哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠である。言い換えると哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言える。また、哲学の入り口は生活点検作業である。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれるため、日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、反省と呼ばれる遡行作業を哲学は提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検する方法である。生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶ。そして、他者と共感しない哲学は意味を持たない。そこで、私の哲学を点検するためにこのブログを書くことにした。 2011年1月5日 三石博行 (MITSUISHI Hiroyuki)
2019年3月22日金曜日
詩を書く私 (詩)
三石博行
書くことは書かざる得ない主体から
あふれた行為にすぎない
つまり、書く行為主体の私は
書かれた世界からどこかに消え
化石化した文字となる
だから、それのみが私の現実なのだ
詩に対象化された私
文字の化石になった私
言語化され非現実化した私
それらは生きた世界の微分面
それらは絵画化された行為主体
今や存在しない現実との接点なのだ
つまり、それのみが私の現実なのだ
今、ここに確かに生きる私には
詩は化石化した私ではないか
だから、通時的主体からみれば
詩は固定化し共時化した言語化した私ではないか
しかし、それのみが私の存在の現実なのだ
詩を書く私は
通時的存在の私を詩の中で確認し
共時化された私を詩の中で認知する
それらが私という世界となり
それらば私という現実となる
だから、詩を書く行為は私の存在の証なのだ
つまり、それのみが私の現実なのだ
詩を書く私は
現実とよばれる生きる瞬間の中にあり
主体とよばれる生命の中にあり
詩になった世界は
仮説化された実在と呼ばれる幻想であり
世界に生かされる私のちっぽけな解釈にすぎない
とはいえ、それのみが私の現実なのだ
詩を書く私は
書きようもない現実の微分形
書きたくない事実から逃げた単純な一次関数
書かねばならない主体は
泥にまみれ、善悪もなく、正や不正もなく
ただ心拍音が鳴り響く身体なのだ
それのみが私の現実なのだ
だから、雄弁に語る私は
感傷や、愛や、正義や、美という薄ぺらいもになり
書かれない私が化石化したことばを嫌悪し
欺瞞にみちたことばを破壊するのだ
君はドロドロとした血流の流れのように
君は憎しみを抱くテロリストのように
隠した欲動を書く力があるか
もし、その勇気がなければ詩を書くな
心地よいことばの羅列遊びをつづければよい
だから、詩人はうそつきなのだ
詩的カタルシスという詐欺師の巧みなことばに騙されるな
だから、書くべき詩は
詩にならない詩で終わるのだ
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私にとって詩とは何か。そんな疑問が常に湧いてくる。何故なら、私は別に詩を書きたいから書いているのではない。ただ、ことばがそうなってしまい。それらのことばは、論文でも、評論でも、エッセイでもなく、結果として「詩」にされてしまう。それで、詩にされたことばたちが、何を思っているか、考える。そうではなかったと言っているようにも思える。
2022年9月2日修正
三石博行 詩集 『心象色彩の館』
2019年3月20日水曜日
公益資本主義研究会
2019年ワールド・アライアンス・フォーラム in あわじ
公益資本主義2050年の国家目標 -天寿を全うする直前まで健康でいられる社会の実現
昨日 2019年3月19日、淡路夢舞台国際会議場で開催された「2019年ワールド・アライアンス・フォーラム in あわじ」に参加した。今回のテーマは「公益資本主義2050年の国家目標 -天寿を全うする直前まで健康でいられる社会の実現」であった。
公益資本主義の考え方は原丈人氏が長年提案してきたもので、すべての人々の企業活動を経済社会の土台とする考え方(理念)である。株主重視型、短期的利益中心型、金融中心型等々の現在の資本主義経済の在り方を点検し、経営者や顧客や取引企業を重視するだけでなく、職場で働く人、地域社会の利益を考えた企業文化を創り、持続可能な経済(エコシステム)を確立する考え方である。そのために、企業や社会は制度と技術のイノベーションを続けることを主張している。エコシステム、技術革新(イノベーション)、制度改革(イノベーション)の三つの具体的な行動が公益資本主義社会を形成するための課題であると述べている。
