2019年3月22日金曜日

詩を書く私 (詩)

詩にとって真実とは何か


三石博行

書くことは書かざる得ない主体から
あふれた行為にすぎない
つまり、書く行為主体の私は
書かれた世界からどこかに消え
化石化した文字となる

だから、それのみが私の現実なのだ

詩に対象化された私
文字の化石になった私
言語化され非現実化した私
それらは生きた世界の微分面
それらは絵画化された行為主体
今や存在しない現実との接点なのだ

つまり、それのみが私の現実なのだ

今、ここに確かに生きる私には
詩は化石化した私ではないか
だから、通時的主体からみれば
詩は固定化し共時化した言語化した私ではないか

しかし、それのみが私の存在の現実なのだ

詩を書く私は
通時的存在の私を詩の中で確認し
共時化された私を詩の中で認知する
それらが私という世界となり
それらば私という現実となる
だから、詩を書く行為は私の存在の証なのだ

つまり、それのみが私の現実なのだ

詩を書く私は
現実とよばれる生きる瞬間の中にあり
主体とよばれる生命の中にあり
詩になった世界は
仮説化された実在と呼ばれる幻想であり
世界に生かされる私のちっぽけな解釈にすぎない

とはいえ、それのみが私の現実なのだ

詩を書く私は
書きようもない現実の微分形
書きたくない事実から逃げた単純な一次関数
書かねばならない主体は
泥にまみれ、善悪もなく、正や不正もなく
ただ心拍音が鳴り響く身体なのだ

それのみが私の現実なのだ

だから、雄弁に語る私は
感傷や、愛や、正義や、美という薄ぺらいもになり
書かれない私が化石化したことばを嫌悪し
欺瞞にみちたことばを破壊するのだ

君はドロドロとした血流の流れのように
君は憎しみを抱くテロリストのように
隠した欲動を書く力があるか
もし、その勇気がなければ詩を書くな
心地よいことばの羅列遊びをつづければよい

だから、詩人はうそつきなのだ
詩的カタルシスという詐欺師の巧みなことばに騙されるな

だから、書くべき詩は
詩にならない詩で終わるのだ


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私にとって詩とは何か。そんな疑問が常に湧いてくる。何故なら、私は別に詩を書きたいから書いているのではない。ただ、ことばがそうなってしまい。それらのことばは、論文でも、評論でも、エッセイでもなく、結果として「詩」にされてしまう。それで、詩にされたことばたちが、何を思っているか、考える。そうではなかったと言っているようにも思える。


2022年9月2日修正


三石博行 詩集 『心象色彩の館』

2019年3月20日水曜日

公益資本主義研究会

2019年ワールド・アライアンス・フォーラム in あわじ

公益資本主義2050年の国家目標 -天寿を全うする直前まで健康でいられる社会の実現


昨日 2019年3月19日、淡路夢舞台国際会議場で開催された「2019年ワールド・アライアンス・フォーラム in あわじ」に参加した。今回のテーマは「公益資本主義2050年の国家目標 -天寿を全うする直前まで健康でいられる社会の実現」であった。

公益資本主義の考え方は原丈人氏が長年提案してきたもので、すべての人々の企業活動を経済社会の土台とする考え方(理念)である。株主重視型、短期的利益中心型、金融中心型等々の現在の資本主義経済の在り方を点検し、経営者や顧客や取引企業を重視するだけでなく、職場で働く人、地域社会の利益を考えた企業文化を創り、持続可能な経済(エコシステム)を確立する考え方である。そのために、企業や社会は制度と技術のイノベーションを続けることを主張している。エコシステム、技術革新(イノベーション)、制度改革(イノベーション)の三つの具体的な行動が公益資本主義社会を形成するための課題であると述べている。

私が参加している政治社会学会では荒木義修博士が中心となって「公益資本主義部会」を一昨年来かた立ち上げた。今まで、この部会と公益資本主義研究会でとの共同研究会が行われた。今年、ソウル国立大学名誉教授、韓国学術会議、人文科学部門委員長を務めるHyun-Chin LIm 氏と公益資本主義研究会の丹治幹雄氏(アライアンス・フォーラム財団理事)しの講演会を開催した。また、東アジア社会学会の「アジア資本主義」に関連する分科会にも、政治社会学会と公益資本主義研究会のメンバーが発表を行った。

