2010年11月10日水曜日

仮面を被った討論参加者に囲まれて

三石博行


インターネット仮面討論会の意義

現在、あるグループ討論サイトで、毎日のように議論に参加している。私も自分のニックネームがあるが、プロフィールで、自分のホームページやブログを紹介しているので、私のニックネームは形だけのものということになる。

多分、世の中ではニックネームで参加する討論会は、無責任な発言を助長することを抑制できないため、意味がないと言われるだろう。その発言にも一理あることは事実だろう。しかし、仮面を被って発言できることによって生み出されるプラス面を観る必要がある。

考え方によっては、年齢、職業などを明らかにしてしまうと、そうした社会的仮面が個人の意見評価に反映され、20代の学生の意見が面白い内容であっても、50代の社会人の社会的仮面に対する偏見にさらされることになるとも言える。したがって、この種の討論会では逆にニックネーム参加の意義があると言える。

つまり、発言内容よりも社会的仮面の種類が発言の正当性を要求する一般社会のあり方から隔絶するために、一応すべての人が仮面を被る(ニックネームを使う)ことになる。

この仮面討論会は、しかもインターネットで行われるので、発言者の素性も発言当時の態度すら見えてこない。見えるのは発言者の書き込み内容のみである。その意味で、発言者の発言内容のみが存在することになる。現実の社会では、社会的立場や年齢など、意見内容に関係ない要素で討論の中身に色を付けられる心配は起こらない。


仮面をしていない私の立場

仮面を形だけ被った私は、仮面を確り被った人々の中で、少し緊張することになる。何故なら、彼らは私の正体を知っているが、私は彼らの正体を知らない。そのため、議論の相手が、自分の身近なところに潜んでいる可能性もある。

私の現実の生活スタイルを私の身近に潜んだ仮面正体は、観察することが出来る。もし、私の書いた内容と私の生活スタイル、つまり大学教員として、私の仕事、教育研究への私の日々の態度を観察されている以上、私は真剣に書かなければならない。そしえ書いたことに責任を持たなければならない。

つまり、仮面を被った周りの論客と仮面を脱いだ私、彼らは思い切って何でも言えそうだ。私は自分の年齢は立場を考えながら発言しなければならない。これは明らかに不平等な立場なのだが、むしろ私はこの不平等さを楽しんでいるようだ。


仮面学生の参加した授業はどうなるか

仮に、私の講義で、学生がみんな仮面を被り、私が一人素顔で講義したらどうなるだろうかと考えてみた。まず、仮面を被った学生たちは教師が仮面の中の正体を知らないので随分安心して、厳しい要求や批判、質問を、直接、教師に投げかけるかもしれない。教師の心証を損なっても、教師は発言者の名前が分らないし、発言者は勿論のこと仮面講義に参加した学生の出欠すら出来ないのである。むしろ、教師はこの授業に出席簿を持って来たこと事態がミスであると理解するだろう。

こうした仮面討論会のような「仮面学生を相手にした」授業があったら面白いかもしれない。

最近、学生アンケートを授業科目終了時に取っている。匿名で出すアンケートであるので、丁度、仮面を被った状態と同じで、学生は言いたいことをアンケートに書くことができる。その分、正直な意見が出される。

私は、15年間も、毎回の講義終了時に、任意で5分間テスト用紙の最後に付け加えたアンケートで、講義の評価、つまり、講義が理解できたか、講義に興味をもったか、講義内容が役に立ったかの三点についてアンケートをとり続けてきた。

しかし、この15年間を振り返ると、殆どの学生がアンケートの記入をしない。そこで「私へのプレゼントを忘れないで」とアンケートをお願いする。親切な学生たちがお願いを聞き入れて書いてくれる。

書かれたアンケートの内容は、大方、評価するに傾いている。それもその筈で、実名入りで、しかも、授業評価のアンケート質問はテスト用紙の中に書かれていうのであるから、思い切った批判は出来ないのが当然だろう。こうしたアンケートは余り意味を持たないといえる。

仮面授業を企画することは意味があるかもしれない。この考えを基にして、私の講義を検討する機会を作ろうと思う。






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買うという行為の経済文化的変化(1)

三石博行


経済共同体を維持するための行為・義理買の消滅

我が国日本で、人々が、品物が安いという理由だけで買うことを決めるようになったのはそう昔のことではない。田舎では、つい最近まで、付き合いとしてお互いに品物を買いあっていた。共同社会が存続する場合、そこで暮らす人々は、買う行為を通じて、その社会の経済共同体を作っていた。

しかし、資本主義経済システムの成熟、生活世界の市場経済化によって、村落共同体が崩壊していくことになる。田舎にも大型店舗が進出し、町の商店街が消滅して行くことになる。自家用車所有率が上がり、地方の少子高齢化が進むことで、公共交通機関、取り分け公共バスが廃止され、田舎生活の移動は、もっぱら自家用車になる。型店舗にとっては、自動車で移動する現代の地域社会は、好都合であり立地条件がよい。大型店舗が土地の安価な条件を巧みに活用して、進出して行く。これが2000年代の日本の田園風景を変えたといえるだろう。

つまり、地域社会では急速に伝統的な経済共同体が崩壊し、商店街は消えて行った。その傾向は、都市近郊の町にも現れている。1980年代から地域社会(地方)で起こった少子高齢化、人口減少、地域産業の衰退等々が、今や都市近郊でも起こり、日本全体の社会問題になろうとしている。そして、日本の田舎では地域社会が消滅しつつある。

この地域社会の消滅は、共同社会が存続のために買うという行為(文化)の消滅を意味している。そして、買う基準は、すべて市場経済の決まりによって決定されていることになる。

品物が安いということが売れるという条件を導く唯一の基準となる。生産者側は、いかに安く供給するかが最も重要な課題となる。安売りの競争が、競合する大型店舗間で起こり、それらの競争は日常化し、客は少しでも安い品ものを提供してくれる店舗めがけて日々に移動する。

市場経済化の流れを止めることはできない。また、それ以前の村落共同体の経済機構を支えていた伝統的な行動、「義理で買う」行為を呼び戻すことも不可能である。義理買い(ぎりがい)は村落共同体が存続していた時の人々の買う行為を決定していた要素であった。伝統的な共同社会の消滅によって、その義理買いも消滅し、それに換わって、市場原理に基づく購買行為が登場した。

この購買行為の変化は、日本社会経済の歴史から見れば当然の結果である。つまり、資本主義経済化が全国津々浦々まで行き渡り、古い社会経済制度や風習を完全に駆逐しからである。


多様な商品の購買条件の選択枝と市場原理

市場経済で動く購買要素の「安価」が問われることになったのは、2008年の中国餃子事件であった。それ以前から中国国内では食の安全性が問題になる事件が多発していた。例えば、2003年には中国産ウナギ加工人品から合成抗菌剤が検出、2004年4月には偽造ミルク事件では多数の幼児の死亡事故発生、2005年には以前使用禁止となっていた発ガン性物質のスーダンレッドを使用した食品の発見、2007年には病死した豚肉を使った肉まんの売買、等々。(Wikipedia)こうした事件を切掛けにして、日本の消費者は、これまで多量に日本に輸入されていたすべての中国製食品の安全性まで疑うことになる。急激に安価を売り物にした中国製食品は人気を落として行った。 

換言すると、市場原理は働くために、食の安全性を欠いた食品は市場から駆逐される。安けりゃ買うという消費者に食の安全性を無視しても安ければ買うだろうと帰結した企業、例えば牛肉偽装事件を起こした雪印食品などは悉く(ことごとく)経営に失敗した。

最近では、地球温暖化防止への協力、障害者への支援、緑化運動、飢餓対策、スポーツ支援等々、社会貢献を謳い文句にした商品(少し割り高だが)を消費者が買う。逆に、その謳い文句があると消費者が書くことを見越して、企業は社会貢献度の商標マージにした商品を販売する。 

これまでのファッション性、便宜性や環境主義だけでなく、人道主義、平和主義までもが商品の付加価値として評価される時代を向かえている。つまり、多様な商品へニーズの意味するものは、多様な市民の生活スタイル(個性を尊重する社会生活様式)の出現を意味するのである。


高度情報化社会での購買方法、電子マネー化を進める経済文化の課題

市場原理が働き、商品に関する情報やその評価情報がインターネットで公開なされている今日の社会では、消費者の購買選択が市場を決定する。具体的例としてテレビによる通信販売がある。また番組が取り上げたグルメ食品の爆発的な購買やレストランへのお客の殺到例のその一つである。つまり、インターネット時代の消費者の購買動向は情報によって大きく左右されるのである。

資本主義経済の成熟によって、商品情報伝達と市場原理が購買者の行動を規定することになる。言い換えると、伝統的な共同体での義理買いの習慣に換る新しい購買文化が生まれた。その当たらし新しい共同体とはインターネット社会でつながった共同体であり、そこで新しい購買文化が形成されようとしている。

さらに、情報化社会の落とし子、電子マネーの出現によって、商品交換過程に大きな変化が生じていることに注意しなければならない。歴史的に商品の交換過程を支えている貨幣は、まず金本位制時代の貨幣(硬貨)、そして信用経済で成立する貨幣(紙幣)から、今回、情報社会で生まれた電子マネーと変化して来た。この電子マネーが、情報化社会によって生み出されたものであり、それがこれから更に新しい経済文化を生み出すことは言うまでもない。

買うという行為は生活行為の中で「交換する」行為の代表者であり、社会システムの運営に多きい位置を占めている。人々は買うという行為を通じて、社会参加しているのである。したがって、買うという行為の変化の意味するものは、社会文化の基本的構造、観念形態(イデオロギー)が変化していることを意味することになる。


交換価値の保証、貨幣素材の価値から国家の財政活動への共同主観的信用性へ

つまり、貨幣は消費財のような生活世界で消費されるための使用条件を持たないものである。マルクスはそのことを「使用価値を持たない特殊な商品」として貨幣の商品としての特殊性を位置づけた。

金本位制の貨幣は、それでも金という素材の価値を前提にした交換価値を貨幣に与えていた。
しかし、紙幣になると、それが金と交換できるという条件を与えることで、紙幣への金本位制での信用を維持していた。保障を紙幣が無くした場合に、貨幣の価値はそれを活用している国の経済状況に応じて変動することになる。例えば、その国の物価指数が上がることによって、その国の紙幣の価値は相対的に低く評価される。

紙幣は貨幣の素材に含まれる交換価値を喪失させ、その代用として「信用」という貨幣への信頼を意味する共同主観性を前提に成立している貨幣である。つまり、その共同主観性が崩壊することによって、紙幣はただの紙切れに変貌するのである。

例えば、デノミネーションはその一例である。貨幣価値が暴落することで、これまでの貨幣の交換価値を切り下げる。例えば戦前の日本では円の下に銭という貨幣単位があった。100銭を1円として換算していたが、銭を廃止することで、1銭の貨幣価値を1円に繰り上げる。つまり、1円の貨幣を1銭の貨幣価値に下げる行為をデノミネーション(デノミ)と呼んでいる。

このデノミを起こして国の財政を立てなおすことが出来るのは、金本位制度を廃止し、貨幣を紙幣に変え、信用が貨幣の交換価値の前提になっているからである。紙幣の信用を奪うことで、紙幣の価値はどうでも変化させることが出来る。これが貨幣経済のマジックの結果であり、国が巨額の負債を抱えた場合にその最終的解決手段として取る手でもある。

電子マネーは、実物紙幣の信用上に成立している新たな形態の貨幣である。勿論、すでに銀行で支払いを済まさなければ電子マネーが購入できないのである限り、電子マネーは貨幣価値の情報のみで成立している。したがって、その情報を失うことで、電子マネーの貨幣価値は簡単に消滅する。つまり、電子マネーはデノミのような大掛かりな貨幣信頼喪失の演出は必要なく、日常的に貨幣の価値を失う一人芝による茶番劇が起こるだろう。

貨幣の形態の変化こそ、買うという行為を中心とした経済活動のあり方の変遷を意味する。そして、電子マネーという新しい怪物の正体がまだ明確にされていない事に大きな不安を隠せない。しかし、この新しい怪物は、ますます大きく成長しようとしている。







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現実則で機能する社会契約型の自由・民主主義社会の行動ルール

人間の本来の姿「万人の万人に対する闘争」状態

自由とは、ホッブスの展開した「万人の万人に対する闘争」状態の理解から、自己や社会を安全に維持するために生み出された考え方と制度であると言える。言い換えると、闘争状態のエゴ丸出しで自分の欲望を満たそうとするフロイト的に言うと快感原則での自由から、社会契約上で成立する現実則での自由がある。社会的規範を守ることで与えられる自由が民主主義社会で定義される自由という概念となる。

