2007年12月26日水曜日

文化経済学的視点に立った国際交流活動

NPO京都奈良EU協会の設立趣意書(案)

三石博行

地域社会を国際社会に発信する活動
20世紀後半からの流通、情報や交通の発展によって、国際社会を前提にした地域社会のあり方が課題になっている。そして、海外商品、異文化、外国映画や映像、海外のニュースが私たちの日常生活を形成し、異なる生活文化を持つ海外から来た人々が地域社会の中で共存しよとしている。国際化に伴う日本社会の生活環境の著しく変化の中で、私たちは日常的な生活課題として多文化共生社会での生活様式を身につける必要がある。地域社会の多文化共存のあり方を見つけ出すために、NPO京都奈良EU協会を設置した。
国際化する地域社会の課題は、同時に伝統的な生活文化に対する深い理解を必要とする。伝統的な生活文化への深い理解を土台にすることで、海外の生活文化の素晴らしい側面を理解することが可能になる。この協会活動は、ヨーロッパ社会の文化を私たちの地域社会に紹介するだけでなく、京都や奈良の文化を発信し、その文化を形成する活動として国際交流活動を企画する。
余暇活動として位置付けられてきた国際交流活動では、地域社会の文化事業として持続可能な運営が不可能である。もちろん、私たちの協会の活動は、余暇としての活動の側面を維持しながらも、生活運動への展開の可能性や機会を模索する。つまり、文化活動は経済活動として多くの人々の要求を満たし得るものである。それが、経済的に発達した社会の多くの産業、第三次産業を生み出している。この協会の事業は、営利を目的にした文化サービス活動ではないが、生活者の手作りの国際交流活動、地域社会の伝統文化を発展させる、つまり地域社会の国際化に寄与する国際交流事業を提案し、その活動や事業が持続可能な形態を保障するために、文化経済学的視点に立った経営活動を行う。
従って、この活動は以下の3つの課題を達成することを目的として運営される。
1 、活動の参画する市民の生活の場から始まる文化事業である
2 、地域社会に根ざし、その文化性を基盤とした国際交流活動である
3 、文化事業を通じて、それに参画する人々が生きがいややりがいを求める自己実現型の生産活動である。

持続可能な参加型国際文化事業
このNPO の目的は、事業に参画する過程を重視し、参加者の事業への参画への満足度を常に課題にする。何故なら、このNPO の事業の基本的課題は、事業の経済的利益でけではなく、その事業に参画した人々が、事業構築過程において自己実現を可能にすることにあるからだ。現代社会では、自己の生きがいを求めることも社会的要求となっている。この社会的要求を満たすことには、自己実現を可能にする活動を提供しなければならない。この活動が文化経済的な効果を生み出すのである。
文化事業は、人々の生活経済を豊かにし、生活環境を快適にするものである。国際文化の知識や情報だけでなく、参加者が作り出す国際文化運動、国際交流活動を、この協会の事業とする。

地域社会での国際文化ベンチャー事業の育成
以上の理念に即した事業課題を挙げる。 
1、定職を持たないで人生を探している人が集まり、事業を起こし、生活を見つけるNPO活動を目指す。つまり、この NPO 活動は新しい事業を創設する機会や可能性を若い人々に提供する。文化や経済活動を通じ生み出される新しいベンチャー活動、文化経済活動を創造する。
2 、退職した人が、今までの人生経験を若い人々に伝え、共に運動と生活を作れるNPO活動を目指す。社会的経験を重ねスキルの高い高齢者は社会の大切な資源である。退職をする団塊世代、リストラで失職した人々が、これまでの経験やスキルを生かす場として若い世代と共に文化経済活動を起こることが可能な活動を行う。
3、学生のインターンシップを受け入れ、大学では経験できない社会活動、文化マネージメントを体験してもらい、その経験を、これからの自分の生活形成に役立てるNPO活動を行う。
4 、海外から来て日本で生活している人が、自分の国の社会文化を地域社会の人々に教えながら、同時に京都や奈良の文化を学ぶことの出来る文化交流を前提とした語学文化学習を企画するNPO活動を行う。
5 、海外の人々との触れ合い、つまり地域社会で生活する人々の生活文化を学ぶ文化研修を企画する。持続可能で自分達の生活文化と絡まりあう国際交流活動は、海外の生活の場での具体的な人々との交流を前提とした文化研修によって始まる。生活場・地域社会の文化経済の発展を目指す海外文化研修を企画提供するNPO活動を行う。
6 、市民が生活の場で日常的に接し理解し合える国際文化交流活動を創るNPO活動を行う。

2007年12月26日

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6. EU関係及びEU協会運動

6-1、生活運動としての国際交流運動

http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_14.html

6-2、日欧学術教育文化交流委員会ニュース配信
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_8507.html

6-3、文化経済学的視点に立った国際交流活動
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_26.html

6-4、新しい国際交流活動のあり方を模索して
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/06/blog-post.html

6-5、我々はEUに何を学ぶのか
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/07/eu.html

6-6、東アジア諸国でのEU協会運動の交流は可能か
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/09/eu.html

6-7、東アジア共同体構想と日本のEU協会運動の役割
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/10/eu.html

6-8、欧州連合国の成功が21世紀の国際化社会の方向を決める
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/21.html

6-9、Eddy Van Drom 氏のインターネット講座 ヨーロッパ評議会の形成史
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/eddy-vandrom.html

ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」 から



2007年12月21日金曜日

科学技術史の視点で観る大学教育改革の課題

第四次産業の勃興・科学技術文明社会の成立と大学の社会的機能の再検討

三石博行



科学技術文明社会の特徴・研究開発産業の形成による社会変化

産業革命以来、経済システムを構築している三つの産業構造以外に、20世紀後半から研究開発産業と呼ばれる新たな産業が萌芽してきた。その新興産業は第四次産業と呼ばれている。第四次産業の形成によって、資本主義社会の産業形態や社会制度は根本的な変化が生じようとしている。例えば、現代の社会経済システムは、この第四次産業である研究開発産業の発展と、その第一次産業から第三次産業への融合的展開(脱工業化社会化を推進した産業構造の展開)によって特徴付けられている。

この特徴付けを、科学技術文明社会、高度情報化社会、政治経済システムの国際化等々と呼んでいる。何れにしろ、21世紀の経済社会文化は、研究開発産業、研究開発労働、科学技術の大衆化によって進化していくことは疑えない。

これらの時代的変化は、17世紀の近代合理主義思想、18世紀の啓蒙主義、科学主義思想 、19世紀の唯物論思想の歴史的な科学技術の文明を構築するための思想形成に裏付けられ、社会経済の制度や人々の意識を変え、そして20世紀に至って、巨大な生産力を可能にする資本主義社会を形成した。

これらの社会経済のシステムと、西洋文明が見つけた自由や平等を前提とする民主主義社会の社会経済思想とは不可分の関係にある。科学技術文明は、この社会思想を前提にして、その社会思想の発達によって生み出されたものであると謂える。

言い換えると、研究開発産業の形成は、自由や平等をもっとも尊重した生産体制、経済や生活活動を前提にして発達するのである。同じ資本主義社会であるとしても、アメリカのベンチャー産業の労働管理は、イギリスの産業革命時代の労働管理とは根本から異なることになる。自由な発想や探求心や開発意欲を奮い立たせる生産管理が、第四次産業の生産効率を上げるための労務管理となる。労働時間と労働力は機械によって担われるため、長時間の労働力を搾り取る制度は、科学技術文明社会の産業では必要とされないのである。

長時間労働ではなく、知的労働が生産効率を上げるという労働の変化を前提にして、第四次産業構造は、現代の社会経済システムの中身を大きく変化させてきた。これらの社会変化をトフラーは第三の波と呼び、また 小田切宏之氏によって新しい産業組織と呼ばれる技術革新の経済理論が展開されている。

例えば第一次産業の代表である農業も、全生活時間を束縛される家族経営方式、村社会の共同体意識に縛られた農協による生産管理や流通システムから脱却し、消費者の声が聞こえ生産者の姿が見える関係、産地直送型の経営を導入する農業運営、経営の共同化によって農業機械などの投資資金を削減し、また共同作業により労働力を相互補助し合う経営方式や企業的経営を導入し、若年労働力を確保する等の新たな生産方式が導入されようとしている。


先端知性生産機能としての大学の社会的役割の再評価

このような第四次産業の形成と発展によって、産業革命以来、大きな産業構造の変化が生じているのであるが、この社会変化に対して、知的労働力を生産し、また知的商品を生産してきた大学の社会的機能にも大きな影響が出ることは不可避である。言い換えると、唯一の先端的知の生産を行う機能としての大学の社会立場やその特権は、第四次産業によってすでに崩壊しているといえる。
研究開発が企業の利益や産業の発展と直結する社会では、企業は多くの費用を研究開発に投入することになる。わが国でも、20世紀の後半には、企業の研究開発費は大学の研究開発費をはるかに上回る事態になっていた。

日本の近代化政策を推進するための大学の役割、特に理工系、農学系、薬学医学系学部の役割は大きく、国家は先端的知性の生産機能としての質を管理してきた。その管理制度を、教員の資格審査や設置基準と呼んでいる。今日のように、国家が大学の質の厳格な管理をそれほど必要としない時代とは、国家にとって、産業力と直結する知的生産の拠点としての大学の機能がそれほど重要な位置にないことを意味している。国家予算を投入して得られる成果、つまり国家的な利益と予算の関係が、大学行政に関する限り大きな変化を強いられているのである。その意味で、国家が大学に対する政策変換を行わなければならない時代が来ているのである。

現在の日本は、大学の社会的機能や社会的意味、つまりその社会的役割を再検討しなければならない状況にある。大学に巨額の国税を注ぎ込んで、その機能を維持することの国家的貢献度に関する検討がなされている。その検討の現在までの結論が、近年の国立大学法人の設置や補助金制度の改革として実施されている大学教育の政策変換となって現れているのである。

いずれにしても、これらの国家レベルの大学政策変換の基本には、第四次産業構造の形成とその社会経済的影響を前提にして大学の社会経済的な役割を検討し再評価しなければならない事が、課題になっているのである。


知的労働力の生産機能としての大学の役割の変化

今日の大学は、新興勢力・研究開発産業(第四次産業)の知的生産の社会的機能の立場を認めることで、そのあり方を大きく変える。大学が、すでに唯一の先端知性の生産機能である時代と異なり、多くの知的生産機能が生まれている。例えば、行政専門機関、シンクタンク、ベンチャー企業、公立私立の研究所、NPO団体、自治体専門機関、専門分野のサークルや集まり、趣味として学問や研究を行う個人等々。知的生産の機能の進化こそが、科学技術文明時代の特徴であり、第四次産業の成立の背景であり、その文明が生み出す社会文化としての知的労働の大衆化と同時代の生活世界を特徴づける大衆としての知識人層が形成される。

これらの社会変化によって、大学での教育や研究のスタイルが変化してきた。その変化の代表例が、産学共同研究と呼ばれた研究スタイルの登場である。第四次産業の形成によって生じる社会変化に対して、大学が最初に持ち込んだ新しい時代での大学改革、社会順応対策であるといえる。大学は企業から豊かな研究資金を得るだけでなく、研究室卒業生の就職先、さらには豊かな研究施設の提供もうける。そして、現在では大学は企業と共同で商品開発し、利益を得るまでに至っている。

教育の面でも、企業の実践的知識の豊かな専門家を招待し講義を行う。1990年代にダイエーと契約を結んで講座を開いた立命館大学、そして現在では冠講座と呼ばれる企業の社会貢献活動を大学が活用し、企業と講座を持つ制度が生み出されている。つまり、企業の専門家を教員として活用することで、現代社会の多様な分野や専門的知識の教育を提供することが出くる。しかも、専任教員でないために、大学が負担する教育コストを低く抑えることができる。つまり大学経営の視点から考えると、低コストで、社会の専門分野の人的資源を活用し、大学教育の内容を豊富にすることが可能になる。

企業にとってもメリットがある。激化する国際競争に打ち勝つために、繰り広げられる経費削減やリストラ、中でも新入社員教育、企業内教育に関する経費削減は大きな課題となっている。社内教育への経費削減として、即戦力のある社員の雇用を重視し、大学新卒採用者を減らす傾向が生じるだろう。
入社してから3年以内に退職する現在の新入社員の動向によって、社員教育に対する経費とその経営効果のバランスに関する評価が近年益々重大な問題となっている。就職ミスマッチによる新入社員の退職現象は、企業にとっても経営的な損失である。その損失を防ぐために、

