選ぶようにしているのは、誰であろうか。本当に、その二つに一つしか、日米同盟に関する選択はないのだろうか。つまり、答えは、日米同盟を結ぶことでアメリカの全ての軍事行動に追従することか、それとも日米同盟を破棄することでアメリカの全ての軍事行動に追従しないことの二つに一つを選ぶという結末になる。


イラク戦争に反対したアメリカの軍事同盟国・カナダ

しかし、この二つの一つを選ぶこという政治的判断はあまりにも幼児的に見えるのである。例えば、NATO同盟国内のフランスがアメリカの軍事行動を常に賛成し、全てのアメリカの軍事行動に参加しただろうか。

最もアメリカに地理的に近い国、カナダを例に取ると、二つの民主主義国家間の軍事同盟のあり方が理解できる。カナダは、アメリカとの軍事的同盟、北大西洋機構(NATO)に参加している。第二次世界大戦、朝鮮戦争、湾岸戦争、コソボ紛争やアフガニスタン紛争など多くの軍事行動をアメリカと共にしてきたが、しかし、ベトナム戦争やイラク戦争ではアメリカに反対した。

上記した日本での日米同盟に対する考え方から言うと、アメリカと軍事同盟が成立しているカナダは、アメリカがベトナム戦争をしている場合、当時のカナダ政府がそのアメリカ外交(軍事)路線に反対しているなら、NATOを脱退して、アメリカのベトナム戦争(外交政策)を批判しなければならないことになる。現実は、カナダはNATOを脱退していない。そして、アメリカのベトナム戦争に反対している。


軍事同盟の基本原則・国家防衛戦への参加義務

民主主義国家では、異なる政治的主張を行う政党が政権を交代しながら国家の運営を行う。その場合、二つの異なる民主主義国家では、一方の政府を担う政権の外交政策、取り分け軍事的な行動に及ぶ外交政策を、他方の国家の政権を担う政権が基本的に反対して国民から選ばれている場合、この二つの国家は、異なる外交路を選択することになる。

その場合、二国間の軍事同盟において双方が絶対的に守らなければならない条件は、一方の国が他の同盟以外の他国から侵略を受けた場合である。その場合には、同盟国内では無条件に軍事的協力関係が成立することになる。つまり、同盟国が、外敵から国家防衛戦を行うことになった場合のその防衛戦に参加する義務がある。

しかし、カナダの例のように、ベトナム戦争やイラク戦争のように、アメリカが他国へ攻撃を行う場合、アメリカの軍事・外交上の判断に対して、カナダの政権は反対している場合には、カナダはアメリカの軍事作戦を支持し、作戦に参加することはない。これが、二つの民主国家における軍事同盟の原則である。

つまり、アメリカが今後、再びベトナム戦争やイラク戦争と同じように、国連の決議を無視し、他国への軍事行動を行う場合、日本政府はそれに反対することが出来るし、その軍事行動に参加する必要はない。しかし、もし、アメリカが他国の侵略を受けた場合には、絶対的に参加しなければならない。アメリカとアメリカ国民を共に守るために両国の軍事的同盟が成立しているからである。


民主主義国家間の軍事同盟の原則

国民主権の国、民主主義国家では、政権が国民によって選択される。政権交代によって、以前と異なる外交路線を政府が取ることは当然起こる。その場合に、国際間の協定を変更することは出来ない。異なる政権も、日本が提携した国際間の協定に関しては尊守しなければならない。そこで、民主主義国家では、同じ民主主義の同盟国と例えば軍事的同盟を結ぶときに、相互の国家の原則である民主主義、つまり国民主権を侵害する国家間協定を取り結ぶことは、それぞれの国の憲法にその協定が違反することを意味する。

民主主義国家間の軍事同盟、例えば北大西洋条約機構(NATO)や日米安保条約にしても、条約に参加する国家の政治体制は、自由主義国家とよばれる資本主義経済体制と国民主権・民主主義国家であることが前提になった政治的連合である。政治的理念を前面に出すなら、その国家の基本理念を維持するために、つまり、民主主義国家体制を守るために軍事的同盟が形成されていることになる。

それらの軍事同盟は、国民主権の民主主義国家の基本理念を防衛するためにあるなら、その理念を犠牲にすることを軍事同盟が求めることが、軍事同盟の成立に基本的に矛盾することになる。

逆に言うと、こうした国際条約や同盟関係に関する民主主義国家の基本的姿勢が議論にされることが不思議なことだと、民主主義国家のグループの常識からすれば、考えられないだろうか。

つまり、この議論の中で理解しなければならないことは、我々が日米同盟を考える場合、日本の立場がアメリカの全ての軍事行動に追従する同盟国になるか、それともアメリカの全ての軍事行動に追従しない非同盟国になるか、二つに一つを選ぶことを議論していることの政治思想的幼稚さを物語っている。そのことが、実は、あらゆる面での日本の外交の未熟さと関連しているのではないだろうか。


2011年1月26日、文書変更






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2011年1月24日月曜日

フロイト精神分析学の説明仮説の拡張可能性

三石博行


フロイト精神分析学の説明仮説の拡張条件、無意識概念と臨床行為


フロイト理論の援用に関する権利問題

前節(1)で、フロイトによる臨床行為の中で確立したメタ心理学の説明仮説を援用する場合、フロイトの時代と社会文化的背景がそのフロイトの解釈モデルに内在していることが前提となっていることを理解しておかなければならないことについて述べた。

つまり、フロイトの精神分析理論と呼ばれる個別科学的説明仮説(アブダクション)の成立条件は、フロイトがその理論を導き出した作業である臨床行為、その行為の時代、社会文化的背景が前提となっている。

言い換えると、その理論の科学的有効性は、その理論が形成されている条件内に限定されているということになる。すると、現代のフロイト派の多くの理論がその有効性を疑われ、その存立条件を失うことになる。つまり、フロイト精神分析学の理論は、臨床精神分析行為に限定され、それ以外のその理論の援用権利が認められるかどうかを検討する必要が生じているといえるのである。


臨床精神分析理論から社会精神分析理論への拡張の可能性について

例えば、1980年代フロイト理論を援用し、現代の日本社会文化を分析した岸田秀氏は、日本の近代化過程での伝統文化と外来文化(特にアメリカの影響)から生じる文化的分裂や江戸末期に列強と取り結んだ不平等条約や開国への社会文化的ショック経験を反復した朝鮮王朝への開国要求や侵略を社会経済的視点でなく社会精神構造的視点から説明した。(2)

岸田秀氏の独自の社会精神分析の理論の数々は、1980年代以後現代に至るまで日本社会で大きな反響を呼び、精神分析の流行を作ったといえる。

後期フロイトの理論、例えば1913年に書かれた「トーテムとタブー」(フロイト)に代表されるフロイトの研究を例に取れば、文化構造と自我との類似性を前提にして、それまでのフロイトの精神分析の理論が展開されている。(3)つまり、フロイトは、文化的産物としての自我の構造を前提にしながら、臨床精神学で提案した説明仮説を社会精神分析に適用している。その意味で、岸田秀氏の展開はフロイトの理論範疇に入ると仮定できる。

岸田秀氏は、欧米帝国主義列強の植民地化を防ぐために当時の日本と日本人が取った政治経済的判断、その政治的判断の犠牲となる伝統的文化(生活文化)によって生じる社会文化的病理現象、つまり、明治維新から終戦までの日本の社会史、それを生み出す同時代人の社会観念形態の分析を、フロイト理論を援用しながら行った。これらの社会分析は多くの反響や共感を得たことはすでに述べた通りである。つまり、日本人論を語る道具として岸田秀氏の「社会精神分析」を1980年代の日本人たちは採用したのである。

岸田秀氏の社会精神分析から導かれる近代日本社会の社会精神構造分析から、日本は天皇制を活用し、またロシアや中国は社会主義を活用して、近代化過程をいそいだという理解が成り立つ。列強との熾烈な競争を前提にして進む近代化・資本主義化過程は、ヨーロッパとは異なる様相を示す。つまり、伝統的な経済学や政治学を基礎とする社会経済発展史観では、後発型資本主義の近代化過程の特殊性を説明する理論はない。その意味で、社会精神分析の手法は周辺資本主義国家の近代化過程を理解する理論を提供したといえる(4)。

以上の議論から、岸田秀氏の社会精神分析学的方法によって、フロイトの理論から新しい近代日本社会の分析の視点が確立したと言える。つまり、この社会分析の新しい解釈を与えたフロイト理論に関して謂うなら、フロイトの臨床精神分析で確立したメタ心理学理論(解釈モデル)が、社会精神分析に有効に活用される事実である。個人的自我に関する説明仮説が社会文化の精神構造分析にまで拡張可能性となる意味について考えることが、他方、精神分析学に関する科学哲学の課題となるのである。

つまり、精神分析学の説明仮説で用いられる自我の構造に関するモデルは、社会精神構造に関する理解のモデルに拡張可能であるとすれば、精神分析の説明仮説(アブダクション)は、その個人的な深層心理構造のメタ理論であると同時に社会観念形態のメタ理論となることを意味するのである。つまり、精神分析の理論は、その二つの世界、個人と集団の意識構造を理解する有効な仮説であると言えるのか、もしくは、個人の精神構造と社会の文化構造に類似性があると言えるのだろうかという疑問にたどり着くのである。

この個人の意識と社会の意識構造は共に精神分析学のモデルによって認識解釈可能であると言えるなら、社会的意識とは個人の意識の集合形態(集合表象)であり、社会的意識の土台として個人の意識の集合体を考え、社会観念の基盤として個人的自我の意識形態を単純に考えることが可能だといえるのか。つまり、個人的意識の統計的な平均値が社会的意識であるといえるのかという疑問が生まれるのである。

これまで日本では、今和次郎氏の「生活病理学」に見られるように、近代化過程における人々の精神文化、生活文化の変化を語る研究は成されたが、前近代化の生活環境が「生活病理」の原因であるという前提、つまり近代化を進めることによって生活改善が進み・生活病が無くなると考えていた。(5)しかし、岸田秀氏は、逆に、日本の近代化過程が生み出す新しい社会病理を示したことになる。その究極の姿が第二次世界大戦へつく進む日本の非合理性であった。

確かに社会の近代化は古い封建的社会が継承する伝統・非合理的慣わしを排除し、近代的な豊かな生活を持ち込む。生活学の視点からすれば生活文化の近代化によって多くの女性が古い家の伝統から開放され、豊かな生活を手に入れることが出来ると近代化を評価するのは当然である。しかしながら、伝統文化の崩壊によって、地域社会の共同体や伝統的家族制度は崩壊し、新しい社会病理が形成されることになる。その課題を語る人間社会学として社会精神分析が用いられる。

特に、中心ヨーロッパ諸国(フランスとイギリス)の近代化過程と異なるが政治経済の発展の姿を示す周辺国家(ロシアや日本)の近代化過程に関する分析として、社会学や経済学だけでは、ロシア革命や明治維新の歴史的意味を説明することは不可能である。そこで、社会文化人類学の方法、代表的な理論として梅棹忠夫氏による「文明の生態史観」と、岸田秀氏の社会精神分析学が用いられる。

しかし、こうした理論が形成された背景を超えて拡張可能を許す根拠が問題となる。つまり、臨床精神分析で成立発展したフロイトの理論が、近代日本社会文化の領域の病理的課題にまで拡張しえるという理論的論拠、言い換えると精神分析的説明仮説(アブダクション)が社会文化の分析的説明仮説(アブダクション)に応用転用される根拠とは何かが、精神分析学の科学性を理解するための科学哲学的課題となる。

 
フロイトの無意識の概念が導く20世紀の人間社会科学の理論へ分岐と展開

フロイトの理論は20世紀の文化人類学、言語学、人間学、社会学や哲学に影響を与える。その影響の共通項は、無意識という概念の導入を認めることに掛かっていた。近代合理主義や科学主義の影響を受けた18世紀以後の近代人間社会科学の研究対象としての人間や社会とは、意識化された世界であった。無意識という証明不明の概念を前提にすることは、科学的方法論上許されなかったのである。

近代合理主義や科学主義や啓蒙主義、その影響を受けたカント哲学も意識主義の哲学の流れの上に成立している。その哲学的な基本課題はゴギトの解釈にあった。フロイトと同時代にヤスパース実存主義(精神病理学)やフッサール現象学やソシュール言語学(構造主義)が登場するのであるが、これらの哲学や人間学の流れを受けて、現代哲学は形成される。

つまり、20世紀になって哲学は近代思想を構築してきた近代合理主義、その落とし子である科学主義と物理主義への反論の材料を求めていた。フロイトの理論は、社会学を展開した機能主義、言語学や記号学を展開した構造主義と同様に、新しい説明仮説を人間学に持ち込むと思われた。

つまり、精神分析の説明仮説が援用される背景には、明らかに近代合理主義、啓蒙主義、科学主義、カント哲学と脈々と西洋思想と科学に流れている意識主義から人間社会科学の理論の脱却が可能かという課題があった。その糸口として、フロイト精神分析学、ソシュール言語学やデルケイムの機能主義社会学があったと言えるだろう。そして、この議論は、現象学、解釈学、ポスト構造主義や吉田民人の自己組織性の情報科学・設計科学などに展開していると言える。

 
フロイト理論の拡張に関する権利問題 臨床行為を目的にした人間社会科学の理論

さらに、フロイト精神分析の説明仮説が「無意識」の概念の導入以外に、さらに人間社会科学の活用される根拠について述べる必要がある。つまり、フロイトの精神分析が臨床の知であることにその理由が隠されている。

つまり、精神分析は臨床行為の道具として有効性を発揮する限り、その理論的有効性を支持できるため、理論の論理実証性を証明することよりも、その理論が臨床的効果を持つか、実践的な説明仮説であることが条件となる。

臨床精神分析家フロイト理論の拡張に関する権利問題として、
1、 その理論が人間の精神病理に関連する領域であることが前提となる。つまり、社会精神分析も社会精神病理現象を解釈し、その文化的環境に規定された個人の自我構造である以上、社会精神病理的原因の解明は、そのまま個人の自我の精神病理的問題の解明に繋がる。
2、 哲学の理論がこころや精神、社会や人間の病理に関するメタレベルの臨床学を目的とする以上、フロイトの理論の援用は可能になる。



参考資料

(1)「フロイト精神分析の解釈学的科学性の成立条件について」
   http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post_24.html

(2)岸田秀 『ものぐさ精神分析』 中公文庫 1982年10月  岸田秀

(3)E.フロイト 『フロイト全集(12)1912-1913 トーテムとタブー』 須藤訓任 門脇健翻訳 岩波文庫 

(4)三石博行 「中国の近代化・民主化過程を理解しよう」
   http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_1850.html

(5) 今和次郎 「生活病理学」 『生活学』今和次郎集 第五巻 ドメス出版 1971年9月、pp.399-478 






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米中関係の進展は東アジアの平和に役立つ

三石博行


1月19日、中国の中国の胡錦濤主席が訪米し、米中会談が行われた。アメリカは中国の胡錦濤主席を盛大に歓迎し、また胡錦濤主席もアメリカとの友好関係を緊密にするための外交を展開した。

こうした米中関係の緊密化の動きは、大きな視点に立てば、東アジアの平和、そして東アジア共同体への動きにプラスである。日本が中国との軍事的緊張関係を抱えようとした昨年の事態を思い起こせば、中国がアメリカと友好関係を強化することが、間接的にしろ、その解決の糸口を得たと理解すべきである。

勿論、日本独自の外交力がそこから試されていると謂える。つまり、東アジアの平和的共存関係をアメリカと共に模索しながらも、アメリカ独自の利害を優先させないように、自らの立場を明確に打ち出すことである。

現在は、二国間関係、つまり米中、米韓、韓中相互の関係の強化から生み出される経済関係の相互強化が進むことになる。しかし、今後は、これらの関係が、米を含めた東アジア共同体の形成に向けた一歩に展開する力となることは疑えない。その意味で、長期的視点に立ち、米中関係の進展を理解しなければならない。

また、東アジア共同体を構想する考え方に混入する過去の亡霊に注意しなければならない。それは、アジア国粋主義である。つまり、東アジア共栄圏に関する国際政治思想は、決して、過去の東洋主義や汎アジア主義であってはならない。

そのためにも、アメリカとの友好な関係を前提にする現実的な視点が必要だと思う。


参考資料

1、「東アジア共同体構想の展開を進める日韓関係の強化」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post_12.html

2、「中国との経済的協力関係の展開と中国への軍事的脅威への対応の二重路線外交を進めよ」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post.html

3、「経済的発展か軍事的衝突か 問われる東アジアの政治的方向性」
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_13.html


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2、日中関係

2-1、「日中友好に未来あり」)
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post.html

2-2、中国の人権問題で思うこと  
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_03.html

2-3、経済的発展か軍事的衝突か 問われる東アジアの政治的方向性  
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_13.html

2-4、中国の近代化・民主化過程を理解しよう
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_1850.html

2-5、中国との経済的協力関係の展開と中国への軍事的脅威への対応の二重路線外交を進めよ 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post.html

2-6、米中関係の進展は東アジアの平和に役立つ   
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post_5428.html

2-7、中国共産党による中国の民主化過程の可能性 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_3865.html

ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」から

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フロイト精神分析の解釈学的科学性の成立条件について

三石博行


個別科学的説明仮説(アブダクション)の理解、フロイト精神分析の科学性


神経生理学的モデルからメタ心理学的モデル(説明的仮説)の形成過程

脳神経生理学者であったフロイトはパリに留学しヒステリーの研究の権威ジャン=マルタン・シャルコーのもとで催眠によるヒステリー症状の治療法を学んだ。その後、フロイトは一般開業医としてヒステリーの治療を実践する。「治療を重ねるうちに、治療技法にさまざまな改良を加え、最終的にたどりついたのが自由連想法であった。」(Wikipedia)この自由連想法によって、患者は過去の精神的病因を思い出す、つまり病因を意識化することによって病気を治癒する治療する方法、精神分析医療がフロイトによって確立した。

ヒステリーの精神病理学的研究の科学方法論について考えるなら、この自由連想法を支えた理論的土台は神経生理学である。ヒステリーは脳内の生理的エネルギー量の増大による脳内のエネルギー状態の不安定性によるものであると言う解釈が成されていた。つまり、脳内の不安定なエネルギー状態を定常活動状態に移行することが、当然、考えられた治療法であったといえる。その治療法として催眠法や自由連想法が用いられていた。