人の精神活動の基本は欲望で動いている。その欲望の力で生命を原始的に維持している。そのため、人は自己中心的存在から逃れることはできない。もし自己中心的でないと自称したとしても、また別の視点からそれも自己中心的なのである。

換言すると、人は本来エゴイストでありナルシストである。そのエゴイズムとナルシズムの精神エネルギーを使いながら生きている。つまり、自己を表現するために、自己であろうとするために、エゴイズムやナルシズム的に行動することは避けられない。

自己表現と呼ばれる自由さをもつことで人は人としての在り方(個性)を獲得しているのである。個性のない人がいないように、そのエゴイズムやナルシズムを完全に断って生きることも生活することも行動することも出来ないのである。その意味で、エゴイズムやナルシズムを全面に肯定した人間の自由を快感原則 的自由と呼ぶことが出来るだろう。

しかし、この快感原則的自由を求めて行動することは、「万人の万人に対する闘争」状態を生み出すことになる。つまり、人々は自分の自由を得るために他の人々と抗争し、場合によっては殺しあわなければならなくなる。

「人間が狂気じみているのは避けがたいことなので、狂気じみていないことも、別種の狂気からいえば、やはり狂気じみていることになるであろう。」パスカル『パンセ』(414)


結果的不利益を導く「万人の万人に対する闘争」結果

そのため、自分の自由を認めてもらえる方法(現実則)で、自己主張する技術を身につけることになる。その方法の一つに、他人の自己主張を聴いてやって、その後で、自分の言い分を話すというやり方である。

つまり、自己のエゴ(自我や欲望)を認めてもらう明確な目的(戦略)を持って、戦術的に他人のエゴを認める。その場合、自分のエゴがあくまでも抹殺されない範囲を指定しておかなければならない。

もし、相手の言い分をすべて聴いてしまい、自分の言い分を何一つ聴いてもらえなかった場合には、明らかに相手の言い分を聴くという最初の戦略(目的)が達成できない状態になり、相手の言い分を聴くこと(戦術)は失敗したと言えるだろう。それでは、次に、相手の言い分を聴くという戦術を取ることが否定され、真正面に相手とやり合って、相手を力でねじ伏せても自分の言い分を通すという手段に出るしかなくなる。

つまり、二人がお互いの力関係によって、それぞれのエゴを認めある交渉を続けるなら、そのために二人が必要とする労力や時間は大変なものになる。それは、値段の決まっていない品物を市場で売り手と買い手が一つ一つ話し合い(時には怒鳴りあい)をしながら売買する光景に近い。商売している側から言えば、一人ひとりに売るたに必要な時間を考えていたら、商売にならないと判断し、その市場に行くって品物を並べるのを止めるだろう。

すると、市場に行って品物を買っていた相手もその日その日の生活に必要なものが手に入らないので、結果的には困ってしまうことになる。


現実則で機能する自由行為「社会契約に従った万人の万人に対する闘争」ルール

そこで利害の対立した両者のエゴ間の闘争(対立)を緩和する制度が社会に必要となる。そうでないと両者とも不利益を蒙る(こうむる)事態になる。何故なら、社会で生きる人々は、社会という制度の中でお互いそれぞれの役割を持ち、自分の役割を果たすことで他者が果たしてくれる役割の恩恵に与る(あずかる)ことが出来るからである。

快感原則で機能する自由行動では、目先の利害の対立を生み出す。そこで、現実則で機能する自由行動を考え出した。つまり、お互いのエゴを調整する取り決めを個人的な関係でなく、社会的関係として成立させる。その取り決め(社会契約や社会規則)に即して、二人の間であろうと数人の間であろうとお互いに行動する。その取り決めを守る以上、致命的な対立が生まれない。

もし、致命的な対立、つまり双方が譲れない状態になった場合にも、社会的規則と制度によって、双方の言い分を聴き、判断する法律と制度(司法制度)を作ることになる。社会契約とは、人間の行動に現実則で機能する自由の枠組みを与えるために創られたものである。

つまり、万人と同じように自己も万人に対してつねに闘争状態である存在であることが人間の自然の姿である。その自己のエゴを自覚すること、他者のエゴと共存する手段(社会規範)を受け入れ、無秩序で危険な闘争状態を避けて、安全でルールに従った闘争状態(市場経済や自由競争)に参加する。そのことによって、結果的に、より安全に、そして自分の主張を相手に解りやすい手段で納得させる方法が獲得できる。そして、競合している他者と共存することも可能になるのである。

社会契約上成立する自由行動とは、現実則で機能する自由行為である。それは、丁度、剣を竹刀に変えて、闘うルールを見つけ、お互いの剣の強さを事前に理解することで、真剣での無謀な切り合いを避けている武士社会のスポーツ化した戦場ルールのようなものである。

社会的な混乱を避け、自己が他者の自由を認め、他者にも自己の自由を認めさせるための第三者機関による基準作り(社会契約)を行い、その基準内での自由を自他ともに承認しあることで、民主主義社会は成立している。

「彼ら(プラトンやアリストテレス)が政治について書いたのは、いわば精神病院の規則を作るためである」パスカル『パンセ』(331)






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買うという行為の起源(1)

使用価値をもつ条件

品物が生活のために必要でなければ買うという行為は生じない。例えば、衣食住に関する生活の基本的条件を満たす品物を買う人は、それを誰かに売るという行為以外には、それを生活のするために使うという条件で買っている。つまりそれらを使うために買うのである。仮に、品物を売買する人々が間に何人入ったとしても最終的には、その品物は生活空間で消費される運命にある。

つまり、品物を買うことは使用行為が前提条件となっている。物(もの)は使われる(消費される)目的をもって存在している。その目的を完了するためにものは買われる。言い換えると品物に使用行為を満たす条件があり、その満たす条件を評価したものを古典派経済学では使用価値と呼んでいる。

使用価値を持たないものは買う対象にならない。つまり、商品となるための必要十分条件が人々の使用行為を満たす条件を品物が持っていることである。言い換えると、そのものの価値を買い手が評価している状態(使用価値を所有する状態)にあることが買う対象となる。

使用価値のないものは商品の対象にはならない。使用価値はものが売買行為の対象となる絶対的に必要な条件である。使用価値をもってはじめて商品の条件を満たす。すなわち使用価値とは商品の第一条件と言える。

使用価値を持つとは、売買の対象・品物が生活世界の中で人々にとって必要なもの、なくてはならないものであることを意味する。つまり、その売買の対象は人が生きるために、家族を維持するために、社会が成立し発展するために使われるものであり、人々の生存、生活、文化、趣味、快楽の条件を満たすために人によって作り出されたものであるである。



労働過程・交換行為の形成

人が他の人が生活世界で使用するものを作る。それを労働と呼ぶ。最も原始的な労働は、自然物を生活物に変える行為である。例えば海や川で生息する魚貝を食料と呼ばれる生活物に変える行為は最も原始的な労働の形態である。

労働の原始的形態とは、自分以外の人々の生存、生活、文化、趣味、快楽の対象を自然物から得る行為を意味する。自分のために魚を捕ることは、単に生きるための行為と言えるだろうが、他者のために行う行為は、そこの他者との共存を前提にした行為を意味し、自分のために動くことと質的に異なる事態を引き起こしているのである。

この質的な違いの発生は、他者と共存するために動くという社会的行為の起源を意味し、それを一般に交換行為と呼んでいる。つまり、交換行為の第一歩とは他者からの行為の授与を期待し、自らの行為を他者のために行うこと、行為の投資が為される。その行為が他者に認められることによって、他者からの評価を得られる。評価とは、他者も自分の生存や生活ための行為を行うことを意味する。他者の行為を受けることで、他者と自己の行為の交換が成立する。


言語の形成・交換行為の形成

交換の最も基本的な形態が会話と呼ばれる言語活動である。ことばを生み出す行為を相互に行いながら生きている。そのことばの生産活動とその交換関係、つまり自己の生産したあることばが他者の別のことばとなって生産・再生産し続ける関係を前提にしながら社会共同体が運営されている。

人間のことばの起源と労働の起源は同次元にあると考えると、他の動物たちのことばと人間のことばの違いが見える。つまり、人は空気の振動を生み出す作用のみでなく、手の運動を中心とした生産物によって他者との交換過程を形成している。それが、他の動物と決定的にことなる。鯨も音波を使った交信をするだろうが、その交信の記号を手(身体運動)から作りだれるものとの関係を生み出すことは出来ないだろう。

自然物から人工物と呼ばれる加工過程は、二つの記号化過程を生み出している。一つは空気の振動を音声とよばれる記号に加工すること、もう一つは例えば魚という自然物を食料という人工物に加工することである。

言語過程は、つねに自然物である空気の振動を他者と交換可能な人工物・音声に加工する作業過程から形成される。その意味で、自然物を交換可能な人工物に加工する一次産業での労働過程と同じ構造をもっている。

トランデック・タオが「言語と労働の起源について」述べた労働過程の形成と言語過程の形成は同時に進み、それこそが人間を生み出した起源であると言えるだろう。


交換価値をもつ条件

使用価値をもつもの、つまり商品は、他の商品(貨幣)と交換されながら、流通する。生産する人と消費する人が必ずしも同一でなく、また必ずしも同じ場所にいない、高度に分業化した社会では、交換という行為がなければ生産されたものが使用(消費)されない。

言い換えると、使用価値を持つと言うことが交換行為を形成することを前提にして成立している。交換行為が成立していない状態で生産された品物は、その潜在的使用価値を持ちながらも、現実的には生産者とその近辺の人々が使用する以外は不要なものになるだろう。

例えば、漁民がいくら多くの魚を取ってきても、それが食卓で料理される材料として使われない限り、その魚は海から取り上げた魚にすぎない。つまり商品としての、売りものとしての魚は売られる条件を与えられたものである。それ以外は、子供が取った魚とそう大きな違いのない、たまたま漁民が取った魚(自然物)に過ぎない。

生活世界での消費財(もの)に関していえば、使用価値を与えられなければ、交換価値をもつ条件は成立しないのである。しかし、これが最も基本的な商品の形態である。





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2010年11月4日木曜日

人権学 -三つの人権概念の定義-

三石博行


人権問題とは生活資源の困窮喪失状態である

広義の人権概念を定義することで、人権を扱う研究「人権学」が、これまでの人間社会科学の守備範囲内に位置づけられた。

そこで、さらに進んで人権の概念を、人間社会科学の先行研究を、人権学の成立の条件に組み込むために、これまでの人間社会科学が取り上げてきた概念の中で位置づけてみよう。ここで、タルゴッと・パーソンズの「社会行為の構造」から展開した青木和夫、松原治郎や副田義也の「生活構造論」やパーソンズの社会行為論を批判しフロイト理論を社会学に取り入れながら吉田民人が展開した「生活空間論」の先行研究を踏まえた生活情報論と生活資源論での生活行為、生活資源と生活情報の分類概念を活用する。

生活資源の構造分析で、生活資源を。個体や種族の生命と最低限の生存条件となる一次生活資源、豊かな生活を満たすための生活や社会環境の条件となる二次生活資源、個人の欲望(希望や欲慟)をみたすために必要となる三次生活資源の三つの概念に分類した。

この生活資源が困窮喪失した状態で生じる生活状態が人権問題として語られる。つまり、個人の生命と家族の生存に必要な生活資源・一次生活資源の喪失や困窮によって、一次人権環境が疎外される。豊かな生活環境を形成するために必要な生活資源・二次生活資源の喪失や困窮は二次人権環境の貧困を意味する。そして、人々の自由な行動要求(欲望)を充たすために必要な生活資源・三次生活資源の貧困状態によって、三次人権環境の不足が生まれる。


一次人権課題とは

生命や生存するために必要な最低限の生活条件や生活環境の課題を一次人権課題と呼ぶ。

例えば、戦争、災害、犯罪、飢餓、生活崩壊、疫病による病気死の危機等々は、一次人権課題である。つまり、一次人権課題に触れる事件は、生命の危機に直接関係する重要な人権問題である。そのため、一次人権課題の解決は常に急務な対策を要求される。


二次人権課題

豊かな生活や社会環境を作り個人や集団の生活の質(QOL)を高めることを二次人権課題と呼ぶ。

例えば、福祉、教育、地域社会の生活環境、就労、学歴、障害、出身地、人種、宗教や民族等々への差別、またハラスメントやいじめ等々は二次人権課題に触れる問題が挙げられる。


