時代や社会文化に規定された生活問題の解決行為としの社会活動
三石博行
庶民の非日常的社会行為と日常的社会行為
市民運動、その起源はおそらく人類が社会という制度を創った時から始まったのではないかと思われる。市民運動という呼び方は現代的な呼び方、つまり市民社会を前提にした大衆活動の呼び方である。市民社会が成立する以前は、階級制度の中で支配階級でなかった人々、つまり庶民の集団としての社会活動を現代風に言えば市民運動(庶民運動)と呼ぶことも可能かもしれない。
庶民の日常的な生活活動とは、まず生産活動である。例えば農林漁畜産業などの第一次産業や加工業、商業や場合によっては余暇娯楽産業等々の生産活動に従事していることである。さらに家事、育児、教育、地域社会(共同体)の維持、安全や危機管理活動(防災や防犯活動)、秩序維持(共同体の倫理や規範の維持)等々が考えられる。一つにまとめて言うと、社会共同体システムの維持活動である。
この庶民の日常生活を庶民運動(市民運動)とは直接に呼ぶことはない。では、庶民生活活動と庶民運動(社会運動)との差異はどこで生じているのだろうか。生活活動とは日常的な生活状態の維持、大きな要素としては共同体(種族)保存と個人(個体)保存の活動が挙げられる。生きるために必要な衣食住の環境を保全維持すること。さらに社会や個人がより豊かな生活環境(衣食住文化環境)を保全維持することなどが考えられるだろう。
生活活動はある一定の形態(習慣)を維持して営まれる。習慣に束縛された生活様式をここでは生活活動の惰性態と考える。それに対して、庶民運動はそれらの日常性のリズムから飛び出た生活活動となる。例えば祭りなどがそうである。祭りは日常的な生活リズムと異なる非日常的な生活様式を与える。例えば、現代社会を例に取ることは出来ないが、少なくとも古い社会では、子供や女性が夜に出歩くことや食事以外の時間に食べ物を口にすることは日常生活様式からはみ出た行為であっただろう。こうした日常生活の枠を超えて行為が認められる状態を例えば「祭り」と呼んでいた。
非日常性は日常性を前提にして成立している。言い換えると欲望を抑え続ける日常性が無い限り、欲望を解き放す非日常性の意味は失われる。祭り的な非日常性が日常化している現代社会では、古い時代の祭りは意味を持たなくなる。伝統的な祭りが衰退する原因は、現代社会ではその祭りが担った社会的機能の意味が失われてしまったからである。
庶民の日常生活に対して庶民の非日常的な活動は一つは祭りに代表される。社会の伝統や共同体の習慣として認可された非日常的行動、これらの行動の日程は予め日常生活の中にセットされている。しかし、庶民活動の中には、こうした体制化されていない非日常的な活動が存在していた。多くの場合、それらの活動は日常性(惰性態)と対峙した行為として位置付けられているように思える。古い社会であれば、反乱、一揆などがその典型的な例であったと思える。
祭りと一揆、この二つの非日常的行為は、一方が日常性の中でプログラム化されていた非日常性であり、もう一方が日常性を破壊(脱構築)し再建(再構築)するための行為であると言えるだろう。一揆に代表される行為を非日常的な庶民活動と考えれば、その活動は日常的に生じている生活環境の障害や問題を解決するために庶民が否応なく選択した社会的行為であると理解できる。
政治、経済、生活文化様式に規定される社会運動
過去も現在も庶民は日常的な手段によって解決できない生活問題に対してその解決を行うために活動する。それを総じて社会運動と呼ぶことが出来る。その意味で社会運動は過去の奴隷の反乱、農民の一揆、労働者達の抗議、市民活動に至るまで、人類の歴史の中に常に存在しつづけて生活者の生活環境(社会問題)に対する問題解決のための場合によっては緊急なまた温和な対応と呼ばれる多様な姿を持つと言える。
言い換えると、社会運動は時代や歴史、それらの生活文化環境によって特徴付けられ、過去から現代まで、生活活動の一つの存在形態(非日常的生活行為)として存在してきたし、存在し続けるものであると言える。そのことを、社会運動は歴史的・社会・文化的性格をもっていると北川隆吉氏は述べている。(TAITos04A pp17-18)