生理学者フロイトが援用した科学的理論は、神経生理学の理論、つまりその基礎は熱力学である。熱力学では、系の内部エネルギー状態に関する理論、系が外部から熱を受け取ることでエンタルピーが上昇し、逆に外部に熱を出すことでエンタルピーが減少するというエンタルピーの概念がある。つまり、系(脳)は内部エネルギーを発散さすことで脳の内部エネルギー量は減少する。心的外傷状態、つまり脳のストレス状態(高エネルギー状態)を催眠療法や自由連想法によって発散・解消することで、ヒステリーの治療が可能になると考えた。
 
この精神分析を用いた精神療法の理論も、ヘルムホルツの理論や神経生理学の理論を背景にしていたとしても、脳を熱力学的系と仮定した精神療法の理論である以上、つまり脳のエネルギー量を測定し、催眠による脳内エネルギーの減少と科学的(生理学的)に実証していない限り、一種の比喩的推論(アブダクション)であると言える。

フロイトは、その後 「夢分析」を行う。ヒステリー研究で用いた説明仮説で、夢という精神機能は脳の過剰なエネルギーを発散している現象であると解釈説明することができた。しかし、この精神エネルギー論では、夢の表象分析を行うことは出来なかった。

フロイトは夢表象の分析や解釈を考え出す。その解釈モデル(説明仮説)が、メタ心理学と呼ばれる諸理論ある。例えば、自我の構造(空間論と呼ばれる超自我、自我、エスの三つの異なる機能を持つ自我)と精神機能論)、その構造によって形成される三つの心的構造(無意識、前意識、無意識)、自我の発生論的解釈(性精神分析学による三つの性的対象の発達段階・口唇期、肛門期と生殖期)、精神経済理論(快感原則と現実則)等々。こうして、フロイト精神分析学の理論が形成した。


科学主義者フロイトと解釈学者フロイトの二側面・フロイト主義

神経生理学者フロイトからメタ心理学理論創設者フロイトの理論的飛躍を、実証科学的モデルから解釈学的モデルへの移行として理解するが出来ないだろうか。その場合、臨床医としてのフロイトが医学的に根拠としたかたのは、明らかに物理科学を土台とする神経生理学であった。

フロイトを理解するために理解しておきたいことがある。つまり、それは初期フロイトが精神医学理論モデルであった「科学的心理学」の原稿が未刊のまま、しかも破棄されることなく残されていたことである。そのことから、フロイトは解釈学的心理療法を提案しながらも、他方で、科学的表現の理想モデルとして、物理科学的説明によって可能になる精神医学の理論の追求の可能性を信じていたのではなかったかという筆者の解釈である。

つまり、解釈学的深層心理学の創設者フロイトは、他方でカーテェジアン(近代合理主義者)として、深層心理現象・精神構造が物理科学的モデルによって説明出来ると信じていたかったのではないだろうか。それは、構造主義・解釈学者「フロイトの科学主義者であらんとする夢」のように思えるのである。このフロイトの科学思想と臨床実践理論の二つの分裂は、20世紀初頭という物理主義が科学と哲学を席巻していた時代、その共同主観的世界(時代精神)前提にしなければ理解できないないだろうか。


臨床の知、精神分析の形成過程

フロイトは開業医として、午前中患者の治療に専念し、午後から臨床データを使った理論作業を行った。つまり、臨床医として、フロイトは実証科学的者姿勢で精神病理現象(個別具体的患者の疾患)を分析し、有効な精神分析の方法を探究していたと言える。

その結果が、彼が辿り着いた治療手段(精神分析の)である解釈学的心理学モデル(メタ心理学理論)であった。それらのモデルは、フロイト自身、臨床の場で検証し、その有効性を確認し続けたものであると言える。

ここで大切なことは、現場(フロイトのクリニック)での臨床医(フロイト)が具体的(その時代とその社会で)に扱った患者(具体的個人)の精神疾患への治療行為がフロイトの理論形成の前提となっているということである。

その臨床課題以外に、フロイトは メタ心理学的解釈の必要性を感じたわけではない。つまり、彼にとってメタ心理学理論(説明仮説)は自分のクリニックに来院してきた具体的個人の精神疾患への有効な治療行為として提案されたものであった。これが、フロイトの精神分析を理解するためにまず踏まえなければならない原点である。


解釈学的なフロイト理論の了解の彼方へ

治療行為の道具としての「メタ心理学理論」の有効性は、フロイトが生きていたヨーロッパの社会とその時代に規定されることは言うまでもない。つまり、フロイトが医療の対象としていた患者の精神構造や深層心理が、フロイトと同時代の人々の精神疾患とよばれる時代や社会の産物であることは疑えない。

フロイトのメタ心理学的解釈モデルがその同時代性や時代的精神構造に規定されているとするなら、解釈学者フロイトの理論を社会文化や歴史的要素を前提に理解する必要がある。つまり、フロイトの理論をフロイト的に解釈する必要が、フロイト研究者に問われる課題となる。それが解釈学者フロイトの科学的理解の第一歩である。

精神分析の科学性とは、その治療に必要な技術や道具とその治療の対象(精神疾患)が、ある時代性や社会文化性に規定された行為主体と行為対象とよばれる関係で成立していることをその解釈理論の前提にしていることである。つまり、解釈可能性を、時代性や文化性を入れた生活空間に限定していることである。その意味で、精神分析は、時代や社会文化によって変化し続けるといえる。

その意味で、現代のフロイト主義者が、フロイトのメタ心理学のドグマに犯されないことを、フロイトは願っているともいえる。それは、若きフロイトが夢見た実証主義的・科学主義的精神分析学(科学的心理学)を未刊のまま墓場まで持ち去って行ったように、フロイト主義の我々もメタ心理学のモデルを現代の時代性と文化社会性に汎用できるモデルの仮説の有効性を問い続けながら、そのモデルを同時代の臨床事例に有効な解釈理論として展開することが求められている。

つまり、フロイトのメタ心理学のドグマ的理解から開放されなければならないのである。その理由は、ただ単に、それが現実的であるかどうかと言う問いかけによるものである。その問いかけに耐えうるメタ心理学仮説の展開力を、精神分析学の科学性の維持と考えることが出来る。臨床の知としての有効性をメタ心理学仮説の成立条件の第一義に置くことで、我々はフロイト主義を堅持することが可能になる。


参考資料

Hiroyuki Mitsuishi  DECONSTRUCTION ET RECONSTRUCTION DE LA METAPSYCHOLOGIE FREUDIENNE - ESSAI D'EPISTEMOLOGIE SYSTEMIQUE - 邦訳 フロイトメタ心理学の解体と再構築-システム認識論の試み- Atelier national de reproduction des these France、584p 1993年10月 単著

http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_05_02.html

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2011年1月20日木曜日

フロイト精神分析学の説明仮説(アブダクション)の有効性の点検で求められる科学哲学への課題

三石博行



精神分析学の説明的仮説(アブダクション)への批判と反批判 -現代科学哲学に問われている課題- 


精神分析の有効性さに対する不信・治療に有効なのは薬である

フロイト精神分析学の理論への批判の多くはその理論が用いるモデル、たとえば自我の構造や性精神分析モデル等、謂わば、精神分析学の理論仮説(アブダクション)に関するものから生じている。それらの意義申し立ての発祥地は、伝統的な神経生理学の科学方法論で精神医学の理論を前提にして、臨床行為を行う専門家達である。つまり、神経生理学を土台にしながら精神医学を形成してきた学問的流れを前提にしている以上、フロイトの物理科学(物理学や化学)的説明のつかないモデルに対して同意できないのである。

特に、現在、脳科学に代表される脳神経生理学の伝統的な研究方法、それが正統派精神医学の流れである以上、精神分析学は大学医学部病院で行われる研究や臨床行為ではなく、日本では街の「精神分析家」によって、秘かに行われている似非医療行為に類似される。丁度、大学病院の整形外科の専門家達が、巷で流行るカイロプラクティスや整体に関して持つその科学的説明への不信、医学の一分野として認めることのできない気持ちと類似している。

しかし、カイロプラクティスや整体によって実際、腰痛等の痛みが消え、治療効果が報告されている以上、それらの治療をまったく認めないと言うのはおかしな話である。また、精神分析によって治癒する患者がいる以上、精神分析学を有効でないとは言えない。

つまり、精神分析への批判の多くは、医学とその臨床学の土台にある伝統的な自然科学的方法と精神分析が用いる説明仮説が同じ科学的パラダイム内に共存しえないことに起因している。その具体的例は、精神分析が言語分析を臨床行為の基本に置くことである。一般に精神科では薬理療法が行われる。そして、精神分析を行う精神科医ですら抗うつ剤を使用する以上、精神分析療法だけで患者を治癒することができないと自ら証明しているというのがその理由となる。


精神分析学の専門家集団の形成

日本では1955年から日本精神分析学会が発足し、現在、900名近くの医師と1600名近くの臨床心理士など専門家2600名近くの会員を持つ組織として活動している。また、日本精神分析学会は精神分析療法の専門家の認定制度をもっている。

この学会が発行する認定資格は、医者であれば日本精神分析学会認定精神療法医として、また臨床心理士であれば日本分析学会認定心理療法士となる。例えば、日本分析学会認定心理療法士になるためには、以下の6つの条件を満たさなければならない。

「 (1)臨床心理士を取ってから5年の経験
(2)個人スーパーヴィジョンを2名のスーパーヴァイザーから、3症例をそれぞれ週1回1年以上、合計150回以上受けなければならない。
(3)分析学会で口頭発表2回以上
(4)精神分析研究に論文1本以上
(5)学会が認定する事例研究会に3年以上所属し、3回の発表を経験
(6)学会が認定する系統講義に100時間以上参加する。」(1)

学会が認定する精神分析の専門資格を得るためには大変な努力が必要であることが理解できる。つまり、誰でも精神分析学を学べば専門家として認定される分けではない。しかし、この困難な専門資格認定が設定されていても、精神分析学が精神病理を改善治癒し、多くの効果を挙げているということとは別である。


特殊専門家集団による専門知識の蓄積過程(経験科学としての精神分析学)

しかし、日本精神分析学会では「精神分析研究」を1955年から発行し、臨床研究の報告や理論的な研究を行い続けてきた。例えば、2010年には54巻1号から4号まで年間4回発行を続けてきた。例えば、2007年 51巻2号(Vol.51 No2 2007.4)の「精神分析研究」では「精神療法と自殺」が特集され、海外や国内の面談臨床による症例報告がされている。(2)また、この研究誌には毎号、研修症例が報告されている。「面談」を中心とする治療に関する臨床データが報告されている。

つまり、仮にフロイトが精神病理の臨床行為を通じて、説明的仮説(アブダクション)として提案したメタ心理学理論があったとしても、現実のフロイト派を自称する臨床医や臨床心理士の研究活動は、その理論を活用したにしろそうでないにしろ、その原則は、実際の治療対象者への具体的治療行為であり、その研究報告は症例報告に限定されている。その限り、精神分析研究に記載された研究は「経験科学」に基づく研究成果の報告であると理解される。

言い換えれば、中国医学の鍼灸の場合も、その理論、例えば漢方医学の経絡や陰陽の考え方(理論)を日本の大半の大学医学部の例えば生理学教室の研究者は認めることはできないだろう。しかし、だからと言って、漢方医学や鍼灸治療の効果を否定することはできないだろう。漢方医学の理論もアブダクションの一種である。経験科学にとって説明項は、現実に有効な技術や技法の助けとなればよいのである。つまり、説明的仮説の意味は、それ以上のものでもなければ、それ以下のものでもない。

西洋科学の論理、現在は物理や化学的記号や法則による説明とまったく異なる説明的仮説で成り立つが有効な技術、その技術を支える独自の論理体系、ここで鍼灸治療と中国医学や精神分析と精神分析学がその具体的例であるが、それらの説明仮説(アブダクション)によって構成されている科学技術は、経験科学の特殊ケースであると理解できる。

これらの経験科学技術は、その技術に対するニーズが社会に存在している限り、その科学の有効性を否定することはできない。つまり、他の如何なる科学的理論体系からも説明不可能であったとしても、問題解決力をもつ実学性を維持している限り、これらの特殊経験科学の独自の説明的仮説は否定できないのである。

現代の科学哲学や科学認識論の課題として、物理主義的科学論以外の特殊経験科学の科学性に関する研究が求められていると謂える。


参考資料

(1) 日本精神分析学会
http://www.seishinbunseki.jp/authorization.html

(2) 特集 精神療法と自殺 『精神分析研究』 日本世親分析学会 第51巻 第2号 (2007)pp. 1-77

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2011年1月18日火曜日

日記的記述法(ブログ)から物語的記述法(ホームページ)へ

三石博行

編集作業としてのホームページ

ブログでの文章作成の作業では思惟の通時的経過を理解することが出来る。しかし、ブログで書き続けたとしても、思惟に方向を与えることは出来ない。つまり、それらの文章は、日記の延長に過ぎない。それらの文章に構造を与えるためには、時間軸に配列された文書集合を課題別に配列しなおし、しかも、その配列過程で気づく論理的不備を訂正する作業が求められる。

体系的に思惟をまとめるために文章集合を課題別に配列する作業を進めるには、もはやブログ形式での文章化作業では不可能となる。そこで、一次元の文書配列をもうひとつ次元数を増やす作業に変更する必要がある。

ホームページ作成に措いては、通時的に文書を書き続ける作業ではなく、課題別に文章群を集め、それを課題展開の物語性に即して配列整理する作業、いわゆる編集作業を行うことが要求されるのである。その意味で、この作業はホームページ作成で行う課題ページのサイドマップ化作業と類似している。

文書を体系化するにはサイドマップ化(関連性)と文書群の論理的関係が問われる。つまり、文書集合が、論理的流れと課題的関連の二つの軸に配列されること、つまり二次元に配列されることで、文章集合に含まれていた文書は構造化されるのである。ここで謂う構造化とは「物語り性を得る」ことを意味する。文書群が物語性を獲得するためには、文書群間の論理整合性と、そこで出来上がった文書群の部分集合間に課題関連性が必要である。

しかし、それらの論理性と関係性が主観的である限り、物語は私を超えて他者へ広がることはできない。そのために、その論理性(用いている解釈モデル・アブダクション)が、先行研究を踏まえてその有効性が検証されているか、言い換えると文献学批判がなされているか、また、やその展開課題が同時代の社会文化的問題意識にリンクしコミットしようとしているか、つまり、「物語る主体の問題提起」が社会的必要性を前提にしているかが問われる。

もともと、書く行為は、明らかに存在している他者(社会的存在者達)と問題を共有することを前提に始まっている。その意味でブログやホームページは、書く行為の条件を満たすものであるために、多くの人々が書くという行為を目的にして、ブログやホームページを作るのである。書く行為に含まれた共感するという贈り物(贈与)への期待によって、インターネット文化は形成される。その意味で、インターネット文化もこれまでの社会的コミュニケーションの枠内から出ていることはないのである。

編集作業は、社会的コミュニケーションを得ようとするための技能である。ブログやホームページは、そのための現代的な道具であるといえる。


日常性と思想性の相補性を求めて
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/index.html

2011年1月19日 文書変更


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フロイト精神分析学の科学性の検証、アブダクションの批判的点検

三石博行


精神分析学のモデル批判 科学認識論の課題


文学的表現とは何か メタアブダクション

哲学的文書、特にポスト構造と呼ばれる人々の文書は、隠喩的な表現が絶大な市民権を得ている。そのため、検証されていない人間学モデルを前提にした文章の展開がなされる。こうした隠喩的表現の有効性を問題にしなければ、人間学を科学として認めることは出来ないだろう。計量的表現が科学的記述の条件となろうとしている時に、隠喩的表現が市民権をもつ世界は文学に限定されることになる。

文学である以上、科学的な解釈ではなく、表現された世界が持つ説得力が問題となる。しかし、その説得力とは極めて主観的な世界を前提にしなければならない以上、文学的表現に対する有効性を一般化することは不可能となる。

しかし、これらの人間学的理論は、まったく異なる仮説を前提にした科学的立場からは、成立しないし、理論的根拠すら疑問視され、その根拠をすべて失うことになる。つまり、人間学を構成する論理や学問的モデルは、多くの場合、演繹や帰納的に展開検証されるものや数量的アプローチ(統計的な手法による検証作業)ではなく、隠喩的モデルを仮定し、そのモデルでの解釈有効性が成立する限り、人間学的説明の有効性が成り立つ。

つまり、人間学的モデル(理論)の成立過程では、それを根拠付ける一般法則もなければ、また計量化しえるデータもない。そこには直感とよばれる人間学研究者の隠喩、換喩や提喩(ていゆ)作業があるのみだ。この直感的な何かに例えるというメタモデル作成作業が人間学理論の論理、アブダクションを導くことになる。つまり、この作業をここでは便宜的にメタアブダクションと呼称する。ちなみに、このメタアブダクションは文学的表現作業でつねに行われているといえる。


人間学の論証と論理 アブダクション

つまり、隠喩的モデルは、説明事項を質的にアプローチしながら、その事実間の関係を解釈する。解釈可能である限り、そのモデルの有効性は検証されていると了解される。多くの人間学の解釈モデルの場合、そのモデルによる語りの事実性、解釈学的説明の有効性が問題にされるのである。つまり、そのモデルと解釈項との関係は、ある意味でトトロジーを構成することになる。

観測されたデータから帰納的に理論が形成されたのでなく、また一般的な法則性から演繹的に関係式が導かれ、その式にようって現象が説明された訳でもない。ある意味で、現象(事実)を物語るための解釈理論を考え出し、その解釈理論で新しい事実をさらに解釈し、その解釈が有効であるなら、解釈理論を維持し続ける。

この理論が維持し続けられる限りモデルの反証は不可能である。その限りにおいて理論の有効性は持続すると考える。言い換えると、解釈モデルによってある事実が説明可能な状態にある場合、その解釈モデルを導き出した仮説的推論は有効であると考える。こうした理論の有効性を検証する論理をアブダクションと呼んでいる。


フロイト精神分析学の科学性の成立 アブダクションとその検証作業

例えば、臨床心理学や精神分析学は隠喩的表現が使われるのであるが、それらは患者の治療に有効であることが条件となる。つまり、それらの隠喩的表現、非計量的モデル、質的アプローチが現場の語りを通じて行われる治療で有効に働くことが、そのモデルの有効性を確認する手段となる。一言で言うなら効くか効かないかという実際の効果によって、そのモデルの実学的な検証がなされる。

具体的に説明するなら、フロイトの三つの意識形態 (意識、前意識、無意識)を説明するための自我の構造モデル(超自我、自我、エス)、とその形成に関する性精神分析理論、性的対象の三つの段階(口唇期、肛門期と生殖期の発展段階)と、口唇期から肛門期への段階 エディプ期 肛門期の攻撃性(サティズムの起源)等々。フロイト精神分析学の場合には、フロイト理論はフロイト本人をはじめ、多くの精神分析家たちが、理論を臨床活動の中で点検検証する作業をしている。