三次人権課題

個人の自由な精神生活、ゆめ(希望)や欲望(他の人々の迷惑にならない範囲で)を満たし、こころや精神活動をより豊かにすることを三次人権課題と呼ぶ。

個人のプライバシー侵害、精神的ストレス、ことばの暴力、信仰や信条の自由の剥奪などは三次人権課題に触れる問題であると言える。


時代や社会文化環境と共に変化する人権課題の重要度

一次、二次、三次の人権課題の分類は、生活資源の豊かさという条件に付随する。つまり、猛獣の脅威に慄きながら生きていた太古の人々にとって、一次生活資源を得るために殆どすべての生活時間を費やしていたと考えれば、一次人権課題をクリアーするために個人の生活行動が選択され、生活時間が費やされていたと考えるのが自然である。その場合、二次人権課題の占める割合は相対的に小さいし、三次人権課題は殆ど問われることがなかったのではないだろうか。

つまり、生活情報史観で述べるように、三つの生活資源を得るための生活行為や生活時間占める割合に生活経済の状によって、つまり生活経済の発展によって、相対的に変化したと考えるなら、三つの異なる人権課題も社会経済の発展進化によってその社会文化的重要性が変化したと考えるべきである。

つまり、重要性の順番が、必ずしも、一次人権課題、二次人権課題と三次人権課題というように、どの時代でもどの社会でもすべて同じように決まっているのではなく、時代や社会の、つまり経済的環境の変化によって、その重要性は変化するのである。


例えば、石器時代のある集団で、一年間を通じて、信仰や信条、表現の自由に関する主張と、飢餓や外敵から命を守る主張が起こった件数を想像すると、多分、後者の飢餓や外敵から集団を守ることが課題になった回数の方が、前者よりもはるかに多いと想像される。
しかし、その状況を、1960年代の日本ある町の中で当てはめると、多分、逆の結論になるだろう。つまり、前者の同じ信仰や信条、表現の自由に関する主張を行った件数が後者よりも多いのではないかと想像できる。

人権問題は、常に時代や社会の状況と関連して取り上げられる。そこに、時代や社会に規定された生活主体の生活重視の考え方が人権問題に直接関係するのである。つまり、その意味で、現代日本人が近世日本社会の出来事(今からみれば人権問題であるという)を、当時の社会では人権問題として考えることができないという現象が起こるのである。

つまり、人権課題は生活資源への評価課題を含み、そこには歴史や社会を超えた絶対的な価値概念を規定することは困難となる。

そこに、多様な現代社会での人権問題の理解の鍵が潜んでいるのであると言えるだろう。


参考資料

三石博行 「生活資源論」
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_02_02.html
「設計科学としての生活学の構築…」 で一次生活資源、二次生活情報と三次生活資源の概念を説明する。

三石博行「設計科学としての生活学の構築 -人工物プログラム科学としての生活学の構図に向けて」 金蘭短期大学 研究誌33号 2002年12月 pp21-60
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_02_02/cMITShir02d.pdf


三石博行 「生活情報論」
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_02_03.html
一次生活情報、二次生活情報と三次生活情報の分類概念に興味ある方は
「生活情報の構造とその文化形態」2001.10、 pp62-73、 片方善治監修 『 -情報文化学会創立10年記念出版- 情報文化学ハンドブック』、森北出版株式会社


広義の人権の概念・人間社会科学での人権概念

三石博行


人間の命と生活の基本的権利が人権のもっとも一般的な概念(広義の概念)である。すなわち、広義の人権擁護とは人間の生命や生活を守るという意味となる。

もっとも最悪な人権侵害とは、人が人を殺害すること(殺人)、戦争や内戦による犠牲、経済的危機、政治的混乱やその他の理由による犠牲、飢餓や疫病による犠牲である。また、個人的暴力、集団的暴力、国家的暴力によって人々が生きていくために最低限必要な基本的な生活環境を奪われることである。

さらに、深刻な人権侵害として市民生活の環境を奪われることが挙げられる。市民生活の条件を奪い市民生活を破壊することが市民権侵害と呼ばれる人権侵害である。 例えば家族の破壊、個人財産の破壊や盗難、身体的傷害、身体および精神的自由の束縛、社会的個人的な物理的および精神的生活環境の破壊や侵害、等々を挙げることが出来る。


人権という概念は、個人の幸福な生き方を疎外し妨害することも含まれる。教育を受ける権利、病気を治療する権利(健康な生活を送る権利)、失業した場合の生活保障を受ける権利、不当に解雇されない権利、職場でのハラスメント(パワハラやセクハラ)から身を守る権利、退職後や老後の生活を維持する権利、公共サービスを受ける権利、出身地や職種によって差別されない権利などがある。

つまり、人権を語る場合、これまで人間社会科学の中で議論してきた社会、生活環境や精神や身体環境がすべて人権に関連することになる。例えば、生態や社会生活環境の破壊、家庭生活破壊、非人間的環境、精神的肉体的健康破戒等々の問題を解決するために研究調査されてきたもの、また 生命重視、生活重視、人間重視の思想とそれを実現するための研究開発された技術など、これまでの人間社会科学の具体的な研究課題とリンクしている。






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多様化する国際社会での問われる人権問題

三石博行


グローバリゼーションによって生じている社会、政治、経済、文化的に異なる環境(社会)間の相互関係(経済的政治的関係)が、さらに現代の人権問題の理解と解決の複雑さや困難さを生み出している。今、人権問題を語るとき、その問題が抱えている現状を理解する必要がある。

人権擁護には、人権思想(民主主義思想)をもつ社会文化の土壌がなければならない。そして、その思想を具現化する制度、つまり立法(法律)と行政(社会制度)が必要である。人権思想は、民主主義思想の基本である。人権思想は伝統的にもヨーロッパ社会の歴史的発展と不可分な関係にある。そのため、人権思想や人権擁護の活動が、欧米社会制度化を前提として語られることになる。この前提は現状では否定できないし、事実、欧米の社会制度が最も進んだ人権擁護を行っている。

しかし、多様な伝統文化を持つ社会が近代化過程(経済的には資本主義、社会制度的には民主主義という制度改革過程)で起こしている事件やその事件への解決(それが先進国からは人権問題と呼ばれる場合がある)の課題。この場合、民主主義社会化の過程が多様化していることを理解しなければならない。

つまり、西洋民主主義社会の歴史モデルでは語れない色々な民主化過程が存在していることを理解する必要がある。民主主義化の過程は、それまでのあった制度からの近代化の過程である。

それまでにあった制度(伝統文化や社会システム)が引き継がれ、その制度に残存する西洋人道主義に反する行為、例えばイスラム国家での石投げによる公開死刑など非常に野蛮な行為もその国では伝統として続いたものである。それを中止するには、イスラム国家の存立を問われる課題も含まれるだろう。

自由経済、民主主義、人権制度のグローバリゼーションの中で多様化する人権擁護のあり方を一つの国の、もしくは欧米型の尺度で判断することは困難になる。

その典型が、イラク戦争でアメリカが使った口実、つまりイラクには民主主義も人権もないので、そこに民主主義と人権を伝えるために、独裁者フセインを倒す。もちろん、この口実は、大量破壊兵器をもっているという最初の口実を失ったために、その後にアメリカが継ぎ足した口実であったのだが、まことしなやかにアメリカでは(アメリカ兵も)その口実の正統性を信じられたのだ。そして、アメリカを中心とした連合国は、巨大な軍事力で一国の政権を倒した。

結果は、市民生活の崩壊という悲惨な人権侵害であった。つまり、これから、ある人権擁護の考え方やある視点からの人権理念が、結果的に人権蹂躙を引き起こすことになる。このカラクリを理解しなければ、人権問題に取り組む活動は、つねに受身の、つまり、被害を受けた後の活動になる。

近代化を進めている国々の、経済の開発に協力すること、教育や文化の発展に協力すること、それが人権擁護運動であることは確かである。積極的な人権擁護、つまり、生活を豊かにする活動として、人権問題を展開したいのである。

そのためには、人権問題の課題の一つとして、イラク戦争やアフガニスタン戦争でのアメリカや連合国の、テロ対策や独裁者国家の打倒政策を検討しなければならないだろう。





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2010年11月3日水曜日

中国の人権問題で思うこと

三石博行


中国の民主運動家、人権活動家の劉暁波氏がノーベル平和賞授与してもう一ヶ月近く時間がたった。当時は彼のノーベル賞受賞に慌てて、中国政府は劉暁波氏へのノーベル平和賞授与を批判した。このみっともない振る舞いをした中国政府のニュースが日本では報道されていた。尖閣列島問題で、約1000名の日本人招待学生の招待を突如として取りやめただけに、その大人気ない中国政府の対応と相まって、今夏にノーベル平和賞への対応も、中国政府の失態として後々の人々に語られるであろう。

劉暁波氏が中国国内で中国の民主化を訴え、一党独裁体制を批判したことは、勇気ある行為として評価できるだろう。また彼が民主主義社会の規則を提案したことなどで、11年の実刑判決を受けて刑務所に投獄されていることも、このノーベル平和賞の受賞によって明らかになったので、国際社会から人権活動家の劉暁波氏への弾圧に批判的注目を集めている。今回のノーベル平和賞の意味は、その辺にあるのかもしれない。

しかし、歴史を振り返ると、中国を植民地化した列強及び大日本帝国との侵略戦争と戦い、植民地支配から中国を開放し、貧困と飢え、奴隷当然の扱いを受けていた中国人民を救ったのは毛沢東率いる中国共産党である。そして、毛沢東の大躍進や文革の国内大混乱を収拾し、改革開放路線を展開し、今日の豊かな国に向かう中国が誕生させたのも周恩来を尊敬していた鄧小平率いる中国共産党の力である。こうして現在、世界第二の経済大国が成立し、多くの中国人観光客が日本にやってくるのである。
そして、さらに中国共産党は、国を豊かさにし、経済を発展させようとしている。

2010年ノーベル平和賞授与者劉暁波氏は、まさしく、豊かになった中国が生んだ次の世代への掛け渡し人のように思える。
そして彼へのノーベル平和賞は、新しい中国の国の形を予告する課題のように思える。つまり、彼も中国を愛する一人であり、多分、毛沢東や周恩来と同じぐらい愛国者の一人なのかもしれない。
だから、人権侵害の国、中国というイメージでなく、人権侵害を訴える人民を持つ中国という観点から、政治指導者の動向でなく、人民中国の姿を理解したいと思った。

経済的豊かさは人々の自由な活動によって生み出される。経済的豊かさが、次の政治的民主主義を実現する基礎となると思える。

今回の人権問題を一面的に観るのでなく、中国の歴史の流れのなかでトータルに理解し、日本の社会常識から判断するのでなく、中国の社会、そしてその中での人権活動家の劉暁波氏の理解と、中国政府の人権迫害の一面だけでなく、貧困と飢餓から救われた人民の生活問題(これも人権問題の一つである以上)も含めて考えなければならないだろう。

勿論、劉暁波氏への人権侵害は国際社会から批判されるべきであるし、中国政府は速やかに劉暁波氏を釈放すべきであろう。国内法によって裁かれた人物がノーベル平和賞授与されたことを受け止めるべきだろう。
もし、そのことが出来なければ、大国中国の国際的信頼をそこなうだろう。そして大人気ない現在の中国政府の対応は顰蹙(ひんしゅく)をかうだろう。それは、あまり得策ではないように思う。


参考
三石博行「中国の近代化、民主化過程を理解しよう」
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_1850.html

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2、日中関係

2-1、「日中友好に未来あり」)
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post.html

2-2、中国の人権問題で思うこと  
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_03.html

2-3、経済的発展か軍事的衝突か 問われる東アジアの政治的方向性  
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_13.html

2-4、中国の近代化・民主化過程を理解しよう
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_1850.html

2-5、中国との経済的協力関係の展開と中国への軍事的脅威への対応の二重路線外交を進めよ 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post.html

2-6、米中関係の進展は東アジアの平和に役立つ   
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post_5428.html

2-7、中国共産党による中国の民主化過程の可能性 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_3865.html

ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」から





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日中友好に未来あり

三石博行


日中友好運動と反日反中運動

尖閣列島での中国漁船衝突事故があって世論が大騒ぎしている最中、10月2日から3日まで、吹田市日中友好協会と西日本中国留学生学友会が主催し、吹田市、吹田市国際交流協会が協賛して、「留学生との交流会」が吹田市自然体験交流センターで開催された。私は、友人の吹田市日中友好協会理事であるE氏から、私の所属している大学への協力要請を受け、学長や副学長に相談して、学生の参加を呼びかけた。

