2012年4月5日木曜日

共同体秩序の脱構築・構築集団行動としての社会運動

共同体維持機能を担う社会運動の側面


三石博行


生活資源の社会的欠乏要因の解決行為

社会運動とは市民(庶民)の社会的行為である。その行為はアメリカの社会学者スメルサーの述べる社会的構造ストレーン・社会構造の時代的(政治経済的)な諸要素間に生じているひずみに対する生活防衛的な解決行動であると中澤秀雄氏と樋口直人氏は説明した。(OOHhi 04A pp139-153)「社会運動と政治 ‐社会的機会構造と住民運動- (中澤秀雄、樋口直人)」

時代や社会を超えて人々が生活防衛ために起こす全ての行為によって社会運動が生まれる。しかし、日常的に生活防衛のための行為はつねに個人や家族的範囲の中で行われている。それらの個人や家族的な行為で生活防衛が不可能になるとき集団的な行為に発展する。その段階で生活防衛行為は個人的な行為から集団的な行動へと変わる。生活防衛を目的にした集団的な行動を社会運動の起源と考えることができる。

生活防衛行為とは生活資源の欠乏を防ぐための行為である。一般に生活資源の欠乏を防ぐということは生産行為を意味するが、この場合、生活資源の欠乏の原因となる社会的要因(原因)を取り除く行為、生活資源の社会的欠乏要因の解決行為である。

例えば、飢饉に襲われながらも重い年貢に苦しむ農民達は、飢饉の原因となる気象変動や災害を解決することは出来ないが、年貢を取り立てる地主や領主に対して異議を申し立て、年貢の支払いを免除してもらうか、延期してもらう要求を出すことは可能である。生き延びるために、最低限の生活物質(食料)を確保する生活防衛行為が集団で行われる。


社会的存在・人の宿命としての社会運動

生活資源の欠乏の社会的要因を集団的行動によって解決しようとすることが社会運動の起源となる。その意味で社会運動とは人類の形成とともにある人間の基本的な行動様式であるとも言える。つまり、人を社会的存在であると言うなら、その社会的存在形態に付随する行動の一つとして社会運動的行動が生まれる。人々は社会共同体を形成することで生活し生存できたのである。

しかし、同時にその共同体の在り方(社会と呼ばれる人工物システム)がすべての状況に対応できるとは限らない。新しい状況、例えば大災害、大飢饉、外敵の侵入、共同体内部の権力闘争、人口増加等々に共同体が即座に対応し問題を解決できなくなる場合が生じる。共同体自体の中で状況に対応できなくなった共同体執行部(権力の中心)を変革する機能が必ずしもスムースに働くとは限らない。

そうした事態が生じた場合、共同体の中で、ある集団がその共同体の在り方(意思決定を行う執行機関の構成や問題解決の方法、規範、規則を決めそれに反する人々に懲罰を与える権力構造等々)を問題にする。この自分たち(集団)が所属する共同体の問題を指摘しそれを解決しようとする行動が、共同体を作る社会的存在としての人間の属性の一つであると言えるのである。

言い換えると、社会運動とは人間が社会的存在であることの宿命として存在し、この集団的な行動は共同体を運営する行動の一つであり、規範や習慣によって営まれる日常生活的な行動様式、つまり共同体維持という惰性的行動様式に対して、その惰性態を脱構築し新しい生活様式を協同体に取り入れようとする集団的行動である。

その意味で、社会運動の起源となる集団的異議申し立て行動は、社会的存在としての人間が生まれたその時から存在したと考えるべきだろう。共同体の維持行為を惰性的共同体維持活動と言うなら、その惰性態を脱構築し新たな秩序を構築するための行為(社会運動)も、基本的には同じ人間性、社会的存在としての人間の在り方に由来するものである。それらの二つの行動様式はともに共同体の個別体の保存と系統種の保存にとって必要なものであると理解できるだろう。


共同体内での共同体秩序の脱構築・構築集団行動

社会運動を人間の社会的存在のあり方に起源をもつ人間的行動様式の一つと考えることによって社会運動を社会行為の基本に取り入れることができる。しかし、同時に、共同体を維持するために惰性的に(習慣や風習によって)営まれる日常生活行為とその日常性を脱構築しようとする社会運動の違いについて述べる必要がある。

上記の集団的異議申し立て行動は所属共同体秩序(機能)や共同体組織に対する批判運動であると理解される。その視点から考えると、集団的異議申し立て運動が、古代社会以来、反秩序、反権力、反体制運動として機能していたことが理解できる。中世社会の農民一揆はその典型である。

村落集団の中にもその集団の古い秩序を変革する活動がある。その担い手は主に青年達である。そこで村落では村落の行事を担う長老を中心とした執行機能に対して、村落の活性化を担う青年団が組織されている。青年団も村落の行事を担う。しかし、青年団として別に組織されたのは、村落が彼らの斬新な発想、企画や行動力を評価し、その力を村落全体のものに役立てようとしているからである。若い人々が少しは羽目を外せる場、独自に活動する場として青年団を与え、その力を結果的に、村落全体のものにしようとする組織戦略が込められている。

村落の秩序内部で営まれる青年団の運動は、社会運動ではないと言うなら、社会運動の概念を「反体制的運動」に限定してしまうことになる。社会運動の起源を共同体の秩序の脱構築と構築を行う社会機能であると解釈する概念が満たされなくなる。社会運動を反体制運動のみに狭く解釈してしまうと、多様な市民運動、NPO化し商業化する消費者運動も社会運動の枠に当てはまらない可能性が生まれる。

社会運動を反体制運動に限定する考え方は、資本主義経済や近代国家形成以後に生じたのではないだろうか。社会運動が市民革命や社会主義運動に大きく影響された結果、反体制的要素が必要十分条件化したのではないだろうか。この近代社会以来の社会運動形態からは、それまでの古代や中世の村落共同体や、また長い伝統を受け継ぐ地域社会での青年団等の活動を社会運動の一つの形態として理解することは出来ない。

社会運動の反体制的要素をその必要十分条件とすることによって、長老への穏健な異議申し立て機能としての青年団の役割も、資本主義経済の土台を支える商品社会を支える消費者運動も体制の秩序維持機能としてしか理解されないだろう。それらの運動、集団のもつ異議申して行動は社会運動の埒外に位置されるだろう。

現代の多様な市民運動の形態、また人類の歴史、社会を作ってきた民衆の多種多様な生活運動、社会変革を目的にした民衆文化や民衆活動、つまり社会運動の起源として理解するために、共同体内での共同体秩序の脱構築・構築集団行動を社会運動の概念として拡張解釈したい。

社会運動の特徴は「共同体の内部から生じる共同体構成員による共同体変革のための活動であること」である。この文言は、市民運動を「市民による(主体)市民のための(目的)市民の運動(方法)」と呼ぶことに共通する。言い換えると、社会運動の主体と目的、そして方法に関する意味や考え方から民主主義という概念の基本が形成されている事に気づくのである。


参考、引用文献

三石博行 「多様化する現代社会の市民運動を構成する要因とは何か」

三石博行 「市民運動の変遷を生み出す二つの社会的要因について」

三石博行 「人権学 -三つの人権概念の定義-」


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関連ブログ文書集

三石博行 ブログ文書集「市民運動論」

三石博行 ブログ文書集「人権学試論」

三石博行 ブログ文書集「民主主義文化としての報道機能について」

三石博行 ブログ文書集「わが国の民主主義文化を発展させるための課題について」


2012年4月11日 誤字修正
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