公益資本主義の理念は壮大である。生態系を含む地域社会文化への配慮、働く人々の労働と生活環境改善、地域市民社会への貢献、企業が未来社会構築のプランに積極的に参画する(制度イノベーション)を企業文化として形成し、その企業文化によって社会全体の経済活動を展開すること(公益資本主義)を目指す、構築することが公益資本主義研究会の課題となっている。

政治社会学会は公共経済学、社会福祉政策研究、参画型市民社会政策、地域社会活性化のための行政学研究、分散型再生可能エネルギー社会に関する研究、食・農業文化研究等々、これまで多くの「社会公益制度に関する研究」に従事してきた学会員の研究発表を行って来た。公益資本主義研究会の課題はその意味で政治社会学会のこれまでの活動に即しているのである。

実践的に企業文化や行政システムの変革を課題にしながら研究会を展開する公益資本主義研究会の活動は多くの成果(データ)を導ている。具体的な実践こそ社会変革の力である。これらの貴重なデータは人間社会科学の研究に役立つ。そこで問われた課題は、研究の貴重な問題提起となる。公益資本主義社会の形成という理念を研究者が共有し、企業や自治体、社会で経営改革、行政改革、社会変革を推進する人々と共に「何のために」と言う問題意識と「どのようにすれば最も有効な手段(技術や制度)を形成できるのか」という課題意識を共有化して、初めて未来社会へ投企する学会活動や研究活動が可能になると思う。

この活動はまた新しい社会文化・社会活動、経営活動、生活活動のスタイルを目指している。多様な社会活動のアクターたちが「理念」を共有し、そのためにそれらのアクターの持つ専門性を活かし、それらの知識や技術の共有化を目指す対話(コミュニケーション)を繰り返し、問題解決に挑む。これらの社会行為の蓄積こそ、そしてそれらの経験こそ、新しい社会の在り方、生活の在り方を形成する土壌(文化環境)を生み出すのだと思われる。

この未来への一歩に私は期待したい。


参考資料


2019 ワールド・アライアンス・フォーラムフォーラム in あわじ

公益資本主義研究会

「アジア資本主義と公益資本主義」研究会(CAPIC

国際シンポジウム「アジア資本主義と公益資本主義」


2019年3月15日金曜日

人間社会科学の成立条件(8)


近代科学思想の大衆化 啓蒙主義


力学は物理神学の伝統、神が支配した宇宙の原理の追求から、新しい階級、市民層の社会経済政治的力の道具(方法)となった。自然科学を代表する物理学や化学は産業革命、資本主義経済の発展に力となり、自然科学的知が最も有効な知であること、その知の在り方(科学的方法)に即して世界や社会を理解することが最も有効であることが社会的理念として確立し始めた。この理念を求める運動、近代科学思想の普及運動が啓蒙主義、つまり近代科学の大衆化運動であった。

17世紀後半から18世紀に掛けて、ヨーロッパ啓蒙運動は近代科学の正しさを認め、真理探究の方法として採用することを主張した。啓蒙主義は、中世以来支配して来た宗教的世界観による理性に対して、近代合理主義思想や経験哲学にって成立する思考を新たな理性とした。そして、その理性による個人や社会の在り方を主張した。例えば、啓蒙主義は聖書の「ノアの方舟物語」にある「大洪水」を自然科学的現象として解釈説明した。またキリスト教神話的世界やその宇宙観を自然科学的な物理主義的世界観(無神論的世界観)に変えた。

啓蒙主義は、自然科学的方法を真理探究の唯一の方法である考えた。その方法に基づき正しい判断や認識が可能になると考えた。世界の正しく理解や判断を追求する姿勢を新しい道徳哲学の基本に置き、その哲学によって新しい理性、合理的精神が形成されると考えた。近代的人間の根差す道徳哲学や倫理学が啓蒙主義の課題となった。そして、啓蒙主義が主張する理性によって、新しい政治・社会思想、社会契約説が生まれ、自然法的な理性によって、人間の社会的平等や自由の普遍性が根拠づけられた。