社会的な生活環境(社会)問題に対する解決を目的として人々が行動を起こすことを社会運動と呼んでいる。社会運動は「理念、思想体系、イデオロギーといったレベルの動因から」導かれるものではなく、庶民(大衆)の社会・生活問題の解決のために、庶民が中心となり活動する行為である。(TAITos04A p19)
つまり全ての歴史がそこに生きた人々によって創られているなら、社会運動はそれらの時代、社会や文化的特徴を反映したものとなる。社会運動の形態は社会の政治体制、生産、生活や文化様式に規定されると北川隆吉氏は述べている。
多様化する現代社会の社会運動の四つのパターン
時代や社会文化を背景にして成立する社会運動の歴史を振り返り、大ざっぱであるが言えることは、過去から現代にかけて、社会運動の多様性が増大しているという傾向である。生活経済や文化環境が時代と共に変化し、つまり古代から現代まで生活環境は豊かになり、それだけに個々人の生活様式の自由度は大きくなった。そして同時に、このことがより豊かな生活環境を求める動因となる。豊かな時代によって生活問題が解決したのではなく、別の種類の生活問題が発生し続けてきたのである。(YAGIma 01A)
極論すると、現代社会の生活問題は過去のどの時代にも存在しなかったものが含まれる。その生活問題こそ、時代と共に、また社会発展と共に多様化していく社会の在り方を物語る。そしてその問題解決のために常に時代と共に新しい社会運動が創り出されていくのである。
現在の日本社会の多様な社会運動を西城戸誠氏は大きく四つに分類した。一つは「抗議をする」社会運動でイラクやアフガニスタンなどの反戦平和運動や3.11東電福島第一原発事故以後特に広がりを見せている脱原発国民投票や原発再稼働を巡る住民投票の要求運動である。
二つ目は「議会に代表者をだす」社会運動である。ドイツの緑の党がその代表例であるが、日本でも福島の事故以来、みどりの未来が支援する地方議会の議員の選挙運動が取り組まれてきた。議会に代表をだす代理人運動として生活クラブ生協の運動や神奈川県逗子市の池子米軍住宅建設反対市民運動の例を西城氏は引用している。
三つ目は「事業をする」社会運動の代表は生活協同組合や安全食品消費者運動である。また、住宅福祉サービス、介護サービスや集合託児・出張託児などの福祉分野のサービスなどが挙げられている。
最後の四つ目は「自分や他者を助ける」社会運動として、例えば断酒会のようなアルコール依存症者たちが集まりアルコール依存から抜け出すための活動を行う会がある。「ボランティアから反戦デモまで社会運動の目標と組織形態(西城戸誠)」(OOHhi 04A pp77-93)
多様化する現代社会の社会運動を構成する二つの要素
西城氏の現代社会の社会運動の四つの分類は、Kreiesiの社会運動に関する分類方法を援用して導かれたものである。つまり、社会運動の成果の還元方法と社会活動への参画の方法という二つの大きな要素によって社会運動のパターンを分類した。
例えば、共同の目的や利害に対して人々が共同して行動する集合行為によって得られる利益(成果)を運動組織に還元するのか、それとも社会システム全体(行政などの組織)に還元するのかという二つの極を持つ縦軸と行動主体(生活者)が社会的問題解決のために直接に行為に参加するかそうでないかという二つの極を持つ横軸の交差によって生じた四つの区分から導かれている。つまり、図表1に示すように、この基本要素の組み合わせによって四つのパターンが生じることになる。
四つの区分を具体的に記述すると、以下のようになる。
つまり、一つは社会運動構成員が社会改革の組織に直接参加しないで、構成員の利益を優先する運動のパターンである。前記した「事業をする社会運動」で、構成員は直接生活に関係する課題を取り上げて運動をしている場合が多く、運動が具体的な生活改善の目標を持ち、運動成果は具体的な生活上の利益として具体的に評価されるものである。消費者運動がその典型である。消費者の権利を守る市民運動によって生活協同組合が組織され、生協サービス組織が生まれ、安全安心の食品を消費者は購入することができる。また、医療生活協同組合によって、安心できる医療サービスを受けることができる。