学生の就職ミスマッチを減らす必要が生じている。そこで、企業は、大学と共同で、学生への企業活動への理解を前提とした教育プログラムを作る必要があった。そのプログラムの一つとして、企業内研修、インターンシップが行われている。また、企業が大学で講座を持つ冠講座も、企業活動を学生に理解してもらう手段となる。学生に企業活動の専門知識を教育することによって、企業活動やその活動を支える専門知識群を理解させ、そうした特殊専門分野の企業活動への事前理解を可能にし、それに興味や関心を抱く学生を獲得することも可能になるのである。大学と共同で講座を持つことによって、企業も就職ミスマッチから生じる経費負担を抑えることが可能になるのである。


先端的知性の生産と担うエリート大学と大衆大学の機能分化

科学技術社会を生み出すものは先端科学技術の知性や技能を生産、再生産する第四次産業や大学だけではない。知的労働力を育成するための社会的機能として教育機関があるというのは、古典派経済学から導かれる基本的な教育経済学的な考え方である。従って、国家は国民教育を充実させなければならなかった。

また、優秀な青少年の高等教育進学率を高め、広く国民の中から優秀な官僚、技術者、科学者や政治や経済の専門家の育成を行ってきた。国民国家にとって、教育は大切な社会制度の一つである。この制度は、国家が近代化を推進している時代にとって、国家的利益をもたらす手段として、最も大きな意味を持っていた。時代や世界的地域を越えて、国民教育制度と国家運営の高等教育制度は近代国家の成立や近代化政策にとって、重要な政治政策の一つである。

この制度が生み出した生産力、生産力から直接導かれる国家的経済力、それらの経済的繁栄は賃金、社会福祉制度や社会資本充実として国民生活に還元される。経済的繁栄を導きだした教育への投資は、さらに経済的生活条件の向上のために、家族の単位で、地域社会の単位で、増加する。国立大学、公立大学以外にも、数多くの私立大学が設置される。勿論、国家はそれらの設置に当たって、それらの設置基準を定め、その社会的機能の質を維持してきた。

大学入学者数が同世代人口の10パーセント以内であった1950年代に比べ、15パーセント代に膨れ上がる1960年代後半、そして近年では50パーセント代になり、大学短大以外の高等専門学校への入学者数を換算すると、80パーセント以上の人口が高校卒業以後に、高等教育を受ける時代になっている。

高等教育受講者数が国民の半数以上になる時代では、大学教育はエリート育成の教育ではなく、大衆教育の一つとなったのである。1950年代から半世紀を経て、わが国での大学の社会的イメージの変化、大学生への社会的評価の変化はおおよそ天と地の隔たりがある。すでに大衆化した大学の社会的機能に関する整備やその有効な機能形態に関する課題が、現在の大学改革の中心課題である。国家の利益に対する大学の役割を前提にした改革の時代、つまり文部官僚主導型で進められた大学改革の時代は終わった。そして、今、まったく無政府状態の大学改革が進行しているのである。大学改革は各大学の自己努力、大学経営体を維持するための努力として解釈されている。これが現状の大学改革の理念となっている。

言い換ええると、国家的な大学改革の主な課題は二つある。一つは、先端科学技術力を維持するためのエリート大学の育成である。そこに集中的に研究費を投入して経済力の基盤となる研究開発を先端企業や行政研究機関と進める。それ以外の大学を、高等教育大学として位置づけ、大衆的大学教育を充実することである。これが二番目の課題である。この大衆大学教育の質を高めるために、学習の理解と意欲を有効に導くあたらし教授法、教材作成などの教育プログラムへ補助金を出すことになる。つまり、この二つの国家的な大学教育政策を契機とし、またその政策の進展に即して、好むと好まざるに関わらず、現在、1000以上を越える日本全国の大学短大の社会的機能の棲み分け、統廃合や再編が進行しるのである。

こうした大きな流れを理解した大学経営陣のみが、今後、その大学の生き残りを掛けて大学改革に成功するだろう。この成功の要因として、現在、地域社会に貢献する大学が、多くの中小の大学短大の経営陣が目指す課題のスローガンとなっている。確かに、国家レベルや世界レベルでの共同開発研究が可能な一部エリート大学と違い、中レベルの国公私学、地方の大学では、第一の課題として、大学の知的財産を活用しながら地域社会のベンチャー産業への協力、産学協同での地域発ベンチャー産業の育成やそのためのインキュベータ施設の提供等々が取り組まれている。大学教育に関第二の課題として、生涯学習センターの設置が進んでいる。

つまり、極論すると21世紀の前半期では、日本の大半の大学が、先端的知性の生産機能としてではなく、大衆教育としての大学機能に特化しなければならない。その進化の方向で、大衆教育としての大学の淘汰選択が行われることになる。したがって、そのために、大学内の教育改革が進むことが、生き残りの第一条件となるだろう。


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ブログ文書集 タイトル「大学教育改革への提案」の目次 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_6795.html

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2011年6月26日 誤字、タイトル表現の修正

2007年12月20日木曜日

日欧学術教育文化交流委員会ニュース配信

日欧学術教育文化交流委員会とは

委員会は始まり
1963年1月22日、ドイツ連邦共和国とフランスの間で提携された仏独友好・協力条約(エリゼ条約)から40年目を記念するイベントを、2003年10月、故岸田綱太郎京都日仏協会会長の働きかけで、京都日仏協会と奈良日仏協会が共同で開催しました。このイベントに、フランスのアルザス地方で1980年代から、日本の企業誘致や日本の社会文化、教育研究の発展に貢献されたAndres Kleinさん(欧州アルザス日本学研究所長、元アルザス州開発公団総裁、元フランス・ライン河下流県助役)を招待しました。
私(三石博行)自身、1980年代から、クラインさんと一緒に、アルザスでの日本との交流を行ってきた経過もあり、アルザス成城学園の跡地利用に関する相談を受け、欧州日本学研究所と共に、関西や京都の大学への呼びかけを行ってきました。その活動を通じながら、ヨーロッパと日本での、参加型の国際交流活動を考え、故岸田綱太郎先生を囲み、河村能夫龍谷大学教授(元副学長)、廣田崇夫前国際交流基金京都支部長の三人が中心となり、日欧学術教育文化交流委員会の準備活動が始まった。
2004年4月に、クライン欧州アルザス日本学研究所長の日欧間の学術教育文化交流活動への呼びかけもあり、5月に故岸田綱太郎先生が呼びかけ人代表者となり、梅棹忠夫先生(元国立民族博物館館長)、山折哲雄先生(元国際日本文化研究センター館長)、小倉和雄先生(国際交流基金理事長)、谷岡武雄先生(元立命館大学総長、元京都日仏協会会長)が呼びかけ人に参加され、この委員会は発足しました。その後、八田英二先生(大学コンソーシアム京都理事長、同志社大学学長)がオブザーバーとして参加されました。

現在までの主な活動
1、ヨーロッパ学研修プログラムの企画

2、ヨーロッパ文化研修プログラムの企画

3、日欧大学改革の交流事業 (2006年に第一回日仏共同シンポジュームを開催)

4、海外ミニ講座作成(龍谷大学経済学部国際経済学部への協力)

5、ヨーロッパの大学生のインターンシップ受け入れ(リール化学大学校、エコールセントラルECリール校の学生)

この委員会のメンバーは、具体的に交流活動を行っている人々によって、この委員会は運営されている。現在の委員会の委員長を私が務めています。また、この委員会は2006年6月から京都日仏協会の傘下に入っています。

委員会活動の情報を提供します

委員会では、取り組んでいる活動報告を行っています。委員会活動に参加されているメンバーや興味をもたれている人々に、定期的ではありませんが、行事が行われたり、会議がなされたりした場合、報告を行っています。
興味ある方が居られましたら、この報告をお送りいたします。

現在、日欧学術教育文化交流活動委員会の活動は、休眠状態で、皆様にご迷惑をかけております。
また、これまで、メーリングリストアドレスも存在しましたが、中止することになりました。

今後の日欧学術教育文化交流活動委員会に関しましては、京都・奈良EU協会の協力を得て、続けたいと思います。

日欧学術教育文化交流活動委員会の情報に関しましては、
三石博行のホームページ の 「社会活動」「国際交流活動」の中の「日欧学術教育文化交流活動委員会」のページで紹介しますので、そのページの情報を見てください。

新しいアドレス
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/syakai_01_03.html

更新 2011年1月18日

日欧学術文化教育交流委委員会に関する新しいブログ情報
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_26.html

日欧学術教育文化交流委員会代表 三石博行


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6. EU関係及びEU協会運動

6-1、生活運動としての国際交流運動

http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_14.html

6-2、日欧学術教育文化交流委員会ニュース配信
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_8507.html

6-3、文化経済学的視点に立った国際交流活動
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_26.html

6-4、新しい国際交流活動のあり方を模索して
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/06/blog-post.html

6-5、我々はEUに何を学ぶのか
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/07/eu.html

6-6、東アジア諸国でのEU協会運動の交流は可能か
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/09/eu.html

6-7、東アジア共同体構想と日本のEU協会運動の役割
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/10/eu.html

6-8、欧州連合国の成功が21世紀の国際化社会の方向を決める
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/21.html

6-9、Eddy Van Drom 氏のインターネット講座 ヨーロッパ評議会の形成史
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/eddy-vandrom.html

ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」 から

プログラム科学論研究会への参加のお願い

プログラム科学論に関する意見交換をはじめました
プログラム科学論という概念は吉田民人先生が作られたものです。このプログラム科学論に関して、興味ある方は是非とも、メーリングリスト・プログラム科学論研究のコミュニケーションに参加しませんか。

このメーリングリストについて説明します。
1、アドレスは http://groups.google.co.jp/group/programeology?hl=ja
2、メーリングリストへは誰でも参加できまる。
3、参加された方の間で、意見交換が出来ます。
4、ただし、個人情報保護上、メンバーの自己紹介以外には、メンバーは公開されません。
5、討論は公開されます。
6、添付論文やファイルは公開され、誰でもダウンロードできます。
以上です。

それでは、
この研究会の活動を知りたい方は、
http://groups.google.co.jp/group/programeology ?hl=ja
へのアクセスしてください。

ご意見の投稿は、プログラム科学研究会メーリングリスト
programeology@googlegroups.com
にメールを送ってください。

お待ちしております。


科学基礎論学会会員 三石博行

2007年12月18日火曜日

プログラム科学論研究の今日の課題とは

何故、プログラム科学論研究が問題となるのか


千里金蘭大学短期大学部准教授 哲学博士 三石博行

吉田民人のプログラム科学論の哲学的位置付けの必要性
1、 1990年代から吉田民人によって提案された「プログラム科学論」は、科学技術文明社会の基盤概念、哲学を課題にしたものである。現代哲学の主な課題の一つとして科学技術哲学があるが、このプログラム科学論は、その意味で、我々の文明社会の基盤を問題にした哲学、科学哲学である。
2、 このプログラム科学論が成立するまでの吉田民人の研究は、人文社会学で展開して来た言語・記号による情報概念と遺伝子生物学で確立してきた遺伝、免疫学や脳神経生理学から提起された情報概念、また情報科学や工学の発展によって示された情報概念を一つ学問的体系として説明することであった。吉田民人が自己組織性の情報科学の概念を確立した概念によって、生命活動から言語や精神活動までの存在形態は、一貫して、情報とその情報の自己組織性を前提によって構築されているという統一的な解釈を可能にした。
3、 吉田民人は、自己組織性の情報科学の成立以後、その科学認識理論に含まれる重大な課題、つまり自己組織性を前提にして成立する情報に関する科学、代表的な生物学や情報工学の科学認識論が、これまでの物理世界を課題にしてきた科学認識論と基本的に異なる科学哲学的地平(パラダイム)にあることを述べてきた。 この新しい科学哲学の提案は、自己組織性の情報科学の中に萌芽し展開し続けてきたのでる。
4、 情報工学を前提にした現代産業、遺伝子学を基礎とする先端生物工学、現代農業や先端医療の発展に観られるように、現代技術文明社会の基盤概念を構築するものとしてプログラムの科学哲学的概念を問題にしなければならない。言い換えると、今日の科学や技術、生活や文化は、多様な情報とそれを構成している多層な情報によって構築されている。それらの情報処理や伝達はある特定のプロトコール(約束事)を前提にして成立している。また、れらの多様で多層な情報空間の位相間もインターフェイスプロトコール(プログラム)によって情報伝達が確立している。
5、 現代科学技術文明は、経済活動の国際化や高度情報化社会に見られるように、現実の生産活動や生活世界を、大きく変えてきた。その基盤技術や基盤科学を支えている科学哲学として、自己組織性の情報概念やプログラム科学論があると謂える。現代科学技術文明の基盤概念を解剖し、その時代的課題を考察するためにも、吉田民人のプログラム科学論の哲学的研究は、今後、ますます必要とされる。
6、 つまり、科学哲学としての「プログラム科学論」の研究は21世紀の科学技術文明社会における人間社会科学の科学基礎理論を提起することになるだろう。その意味で、プログラム科学論の一分野として吉田民人が位置付けた「人工物プログラム科学論」は人間社会学の基礎理論・科学哲学として展開すると考えられる。何故なら、科学技術の課題抜きに語れない21世紀の人間社会学において、プログラム科学論は、現代科学技術に関する科学哲学として位置付けられるのみでなく、人間・社会・文化・生態学の科学哲学論を提起することになるからである。工学から言語学、宗教学までを含む領域横断的、融合型の人工物に関する人間・社会・文化・農工医・生態学が、今後、展開される必要性をプログラム科学論・科学哲学は予言している。そして新たな人間社会文化学の展開の触媒として、それらの科学哲学的位置付けをサポートすることになると考えられる。その意味で、プログラム科学論の哲学的研究は、今、必要とされているのである。