社会契約説の政治思想の土台となる自然状態的政治理論説を説いたトマス・ホッブズ(1588-1679、イギリス)やイギリス経験論を確立したジョン・ロック(1632 - 1704、)は社会契約論に基づく立法権と行政権の分離、政教分離を説いた。ロックの影響を受けたデイヴィッド・ヒューム(1711- 1776、スコットランド)は、イギリス経験論哲学を完成させ、アダム・スミス(1723-1790)らの古典派経済学の形成にも影響を与えたと言われている。

ロックのイギリス啓蒙思想はフランス啓蒙思想へ受け継がれる。百科全書派はフランスを代表する啓蒙思想運動である。この運動で、徹底した唯物論を展開したドゥニ・ディドロ(1713 - 1784)や『動力学概論』で解析力学の基本概念を展開したジャン・ル・ロン・ダランベール(1717 - 1783)、ヴォルテールや社会契約論を展開した『人間不平等起源論』の著者ジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)などが生まれた。フランス啓蒙主義運動は18世紀中頃の進歩的知識人によって展開された。

啓蒙思想は、科学革命や産業革命によって生まれた振興市民層の政治的運動を支え、イギリスの市民革命やフランス革命に影響を与え、共和主義国家建設や社会近代化の思想的基盤となり、民主主義国家の政治理念(自由、平等、人権)を形成した。この啓蒙主義運動によって形成された市民社会、資本主義経済、民主主義制度は形成された。

啓蒙運動は社会文化の近代化を推し進めた。近代科学が大衆化することにより、その技術的応用・工学が発展した。技術革新により、近代産業が形成展開した。産業構造は農業から工業へと変化し、それを土台とする資本主義が発達した。その発達は新しい市民層・産業資本家を生み、それらの新たな市民層によって科学合理主義、自由競争主義、資本主義、民主主義が生まれた。

ニュートン力学で完成した近代科学、その科学的方法論である帰納法や経験主義はその後、啓蒙主義運動を経ながら、現代科学の基礎、実験科学や実証科学を確立し、また、演繹法や数学、論理学は法則科学や理論科学を確立して行った。啓蒙主義運動は、近代科学思想を現代科学思想に変換した運動でもあった。

17世紀の近代合理主義が課題にした自然神学的な神の存在証明としての法則科学・近代科学」から、18世紀の啓蒙主義運動によっておこる近代科学の大衆化が起こった。大衆化された科学の課題は、産業、社会制度、経済活動、政治に必要な合理的、現実的な技術や方法の探求となった。啓蒙主義運動によって、自然神学的精神や中世的世界の観念形態を色濃く残す近代合理主義思想は、産業革命に必要な技術、資本主義経済やその経済を生み出す市民層のための社会思想やそれらの制度設計のために必要とされる科学的合理主義思想へと変換されることになる。

科学的合理主義によってキリスト教の宗教的世界観が駆逐されながら、無神論的世界観が形成される。科学的方法論を支えた合理主義、経験主義、実証主義は、さらに科学の大衆化を進め、すべての世界が科学的は方法で正しく解明され、より効率用運営されると解釈されるようになる。科学的方法は自然のみでなく、経済、社会、政治、精神の全てに渉る課題を解明する方法として成立することになる。啓蒙主義運動による近代科学の大衆化は科学の大衆化として、今日の文明(科学技術社会を構築してきた文明)の社会や文化の観念形態(イデオロギー)の基本構造やその機能を構築している。

言い換えると、啓蒙主義運動によって変換された科学的合理主義、科学的世界観、科学方法論や科学的行為は科学技術文明社会の形成のための土台を形成した。科学技術は現実的で合理的な行為の判断基準を与え、世界を正しく認識させ、それをよりよく変革し、そこからより多くの富を生産し、そして国家を強くする道具となると信じられた。産業革命、資本主義経済等の成功や歴史的評価によって、この確信は、科学技術文明社会を支える社会理念や常識として定着している。

啓蒙主義運動によって生まれた科学的合理主義は、ニュートン力学に代表される自然科学を普遍的な真理探究の方法とし、他の世界の理解に向かう。生物学、地理学、経済学、社会学、法学、政治学等々の新しい近代科学が生まれる。それらの科学は、科学合理主義に支えられた新しい科学思想、物理主義(計量科学)や科学主義(法則科学)の影響を受けることになる。現代科学は、この新らし科学思想の上に発展していくことになる。