もし、フロイトの性精神分析理論が臨床現場で有効でなければ、フロイトの理論は破棄されることになる。その意味で、人間学での理論はその理論による解釈や技術の有効さによって検証され続けられる。臨床現場で有効な治療効果を生み出す限り、その理論は活用される。理論の活用期間中は、その解釈モデル(理論)を精神分析学史や人間学史の一ページに仕舞い込むことはないだろう。


 アブダクションの有効性の検証作業としての科学哲学の課題

もし、臨床現場や問題解決の要求に対して、答える義務を持たない理論や解釈が存在するなら、その解釈は思弁的であると癒えるだろう。つまり、人間学において、アブダクションの有効性を問わないことが生じる。それらの人間学の技術性や実学性が否定され、教養として人間学が語られ、知識人のアクセサリーとなった哲学や文学が蔓延するとき、人間学的知識は、文章表現方法として存在可能となる。

多くの哲学的知識が教養化され、それらは知ることが生きることや変わることに無関係な情報となる。この状態を知識の思弁化と呼ぶ。人間社会科学の理論が有効性を失っても、存続できるのはそれらの知の思弁性によるものである。

固定したモデル、ドグマ化したアブダクションを批判的に点検する作業が必要となる。言い換えるとアブダクションによって形成された理論の根拠は、その解釈の有効性にのみあるために、その有効性が失われ思弁化する人間学の科学性を恒常的に点検し続けなければならないのである。 

ある意味で、人間学の理論の思弁化は自然発生的に生み出される。例えば、フロイトの性精神分析学が、どの犯罪者の犯罪深層心理の説明に活用され、その定説が無条件に採用されだしたときに、フロイト精神分析学の危機が同時に進行していることを、彼ら(フロイト学者)は知る由もない。

この事態に対して、哲学がこうした人間学の理論のドグマ化、有効性を失ったモデルへの点検や破棄、つまり科学的説明の思弁性を暴露する役割をもたなければならないだろう。それが、科学哲学や科学認識論の役割なのである。つまり、科学哲学や科学認識論は、人間学の理論(アブダクションによって成立する理論)の思弁性を点検する作業を意味する。

参考資料

三石博行 フロイト精神分析の科学性批判
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_01_02/cMITShir97c.pdf

Hiroyuki Mitsuishi DECONSTRUCTION ET RECONSTRUCTION DE LA METAPSYCHOLOGIE FREUDIENNE - ESSAI D'EPISTEMOLOGIE SYSTEMIQUE - 邦訳 フロイトメタ心理学の解体と再構築-システム認識論の試み- Atelier national de reproduction des these France、584p 1993年10月 単著

http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_05_02.html

http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_05.html






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京都奈良EU協会・日欧学術教育文化交流委員会の今後の課題

東アジア共同体を目指すためにEUに学ぶものがある

三石博行


連合国家・EUの歴史に何故、そして何を学ぶか

EUの形成は、人類史上画期的な試みである。何故なら、この連合国家は、強大な権力による他の国家の支配と服従を前提にした領土拡大や政治機構の統一ではなく、それぞれの国家や民族の多様性を前提にした新しい連合国家の形成を目指しているからである。

また、国際連盟や国際連合のように、国家集団の協議や調整の機能でもない。国としての、つまり、異なる民族や文化の国々が、その上部構造として連合国家としての機能を創り、国家理念とそれを具現化する憲法を制定し、司法、立法と行政の機能を持ち、連合国家としての外交と軍事(国防)機能を発揮しようとしているからである。

こうした国家の形成は人類の歴史にはなかった。その殆ど不可能に近い政治的目標や政治体制の構築に向かって、現実的に連合国家の形成のための制度や法律を作らなければならないのである。そのため、多くの社会科学者がこの構想が成功するとは考えていない。何故なら、これまで民族や文化の多様性を維持するという非効率的な政治体制を前提にしながら、統一した社会経済政治システムを構築することは歴史的にも存在しなかったし、また現実不可能であると思われているからである。

過去の二つの戦争への反省から、多様な言語や文化を持ちながらも、汎ヨーロッパ市民として共存するためにヨーロッパ連合を構築しようと考えたのであった。しかし、すでに、国際平和を維持するために、国際的な国家集団による協議の場を形成してきた。例えば、第一次世界大戦の教訓から1920年に国際連盟(League of Nations)が結成された。しかし、この国際連盟は第二次世界大戦の勃発を防ぐことが出来なかった。その反省に立って、1945年に新しく国際連合(United Nations)が結成された。

しかし、ヨーロッパ連合が国連との違うのは、国連が国家集団の協議の場として機能しているのに対して、EUは一つの国として連合国家形成を行おうとしていることである。つまり、EUは国連のヨーロッパ地域版ではない。EUは、まったく新しい国家形態を作ろうとしている実験国家であると癒えるだろう。

その基本となるのは、1948年にチャーチル首相が呼びかけた欧州評議会の理念となるヨーロッパ宣言である。ヨーロッパ宣言は、ヨーロッパ政治経済の共同体、ヨーロッパ議会、統一ドイツ、人権憲章、最高裁判所、子供、青年や文化に関するヨーロッパセンターの必要性を述べた。長年のヨーロッパ評議会の活動、ヨーロッパ共同体の形成、そしてヨーロッパ共同体からヨーロッパ連合は形成されていくのである。

国際平和を形成するために、戦後の二つの試み、つまり国連とヨーロッパ評議会・ヨーロッパ共同体・ヨーロッパ連合の試みがある。EUは民主主義と人権擁護を連合国家間の政治的基本理念として形成し続けている。

東アジア共同体を形成しようとするとき、このEU形成の歴史を学び、またEU形成に至るまでのヨーロッパ評議会やヨーロッパ共同体の機能に関する理解を深めなければならない。現在の東アジアは、当時のヨーロッパと異なる状況にある。そのことを前提にしながら、東アジア共同体を作る前の、東アジア経済共同体や東アジア評議会を検討し、東アジアの平和(治安維持)と経済発展のための協同機能を着実に構築し続けなければならないのである。


なぜ日欧学術教育文化交流が必要なのか

EU日本本部やEU大使館が精力的に支援する全国のEU協会運動に連携し、京都・奈良EU協会を2009年12月に立ち上げた。しかし、この我々のEU協会はEU協会本部の承認すら頂いていない「勝手にEU協会運動をしている」会である。しかし、そうであったとしても、我々はEU(ヨーロッパ連合)と日本との友好運動の組織であり、また、同時に東アジア共同体を形成するためにEUに学ぼうとする組織である。

京都・奈良EU協会の活動としえ、日欧学術教育文化交流活動を位置づけたい。その活動の目的は、上記したように、EUの歴史やEU機能、例えばEUでの環境政策、教育政策、文化政策、人権政策、金融政策、議会、行政機能、司法機能、等々のEUの政策とそれを実現するための政府や政治の機能、またEU国内、例えばドイツでの環境対策、フランスでの都市計画、イギリスでの教育改革等々、具体的なEU国内、地方都市や市民レベルでの活動について、学ぶことである。

それらの学びは、即、東アジアでの諸問題、例えば、東シナ海の環境汚染や大気汚染対策を考えるための参考となる。また、東アジアでの大学コンソーシアム、大学間協定や学生交流のための参考となる。

今後、東アジア諸国が共同でこの地域を発展さすために、EUの歴史や現実を学ぶことが必要となるだろう。そのために、京都・奈良EU協会として、具体的な学習プログラムを作る組織として日欧学術教育文化交流委員会を位置づけたい。

故岸田綱太郎博士の呼びかけで始まった日欧学術教育文化交流

すでに以前のブログで紹介しましたが、日欧学術教育文化交流委員会は、ドイツ連邦共和国とフランスの間で提携された仏独友好・協力条約(エリゼ条約 1963年1月2日)から40年目を記念する2003年10月のイベントを機会に、当時、進展していたEUと日本との関係、取り分け教育や文化交流を行うために企画されました。

2003年10月に、故岸田綱太郎京都日仏協会会長の働きかけで、京都日仏協会と奈良日仏協会が共同で開催しました。このイベントに、フランスのアルザス地方で1980年代から、日本の企業誘致や日本の社会文化、教育研究の発展に貢献されたAndres Kleinさん(欧州アルザス日本学研究所長、元アルザス州開発公団総裁、元フランス・ライン河下流県助役)を招待しました。

1980年代から、現在欧州アルザス日本学研究所所長であるクライン氏は、長年、アルザス(ヨーロッパ)と日本との経済や文化交流を行ってこられた。アルザス成城学園の設置は勿論のこと、その跡地の有効活用するために奮闘されてきた。言わば、アルザス(欧州)と日本の交流を発展させた功労者である。

クラン所長からの提案もあり、欧州アルザス日本学研究所と関西の大学との学術、教育や文化交流をさらに活発化させる活動が企画された。それが2004年から始まった日欧学術教育文化交流ための準備活動であった。この活動を通じながら、ヨーロッパと日本での、参加型の国際交流活動を考え、故岸田綱太郎先生を囲み、河村能夫龍谷大学教授(元副学長)、廣田崇夫前国際交流基金京都支部長の三人が中心となり、日欧学術教育文化交流委員会の準備活動が始まった。

2004年4月に、クライン欧州アルザス日本学研究所長の日欧間の学術教育文化交流活動への呼びかけもあり、5月に故岸田綱太郎先生が呼びかけ人代表者となり、梅棹忠夫先生(元国立民族博物館館長)、山折哲雄先生(元国際日本文化研究センター館長)、小倉和雄先生(国際交流基金理事長)、谷岡武雄先生(元立命館大学総長、元京都日仏協会会長)が呼びかけ人に参加され、この委員会は発足しました。その後、八田英二先生(大学コンソーシアム京都理事長、同志社大学学長)がオブザーバーとして参加されました。


日欧間の教育文化交流の活動計画の現状 委員会の再出発に向けて

2006年9月に岸田綱太郎先生を失い、委員会活動は大きく後退しました。さらに2010年7月に 梅棹忠夫先生が亡くなられ、今後の課題について相談できる人を失いました。 

現在、京都・奈良EU協会の協力を得て、委員会の活動を維持しています。これまでの委員会のこれまでの活動をまとめ、報告しながら、再度、今後の課題を検討したいと思います。

日欧学術教育文化交流活動委員会の情報に関しましては、
三石博行のホームページ の 「社会活動」「国際交流活動」の中の「日欧学術教育文化交流活動委員会」のページで紹介しますので、そのページの情報を見てください。

新しいアドレス
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/syakai_01_03.html


参考資料

「日欧学術教育文化交流委員会ニュース配信」2007年12月20日
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_8507.html

三石博行、Eddy Van Drom  作成 「欧州評議会の歴史とその政治的機能」
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/tensou/Europe1.files/frame.htm

三石博行、Eddy Van Drom  作成 「欧州連合成立史」
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/tensou/Europe2.files/frame.htm



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2011年1月13日木曜日

「テキスト批評」書き方実例紹介

三石博行

河野哲也著書『レポート・論文の書き方入門』を活用した「テキスト批評」書き方実例紹介


はじめに

河野哲也著 『レポート・論文の書き方入門』の「2章 テキスト評価という訓練法」 pp13-29を資料(資料1)にしながら、テキスト批評、つまりテキストの要約、批判的分析と課題をまとめる。

この作業は、選択した資料が課題に関する記述を行っている訳であるが、それに対して、大学の一般教育課程の科目で求められるレポート作成の材料としてのテキスト批評のあり方を示す。

つまり、この資料自体が、レポート作成の材料としてのテキスト批評の書き方を示したものである。特に、資料1ではこの教材の参考に活用した河野哲也著『レポート・論文の書き方入門』「2章 テキスト評価という訓練法」pp13-29の文書にこの教材の著者(三石博行)が、要点と思われる文書の箇所に線を入れ、またそれらの要点の文脈全体をテキストへの入線箇所に数字を入れることでまとめた。

教材著者(三石博行)と資料1の著者(河野哲也)とはテキスト評価の仕方が異なるのであるが、まずは、第一節で河野哲也氏のテキスト評価の方法を忠実に要約した。そして、第二節で、河野氏の提示した展開を批判的に展開活用しながら、この教材著者三石博行のテキスト評価の方法を述べた。

テキスト批評がグループ学習用の材料として活用することが河野氏の提案であった。学部学生の教養教育科目で、専門的なテキスト批評作業は不可能であるが、短いテキストを選びテキスト批評作業を簡素化することで可能になるかもしれない。その課題もここで検討したい。

この文章は長いですので、読むのは大変だと思いますが、河野氏が「第2章 テキスト評価という訓練法」を活用しながら、そのテキスト批評を行うという作業ですので、言わば、資料を読むことによって、テキスト批評の方法を学び、その資料を活用してテキスト批評をした教材(この文章)を読むことで、さらに、テキスト批評の仕方を復習するという作業になります。


第一節 資料説明と文献コード化の方法


1-a、テキスト批評用の出典を示す

1、著者名 河野哲也 現在 立教大学教育学科教授 ( Wikipedia )
http://ja.wikipedia.org/wiki/

2、著書名 『レポート・論文の書き方入門』 第3版の中の
「第2章 テキスト評価という訓練法」 pp.13-29(13頁から29頁まで)
 
3、出版社 慶應義塾大学出版会

4、出版年月日 1997年8月8日 初版発行

5、著書形態 A5形式 116p.(B5の大きさで、本文116頁数の本)

6、コメント 著者はベルギーのUniversité Catholique Louvain ルーヴァンカトリック大学の博士課程を修了、哲学博士号を取得、専門は哲学、倫理学と言語論や表現教育である。


1-b、出典表示の方法

三石式 文献資料のコード化

三石式 文献コード化では河野哲也 (Kouno Tetsuya) 著書『レポート・論文の書き方入門』 第3版 1997年初版は、(KOUNte 97A) となる。

著者名のコード化(KOUNte)であるが、河野は姓であるので 大文字で KOUN、一般にはじめの3文字から4文字を取り出す。そして、哲也は名であるので、小文字を使い te 一般にはじめの1文字から2文字を取り出す。その結果、著者名コードは(KOUNte)となる。

出版年度のコート化は、この著書の出版年月日は1997年7月であるので年度表示を97とし、年度のコード化は(97)する。

また、文献の種類の表示であるが、著書の場合と論文の場合を分けるために、著書の場合は大文字のABCを使い、一年間に三冊の出版がある場合には 例えば97A, 97B,97Cとなる。また、論文の場合は小文字abcを使い、一年間に5本の論文がある場合には、それぞれ、例えば 97a, 97b, 97c, 97d, 97eとなる。

年度の表現は 2000年からは 2000年が00、2001年は01となる。つまり、2010年は10となる。その年度表現と上記した同年度に出版された文献数とその種類別表示を一緒にして、例えば1997年に出版された第一冊目の本は(97A)と表現することになる。

上記の手順と決まりを前提にして、著者名、出版年度、論文形態と著書形態、同年度の出版の数が表記されたコード、(KOUNte 97A)が生まれる。

しかし、この文献コード表現では、1950年の論文は50となり、2050年の論文も50となるので、文献は100年間の期間が限度となる。



第二節 資料要約の方法とその具体例


2-a、要約の方法

1、 資料 『レポート・論文の書き方入門』の中の「2章 テキスト評価という訓練法」 pp13-29(13ページから29ページまで)の内容の要約をまとめる。上記の文献コード名で示すと、(KOUNte 97A pp.13-29)と表示される。

2、 活用資料は 分析資料の各節毎に行う。

3、 資料作成では 引用文章は「 」で囲み、必ずテキストの頁を最後に付ける。そして、引用資料のページ数の記入も行う。つまり、テキストの19から20頁の文を引用するなら、引用した文章の跡に、(KOUNte 97A pp.19-20)と記入する。


2-b、要約例(KOUNte 97A pp.14-29)


2-1、「テキスト批評とは何か?」(KOUNte 97A p.14)

著者は、テキスト分析、評価や解釈の方法を文学研究で行われてきた文献注釈の手法「テキスト批評」から説明している。

つまり「テキスト批評は、文学的著作の注釈として始まった」(KOUNte 97A p.14)もので、「文学書を読んで … 分析的に解説して、その著作の魅力や豊かさを最大限引き出そうとする努力」(同上 p.14)方法である。

この「テキスト批評は、テキストを批判的に検討する能力を養うと同時に、… レポートや論文を書くためのよい準備や訓練と」(同上 p.14)となる。

「現在では、著者の主張を批判的に検討する読解・解釈の仕方として、文学専攻にとどまらず、人文・社会科学のさまざまな分野で採用」(同上 p.14)されている。


2-2、「なぜ本(テキスト)を読むのか?」(KOUNte 97A pp.15-16)

「人文・社会科学系の分野では、過去の重要な著作をテキスト(教科書)として講読(こうどく)することが不可欠」(同上 p.15)である。何故なら「古典と呼ばれているものは、単に古き良き教養を身につけるために読むのでなく、そこに表れている著者の現実の捉え方、ものの見方を学ぶためにある」(同上 p.16)と著者は述べている。

その哲学的な意味に触れ、著者は「事実そのものは、知識や理論とは独立に存在」(同上 p.15)しておらず「事実(=情報)は、それを受けつけるための知識や理論(=プログラム)を前提にして」(同上 p.15)成立していると述べている。

例えば、自然科学の観測では、「観測装置や実験装置は、そうした知識や仮説に基づいて製作され」(同上 p.15)ており、「事実は、知識や理論が与えてくれる現実の捉え方やものの見方と相関して」(同上 p.15)いるのである。つまり、観測された世界とは認識プログラムによって解釈された世界を意味する。「事実を捉えるためのプログラムを自分に与える」(同上 p.16)ことによって、世界の見方は変化して行く。プログラムとは世界を解釈する理論であると著者は考えている。言い換えると、「理論と呼ばれるものは、この事実の捉え方を抽象化・体系化したもの」(同上 p.16)である。

つまり、テキスト(例えば古典)を読むことによって、テキストに書かれている知識を身につけることだけでなく、今や古典とよばれるテキストの展開、分析を助ける「現実の捉え方、ものの見方を学ぶ」(同上 p.16)ためである。テキストを読解する作業で、理論と呼ばれる「事実を捉えるためのプログラム」(理論、言い換えると現実を理解するための方法)(同上 p.16)を身につけることが大切な課題となる。

そして、理論(著者がテキストの中で示す世界の見方の方法)を使って、「本当にうまく事態が理解できるのか」(同上 p.16)、言い換えると「問題が解決できるのか」(同上 p.16)、テキストで示されなかった「別の問題」(同上 p.16)にも解決能力を発揮しているのか、その理論の汎用性を点検することが課題になる。