学際的横断的領域の知、問題解決の知、体系的知の統一形態を求められる哲学研究
1、 多くの基礎理論の研究が、莫大な労力の必要性を問われるように、プログラム科学論の研究でも、吉田民人の常人ばなれした研究履歴、哲学や社会科学はもとより、情報学から遺伝子学までの科学的概念の理解を求められることになる。哲学の課題を取上げたとしても、プログラム科学論の背景となる理論、例えば分析哲学、機能主義、構造主義、プログマティズム、存在論、解釈学、現象学の理解も必要とされている。
2、 しかも、このプログラム科学論は、具体的な問題への解決力を持った知であり、哲学であることを吉田民人が主張してきた。そのため、この科学哲学研究は、具体的な課題、つまり、現代科学技術時代の文明や生活世界に生じている社会病理、生活病理の題解決に対して有効な知であることが求められる。
3、 さらに、吉田民人が自己組織性の情報科学論で情報概念を体系化して展開したように、プログラム概念を遺伝子から言語、文化、法律やイデオロギーに至るまで、統一的に理解できる概念構築を要請されている。このように、プログラム科学論の哲学的研究は莫大な研究プログラムを前提にして始まることになる。

日本で形成展開された科学哲学・プログラム科学論の国際的紹介の必要性
1、2005年10月に開催された第一回国際システム研究学会連合会で、吉田民人は「大文字の第二次科学革命 -情報論的転回-」と題する基調報告を行った。その報告への国際的な反響は大きかった。その後、ヨーロッパのシステム論や記号論の研究者の関心は高く、吉田民人の基調報告は、国際的に紹介されていった。
2、 吉田民人の「プログラム科学論」は、日本の理論社会学研究の中で提案された理論である。これまで、日本の近代学問史の中では、西田幾多郎の「哲学」、柳田國男の「民俗学」、今和次郎の「考現学」、篭山京の「生活構造論」、梅棹忠夫の「文明生態史観」、海原猛の「歴史文化記号分析」等々と、多くの独創的な哲学、人間社会学の理論が提案されてきた。吉田の理論、自己組織性の情報概念、情報科学の科学パラダイム論、プログラム科学論など、日本の哲学や社会科学基礎論から提案された理論である。
3、これまで、私はヨーロッパ、特にフランスの研究者との研究交流を続ける中で、吉田民人のプログラム科学論を紹介しきた。同様に、吉田民人の「プログラム科学論」も、日本発の科学論と人間社会学理論である。この先進的な日本の人間社会科学基礎論を世界に紹介することは意義があると考える。

自己組織性のプログラムとしてのプログラム科学論の哲学的点検作業
1、吉田民人によって提案された情報概念やプログラム概念は、さらに具体的な科学技術の現場で研究する人々の実践的な知を基にしながら、また、哲学研究者の厳密な概念点検を基にしながら点検探求されなければならない。その意味で、プログラム科学論研究は、プログラム科学論の科学認識論の中に、再度、投入され、その中で解体、融合、再結晶の作業を続けることになる。そのことが、プログラム科学論のあり方を物語ることを、吉田民人自身がよく理解しているのである。
2、つまり、この研究は、新たな科学技術文明時代の先駆けのための一歩を進めるためのものであり、決して、完成されることが目的ではないと思われる。この研究プログラムが、時代性と社会文化性の条件をもって、自己組織的にプログラムされ続けられることが前提となっているからである。
3、 機能・構造主義の分析概念をより緻密に展開し、しかも、情報処理(展開)と自己組織性(進化)の時間性を持つ存在形態を解明するためにプログラム科学論は準備された。その準備過程の中で、特に哲学的課題に注目すれば、例えば、現象学的存在論への批判、つまりポスト現象学の提案、社会構築主義への批判、つまり汎構築主義の提案、物理主義への批判、つまり進化論的存在論の提案、等々と、吉田民人は多くの哲学的課題を、提案し続けてきた。我々、日本の科学哲学研究者は、これらの哲学批判(新たな科学哲学)を受け止め、研究する必要性はないのだろうか。

参考
三石博行のホームページ 「哲学」「プログラム科学論」
http://sites.google.com/site/mitsuishihiroyukihomupeji/ningen-shakai-kagaku

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2007年10月20日

プログラム科学論での秩序概念

2007年度科学基礎論学会研究発表要旨から

プログラム科学論での秩序概念


三石博行 千里金蘭大学短期大学部

プログラム科学論の存在論的背景としての進化論的存在論

吉田民人のプログラム科学論は生命活動を基盤にした遺伝子、脳神経生理、生物形態や行動、生物進化や順応、生態系、文化、社会、産業、技能、生活、情報、認知、心理、言語、精神現象に関する理論科学やその応用科学(技術学)に関する科学哲学であると要約出来る。ここでは、特に、プログラム科学論・科学哲学を理解するために、秩序概念とその秩序概念の上位概念である吉田の存在論について課題にする。

吉田民人のプログラム概念は、遺伝子から精神現象に到るまでに拡張した記号情報概念(認知、評価、指令の三つのモードで構築されている)を前提にして成立している。これらの記号情報はシグナル記号情報とシンボル記号情報に分類され、シグナル記号情報は、一般に遺伝子から免疫、脳神経系の情報を意味し、シンボル記号情報は表象言語系の情報を意味する。
それぞれの記号情報の認知や評価、指令の三つのモードから構築されているプログラムによって、「シグナル性の構築存在」と「シンボル性の構築存在」の二つの存在様式が形成される。勿論、存在様式は生命以前にもあり、またそれらは前記号段階としてのパターンを持つ。
これらの物質・エネルギーの存在様式を「生成存在」と吉田は述べている。生命以前の生成存在から、表象言語以前のシグナル性の構築存在、そして表象言語以後のシンボル性の構築存在とがある。それらの三つの存在様式を進化論的存在論と呼ぶ。
この進化論的存在論は、パターン(非記号情報)、シグナル記号情報とシンボル記号情報の情報様式とそれによって構築された存在様式が、地球史的進化を前提にして形成されたと述べている。
プログラムに関する周辺概念 

プログラム科学論の哲学的意味に関して述べるために、これまでの20世紀の人文社会学史の中で、プログラム科学論の意味を問うことにする。
例えば、構造機能主義との関係で言えば、構造主義の要素、記号や意味するものなどを、記号情報として理解し、それを上記した三つのモードに分解し、それらの機能によって構築される存在様式を展開する。その意味で、構造-機能主義の要素概念をより精密にそしてより動態的、発生的に解釈したと言える。

また、ポスト構造主義的システム論に関して言えば、このシステム論が提起した発生と進化の課題を、プログラム科学論は、進化論的存在論によって展開した。
三つのモードによって構築されつづける生物・文化・言語システムの進化過程を前提にし、システム論の多重構造間にある関係をプログラム科学論は発生論的に解釈し、その生成過程で構築されるコミュニケーション・情報交換・刺激と抑制作用の秩序概念・インターフェースを、さらに進化論的存在論の構築過程で説明し、今日、神経生理学、免疫学、情報工学や認知工学で示されるインターフェースのメタ概念を提起した。

さらに、構築主義に対しては、構築概念を社会病理に対する問題解決学から、生命現象の存在論的理解とその発生、進化論的理解を提案している。その意味で、進化論的存在論は、構築概念を人間社会文化概念、つまり人工物世界、事前選択型構築プロセスのみでなく、生物・生態系全体の概念、つまり事後選択型構築プロセスまで含む概念へと拡張した。

プログラムとは、三つの情報要素を時間的に連鎖結合させ、一つの情報集合をして共時化した形式、つまり反復可能な認知・評価・指令の情報集合関数によって規定されている。構造主義的に述べると、その規定から構築される「構築するもの」と「構築されたもの」の関係によって生み出されたものの一般概念をプログラムとして解釈できる。
そして、構造主義的な「関係」が、吉田の「秩序」概念になる。この秩序概念は、「構築するもの」と「構築されたもの」の内容によって、多様な様式や形態があることが理解できる。
存在世界の秩序規則としてのプログラム性 認識と評価プログラム解釈から指示プログラムに関する解釈の科学哲学

プログラム概念と秩序概念の関係について説明すると、プログラム概念は秩序概念の上位概念として吉田民人は定義している。その場合、存在様式を生み出すもの、法則や規則という広義の概念と、存在者の内部にあり、その存在者の存在条件を獲得し維持し、もしくは進化させる秩序機能という狭義の概念の、それぞれの上位概念としてプログラムが定義されている。

プログラム科学論では、メタレベルの指示モードの情報概念を確立することで、科学哲学の主流である認識論や解釈論に対して、進化論的存在論や実践論を持ち込むことになる。法則科学に関する認識論、科学哲学、物理主義から生物主義へのパラダイム変換を要求しているだけでなく、実践変革志向の指令モードを前提とした科学的哲学を課題にすることになる。

このように、プログラム科学論の課題は、プログラムや秩序概念によって伝統的科学論の埒外にあった技術論を科学哲学の中で統一的に位置付けた。科学技術論という複合語でなく、プログラム科学論という科学哲学の課題として、科学の目的である実践的問題解決力を、17世紀以来の西洋哲学史の中で問い続けられた理性に関するディスクールに立ち返り、広義の理論科学の課題として取り上げた。
科学技術文明社会での哲学、科学基礎論としてのプログラム科学論の役割

また、科学技術文明がもたらす巨大な人工物環境での生活や人間のあり方を、人工のプログラムとして再解釈し、それらの人工物プログラムに物象化されている秩序(イデオロギー・科学技術文明)の仕組にを認知(認識)、評価(解釈)、指示(改良、再設計)する新たな哲学・実践学を提案した。プログラム科学論は、学際的、横断的と呼ばれたが完成し得なかった科学方法論の未来に、統一した科学認識・科学哲学のあり方を提起した。

吉田民人のプログラム科学論(科学哲学)は、現在、完成されたものでない。何故なら、吉田民人自身、このプログラム科学論を自らの科学哲学の中に位置付けているからである。
プログラム科学論は、プログラム科学の範疇に入る科学との共同研究、理解、解釈、実践を通じて、そのメタ理論は検証され、それらの哲学敵基本概念が、より現実的な理論(応用可能なメタレベルの理論)として再構築され続けることが、彼の科学哲学の理論として提起されているからである。つまり、プログラム科学の発展の中で、プログラム科学論は脱構築と再構築を繰り返すながら、形成されるのである。
2007年6月


参考
三石博行のホームページ 「哲学」「プログラム科学論」
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2007年12月16日日曜日