修正2019.03.21


「ポスト科学主義的人間社会科学の成立条件とは何か」文書群の編集企画と目次


何故、ポスト科学主義的人間社会科学の成立条件について書くのか


高度科学技術文明社会の問題解に対して有効な知、人間社会科学を形成するために問われている課題を分析し、まとめる作業として、「人間社会科学の成立条件」に関する文書活動を行っている。この中で、私は、この課題の目的を明確にしながら、この課題に対して、私の理論や知的力量を試している。これは一つの実験作業でもある。
そして、この作業の目的が現在、もしくはこれからの社会の課題解決である以上、私の作業を社会に公開しながら進めている。問題は、私の考えが何かでなく、何が現実の問題を解決する有効な知であり方法であるかと言うことになる。もし、この作業を共有できるなら、それは最も理想的である。ましては、私の考えをどこかで利用してくれるなら、それは望むことである。つまり、この文章には著作権はない。
私は、現在、幾つかの学術団体や研究会、そしてNPOや社会活動に参加している。それは、私にとって大切であり、それらの活動の中で、友人たちと問題を共有できることを望んでいる。学術団体での記述方法は「論文」と呼ばれる形式を取らなければならない。つまり、論述する内容が正確でなければならない。その根拠を明確に示さなければならない。これは「物書き」にとっては非常に大切な姿勢である。その姿勢が無ければ書かれた文章の意味は初めから存在しない。
と同時に、私の著作活動の産物を学術論文化したくはない。何故なら、その活動の目的は論文発表にあるのでなく、出来るだけ多くの人々との問題の共有にあると考えるからである。

以下、これからの課題展開とその企画(目次)を書く
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ポスト科学主義的人間社会科学の成立条件とは何か

‐高度科学技術文明社会の問題解決学の形成に向けて‐


序文



1、近代・現代人間社会科学の成立過程とその背景

1-3科学主義の形成と科学技術文明社会


2、反科学と反科学主義の思想の歴史的背景

2-2工業社会批判としての「反科学主義」思想


321世紀科学技術文明社会の人間社会科学の課題

3-1、物理主義・法則科学への批判、プログラム科学論の課題
3-2、プログラム科学論点検、批判の課題(例、設計科学としての生活学の構図)


4、政策学(問題解決学)の科学哲学



人間社会科学の成立条件(7)

近代科学の形成 

中世的世界観・偏見や先入観への「懐疑」


近代科学は、一切の偏見や先入観を排斥し、明晰判明な思考を獲得するために「疑う」という精神を前提にして成立している。この精神は、ペストへの集団的ヒステリーとも言える西洋社会で起こった「魔女狩り裁判」への思想的批判に基づいている。魔女狩り裁判と称する殺戮は、中世的世界観によって引き起こされた悲惨な事件であった。中世的世界観を点検するためにミシェル・ド・モンテーニュ(1533-1592、フランス)は懐疑論を展開した。

イギリスのフランシス・ベーコン(15611626)はイドラ(偏見や先入観)を列挙した。一つ目は、「種族のイドラ」と呼ばれるもので、人が生まれながらにして持ち込んでいる観念形態(社会文化的偏見)、例えば民族や種族、社会文化や風土に付随している風習、習慣、常識等である。二つ目は「洞窟のイドラ」と呼ばれるので、個人的な経験によって身につけている私たちの先入観である。三つ目は、「市場のイドラ」と呼ばれるもので、人々が社会的生活をおくる中で受け入れている常識(社会的偏見・共同主観)である。それによって悲惨な事件、例えば1923年関東大震災時に起こった在日朝鮮・中国人の虐殺事件、1994年アフリカのウワンダでフツ族過激派によるツチ族の虐殺事件を起こすこともある。四つ目は「劇場のイドラ」と呼ばれるもので、人々は自分の考えを他者や正論と称される考え方を信じることで受け入れている誤った考えである。

ベーコンは四つのイドラを示すことで、中世社会の観念形態(常識、信条、理論)を疑うことを提案し近代科学の方法・「帰納法」や経験哲学を提唱した。かれは、個々の実験や観察結果を整理し集計しながら規則性(法則性)を見出す帰納法の考え方、実験科学によって成立する帰納的方法と、それによって成立した理論を実際に実現する「知は力なり」と言う実践的証明・実証性を持つ近代科学の精神を確立した。