当日、10月2日、私も交流会の会場に行ってみた。大阪大学を始めとして吹田市にある大学のクラブ、京都芸術大学の演奏クラブ、地域のボランティア団体が中国からの留学生を中心とした吹田市の大学に留学している約130名の学生の前で音楽やダンスなどを披露した。中国の留学生も歌や楽器で参加した日本の学生や市民に答えた。

尖閣列島問題で両国が厳しい状況にある中でこそ、市民の草の根の国際交流運動の意味があるのだと感じた。つまり、国が国土問題でもめたところで、それは長い時間をかけて解決してゆく外交上の課題である。しかし、両国の友好関係は、それよりも長い歴史の上に成立しており、また、それよりも日常的な生活の場で実現しているものである。その友好の流れを誰も止めることは出来ない。


縮まる日中文化格差・若ものたちの世界

このイベントに参加していた中国の学生の横に座り、共にイベントを楽しみながら、1973年に確か大阪の生野区で日中友好協会が主催した訪日団歓迎集会に、日中友好協会運度をしていたI氏に誘われて参加したことを思い出していた。あの当時、中国の人々はみんな人民服だった。女の人の髪型もみんなオカッパスタイルだった。男性もみんな短く髪の毛を刈り上げていた。見るからにストイックなイメージだった。

このイベント会場の中国留学生達は、殆ど日本の学生と変わらない服装や髪型をしていた。当時の人民服の訪日団の労働者たちとまったくちがう雰囲気、そして歌う音楽も日本と若者が歌っているような音楽と変わらない。あれから30年の時間が流れの中で、中国の人々の姿は大きく変化した。彼らの自由な服装とヘアースタイルをした彼らに、あの当時の人民服を着せることは不可能だろう。

改革開放は、中国国内の経済を活発にし、資本主義化し、多くの人々が豊かさを手に入れ、若者の多くが大学で学び、多くの学生が国外留学し、日本にも来て、結果的に日本との文化的格差を縮めた。 


豊かな生活を獲得することが解決の糸口

現在、中国の各地で広がる反日運動、その主役が学生であると言う。
考えてみれば、その中国各地で学生が行う反日運動、日本での尖閣列島中国漁船衝突事故を巡る中国政府の対応への反発と反中国運動、吹田市での中国留学生歓迎イベント、そして多分中国での日本人との家族的な付き合い等々、この地平から本当の日中友好関係が生まれるのだと思う。

今までは、中国からの友好活動は、官製型だったともいえる。日中戦争当時の旧日本軍(大日本帝国)による侵略戦争と国土分断(満州国)による中国人の莫大な被害。その戦争の後に、捕虜となった日本兵への寛大な対応、それはあの偉い周恩来がトップにたって、つまり中国共産党の指導の下で行われた官製型の日中友好活動ではなかったか。
周恩来の非常に理想的な、そして戦略的な日中友好のための捕虜政策、その立派過ぎる模範をまるで中国の典型とした我々日本人の大きな誤解が、今日の反日運動を理解できなくしているのかもしれない。

何しろ、戦中時代、日中戦争のときに、どれだけ多くの中国人が犠牲になったか。今でも、日本人を許すことが出来ない人がいても不思議ではないだろうか。

しかし、日本人で今、アメリカをうらんでいる人がどれだけいるだろうか。東京空襲や広島と長崎の原爆投下を例にとっても無差別爆撃で多くの日本人を殺害した歴史は消えないし、それはアメリカが行った戦争犯罪であることは否定できないだろう。

だが、戦後の日本人が手にした豊かさ、そしてその豊かさを実現できた自信が、多分、あの憎しみを超える力を与えているのだと思う。日本人の殆どがアメリカの協力で、今日の日本の豊かだがあることを知っているのだ。そのことが、戦時中の悲惨な出来事をいい続ける意味を失わせていることは確かである。

この我々の経験から、中国国民の生活が豊かになることによってしか、日中戦争の悲惨な歴史を中国の国民がのり超える方法を見つけ出すことが出来きると考える。中国の経済的発展と国民の豊かな生活に日本が寄与することが、日本が行った過去の戦争の傷跡を癒す方法となる。

すでに、これまで日本は中国の経済発展に貢献してきた。そして、これからは中国と共に豊かな東アジア経済共同体を創る努力を続けることであろう。それが中国(韓国も含めて)日本がこれから出来る、過去へのもっとも有効な謝罪方法である。今まで、日本政府はそれを(中国の経済発展の支援を)し続けてきた。その路線を、経済発展する中国とさらに相互の国が繁栄する方向で、展開する必要があるだろう。ここで、私が言うまでもなく、すでに日本政府はその方向で外交の舵を取っているのである。


日本人の国際理解力を鍛えよう

世界中、どこでも国家というものは常に、領土問題を抱えている。国とはそんな存在だ。双方の国が双方の領土をつねに主張しあうのは国というものがあるためだ。尖閣列島問題で国民は驚くことはない。またやっているというぐらいでいいのだろう。これは、そんなに簡単に解決しないだろうし、長い時間が必要だ。

つまり、この領土問題が外交の入り口なのだ。領土問題から本当の国と国の関係が始まるのである。尖閣列島も竹島も、北方領土も日本は堂々と自分の領土だと主張し続ければいいし、それで、中国、韓国やロシアと外交の始まりに過ぎない。

人権問題も、日本の立場、つまり日本は一応日本国憲法で国民主権、基本的人権尊重、民主主義国家を原則にしている。中国は共産党一党国家である。その二つの政治体制に良いも悪いもない、それは歴史的に確立した制度で、現在の制度で、永遠未来につながりもしないし、永遠過去からにもつながらない。その違いを認め合って、現在の日中両国の外交が生まれ、行われる。

中国の民を貧困と大日本帝国の植民地支配から開放したのは毛沢東を先頭にした中国共産党である。中国共産党がなければ、現代の中国はない。そして、現代の中国の経済発展を導いたのも鄧小平を中心とする中国共産党である。中国の共産党一党支配を批判する前に、その長く苦しい中国人民の歴史を知らなければならない。それが事実で、そこから全てが始まるからである。

つまり、国が異なれるということは、国の成り立ちの歴史も制度も違うのであるから、それを相互に認め合って外交は成立する。つまり、他の国の内政に対して良いとか悪いとかという問題でなく、どうその異なる制度や法律をもつ国と共存するかということが問題となる。

そして、もし日本人がその国で仕事をするなら、まず日本人を守ること、それが日本が中国と取り決めなければならないことである。多く日本企業が中国に進出し、多くの日本人が働いている。その現状で、日本人の安全を中国政府に求めることがまず問われる。今回、中国側は、フジタ建設の現地社員を逮捕した。その行為は、中国にとって大きな誤りを犯したことを意味するだろう。国際的な視点からしても、中国側の主張は受け入れられないだろう。

日本政府は堂々と国際的視点から、自ら主張を言い続ければいい。そして、同時に関係を続ける努力を払うことだろう。どの点を、お互いを認め合うか、どう利害関係(当然存在している)に折り合いをつけるかという議論にすべきだろう。現実に日本政府はそれを実行している。

一方から他方への、解釈を前提にすると、多分、違いばかりが気になる無毛な議論になる可能性があることを双方、日本政府も中国政府の理解している。

今後、我々が真剣に問題にすべきことは、日本人の国際理解力ではないだろうか。つまり、国境問題など、どこでもある問題をまるで致命的問題が発生したかのように考える我々の国際的視野を問題にしなければならないだろう。

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2、日中関係

2-1、「日中友好に未来あり」)
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post.html

2-2、中国の人権問題で思うこと  
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_03.html

2-3、経済的発展か軍事的衝突か 問われる東アジアの政治的方向性  
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_13.html

2-4、中国の近代化・民主化過程を理解しよう
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_1850.html

2-5、中国との経済的協力関係の展開と中国への軍事的脅威への対応の二重路線外交を進めよ 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post.html

2-6、米中関係の進展は東アジアの平和に役立つ   
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post_5428.html

2-7、中国共産党による中国の民主化過程の可能性 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_3865.html

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2010年10月30日土曜日

人権問題の解決学・「人権学」は成立可能か

三石博行


現在の人権に関する研究分野

「人権」に関する研究はこれまでの人間社会科学のフィールドの中でどのように位置づけられているだろうか。人権に関する研究・「人権学」という分野が新たに設置されるだろうか。

これまで日本で出版された人権に関する書物は大きく分けて5つぐらいの傾向がある。

1、 歴史的に部落差別撤廃を運動してきた人々からの人権問題
2、 国際人権運動を行ってきた人々、アムネスティ運動からの人権問題
3、 憲法学者、特に日本憲法の第三章の解釈をめぐる議論
4、 福祉問題を考える立場からの人権問題の提起
5、 特にヨーロッパ人権思想史(哲学)研究からの課題


「人権学」は成立するか

つまり、人権に関する研究は社会運動(部落差別、戦争、虐殺反対等々)、法学、福祉社会学(生活学)、哲学(ヨーロッパ思想史)の大きく分類して四つの視点で取り組まれている。これらの四つの学問分野で独自に展開される人権課題は一つの「人権学」として成立する可能性はあるのだろうかと考えてみた。

つまり、他の人間社会科学の一分野して「人権学」が成立するなら、この「人権学」の成立条件やその学問の独自の体系、学問的方法論を示さなければならない。

この「人権学」の成立を主張しても不思議ではない。何故なら、今日、「学」と呼ばれる学問の分類基準を課題別に使って、これまでに既存の学問分野の一つとして位置づけられなかた課題を展開してきた実例があるからだ。例えば「京都学」、「大阪学」などの呼び方で、京都や大阪の地理、歴史、文化、経済、社会、政治など人文社会科学の分野を横断的に、また工学、農学、医学などの応用科学分野に関する知識も援用して「京都学」研究というフィールドを提供し、共同研究し、相互リンクしてきた発展途上学が現実に存在しているからである。

もちろん、この「京都学」は大学でいう正式な学問でないと主張する人々もいるだろう。何故なら、京都学が成立するための学問的条件・歴史的に継承されてきた学説に基づく具体的事例・京都に関する研究という学問の伝統的な方法を満たさないからである。そうした人々の意見として、「京都学」は「機能・構造主義」的な分析方法を使っているか、また「マクロ経済学」もしくは「計量経済学」の方法を活用しているか等々が京都学という学問の成立条件を満たす一つとなる。そこで、あらゆる方法、「京都」という社会文化的、歴史的現象を解釈するために有効と思われる全ての方法を活用しているというプラグマティズムはある人々には曖昧な学問的方法として認められないかもしれない

しかし、京都の大学では「京都学」が研究されている。その現実からすると、学際的研究方法を用いて「京都」という対象を総合的に研究する学問はすでに市民権を得ている。


人権問題の解決学としての「人権学」

「人権学」の成立条件も「京都学」と同様に、学際的な研究方法を前提にして成立していると考えられる。また、そればかりではない、人権学は、単に人権に関する認識、知ることを目的とした学問でなく、人権問題を解決するための実践的道具(解決学)としての役割を要求される。

また人権学は、人権という課題を人間社会科学のみならず工学、医学や農学などの応用自然科学なども含めてあらゆる既成の学問的方法や知識を駆使して研究する学際的、領域融合型の学問であると説明することも可能になる。

人権学と呼ばれている学問は、人権を社会、経済、政治、文化、国際、組織、技術の総合的課題の中で理解しその問題を解決するための道具である。

しかし、この「人権学」は、他の学問と異なる研究方法から成立している訳ではない。人権に関する研究は、伝統的に法学や政治学の中で取り組まれてきた。その意味で、人権に関する研究方法は、法学や政治学的な方法をはじめとしてこれまでの研究の方法とそこで蓄積された先行研究が採用される。


プログラム科学論と「人権学」

また、「人権学」は、吉田民人が提唱した21世紀社会で必要とされる科学哲学・プログラム科学論を方法論としてもつ科学であるとも言える。

では、プログラム科学論的視点と方法論を前提にした「人権学」の成立条件とはなにか考えてみよう。

1、 現代社会で問われる人権概念を構造的に理解
2、 グローバリゼーションや多様化する生き方の価値観をもつ現代社会で拮抗する複数の人権問題の理解
3、 人権問題解決のための政策学
4、 具体的人権問題に関する政策提案(法案、社会経済システム提案、生活環境改善、個人的行為改善(実践倫理的提案)
5、 具体的な人権擁護の社会運動で「人権学」の理論の検証作業