思想運動としてのプログラム科学論研究

私のプログラム科学論の形成課題
私が吉田民人のプログラム科学論(科学哲学)に出会ったのは、2002年11月の社会経済システム論学会であった。それ以前から、吉田民人の「自己組織性の情報科学」を読み、その見事な情報哲学には魅惑されていた。吉田民人は、1970年代から展開した汎情報論、情報哲学から、1990年代になって、情報(形相)とその記号実態(質料)を支配する秩序(プログラム性)についての一般理論を、プログラム科学論として展開した。私は、2003年から、このプログラム科学論研究に取り組んできた。
この研究を進めるために、私自身の生活や思想運動の課題にしてしなければならないと考えたことは、以下の点であった。

1、自己の意識、生活スタイル、感情、感覚、無意識、つまり精神構造のすべてがプログラムである。すると、プログラム科学論を理解するための実験や検証作業は、極めて日常的な生活運動を点検する中で可能になると理解できる。

2、近代科学の方法論として成立した科学的経験主義、論理実証性を、プログラム科学論の展開と点検の方法論として、導入するためには、その実験装置は、自己の主体を含め、その主体から観える生活世界である。生活世界の改革や生活運動の有効な論理として、理論的装置として機能するプログラム科学論でありえるかどうかが、この理論への最も日常的な関係、つまり認識論的関係である。

3、吉田民人のプログラム科学論の形成過程を個人吉田民人の学問研究過程の中で探求すること。それらの研究論文を読破し、理解し、解釈し、批判し点検する作業を徹底すること。

4、プログラム科学論は、時代的精神の形成過程で生み出されたものである。哲学や社会思想、科学思想の時代的背を理解しながら、プログラム科学論の理論の同時代的社会的意味を問題にする。

5、私の哲学の課題、生活運動から思想運動へと題した生き方、生活改革の思想として哲学を理解する課題と、その哲学から直接的に導かれる生活学基礎論、生活資源論の展開にとって、プログラム科学論は必要である。その私の理論構築の課題から、吉田民人のプログラム科学論を解釈、展開、検証する。

以上5点であった。

そして、思想運動としてプログラム科学論運動を起こそうと思う。

2007年12月16日

日本とフランスの大学教育改革の課題

2007年10月定例会報告 日仏共同シンポジュームに参加して
高等教育研究会 2007年度11月ニュースレターから
 

河村能夫(龍谷大学教授 Ph.D)
三石博行(千里金蘭大学短期大学部准教授 Ph.D)


第四次産業の発展と大学改革の課題・大学改革の国際交流活動の共通視点

産業革命以来、経済システムを構築している三つの産業構造の埒外に、20世紀後半から 研究開発産業と呼ばれる新たな産業が萌芽してきた。その新興産業は第四次産業と呼ばれている。現代社会経済システムは、この第四次産業である研究開発産業の発展と、その第一次産業から第三次産業への融合的展開(脱工業化社会化を推進した産業構造の展開)によって特徴付けられている。この特徴付けを、科学技術文明社会、高度情報化社会、政治経済システムの国際化等々と呼んでいる。何れにしろ、21世紀の経済社会文化は、研究開発産業、研究開発労働、科学技術の大衆化によって進化していくことは疑えない。

第四次産業の形成と発展によって、産業革命以来、唯一の先端的知の生産を行う機能としての大学の立場が崩壊しようとしている。今日の大学は、新興勢力・研究開発産業(第四次産業)の知的生産の社会的機能の立場を認めなければならない。また、 研究開発を産業活動の重要な要素としている現代社会経済システムの中には、知的生産の技術だけでなく、その継承も職業的に調査開発されてきた。何故なら、産業活動を維持し発展するための専門的知識の教育は、現代の産業活動にとって、その死活問題を掛けた重要な課題となっている。

その意味で、知的生産の技術や方法に関する研究開発も企業活動として展開している。このことは、社会的生産活動に必要な専門教育を担う伝統的な大学教育の立場は、すでに喪失しかかっていることを理解しなければならない。つまり、今日、我々が取り組んでいる大学改革も、この歴史的な社会経済システムの変化・第四次産業の形成と発展の中で、問われている課題の一つにすぎない。

例えば、現実の大学改革の現場で登場する大学改革のための理論は、競争原理の導入という新古典派的経済イデオロギーを背景にして、聖域なき制度改革論のとして大学改革案が持ち出される。そして、仮にその改革が不調に終わるなら、教育は経済法則の外にあるという教育機能の反動的な聖域論が復活する。この改革論は市場競争という現状認識以外に、今日の大学が理解出来ていない。また同様に、教育は超社会的、超経済的な行為という観念論が支配する以上、変革は不要でしかない。つまり、その二つの極論の拮抗、「聖域なき競争論」か「美しい日本の教育論」かの議論ではなく、新しい産業社会の中で大学教育の社会的機能を理解し、その存在理由を問いかけることによって、大衆化した日本の高等教育産業の中で繰り広げられている改革に、長期的な方向が議論されるのである。

また、大学教育の改革や制度の改革の為に、第三者機関による大学評価や社会的評価が行われている。この社会的評価は、大学の社会的評価を理解するための大切な手段である。しかし、同様に、一時的な大学評価を絶対視することは、大学改革にとって危険であることも、他方で理解しておくべきである。つまり、社会的評価を目の前にしたとき、それを解釈、理解、受け止める評価された人々のあり方が問題になる。

その意味で、第三者評価や点検を、活用する主体が問われる。改革の主体である大学人の改革提案や活動の視点や理論的背景、確信を点検することが、そこで問題となり、求められていることになる。っている。ここでも、21世紀の社会におこる産業構造の変化や国際社会の変化を前提にした大学の社会的機能に関する課題を、産業界や社会と共有する作業が問われることになる。大学改革は大学内では不可能であるという当然の結論が、その共有作業の前提条件となるだろう。その意味で、第三者評価は、批判される大学と批判する社会の構図を脱却して、新しくコラボレーション作業という意味を持つのである。

同時代の全ての大学は、好むと好まざるに関わらず、知的生産の社会機能(第四次産業)の一部、知の大衆化を推進する社会的機能、科学技術社会を担う研究開発産業の労働者育成機能等々、新たな社会的機能を、すでに担い、これからさらに担うことになる。その中で、大学の存在理由を問いかける過激な模索過程を前提とした大学改革論が提起されるのである。何故なら、現実的に検討される高等教育の制度、教授法やカリキュラム改革も、伝統的な高等教育のパラダイムとその新たなパラダイムとの葛藤の上に成立している。その意味で、高等教育変革と呼ばれる同時代的な社会実験のための仮説を明確にする必要があると考える。

社会文化の環境条件のもとで、同時代的社会実験としての大学改革は、多様な形態と進化過程を示している。それらの実験の仮説が共通しているなら、多様な大学改革の具体的な事例に基づく課題から、仮説の点検活動を共有することが可能になるだろう。

つまり、新たな産業構造の形成によって進行する大学の社会的機能に関する点検や評価活動は、その社会や歴史の流れに規定されたものであり、その具体的な形態は、その環境によって多様である。しかし、それらは、国内の異なる大学、世界の大学や教育行政においても、同時代の共通した視点をもって、それらの行動が選択されているので、改革課題の探求作業の行き先に共同の課題を見いだすことができるのである。

フランスでの社会的経験を大学の学位として認可する制度(2002年1月から開始)に関する調査活動や、アメリカのハーバード大学やカリフォルニア大学サンフランシスコ校やバークレイ校で取り組まれているジョウイントプログラム(グル−プ学習)に関する研究会(龍谷大学大学教育開発センター主催)を通じて、大学改革の課題を国際的的な視点からの学習を進めてきた。その中で、異なる大学改革の課題の背景に我々日本の研究者に共通する視点が存在することを理解した。

国際的な大学改革に関する研究調査活動は、すでに、比較教育学を専門にする研究者にとっては、珍しいことではない。それに関して、今まで、多くの研究成果が報告されてきた。

高等教育研究会では、昨年、2006年9月、フランスのストラスブールにあるフランス文部省仏日大学館で、ルイ・パストゥール大学と共催して「日仏共同シンポジューム –大学とその社会機能について- 」を開催した。また、2007年7月に大学改革に関する国際交流活動を推進するグループを立ち上げた。高等教育研究会での第一回目の大学改革に関する国際交流活動の報告を、2007年10月11日の10月定例学習会で行った。

この議論の中で、大学の大衆化を推進する第四次産業の勃興・第二次産業革命の時代的背景を前提にし、高等教育制度の変革課題を考察することが研究会の参加者の共通した認識となっていた。その上で、ヨーロッパにおける大学改革、大学コンソーシアム京都のインターンシップ制度、アメリカでの大学改革の具体的な実例が引き合いに出されながら、活発な議論がされた。


2006年9月7日日の仏共同シンポジュームと大学教育や制度の改革に関する共同研究機構の提案

2006年度9月7日、フランス文部省仏日学館、ルイ・パストゥールストラスブール第一大学が後援して、教育とコミュニケーションの科学に関する共同研究機関(フランス国内)、VAE(社会での経験を大学の学位として認定する制度)機構(ルイ・パストゥール、ストラスブール第一大学)、京都日仏協会日欧学術教育文化交流活動委員会、高等教育研究会の共催で、「大学とその社会的機能」で日仏共同シンポジュームが、ストラスブールにあるフランス文部省仏日学館で開催された。

このシンポジュームはルイ・パストゥール大学副学長の挨拶で始まり、開会記念講演を河村能夫龍谷大学教授が行った。研究会の発表者は10人で、日本からの発表者は3名、河村能夫、三石博行、津守浄子氏であった。特に、河村能夫氏の「大学コンソーシアム京都でのインターンシップ制度の取り組み」に関する報告は非常に評価が集まり、報告の後にフランス文部省仏日学館の館長から、発表の内容を当館のホームページへの記載をお願いされた。

このシンポジュームの後に、ルイ・パストゥール大学教育学科長や教育とコミュニケーションの科学に関する共同研究機関、ルイ・パストゥール大学VAE機構のメンバーと今後、大学改革に関する共同研究活動を提案された。ルイ・パストゥール大学教育学科としては、龍谷大学や高等教育研究会と共同の大学教育と大学制度の改革に関する共同研究機能を検討したいとの提案がなされた。
2007年3月22日、24日、26日と河村能夫教授と三石博行准教授はTriby教授(ルイ・パストゥール大学教育学科長)とNikeng博士(ルイ・パストゥール大学VAE機構部長)と会議を開いた。以前提案された共同研究機構に関する意見交換を行った。その意見交換を基にして、今年5月にTriby教授とNikeng部長から、「大学と研修」と題する共同研究プロジェクトの提案がなされた。

共同研究プロジェクトでは、大学教育での教授法に関する共同研究、特に職業教育に関する課題が具体的に挙げられていた。これらの課題については、今年7月に河村能夫教授から高等教育研究会理事会に提案がなされ、高等教育研究会では、大学改革に関する国際交流活動の専門部会が検討されてきた。

2007年9月5日から20日に掛けて、Triby教授、Nikeng博士と三石博行准教授で4回に渉って会議が開かれ、5月に提案された共同研究プロジェクト案の検討がなされた。日本側からは学術振興会の日仏共同研究基金申請を進める提案を行った。フランス側からは、その内容の具体的な提案課題を今後展開するためには、フランス側から5月に提案された共同研究プロジェクト案を相互に検討する時間が必要であると提案された。
今後、高等教育研究会の部会(大学改革に関する国際交流活動部会)として、フランス側の提案を研究会のメンバーに提案する作業を行い、フランスの研究者との共同研究課題を高等教育研究会会員の報告しながら、会員の参加を募り、進めて行きたいと考えている。


ヨーロッパでの大学教育と制度の改革 Erasmus制度を推進するヨーロッパ大学センターの役割

大学教育の国際化はすでに始まり、アメリカの大学を始め世界から学生を獲得するための大学制度の改革が進んでいる。ヨーロッパでは1989年にEU国内での教育改革としてErasmus制度が確立した。同時にフランスは、この制度に順じた大学制度が始まった。つまりイギリスやドイツなど他の国々との同じように2年の修士課程を設けた学制制度に改革したBologne制度が導入された。