他方、フランスのルネ・デカルト(15961650)は、モンテニューの懐疑論を「方法的懐疑」と呼ばれる近代合理主義を形成する方法論として提唱した。デカルトはガリレオの地動説を擁護したために、フランスを追われ、先進国オランダで、1637年、「理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法」『方法序説』の中で、「方法的懐疑」について書くのでる。彼は、方法序説第2部で、「探求した方法の主たる規則の発見」ために必要な四つの規則を述べた。その一番目の規則が物事を徹底的に疑う「明証性の規則」である。

デカルトの「探求した方法の主たる規則の発見」を行うための四つの規則とは、一つは物事を徹底的に疑い「明証性の規則」、二つ目は物事を構成している要素を分析的に分ける「分析の規則」、三つ目は、最も細かく分析された単純な要素によってより複雑な世界を構成する「総合の規則」、そして最後の四つ目は、分析された要素によって総合された結論を検証・再検討する「列挙の規則」である。

デカルトは方法序説の第4部で、感覚・論証・精神に入りこんでるすべてを虚偽と考えて、それに対してそれ以上疑問を続けることができないまで、徹底的に(方法的に)疑うこと必要性を述べている。この方法的懐疑によって、はじめて、「疑い続けている私を、私は疑うことは出来ない」という論理、つまり「我思う、ゆえに我あり」の命題に辿り着く。これを第一命題として、明晰判明な論理が演繹的に構成される。明晰判明な概念として確立されている公理や定義を基にして複雑な世界を証明する数学の方法が演繹的な近代科学の代表となる。

デカルトの演繹法(近代合理主義)やベーコンの帰納法(経験哲学)は、共に、真理を発見するための方法(考え方・哲学)として近代科学を構成する方法論の基本となる。それらの方法の成立は「疑う」行為が前提となっている。実験という科学的方法により疑う行為が帰納的に展開される。数学的、論理的な証明作業によって疑う行為が演繹的に確認される。その後、近代科学は、疑い、実験し、検証し、実証する精神によって成立し発展することになる。


自然神学、自然哲学からニュートン力学へ


ガリレオ・ガリレイ(1564-1642、イタリア)は「宇宙は数学という言語で書かれている」と信じていた。彼は物体の落下実験結果を集計し、帰納的方法を用いて数式化した。数学的に表現された落下運動(数式)に即して、全ての落下運動も演繹的に予測計算される。ガリレオが立てた落下運動則の実証が行われる。つまり、落下運動は、地理的、時間的に異なる場所に関係なく、同じ測定結果を示し、落下運動の法則、落下運動に関する数式の正しさが証明されなければならない。こうして、落下運動の統一した実験方法や測定方法、実験結果集計方法が確立し、落下運動の法則が証明(実証)される。この実験や観測方法、データ集計方法、数式による説明方法の確立によって、近代科学として自然学が成立した。ガリレオによって近代科学の基本的な方法論が成立した。

アイザック・ニュートン(1642-1727、イギリス)は、1617世紀の天文学や物理学(自然哲学)の業績、例えばガリレオの落体運動の法則やヨハネス・ケプラー(1571-1630、ドイツ)の惑星周回運動の法則を、統一的、体系的な力学の運動法則として説明した。著書『自然哲学の数学的諸原理』(プリンキピア)の中で、ニュートンは、絶対的な時間と空間を前提にし、慣性の法則(第一法則)、物体の加速度を力と質量の関係で示した運動法則(第二法則)、作用・反作用の法則(第三法則)と万有引力の法則(ケプラーの法則)等、広範な力学的現象を数学的、演繹的、統一的(体系的)に示した。

ニュートンによって、中世の自然神学的世界観に代わる、宇宙(神)の証明を近代科学の方法、演繹と帰納法、経験(実験)や実証(数式による証明)によって、解明する手段を与えた。そして、その手段(ニュートン力学)によって宇宙の運動(自然の現象)を統一的、体系的に説明した。このニュートン力学の歴史的業績によって、これまでのキリスト教的世界観を新たな科学的世界観へと転回していった。キリスト神学的(神の法則による)自然学が物理的運動法則による近代科学としてのニュートン力学へと変換された。