最終的に、著者が提示した理論や「主張をさまざまな問題や事例に適用しながら検討していく」(同上 p.16)作業(テキスト批評)によって「問題意識やテーマ設定能力を養う」(同上 p.16)ことが可能になるのである。これがテキスト批評を行う最終的な目的であると言える。
その意味で、「テキスト批評は、知識の習得と、自分独自のテーマ・問題の発見を橋渡しする訓練」(同上 p.16)である。


2-3、「テキスト批評の仕方」(KOUNte 97A pp.17-28)


2-3-1、テキストについて

テキスト批評をはじめて行う学生に以下の3点の具体的な著者提案を述べる。
1、数ページから多くても十ページまでのテキストを選ぶ。

2、ゼミで、数人のグループを作り共通するテキストを講読しゼミの議論に活用する。

3、その場合、一人が担当する課題は一節が適量となる。

4、議論を活発にするために、専門分野によって「定評あるオピニオン誌の論文」(同上 p.17)や政策論題や価値論題など明らかな主張を持つ新聞社説や主張の明らかなテキストを選ぶとよい。


2-3-2、(テキスト批評)全体の構成

上記した数ページのテキストの批評の場合には「A4のレポート用紙に2-3枚程度」(同上 p.17)、「十ページの場合には、4-6枚程度が目安」となる。

著者は、ゼミで議論を行うことを前提にした全体の構成を以下5つ部分に分けた。

1、目的を提示する。

2、要約を書く。

3、問題の提起を行う。

4、議論を行う

5、まとめを行う

以上示した1から5までの構成要素に関する具体的な説明を行う。
1で示したテキスト批評で書くべき文章である「目的の提示」は「5-10行ほど」が適当な分量である。その内容は、まず「どんなテーマのテキストについての批評(コメンタリー)なのか、当該部分で著者がどんな議論をしているかごく大まかに説明する」(同上pp.18-19)ことである。

2で示したテキストの要約は、「テキストの丸写し」でなく(同上p.20)、「著者の主張を自分なりに」(同上p.20)まとめながら、「テキストの順を追って、原著者の主張を把握し、理解することに努め」る。(同上p.20) テキストの「各文段(パラグラフ)を、こくみじかく、1-2行程度の一文に要約」する。(同上p.20) そして、「テキスト中の重要な用語、歴史的人物、事件などについては説明を与え、テキスト理解に役立つと思われる解説を入れる」(同上p.18)。さらに、テキスト「要約箇所がテキスト上のどの部分に該当するのか、」「出典を明示するため」に(同上 p.21)、テキスト批評文には忠実に引用テキスト名と「ページ数を丸カッコの中に入れて示しておくこと」である。(同上 p.21) 最後に、テキスト批評の要約は「全体の30-40%ほど」の分量で書くのが良い。

3で示したテキスト批評を構成する「問題の提起」であるが、これが「テキスト批評で一番重要」な部分であり、「批評全体の成否はここで決まって」しまう。テキスト批評での問題の提起とは「著者の主張のうち」「自分で関心を持った主張」や「中心的・重要と思われる点を1-2点ピック・アップ」(同上p.18)(同上p.22)し、その「理由や根拠を示」しながら「原著者の主張について、疑問、是認(ぜにん)、反論(ないし批判)を行」う。(同上pp.22-23)この問題提起は、テキスト批評文の「全体の10-20%ほど」の分量を占めるのがよいと著者は述べている。

4で示した議論とは、上記した3の問題の提起を行う作業を意味している。問題提起した課題に関して「自分の主張を論理的・実証的に裏づけ」(同上p.18)ながら「議論を展開する」(同上p.18)ことが求められる。この議論の進め方(書き方)は、議論の仕方を学ぶ方法としてディベートを行うが、必ずしも賛成と反論の立場を明確にして行うディベート方式でなく、「ディベート(討論)で用いられる質問・尋問(じんもん)や反論の方法」(同上p.23)をテキスト批評の議論に応用することが出来る。つまり、この議論に関する課題は、上記した「テキストについて」で示したが、ゼミ形式で共通するテキストを使い、数人のグループを作り講読しながらテキスト批評を行う作業(議論)について、理解しなければならない方法や作業内容が述べられている。

著者は議論を構成する四つの要素を述べている。一つは、ある前提、根拠や推論から成り立っている著者の主張である。二つ目は、その主張の展開を構成する問題提起である。三つ目が、その問題提起に対して否定的や肯定的な推論(結論)に対する反論を示すことである。そして四つ目は、それらの反論(反証)を通じながら著者の考えに対する自分の主張を述べることである。テキストで述べられている著者の主張に対して、自分の主張を述べることが議論の課題であり、その目的である。つまり、自分の主張が「議論」での結論となる。

このテキストでは結論を導くために、三つの論理的展開の方法を示している。一つ目は、「反論-否定的結論」型(同上p.26)と呼ばれるもので、「著者の主張を批判し…否定的な結論にまとめる」ものである。著者の考えに疑問を投掛け反論するやり方である。もう一つ目は、「反論-代案の提示」型(同上p.26)と呼ばれるもので、一つ目のように単に反論に終わらす、「自分の代案を提示」(同上p.26)するやり方である。三つ目は、反論というよりテキスト著者の主張を限定的に了解し、それを補足する代案を提案するやり方で、「著者の主張の限定-補足・代案の提示」(同上p.27)と呼ばれている。最後の四つ目は、テキスト著者の主張を肯定し、さらに「ありえる反論に対して再反論しながら肯定するために」(同上p.27)著者の論理や主張に補足を加える方法である。

以上、テキスト批評の最も大切な課題である議論に関する文書は、この批評「全体の30-40%ほど」(同上p.18)の分量を占めることがよいと著者は述べている。以上が議論に関する要約内容である。

最後に、5で示した「まとめ」について、このテキスト批評の「最後に、これまでの全内容を手短にまとめる」、「とくに、著者の主張のピック・アップからの」テキスト文脈の「流れを考慮しながら、自分のコメントを要約」することが述べられている。そして、まとめで「新たな議論を展開」するように注意している。(同上p.28)つまり、まとめとは「あくまで要約や整理に徹して」(同上p.28)書くことであると述べられている。そして、この「まとめ」に費やされる文書の分量は「全体の30-40%ほど」(同上p.18)が適量であると述べられている。


2-4 「テキスト批評の効果」

著者は、このテキスト批評の書き方の説明を「大学のゼミナールで行うことを想定して」行なった。「この批評を日常的に繰り返し行うことで、テキストを批判的に検討することや、卒業論文などのテーマ・問題を設定する際に役立つこと」(同上p.29)を述べた。

このテキスト批評は共通のテキストを用いて行われるグループ学習や議論のために具体的な方法が示されたのであるが、「卒業論文のテーマに関係する著作や論文について」も(同上p.29)、このテキスト批評のやり方で、分析、批判、評価や解釈を行うことが必要となる。それらのテキスト批評を参考にしながら、自分の課題を展開し、検証することが可能になる。

その意味で、このテキスト批評の延長線上に「レポートや論文」があることを理解しなければならない。



第三節 資料(テキスト)の批判評価・解釈と方法と具体例

3-a、テキスト批評の書き方 解釈の方法

今回のテキスト批評の方法を学ぶための材料に、河野哲也著 『レポート・論文の書き方入門』「2章 テキスト評価という訓練法」pp13-29を活用した。このテキストの要約を第二章にまとめた。要約は著者のテキストに忠実に行った。

つまり、河野哲也氏によるテキスト批評の方法は、第1の目的を提示する(目的提示)、第2の要約、第3の問題提起、第4の議論と最後のまとめから構成されていたテキストに即して要約を行った。

このテキスト批評の要約から著者河野哲也氏のテキスト批評の書き方に関する考えが明確に理解できる。前節の要約を基にしながら、テキスト批評者のテキストの分析、解釈、批判的評価を述べる。

この節、テキストの分析、批判的評価に関する展開は、前節のテキストの文脈に従う必要はなく、テキスト批評者(この資料では三石博行)が展開したい課題に即して、書くことが出来る。そうすることで、批評者の意見が明確に伝わるのである。


3-b、批評(批判的分析と解釈)の書き方の例

3-b-1、学部教養科目や教養専門科目のレポート作成材料としてテキスト批評の目的

テキスト批評の資料(河野哲也著『レポート・論文の書き方入門』「2章 テキスト評価という訓練法」 pp13-29)で、著者はこのテキスト批評の作業目的に関して以下のように述べている。
一つは、河野氏がテキスト批評で目指す課題は、テキストで書かれている知識を理解するだけでなく、理論を批判的に点検、理解することによってその理論が現実の問題を解決する能力を持っているかを検証できるのである。

つまり、テキストを通じて理論を学習することは「著者の現実の捉え方をいったん理解したうえで、そのやり方(プログラム)で、本当にうまく事態が理解できるか(情報を整理できるか)、問題が解決できるか(期待されるアウトプットができるか)、別の問題にはどのように対処するのか(汎用性があるか)、など著者の主張をさまざまな問題や事例に適用しながら検討していくことこそが、問題意識やテーマ設定能力を養う」(KOUNte 97A p.16)ことにある。

テキストの要約や解釈、問題提起を行うテキスト批評は、人文社会科学の研究で伝統的に行われていた文献注釈の作業が基本になっている( )。そのため文献注釈(訳注)の作業で厳密に行われる論文批評を基にして、テキスト批評の理論が河野氏によって述べられた。しかし、この専門性の高いテキスト批評の課題を、この教養科目のレポートで要求することは困難である。つまり、河野氏が述べる理論の点検や検証作業を教養教育科目のレポート作成作業の課題に含めることは難しい。

ここで課題にしているテキスト批評は、学術論文の注釈で行う人間社会学の諸理論の批評解釈を行うためのものではない。むしろ、学部の教養科目や専門教養科目でレポートを作成するために必要な材料となる文献や資料の批評を行うためのものである。したがって、このテキスト批評に用いる材料は、古典と呼ばれるテキストではない。むしろ、それぞれの教養科目に関連する本や資料である。


3-b-2、テキスト批評の三つの主要な構成要素と「参考資料」

河野氏がテキスト批評作業を提示したのは、卒業論文や研究論文を書くためである。また、ゼミなどで共通した教材を活用し、それを分析、解釈や批判をしながら、グループ(ゼミ)での討論に役立てるためであった。

そこで河野氏は、ゼミで議論することを前提にして、テキスト批評の5つ構成要素を述べた。つまり、第1のテキスト批評の目的提示、第2のテキスト要約、第3のテキスト批判、つまりテキスト要約を通じて提起される問題群、第4は第3の問題提起された課題に対する議論である。その議論もこれまでのディベートの方法を活用することが提案されている。最後はテキスト全体の要約を簡潔に「まとめる」ことである。

このテキスト批評の中で最も重要な課題とされる問題提起とその議論の箇所は、ゼミでのグループ学習で、異なる意見を取り出して討論するディベート方式の学習に活用される。そのために河野氏は、議論を進めるための三つの論理的展開方法が提示されていた。

つまり、その三つの論理的展開とは、「反論-否定的結論」型、「反論-代案の提示」型、「著者の主張の限定-補足・代案の提示」型と「ありえる反論に対して再反論しながらテキストの理論を肯定するために著者の論理や主張に補足を加える方法、「主張-肯定的補足・代案の提示」である。

この議論のための三つの論理に関する知識は、グループ学習やディベートを取り入れた学習では非常に役立つ。しかし、我々の学部の教養科目や教養専門科目でのテキスト批評の書き方に関しては、ディベート方式のグループ学習を行うスキルを求めることは現実的に困難である。簡単なテキスト批評を基にして行うグループ学習に関しては次節で述べることにする。

そこで、河野氏の議論の内容を簡略することで、主に三つの構成要素、出典紹介、テキスト要約と解釈・批評からなるテキスト批評の書き方を提案する。しかし、その三つの構成要素を簡単に補足するものとして「はじめに」と「まとめ」の二つの要素を加えることが出来る。その意味では、我々の提案するテキスト批評の書き方も河野氏の提案するそれと同じく、五つの要素からなると表現していいだろう。

まず、主な三つの構成要素を説明する。一つはテキストの出典を正確に示すこと、書き方はこの教材の第一節に具体的に示されている。二つ目はテキストの文書に忠実に要約すること、書き方はこの教材の第二節に具体的にテキストとして選んだ 河野哲也著『レポート・論文の書き方入門』の「2章 テキスト評価という訓練法」の文脈にそって、その文章を引用しながら要約を書いている。また引用された文のテキストの箇所を文献コードを使いながら示している。三つ目はその要約の内容を批判的に検討し、問題提起しながら自らの考えやアイデアを展開すること、書き方はこの教材の第三節の文章となる。

つまりテキスト批評の書き方で重要な要点は、テキストに関する情報を正確に示し、そのテキストの著者が述べている内容を正確に理解し、それに基づいて自分の視点から批判、解釈や自分の考えを展開することである。この三つの作業が最もテキスト批評の中で重要とされるものである。

さらに、第三節を書くために、もし参考にした資料があるならそれらの資料の出典を記名しておく必要がある。それが「参考資料」である。参考資料や文献の紹介はテキスト批評の最後に持ってくる。


3-b-3、「まとめ」や「はじめに」の書き方

テキスト批評を提出しなければならない場合、この批評を第三者に読んでもらわなくてならない。そのために、批評文の「まとめ」と批評文を書くにあったて述べなければならない「はじめに」を付け加える必要がある。

しかし、テキスト評価は提出する必要がなく、その目的が単にレポートや論文の作成作業の中で文献や資料に関する分析や批判的評価の記録であれば、主要なテキスト批評の構成要素のみが必要であり、「はじめ」や「まとめ」はあえて付け加える必要はない。

まず、「まとめ」の書き方から説明する。「まとめ」は第三節の後に書く。書く内容は、このテキスト批評の第二節の要約と第三節の問題提起を通じてテキスト全体の主な内容を簡単にまとめる。そして同時に、このテキスト批評を通じて課題になったこと、それは第三節では具体的に展開しえなかった課題で、問題点の指摘に終わるが、しかし次のテキスト評価を行うための参考となるような内容があれば書くとよい。

「はじめ」は第一節の前、つまり文章の最初にくる。もちろん目次をつける必要があれば、目次のあとになる。はじめの文章はこのテキスト批評を読む人に批評の全体構成を大まかに紹介し何を課題にしながら読むのかを伝え、また読みたい興味を誘うように書く必要がある。はじめは丁度、お菓子箱の包装紙のようなものである。美味しくて美しい京菓子が美しい箱の中に詰めてあっても、その包装紙にセンスがなければ、台無しだと思う。京菓子にふさわしい美しくてセンスある包装紙を選ぶように、「はじめ」にはテキスト批評の内容を引き立て、興味を誘うものでなければならない。

書く順番は、第一節の出典紹介、第二節の要約、第三節の批評と問題提起、そして参考資料、それから「まとめ」を書いて、最後に包装紙で作品を包むように「はじめに」を書くと良い。しかし、これらの順番が少し入れ替わったとしても問題はない。


3-b-4、テキスト批評を活用するグループ学習

河野氏が提案するテキスト批評の書き方は、グループ学習(ゼミ)の講読の方法の一つとして提案されている。そこで学部共通教育科目の中でもテキスト批評を活用するグループ学習のやり方はないか考えてみる。

テキスト批評を行う時間であるが、一般にこの作業は講義中には不可能である。なぜなら、資料をじっくり読み、その要点をつかみ、そしてまとめ、さらにそれに関して批判的に評価しなければならない。1時間30分の講義の時間を最大限活用しても、上記したテキスト評価を授業中に行うことは出来だろう。

しかし、新聞記事のような短い文章を活用するなら、可能になる。精々(せいぜい)長くてA4用紙1枚程度の社説や解説なら、要点をまとめる時間は2-30分あれば可能かもしれない。そして、その批評に関しては一つだけ選んで書くなら15分程度の時間があれば可能になる。要約と批評で長くて45分の時間が必要となれば、残りの3-40分をグループ学習に使えるかもしれない。

また、少し長い論文や著書の一節でも、テキスト評価の主な要素、要約と批評を宿題にして、それらを持ち込んで次の授業でグループ学習を可能にすることが出来る。

いずれにしても、テキスト批評の書き方はレポートや論文の作成するためには習得しておかなければならない。テキスト批評を書く機会を出来るだけ多く作りたいと思う。しかし、それらのテキスト批評を使ってレポートや論文を書くだけでなく、グループ学習の材料にすることも出来るなら、グループ内でお互いにテキスト評価の書き方をグループ学習を通じて学ぶことができるだろう。


まとめ

レポートや論文作成用の材料としての「テキスト批評」の書き方について検討してきた。テキスト批評の具体的を示すために河野哲也氏の著書『レポート・論文の書き方入門』の「2章 テキスト評価という訓練法」をテキストとして選び、そのテキスト批評を河野氏の提案に基づき行った。

テキスト批評の要約に関しては、資料1に示すように、文脈の流れから要点毎にナンバーを振り、その文章で大切な箇所に下線を入れて、要約用の資料を作る。その資料に基づきながら要約を行った。要約は正確に著者の考えをまとめる作業である。その作業が終了してから、問題提起や批判的評価(批評)を行う。これで、大枠のテキスト批評が完成する。
河野氏の提案を批判的に検討しながら、今回の課題、学部学生の共通教育科目でのテキスト批評の方法について提案を行った。

その中で、短い文書を活用しながら講義中にテキスト批評の作業を行うことが必要であることに気づいた。なぜなら、日本の学生は高校生までに、レポートを書いた経験もなければ、グループ学習でお互いの意見を戦わせた経験もない。学生がレポートの書き方を知らないのは、入学時に、大学でのノートのとり方や講義の受け方、情報の集め方、図書館の使い方、そしてレポートの書き方の基本的な大学での知的生産活動の方法を大学教育として教えていないからである。その意味で、この資料は、教科科目に直接関係はないにしても、教科科目で要請されるレポートの作成のために役立つと期待したい。

今後、所属大学の学生の現状に合わせて、学生が今後レポートや卒業論文を書くために役に立つテキスト批評の書き方を検討したい。そのためには、この資料を学生に配布し、共に活用しながら、この配布資料の問題点を点検し研究してゆきたいと考えている。



参考資料


レポートの書き方のための基礎

1、「大学でのノートの作り方」(1)
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/1_24.html

2、「大学でのノートの作り方」(2)
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/2.html

3、「レポート材料の作り方」について(1)
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/1.html

4、「レポート材料の作り方」について(2)
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/2.html