二つ目は前記した「自分や他者を助ける」社会運動で、社会運動構成員が社会改革(生活環境の改革)の組織や運動に直接参加し、そしてその運動の成果を直接、運動に参画した人々、つまり自分たちが得ることを目的にしている。運動構成員が運動の成果(利益)を共有することを目的にしている「自助・利他的活動型」の運動形態を取っている。具体的事例は、前記したように断酒会に代表される。最近ではいじめ、自閉症やうつ病に苦しむ人々が共に集まり自分たちの経験を話し合い、共にその苦しみを分かち合い、助け合う「自助・利他的活動型」の活動が行われている。
さらに三つ目は、社会運動構成員が社会変革の組織に直接参加しない運動形態、つまり改革運動に直接に参画しないものであり、しかもその運動の成果は運動構成員の利益を目指すのでなく、社会全体の利益を重視する立場を取る。例えば、運動構成はその社会運動が訴える課題を議会で話し合い、法案を提案する議員を推薦する社会運動を展開する。これを「代表性政治型の運動」と呼んでいる。この運動は、前記した「議会に代表者をだす社会運動」と呼ばれたものである。例えば社会福祉政策、環境問題、人権問題などを課題にしている社会運動で、これらの社会理念や具体的社会政策を社会制度化するための議員(運動の代理人)を選挙運動を通じて議会に送っている。
最後の四つ目は構成員が直接参加するがしかし構成の利益でなく社会システムの利益を重視するする政治的社会運動組織型である。前記した「抗議をする」社会運動がその代表例である。社会問題の解決を訴える市民はその問題解決をデモや集会、または署名運動等で直接に訴える。しかし、その問題解決を具体的に実行する社会機能に参画することはない。抗議活動に同調する議員が議会で問題解決のための作業、例えば法律や条例の作成提案を行い、議会でそれを成立させる等々の活動が行われることになる。その意味で西城氏はこの社会運動のパターンを「政治的社会運動組織型」と呼んだ。
以上、西城氏が述べたこれらの四つの区分を図表1に示す。
図表1 社会運動に関わる組織の一覧(西城戸誠)
引用 「ボランティアから反戦デモまで社会運動の目標と組織形態(西城戸誠)」
現代社会の多様化する社会運動を理解するために、この西城氏の社会運動の分類方法は極めて興味深いものであると言える。
引用、参考資料
(TAITos 4A) 帯刀治 北川隆吉 編著『社会運動研究入門 社会運動研究の理論と技法 社会学研究シリーズ 理論と技法 13』 文化書房博文社 2004年12月10日 297p
(OOHhi 04A) 大畑裕嗣(おおはたひろし)、成元哲(そんうおんちょる)、道場親信(みちばちかのぶ)、樋口直人編 『社会運動の社会学』有斐閣選書 2004年4月30日、311p
(TSUBmi 11A) 坪郷実 中村圭介 『新しい公共と市民活動・労働運動 講座現代の社会政策5』 明石書店 2011年9月20日、233p
(YAGIma 01A) 矢島正見編著『新版 生活問題の社会学』 学文社 2001年4月10日 227p
(MATSma 93A) 松岡昌則 他著 『現代日本の生活問題』 中央法規出版株式会社 1993年4月10日、 220p
(1) Kriesi,H. 1996 “The Organizational Struture of New Social Movements in a Political Context” D.McCarthy and M.N.Zald eds. Comparative Pespectives on Social Movements : Political Opportunities , Mobilizing Strucures, and Cultural Framings, Cambridge : Cambridge University Press.