私が参加している政治社会学会では荒木義修博士が中心となって「公益資本主義部会」を一昨年来かた立ち上げた。今まで、この部会と公益資本主義研究会でとの共同研究会が行われた。今年、ソウル国立大学名誉教授、韓国学術会議、人文科学部門委員長を務めるHyun-Chin LIm 氏と公益資本主義研究会の丹治幹雄氏(アライアンス・フォーラム財団理事)しの講演会を開催した。また、東アジア社会学会の「アジア資本主義」に関連する分科会にも、政治社会学会と公益資本主義研究会のメンバーが発表を行った。
公益資本主義の理念は壮大である。生態系を含む地域社会文化への配慮、働く人々の労働と生活環境改善、地域市民社会への貢献、企業が未来社会構築のプランに積極的に参画する(制度イノベーション)を企業文化として形成し、その企業文化によって社会全体の経済活動を展開すること(公益資本主義)を目指す、構築することが公益資本主義研究会の課題となっている。
政治社会学会は公共経済学、社会福祉政策研究、参画型市民社会政策、地域社会活性化のための行政学研究、分散型再生可能エネルギー社会に関する研究、食・農業文化研究等々、これまで多くの「社会公益制度に関する研究」に従事してきた学会員の研究発表を行って来た。公益資本主義研究会の課題はその意味で政治社会学会のこれまでの活動に即しているのである。
実践的に企業文化や行政システムの変革を課題にしながら研究会を展開する公益資本主義研究会の活動は多くの成果(データ)を導ている。具体的な実践こそ社会変革の力である。これらの貴重なデータは人間社会科学の研究に役立つ。そこで問われた課題は、研究の貴重な問題提起となる。公益資本主義社会の形成という理念を研究者が共有し、企業や自治体、社会で経営改革、行政改革、社会変革を推進する人々と共に「何のために」と言う問題意識と「どのようにすれば最も有効な手段(技術や制度)を形成できるのか」という課題意識を共有化して、初めて未来社会へ投企する学会活動や研究活動が可能になると思う。
この活動はまた新しい社会文化・社会活動、経営活動、生活活動のスタイルを目指している。多様な社会活動のアクターたちが「理念」を共有し、そのためにそれらのアクターの持つ専門性を活かし、それらの知識や技術の共有化を目指す対話(コミュニケーション)を繰り返し、問題解決に挑む。これらの社会行為の蓄積こそ、そしてそれらの経験こそ、新しい社会の在り方、生活の在り方を形成する土壌(文化環境)を生み出すのだと思われる。
この未来への一歩に私は期待したい。
参考資料
2019年3月15日金曜日
人間社会科学の成立条件(8)
近代科学思想の大衆化 啓蒙主義
「ポスト科学主義的人間社会科学の成立条件とは何か」文書群の編集企画と目次
何故、ポスト科学主義的人間社会科学の成立条件について書くのか
ポスト科学主義的人間社会科学の成立条件とは何か
‐高度科学技術文明社会の問題解決学の形成に向けて‐
人間社会科学の成立条件(7)
中世的世界観・偏見や先入観への「懐疑」
自然神学、自然哲学からニュートン力学へ
2019年3月14日木曜日
私という現象 (詩)
(一)
私という現象は、
止めどもなく沸き上がる疑問の風に吹かれ、
止むことなく続く疑問の森を彷徨う
明日という未来はどこに存在するのか
昨日という過去はどこに存在したのか
私は
刻々と進む時間の中を
ただ焦りながら思索の欠片を掴もうとする。
(二)
私という現象は
視覚としての光の風景
心象としての形の風景
時間と共に過ぎ風景の中で
私のいない世界へと流れ
無限に広がる
私は
広がる世界の中で
無限に微分され
限りなく微小化される
(三)
私とうい現象は
心象の亀裂から湧き上がる違和感
心象の流れの中の微細結晶
不快の中で湧き出す新たなことば
苦痛の中で鳴り響く心象交響曲
私は
沸き起こる記憶や言葉
新たに沸き起こる時間は欺瞞の感動を消し去り
飛び込む光の現実に私を戻す
(四)
私という現象は
遠のく感銘の記憶
近づく幻想のカタルシス
光は
冷たく青く
疑問の森を
進むしかない
形は
明るく白く
遠のく記憶の中に
微小化した私を
探すしかない
もう春は終わったのだ
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淡路島で研究会が行われるので、車に乗って、名神高速道路の豊中を過ぎたくらい、宝塚の山が春の日差しを受けて見えた時、ふと沸いたことば。運転中なので、書きとどめることは出来なかった。しかし、それらのことばたちは強烈に私を占拠し続けた。私は、目的地に着き、車を止めて、それの言い分をスケッチした。
青春時代の苦悩の後に沸き起こる解放感、一種のカタルシスだろうか。こうしたカタルシスの瞬間に、私は永遠がそこにあるという幻想を快感を味っていた。それは、ある意味で、迷路の中で、厳しい現実の壁を直視することから救ってくれた自我を保存するための精神作用なのかもしれないと思うこともあった。