ニュートン力学は新たな世界解釈の方法の確立(科学革命)をもたらした。ニュートン力学の成立によって、近代社会の考え方、観念形態が形成し始める。帰納法や経験哲学は実験科学、経験主義として近代科学の方法や思想の基本を形成した。観測結果の数式による表現は、その数式化された法則を基にして自然現象を予測計量する演繹的方法、計算科学、論理実証主義へと発展していくのである。

世界を統一的に、力学的に説明する科学思想は、中世の自然神学を終焉させた。それだけではない。近代から現代への時代精神の構築に寄与した。すべての物理的世界は、ニュートン力学の法則を基に展開される。他の物理現象、振動、熱、電気、電磁気、光、化学反応、無機、有機、生物物性が、力学的に解釈され、新たな力学的法則が発見され、新たな物理学が生まれる。そして、自然は物理的現象として解明できるという思想、物理主義が生まれることになる。


参考

三石博行 「中世的世界観の終焉 デカルトの方法的懐疑とその役割」

三石博行「中世社会の人々の意識 感覚中心主義と魔女の存在」

三石博行「中世社会の世界観の崩壊 ケプラーの地動説の影響」

三石博行「魔女狩り裁判を引き起こす世界観」

三石博行「人間的な感性、思い込みから生まれた歴史の悲劇とその精神構造」

三石博行「魔女狩りは中世社会だけでない現代社会でもある」



修正作業190318



2019年3月14日木曜日

私という現象 (詩)

()

 

私という現象は、

止めどもなく沸き上がる疑問の風に吹かれ、

止むことなく続く疑問の森を彷徨う

 

明日という未来はどこに存在するのか

昨日という過去はどこに存在したのか

 

私は

刻々と進む時間の中を

ただ焦りながら思索の欠片を掴もうとする。

 


()


私という現象は

視覚としての光の風景

心象としての形の風景

 

時間と共に過ぎ風景の中で

私のいない世界へと流れ

無限に広がる

 

私は

広がる世界の中で

無限に微分され

限りなく微小化される

 

 

()

 

私とうい現象は

心象の亀裂から湧き上がる違和感

心象の流れの中の微細結晶

 

不快の中で湧き出す新たなことば

苦痛の中で鳴り響く心象交響曲

 

私は

沸き起こる記憶や言葉

新たに沸き起こる時間は欺瞞の感動を消し去り

飛び込む光の現実に私を戻す

 

 

()

 

私という現象は

遠のく感銘の記憶

近づく幻想のカタルシス

 

光は

冷たく青く

疑問の森を

進むしかない

 

形は

明るく白く

遠のく記憶の中に

微小化した私を

探すしかない

 

 

もう春は終わったのだ

 


2019年3月14日作

2019321日修正
2020年11月27日再修正

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淡路島で研究会が行われるので、車に乗って、名神高速道路の豊中を過ぎたくらい、宝塚の山が春の日差しを受けて見えた時、ふと沸いたことば。運転中なので、書きとどめることは出来なかった。しかし、それらのことばたちは強烈に私を占拠し続けた。私は、目的地に着き、車を止めて、それの言い分をスケッチした。

 

青春時代の苦悩の後に沸き起こる解放感、一種のカタルシスだろうか。こうしたカタルシスの瞬間に、私は永遠がそこにあるという幻想を快感を味っていた。それは、ある意味で、迷路の中で、厳しい現実の壁を直視することから救ってくれた自我を保存するための精神作用なのかもしれないと思うこともあった。

 

この麻薬のような作用を私はどこかで恐れている。それは本来の世界から私をカタルシスの花壇の中にいると錯覚させてにすぎないと、思うからだった。答えのない思索にはこうした錯覚が時として訪れる。それは、考えることを中断させるための精神作業のようだ。つまり、カタルシスは逃避行為なのかもしれない。その意味で、哲学にとっては毒にすぎない。勿論、宗教的な世界では、それは神の声と解釈されるかもしれない。

 