5、「レポート材料の作り方」について(3)
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/3.html


文献を活用したテキスト批評例

6、畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』第一章「失敗学の基礎知識」のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_6897.html

7、姜尚中(カン・サンジュン)著『在日』プロローグのテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_29.html

8、菊田幸一著『日本の刑務所』第一章「受刑者はどのような存在か」のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_25.html


映像資料を活用したテキスト批評例

9、NHK EV特集 「元寇蒙古襲来 三別抄と鎌倉幕府」の映像資料のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/07/blog-post_6943.html

10、NHK 朝鮮半島と日本 「倭寇(わこう)の実像を探る  東シナ海の光と影」のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/07/blog-post_2310.html

11、NHK「クローズアップ現代『犯罪“加害者”家族たちの告白』放映記録のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/06/blog-post_22.html

12、ブログ文書集「知的生産の技術 基礎編」 8章 「議論や討論の仕方、纏め方や文書化」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/03/blog-post_19.html








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2011年1月12日水曜日

いじめないこころを育てる教育は可能か(2) -人間教育教材としての「いじめ」-

三石博行

いじめを考える・人間について学ぶ教育教材


「嫌がらせをしない」こころを教える・人間教育の課題


小中学校で、教師たちは、ことばや態度によって行われる「いじめ」を暴力として生徒が自覚していないことが、「いじめ」に対する無反省、鈍感さの原因になっていることを理解し、その自覚を促す人間教育を企画する必要に立たされている。

例えば、身体的に障害のある子供を、クラスの多くが差別的なまなざしで観ている。そして、ある一人の子供がその障害をもつ子供を「きもい」と言ったとする。その子供は、不特定多数のクラスメートの感情を代弁したと思う。自分は正直に「気持ち悪い奴だ」と言ったのだと思う。そのことは、不特定多数のクラスメートが彼のことば「きもい」に対して、批判的に対応しないことで、彼は多くのクラスメートの意見や感情を代弁する立場を得たと思う。こうして、彼はいじめの先頭に立ってしまった。

多くのクラスメートの無言の態度が、彼のいじめという行為の正当化の理由付けとなる。そして、彼はさらに頻繁に障害を持つクラスメートを攻撃することも出来る。

もし、彼が「気持ちの悪い奴」と嫌がらせは、ことばによる暴力であるという自覚を持つなら、彼が積極的に不特定多数を代表して、「皆が言いたいこと(気持ちの悪い奴という発言)を自分は言っただけだ」という考え方が問われることになる。みんなの言いたいことを代弁することが、正しいことではないと思うだろう。そして、「気持ちの悪い奴」という言動が間違いであることを理解するだろう。

そして、「いじめ」が不当な行為であり人間としても恥ずかしい行為であり、民主主義社会では認められない暴力の一つであると自覚することなる。この自覚があれば、「いじめる」という卑劣な行為を積極的にみんなの前で堂々とすることはないだろう。つまり、「いじめ」を暴力として自覚させることが、小中学校での人間教育課題になる。そして、一度(ひとたび)、生徒たちがその自覚をするなら、彼らの中で、「いじめ」は防止される。



「いじめ」は人間教育のよき教材

しかし、これまで、学校では「いじめ」防止のために、「いじめるな」と指導してきた。子供の虐めを無くするために先生が「いじめるな」と指導することでいじめはなくなるのだろうか。この指導には、「いじめないこころを育てる」ことが課題にされず、「いじめると厳しく叱られる条件」を教えていることでいじめを防ごうとする姿勢が見える。子供もいじめたら叱られるという条件を理解し、いじめと理解されないようないじめを見つけ出そうとするだろう。

つまり、いじめに対する学校側の姿勢は、小中学校での倫理(道徳)や人権教育の中身を示すものである。換言すれば、子供社会で自然発生的に生じる「いじめ」は人権、倫理や道徳を考える絶好の教材である。人間を考える機会を「いじめるな」という先生の命令や学校の規則で失うことはもったいない話である。

「いじめ」を人間教育の生きた教材として学校全体で取り組むためには、教師が人間教育のプランを持ち合わせいなければならない。現在でも、ごく少数ではあるがいじめによって幼い自殺者が出ている。その度に、「いじめはなかった」か「いじめに気がつきませんでした」という学校側の言い分が聞かされる。

そこには、「いじめ」を単にネガティブに受け取り、いじめが起こることが学校の恥であるために、それを隠す姿勢しか見えてこない。もし、暴露されれば、重大な犯罪行為を隠していたかのように誤りに転じるのである。すでに、それらの姿勢に「いじめ」に関する基本的理解の不足を学校側がもっていることに気づかされるのである。

「いじめるな」から「いじめないように努力しよう」へ発想転換

「いじめるな」という説教が、いじめ対策の人権教育にならないのは、そもそも子供社会では「いじめる」行為が、いじめているという自覚なしに、無自覚的にいじめが行われているからである。そこで、いじめるなという外的強制力では、そのいじめ行為を自覚的に理解することは出来ないのである。子供社会での「いじめ」予防には「いじめるな」という掛け声は、いじめてはいけないという価値観を持つことはできるが、主観的な「いじめ」行為を理解するにはあまり有効ではないと言える。

言い換えると、いじめ禁止令は、自然発生的に発生している他者への自己中心的行為、広い意味での他者への不愉快感や広義の暴力行為を自覚することにはあまり有効ではない。その自然発生的な暴力を防ぐためには、自己中心的な行為の暴力性を理解する想像力が必要である。想像力とは、内面性や倫理感を育てかければ身につくことは出来ないのである。

そこで、「虐めるな」でなくて、逆に自覚的に「虐めないように努力する」ことをいじめ問題の解決方法として考えてみよう。人は自己中心的存在であり、その意味で人は自然に他人を傷つける存在(虐める存在)である以上、無意識の自己中心的な存在、自然と他者を無視する存在、その限りにおいて他者を傷つけずにはいられない存在である。そうした人間の性(さが)、自我のあり方を自覚的に理解する方法として、せめてこれ以上「虐めない」ように努力をし続けること、虐めを予防する対応として理解する必要はないだろうか。

虐めない努力をするという対応は、虐めている結果から生じるのでなく、虐める可能性から生じる課題である。つまり、あらゆる行為の前に、いじめないための努力がすでに問われていることになる。言い換えれば、自らの行為の結果生じるすべての影響への想像する作業を意味する。いじめないという問いかけの課題は「想像力」を持たなければ不可能となる。いじめないと努力することで、自己の主観では到底理解しえない世界に対して、自己の主観の理解度を高める努力を続けることになる。

つまり、人が自己中心的存在であることを自覚的に受け止めているから、虐めないための最低限の努力をするのである。この「虐めない」努力をすることによって、虐めの対策を自己中心的人間性の自覚の上にたったそれ以上傷つけないという倫理的目標として提案されたものである。

しかし、いじめない努力をしなければならない我々、想像力を身に着けることでいじめている自分を反省的に理解する力(内面性)は、小中学校の生徒には理解困難ではないかと言われるかもしれない。そのためには、無自覚的に生じている自己中心的行為が含む最広義の暴力について語る必要があるが、現場の教師は、子供に理解できる具体的な実例を用いながら、語る教育力を身につけなければならないだろう。

他者の痛みへの想像力を養うための努力、優しさを育てる教育

「いじめない努力をする」ということを考えるとき、中学2年だったころの思い出が浮かぶ。それは、中学2年の担任の白石三郎先生のことばだった。中学の周りに生えていた松の木が春になると、すっと細長い小枝を伸ばす。その小枝は柔らかく、棒で叩くと、まるで刀にすっぱりと切られた枝のように簡単に折れる。その快感を味わいながら、パクパクとようやく待ち望んだ春に力いっぱい伸びる松の枝を切っていた。担任の先生が「君、その枝はまっすぐと伸びようとしているではないか。何故、そんな可哀そうなことをするのだ」と私に注意した。

その時、はじめて松が必死になって生きようとしている生命であることに気付いた。想像力のなさ。子供であるということを一言でいうと、想像力のなさだろう。そして無邪気な残酷さだろう。

いじめとはその無邪気な残酷さ、想像力のない子供じみた行為のように思える。いじめないということは、その無邪気で残酷な子供らしさから抜け出て、大人になること、想像力を持つこと、によって獲得される人間性ではないだろうか。

他者への共感は、自己にある他者という共通する存在を自覚した経験を前提にして生まれる。背丈が低く、そのことを気にし、もっと高く伸びたかった白石先生には、まっすぐと高く伸びようとする松の若芽が美しく見えたのだ。その伸びようとする生命を残酷に切り落とす私の行為を見過ごすことは出来なかったのだろう。

いじめないという行為の困難さを教える。否、共に自覚しあうことが、いじめに対して大人が子供に語らなければならない作業かもしれない。今は、白石三郎先生のように、諭す大人や教師がいないのだろうか。それとも、大人もこともと同じくらい陰湿ないじめにあっているのだろう。






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いじめないこころを育てる教育(1) -暴力の理解-

三石博行

暴力行為としての「いじめ」の自覚過程


規則で「いじめ」を取り締まることは可能か

小学校でのいじめ(虐め)には、子供社会にある「お山の大将を決める行動」に由来するものから嫉妬によるものがある。

そのいじめの手口は悪口を言う、笑いものにする、悪いうわさを立てるなどの言葉による暴力、無視する等の態度による暴力から、集団暴行(暴力を振るう)、恥ずかしい行為を強制するとエスカレートし、最後は、金銭を要求する、万引きなどの犯罪行為を強制する等、刑事事件として扱われる暴力行為までに至る。

いじめの場合、前者のことばや態度による暴力による手口を使ったケースが、ほとんどの場合を占める。つまり、いじめている側からすると、日常的に行われるいじめは、極めて軽い気持ちでの行為であると言える。

つまり、意地悪行為、つまり悪口を言う、笑いものにする、悪いうわさを立てるなどの言葉による嫌がらせ、相手を無視する等の心理作戦の様な目に見えない暴力や意地悪行為は、こどもの社会では、日常的に、何処にでも起こる。その意味で、日常的な意地悪行為まで学校が取り締まることは不可能に近い。つまり、明らかに犯罪行為に匹敵する場合を除いては、意地悪行為で語られる「いじめ」を取り締まることは非常に困難であると言える。

最近では子供の間で、冗談半分にからかう行為を、悪意のある「いじめ」と区別するために、「いじる」ということばで表現している。「いじる・弄る」とは、指先や手で触ったりなでたりすることや、物事を少し変えたり、動かしたりすることを意味する。補説的に、「自分のことをいう場合には、軽い自嘲や謙遜の気持ちを、相手のことでは、小ばかにした気持ちを含むことがある。」(goo辞書) また、「ひねくる」とか「もてあそぶ」同義語である。「もとあそぶ」は、「なぶる」、つまりからかってばかにすると意味がある。冗談半分にからかう「いじる」という言葉を使うことで、悪意のある行為の意味をもつ「いじめ」ではないことを定義付けようとしているのである。

しかし、「いじる」とは行為をした立場からの行為内容の解釈である。しかし、その行為をされた立場から、「悪意のない冗談」として受け取られる場合もあれば行為者の意図に反して「悪意ある行為」と解釈される可能性もあることは否定されない。

つまり、「いじる」側と「いじられた」側の日常的な人間関係によって、「いじる・なぶる」(意地悪行為)にもなれば、「いじる・ひねくる」(冗談行為)にもなるのである。同じ行為の行為内容ではなく、行為者とその対象者の関係に依存して、悪意の存在有無が決定される。もし、「いじられた」側から、その行為が意地悪な行為として解釈されるなら、その行為は「いじめ」と同義語となるだろう。

このように、いじめと冗談の境界が行為者の視点から明確に意識されていない子供社会での行為を考えると、子供の社会でのいじめを無くする方法として、いじめへの処罰は難しい。つまり、こどもの冗談行為、軽い嫌がらせに対しても学校が懲罰(ちょうばつ)規則の設定することは不可能である。

いじめ・人を傷つける行為を理解する一歩とは

学生に、「いじめられたことがあるか」とい質問を投げかけると、ほとんどの学生が「ある」と答える。その逆の「いじめたことがあるか」という質問には「ある」と答える学生は少ない。さらに、「人を傷つけたことがあるか」と問いかけると「ある」とほとんどの学生が答える。

「いじめる」という行為は「ひとを傷つける」行為である。しかし、人を傷つけたと思う人でも、ひとをいじめたとは思っていない。何故なら、「人を傷つけてしまった」と思う現在の自分は、「傷つけるつもりで傷つけたからではなく、結果的に傷つけてしまった」ことを記憶している。「あのとき、あの人を傷つけたのだ」という思いが、「ひとを傷つけてしまった」という記憶として、心に留まり続けている。それがこの「人を傷つけたことがある」という答えの背景ではないだろうか。

また、多くの学生が「傷つけたことがあった」が、「いじめたこと」はないという答え(過去の行為に関する自覚)を示したのは、「傷つける」行為と「いじめる」ということばのニュアンスの違いがあるからではないだろうか。

言換えると、「いじめる」という行為がはるかに「傷つける」行為よりも悪意に満ちた意図的な行為であり、その意味で、いじめる行為の方が暴力的に聞こえる。傷つけるとは家族、友人や恋人のこころを傷つけたというニュアンスが大きい。しかし、いじめるとはあるいじめの集団の一員として意図的に弱い人をターゲットにして陰湿な暴力行為を行ったというニュアンスに近い。その意味で、いじめると傷つけるは大きく主観的な意味が異なることになる。

また、傷つけたと言うニュアンスには、その行為への罪悪感が匂う。すべての人が、何らかの形で、ひとを傷つけてしまったという罪悪感(良心)を持っている。特に自分の愛する人に対してこの感情を持つ。この感情が愛なのだろう。ある意味で、他者への愛が、人(友人)を傷つけたという気持ち(罪悪感と呼ばれる良心)として現れているのである。

例えば、「人を傷つけた」と答えた人に「あなたの傷つけた相手は誰ですか」と問うたとする。女子大生の多くは「母親」という答えが返ってくる。また、若い夫婦なら「自分のパートナー」、年を取った人々なら「過去に老いた両親の面倒をみてやれなかった」という答えが返ってくる。自分の行為の不十分さ、未熟さを省み、それを悔やんでいる場合に「不十分で未熟な自分の対応を受けた他者への思いが、何かもっとしてやりたかった。なにもあんなことを言わなくてもよかった。そうした悔恨の気持ちが「傷つけた」という感情として残り続けるのである。それは、悔恨と呼ばれる愛の姿、呵責という良心の姿である。

「いじめた」ことを思い出すことができれば、それは人を傷つけたという思いがあることになる。つまり、自覚的に自分が過去に誰かを虐めたことがあると意識することは、いじめた過去の自分に対して向き合う姿勢が生まれ、その行為(いじめ)を悔やんでいることを意味する。つまり、「いじめ」という卑劣な行為を反省的に理解する契機を得たことを意味する。言い方を変えるなら、いじめた過去を対自化(思い出して客観的にその卑劣な行為を理解)することができないより、いじめた自分の卑劣さを恥じている方が、いじめの問題を考え、解決していく糸口を持っていると云える。

暴力行為としての「いじめ」に対する自覚

漢字で「虐め」と書くよりも、平仮名(ひらがな)で書かれた「いじめ」と書かれることで、陰湿なその行為も遊び感覚のニュアンスを持つことになる。子供たちの間で、遊びに近いニュアンスをもった「嫌がらせ」や「仲間はずれ」、冗談のように相手をやっつける行為として「いじめ」は登場する。

そして、冗談のような「いじめ」が、言葉による嫌がらせからエスカレートし肉体的暴力や金銭を要求する恐喝行為まで進展する契機となる。ことばの暴力を軽い冗談と思う気持ちが、「いじめ」というひらがな用語から始まり、その自然な進展の行き先が犯罪行為であることを自覚することはできない。

ひらがなの「いじめ」をここではあえて漢字で「虐め」と書いたのは、この行為が「人を傷つけること」をそのことばの意味の中心におきたかったからである。その意味で「いじめ」が「ひとにいやな思いをさせる」という緩やかな、あそび心のある行為であったとしても、それは明らかに他者を「虐める」という暴力であることには変わりないと自覚しなければならない。

一般に暴力とは、「乱暴な力。無法な力。正当性と合法性を欠いて用いられる物理的強制力。対象となる個人や集団に身体的な苦痛を与え、自由や生命さえも奪うこと」と国語辞典では定義されている。この場合、「暴力」は直接的で肉体的にダメージを与える暴力を意味している。

しかし、暴力には、ことばの暴力から肉体的暴力、また個人の暴力から集団の暴力、そして社会や国家による暴力まで、その種類も形態も多様である。その意味で、「いじめ」は、必ずしも直接に肉体的なダメージを与える暴力ばかりでなく、ことばや態度で人を傷つけるやり方も含まれている。問題は、「いじめる」ことや「いじめた」ことが、暴力を行使したことと同義語であることを理解すること、少なくとも何らかのかたちで人を傷つけていることであることを自覚できることである。






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東アジア共同体構想の展開を進める日韓関係の強化

三石博行

最も近くて最も遠い国・韓国との関係から始まる東アジア共同体構想

韓日の親密な関係が、まず東アジア共同体の構想を展開していくための土台となる。東アジアの平和と繁栄のために、さらに日韓関係を発展する必要がある。つまり、政治的システムが共通する日韓両国の関係をより緊密にしていくことが、東アジア共同体構想を進めるための現実的一歩となる。

韓国の経済成長や先進国の仲間入りは、日韓両国の関係を更に発展させている。韓国が経済力や技術力において、日本と同格になることによって、東アジアの国際的重要性は益々大きくなる。そして、アメリカを向く中国外交や中国経済に東アジアを向くことの重要性を示すことができるのである。

そのためには、日韓経済共同体の形成が必要なことは言うまでもないが、更に、両国の文化的交流の促進、過去の戦争責任に対する日本側の真摯な対応、朝鮮半島と日本の長い交易と文化交流の関係や東アジアの視点からの両国の国内史の再解釈・再認識するための両国間の歴史認識の交流が必要となる。すでに、以上の課題は、近年精力的に、取り組まれている。

例えば、2003年4月から9月にNHKBS2で上映され反響を呼んだ「冬のソナタ」の以来、韓流ブームが起こり次々に韓国の映画やドラマが上映された。そして、ハングル語学習熱が起こり、大学でのハングル語受講学生数は英語についで2番目となっている。また、2009年にNHKが全10回にわたり放映したシリーズ「朝鮮半島と日本」は、多くの反響を呼び、相互の歴史認識の違いを再確認させました。