以上の課題が提案できる。





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インターネット公開議論の可能性

三石博行



インターネット上での公開討論会の風景

私は、最近、あるサイトを使って、インターネットで不特定多数の人々と共にある特定の課題について議論する遊びに熱中している。

この遊びで感じることは、

1、参加者が非常にまじめに話をしていること

2、色々な意見があり、テーマに則した話を展開していくことは、話題提供者と参加者の協力によって成立する以外に方法がないこと

3、テーマ提供者の想像もしなかった意見、それが時には峻烈な批判として、またある時は辛口の皮肉として、出される。その意見に多くのことを学び、また気づかされる。

多分、インターネット上での公開討論会には、不特定多数の人々が参加しているだろう。その数は、一回限りの参加者を含めると相当数になるだろう。そして、その中の一部の人々が討論の流れをフォローしている。つまり、公開討論に参加している。そして、さらにその一部の人が、討論に参加している。その数を予測するなら、討論会に足を運んだ観客数の、千分の一にも満たないだろう。

まず、テーマを見て、そのテーマ(題名と問題提起)が面白そうか、興味を感じるかで、会場に足を入れる。そして、テーマの議論に参加している人々、つまり公開討論会の会場で言えば、発言者の意見が面白いかを観ている。さらに、司会者(テーマ提案者)がそれら多くの意見を上手にまとめ、展開しているかを観ている。


討論会運営に関する司会者の課題

この討論の場合、良くも悪くも仮面舞踏会のように皆さんが面白い名前(仮面)を付けているので、自由に(多分勝手に)好きなことを言える。そのため、中には、発現された意見に感情的や攻撃的に、過剰な批判のことばで、個人的なことばつかいまでも批判したり指摘したりすることがよくある。そうした流れを上手に本題に戻す役割を司会者(課題提供者)はしなければならないだろう。

インターネット上で友人とメールを取り交わすことから始まり、公開討論会のような不特定多数の人々と意見交換や議論をすることまで、現代のコミュニケーションのあり方は変化し続けている。


友達とのメールのやり取りは、相手の顔が見えるコミュニケーションで、日常生活の中でのやり取りの延長線上にある。会って伝えたいこと、電話で話したいことをメールで伝え、相手のメールを待っているという行為である。メールは電話よりも安価で、しかも手紙より迅速で簡単に(安価に)情報を伝えることができる。メールの普及によって、電話をしたり手紙を書いたりすることも少なくなり、そして、以前よりも非常に頻繁に連絡を取るようにもなった。


しかし、サイバー上の公開討論会では、相手の顔が見えない。それで自分の意見を話すことになる。相手が誰で、その人が以前の自分の発言にたいしてどのような表情をしながら聴いていたかという情報を持たない状況で、意見を語ることになる。そのため、相手の言っていることをなるべく正確に理解する努力が必要となる。また、相手への意見とまったくかみ合わない状況も生じる。


それらの結果として、上記したように、公開討論会場で感情的な発言が生じる。このことを避けることはできない。その場合に、激しい二人の批判の応酬に対して、司会者は本題に返すための努力をしなければならないだろう。

まったく以前に存在しなかったインターネット上での公開討論会の今後の行方は、これに参加している人々、特に議論提供者(司会者)の運営の仕方が、その参加してゆく作風、モラル、規則を作り出してゆくのだと思う。


サーバー公開討論会の秘める可能性

そして、この努力や行為実験の蓄積が、サイバー上でのコミュニケーション文化の土壌を少しずつ作り出して行くのだろう。それが21世紀のコミュニケーションのあり方、また、それを活用した社会、政治や経済活動の新しいスタイルを作り出す可能性を秘めている。


例えば、大学での講義も、その内容によってインターネット上の公開討論会で具体的な課題を提案することが出来そうだ。時間や場所に限定された講義なある課題をネットワーク上で議論することで、想像や予測を超えた、面白い、そして豊かな内容を講師も学生も手に入れることができるかもしれない。

講義は場所と時間や受講者の条件(例えば大学、学部、時間割り、その科目等々を受講できる履修条件)を満たしてなければならない。しかし、インターネット上での公開討論への参加は、それらの全ての制限条件がない。

しかし、大学での講義とインターネット上での公開討論会の明らかな違いは、前者は講義の受講生であり、受講後に講義課題提供者より講義内容の理解度を評価される。つまり受講者は講義の受講修了(単位習得)を証明するための試験(評価)を受けなければならない。

しかし、この公開討論会に参加する人々は参加したいために参加している。だから、討論内容度を評価されることもなければ、あえて自分の意見を書く必要もない。つまり、書きたければ書けばいいし、書いたことの結果を評価されることもない。その意味で、このサーバー上の公開討論会は、現実の公開討論会に比べて参加しやすいし、発言しやすいことになる。

仮にこの討論会で自分の意見を書いたとしても、参加者はみんな仮面をかぶった仮面討論会のため、本当の名前も職業も住所も知られることはない。その意味で、20歳の、いやもっと若い人が、50歳の参加者と対等に、場合によっては優位に議論を展開することも、さらには厳しき批判することも許される。そうした参加者の絶対的平等性が、サーバー上の仮面討論会のよさとなる。

その意味で、この討論会は私にとっては新鮮な新しい可能性をもたらすコミュニケーションのあり方を示していると思われる。その可能性こそ、そこで確立してゆく、人と人との関係こそ、これからの日本の社会文化のあり方を決定するかもしれない。大衆民主主義文化が確立してゆく手段となるかもしれない。


そうした幻想と期待を膨らましながら、私は、この遊びに嵌(はま)りつつある。それは、面白い遊びをするための、これまた私の理屈ぽい自己弁護かもしれないと思いつつ。





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2010年10月27日水曜日

我が家の「ニャン」

うちのネコは生まれて間もないころ誰かが私の家に捨てた捨て猫で、はじめは飼う予定はなく、家の外でミルクをやっていた。そのうち、サンルームに住み着き、いまはサンルームに自分の家を持っている。しかし、家の中には入る権利はなく、ただ、一つの場所しか与えられていない。家に入るとその場所に行き、そしてそこで寝ている。

無理やり起こされた寝起きのニャンの表情 

ネコの名前ははじめはなかった。そのうち近所の人々に「お名前は」と聞かれて、「ノラ」ですと答えていたが、そのうちネコを呼ぶ時「おいニャン」とよぶことが多くなり、「ニャン」になった。その名前はあまりにも可愛そうと妻が「ベル(Belle)ニャン」と付けた。私は、ベルニャンという長い名前は面倒くさいので、いつも「ニャン」とよんでいる。


このネコの得意は散歩である。家の周りをネコと散歩する。ネコとの散歩は犬との散歩とちがう面白さがある。何故なら、奴らはなんと言ってもマイペースである。それで、いつも人間がネコの散歩のペースに従うしかない。あっちにいき、こっちに隠れ、ゆっくり歩き、突如として走り出し、ともかく気ままな奴で、こっちのことはあんまり考えていない。ただ、我々と散歩すること楽しいらしく、家の外に出ると、すごい勢いで追いかけてくる。


猛暑に苦しんだ野菜

2010年10月の庭


三石博行


実のつかなかったトマト

今年の夏野菜、特にトマトの収穫は殆どなかった。トマトも大きくなり花も咲いたが、実がつかなかった。暑さのせいだろう。ナスは少しできた。ピーマンは9月になってから豊作だった。そして、10月の末の今でも実をつけている。



ほうれん草の発芽がよくない

10月のはじめに実のつかなかったトマトを全部抜いて、ほうれん草、小松菜、高菜、ビタミン菜を植える。また、玉ねぎと九条ねぎも植えた。
しかし、残暑のせいでほうれん草の発芽がよくないし、おまけに水不足でせっかく発芽しても枯れてしまった。そこで、もう一度、2週間前(10月中旬)にほうれん草と菊菜を蒔く。こんどは、発芽の状態はよい。


ネギの発芽もよくない

ねぎの種を蒔いていつもは成功するのだが、今回は発芽状態がよくない。その原因が分からない。土の問題か、水の問題か、それとも発芽温度の問題か。そこで、トレーにもう一度蒔いてみた。その結果は、多分、1週間ほどで分かるだろう。



2010年10月25日月曜日

第一回吉田ゼミナールからの報告

三石博行


長岡科学技術大学の綿引先生と始めた吉田ゼミナール

第一回吉田セミナールは、長岡科学技術大学で今年の7月31日から8月3日まで、朝の9時から夜の8時までぶっ続けで、吉田民人先生の初期の論文を読む作業をしました。大変な作業でした。

今回の学習は吉田理論第一期前半部分に関する検討ということになりました。
吉田先生の言葉を借りれば、「行為論と関係論に関するミクロ社会理論」に関して、30代前半の吉田民人が展開した独自理論に関して、検討でした。

私たちの第1回ゼミナールの結論を述べると、以下三点に要約されそうです。

1、吉田民人の社会学理論第一期は、その後の吉田民人社会学の理論である。つまり、この理論作業は、その後の吉田社会学の自己組織系の情報科学の前哨段階に当たるものである。

2、30代前半の若き吉田民人は、パーソンズの系(システム)理論の非ダイナミズムを乗り越えるために、独自の方法で、動態的構造-機能モデルを模索していた。その思考過程が、吉田理論第一期の理論作業の目的である。

3、これらの自己組織系情報科学(これまでの資源論的偏向性を乗り越え、情報概念をもつ社会学の構築を試みた吉田理論第二期の吉田民人独自の社会学の地平の構築をこの吉田理論第一期の分析から理解することが出来るだろう。


吉田社会学の基本理念「生活空間論」との出会い

私は、1995年以降、生活情報論の課題に取り組み、それを展開するとき、今和次郎や篭山京など戦前、戦中と戦後と、日本で独自に展開された生活構造論の学説を紐解いた。そして最後に吉田民人先生の「生活空間の機能-構造分析・人間的生の行動学的理論」を研究した。この論文に出会ったことで、「生活情報史観」や「生活情報の三つの形態」、さらに「生活資源論」を1997年から展開するきっかけを作った。

何故なら、フロイトやポスト構造を学んだ後で、生活構造論の理論的土台であるパーソンズモデルに返ることは不可能であった。パーソンズモデルの限界は非常明確であったが、そのモデルを越えるための社会学の中での、特にシステム論の中での理論的展開の経過を知りたかった。吉田先生の

この論文で、パーソンズモデルを超える理論を見つけた。
しかし、吉田先生が、この論文・「生活空間の機能-構造分析・人間的生の行動学的理論」に到達するために、パーソンズモデルとどのように格闘したかは、当時私は知らなかった。それは、この論文以前の論文を読むことがなかったからである。

私は、この論文が出来るまでの吉田先生の研究活動史を理解していなかったのですが、明らかにパーソンズモデルからの脱却であることは理解しました。


「私の実存を掛けた論文」の意味

先生との学習会(先生の私のための個人授業)の第一日目に、この論文について先生と話をした。私の質問は、この論文がポスト構造的であること、また当時としてはパーソンズシステム論の絶対的影響下にあった「生活構造論」や「人間・社会行為論」研究の中で、あの論文は大きな課題を投げかけたのではないかと言うことだったと記憶している。

すると先生は「あれは私の実存をかけた論文でした」と話された。その意味については、先生と個人的にお付き合いのある研究者には理解できるかも知れない。先生は、自分という人間存在のあり方を自己観察していても、そもそもパーソンズのような理性的モデルで人の行為が決定しているとは思っていなかった。人は理性によって動いているのではない、もし人の行為が理性でなければ、それは欲望や欲慟という、これまで社会学が扱えなかった課題を取り入れるしかないと考えたのかも知れない。

考えてみれば、先生が育てられた上野千鶴子女史にしろ、宮台真司氏にしろ、また長谷川公一氏にしろ、人間の行為の起源に関して彼らの理解を推測すれば、直感的にパーソンズモデルの彼方に彼らは人間を置いている。それが、フロイトなのか、それともフーコーなのかは知らないが、吉田民人先生に影響を受けた人々に共通する人間観には、ポスト構造から構築主義に至る理論的な経過を感じる。

それは、吉田民人の社会学を理解したというその証が、吉田先生が語る「私の実存を掛けた論文」を受け止め、そこから自らの研究を始めた人々に共通する人間観なのかもしれない。

そして、私は長岡科学技術大学の綿引先生と第2回吉田ゼミナールの企画を始めた。第2回ゼミナールは来年3月に開催を予定していている。この第二回ゼミナールで吉田民人先生の第一期の研究の集大成とも言うべき「生活空間の構造-機能分析・人間的生の行動学的理論」について学習することになった。