まず、ヨーロッパの大学改革の流れを作っているErasmus制度について語る。この制度は、主に学部の学生を対象にした共同教育制度である。EU国内の学生は、学部や学科の教育課題を前提にして、EU国内のどの大学でも履修が可能となる。EUが一つの国として成立する条件に統一した教育制度の確立が課題になる。その課題がこのErasmus制度の成立である。

この制度を作ることによって、EU国内の大学間の競争が生まれた。そのため、フランスでは1970年に行った大学改革に相当する大きな大学制度の見直しが進み、これまでの一つの都市にある幾つかの大学を一つの大きな大学に統合する計画が進んでいる。例えば、ストラスブールでは、1970年以前は一つの大学であったが、それ以後、三つの大学に分離した。

この分離によって、学部の意思決定がスムースになった。しかし、それぞれの大学の改革で、共通する学科や研究機関が発生し、資源の集中化を考えると無駄が多くなっている。そのため、2008年から今までの三つの大学を一つにまとめ、学部学科の再編、教育研究機関の整備を行う計画が進んでいる。これらの流れは、フランスの大学が国内の競争でなく、EU国内の競争が課題になっているためである。

Erasmus制度の中で、まず問題になるのは、学生の移動を可能にするための制度の確立である。そのためにはEU参加のすべての大学での大きな制度改革やそれぞれの国の文部省レベルでの具体的な対応が必要となった。また、その移動によってEU国内のそれぞれの大学教育への混乱を防ぐための制度や規則が必要となった。EU国内の高等教育の共通した基準を作り、その中で、ヨーロッパ大学コンソーシアムを可能にするための制度が問われた。

例えば、学力や学識の共同の評価基準であるが、当然、移動する学生は、それぞれの出身国の大学で行った最初の大学入学登録の条件を前提にして、EU国内の移動の条件が決定されることになる。他の大学への移動を契機に、他の専門分野に勝手に登録することは出来ない。入学資格に関係なく勝手に学部の変更は認められない。

さらに、EU国内の全ての大学での専攻分野教育での共通した履修限定条件が、当然であるが、コンソーシアム内部の学生移動の前提となる。そして、学部教育は、EU国内の全ての大学に於いて、一年間に60単位の修得が義務づけられている。つまり、フランスの学部3年間では、180単位が卒業要件となる。

例えば、スペインの学生がスペインの大学で2年間学習し、120単位を修得してフランスの大学に来たとする。学部卒業に必要な単位は60単位残っている事になる。その残りの単位をフランスの大学で取らなければ、フランスの大学を卒業する(EU国内の大学卒業資格を得る)ことは出来ない。日本の大学との違いは、一科目の単位数が異なる。例えば、EU国内では、語学は3単位が認められている。外にも日欧間では細かい制度上の違いはある。

EU教育部門が参加国の文部省と精力的に開発してきた課題は、移動する大学生の生活条件を確保することであった。何故なら、EU国内の経済格差は歴然として存在し、旧東欧圏の学生が英仏ドイツのEU中心国で勉学するためには、経済的な支援が必要となるからである。例えば、ストラスブールの三つの大学では、Erasmus制度を推進するために、Pôle universitaire européen de Strasbourg ( ストラスブール ヨーロッパ大学センター)を創っている。この機関は、三つの大学が共同で、EU国内から来る学生の教育支援のみでなく、経済支援、生活支援を行うものである。奨学金、学生寮、下宿、町の施設、市電や市バス交通機関、町の地図、学生サービス制度等々の紹介を行っている。

例えば、ヨーロッパ大学センターの資料(Bilan Agora de rentrée 2006)によると、2006年度にストラスブールの三つの大学に転学のために相談のあった件数は、約4万6千件で、52%がフランス国内の学生から、41%がEU国内の学生からの相談であった。人文社会系の大学であるストラスブール第二大学に関する相談は全体の44%を占めている。法学部が中心のストラスブール第三大学に関する相談は25%を占めている。理科系に第一大学への相談は22%である。

また、2005年の10月に比べて2006年は59%も相談件数が多くなっている。ヨーロッパ大学センターへの相談で最も多いのは生活相談であり、例えば住民票の移動や大学サービス施設(食堂や大学寮)等の相談が多い。このセンターのサービスに対して、59%が非常に有用であると答え、37%が十分有用と答えた。つまり、このサービスに十分満足した人や満足した人は96%に及んでいる。

これらの資料から、ストラスブールの三つの大学(学生数約4万人)の例をとっても、年々、EU国内やフランス国内からの移動相談が増えている。つまり、Erasmus制度がEU国内で着実に定着しつつあることが理解できる。


ライン河上流地域での地域別大学教育研究と制度の改革運動 EUCOR制度

大学の教育研究の改革をEU加盟国内でより地域的な繋がりのある7つの大学間で推進してきたのがEUCOR制度である。ライン河上流盆地では、1970年代からライン河の汚染を巡る共同研究が、ドイツ、フランス、スイスの大学間で進み、共同の研究活動が展開していた。1989年のErasmus制度の成立を機会に、ドイツのFribourg大学、Karlsruhe大学、スイスのBale大学、フランスのルイ・パストゥール大学、Marc Bloch大学、 Robert Schuman大学、 Haut Alsace Mulhouse-Colmar大学の7つの大学で、学部と修士課程の教育交流を主題としたErasmus制度に対して、大学間の共同研究と大学改革の共同機構を目指す制度が、1990年から始まった。

7つの大学間で、教育と研究、さらには大学改革を課題にして展開されてきた三つの国のある限定された地域での大学間協定である。現在、これらの7つの大学の学生数は約10万人と言われている。また教員研究者数は5千人と言われている。

そして、この制度は、Erasmus制度と違いEU国内全体が取り組んでいる大学間の協定ではないので、それだけに予算の規模の小さい。しかし、この制度は、教育、つまりErasmus制度が学部の教育に関する制度であるのにたいして、大学院の博士課程の教育や共同研究をも課題にしている。それは、Erasmus制度のように広範な国内全体を対象にしていないだけ、研究者の移動がライン河上流地域に限定しているために、簡単であるために可能になっている利点である。
 
EUCOR制度ストラスブール本部のJacque Sparfel 部長に話によると、EUCOR制度内部での大学改革の例として、これらの大学で、文学部考古学科の学生数が減少したとき、EUCOR参加の7つの大学で話し合いが持たれ、考古学科の資源を拡散させないため、大学間での学部学科の統廃合を行ったとのことである。

EUCOR制度は、Erasmus制度に吸収されつつあるという印象であったが、大学改革は地域との関係が緊密に関係するものである。その点では、ヨーロッパで唯一国を越えて大学間の地域協定として展開しているEUCOR制度の存在も注目に値する。

VAE制度(社会での経験を大学の学位として認定する制度)のヨーロッパ化とその課題

2007年8月28日から31日まで、ルイ・パストゥール大学でフランス全土の大学教育に関する研究会がルイ・パストゥール大学で開かれた。50近くの研究発表の中で、VAE制度と教育に関する討論も活発に行われた。2002年1月から始まったVAE制度は、すでに今年の9月で5年と8ヶ月を迎え、多くの経験を持ち、また課題を抱えている。そこで、9月5日から20日に掛けて、Triby教授、Nikeng博士と三石博行准教授との研究会の中で、現在のVAEに関する課題を議論した。

Triby教授が強調していた課題は、VAEは社会で働く人々の教育を課題にしているため、その学位のあり方が、大学内の研究者育成の学位や高等教育の内容と違うのは必然で在り、そのことを前提にした制度としてのVAEのあり方を見直す必要があると言う意見であった。つまり、専門職教育と大学の大学院教育のあり方を検討する必要があるということである。すでに、学部では職業学部課程と一般学部課程が存在している。そして修士課程でも職業修士課程と一般修士課程が存在している。博士課程を今後、改革し、職業博士課程と一般博士課程を検討すべきという提案であった。

Nikeng博士は、VAEの学位認定の在り方を課題にしていた。つまり、社会の専門機関での知的生産レベルは高い。その中で経験を踏まえてきた社会人を、大学の研究期間を標準にして学位の認定の判断を行うことが出来るかという課題であった。科学技術社会では、はるかに社会の専門機関の知的レベルは高いし、知的生産能力は優れている。そのことを大学研究者が理解し、その中で、どのようにして社会人のそれらの能力を認定する公の機関を作ることが出来るかという課題である。

日本では、博士課程にはVAE制度はないが、社会人が博士号を取得する制度はすでに存在している。その過程では、社会人の博士号審査が行われるのであるが、審査を受ける請求人は審査を行う教員と偶然に一緒になることはない。つまり、指導教員と博士号申請者の間で、過去に師弟関係や共同研究の関係があることが一般的である。

その意味で、日本の制度は、博士号申請者の博士論文の内容に、すでに指導し審査する教員が関係しているという条件が成立しているため、フランスのVAEで生じている課題は生まれない。しかし、それだけに、日本の制度では、学位授与の制度は大学の研究室の人間関係に限定される事になる。

今度、フランスで6年近く実験されてきたVAE制度を見直す作業が進むと思われる。この制度が、科学技術文明社会での大学の社会的機能を問いかけ、その時代にあった大学のあり方を模索するための制度であるとすれば、同じ文明社会にあるわが国の高等教育の改革課題として、フランスの経験は有用な資料となる。今後、高等教育研究会の大学改革の国際交流活動グループとして、フランスの研究者の提案を検討し、研究会のメンバーに、Triby教授(ルイ・パストゥール大学教育学科長)が具体的に提案した共同プロジェクト案を検討して貰いたいと考えている。


三石博行 河村能夫

2007年11月13日

2007年12月14日金曜日

生活運動としての国際交流運動

生きがいを見つける生活運動としての国際交流活動とは-余暇としての活動と生活としての活動の接点を求めて-
京都奈良EU協会準備会副代表
三石博行
はじめに

現在、私たちはNPO京都奈良EU協会を始めようとしています。この国際交流運動とは何かを考えてみる

義務から生じる苦痛を受け入れて成立している生活のための仕事生活の場では、生活の糧を得るためにやらなければならない義務がある。それを仕事と呼んでいる。豊かな社会では、その仕事をしなくても生きていける状況を生み出す。そのため、苦痛の伴う仕事から逃避することが出来る。そのことは、人の自然の姿である。それが、出来ないのは食えないから、食っていかなければならないからである。仕事の上での苦痛よりも、飢餓や生活破壊の苦痛が大きいために、人々は、どんな仕事でも、生きていくために引き受けるのである。しかし、そうした苦痛がないなら、人は自然に苦痛な仕事を避けるだろう。その意味で、ニートや仕事につけない人々が生まれるのは豊かな社会の現象であるとも言える。

自己実現のための行為を求めていては、現実の生活は不可能となる
人がもっとも充実している生活を過ごすことが出来るとすれば、仕事が自己実現の手段になっている状態である。例えば、生活できない、売れない芸術家でなく、自分の作品で生活できる芸術家だとすると、どれほど幸運か想像できるだろう。芸術家のように、生活の糧を得る条件の難しい人々の例を取らなくても、自分がやりたい仕事に就けた場合には、それも幸運な人生であると言えるだろう。
しかし、このように幸運な人生を得られる人は、殆どいない。例えば、学校を卒業していく学生を例にとっても、一握りのエリート大学の学生を除いて、殆どの学生が自分の希望する職種や会社に就職できるわけではない。大方、99パーセントの学生(若い人々)が、希望と異なる仕事場に配置され、そこで働くのである。それが人生の始まり、世の中との関係の始まりである。その中で、希望と異なる苦痛に満ちた仕事を辞める人々が生まれることは、当然の帰結である。決して、不思議なことではない。そもそも、自分の希望に即した仕事があることが奇跡に近い現実なのである。
その苦痛に満ちた仕事に対して、自分の希望を変えて、その仕事の現場の価値観や世界観を受け入れて、自分を変えながら順応していく方法が、今までのやり方であった。学生運動していた仲間が、猛烈会社人間になるためには、その現実を受け止め、学生時代に否定した価値観を受け入れ、そして自分を変えて生きることが出来たからである。それが良いとか悪いという問題でなく、そうしなければ生きられない現実を知り、それを受け入れる努力をしたかどうかの問題に過ぎない。