この韓流ブームがもたらした日本人へのカルチャーショックは、「韓国(朝鮮半島)は地理的にはもっとも近く、国民感情的には最も遠い国であった」ことではなかったろうか。多くの韓国朝鮮人が住む日本、絶対的な影響を受けた国でありながら、韓国朝鮮は非常に遠い国であったと理解したのではないだろうか。

一般に、異文化理解は、異文化誤解の現実を受け止めることから出発することを考えれば、近年の韓国朝鮮半島文化に対する理解・カルチャーショックと韓流ブームは、仲たがいした兄弟がよりをもどそうとしているようにも思える。異文化である(別々の個人である)緊密な二つの文化(東アジアの家族の一員)が、相互にそれぞれの存在を認め合い、そして共同体としての親密な関係を作ろうとしているのである。

東アジア共同体を目指す日韓の同盟関係を強化すること、経済、文化、大学(教育)、市民間の交流を活発にすることが、東アジア共同体の土台骨を着実に形成することになる。日韓の強固な関係が、米中関係を重視し軍事的に巨大化する中国に対する抑止力となり、中国に対して
東アジア国際地域の繁栄が持つ政治経済的意味を理解させる方法となるだろう。

この課題を展開させるには、米国との関係が鍵となる。何故なら、現実は日本も韓国もアメリカとの外交関係を最優先させて、日米関係重視路線の日本と韓米関係重視路線の関係において成立している、日韓関係重視政策であるからだ。

つまり、東アジア共同体構想を展開するためには、現実の米国との重要な関係を理解しながらも、独自の日韓関係を模索する外交が求められている。

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ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」

5. 日韓関係

5-1、NHK ETV特集「日本と朝鮮半島」 イムジンウェラン 文禄・慶長の役のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/07/blog-post_6656.html

5-2、NHK 朝鮮半島と日本 「倭寇(わこう)の実像を探る  東シナ海の光と影」のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/07/blog-post_2310.html

5-3、NHK EV特集 「元寇蒙古襲来 三別抄と鎌倉幕府」の映像資料のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/07/blog-post_6943.html

5-4、姜尚中(カン・サンジュン)著『在日』プロローグのテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_29.html

5-5、東アジア共同体構想の展開を進める日韓関係の強化
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post_12.html






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2011年1月11日火曜日

「レポート材料の作り方」について(3)

三石博行

資料の整理分類と分析作業


資料の優先順位を決める

レポート作成に必要な資料を集める場合に、主なキーワードや課題名が事前に選択されて資料は集められる。それらの事前に選択されたキーワードや課題別に、資料をリストして行く。例えば、レポートの書き方の課題では、「図書館を活用した資料収集の仕方」に関する資料がリストされてくる。「図書館の活用」というキーワードで資料が採取される。「図書館の活用」に関する情報を持つ資料、著書、論文や報告書がリストされる。

資料目録を作りながら、レポート作成に必要な資料分析(精読必要)の優先順位を作る。つまり、速読しながらそれぞれの資料にA(非常に大切)、B(大切)、C(時間があれば読むに値する)、D(あまり重要でない)、E(まったく関係ない資料) の5段階評価を行う。



優先順位の高い資料の収集と保管

集められた資料の中で、まず、Aにマークされた資料を集める。それらの資料は、次に述べる資料分析作業の中ですぐに活用されるものである。そのため、資料の収集作業を行っておく。資料収集は、大学付属図書館を活用する。仮に付属図書館に収集したい資料がなくても、付属図書館のサービス機能を活用すれば必要な論文や著書を他の図書館から取り寄せることができるので、資料の収集は効率よく行うことができる。

次に、収集された資料(アナログ及びデジタルデータ)を保管する。保管作業は資料の整理や分類する作業を伴う作業である。上記した形態の異なる資料、アナログデータとデジタルデータの資料の整理と分類も、情報形態が異なり、その保存方法、つまりPC上のメモリーに保管するかもしくはファイルボックスに保管するかの違いはあるものの、資料整理の基準は基本的には同じである。この資料整理、分類の方法に関しては、別途、章を設けて詳しく述べる。


資料の読み方 精読と速読

一般によいレポートを書くためには、出来るだけ多くの資料を調べ、その中で色々な角度から書かれている資料を出来るだけ多く読解しなければならない。しかし時間の制限やレポートページ数の制限もある。そこで、レポート作成のために集めた多くの資料に重要度のリストを作り、まず大切な資料から読む必要がある。

一般に、レポート作成を進める中で、上記に示した資料リストの重要順位A,B,Cのものは、読まなければならない資料である。その読み方は優先順位によって異なる。

優先順位Aの非常に大切と評価された資料や、大切と評価されたBの資料の読み方は読みながら徹底的に文章を分析する作業つまり精読(しっかり読む)が必要となる。

また優先順位C つまり時間があれば読むに値する資料には一応目を通しおく必要がある。また、出来ればDのあまり重要でない資料にも、何が書いてあるかという情報を得るために簡単に目を通しておくのもよい。資料に目を通すというのは、資料をじっくり読むのでなく、ざっくり読む、つまり、その資料の中で重要な点を取り出しながら読む作業を意味する。

多くの資料に目を通すためには、一般に言われる速読の技術が必要とされる。速読とは資料の情報の概略をつかむ作業である。さらに、速読によって、資料の再評価を行い、また資料の部分的に存在している大切な情報をつかむ作業を行う。



資料分析ノート、「テキスト評価」の材料作成

優先順位AとBの資料は精読するのであるが、ただじっと本を読めばよいと言うわけではない。レポート作成のために精読するのである。そのため、精読された資料はその後レポートを各材料になっていなければならない。

レポート作成は、丁度、料理と似ている。まず、どんな料理を作るかを決める。例えば、餃子を作る(具体的なテーマ)と決める。餃子に必要な食材(情報)を集める。家にあるもの、無いもの。無いものは、どこに行けば手にはいるか。その価格は高いか。高いならそれに代わる安い食材はないかを検討する。そして、すべて必要な食材を集めて、それから食材を料理用に加工する。すべて必要な食材の加工が終了してから、料理に必要な調理器機(道具)を揃える。そしてすべての加工された食材、調理道具が揃った段階で、料理を始める。出来た料理を盛り付けるお皿やお野菜等々も忘れずに準備しておく。

つまり、レポート作成に活用する材料(料理用の材料と同じ)を用意しておくのであるが、レポートを書くためにすぐに役に立つように準備されていなければならない。

その準備の仕方の一つが精読であった。これは料理で云えば包丁の使い方のようなものである。包丁の使い方が分かったからといって料理用の食材の準備が完了した訳ではない。

レポート作成用の資料分析ノートは、資料(テキスト)の解釈や評価の作業によって作られる。その方法は大きく分けて、四つの要点によって構成されている。

一つは、その資料の説明(資料作成者、資料名、資料のあった論文集や著書名、資料を出版した組織や出版社名、資料の発行年度月日、資料ページ数)である。

二つ目は、資料に記載されている内容の紹介である。資料の文書を使いながら、出来るだけ資料に忠実に記載する必要がある。

三つ目は、資料の内容への評価である。評価とは、資料が示すテーマ(課題)に関して資料は十分に展開しているかという点に関する分析である。つまり、資料の内容で評価できる点や不十分な点を具体的に指摘する。

四つ目は解釈である。解釈とは、上記の評価を前提にして、こんどは自分の視点から、つまり自分のレポートの課題の視点から資料に関する感想(主観的であってもいい)を述べることであうる。

レポート資料分析ノート、もしくはテキスト評価解釈ノートは、上記した四つの課題を明確に示しながら書くことになる。つまり、テキスト分析ノートの構成は、はじめにで資料を選択した意味や課題を書く、第一節は資料の説明、第二節は資料内容の要約、第三節は資料評価と資料解釈(感想)となる。 出来れば、最後にまとめで資料分析作業に関する問題点を書く。


参考資料

1、「大学でのノートの作り方」(1)
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/1_24.html

2、「大学でのノートの作り方」(2)
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/2.html

3、「レポート材料の作り方」について(1)
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/1.html

4、「レポート材料の作り方」について(2)
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/2.html






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「レポート材料の作り方」について(2)

三石博行


資料情報を収集と資料リスト作り


資料の多様な情報形態

レポートのテーマが決定したら、そのテーマに関する資料を集める。レポート作成にとって資料収集は大切な作業であり、レポート作成作業の第一歩である。

ここで述べている資料は、筆記資料、音声資料、画像資料、統計資料等がある。それらの異なる資料にはそれぞれの収集(採集)作業の仕方がある。例えば、紙面に表記されている資料、つまりアナログ資料(データ)はノート、フォルダー、ファイル、バインダイー、ファイルボックス等に収集される。また、デジタルデータは、PC及びその周辺機器や記憶媒体によって収集される。

アナログ資料とは主に印刷されたもの、例えば図書館で調べた本、文献、インターネットを通じて調べた情報の印刷資料、チラシや配布資料や報告書等々である。また会議、研究会、講演会や取材活動で自ら筆記したノートや描写したスッケッチ等の資料も含まれる。 
取材など現場に行ってインタービューを行う作業では、筆記やスケッチした資料以外にも、録音した音声データ、デジタルカメラや写真機で取った静止画像データやビデオで撮った動画画像データもある。

特に、会議、研究会、講演会や取材での筆記資料の作り方に関しては、講義中のノートのとり方が基本となる。大学でのノートのとり方は、レポート作成資料のもっとも基本的な作業である。大学では、講義を通じて、口頭情報(声の情報)を筆記する技術、つまりノートのとり方を教える。その技術がそのまま取材ノートの作り方に活用できるのである。大学でのノートの作り方、特に口頭情報のスケッチ方法については、別途用意された教材( )に記述したので、それを参考にするとよい。

音声資料は取材で録音した音声資料、ラジオの番組や研究会や講演会等の口頭発表を録音したものなどがある。最近では、テープレコーダでなくIPレコーダーが使われ、そのデータの管理もPC上で保存できる。また、それらのデジタル音声データを掘り起こし、音声データを文書データと変換して、筆記資料として管理することもできる。同様に、取材やテレビ番組で録画した画像や映像資料もデジタル化してPC上で管理することができる。

アンケートや街頭(街角で行う)調査で得られた資料は統計的に処理され統計資料となる。また、白書やインターネット上で公開されている政府や専門調査機関が作成した統計資料もレポート作成用の大切な資料である。それらの統計資料は論文や報告書の紙面に記載されたアナログデータかデジタルデータとしてExcel やPDFファイル形式になっている。


大学付属図書館での資料調査

まず、大学付属図書館の資料を調べる。付属図書館の資料検索はインターネット上で可能で、学内のパソコンから付属図書館のサイトを開くことができる。

付属図書館のサイトには必ず「資料検索」ができるようになっているので、その検索エンジンを活用する。例えば、「本学の資料」をクリックして、「所蔵検索OPAC」をクリックすると、検索用語入力によって図書館の資料(本、論文等)を調べることができる。例えば「レポートの書き方」と「検索語1」に入力し、「検索開始」をクリックすると、付属図書館にある「レポートの書き方」に関する蔵書12件が検索される。

絞込み検索は、検索語1「レポートの書き方」と入力した後で、「AND」で検索語2に「心理学」と入力すると、心理学系のレポートの書き方の資料が検索される。


論文や雑誌記事検索

論文を調べる場合には、「資料検索」の中の「データベース」をクリックする。「雑誌紀要等の論文・記事情報を調べる」の中の国立情報研究所の「CiNii 論文情報ナビゲータ」のサイトを呼び出し、同様にして調査した用語(キーワード)を入力して論文資料を検索することができる。

1. 論文情報ナビゲータで検索した資料を収集するには、図書館の窓口で相談するとよい。論文が学内にある場合は、すぐに資料を入手することができる。学外にある場合は、付属図書館から学外の図書館に資料の複写を依頼することができる。

2. さらに、図書館には日経新聞などの新聞記事のデータベースのCDもあり、キーワード入力で記事の検索ができる。レポートの材料として、日経新聞などに記載された記事を活用することもできる。記事検索を行う場合、そのやり方に関しては付属図書館の窓口に相談するとよい。


資料目録(リスト)の作成

レポート作成の課題を決め、それに関する著書、論文、報告書やインターネット上での資料を調べ、必要と思われる資料のリストを作る。

リストに記載されたものはあくまでも、レポート作成に必要と思われるものである。レポート作成に必要な資料を集める場合に、主なキーワードや課題名が事前に選択されて資料は集められる。それらの事前に選択されたキーワードや課題別に、資料をリストして行く。例えば、レポートの書き方の課題では、「図書館を活用した資料収集の仕方」に関する資料がリストされてくる。「図書館の活用」というキーワードで資料が採取される。「図書館の活用」に関する情報を持つ資料、著書、論文や報告書がリストされる。

課題別に資料リストに基づき、資料を集める。例えば「図書館の活用」という情報を持つ著書「山田太郎著、図書館学入門」、論文「佐藤和男著、図書館を活用した知的生産の技術」等数件の資料が付属図書館の中から見つかる。それらの資料名と作者名を記載しリスト化する。
それらの付属図書館が所有する著書や論文を閲覧しながら、それらの資料の大まかな情報を記載する。

課題別の資料リストの作成は、調べる資料を精読するのでなく、速読しながら、作成する。まず、著者名、著書名、出版社名、出版年月日、ページ数を記録し、レポート作成に必要と思われる章や節を拾い出す。それらの章や節のタイトルを記入する。簡単なコメントを書く。

上記した作業を繰り返しながら、一応必要と思われる資料には簡単に目を通す。簡単に、速読しながら、レポート作成に必要な資料分析(精読必要)の優先順位を作る。つまり、速読しながらそれぞれの資料にA(非常に大切)、B(大切)、C(時間があれば読むに値する)、D(あまり重要でない)、E(まったく関係ない資料) の5段階評価を行う。

資料リストは、レート課題の中の部分課題名、資料の重要度(AからEまで)、著者、資料タイトル、出版社名、発行年月日、ページ数、それらの大まかで簡単な情報、概略を記入する。これでリスト作成は終了する。


参考資料

1、「レポート材料の作り方」について(1)
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/1.html







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「レポート材料の作り方」について(1)

三石博行

レポートを書くための準備作業


レポートの材料作り・テキスト批評

高等教育では、自主的な研究の技法や姿勢を学ぶことが課題になっている。大学での知識の習得の中で重視される課題は、知識の習得姿勢を学ぶことである。

つまり、科学技術文明社会では知識は日々生産され、そして消費され、再生産され続ける。この社会が必要とする知識人とは、知識を所有する人だけでなく、知識を再生産する人である。つまり、つねに社会が要請しつづける新しい知識を学び、また研究し続ける人々がこの社会のリーダーとなる。

その意味で、現代社会は大学に対して、知識の再生産能力をもつ人々の育成を期待している。専門基礎教育を担う大学学部教育では、専門基礎科目と共に、知識の再生産の技法を教えることになる。

その課題を実現するために、「学部基礎教育における知的生産の技術」に関する課題、知的生産の技術としての講義ノートのとり方、レポートの書き方の学習を企画した。

学部でのすべての講義を通じ、講義情報をスケッチ、記述、収集、整理する技術と、資料を分析する技術、さらには課題にそって資料を調査し整理分類する技術について学ぶ。

ここでは、受講ノート作成、レポート提出など、演習ゼミや講義を通じて学部教育で日常的に行われている作業の中で、自主的な研究活動に必要な技術、知的生産の技術の基礎を身に着けることを課題にする。

このレポート材料の作り方を具体的に習得するため、河野哲也氏の著書 『レポート・論文の書き方入門』の「2章 テキスト評価という訓練法」pp13-29 のテキスト分析、評価と解釈の資料を作成してみた。資料の作り方は人それぞれであるが、資料作成の参考となる。



レポート課題を決める

まずレポートの課題を決めなければならないのであるが、決定したテーマが、必ずしも、書くために適正であるとは限らない場合も生じる。

例えば、テーマが大きすぎると、レポートとして纏められない。レポートのテーマに「人間とは何か」という課題を選んだとする、このテーマはあまりにも一般的で、漠然としている。そのため、人間の何について書いたらいいかとテーマを決めた後で課題が生まれる。人間とは何かという課題について考え、例えば「生物的な人間」のについて書いてみようかとか、また「社会文化的人間」な人間の側面について書いてみようかと、さらに課題が生まれる。このように大きなテーマを選ぶと、そのテーマからさらに新しいテーマがうまれるのである。

レポートのテーマが大きいのは、レポートに書く課題が具体的になっていない現状を物語っている。つまり課題が決まらないときには、必ず大きなテーマが浮かぶ。その大きなテーマをさらに検討することで、具体的なテーマに絞られてゆく。大きなテーマしか浮かばない場合は、テーマが決まっていないと思えばいいのである。その大きなテーマを具体的に考えることで、レポートのテーマは絞られる。

レポートのテーマを決める場合に、一般的な課題からテーマをイメージするのでなく、学習や生活の中で常日頃感じている疑問や問題意識から、具体的な課題を選択することが大切である。何故なら、レポート作成は研究調査活動の一つであり、自主的な学習態度を持たなければ出来ない作業である。その意味でも、知りたいと感じている課題を選ぶことによって、自主的な学習活動は自然と進んでいくものである。 疑問や問題意識がなければレポートを作成することは難しいといえるだろう。

一般に、専門的な論文やレポート(報告書)になるに従って、テーマは具体的で詳細になる傾向がある。すでに色々な知識があり、またそれに伴う具体的な問題意識を持つために、レポートのテーマもより具体的になる。すでにある課題に関して詳しく知っていることが具体的なテーマを選ぶ条件になる。つまり、具体的なテーマとは、より明確な課題にテーマが絞り込まれたことを意味している。

例えば「レポートの書き方」という課題から「レポート作成のための資料の収集の仕方」とすると、より具体的になる。さらに、「図書館を活用した資料収集の仕方」とするともっと具体的なレポート課題になる。

しかし、逆に余りにもテーマが詳細すぎると、レポートの体裁を作らない場合が生じる。例えば「大学付属図書館の「資料検索」サイトによる文献調査の方法」となると、レポートの形式を取って説明する必要もなく、資料検索マのニュアルとしてまとめることで十分となる。
レポートを書きなれていない学生にとって、レポートの課題を決めることすこし困難に思える。しかし、レポートを書く訓練を続けることで、その要領を理解できるようになる。大切なことは、日ごろ関心を持っている具体的な課題をレポートの課題として選ぶことである。

例えば「人間と倫理」の講義に関して「自由課題」のレポートの提出を求められた時、日ごろ自分が関心をもっている「人間と倫理」の課題、例えば「友情を大切にするこころ」とか「家族を大切にするこころ」などをテーマにすることでレポート課題が決まるだろう。

