1、状況合理性を前提にした科学性
人間社会科学の科学性について考えるとき、普遍的な自然現象を対象となる自然科学との違いについてまず理解しておかなければならない。人間社会科学は自然科学と異なり、それらの研究対象は変化し続ける時代、生活文化、社会経済政治的環境や、国家形態、多様な生態、地理、気象環境である。仮に、同じ研究課題が在ったとしても、その課題対象は時代、文化、社会、生態地理的環境によって異なる。自然科学のように時代や社会文化に関係なく研究対象(例えば物理的自然現象)が存在している訳ではない。
例えば、同じ衣服に関する生活文化の研究でも、その時代、具体的な地域社会、その歴史や伝統、被服行為主体の社会階層、その生活文化に関する多様な課題が存在する。社会文化が時代的に変化すること、また、同じ社会文化の中にも異なる生活集団、社会構成集団があるなら、それらの社会集団が持つ独特の被服行為の傾向がないとは言えない。その意味で無限の被服文化の研究課題が存在する。
では、同じ課題に対しても多様な研究対象が存在すると言う人間社会科学には自然科学のように同じ課題でも共通する科学的分析や「普遍的な科学理論」を求めることは出来ないと言うことになる。その意味で、自然科学から観れば、ここで言う人間社会科学は科学としての体を成していないとまで言われる可能性がある。
人間社会科学を近代科学の一部として認めるために、人間社会の普遍的な法則を見つけ出すための研究やそのための科学的方法が検討されてきた。そして近代科学としての人間社会科学は西洋で生まれ発展してきた。これらの人間社会科学、取り分け西洋・欧米社会で発展して来た近代科学としての人間社会科学は生物進化論や物理主義、分子生物学、統計学的方法、計量科学的方法等々、歴史的に発展してきた自然科学の方法や概念を援用しながら今日まで発展してきた。
しかし、人間社会の現象が自然現象と異なるため、これら普遍科学を目指した人間社会科学も、それらの理論は物理学のように体系的なまたすべての世界の理解とそれらの問題解決のための力を発揮することは出来なかった。この歴史的事実から、今、あらためて人間社会科学の科学性を理解し、この科学が成立する条件とは何かを議論する必要がある。
近代科学の定義とは、科学的知識がもつ実践的力であるとするなら、つまり「知は力なり」という考えに立つなら、自然科学と同様に人間社会科学の理論が現実の問題解決力を持つなら、この定義を満たしていると考えることが出来る。
人間社会科学の対象は、今生きている私たちの世界、つまり異なる多様な社会文化や歴史的状況の現実である。それらの現実世界の中で生じている課題を理解し、その課題を解決するための方法を与えることが人間社会科学に取り組む目的である。その理論によって現実はより分かりやすく分析・解釈され、そしてそれらの分析された課題に対してより有効な解決の方法を提供することが出来れば、それらの理論は問題解決力を持っていると言える。問題への分析力や解決力を持たない人間社会科学は有効な科学性をもっていないと評価することが出来る。つまり、人間社会科学の成立条件は現実の問題に対しその課題を解決できる知性を持たなければならない。
それらの知によって世界をよりよく変えることが出来るなら、その知識は世界にとって有効なものであると言える。現実の状況に適した知の在り方を摸索する精神は近代合理主義の精神に通じる。しかし、この精神(理性)は普遍的な世界認識を求めるものではなく、問題解決を行う個別の主体の、彼らの具体的な生存の条件(時代、生活文化、社会経済政治、生態地理的的環境)で生じている個別課題である。この精神をここで「状況合理性」と呼ぶことにする。状況とは問題解決に立ち向かう人々に取っての状況である。
人間社会科学は状況合理性を前提にして成立し、それぞれの研究者の多様な時代、生活文化、社会経済、生態地理的な環境の中の具体的な課題解決を目指す学問であると言える。状況合理性を持つ知の構造が、近代科学としての人間社会科学の成立条件はであると言える。言い換えると、この状況合理性を持つ知の在り方を検証し続けることによって、現代科学としての人間社会科学は蓄積して行く。
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