10月28日、吉田民人先生の一回忌をむかえる。





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2010年10月21日木曜日

新たな世界認識の始まり・二元論的世界から確率論的世界へ

三石博行


認識の風景としての二元論的世界

二項対立的世界や二律背反の世界とは、二つの対立要素をもって存在している事象や現象を説明する方法である。

この二項対立的世界の説明は、ある意味で、非常に理解しやすい「世界」の姿である。現代人が判断の基盤にする科学的合理性も、17世紀以来、この二項対立的世界観を活用しながら、展開してきた。二元論的に主観と客観を分離し、個人的で主観的解釈を観察という主観的行為から出来る限り排除するために、客観的基準を作った。それで近代の科学は生まれ、現代の科学まで発展した。主観と客観という分離が無ければ、科学は生まれなかっただろう。

また、古代社会以前から二元論は存在している。例えば、天と地、神と人間、無限と有限、善と悪等々。

つまり、二元論的世界はある意味で人間的精神活動のある典型を示す。事象パターンを明確にする、つまりパターン間の差異として生じている認識の構図の原型として、二元論的世界は登場している。それは極めて明瞭な世界了解の道具(言語)のように思える。そして、それ故に、古代社会からこの世界の了解の道具として二元論は使われてきた。


ポスト近代としての確率論的世界

17世紀にパスカルが確率論を提案する。その場合にもある一つの事象は存在するか(起こるか)それとも存在しないか(起こらないか)二つのケースで登場する。つまり、確率の世界も在るか無いかの二つに一つが選ばれる世界から成り立つ。

この確率場を前提にして20世紀の初めにボルツマン統計力学が生まれ、さらに20世紀後半にコンピュータの助けで統計学が飛躍的に発達した。統計学的な相関係数や回帰分析の考え方を利用して、幾つかの要因が相互に関連する強さを求める計算技法が生まれ、それらが意思決定論、制御理論、またはデータマイニングなどに活用され、人々の科学的思惟の在り方は、21世紀に入って、演繹的方法から帰納法にシフトしはじめた。

哲学も主観と客観を明確に分離する近代合理主義から、間主観性や共同主観性を問題にした現象学、多極性を前提にして分析を行う機能構造主義、つまり関係としての存在の理解、さらに吉田民人が述べるプログラム性(情報と資源の自己組織性の世界)と、変遷の過程にある。

現在進行している二元論から確率論的世界観の進化は、世界認識や科学のあり方が変化しつつあることを示し、最終的には、人間社会のあり方や人々の生活や社会観念の変換を導くだろう。


確率論的な世界観と二元論的世界観の衝突

確率論的な世界観と二元論的世界観は衝突を起こしている。

現在、我々は、二元論的世界観(二項対立の世界観)と確率論的世界観の二つの世界了解のあり方で議論されている世界に住んでいる。

二元論的な分類、例えば、失敗か成功か、善か悪か、正しきか誤りか等々という、分かりやすい表現がある。

しかし、失敗学の著者畑村洋太郎教授によると、失敗学における失敗の定義を「人間が関わったひとつの行為の結果が、望ましくない、あるいは期待しないものとなる」と述べている。つまり、失敗とは、ある行為の結果がその目標であった状態に対して望ましくない結果や期待はずれの状態も含むことを意味している。

この畑村式の考え方で悪を定義すると、悪とは人間が関わったひとつの行為の結果がその影響を受けた状態に対する評価が望ましくない結果や期待はずれの状態を含むことを意味する。

また、同様に、不正とは人間が関わったひとつの行為の結果に対するその公平さに関する評価が望ましくない結果や期待はずれの状態を含むことを意味する。

例えば、日本の天気予報では、明日は雨ですとは言わない。明日の雨の確率は20%ですという。つまり、天気予報では、確率論的表現が常識化しつつある。

二元論から弁証法へ、そしてシステム論的解釈へ

人間が世界の概念を二つに分けるのは、まずその世界の構成を理解しやすくするためである。ある行為の結果に対して「善でもない悪でもない」とか「善の部分が20%で、悪の部分が40%で、不明部分が40%である」と言われても、ぴんと来ないだろう。

世の中のこと、例えば今、世間で善悪の問題として取り上げられていること、例えば大阪特捜部の証拠物件の改ざん事件であれば、まず、Mさんが悪いことになる。

その前提条件で、特別な権限を持っている特捜のあり方が批判される。それから特捜廃止論の意見まで出され、それから、それでは、これからの権力犯罪や企業犯罪の防止や摘発はどうなるのかという意見が出され、そして、これまでの特捜が担ってきた役割の再度評価がなされ、どうすべきかと議論が繰り返し行われる。

善悪の極論、二元論的解釈は、極端な解決方法を導き出す方法である。しかし、現実は、複雑であり、極端な解決方法を望まない。そのため、二元論的議論は、それから導き出される結論の反論を必ず用意しなければならない。

つまり、弁証法とかシステム論的展開と呼ばれる解決への否定や肯定、批判や反批判の運動は、二元論的要素が相互に検証活動することによって生まれた姿である。二つの立場から導かれる行為や結論に対して双方の視点から望ましくないことを指摘しながら、その二つの妥協点を模索する活動である。


参考資料
畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』文藝春秋、文春文庫、2005年6月10日第1刷、258p、





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梅棹忠夫先生を偲ぶ

三石博行


2010年10月20日 梅棹忠夫先生をしのぶ会に参加

2010年7月7日の新聞報道で梅棹忠夫先生が死去されたことを知った。梅棹先生は偉大な学者であり、学術文化事業の企画者であり、戦後日本の国際学術文化交流を牽引された人であり、多くの人々を育てた教育者であった。


早速、民族博物館の梅棹研究室に電話した。秘書のMさんにお願いして、先生の追悼会に参加させて貰える様にお願いした。

2010年10月20日、午後1時30分から国立民族博物館で「梅棹忠夫先生をしのぶ会」が開催された。私は12時30分に会場に着き、「梅棹忠夫の足跡」という展示を観た。民族博物館の展示場全体に梅棹先生の関係した場所と当時の日記が展示されていた。時間の許す限り、展示場の先生の足跡を観て回った。

梅棹先生がアンコールワットの調査に行った時の写真


朝鮮半島 白頭山の頂上での写真
国立民族博物館の至る所に「先生の足跡」が展示されている。

1時30分から献花式が始まった。しのぶ会は会の司会者も先生を偲ぶスピーチをする人も居なかった。ただ、集まり、白い菊の花を先生の写真の前にある献花台に、献花の順番もなく、自然にみんなが思うように献花していた。「梅棹先生らしい自由さ」を残したしのぶ会の進行であった。

献花台に白い菊を置いて先生を偲ぶ人々

早めに献花を終えた私は、「梅棹忠夫とみんぱく」という記録映像を「講堂」で観た。講堂の入り口にあった。梅棹先生の死去の知らせを書いた新聞記事をみた。そこに、先生が1988年フランスから「パルム・アカデミー勲章コマンドウール章」を受章したときの写真を載せた木村重信大阪大学名誉教授の追悼文の記事があった。 

フランスの「パルム・アカデミー勲章コマンドウール章」を受章

京大式カードの改良と学位論文作成

私が梅棹先生を知ったのは1972年ごろ京都大学で流行っていた「京大式カード」と「知的生産の技術」という書物からだった。京都大学理学部の研究室では当時九州大学理学部の助手になられた西山賢一氏から、京大式カードを教えてもらった。また研究室にも京大式カードが置いてあって、自由に使えた。しかし、私は京大式カードを活用することはなかった。

フランスのストラスブール大学で哲学の研究を始めたころ、文献や自分の考察の記録を課題別にファイルする研究システムを考えながら、研究活動をした。そこで研究課題や文献資料のコード番号化や、引用文献のページ記入の方法などのカード情報の作り方を考え、また、それらのカード情報がテーマごとに集合化していることで、集合化したカードを集めるためのタイトルカードを幾つかの段階に分けて考案した。しかも、これらのカード情報の集合が、テーマの進展によって再編成、配列位置の移動を可能にする、カード情報の管理を行う情報管理カードボックスを作った。このことで、一回使ったカードが、また別の研究に活用できるようになったし、過去のカード情報の管理も可能になった。

こうして、私は哲学博士論文を書いた。

1993年、フランスから帰国して、「知的生産の技術研究会」に入会した。研究会の機関紙『知的生産の技術』を編集していたY.T氏とお会いして、京大式カードの改良の話をした。八木哲郎氏の推薦で、関西知的生産の研究会創立10周年記念で梅棹忠夫先生と二人で講演することになった。
その講演の後に、先生に京大式カードを改良した私のカードシステムを見せた。と言っても、先生は目が不自由だったので、カードを手に渡しながら説明をした。梅棹先生は面白そうに聞いて下さったことを思い出す。
http://tiken-kansai.org/TS97/S97-04K.html


日欧学術教育文化交流活動への助言と協力

京都日仏協会の事務局長をしていた時代、アルザスヨーロッパ日本学研究所のクライン所長を招待して、ヨーロッパ連合への運動が始まった50周年を記念し、奈良と京都で講演会を開催した。

その時、アンドレ・クライン氏から成城大学アルザス中学校高等学校の跡地利用に関する相談があり、当時、京都日仏教会の会長であった岸田綱太郎先生(当時、京都府立医科大学名誉教授、ルイ・パストゥール医学研究センター理事長(創設者))に相談して、アルザスヨーロッパ日本学研究所との話し合いを持つことになった。

故岸田綱太郎先生が呼びかけ人となり、「日欧学術教育文化交流活動」のための会が準備された。その会を準備するために、梅棹先生に連絡、相談すると、非常に心安く「呼びかけ人」になることを承諾して下さった。

アルザス日本学研究所は大変喜んだ。と言うのも梅棹先生はフランスの日本学研究の権威ジャン ジャック オリガス教授(初代アルザス日本学研究所所長)の知人だったからである。

民族博物館の梅棹先生の研究室に行き、「日欧学術教育文化交流活動委員会」の呼びかけ人をお願いした時、先生は「フランスには色々とお世話になっているので、その恩返しも兼ねて、どうぞ名前を使って下さい」と言って下さった。

その後、代表者の岸田綱太郎先生を亡くし、会は活動を停止した状態になった。そして、今度は、梅棹先生を亡くした。無念である。しかし、先生のヨーロッパやフランスへの気持ちを受け止めるなら、どうしても会を再建しなければならないと思う。





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2010年10月19日火曜日

善悪の確率的彼岸とは何か

三石博行


善と悪の回帰運動

善を深く知るものは悪を知っている。そして、悪を深く知るものは善を知っている。その両者を深く知るものは人間を知っている。

「人間は天使でもなければ禽獣(きんじゅう)でもない。天使になろうとするものが禽獣になるのは、不幸なことである。」パスカル「パンセ」(358)

悪への自覚は善への入り口を作り、善からの判断は悪への入り口を作る。なんと皮肉なことか。キリストの原罪思想も親鸞の悪人正機説も、ソクラテスの無知の知のように、逆説的に理解することによって、あまり大きな過ちを犯さない処方を教えているようだ。

つまり、我々が身を滅ぼすほどの大きな過ちを犯さないために、悪を知るということが存在しているようにも思える。

「人間には二種類だけしかいない。一は、自己を罪びとと思っている義人。他は自分を義人と思っている罪びと。」パスカル『パンセ』(534)

そして、悪は善を理解するためにあり、善は悪を理解するためにある。つまり、悪と善はつねに相互を決定するために用意されているようだ。

最も、問題にすべきは、悪として自覚できない悪の存在である。それは主観的には、まったく悪ではないものとして理解されていることである。多分、私にも、他者から見れば悪として理解されながら、自分の中では、悪として自覚できないものがあるかもしれない。


善となろうとするものが悪になるのは自然なことだ

国家権力の中心にいる人々、例えば政治家や高級官僚などの犯罪を摘発する特捜(検察庁特別捜査部)として国民の圧倒的支持を得て、またロッキード事件などを解決してきたその組織が、今逆に、意識的に市民を冤罪被害者にする犯罪が指摘されている。

先月、2010年9月、大阪地検特捜部のM主任検事が厚生労働省の村木厚子元局長らの犯罪を裏付けるために押収したフロッピーディスクのデータを書き換えたことが明らかになり、前田主任検事は逮捕された事件。

正義の使者「特捜検事」のエリート、M主任検事。きっと、彼は悪の巣窟、官僚と政治家(小沢さんみたいな人)を「正したかった」のだと思う。そして、彼の正義を貫くためには、手段を選ばなくてもよかったと堅く信じていたのだ。

悪い奴をヤッケルのだから、世の中の悪を退治するのだから、証拠のフロッピー日付の書き換えなどはそう大いしたことはないと信じていたのではかろうか。

悪と闘い続けてきたM主任検事が、田中角栄元総理のような怪物と闘うために、彼は田中角栄氏よりもより強大な権力者となる必要があった。そして、M主任検事が、強大な権力と闘う以上、M主任検事も強大な権力者となったのである。これは実に自然なことだはないか。