この麻薬のような作用を私はどこかで恐れている。それは本来の世界から私をカタルシスの花壇の中にいると錯覚させてにすぎないと、思うからだった。答えのない思索にはこうした錯覚が時として訪れる。それは、考えることを中断させるための精神作業のようだ。つまり、カタルシスは逃避行為なのかもしれない。その意味で、哲学にとっては毒にすぎない。勿論、宗教的な世界では、それは神の声と解釈されるかもしれない。
ともあれ、この詩をスケッチし、その後の詩を読みなおすと、私の詩の課題は、全く同じだと気づく。春の光に照らされて活き活きと若葉をもやす生命たちの放すことばをスケッチすることもなく、それほど自分に拘るのは何故なのだろうか。
2020年11月27日
「多様な近代化過程、その資本主義・近代国家の様相とその構造」文書群の構成企画
「多様な近代化過程、その資本主義・近代国家の様相とその構造」の目次
-非西洋型資本主義・民主主義社会形成過程の理論のために-
近代化過程から世界を観ることによって、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ等の非欧米諸国の国家の多様な形態が理解できる。この作業は国家を政治的イデオロギーで分類し、国際的な対立を煽ることを止めさせ、政治、経済、文化の多様性を相互に認める外交の視点を与え、世界の多様な国々が共存できる相互間の要素を見出すために行った。そして、この課題は、ポスト近代化過程、つまり、高度科学技術文明社会になっている欧米や日本が成熟した資本主義経済、民主主義政治、人権文化をさらに発展させるための課題について述べる。
これらの文書群を整理するために、文書構成を試みてみた。
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『多様な近代化過程、その資本主義・近代国家の様相とその構造 』
-非西洋型資本主義・民主主義社会形成過程の理論のために-
1、多様な近代過程の国家群の様相
1-1、アジア型近代国家の理解とは
1-1-1、多様な資本主義国家の形態 -アジア型資本主義経済の理解-
1-1-2、多様な近代国家の形態の理解の意味
1-1-3、装置としての多様な近代化過程の国家論、理論の意味と目的
1-2、日本の歴史的事象の理解から
1-2-1.日本の古代、中世、近世の歴史
1-2-2.明治維新と呼ばれる特殊な革命
1-2-3.近代国家形成のための国家指導型資本主義経済政策
1-2-4.後発資本主義国家として国家指導型資本主義経済政策の必然性
1-2-5.多様な近代化過程、ポスト近代化過程の中での世界の理解
1-3、多様な国家の近代化過程の様相
1-3-1.21世紀の多様な国家形態を理解するための視点
1-3-2、4つの異なる近代化過程の国家形態モデル
(前近代国家、初期近代型国家、成熟型近代国家、ポスト近代国家)
1-3-3、個々の国家の現状とその近代化過程によって生まれている多様な国家の形態
2、四つの主要な近代化過程要素(経済、政治、教育、文化)
2-1、多様な経済近代化過程
2-1-1.三つの工業社会化過程からの分類
2-1-2.多様な経済制度の近代化過程の分類
資本主義経済過程(自由主義経済)
社会主義経済過程(平等主義経済)
2-1-3、経済のポスト近代化過程の様相
国際経済成長型(市場原理主義・新自由主義経済)
生活経済成熟型(自由・平等、人権志向型経済)
2-2.多様な政治体制の近代化過程 民主主義
2-2-1、四つの形態(前近代型、初期近代型。成熟期近代型、ポスト近代型)
2-2-2、前近代型国家の政治体制
2-2-3、初期近代型国家の政治体制(独裁型、官僚主導型、国家管理型)
2-2-4、近代成熟型国家の政治体制(国民主権型、議会民主主義型)
2-2-5、ポスト近代型国家の政治体制(国民主権型、市民参画型民主主義)
2-3、多様な国民教育、科学技術政策の近代化過程
2-3-1、国民国家形成の基本政策としての国民教育政策
2-3-2、教育近代化国家の分類
2-3-3、ポスト近代化国家、高度科学技術社会
2-4.多様な文化の近代化過程 人権主義文化
2-4-1、文化の近代化、三つの人権課題の概念
2-4-2、一次人権課題、
2-4-3、二次人権課題、
2-4-4、三次人権課題、
3、ポスト近代化過程 高度民主主義国家の形成課題
3-1、ホスト国家指導型政治体制を目指す課題・わが国の課題
3-1-1.終焉する官僚指導型国家・現代日本の政治現象
3-1-2.ホスト官僚指導型政策決定国家を目指す課題
3-1-3.問われる行政・立法機能の改革と無力な利益集団・政党と官僚
3-1-4、現在問われている社会改革の課題
3-2、持続可能型の市民参画型社会形成のため
3-2-1.持続不可能な世界としての21世紀の未来
3-2-2.持続可能な社会を構成している要素
3-2-3、国民の社会改革への参画こそ民主主義文化展開の唯一の方法である