自己実現のための行為を保証する社会機能としてのボランティア活動しかし、現実を受け入れ、なんとか生活を維持している人々も、やはり自分の抑えられた欲望や理想を満たそうとすることは人の自然の姿である。仕事の世界で満たされない自己実現の課題を、仕事以外の時間で満たそうとするのも人の自然である。
例えば、人々が、ボランティア活動に参加する目的として、生産活動では自己実現しない課題をボランティア活動の中で求めるという意識があることが一般的に語られている。ボランティアだけではなく、一見他人から見て何の意味もない遊びも、遊びに耽っている人から観ると、その遊びを通じて満たされる欲望があり、その意味で遊びは、遊んでいる人のみにその意味があると言えるだろう。
つまり、ボランティア活動の意味は、仕事という義務労働の存在が必要な社会のあり方が、それを保持するために必要とした社会的機能であると理解すべきである。全ての人々は仕事で満足するならボランティアは必要ないのである。
言い方を換えると、分業の発達した高度分業化社会、今の高度科学技術文明社会になればなるほど、ボランティア活動の必要性を社会が求める。何故なら、人々は分業という最も生産効率の良い経済システムの中で、もっとも人間として疎外される労働を味合うからである。その社会は、我々人類が、生産効率を上げるために見つけ出した最も素晴らしい経済産業システムであるにも拘わらす、人格としての労働過程を疎外する典型的な様式をもたらしていると言えるのである。

自己実現のための活動の必要条件としての具体的な運動と基本的な理念この疎外形態からの脱却を図るために人は、個人的にも社会的にも努力を払っている。そして、社会も極度な分業がかえって生産効率を下げるという事態を引き起こすことに気付き出している。この努力は、殆どが個人的な生きがいの追及として語られいるのが現状である。そこで、この課題を念頭に置きながら、社会運動として、それを解決、もしくは解決策を模索することは出来ないのかと考えた。
最も、簡単に提案できることは、趣味やボランチィア活動である。その形態は多種多様であるが、提案者である私も、同様に、自己実現のための活動として提案するのであるから、その多種多様な形態のある一つを主観的に選択することになる。それが、たまたま、国際交流活動であり、フランスに居たという理由で、ヨーロッパとの交流という限定条件をつけることになる。しかし、この限定条件は、運動の具体性を選んだということであって、運動の思想や運動の理念とは関係がない。
何故、ボランティア運動として国際交流活動、しかも、日欧友好運動をするのかという理由が個人史と関連する極めて特殊なケースの一つであると自覚することは、ボランティア運動にのめり込む前に、是非ともやっておかなければならない、思想的な点検活動であると言える。そもそも、日欧友好運動も日中友好運動もボーリング、魚釣りもあんまり変わらない趣味の違いに過ぎないと理解している方が、この運動の本来の目的を理解し、それを追求する主体を具体性の中に埋没させない精神を作り出すためにためにも必要な作業に思える。
しかし、運動を始める人々は、いつも自分の活動を相対化し、冷ややかに話しはしないだろう。熱く、精力的に動き、語り合う作業を通じて、生き生きとした活動を生み出し、充実した気持ちを得ることができるだろう。


最も分かりやすい運動スローガン
自己の意識分析を進めるには、NPO京都奈良EU協会の目的について、以下三つの課題を置いてみた。
1「、自分が育ち、人が育つ。」
つまり、この運動は自己実現を他者の自己実現の運動と共感しながら進める運動であることを理解する。
2、「活動(生活と運動)が始まる。」
もともと余暇活動と生活活動は相容れないものがある。その相容れない課題を双方理解しながら、その二つの活動を共存させ、バランスのある生活スタイルを作り出すために模索してみる。そして、その二つが統一される接点を見つけ出すための生活スタイルを目指す。
3、「楽しみと笑いが生まれる。」 運動の目的は、生活の楽しみや喜びが増幅することである。それが具体的な運動の直接的な課題となる。

最も基本的なNPO運動課題1、定職を持たないで人生を探している人が、集まり、事業を起こし、生活を見つけるNPO活動。NPO活動は、一見してボランティア的な社会活動のように理解されがちであるが、その活動は新しい事業、ベンチャー活動に発展する可能性を持っている。従って、そうした新しいベンチャー活動としての側面を重視する。
2、定年退職した人が、今までの人生経験を若い人々に伝え、共に運動と生活を作れるNPO活動。これも、社会的経験を重ね、スキルの高い高齢者は、社会の大切な資源であり、これらの人々の経験やスキルを生かす場として社会活動を考えた。
3、若い人が、経験し、失敗し、考え、手作りで事業を起こせるNPO。若い人々が自己実現の作業や経験が可能になる社会運動であること。
4、海外から来て日本で生活している人が、自分の経験を伝え、楽しい友達を作れるNPO。もちろん、国際交流活動であるから、在日外国人との交流は重要な課題となる。
5、海外へ旅立つ日本の人々が、海外での生活や旅のために役立つ人間関係は情報を提供できるNPO。
6、生活の場で日常的に接し理解し合える国際交流活動を創るNPO。

イベントに関する考え方
私の国際交流にかんする考えイベントの成功とは、イベントに参加した人の数や立派な講演や演奏イベントが出来たことだけではないと思うのです。イベントを企画し、実行していく過程で、イベントに協力した人々が、また、やりたい協力したいと思うイベントであったかどうかが、最も大切なこと、イベントの目的ではないでしょうか。協力した人々に消耗観や「つまり使われたのだ」という気持ちを持たれたならば、どんなに華やかなイベントになったとしても、それは失敗なのです。何事も過程を大切にするということは、人を大切にすることなのです。この考えや方法は、同時に、自分の生きる課題と結びつかない限り生み出せないものなのです。何故なら、自分の理解は、人を理解するという作業の上で、最も現実的に成り立っているからです。(他者としての自分の理解)。私たちのEU協会や日欧の運動の成果は、人と人との信頼や交友の関係が広がり深まることだと思います。そして、私たちの国際交流の作品は、その中で、お互いに育てあったこころだと思います。極論すると、立派な講演会や演奏会でなくてもいいのです。参加した人々が「やっておもしろかったね」と言える行事をすることが大切だと思います。そんな自分を見つけ、友を見けることのできる国際交流をしたいものだと思います。そして、そんな仲間と一緒に、私は自分の仕事の課題に結びつけ、それを変革するための材料となるように努力したいと思います。私にとって国際交流の意味は、日常性にその非日常的な社会活動の意味を還すことにあると思います。

理事や役職に関する考え方
理事や役員は、運動を作るひとです。偉い人でも、有名な人でもなく、泥の中を這いずり回る勇気のある人々が、私たちのEU協会の理事だと思います。
2007年12月14日

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6. EU関係及びEU協会運動

6-1、生活運動としての国際交流運動

http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_14.html

6-2、日欧学術教育文化交流委員会ニュース配信
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_8507.html

6-3、文化経済学的視点に立った国際交流活動
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_26.html

6-4、新しい国際交流活動のあり方を模索して
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/06/blog-post.html

6-5、我々はEUに何を学ぶのか
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/07/eu.html

6-6、東アジア諸国でのEU協会運動の交流は可能か
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/09/eu.html

6-7、東アジア共同体構想と日本のEU協会運動の役割
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/10/eu.html

6-8、欧州連合国の成功が21世紀の国際化社会の方向を決める
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/21.html

6-9、Eddy Van Drom 氏のインターネット講座 ヨーロッパ評議会の形成史
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/eddy-vandrom.html
ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」 から

生活運動から思想形成へ

2007年12月1日 日本現象学・社会科学学会 研究発表資料


対象的世界認識の知の体系からの脱却 世界との関係を理解する知としての哲学運動へ、
-プログラム科学論の課題1-

千里金蘭大学短期大学部准教授 (ストラスブール人間科学大学哲学博士)

世界解釈の領域の変化としての近代哲学史観
哲学とは何かと問われたとき、その答えは、時代と文化によって多様であると思われる。例えば、中世ヨーロッパでは、哲学は学問の中心であり、諸学の基礎であった。この考え方は、19世紀の終わりまで、哲学者と呼ばれる人々の大半が信じていた。しかし、そうした哲学中心主義は次第にその主張を変えなければならなくなったと言える。
皮肉にも、中世の世界観を変更するための哲学、近代合理主義思想によって発展した物理学を中心とする自然科学が、それまで哲学の領域であった自然学を征服し、自然学に貫かれている存在論を伝統的な哲学の領域から、新たな自然科学の領域へ位置付けなおした。そして、18世紀以来、自然を認識する知の道具は、哲学ではなく物理学や化学、そしてそれらの方法論や論理を応用した考え方、科学、つまり、経験主義や数学的論証と呼ばれる近代合理的精神を身につけた方法であった。18世紀中期から、近代合理主義の合理性の考え方は物理主義を中心とした考え方、つまり、科学主義や実証主義に置き換わった。
20世紀の初頭から、哲学はその解釈領域を自然世界から撤退した。勿論、ニコライ=ハルトマンもいたが、自然存在は哲学の領域で議論することではなく、自然科学の領域に移った。その後、フッサールの現象学の提案として、哲学は意識、世界了解の論理や意識のあり方を語る研究、学問として自己規定した。そして、さらに、哲学は人間存在のみを語る学問として全ての学問領域に侵入し領域逸脱をおこすことを自戒することになる。ハイデッガーを代表とするように哲学が問題とする存在論は人間存在のみであるという考えが生まれる。
こうした西洋哲学の流れを観たとしても、哲学は時代や文化によって異なることが理解できる。

現代科学技術文明社会の基本パラダイム、科学主義思想
現代の思惟の代表者は自然科学を発展させて物理学と数学の思想である。その考え方は、人間社会学に於いても、計量や統計の方法として導入され、日常生活で生活の合理化や設計の基盤となる生活経営の方法としても活用されている。
この合理性に裏づけされて、我々は、快適で豊かな生活を送ることができている。現在、我々の生活世界の運営が最も依拠する思想と方法が、自然科学の発展の中で形成した思想、科学的経験論、物理学的論理方法論(計量的方法論)など、科学主義や論理実証主義である。これらの現代文明の基本パラダイムが、日常生活の運営の確固たる論拠として生活するライフスタイルと意識構造に基盤を構築しているのである。

現代文明の基盤としての科学的思惟
例えば、対象分析は、その対象に対する観測者の意識を前提にして成り立っているのであるが、科学分析は対象をその科学活動の主体から分離しなければ成り立たない。例えば、物理対象を、その物理対象を観測する主体の問題として理解するなら、物理学は成立しない。科学的思惟のあり方は、仮に観測問題に触れる物理学法則、不確定性原理や相対性理論にしろ、観測者は観測している現実の自分とか主体でなく、あくまでも対象化され物理系に存在している観測者である。つまり観測者も物理現象として対象化されているのである。その意味で、観測問題が物理学の課題になり得る。今、ここに居る自分とか、主体という意識を持ち込んでは、科学的思惟は成立しない。
この分離に成功したが故に、近代科学が成立し、ここまでの発展を導いたのである。この分離を成功させたのも哲学者(と言っても哲学と科学が分離していた時代ではなかったので、デカルトを現代の我々は「哲学者」として分類しているだけである)であった。そして、この近代合理主義(哲学)に裏付けられて、物理学は発展した。
17世紀の近代合理主義思想や18世紀の科学主義思想は、その後創出され形成された人間社会学に対して大きな影響を与えた。例えば、近代社会科学は、形態学や進化論の影響を受け、また実証的方法論などの影響を受けて発展してきた。その場合、社会現象も物理現象と同じように対象化されて、科学的思惟の範疇に収まることになる。
しかし、19世紀になって、人間社会学に於いて、主体の問題を社会や文化の産物として位置づけるようになってから、(例えば、19世紀に登場した史的唯物論とそれに裏付けられたマルクス経済学であるが)人間社会学では、物理学のように、社会観測者とその観測者が観ている社会現象を分離することが、科学認識的には出来なくなるのである。しかし、そのマルクス経済学においても、歴史の最終段階として位置付けられた共産主義社会の経済学ではなかった筈の資本論(資本主義社会の経済学)が、政治的権力のバイブルとして、超時代的超社会的な理論になった瞬間に、近代経済学の持っていた対象認識の科学性をも失うことになるのである。そのことから、科学のイデオロギー性を問いかけた筈の課題も風化することを経験したのである。そこで、科学であり続けるためには、主観的世界を徹底的には以上するしかないと結論されるのは一つの回答に違いない。そうでなけば、主観的世界に潜む「欲望」という怪物に、科学的論理や方法は食いつぶされることになるからである。
徹底的な客観主義を貫くことで、人間社会学の科学性は成立するだろうかという疑問が生じるのであるが、観測問題を課題にした現代物理学は勿論のことであるが、現代の人間社会学は、近代合理主義以後の自然科学で確立した科学的方法論によって、成立していると言っても差し支えないだろう。つまり、ある条件で反復可能な現象を、明白な事実として位置付けて、その現象に関する分析、それも、過去からの科学的理論に基づいて説明する、その説明の論理的推理も反復可能であることが条件づけられている。科学的経験主義や論理実証主義は、歴然としてその有効性を主張し続けている。また、統計学的な考え方で進められる科学的研究では、仮説を否定できる確率を論じることで論証問題を考える、論理実証主義の反証可能性の科学思想を前提にして成立している。言うまでもないが、計量経済学や社会学においては、物理学の手段である社会経済現象を量化計量する方法で、その規則性を語るのである。そして、心理学では、脳神経生理現象を観測することで、感覚、知覚、意識が脳の活動によって生み出されていること実証するのである。こうした流れは、人間社会学の主流を作り、科学的であることの別名として、計量化されて語られる事になる。人間社会学の対象も、より計量的に分析されることが、学問的には厳密とされることになる。この流れは、批判されたにしても、今まで有効であった科学方法論の延長に用意されたものである以上、そう簡単には、これまでの近代科学の進化方向を変更するわけには行かないだろう。そしてこれまでに、産業革命を成功させ、戦争に勝ち、経済効果を挙げ、商品開発に貢献し、社会改革に活用され、民主主義社会の建設に力を発揮してきた、近代合理主義や科学主義、物理主義と呼ばれながらも有効な科学的思惟を否定することはないだろう。仮に批判したとしても、その批判も結局は、科学の進歩の恩恵を受けながら、発せられた反発に過ぎないと言われるかもしれない。現代文明の基盤を作り、現実の生活や生産活動の基盤となっているのは、科学的思惟であることは疑えない