今、世間では、昨日の悪玉(官僚)が無罪となり、正義の使者(特捜検事)が有罪となろうとしている。

この問題は、M主任検事の個人的な資質の問題ではない。特捜の星M主任検事を創ったのは検察組織、民主主義国家国日本、そしてマスコミ。M主任検事を語るとき、我々の社会的評価や価値観などは無傷でいられるのであろうか。怪物M主任検事の誕生を騒ぐ前に、まず自分に潜む怪物を点検するべきだろう。

またもや、M主任検事を悪としM労働厚生省元局長を善として、社会が作り出す善悪物語がマスコミに登場する。その面白く分かりやすい話(ストーリー)を聴くたびに私は常に不安を感じる。

評価の悪い確率が80%以上の状態 悪と評される可能性が高い

悪とは何かを考えるとき、善に対する悪という二元論から、評価の非常に最高に悪いと言われるものという表現がある。

この考えは、失敗学を創設した畑村洋太郎氏の定義した「失敗」の概念に近い。つまり、彼は「失敗学における失敗の定義」を「人間が関わったひとつの行為の結果が、望ましくない、あるいは期待しないものになること」と書いてくる。言い換えると、行為の結果は主観的な評価基準によって失敗と感じることも、そうでないこともあると言える。その評価は極めて主観的である。
するとそれらの主観的評価(個人的評価)が集まり、ある評価集合を作ったとすれば、その平均値がそれらの主観的評価の平均値、つまり共同主観的評価となる。そして、ある行為結果に対して、統計的な解釈を導入すると、悪という評価は、まずいという評価から始まる程度の順序の最高値であると気付くのである。

つまり、まずいから悪への順序は以下のようになる。

1、あまりよくないといわれること
2、まずいといわれること
3、大変まずいといわれること
4、悪として評価されたもの
5、最悪といわれるもの


この評価段階表を基にすれが、悪(犯罪行為)という評価に至るまでに、すでに他者からの批判的評価を受けていたと思いますね。問題は、それらの批判的評価を受け入れられない自分、またはそれを過小評価している自分の問題が浮き彫りになる。

つまり、失敗と同じで、つねにある確率で選択した行為に対しては同じ評価集合内の他者の批判が生じる。ましては、何かに挑戦する場合には、その批判の起こる確率は非常に高い。そして、それらの批判をどのように処理していくか。

特捜の組織の中では、こうした批判的評価に対して、それを受け入れてはならないという組織的文化があるのではないか。つまり、その背景に、世論が係わっている。今までの特捜が行った政治家や官僚への厳しい闘いを我々は支持してきたのだ。その上で、彼らは、彼ら独特の捜査手法の落とし穴を検証する機会がなかったのかもしれない。

他者からの批判的評価を無視する、理解しない、拒絶するという過程を経ながら、大きな落とし穴(犯罪行為)に落ちるのだと思う。

社会が悪(犯罪行為として評価された状態)と断定するまでに、多分、社会は軽度から重度の批判的評価を下し続けたと思われる。ですから、善か悪かの整数値を行為評価に与えるのでなく、批判的評価関数の平均値からのズレを問題にする発想が必要だと思う。

その意味で絶対的な悪も絶対的な善も存在すると考えることは、不可能に近い悪と善の姿をイメージしていることになると思う。

問題は、M主任検事でなく、M主任検事の思想です。M主任検事の司法や捜査に対する考え方の問題だと思う。

彼は、その意味で自らがもつ権力の恐ろしさを忘れていたのだと思います。
しかし、自らの持つ権力の恐ろしさを忘れるのは、M主任検事だけではないでしょう。小さな企業でも、家族でも、学校でも、どこでも起こるような人間的現象のように思える。


参考資料
畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』文芸春秋社、文春文庫、2005年6月10日 第1刷、268頁


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人権を守り維持する力・権力と文化

三石博行


1、いじめ(暴力)への対応としての懲罰(権力)

ある小学校であった話であるが、いじめをやめさせるために、いじめっ子の登校を一時禁止して、自宅待機させたとか。
いじめをやめさせるために学校が取った手段は懲罰であった。勝手な想像によれば、そのいじめは懲罰を与えるに値するほど、ひどいものだったかもしれない。

9月11日にテロを受けたアメリカが取った手段は、テロリストをかくまっている国、アフガニスタンを攻撃して、テロリストとそれを支援する政府を打倒することでした。確かに、テロリストを支援していた政府は崩壊した。と同時に、アメリカの爆撃で多くの市民の命と生活が奪われた。

いじめっ子を学校から一時追い出すのだから、いじめっ子以外の誰も傷つかない。だから、このケースはアメリカの例を引き合いに出すのは間違いといわれるかもしれないが、つまり、二つのケースは同じ論理によって成立している。

同じ論理とは、「人権侵害(暴力や殺人)を犯した人々を、懲罰(爆撃・殺人や自宅待機・学校で学ぶ権利の剥奪」で対応するという方法を選んだことである。

人権を守るという課題の困難さは、人権侵害に対して、人権を尊重した方法で対応しなければならないことが課せられていることである。だから、殺人罪に対して死刑廃止の論理が成立している。

唯一、その考え方で世界や歴史を変えた運動、つまり人権思想を掲げて政治運動を成功させたのは、ガンディーが指導した非暴力主義、インド独立運動である。その運動は、人権を尊重した方法で人権侵害者たちと闘う方法を示した。そして、その思想が、今日の死刑廃止運動にも繋がるのである。多くの人権主義者、特にアムネスティー運動に参加する人々は、ガンディーの選択し展開した思想と運動を支持するだろう。

しかし、また逆に、人権を守る社会機能(法律や行政機能)の課題を語らなければ、人権擁護は砂上の楼閣のようなものだという主張もある。非暴力主義者、ガンディーは暗殺される運命にあった。彼の暗殺を防ぐには、彼自身が暗殺者や刺客の暴力を防ぐ具体的な抑止力(暴力)を持たなければならなかったのかも知れない。
しかし、この二つの議論、現実的に人権を守るための権力の必要性を主張するか、理想的な方法、つまり非暴力主義(平和主義)で人権を守る闘いをする必要性を主張するかある。しかし、軍事的な力を持つ反人権主義者と闘うために、理想主義者ガンディーは暗殺され、現実主義者ブッシュは多くの人々を殺戮し、生活を破壊し、国を荒廃させてしまった。

2、差別(暴力)と闘うための逆差別(権力)

また、差別と闘うことは、そのことによって生じる逆差別を防ぐことまで考えることの困難さが付きまとう。

しかし、現実は、そううまく行かないだろう。例えば、アメリカの奴隷制度以来300年も続いた人種差別、黒人社会と白人社会の格差をなくするために1960年代から始まる公民権運動がある。その成果として、今日の黒人・オバマを大統領に選んだアメリカ社会がある。と同時に、公民権運動で、大学入学などで逆差別を受けている白人たちがいる。今、その不満が膨らんでいることも否定できないだろう。

差別や格差をなくするために、社会は差別する人々の権利を奪い、逆差別を少々作っても、その是正を行うことを選ぶことになる。換言すれば「差別と闘うことは、そのことによって生じる逆差別を防ぐことまで考え」ていては、差別や格差を廃絶することはできない。

逆差別が生じることで、公民権運動も終わりを告げる。しかし、そこまで行かなければ、社会の構造として確りと根を張った黒人差別は解決しないだろう。


3、人権を守るために問われているもの、民主主義、市民主義、生活主義の社会思想とそれによって生活している人々・文化の形成へ

確かに人権問題は制度的(政治的)力をもって対応することが社会に求められています。犯罪に対する警察・検察行政や司法制度、それらの防犯や犯罪者逮捕の社会的機能を持つ警察・検察行政が侵す権力犯罪への監視機構等々。

人権を守る社会制度(権力・行政執行機構)がなければ、つまり法律やそれを施行する行政組織がなければ、人権は守れません。

しかし、それらの権力機能を動かす社会思想がなければ、人権を守ることはまったく出来ないのだと思います。

人権の問題は、究極的には「自分の人生と向き合うための価値観を持つことと 人権意識を持つこととは、切り離せない」(「mixi「哲学が好き」 の友人○永遠さんの表現)のだと思います。

その心を育てるために、いじめた子供を隔離するのでなく、その子供たちと共に考える場を作るスキルが教育者に求められているかもしれません。

もしアメリカが同時多発テロの後に、テロリストをかくまう国の政府と話し合い、アメリカがテロの対象となる背景について政治的に理解し、その問題をも共に解決する政治的行動に出ることができたら、中東アラブ諸国での戦禍による犠牲者数を少なく止めることが出来たと思う。巨大な軍事力を背景にしながらも平和外交を進めるアメリカの国際政治力のスキルが問われているのである。

受刑者を刑務所で矯正し、社会復帰させるスキルを社会は持っていない。そのため、頻回受刑者(ひんかいじゅけしゃ・繰り返し犯罪を犯す人々)が2000年の統計で52.5パーセントになっているという。また、そのため受刑者の高齢化もすすんでいる。この現実は、刑務所が受刑が人間性の復活過程・矯正機能を果たしていないことを意味する。極論すると刑務所行政は税金の無駄遣いをしているのである。人権教育機能としての刑務所のあり方を問うべきである。


4、民主主義の社会文化の土台にある人権思想

民主主義という制度は、自分を主張し(自由の思想)、そして色々な異なった意見の人々と共に共存する(平等の思想)。お互いの生命や生活を守りあう(友愛の思想)社会システムを意味します。

自分と他者の意見は基本的に異なります。それが本来の人々の考え方という社会現象の姿です。人と人が共通した利益、立場に立つ、または立たされることによって、それらの人々は共に手を携えるわけです。

この社会が運営されるために、人の命や生活が大切であり、それを守りあうことが社会の共通した考え方であることが、社会の中で了解されているならば、その守り方をめぐる相互の違いは生じるものの、基本的な社会理念は共有することが出来ると思う。

人権という考え方、つまり、人の命と生活が大切であるという考え方が基本になければ民主主義社会や民主主義思想によって行動する人々の姿(文化)を発展し維持することは出来ないのだと思う。

身の回りの生活風景の中で、自分の言動の中で、自分が発することばや動き出す行為として、「人の命と生活が最も大切なのだ」という考えが検証されているかを、つねに反省する力によってしか、人権重視の社会という現象は実現できないのだと思う。

それは、個人の力のみでなく、社会の理念(共同主観や社会規範)の形成として積み重ねられなければならないと思う。


5、文化としての民主主義・人権思想

自由、平等と友愛を基礎とする人権という思想(文化)は具体的に国民主権、民主主義と三権分立の政治、経済、社会制度が法律として成立することによって形成される。それらの国家の制度や法律に民主主義制度が裏づけされると同時に、その社会で生活している人々が民主主義や人権思想を生活文化として持たなければ、民主主義も人権も箱に書かれた絵に過ぎない。

私が、フランスで生活していたとき、丁度、湾岸戦争が起こった。マンションの同じ階の隣に住んでいたマダムドゥブリエーさん(当時75歳)とこの戦争について色々と話した。ニュースを見ながら、司会者や政治家の発言に対する批判。当時、私の回りでは、湾岸戦争に対する評価をめぐる議論が盛んに行われていた。それがフランス人の生活文化のイメージを作っていた。

街の人々が率直に自分の意見を述べる。それがお互いに異なっていても、それはその人の考え方であることを理解している。

つまり、民主主義、表現の自由 また同時に他者と意見が異なってもその他者を排斥しないという人権を大切にする考えはフランス人の生活文化の一つであった。「仲良くなりたかったら、ちゃんと自分の考えを述べよ」と彼らは私に教えた。人が共存するのは同じ考え方を持っているからでなく、異なる考え方を持っていても共に生活することによって、もっと大きな利益を相互に分かちあうことが出来るからだと、彼らの生活文化の思想の中に、個々人の自由とそれを相互に認め合う共存の思想が、生活文化として存在していたように思える。つまり、民主主は市民社会や人間に対する個々人の意識のように思えた。

市民たちの意識に、他者とは意見が異なる、宗教や信条も異なる、それでも相互にその違いを認め合うこと、つまり共存を前提にして成立している社会思想に基づく他者への理解のように思えた。

つまり、そのためには、自分も他者も共に共存できる社会的条件を認めなければならない。経済的、市民的、健康的、教育的、文化的等々の条件を認めなければならない。そのために、自分の収入から、その条件に満たない人々を支えることを自分の社会的義務として自覚しなければならない。