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関連ブログ文書集
三石博行 ブログ文書集「福島原発事故から立ちあがる市民」
三石博行 ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」
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ブログ文書集「市民運動論」
この文章はブログ文書集「市民運動論」序文として書かれたものである。
三石博行 ブログ文書集「市民運動論」
2012年3月29日 文章一部変更(追加)
2012年4月3日 誤字修正
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哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠である。言い換えると哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言える。また、哲学の入り口は生活点検作業である。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれるため、日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、反省と呼ばれる遡行作業を哲学は提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検する方法である。生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶ。そして、他者と共感しない哲学は意味を持たない。そこで、私の哲学を点検するためにこのブログを書くことにした。 2011年1月5日 三石博行 (MITSUISHI Hiroyuki)
2012年3月28日水曜日
「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」長尾和宏医師の講演YouTubeで公開
被曝危機や安全の極論に対して健康障害の実態を正しく理解する必要性
三石博行
生活者原発作業員の放射能被曝の実態を語る長尾医師
2011年8月16日に開催された京都奈良EU協会の京都講演会「医師・専門家からみた福島原発事故」第四回講演会に長尾和宏医師(長尾クリニック院長)をお呼びして、「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」に関してテーマで話をして頂いた。
兵庫県尼崎市で地域医療を展開する長尾和宏医師は、これまでアスベスト問題、市民の健康管理や医療相談を積極的に行ってこられた。医師の枠を超え、これまでの病院やクリニックの枠に囚われた医療活動の限界を超え、地域社会独自の健康問題、環境問題、社会問題を取り上げてきた、正しく尼崎の「赤ひげ」である。
原発作業員の健康問題も長尾医師には非常に身近な課題であった。何故なら、尼崎には原発に関連する工場があり、それらの工場から多くの作業員が原発で仕事をしているからである。その意味で、長尾医師はこれまで、原発作業員の健康管理を行ってきた専門家である。
今回の東電福島第一原発の事故は、長尾医師にとって、遠い世界の話でははく、これまで医師として原発作業員の健康管理や検診をしてきた立場から、避けて通れない、寧ろ、積極的に調査し、実態を理解することによって、今後の関西地域の原発作業員の健康管理にとって大切な経験となる事例であったと言える。
医師の立場から、被曝をどう理解しべきか。長尾医師は講演の最中にも、まるで自問するように語ってくれた。この貴重な映像を公開したいと思う。被曝のマイナス面をのみ強調し、危機感を煽りたてくことも、長尾医師は警戒すべきやり方だと述べた。生活のために作業現場に行かなければならない人々へのこころある人間医師、赤ひげ長尾先生のことばであった。
長尾和宏医師の講演YouTube公開
長尾和宏医師の講演をYouTubeで公開
長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」1/9
長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」2/9
長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」3/9
長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」4/9
長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」5/9
長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」6/9
長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」7/9
長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」8/9
長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」9/9
参考資料
「福島原発事故から立ちあがる市民」
「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」長尾和宏医師の講演
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関連ブログ文書集
「東日本大震災からの復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」
「原発事故が日本社会に問いかけている課題」
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三石博行
生活者原発作業員の放射能被曝の実態を語る長尾医師
2011年8月16日に開催された京都奈良EU協会の京都講演会「医師・専門家からみた福島原発事故」第四回講演会に長尾和宏医師(長尾クリニック院長)をお呼びして、「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」に関してテーマで話をして頂いた。