危機意識から生じた科学的世界了解のあり方の点検活動・現象学運動
こうした科学への危機を問題にしてきたのは、科学研究や生産活動の中からではない。寧ろ、その生活世界への結果からである。つまり、科学技術の生産したものによって直接的に受けた生活者の被害や犠牲、例えば戦争、公害、労災職業病、災害事故、等である。こうした被害の原因が、単に政治経済システムによって生じているだけでなく、科学技術のあり方によっても加速され増幅されていることを理解したとき、そしてまた、それらの被害の解決が、技術的な改良や政治的解決によって可能になるという手段や方法を失ったとき、その被害の原因、もしくはその要因としての科学や技術の在り方が批判され、そしてその科学技術を支える思想が問題にされることになるのである。
こうした科学の進歩に対する危機意識(生活世界からの)と同時に20世紀初頭には、現代の人間社会学の基礎を作り出す理論が生み出された。これらの理論の根底には、近代合理主義や科学主義の延長線にある人間社会科学の進化の方向を問いかける問題意識やデカルト的図式への批判的点検を意味するものがあった。例えば、ソシュールの言語学、フロイトの精神分析等。フッサールの現象学は、そうした新たな人間学の形成と同時的に形成された。そして、現象学こそが、近代科学やその技術によって進化した文明や時代精神への基本的批判者であり点検者として登場したと言えるのである。現象学の基本的な課題は、デカルト的図式(主観と客観の二項図式)への点検活動であり、いつの間にか物理空間で数式化された科学する意識主体を、生きた生活している意識主体へと取り戻そうとする哲学的な闘争でもあったと言える。
この現象学的点検活動を科学論の中で位置づけるために、哲学の科学批判という課題から、歴史的に生じる混乱を整理しなければならない。この点検よって、20世紀初頭に形成された新たな人間社会学思想の形成の今後の展開の方向に関する検討が可能になると思われる。混乱を避けるために、ここに二つの課題を提案する。一つは、科学批判のあり方を巡る我々の評価である。つまり、科学批判にも反科学と反科学主義があったという科学への批判の歴史的な流れを理解しておく必要がある。ここで問題にしたいのは、反科学主義の思想である。それらは、デカルト的図式(主観と客観の二項図式)から生産・再生産されてきた19世紀から20世紀を経て現代までの中心的な時代的精神を、中世的世界観に戻るのでなく、新たに何ものか問題を乗り越える科学思想と哲学を模索しながら、点検することを要請したからである。
もう一つは、20世紀初頭から始まる哲学非難を巡る課題である。この要請の中には、哲学の意味も含まれている。つまり、哲学が全ての学の基本であるという中世以来確立してきた確固たる哲学の位置を、例えば自然哲学を自然科学に明け渡たしてきたように、縮小限定することが現実的な哲学への要請であった。哲学者が、伝統的な哲学の優位性を信じたところで、そこからは、分子の軌道も銀河の進化も説明できないのである。哲学とは何か。何故我々は哲学を必要としているのかという原点に戻らなければならない。そして、現象学は、哲学を明白な世界観として信じられている科学的な世界了解に対する、つまり不問に帰されている日常化し惰性化した経験への自問作業、つまり経験の惰性態構造に対する点検作業として、出発するのである。
歴史的に、哲学は文明や社会の危機と隣りあわせで形成されてきた。古代民主主義社会の危機とアリストテレスやプラトンの哲学、中世的世界観の危機とデカルトやベーコンの近代合理主義や経験主義思想の形成、そして、科学主義社会の危機とフッサールの現象学の形成は、哲学のあり方を物語る。それは、ぎりぎりの自問と点検を課題にしなければ生きられない人々の自我の叫びである。それは、新たな時代的精神を孕み産み出す苦悩の闘いでもある。

科学的思惟の点検活動としての現象学方法論
デカルトのコギト、方法論的懐疑とその終結である、疑う自分は疑えないというトトロジーの成立。それに対して、全ての判断を中断するという過激な対応をフッサールは提起する。このエポケーと呼ばれる判断中止を、そのまま真面目に受け入れらるだろうか。つまり、判断中止したとしても、判断している自分が存在するはずである。そうでなければ生きては行けない筈だ。
つまり、フッサールは、固定観念の意識を見抜き、それを暴露し、その意識の所在を自覚するために、意識が自然に行う判断という心理作用を中断すべきと言っているのである。言い換えると、この意識の自然的な形態を意図的に意識的に中断しなければならない。意識は意識するもの(主体)が意識したもの(対象)としてのあり方、志向性(意識作用のありあた)を持つ。したがって、その意識への点検はその志向性を見抜こうとする作業である。自然な(志向的な)自己意識を、暴露するのも、また自己意識である。その意識が哲学的活動であり、現象学的還元(反省)であると言える。その反省は、志向的自然形態の意識にたいして、それを超越する意識運動として位置付けられる。
では、こうした意識運動は何故必要なのだろうか。科学的思惟は、科学する主体の志向性を問うことはない。古い言い方をすれば、その主体の時代性や社会性(文化性)を問いかけることは科学の作業ではない。仮に認知科学をしても、主体を含める認知作用のその科学の対象とされておいるのである。認知科学を行う認知作用をものとして位置付け、その上で、認知科学者の作業は成立している。それはものであり、主体ではない。また、言語科学で、今、言語科学をする自分や主体を課題にすることはない。そうなれば、言語科学の方法論が成立しないからである。しかし、「言語の哲学とは、言語をどうしてもひとつの物のように扱わざるを得ぬ言語科学に対立して、現に語りつつある主体を再発見する」ことであるとメルロ=ポンティは述べるように、明らかに哲学的立場と科学的立場の違いが生じるのである。現象学は、全ての科学に対して哲学的立場での点検を要求しているのである。その要求こそ、フッサールが言う現象学的還元やエポケーと呼ばれる作業である。
さて、この全ての判断を中断するという過激な対応をフッサールは提起が成立する条件とは、自然的(志向的)判断をし、それに基づいて生活し、科学している我々に日常性の存在出会うる。そして同時に、そのために被る被害や、愛する人々の犠牲である。生活や生命の苦痛は抽象的なものでなく、極めて具体的な生活条件として現れる。例えば、戦争により生活や生命を失う人々、公害や労災職業病によって思わぬ病に苦しみ、そして死んでいく人々、薬害など不慮の災害や事故に合い命を落とし、また病気で苦しむ人々、こうした人々が、その悲しみや怒りを、その原因である社会や政治、経済の制度に、また、その直接的加害物である技術や科学に対して向けるとき、そこで問われる課題が、日常を支配していた観念形態(イデオロギー)であり、その観念形態の基盤となる科学思想や社会思想の点検の社会的基盤となる。
科学する主体と科学されたものとが分離する世界、疎外の形態、は科学する主体が科学する活動の中で生き生きとして位置づけられ、また、その科学する意識を点検する活動が科学する活動にとって必要であると理解されていないから生じるのである。科学活動の現場で、科学批判をするとき、我々は、科学することをやめるしかなかったのだった。しかし、一人の良心的科学研究者が、良心の痛みで科学者をやめても、この世の中では、何の意味も成さない。それは、ある一人の研究者の転職に過ぎない。
哲学、現象学運動は、この問いかけにこたえるために用意されたものである。フッサールが願い、現象学運動が目指したものは、生活の場で生活を点検すること、科学活動の中で科学を点検すること、政治活動の中で政治を点検すること、企業の経営活動の中で、企業活動を点検することではなかったか。その意味で現象学は生活活動、科学活動、経済活動ために必要な道具であり、武器であるはずだと言える。言い換えると、現象学的反省は、我々の生活世界のあり方、自然な(志向的)意識のあり方、その結果である必然的に不可避な固定概念の世界存在を前提にして、その中でよりよく生きるために、現実をみつめるために、必要とされるのであると言える。つまり、常に生じる共同幻想のもやの中を、目の前の障害物にぶつからないように、また道を失わないように、見えているものと確りと確認点検する作業として現象学的還元はその存在理由を持つのである。