自分の関心のある課題を書き、それらの課題に関するして「何故、それに関心を持っているか」、「その課題を考えることの意味は何か」という疑問を投げ掛けてみて、それについて具体的に書くことができるなら、それらの課題はレポートの材料となることを意味する。


参考資料

1、「大学でのノートの作り方」(1)
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/1_24.html

2、「大学でのノートの作り方」(2)
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/2.html







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こどものいじめと人権教育の課題

三石博行

初中等教育での人権・人間教育課題

こどものいじめ・大人社会での人権意識の反映

学校でのいじめ(虐め)には、子供社会にある「お山の大将を決める行動」に由来するもの、嫉妬によるもの、そして刑事事件的な暴力行為まであると言われている。その具体的な手口は、悪口を言う、笑いものにする、悪いうわさを立てるなどの言葉による暴力、無視する態度による暴力から集団暴行(暴力を振るう)、恥ずかしい行為を強制する、金銭を要求する、万引きなどの犯罪行為を強制するまである。

一般に小学校のクラスで起こるいじめは、クラスの5、6人の小さな集団が中心となってクラス全体の傍観者を入れた、ある特定の個人への嫌がらせである。いじめにあっている子供がクラス(共同体)の秩序を破壊している訳でもなく、またその子供への制裁をクラス会で決めたわけでもないし、クラス全員が制裁に参加している訳ではない。それは、いじめを行っている少数のグループの子供たちが、同じクラスのある子供に対して、個人的な感情による陰湿な暴力行為である。

しかし、いじめている子供もまたいじめを傍観しているクラスの大半の子供も、その行為が人権を侵害する行為、暴力行為、卑怯な行為であるという自覚はない。この無自覚さは、こどもたちと呼ばれる社会性を身に着けていない人々が持つ「無邪気な行為」について理解しておく必要がある。

つまり、多くの人間関係を経験したことのない人々(子供)に、自らの行為によって引き起こされる他人の痛みについて理解する心を育てなければならない。そのこころが育ってない精神構造からは、自らが引き起こす、他者の心を傷つける行為が暴力であるという自覚は生まれない。つまり、子供のいじめの現状の全ての責任は、大人たちの教育にある。そのことがまず、こどものいじめを目の前にして、考えなければならない課題であると言える。

言い方を換えれば、こどもの社会でいじめが蔓延していることは、大人の社会に虐めが存在していること、その大人を観ながら子供たちは虐めを当然とする社会で育っていることを意味している。つまり、大人社会での人権意識の反映としてこども社会でいじめが蔓延すると理解すべきである。


民主主義文化のバロメータとしてのこどものいじめの現象

つまり、いじめに鈍感な日本社会は、ある意味で民主主義が社会の文化として定着していない現れと解釈できる。どのような小さな集団であっても人々の集いの全てが、民主的に運営され維持されているかということが「いじめ」を起こさないことを保障するのである。

いじめは暴力の一種である。暴力には色々な形がある。例えば、肉体的に痛めつける暴力、言葉によって心を傷つける暴力、コミュニケーションを遮断する暴力、人格を無視する暴力等々。つまり、他者を積極的に傷つける行為である点がそれらすべての暴力に共通する。いじめは個人的な憎しみや妬みをあらわす積極的な他者への行為である。

いじめに対して、民主主義社会の対応は極めて明快である。つまり、その暴力は社会的犯罪である以上、いじめへの対応は犯罪行為に対する対応となる。いじめを行った人々を裁くことである。つまり、いじめの行為が明らかに法律違反している限りにおいて、社会は暴力としてのいじめに対応できる。

しかし、多くの場合、子供の社会で行われているいじめは、被害者のこころの傷の大きさに比べて、加害者の社会的責任追及は不可能に近い。それが現実である。被害者が自殺するに至っても、加害者への責任追及、損害賠償や刑事的責任の追及は不可能である。

これまで多くの学校ではいじめに対する取り組みは遅かった。いじめを予防するための国や地方自治体の対策が出されるまで、現場、学校が率先していじめ対策を講じていくケースは少なかった。このことは、学校自体がいじめの環境を積極的に作っているという自覚が無いことを意味していた。教育課題としていじめを取り上げる、つまり人権教育の課題として、日常的な子供たちの行為を問題にし、それを学習教材にする対応が現場の学校で工夫されないことが問題なのである。

もし学校が、いじめ対応に対する法律の社会的対応を待ち、いじめを社会的制度の中で解決すると考えるなら、学校での人権教育を考えることを破棄したと言えるだろう。学校でのいじめの問題で、刑法などの法律的な暴力としてのいじめへの対応策はいじめ問題の基本的な解決を導くとは考えられないのである。

日常的に些細ながらもいじめがおこる子供社会とは、人権に鈍感な社会の反映である。つまりこども社会でのいじめ問題の解決は、大人の社会での人権重視の社会構築にあるだろう。
そして社会が、真剣に人権を守ることの大切さを考え、子供たちに、それを伝えようとしない限り、こども社会でのいじめを防ぐことは出来ないだろう。


虐め(集団的暴力)を是認する傍観者の存在

村八分は民主主義社会では認められない人権侵害行為であるが、日本人の「村落共同体意識」には、村八分を正当化しないまでも、それが行われていることを無言のうちに了承している人々の意識がある。この無言の人権侵害への傍観者意識が、人権侵害を起こす大きな原因となっている。

クラスで数人の子供がある子供を虐めているとする。クラスの多くの子供たちは、いじめっ子が絶好のターゲットを決めて、虐めが行われていることを理解している。しかし、大半の子供たちは、その虐めには参加してはいない。ただ、それを傍観しているだけである。虐めているグループにあえて虐めをやめるように忠告する訳でなく、もし虐めをやめろといえば逆に自分が虐めの対象にされる危険性があることを知っている。だから、ただその虐めの現実にかかわりたくないと決め込んでいるのである。それがクラスの大半の子供たちの姿である。

これらの傍観者の存在によって、つまり虐めを認めている人々の存在があることが、虐めている人々にとっては、自分たちの行為の承認者として映る。その消極的な承認者を得ることで、私怨(しえん)や個人的鬱憤行為(うっぷんこうい)も社会的存在理由を見つける。もはや、私怨による行為でなく、皆が認めている皆と共同してやっている行為に変貌するのである。

このクラスの大半の子供たち、不特定多数の傍観者の存在によって、いじめっ子の暴力は、社会的制裁行為の意味付けをもらい、伝統的に村の中で繰り広げられた村八分的行為に変貌するのである。

傍観者の存在は、伝統的な村落社会の無言の協同者を意味する。その存在は、古い村落共同体の社会運営に関する慣わし、つまり日本人の深層心理にしっかりはまり込んでいる「暗黙の同意」によって運営される村の掟を呼び覚ます。

いじめっ子が堂々とクラスで暴力を振るためには、傍観者の存在が必要なのだ。もし彼らがいなければ、その行為の主観性は見破られるのである。彼らは堂々と暴力を振るうことは難しくなるだろう。それだけでも、虐めはクラスの中で公然とは起こらなくなる。

そして、クラスの大多数の子供が、傍観者から虐めを批判する側に変わるなら、つまりクラスの多くの子供たちが、「弱いもの虐めをやめよ」というなら、いじめっ子の中で正当化したい暴力の公共性は忽ち(たちまち)崩れ去り、虐めという行為があらわに社会(クラス)の中に露呈(ろてい)するだろう。個人的感情によって生まれた自分の行為としての虐めに含ませたかった「社会的」制裁の意味合いを失うだろう。

私怨によって生じる暴力「いじめ」に、社会的制裁のニュアンスの混入を防ぐためには、つまり虐めが暴力であると明確に意識する契機を得るためには、その虐めを見て見ぬ振りをする大多数の傍観者達のモラルを問いかけ、彼らの協力を得る以外にないのである。


いじめについて考える人権教育

つまり、非常に日常的に起こる言葉や態度によるいじめに対して、教育の立場から常に敏感に対応する姿勢が必要である。いじめはこどもの社会では常に起こるものである。こども社会でのいじめを防ぐためには、いじめる子供たちに対する懲罰ではなく、いじめを考える人権教育の普及が必要である。いじめを通じて、こどもたちに人権教育の機会を作ることが出来るのである。つまり、日常的に生じるいじめを積極的に取り上げ学校側の教育姿勢が必要である。

もし、学校や教師が、そうした姿勢を持たないなら、学校や教師の側に人権に対する意識の低さがあり、そのことが学校でのいじめの蔓延を放置していると考えるべきであろう。日常的にいじめを積極的に取り上げることが教育の場として必要である。それを理解しない学校や教師は、現実の大人社会で行われている人権侵害の行為に対しても鈍感であると言えるだろう。

教育活動として虐めを問題にして、いじめた経験のある子供、いじめられた経験のある子供も共にそのことを考える機会を与えことで、教育の立場からいじめを防ぐことができる。換言すれば、いじめは人権教育のもっともよい教材となる。子供たちは、自らの行為をもって、人権について考える機会を得る。これがまず学校が取らなければならない虐めへの対策ではないだろうか。

教育プログラムとしていじめに対する対策が行われている事を前提にして、具体的に発生する虐めへ対策を考える必要である。虐めた子供も虐められた子供も含めて文部科学省が提案しているマニュアルなどを活用し学校やクラス全体で虐めに対する対応をしなければならないが、しかし、もっと大切なことは、教育現場で、具体的でしかも生きた教育材料を活用しながら、人権教育を企画できる教育力が教師や学校に求められている。

さらに、刑事事件の対象になる虐めに関しては発見した際に警察の協力が必要で、保護者も学校も警察に通告しなければならない。例えば自殺者を出すなど、重大な事件に発展し被害者の保護者の憤激を伴う場合、刑事事件として告訴しなければならない場合が生じる。

しかし、こどもの喧嘩(暴力を振るう行為)によっても傷害事件が発生する。それらのすべての事件を刑事事件として告訴することは出来ない。こども同士の喧嘩による暴力事件に対しても、単純に刑事事件として扱うのでなく、こどもと保護者を入れた話し合いを学校が企画し、こどもへの暴力に対する自覚を教えなければならないだろう。つまり、どのような事件がおこっても、マニュアル通りに解決するのでなく、そこにいる子供の現実と状況を理解したケースバイケースの教師と学校の対応が求められている。

こどもの人格を尊重する学校や教師の考え方がない所にこどもへの人権教育は芽生えないのである。




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国際化する人権思想・民主化過程

三石博行

自由主義経済の導入は民主主義制度・人権思想の発展を導く


現在、日本社会のみでなく世界の多くの社会が資本主義経済によって運営されている。北朝鮮を除く中国、ベトナムやその他の社会主義国家やイスラム宗教国家でも資本主義経済を基本とする社会運営が行われている。その場合、自由な経済的行為や財や富への欲望を肯定しない限り資本主義経済は成立しない。

富への欲望肯定は個人主義の発展に火をつけ、全体主義を維持するために必要であった禁欲主義を解体しつつある。21世紀社会に軍事的植民地主義を呼び戻すことが出来ない限り、富国の条件として自由な経済行為を認めなければならない。その富国の条件と全体主義や禁欲主義は拮抗することになる。

人権思想は、資本主義経済の推進力を果たす個人主義、自由主義に支えられ歴史的に発展してきた社会思想である。その意味で、資本主義経済の発展は同時に人権思想の普及を意味する。つまり、中世社会・封建制度を維持してきた社会思想は資本主義経済の発展と共に駆逐され、消滅を余儀なくされる運命にある。

好むと好まざるに関わらず、富国政策を資本主義経済発展によって推進する場合、資本主義経済を維持するための社会制度(法律や行政機構)が発展し、その中で働く人々の効率のよい労働、役割、社会的機能を保障しなければならない。それらの社会的機能を維持する個人の役割が、個人の社会観念形態の基本を作るのである。

その集合表象形態、つまり共同主観性によって、社会的常識や社会習慣は形作られて行くことになる。資本主義経済の発展は、それを担う多くの社会要素や機能、つまり大衆的な役割集団を形成し、それによって資本主義経済制度をより強固に、より大きく展開し続けることになる。換言すれば、資本主義経済システムは個人主義や自由主義を再生産する人々を生み出し、それらの人々の占める社会での量的変化やその社会機能の質的変化が、全体主義的国家であろつと民主主義を基盤とする社会制度へ導くのである。

さらに、今日、21世紀の社会では、科学技術の進歩、つまり科学技術的知の生産力が経済発展の推進力となっている。20世紀の資本主義経済は、新しい文明形態(21世紀の科学技術文明社会形態)、国際化社会や情報化社会の社会文化形態を生み出した。国際化社会や情報化社会によって、科学技術的知の伝達や交流、知識人たちの国際的交流や移動が盛んになって行く。海外の情報が自由に持ち込まれ、国内の政治や社会が国際的な視点から相対化され始め、国民はマスコミを通じて経済的に進んでいる海外の社会モデルを知ることが出来るようになる。

現代社会では、すべての国と民族がその存続を掛けて世界経済競争のトラックを走っている。富国富民のために競争が繰り広げられている。そして、その過程で、それぞれの歴史や伝統文化を前提にした民主化過程が生まれるのである。例えば、社会主義政治制度やイスラム共和主義制度の国々においても、豊かさを求める国民は経済的行動や政治的行動の自由を国家に求めことになる。

資本主義経済を推し進める以上、民主主義制度への移行は避けられないし、民主主義制度の確立へ向かう以上、人権思想が社会に根付くことは避けられないのである。

参考
三石博行 「中国の近代化・民主化過程を理解しよう」
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_1850.html

三石博行 「イラン・イスラム国家の近代化過程と日本の国際戦略」
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_2293.html






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2011年1月6日木曜日

いじめを生み出す文化的構造

三石博行

はじめに

いじめやハラスメント(嫌がらせ)は日常茶飯事に起こっている。いじめという個人の行為が生じる社会文化的背景について考える。特に、子供社会でのいじめとその予防対策について述べる。


いじめとは何か、その行為の社会文化的構造について


日常的な行為としてのいじめが問う課題

いじめ(虐め)とは暴力行為である。いじめに近い概念に、ハラスメント(いやがらせ)、虐待(幼児虐待、老人虐待、障害者虐待)等がある。例えば、男の職員が女の職員に性的ハラスメント、上司が部下に仕事上のハラスメント、親の幼児虐待、女性差別、老人虐待、障害者差別、部落出身者差別、在日外国人差別等々がある。

言い換えると、いじめは、私たちの社会、つまり地域共同体、職場、学校、集団、家庭で、ことばの暴力、嫌がらせ、差別等々として日常茶飯事に行われている。社会に力の格差、つまり強い立場のもの、弱い立場のものがいる限り、強いものが弱いものに力の行使を行う。一方的な力による立場の主張が可能な人間関係において、ハラスメント(いやがらせ)、虐待やいじめが生じる環境が成立する。力の格差を使って行われる行為がいじめとよばれる目に見えにくい暴力の姿である。

つまり、いじめにはいじめる側といじめられる側が存在している。その関係は、社会的立場の優劣や力や能力等の格差によって生じている訳で、例えば、社会的立場や能力の違い、つまり、親子、大人と子供、男女、教師と生徒、上司と部下、健全者と障害者、健康人と病人、身体能力の違い、学力の違い、学歴の違い、経済力の違い、出身地の違い、国籍の違い等々、優劣関係を生み出している社会構造から、必然的に作られる。つまり、立場、能力、力等の格差の違いから生じる強い関係が、いじめの発生基盤となる。

いじめは、日常的に生じるハラスメント(いやがらせ)、差別、人を傷つける行為が、現在の日本の刑法に違反しないぎりぎりのラインで行われている。例えば、上司が部下で仕事上の理由で、部下を叱ることは当然の行為として考えられる。しかし、その部下に対して、個人的な理由、肉体的な特徴を叱るときに持ち出す行為は明らかにハラスメントとなる。

上司が部下を仕事上の理由で叱る行為でも、そこに仕事上の問題、個人的生活、人格上や身体的特徴等を持ち込むことは避けなければならない。上司の人格が叱るという行為に関わってくる以上、ハラスメントはその基本構造にある強い者から弱いものへの力の行使という構造的な 関係だけでなく、人のモラルも課題になるといえるだろう。


 
私怨による暴力行為としてのいじめ

いじめやハラスメントは、力の格差を使って行われる不当な力の行使(暴力)と考えた。しかし、その暴力は国家や社会が法律(悪法)によって行う社会的弾圧や社会的暴力と違い、ある集団や個人が行う私的(集団的)な暴力である。つまり、虐め(いじめ)は、私怨(しえん)によって生じている暴力である。

それにもかかわらず、どことなく組織を管理する人々(多数者)が、組織の秩序を乱す人々(少数者)に対する社会的な制裁のニュアンスを持ち込む。小学校のいじめっ子や会社で部下や女性社員をいじめている上司も、その行為が人間的に許されない行為、他者の人権を無視した行為であるにもかかわらず、どことなく、自分の行為が正義に基づいていると想っているのである。

例えば、男子の上司が部下の女子職員を、仕事上の理由で性的に虐待することは、現在(2010年の日本社会)では常識的に許されてはいない。しかし、その上司が部下の男子職員を、仕事上の理由で虐待している場合でも、それが虐待であると判断されない場合も起こる。と言うのも、企業では新入社員教育制度や業績向上や課長や部長職に就く前の研修があり、厳しい仕事上の注意事項やスキルが伝達される。また、古い世代の上司や役員には、伝統的な男性中心主義の社会制度からくる、男だからキツイ批判を受けても受け止めるのが当然だとする固定観念があるため、仕事上の理由で行われる教育と虐待の違いに相違が生じる可能性もある。

こうした、日本社会の伝統や文化の習慣からくる教育と虐待の境界不明瞭な問題が現実に存在している。そのため、上司も仕事を理由に行う行為は虐待だと自覚していない場合があり、仮に、自分の虐待行為を部下から指摘されたとしえも、理解できないことが起こる。しかし、明らかに職場での訓練や教育が常識を逸脱している場合がある。職場での虐待行為は現実に起こっている。

つまり、虐待やいじめが明確に犯罪行為として社会的に判断されるには、虐待やいじめによる被害が暴力行為の判定を受ける必要がある。その場合、刑法で定められた暴力行為の基準、つまり傷害罪の判定を受ける行為でなければならない。例えば、上司が部下の女子職員に対して虐待をした形跡が、肉体的に明確に証明される場合、つまり医者の診断書がある場合、上司の行為は刑法違反行為・傷害罪の容疑を受けることなる。