ともあれ、この詩をスケッチし、その後の詩を読みなおすと、私の詩の課題は、全く同じだと気づく。春の光に照らされて活き活きと若葉をもやす生命たちの放すことばをスケッチすることもなく、それほど自分に拘るのは何故なのだろうか。

 

2020年1127



2019321日修正

「多様な近代化過程、その資本主義・近代国家の様相とその構造」文書群の構成企画

「多様な近代化過程、その資本主義・近代国家の様相とその構造」の目次



-非西洋型資本主義・民主主義社会形成過程の理論のために- 



近代化過程から世界を観ることによって、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ等の非欧米諸国の国家の多様な形態が理解できる。この作業は国家を政治的イデオロギーで分類し、国際的な対立を煽ることを止めさせ、政治、経済、文化の多様性を相互に認める外交の視点を与え、世界の多様な国々が共存できる相互間の要素を見出すために行った。そして、この課題は、ポスト近代化過程、つまり、高度科学技術文明社会になっている欧米や日本が成熟した資本主義経済、民主主義政治、人権文化をさらに発展させるための課題について述べる。


これらの文書群を整理するために、文書構成を試みてみた。


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『多様な近代化過程、その資本主義・近代国家の様相とその構造 』


-非西洋型資本主義・民主主義社会形成過程の理論のために-

1、多様な近代過程の国家群の様相

1-1、アジア型近代国家の理解とは
1-1-1、多様な資本主義国家の形態 -アジア型資本主義経済の理解-
1-1-2、多様な近代国家の形態の理解の意味
1-1-3、装置としての多様な近代化過程の国家論、理論の意味と目的

1-2、日本の歴史的事象の理解から
1-2-1.日本の古代、中世、近世の歴史
1-2-2.明治維新と呼ばれる特殊な革命
1-2-3.近代国家形成のための国家指導型資本主義経済政策
1-2-4.後発資本主義国家として国家指導型資本主義経済政策の必然性
1-2-5.多様な近代化過程、ポスト近代化過程の中での世界の理解

1-3、多様な国家の近代化過程の様相
1-3-1.21世紀の多様な国家形態を理解するための視点
1-3-2、4つの異なる近代化過程の国家形態モデル
(前近代国家、初期近代型国家、成熟型近代国家、ポスト近代国家)
1-3-3、個々の国家の現状とその近代化過程によって生まれている多様な国家の形態


2、四つの主要な近代化過程要素(経済、政治、教育、文化)

2-1、多様な経済近代化過程
2-1-1.三つの工業社会化過程からの分類
2-1-2.多様な経済制度の近代化過程の分類
   資本主義経済過程(自由主義経済)
   社会主義経済過程(平等主義経済)
2-1-3、経済のポスト近代化過程の様相
   国際経済成長型(市場原理主義・新自由主義経済)
   生活経済成熟型(自由・平等、人権志向型経済)

2-2.多様な政治体制の近代化過程 民主主義
2-2-1、四つの形態(前近代型、初期近代型。成熟期近代型、ポスト近代型)
2-2-2、前近代型国家の政治体制
2-2-3、初期近代型国家の政治体制(独裁型、官僚主導型、国家管理型)
2-2-4、近代成熟型国家の政治体制(国民主権型、議会民主主義型)
2-2-5、ポスト近代型国家の政治体制(国民主権型、市民参画型民主主義)

2-3、多様な国民教育、科学技術政策の近代化過程
2-3-1、国民国家形成の基本政策としての国民教育政策
2-3-2、教育近代化国家の分類
2-3-3、ポスト近代化国家、高度科学技術社会

2-4.多様な文化の近代化過程 人権主義文化
2-4-1、文化の近代化、三つの人権課題の概念
2-4-2、一次人権課題、
2-4-3、二次人権課題、
2-4-4、三次人権課題、


3、ポスト近代化過程 高度民主主義国家の形成課題

3-1、ホスト国家指導型政治体制を目指す課題・わが国の課題
3-1-1.終焉する官僚指導型国家・現代日本の政治現象
3-1-2.ホスト官僚指導型政策決定国家を目指す課題
3-1-3.問われる行政・立法機能の改革と無力な利益集団・政党と官僚
3-1-4、現在問われている社会改革の課題