伝統的科学論からプログラム科学論へ、その科学史的意味
伝統的な科学論では、純粋な理論を研究する科学とその理論の応用する学問(技術)とは分類され、また自然物を対象にした自然科学と社会現象を対象とした社会科学や人間の心理、言語、精神現象、生活を対象とした人間科学とに分類されている。これらの分類が、20世紀後半から説得性を持たない状況になっていることは、現代の科学論研究者でも自明の事実である。つまり、理論研究とその応用開発は融合しつつある。
その背景は、科学的知が産業生産に直結する生産様式が生産力や経済的価値を生み出すという社会経済の変化によるものである。例えば、電磁気学の原理を発見から電話や蓄音機への応用までの時間と免疫反応を解明しその医学的応用までの時間を比較した例で説明すればよく理解できるのだが、科学理論の発見とその応用までの時間間隔が前世紀初期と現代21世紀初期では格段の差がある。今日、科学研究とその産業への応用は、殆ど同時に進行している。つまり、研究開発産業(第四次産業)が現代の産業構造を基幹産業となり、この第四次産業が第一次産業、第二次産業や第三次産業とリンク、それらの伝統的な三つの産業構造を変革しながら、現代の産業構造は第四次産業によって再編再構築されつつある。20世紀の末に政府が打ち出した科学技術立国の建設の政策は、この新たな産業構造と生産様式(知的生産が価値を生み出すという生産様式)を理解し、先取りしようとしていたものであった。新たな産業革命の時代に入ったと言ってもいいのである。生産や政策の技術革新や改良が社会経済の原動力となることは経済学の理論としても展開されている。情報科学と情報処理工学、生命科学と医学、薬学や農学、計量経済学と経営学や経営工学、大脳生理学や認知科学とロボット工学等々、前世紀後半から自然科学の多分分野や人間社会学を含めた学際的、横断的研究が盛んになり、あらたな研究分野が学問領域を形成してきた。
余談ではあるが、現代のわれわれの職場(高等教育の現場)も、この第四次産業による新たな産業革命の中で、これまで知の生産機能を独占していた大学の社会的機能が問いかけられ、新たな時代に対応した社会的機能を要求されている。その課題への解決方法、つまり、新たな産業構造での大学の社会的機能の構築を目指す大学のみが、21世紀社会で生き残ることが出来るのである。
また、われわれの社会(地域社会)も、この産業構造の変化によって、進行している経済や文化の国際化の影響を直接に受けているのである。商店には、中国やアジアの工場や農場で生産された商品が並び、日常生活用品の多くが世界各国の地域から送られてくる。と同時に、アメリカへ行ってもアフリカに行っても、日本製品を見かける。隣の町の自動車工場で作られた車が世界上を走っている。地域社会の改革に国際性の理解が必然となり、国際化が地域性の理解を前提としなければ成立しない時代が到来している。この地域社会の変化も第四次産業の発展、インターネット(通信工学や情報工学)の発展によるものであり、また、その中で生き残る地域産業も研究開発を企業活動に導入しなければならないのである。
大きな社会変化を導いた研究開発産業の形成は、伝統的な科学論をゴミ箱に放り込んでしまっているのである。伝統的な科学論の分類学も、その理論も現代の新たな産業革命を説明することも、また将来の課題を展望することも、そして、新たに生じる社会問題を解決することも出来ない状態なのである。欧米では、1970年代から、日本では1990年代後期から科学と技術と社会の課題が問われ、あらたな科学社会学の研究活動が始まっている。
さて、この科学技術や知的労働を中心とした産業構造の時代的変化を前提にしながら、吉田民人の提案したプログラム科学論の歴史的意味について考えることにする。
プログラム科学論における科学の分類では、科学は法則科学(物理学や化学)と秩序科学(生物学、情報学、社会科学、人間科学)と呼ばれる二つの科学分野に大きく分類されている。この分類を決定しているのは自己組織性に関する概念である。プログラム科学が対象とする世界では、自己組織性をもつプログラム、つまり、プログラム自体がプログラムによって変化する。しかし、法則科学の対象とする世界では、普遍な形態をとる法則が前提にあり、その法則によって法則が変化することはない。仮にその法則に基づいた自己組織性の現象が生じていたとしても、その自己組織性とプログラム科学が問題にする自己組織性は、基本的に(科学性として)異質なものである。プログラムの自己組織性をもつ世界の科学か、それと法則によって構築されている世界の科学かの二つの科学のあり方、科学性の分類が前提になって、プログラム科学論は形成されている。
また、プログラム科学論では、はじめから科学と応用科学の分類はない。科学もその応用科学も問題解決を前提にした知であり、そのために対象世界のプログラムを解明(分析)し、それらのプログラムを改良、応用(構築、再構築)が課題になる。科学理論とは、自然物や人工物のプログラムに関する解釈であり、その応用(利用)に必要な(適した)プログラムであるといえる。
また、吉田民人は、このプログラム科学論が前提としたプログラム性をもつ世界の科学と法則性を持つ世界の科学の分岐点を科学革命として科学史の中に位置づけた。これまでの、科学史の解釈では、近代合理主義と力学の形成が中世の科学観と現代に繋がる科学観の分岐点として(パラダイム変化として)解釈されていた。その大文字の第一次科学革命に対して、形態学や進化論を前提としていた古典的生物学がプログラム(DNA)によって解釈される現代生物学に移行する科学パラダイムの変化を 第二次の大文字の科学革命であると解釈した。この解釈は、科学が法則科学とプログラム科学によって分類できることを科学史の中で解釈するために必要なプログラム科学論の科学史観である。
現実に、現代の新たな科学研究の進化、つまり、自然科学と人間社会科学の融合的研究、横断的研究分野の形成は、プログラム科学論の科学史観によって、その必然性と今後の進化の方向が理解されるのである。吉田民人の言葉を借りるなら、第四次産業構造は、大文字の第二次科学革命によって、導かれた知の構築、つまりプログラムの存在とその解明、そしてその応用や改良を課題にした科学、プログラム科学の形成によって、導かれたものであると癒えるのである。

プログラム存在のメタ理論としてのプログラム科学論
吉田民人は、現代の知の構造を解明するために、プログラム科学論を提案した。ここでは、そのプログラム科学論の全てを解釈することは出来ないが、そのプログラム科学論の哲学的課題について語る。
プログラム科学論は科学的思惟やその論理構造、さらには科学的経験の構造がプログラム性を所有しているという仮定をもって始まっている。プログラム性とは何かというと、それは生物のDNAから存在する、コード(記号)の配列を持っているもので、そのプログラムによって、生命は個体保存と種族保存の目的をもって、あらゆる情報の入力と出力に関する作業、つまり認識、評価、判断の情報処理が行われている。それらのコード(記号)の変化が、生物の進化を生み出し、また、言語、意識を生み出したと解釈した。それを記号進化論と呼び、またそのプログラム存在の進化のあり方を進化論的存在論と呼んだ。
進化論的存在論は、哲学史の中で展開された存在論の歴史的流れを前提にし、歴史的に課題にあれた質料世界の存在形態と形相世界の存在形態の不可分の存在形態を、吉田民人は存在論的構築主義と呼んだ。存在論は、大きく三つの段階をもって展開してきた。第一段階は、「質料」的存在から世界を解釈した形而上学的存在論、中世哲学における自然学や現代の物理学を中止とした科学的世界観もその伝統を引き継ぐものである。第二段階は、人間存在を哲学の中心課題として現象学によって提案された存在論(現象学的存在論)である。哲学を人間学の基礎理論とするために、経験や認識も課題を、まず経験する認識する主体の意識問題として理解し提案された存在論である。言い換えると「形相」的存在に関する考察であるといえる。意識から世界を解釈した存在論である。
プログラムは、それを構成するコードの素材(質料)とそのコードが意味する情報(形相)を持つ。それらの素材性と情報性は不可分の関係にある。存在形態は構築され構築することで可能になっている。素材(質料)もそれを構築する形相の産物であり、情報(形相)もそれを構築する素材の産物である。それらは、階層的に、つまり、ある階層の素材は、その前段階の様式(情報)の産物であり、またある階層の情報や、次の段階の階層の素材の原料となるように、相互に関連した世界によって構築される。こうした多重で多様な、しかも、すべての質料(素材)と形相(情報と様式)のシステムの構造によって、そのシステムの機能によって起動し終結する存在、自己組織性のプログラム存在のあり方を説明するために、存在論的構築主義と進化論的存在論がプログラム科学論に準備されたのである。
プログラム科学論は、生物学から社会科学、精神科学、政策学、人間科学、言語学、宗教学等々、自然素材によるプログラムや人工物によるプログラムを含めたすべてのプログラムに関する理論科学や応用科学のメタ理論として準備された。言い換えると、科学のメタ理論であるプログラム科学論は、それらのプログラム科学群の科学理論の中で共通する課題、つまり、汎プログラム性に関する、メタレベルの解釈が求められることになる。そのメタレベルの解釈、モデル理論に取り組むことが、プログラム科学論群のメタ理論としてのプログラム科学論の進化を方向付ける。
例えば、プログラム性の理解、その機能、構造、要素の関係、システムのあり方、要素やその関数的集合体としてのシステム間の相互作用、システムやその要素の進化、それによって生み出される系やシステムの自己(系)保存や種(系の増殖)の保存、それらの自己組織性、系の運動を決定付けるシステムの共時性運動、その進化は変化を司る通時性運動、安定した内部エネルギーや情報処理状態を維持するためのシステムの機能と情報処理に関するフィードバック機能、そしてこれらのすべてをおこなっている情報処理(認知、評価、判断)のあり方、その情報処理の連鎖的構築によって出来ているシステムのあり方、それらの結果として、またそれらの原因として存在している発生と消滅の情報処理と情報処理機能の構築、闘争と共存、自己と他の認知機能、等々。メタレベルでの、つまり、すべてのプログラム科学の解釈の理論的で思想的な基盤となる思想や公理系の構築が科学のメタ理論としてのプログラム科学論の課題になるだろう。

プログラム科学論への点検作業としての現象学的還元の課題
プログラム科学論は、プログラム科学、つまりプログラム構造を持つ世界にプログラム構造を持つ主体が関係し、そのプログラム構造の解明と改良を課題にする知的作業に対して、その作業を推進するために準備されたメタ理論、言い換えると、プログラム科学相互の異なる学問分野の領域を超えて、それぞれの理論を一般的理論に抽象化する作業を自らの学問の権利として主張し、それを遂行する作業であるといえる。
とすれば、プログラム科学論はプログラム科学群の了解なくして、メタ理論の解釈をする意味を失う。なぜなら、それらのプログラム科学群が日常的に取り組む解決しなければならない問題群に対して、メタレベルの理論、プログラム科学論の提案する解釈や一般モデルが、有効であると評価されることが前提になる。そうすると、プログラム科学論の研究は、具体的なプログラム科学群の現場、研究者と緊密な関係を要求されるだろう。それらの研究成果を学び、それらの研究と共同研究しながら、プログラム科学論は進化していくことになる。
この新たな科学哲学は、科学解釈学や科学批判学を前提にし、科学と哲学の領域を分離して成立していた科学哲学ではないことを宣言しているのである。
第二の大文字科学革命と第四次産業による産業革命がもたらす新たな社会の課題、それはもっとも深刻で性急な回答を求められている環境問題に代表される課題に対して、科学哲学が有効な知として機能しているかを問われる現実に直面している時代に、準備された新たな科学哲学であると言わなければならない。もし、その課題に対して、プログラム科学論が、哲学的な、メタレベルの科学理論として、問題解決に機能しないならば、その存在理由を、その科学論自らの理論において、失うことになるのである。
では、こうした現実の問題解決を進めるプログラム科学に対して、プログラム科学論は、何をなすべきなのだろうか。科学的作業に埋没するなら、科学哲学としての意味を失う。しかし、具体的な社会や人間の問題群を避けて純粋な科学哲学理論を追求するこれまでの哲学研究の伝統にしがみつくなら、プログラム科学のメタ理論としての自らの位置づけを失うことになるだろう。
古いサルトルの用語を援用するなら、科学哲学としてのプログラム科学論は、プログラム科学群の前進的作業(世界の解釈と改良の作業)に対して、それらの作業のあり方を点検し批判する機能する遡行的作業をしなければならない。それが、プログラム科学郡のメタ理論として存立するための第一条件である。この第一条件は、20世紀初頭に科学の進歩、科学主義の勝利、デカルト的図式の完成に対して、哲学を経験構造の批判学、反省学として位置づけようとしたフッサール現象学の提案と共通しているのである。
ここで再び、フッサールのいう現象学的還元やエポケーと呼ばれる作業を、プログラム科学論の作業の第一命題におく。しかし、この命題は、具体的な社会や人間の問題群を科学哲学が受け止めて成立するという第二命題に補佐されている。主体を問う哲学と対象を分析する科学は、その方法において異なる。その二つを混同することは出来ない。一方は、経験や認識に対する点検、遡行的作業である。他方は、問題解決を前提とした解釈と構築の思惟活動、前進的作業である。
つまり、プログラム科学論(科学哲学)から、現象学は前進的作業を保障しない限り、哲学としての有効性を問われているのだと理解されなければならない。大学の哲学研究室で産出された理論の有効性を点検するフィールドを求めるのは、哲学研究者の健全な志向性であると理解される。知の有効性を理性として位置づけた近代合理主義の精神に戻り、現代社会の課題に対して、哲学の有効性を問いかけること。それは、まずは自らの依拠する世界、生活世界、社会的常識や科学的論拠に対して、現象学的還元やエポケーと呼ばれる作業を課すことである。
1、プログラム的存在、プログラム科学群とよばれる具体的世界との関係を作ること、そのことは、固定概念を所有している自分を創ること、ある場所とある時代的存在者として、その中に埋没することを前提とすること。
2、その上で、提起された問題群に対して実際無能である自分を前提にする作業、つまり、プログラム科学群や生活世界(プログラム的存在)に埋没した自己意識や経験の構造を点検する作業、現象学的還元やエポケーと呼ばれる作業を行うこと
3、その現象学的還元やエポケーと呼ばれる作業の結果を、プログラム科学群の共同体や生活世界(プログラム的存在)に還す作業を行うこと。多分、その結果は悲惨ではないだろうか。しかし、勇気をもって提案し、批判されなければならないのだ。
4、そして、この作業を際限なく続ける(志向性)意志が、単純に問われるのである。

2007年12月1日 日本現象学・社会科学学会 研究発表