人権を守る社会は、他者の不幸を放置することがどれほど社会的に危険なことかを理解している。社会的に蔓延する病気、犯罪や紛争を防ぐことで、結果的に自分が守られることを理解する市民によって、人権という社会風土、文化が発達するのだと思う。

世界を見渡して人権、生態、福祉、教育等々の文化のあり方でバランスのいい社会(例えば北欧社会)は、QOL(生活の質)が非常に高いように思える。それが生活文化としての民主主義や人権制度の贈り物ではないだろうか。



参考資料
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mixi 「哲学が好き」 のトッピック「人権てなんだろう」から






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問われる人権の概念

三石博行


人権とは何か

人権とは人間の権利、つまり人権とは生命と生活を守る権利。要約すると、ありとあらゆる人々の命と生活、行動や精神の自由、苦しみに対する抗議の権利、人間的幸福を追求する権利であるといえる。

だから、市民の権利、労働者の権利、経営者の権利、消費者の権利、被差別部落・カースト・人種の権利、経済格差を受けている人の権利、文化的格差を受けている人の権利、少数民族の権利、公害被害者の権利、医療被害者の権利、不可避的業務上の事故に対する弁護の権利、犯罪にあわない権利、冤罪にされない権利、犯罪被害者の権利、犯罪加害者家族の権利、受刑者の権利、子供の権利、親の権利、先進国の人々の人権、発展途上国の人々の人権、中国国民の二つの人権(経済的生存権と政治的行動権)等々。

すると、ある人権とべつの人権はぶつかることになる。そして、何か、人権という一般的概念を見つけ出そうとするとき、現実の具体的人権概念同士が拮抗し、衝突し、相互の立場を譲ろうとしない現実に出会う。

そこで人権とは何かともう一度問いかける。人権の概念を正確に表現できることばなないか考える。それが実に難しいことに気づくのである。

しかし、実は、この困難さの理解が、今日の人権問題を語る上で問われていることにあらためて気づくのである。

多様化しつつある人権社会の形成過程

現在、人権の概念が問われているのは、民主主義社会の形成過程が多様化しつつあること、西洋民主主義社会化の歴史過程が国際社会の多様な文化形態の中で、相対化しようとしているからではないだろうか。

以下の課題を考えてみよう。

1、グローバリゼーションによって、民主主義社会化の過程が多様化していること、つまり、西洋民主主義社会の歴史モデルでは語れない色々な民主化過程が存在していること。

2、伝統的な人道主義の理想モデルに対して、マキャベリズム的な政治思想のもつ現実主義的方法も、人権問題を解決する方法として評価され始めていること。

3、人権、つまり人間の命と生活、社会的平等、経済的生活権の保障、身体と精神の自由、個人的生活権の尊重等々を守るための社会システム(制度や規則、社会資本形成とその維持運用、個人的行為の範囲と許容に関する取り決め)の優先順位を巡って、民族、国家、社会共同体ごとに、それぞれ判断基準を持っている国際的な政治地理環境の出現。



参考資料
樋口陽一著 『一語の辞典 人権』三省堂 1996年5月 122p B5版

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mixi 「哲学が好き」 




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哲学的知の成立条件について

三石博行


生活主体の反省学 哲学的知の姿

哲学は、対象認識された世界を前提にして了解されている意識を疑い、点検する作業である。対象認識されている世界とは、つまり現代社会であれば科学的な理解によって成立している世界例えば物理学、化学や生物学の知識によって解釈されている世界を意味する。また中世社会であれば宗教的な了解によって成立している世界、例えば聖書解釈、神学(物理神学も含めて)によって解釈されている世界を意味する。言い換えると、哲学は社会や時代が根拠とする価値、認識、精神や知識の基盤を無前提にして出発する思索ではなく、それを疑い点検する思索活動である。

それに対して、思想は時代的価値を実践検証する知性活動とも言われる。また、科学は時代的合理性を実践検証する知性活動とも言える。そして、技術は科学や思想に具現化した社会や時代的価値や知性の生活世界の道具化を意味する。

哲学は思想、科学や技術と異なることは、その基本命題の成立に関して、自己意識を根拠して成立すると言うことである。つまり、私や自分という「いま、ここで」生活し活動し考えている自己という根拠からしか、哲学は始まらないということが、他の科学と決定的に異なる学問の姿であると言える。

哲学は、対象世界を知るためにあるのでなく、主体とよばれる「いま、ここに」生きている個人、つまり現在という時間と空間で一人の人間として生きている個人が、その個人に関する意識を根拠にして始める知の形態である。

哲学が、それゆえに、なぜ、個人の価値、感性、精神、知性活動を無前提にはじめられないでいるのかを理解できるだろう。まさに、その個人の価値、感性、精神や知性活動の根拠、確かなあり方を確立することが哲学を始める第一の課題になるからである。

そのため、哲学的知性にとって、科学的知性は補助的に意味をもつ。しかし、科学的知性を援用しながら哲学的知性を説明することはできない。

科学、技術、法律、政治、経営や経済の知識は、哲学的知性を研ぎ澄ますために存在しているのではない。それらの知識は生活世界を豊かにするために、もしくは社会や国家を運営するために存在し、探究されてきた。

しかし、その哲学的知性を研ぎ澄ますことで、それが、現実の生活を営み、組織を運営し、科学や技術を発展させ、経済的生産活動を生み出し、政治的判断を行うために必要な知識にとって、有用なもの必要なものでないかぎり意味を持たないだろう。


全ての人々に与えられた探究の機会・哲学への入り口

哲学が問われる瞬間がある。それは真摯に自己と向き合っていることを問われる瞬間である。そのことを問われる瞬間とは、日常的な生活では出会えない。その瞬間は、寧ろ日常生活の亀裂の中に、非日常性として登場した危機や不安の中で、現れるように思える。それである限り、哲学が問われる瞬間は、それほど多くない。

しかし、哲学が問われる瞬間を持たない人は誰もいないと言える。何故なら、死、事故、災害、不幸という不慮の事態の存在を前提にして日常生活を送っているからである。日常生活を運営してきた知識では、解決できない課題を抱えているというのが人の生活の自然の姿である以上、人が必要とするものは、生活を豊かにするために単に知識の広さや多さの世界でなく、また技能の深さや豊かさの世界でもなく、豊かな生活を奪われ、死や不安のどん底に追いやられる世界から自己を救い出す根拠である。

哲学を学ぶことは、まるで自己の根拠をめぐる巡礼修行のようなものである。その巡礼によって、自己の根拠とする価値、認知や解釈の非在性と主観性に気付くとき、そして、その非在と主観的根拠よって生かされている自己の生活世界に気付くとき、生活世界への反省の意味とその逆の生活世界のドグマの意味の双方の共存と相関性を理解するだろう。哲学はそれを学ぶことによって、その学問活動の限界、つまり哲学がそれ自体として哲学を探究することによって、その学問が成立しえないという反哲学の公理にたどりつくのである。

哲学を学ぶことは、哲学を否定しなければならないことを気付くことになる。哲学を否定することは、哲学の必要性を生み出す基盤を理解することになる。哲学は、生活活動という時代性、社会性や文化性に決定的に固定された観念形態の習得活動と、その反省や点検と呼ばれる否定活動の相互の運動によって、成立している奇妙な学問である。

哲学がいまここに存在している主体に関する学問であるというのは、その反省や点検活動を問題にした場合である。しかし、哲学は時代精神、社会的合理性、文化的観念形態を前提にして表現される、生活世界と不可分の知の形態である。科学、技術、経済、政治、経営、組織運営、共同体、家族の営みと称される時代、社会や文化的精神活動を触媒にしながら、それらの知の在り方と関連しながら表現されるものである。

その意味で、哲学には超越的な哲学理論は存在しない。それらは、つねに時代、社会や文化的精神として、またそこに生きている人々の自我の表現として語られる。

多分、哲学を探究する人々の多くの場合、ソクラテスやデカルトを若い時に読んでしまったので、あまりにも早く哲学的思惟の中断しなければならないことが哲学的知の在り方であることを理解してしまった。哲学論文を書いてしながら、哲学を職業として、哲学を学問として続けるためには、哲学的思惟の中断という結論を先延ばしにしなければならないのである。どのようにして先延ばしにできるのか、それを大学の哲学科では学ぶことになる。

職業として哲学を探究しない人が、単に趣味的に「哲学がすき」で哲学を勉強している人たちが、また哲学専門家でなく哲学趣味人や素人と自称する人々が、もっとも哲学的な直観を理解しえるのは、彼らが、その中断を常に受け入れることができるからではないだろうか。

哲学は、その学問の第一公理において、哲学が有効であるために、哲学の専門化を否定しているように思える。そこに哲学が他の科学と決定的に異なる学問の姿が隠されているのである。


日常的生活行為(反哲学)と非日常的反省行為(哲学)の相補的関係を求める現代哲学の課題とその姿

勿論、より哲学的(反省的)な思惟はより生活的(実践的)な行動に活用され、より生活的(発展的かつ反復的)であることはより哲学的(遡行的かつ直観的)な思惟の基盤を保障することを意味する。

日常生活で生まれ育つ社会や生活の常識、科学や技術的知やスキルを持つことによって、より社会的に活動し、そこに責任を持つことによって、その世界の固定観念を身につけることによって、その埒内で模索することによって、その限界に苦しみ事によって、その限界を超えられない状態にたどりつくことによって、そこに哲学の必要性が生まれる。つまり、時代や社会の固定概念のない世界にはそれを反省し、それを否定する根拠も存在していない。また、時代、社会や文化と関係なく存在している人はいない。普遍的、抽象的な観念形態をもって生きている人はいない。すべて我々は、ある時代、社会や文化に規程された存在であり、その環境から独自に遊離して存在していない。その意味で、哲学はすべとの人々に、それを探究する前提条件を与えている学問であると言えるし、また哲学はいまここの居る私たちの時代、社会や文化的環境に規定された思惟活動であるとも言える。

例えば、「哲学とは何か」という哲学入門と書かれた教科書や教養系の書籍に必ずある章のタイトルにであう。哲学の課題として哲学の在り方が問題になっている。もし、物理学の本に「物理学とは何か」という章があるなら、その本は物理学の本と言うより、物理学を自然科学の中で位置付けるための著書と思われる。物理学の本であれば、力学の説明から始まるだろうし、物理学とは何かという課題は、序文の一部にこそ書かれるものの、章を割いて書かれることはないだろう。その点が哲学と異なる。むしろ、哲学の方が、他の科学の本よりも、自己言及の必要性を常に持ち続けていると理解するしかない。

哲学とは何かという課題は、哲学的知の形態が科学的知の形態と異なるために、生じている課題のように思える。一回、成立した「哲学的知」の定義が、何遍となく、問い直されるのは、その知の定義が一回成立することで、証明問題を終える科学的知と異質のものであることを意味している。

つまり、哲学的知とは「知る」ことが、いまここに生活している自分にとって、その知を実行すること、行動すること、生活を変えること、世界との関係を変えることが要求されているのである。それらの知ることによって生じる自己への投企(とうき)は、科学的行動のパターンと違い、その主体の置かれた状況に対する行動の要請である。つまり、それらの知は、個々人によっても、また同じ個人でも、時間的、社会文化的状況の変化に即して、異なる姿をとることが前提となっているからだろう。

哲学的知は、一般的な定義を当てはめることができるとしても、個人の解釈によって、その個人の数と、その個人の生きてきた環境の変化の数だけ存在している。そこに、この問い、哲学とは何を哲学が問いかけるという、哲学知の独特の姿がある。

それ(哲学が哲学的知を語ること)は結論であるようで、まったくの始まりである。そしてそれは全くの始まりのようにして、最終的な結論を語る。哲学という学問の成立条件の一つとして、その学問が哲学自体に対してその存在基盤をつねに言及し続けているということ、その結論が、哲学のはじめを意味し、また哲学の結論を意味しているように思える。

この課題は、哲学は知の広がりや体系を求める学問でなく、限りない自己言及の意味とその方法を教える学問であるのではないかという結論に達する。

そのために、多分、哲学史とよばれる哲学理論の歴史的な学習、何ない哲学と呼ばれる異なる哲学の方法論の学習、また具体的課題を点検する、科学技術哲学(現代社会の科学や技術の在り方や考え方を点検する学問)、法哲学(法や法制度を在り方を点検する学問)、政治哲学(政治や政治学の在り方を点検する学問)等々、具体的な社会、経済、組織、家族、個人の行動、機能や構造に関する科学や政策に関する点検の学問として哲学は限りなく成立することになる。





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