しかし、上司がことばで部下の女子職員を侮蔑した場合、その一言をもって、女子職員が上司を裁判や社会に訴える行為が成立することは日本社会では難しいだろう。しかし、日常的に、その上司は部下のある女子職員に性的虐待を行い続けたとする。そして、その女子職員が精神的(神経内科的)に病み、病院に行き、医者やカウンセラーと相談することになり、そのカウンセラーが問題解決のために、企業や労働監督所にその実態を報告し、それでも改善が見られない場合に、その上司と所属企業に対して警察や裁判所に訴えることになる。つまり、個人的な訴えでなく、社会的判断を得る手続きを経て、その上司の行為は社会的に刑罰の対象となる。

言い換えると、私怨による暴力行為としての虐め(いじめ)も、それが社会的に暴力行為であると理解されなければ、社会的制裁の対象にはならない。単に私怨による行為なら、その程度により、傷害罪が適用されるまでは、暴力行為として認定することは出来ない。そうした条件が、私怨によることばや暴力行為を止めさせることが出来ない現状を生み出している。
私怨による暴力を食い止めるためには、法的な問題としていじめを課題にする限界が存在していると言える。


暴力行為と教育・愛による懲罰行為の判断基準

もし、簡単にあることばや力をもつ立場からの行為を暴力として認定してしまうなら、おそらく、上司が部下を叱ることも、教師が生徒を叱ることも、相撲部の先輩が後輩を鍛えることも、暴力と解釈される可能性が生じる。

小学校の教諭が、例えば掛け算のできない子供を集めて罰を与えたとする。その行為は、一般に子供が掛け算をできるようにするための教育活動として理解されるだろう。しかし、その理解は、教諭の選ぶ罰の内容による。つまり、その罰が以下の条件を満たさなければならない。先ず、掛け算のできない子供たちをできるようにするための有効な方法であると評価されること、次に、罰を受けた子供たちが、掛け算をできないことで自分の人格が否定されていないと感じられていること、さらに、その罰を受けることで、掛け算を勉強しなければならないと自覚することができることである。

罰が子供に勉強をしなければいけないという自覚を促すなら、その罰は教育効果を持つと解釈できる。しかし、その罰が、身体的な体罰であり、精神的な苦痛や屈辱を受ける罰である場合には、それらの罰が及ぼす教育効果とそれらの罰が引き起こす身体的や精神的な苦痛を考え、その行為を点検する必要があるだろう。

つまり、教育行為として行われる罰は、それを受け入れる側(子供)のその罰を受ける立場への了解が必要となる。もし、その了解を逸脱する行為であれば、その罰は教える側と教えられる側の立場を使った力の行使と解釈される可能性がある。

家庭で、子育てをする親が子供を叱る、場合によっては体罰を与える。その体罰は、子供に善悪を教えるために行われる「愛の鞭」である。親は子育ての義務として、子供に社会的道徳心を教えなければならない。場合によっては、そのために厳しい折檻(せっかん)が必要となる。厳しい家庭教育と子供虐待の境界線は、親の子供への愛情の有無である。子供への折檻の局面のみで子供虐待と解釈することは間違いである。つまり、親の子供への制裁行為を日常生活のすべての経過の中で理解しなければならないだろう。何故なら、幼児虐待は、子供の生きる権利を奪う日常的な行為として生じている。暴力的行為に及ぶという局面のみで、それを幼児虐待として解釈することはできない。

しかし、子育てに疲れた母親たちが、告白しているように、ストレスを抱えた母親の子供への折檻が虐待と境界すれすれにあることを考えるなら、幼児虐待の課題は、虐待を受ける子供だけでなく、虐待的行為に走ってしまう母親たちの課題をも解決しなければならないことに気付くのである。

特に学校や家庭でのいじめと判断される行為の基準について、明確な概念を設定することは困難であると言える。日常生活の中で行われる教育や育児行為は、場合によっては、いじめ、虐待に変貌する可能性を持つ。その基準は、愛情をもって行われた行為か憎しみをもって行われた行為かという極めて行為者の主観的な領域にまで踏み込むことになる。


日本国憲法で禁止される懲罰

日本国憲法は、平和主義、基本的人権擁護と国民主権(民主主義)を基調にして成立している。当然のことだが、犯罪者を処罰するための法律も、この日本国憲法の基本精神に則して行われる。 

つまり、ある集団や社会が、その集団に利益に反した人々に対して、日本国憲法に違反するような懲罰規定を独自に決め、執行することは出来ない。例えば、村の有力者が、村落の決まりを守らない人に対して、彼らの生活権や人権を奪い取るような懲罰、村八分にすることはできない。当然のことだが、日本社会では、法律違反者に対して刑罰を科すことは国家以外にはできない。

また、組織や集団は、日本国憲法に違反しないことを前提にして組織の懲罰規定を設けることが出来る。例えば、会社であれば就業規則は、憲法、労働基準法に違反してはならない。例えば、就業規則違反者を、牢獄の代わりに会社の倉庫に閉じ込めるとか、懲罰行為として鞭打ちの刑とか平手打ちの刑に処することは出来ない。

しかし、就業規則上の懲罰規定で、会社へ損失を与えた職員に対して最も重い処分として、会社に所属している身分を奪う、解雇処分がある。さらに、会社は民事裁判を通じて、会社に与えた損失の賠償を請求することも出来る。

いじめによって傷害という結果を生み出すなら、現在の日本社会では、その行為は社会的に批判糾弾されることになる。しかし、言い方を変えるなら、格差によって生じる力の行使が法的な手続きをもって成立するなら、それはいじめでも暴力でもないと判断されることになる。


時代、文化や社会に規定されるいじめの概念

私たちの社会に社会的、経済的、能力的、身体的な立場の格差がある限り、より強い者から弱い者への力(肉体的、精神的、社会的、文化的な優越性を強調する行為)の行使は避けられない。すると、それらの格差を使って行われる行為は、ある意味で、社会の構造的関係によって生み出されると考えられる。つまり、社会に格差がある以上、いじめの発生源を絶つことは出来ない。つまり、いじめをなくするためには、社会の格差構造を根絶しなければならないことになる。

しかし、社会から格差を根絶することが可能だろうか。社会に分業が存在し、教育機能が必要とされ、スキルの高いものがスキルの低いものを育て、社会全体を豊かにし、豊かさを持続するために、社会は、能力や経験の豊かな者を優遇し、彼らに責任を与え、その経験を伝達し普及していく制度を作ってきた。その制度に必然的に組み込まれた格差を、いじめの発生源であるという理由から撤廃することは不可能だろう。

つまり、社会的格差一般がいじめの発生源であると帰結することは、これまでの社会発展を否定することになる。そこで、いじめの発生源は、社会的分業制度の維持から生じる教育的な評価、つまり能力や経験の社会的評価と切り離さなければならない。

いじめを格差から生じる「行為一般」から、「不当な行為」と定義し直さなければならない。では、誰が誰に対して不当という判断を下すのだろうかという疑問が生まれる。ここでも、不当という表現を点検しなければならないことになる。再び、いじめを語る場合に、一般的定義を持ち出すことの難しさに出会う。

そこで、いじめは、時代、文化、社会に規定された概念ではないかと考えてみよう。つまり、いじめの発生源は格差を不当に使った行為と考えるなら、「不当」の定義が、時代、文化や社会的状況によって変化しているために、いじめる行為を絶対的な概念軸で定義することが困難ではないかと考えてみる。

つまり、社会は格差を前提にした力の行使を、どこまでを当然、またどこまでを不当であると判断しているかという課題が存在している。この疑問から、このいじめの議論は、「今、ここに」生活している現実の社会状況を前提にしながら考える必要がある。言い換えると、いじめを課題にする議論は、現在進行形の一人称を含む世界、個人がもっている感情や感性を前提にして成立していることを理解する必要がある。客観的な条件のみで、いじめや虐待の存否を判断することは難しいと思われる。

その前提条件で、自分と他者が共に経験した事実に関して、そこで生じている行為が不当であるか否かの判断をしなければならない。不当であると判断する基準は、今、ここで生活している自分と他者の間に成立している共同主観的な了解事項から成り立つ。その基準は、いじめと判断される行為が、社会的に暴力として理解されること、それらの行為を法律的に規制する基準が存在していること、またそれらの行為を社会制度上認可しない風習や習慣が存在していることとなる。つまり、私が自分勝手に、他人の行為をいじめとして定義することは出来ない、その行為を他者もいじめとして了解しなければならないのである。

例えば、戦前の小学校で、悪戯をした児童に教諭が拳骨(ゲンゴン)を食らわすことは日常茶飯事であっただろう。社会で肉体的暴力が当然のように行われている社会では、悪いことをしたらゲンゴンが飛んでくるというのは、愛情や教育上の行為として受け止められていただろう。しかし、21世紀の日本社会で、小学校の先生が、教育上の理由で、戦前と同じ行為をしたら、多分、新聞沙汰になり、父兄や教育委員会からクレームが付き、場合によっては辞表を書かなければならない結果を導くかも知れない。

例えば、悪戯をした児童に教諭がゲンゴンを食らわすという行為が、ある時代には教諭の教育行為として社会的に了解され、ある時代には教諭のあるまじき行為として社会から批判の対象となる。この事実は、いじめを語る場合に、必要となる条件として、その行為だけではなく、行為を解釈し評価する社会文化的環境も、その行為がいじめなのかそうでないのかの判断基準になっていると言う事である。

つまり、いじめに関して語る条件は、今の社会文化的環境でのある行為が、いじめという暴力に相当する否かの問題となるということである。学校で、子供の社会での嫌がらせやことばによる差別などの行為を、目に見えない暴力として解釈するかどうかを議論しておかなければならない。それぐらいのことは問題でないと考える人々がその議論の中心なら、子供社会での嫌がらせは子供の自然な行為として了解されるだろう。しかし、ことばによる暴力も肉体的な暴力と同じように人権を侵害する行為であると考える人々がその議論の中心にいるなら、いじめは暴力として解釈され、いじめを防ぐ対策が講じられるだろう。

いじめという暴力に対する集団や社会的な理解、共同主観的な了解事項を問題にしない限り、いじめの問題は観えてこないとも言える。ある行為を「いじめ」、つまり暴力として判断することは、その社会が持つ人権意識によって決定されている。

戦後社会が戦前よりも人権意識が向上し、肉体的暴力は勿論のこと精神的暴力、ことばの暴力、プライバシーの侵害を人権問題として考えるようになって、戦前や戦後に何となく許されていた「嫌がらせ行為」が、今日の社会では、人権を侵害する許されない行為として社会的に評価されはじめたのである。民主主義や人権の社会思想が人々の生活の営みに浸透し、人間関係や人の社会的行為の基本的基準となることによって、いじめへの社会的対応が可能になるのである。


いじめを生み出す歴史的文化的な社会の構造


「いじめ」に混入する社会的制裁のニュアンス

「いじめ」は私怨によって生じている暴力であるにも関わらず、いじめ(虐め)と関連する他のことば、例えば「排除する」、「戒める」、「懲らしめる」等々、「いじめ」には処罰的意味合いが含まれている。つまり、処罰的意味には、つねにある決まりに基づいて、指導する誰かが指導される誰かに対して、ある理由つまり教育的行為や社会的規範に従った行為として、発動されるというニュアンスが付着しているように思われる。

社会的処罰的意味は、つねに社会や共同体的決まりから発動される、秩序を乱す者への戒め処罰というニュアンスを持つ。つまり、もし「いじめ」が「戒める」という意味を含んでいるなら、同時に、また暗黙の裡に(うちに)共同体の秩序を乱す者への懲罰を意味し、その上で、「いじめ」がその正当性や存在理由を主張しているように思われる。

では、なぜ個人的な私怨(しえん)や妬みから発生した「いじめる」という行為が、社会的な制裁のニュアンスを漂(ただよ)わすのだろうか。そして、極めて個人的な負の感情がどのようなカラクリを使って「社会的正義」の紋章を付けることに成功しているのか。それらの疑問を解明し、その原因を知る必要がある。その疑問を紐解くために、まず「いじめ」から連想される言葉を考えてみよう。

 
中世の村落共同体の秩序維持機能としての村八分

例えば、「村八分」という言葉がある。村八分は村の多数者がある少数者へ行う制裁行為であり、その制裁行為が強い者(多数者)によるよわい者(少数者)への行為と解釈される。その限りにおいて、村八分は「いじめ」と同じように集団からある人間を排除し、人間としての権利を奪い、名誉を剥奪する行為であると解釈されるだろう。その行為の現象面から観て、村八分といじめが同次元の行為、同義語として理解されることになる。

村八分は中世日本社会、取り分け村落共同体で行われていた共同体の秩序維持のための慣わしであり、村民は村の長(おさ)の私怨によって村八分を受けたのではなく、村の秩序を破壊したために、二分の権利、葬式と火事に対して村の協力を得られる権利を除いて、村の八分の権利を失うことになったのである。中世社会の村落共同体の秩序を維持するための掟が村八分であった。

この村八分は、国民の概念が成立する以前の社会、つまり国家としての社会的規範(憲法)が成立する以前の社会に存在した社会的規範の一つである。

中世前期(平安末期~鎌倉中期)までは、民衆(百姓など)の生活を維持管理するための法律、国家的な法令はない。当時の律令(法律)は公家や武家に対して定められた法令・公家法・本所法・武家法など支配者により定められたものしか存在していなかった。そして、民衆に対する司法権・警察権の行使(検断沙汰)も支配者である荘園・公領領主や地頭武士に限られていた。(Wikipedia)つまり中世前期の社会では、法度(法律)は支配者階級のための決まりであり、彼らが領民を支配、管理するための規則であった。

鎌倉後期ごろから室町前期にかけての中世日本社会の村落共同体では、強い自治意識と連帯意識に支えられた惣村(そうそん・多くは地縁的結合によって作られる共同組織)を形成する。その惣村では惣掟(そうおきて)と呼ばれる村落共同体での掟(おきて)を独自に作った。

惣掟とは、中世日本社会での百姓の自治的共同体である惣村において、その共同体の秩序を維持するための掟とそれに違反するものへの制裁を惣村の全構成員による寄合(よりあい)で決議したものである。そのため、惣村構成員に惣掟は厳しく適用された。特に、共同体秩序を崩壊させるような行為(窃盗、放火、殺人など)に対する罰則は、ほとんどの場合、死刑とされた。
つまり、中世前期の日本社会では、現代のように国民全体に適応される憲法や刑法があったわけではなく、村民は村の掟を独自に作り、その掟に従って村の維持、運営、管理のための政(まつりごと)や治安を行っていた。その意味で、村八分はこの惣掟の中に含まれる共同体独自の刑法である。

中世社会では、国民という概念がなく、封建身分制度社会の秩序を維持するために律令(法度)しかなかった。そのため村落では惣掟の制定以来、村独自に掟が定められ、それに従い、村の秩序に従わないものを処罰し排除してきた。村八分という制度は、村落共同体の十の共同行為の中で、葬式と火事以外の結婚式、出産、病気の世話などをしないという習慣を示すものである。江戸時代では、村八分にあったものは村落共同体で共有する土地の使用も禁止されるために、共同山林での薪炭(しんたん)・用材(ようざい)・肥料用の落葉の採取が許されず、事実上生活が不可能になる。

つまり、村八分は、中世の村落共同体で成立していた掟に従って執り行われた刑罰の一つであり、その目的は村の秩序維持であった。村落の掟を破る者に対する処罰として村八分は機能していた。


近代国家の中で存続していた村八分的処遇

江戸時代まで続く藩政では民衆は藩主の所有であり、勝手に藩から出ることは許されなかった。しかし、明治時代になり、明治の近代国家の成立によって民衆は天皇が治める大日本帝国の臣民となった。すべての臣民は大日本帝国憲法を守る義務を負うことになる。

つまり、大日本国憲法に違反する村の掟の存在は許されなかった。大日本国憲法がすべての村落共同体の規範より優位に位置することになる。憲法の基に刑法が制定されることによって、中世社会から存続していた村八分による村民の刑罰は禁止されることになる。換言すると、法治国家では、村落独自の刑法は存在しないため、村八分行為は憲法及び法律違反となる。

しかし、戦前の社会には、中世社会から続く地主制度が存続し、封建的社会観念の土壌は根強く存続した。そのため、村落共同体の掟に反する者に対しては、中世社会の村八分のように生存権を脅かすものではなかったにしろ、共同体の行事に参加できない村八分的な差別待遇の処罰が適用されていた。地主と小作人の関係に見られる封建社会の制度が続く戦前まで日本の農村社会では、村八分の習慣は根強く残存していた。

戦後民主主義社会になっても、村落の決まりを守らない人が出た場合、それらの人々を村の有力者が処罰することが出来るという考えが残存していた。例えば「2004年の新潟県関川村(せきがわむら)で村の有力者が「お盆の行事」に参加しない人たちを村八分にすると発言した事件は裁判にまで発展したことが記録されている」(Wikipedia)現在では、それらの村八分の習慣は、村の有力者による脅迫や人権侵害として法律上認められていない行為であると理解されている。

つまり、上記の事例から、村八分の伝統、村の秩序に従わない者は村八分にすることが出来るという意識は、つい最近まで、21世紀の日本社会でも存続していたと言える。


民主主義国家の理念に反する行為、人権侵害としての社会的排除行為

社会秩序の維持機能としての中世社会での村八分を、現代社会で古き伝統を守る村落共同体でも行うなら明らかに法律違反となる。中世社会では、民主主義社会や国民主権国家は成立していない。そのため、村の掟が村民に適用されることに対して、その是非を問う社会的機能(司法制度)はない。村民の同意が村の掟とその執行を決めていた。

しかし、現代社会では、憲法がありそれに基づく刑事訴訟法や民事訴訟法があり、訴訟された罪状を法律に基づいて認否評価する司法制度があり、個人への刑の判断と執行が決定するのである。

当然ながら、団地の集まり、自治会、学校、クラスでもし村八分が生じるなら、その村八分こそ基本的人権を守る日本国憲法に違反することになる。いかなる集団も勝手に人を罰することはできない。それらの集団が集団構成員に対する懲罰規定を作るなら、その条項は法律違反をしていないか国家によって検証される。

例えば就業規則での罰則規定に関しても、労働基準法に触れないか労働監督所によって点検される。もし就業規則(罰則規定)が法律違反と判断されるなら、直ちに就業規則改善命令が企業に出されることになる。

民主主義と国民主権で運営される現代社会では、どのような理由があっても村八分や法律を違反した社会的排除行為等、集団独自の懲罰行為は、人権侵害とされ、日本国憲法違反となることは言うまでもない。

そして現在、いじめという行為に含まれている古い村落共同体の慣習、集団的制裁のニュアンスは次第に喪失しつつあると言える。







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