2019年3月4日月曜日

21世紀の社会構築のために

三石博行

-成長経済主義を越えて成熟循環型経済社会への転回のために-


何故、私は「多様な資本主義・近代国家の様相とその構造を理解するために」という文章を書くのか。多様な国家、経済、文化の在り方を問題にしているのだろうか。

その問題の根底には、これからの21世紀社会への不安があるからだろう。20世紀は、科学技術の発展への楽観論、また社会主義や社会民主主義への期待、さらには自由主義経済への展望があった。しかし、それらの全ての視点に内在している楽観論は、地球レベルの生態環境汚染、それによって引き起こされる巨大な災害、さらには人類を破滅させる核兵器による戦争の危機、そして巨大な情報管理によって可能になる管理社会の可能性等々、多くの不安が横たわっていることを感じる。

例えば、何故、持続可能な社会を私たちが問いかけるのかと自問するなら、その答えは、明らかになる。何故なら、これからの時代、21世紀社会に対して、これまでのように人類が生活出る豊かさが保障されていないのではないかと言う危機感を持っているからである。

その原因は、現在、私たちが満悦し堪能している生活環境にある。この生活環境を獲得するために、私たちは、17世紀西洋社会で始まった近代、工業化社会、資本主義経済や民主主義社会を構築してきた。中世社会まで続いた生活環境からは想像もできないほど個人の自由や平等、そして人権を最大限に拡大することが出来た。

しかし、どこかで、この豊かさが今後いつまで続くのか不安を持っている。その不安こそが、「持続可能な社会」を願い、そして課題しているのではないだろうか。つまり、「持続可能な可能な社会」を問いかける私たちは近い未来は今までの様に豊かな生活を維持することが不可能であると感じている。その漠然とした未来への不安が「持続可能な社会」というスローガンになっているのではないだろうか。

「持続可能な社会」という課題を具体的かつ鮮明に理解し、そしてより現実的に問題解決の方法を摸索し、さらにより多くの効果を引き出すためにはどうすべきなのか考えてみる。まず、持続可能な社会、つまり持続可能な世界の在り方とは、個人のレベルから世界のレベルまでその課題が存在している。例えば、世界のレベルから列挙すると、地球生態環境、世界の平和、国・地域社会の政治・経済・文化、生活経済、文化、個人の生き方、人間関係、身体的精神的健康状態等々の持続可能な在り方を列挙することが出来る。


以前、縮小社会研究会の活動を通じながら、書き続けようと思い作ったブログ文書集「成長経済主義を越えて成熟循環型経済社会への転回のために」の課題に中に、今、書き続けている「多様な資本主義・近代国家の様相とその構造を理解するために」や「日本学のすすめ -非西洋型資本主義・民主主義社会形成過程の理論のために-」の文章を挿入追加しながら、これらの課題の焦点や目的を明確にしたいと思う。

「成長経済主義を越えて成熟循環型経済社会への転回のために」




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