3-2、持続可能型の市民参画型社会形成のため
3-2-1.持続不可能な世界としての21世紀の未来
3-2-2.持続可能な社会を構成している要素
3-2-3、国民の社会改革への参画こそ民主主義文化展開の唯一の方法である

2019年3月13日水曜日

人間社会科学の成立条件(6)


反科学と反科学主義の思想の歴史的背景(2)


反近代合理主義思想としての「反科学」思想 


「反科学」とは近代合理主義、近代科学への批判や拒絶である。アジアの国々(特に古代インドや古代中国文明の伝統文化を継承している国々)では、近代化とは伝統文化の破壊を意味する。富国強兵政策の名の下で進む国家が指導型の近代化政策は列強の植民地侵略に怯えるアジアの国、江戸末期や明治初期の日本で行われた。鹿鳴館のように西洋の物まねから欧米の先進的な知識(科学)や技術の導入により伝統な知識文化が破棄して行く。この変革なしに列強の軍事的圧力に対して鎖国を続けることは不可のであった。

日本社会文化の構造、観念形態が西洋文化のそれと根本的に異なるため、日本社会が近代化を受け入れることは、その受け入れを拒否する古い社会制度、風習、伝統文化を同時に破壊することを意味する。そうでなければ列強国の植民地になるという現実に、日本民族は立ち向かった。強制的な国家指導型の近代化政策が取られ、しかも、その受け入れ体制のトップに日本を古代から統治してきた天皇を国家元首として置き、天皇制度の下に、近代日本国家を作った。

言い換えると、反西洋的観念形態・日本民族神話の頂点に立つ天皇制度を利用して、国家の近代化・富国強兵、工業化政策を進めた。国力増強のために、全国民の教育水準を上げる義務教育制度、軍事力強化のための徴兵制度、有能な人材育成のための高等教育制度、優秀な国民の採用・社会的平等主義の普及、国家運営を全ての国民の人材と投入して行う官僚制度等々、すべての国の改革を国民全体の力を投入して進めた。国家指導型の近代国家建設、資本主義経済強化を行った。日本は上からの近代化によって資本主義が発達し、近代国家として成長した。

国家指導型の近代化は国民教育制度、全国鉄道建設や地域産業振興によって近代化の波は地方社会にも浸透し続けた。しかし、封建的な地主制度が残存した農業生産の場、地方の農村社会では古い村の制度や風習、文化風土は残っていた。言い換えると、農村社会文化によって古い日本的観念形態・文化が再生産され続けられた。近代化された都会には、常に、日本の古い観念形態・伝統文化を守る人々(田舎者)が移住し、彼らはそこで近代化され、都市文化はそこで日本的伝統文化へと押し戻されるのである。

反近代主義は日本人の深層心理を構築している伝統文化への回帰現象である。この反近代の感情は、開発や工業化による自然環境破壊、農業や漁業の生活手段や生活文化の破壊等、近代化政策によって貧困化する人々によって起こる。そして、同時に、それは近代主義を学んだ知識人たちにも支持される。かれらは科学を学ぶことによって近代化を受け入れた。そのため、その知識人たちの一部の人々は、彼らの近代化批判を反科学として表現することになる。

反科学思想とは、近代化を推し進めた西洋科学を全面的に否定し、日本伝統の考え方や生活スタイルを摸索する思想である。例えば、日本古来の伝統文化、漢方や鍼灸、ヨガや禅の健康法、自然農法等々、経済進歩主義を批判し、場合によっては資本主義的経済活動から離れ自給自足生活を試み、科学技術の恩恵の上に成立している都会的環境から疎遠な生活を試みる考え方である。

当然、近代科学を生み出したヨーロッパでも近代合理主義思想に反対する「反科学思想」があったと考えられる。1617世紀のヨーロッパ先進国であったイギリスやフランスも、中世キリスト教的文化を中心にした社会であった。新しく登場し、勢力を強める近代合理主義に対して、中世的生活文化、風習や文化風土に根付く観念形態がその変更を迫られ、伝統文化の危機に対して抵抗し、受け入れを拒否した。

その意味で、近代合理主義思想や近代科学に対する抵抗であった「反科学」は封建的な制度を持つ社会が近代化される時に必然的に起こす、謂わば「社会身体」の拒絶反応であるとも言えるだろう。

2019年3月14日 修正