兵庫県尼崎市で地域医療を展開する長尾和宏医師は、これまでアスベスト問題、市民の健康管理や医療相談を積極的に行ってこられた。医師の枠を超え、これまでの病院やクリニックの枠に囚われた医療活動の限界を超え、地域社会独自の健康問題、環境問題、社会問題を取り上げてきた、正しく尼崎の「赤ひげ」である。
原発作業員の健康問題も長尾医師には非常に身近な課題であった。何故なら、尼崎には原発に関連する工場があり、それらの工場から多くの作業員が原発で仕事をしているからである。その意味で、長尾医師はこれまで、原発作業員の健康管理を行ってきた専門家である。
今回の東電福島第一原発の事故は、長尾医師にとって、遠い世界の話でははく、これまで医師として原発作業員の健康管理や検診をしてきた立場から、避けて通れない、寧ろ、積極的に調査し、実態を理解することによって、今後の関西地域の原発作業員の健康管理にとって大切な経験となる事例であったと言える。
医師の立場から、被曝をどう理解しべきか。長尾医師は講演の最中にも、まるで自問するように語ってくれた。この貴重な映像を公開したいと思う。被曝のマイナス面をのみ強調し、危機感を煽りたてくことも、長尾医師は警戒すべきやり方だと述べた。生活のために作業現場に行かなければならない人々へのこころある人間医師、赤ひげ長尾先生のことばであった。
長尾和宏医師の講演YouTube公開
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長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」1/9
長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」2/9
長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」3/9
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長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」7/9
長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」8/9
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参考資料
「福島原発事故から立ちあがる市民」
「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」長尾和宏医師の講演
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2012年3月27日火曜日
「原発被ばく問題のこれから」西野方庸氏の講演YouTube公開
深刻化する原発作業員の被曝問題
三石博行
原発作業員の犠牲の上に成り立つ原発事故処理作業
原発は必然的に作業員の被曝問題を伴う。日常的な原発の管理に従事する作業員の被曝は避けられない。ましてや、今回の福島第一原発事故の処理は作業員の被曝を前提にして行われると言ってよい。つまり、作業員の犠牲は事故処理の作業に必然的に付随すると言える。原子力の平和利用の名の下に始まった原子力エネルギーの利用は、原子炉を維持する人々の犠牲の上に成立しているのであると言える。
関西労働者安全センターは1970年代から岩佐嘉寿幸岩氏(原発作業員)の原発作業に伴う労災職業病問題(被曝問題)に取り組んできた。当時、原発作業員の被曝問題を取り上げることは、タブーに近い行為であった。福井県敦賀市のある敦賀労働基準監督署で岩佐さんの労災申請をした。そして、労基署との交渉を行った。その時も、労基署の周りには私服警官が労災認定の申請と話し合いに来た岩佐さん、支援者を取り巻いた。
1970年代から反原発はイデオロギー問題であり、原発に反対する人々は日本みら社会制度を否定する人々であり、原発作業員の労災認定を求める人々も同様に非国民的存在であるとレッテルを張られ続けてきた。その結果、多くの原発作業員の被曝問題は隠蔽されてきたのである。
そして、今回の事故で、多くの原発作業員の被曝を前提にした事故処理が行われている中で、被曝し続ける作業員への健康管理に関する対策(労働安全衛生上の)が明確に保障されないのは、これまでの政府や電力会社の対応の結果であるとしか言えないのである。
いずれにしても、今後、福島第一原発の事故現場に多くの作業員が駆り出されることは確かである。多くの作業員の力なくして事故処理が進まないことは自明である。つまり、それらの人々の放射線被曝を前提にして事故処理が進むことになる。しかし、どれだけの人々がどれだけの被曝を受け続けるのか、その放射線被曝の全貌はつかめない。
メルトダウンした炉心を取り出す作業までに、どれだけの作業が必要か。その作業環境の放射線を下げるための対策や作業工程は具体化できるのか、それすらも明確にされていない。そして、この果てしない被曝地獄の中で黙々と働く人々を必要としている事実だけが残る。つまり、福島第一原発を廃炉にするまでに、途方もない事故処理作業と多くの作業員の犠牲があることだけは確かである。
西野方庸氏の講演YouTube公開
2011年7月16日京都奈良EU協会第三回講演会YouTube公開
西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」1/8
西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」2/8
西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」3/8
西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」4/8
西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」5/8
西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」6/8
西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」7/8
西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」8/8
引用、参考資料
「原発被ばく問題のこれから」西野方庸氏(関西労働者安全センター事務局長)の講演
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/06/blog-post_23.html
『原発と闘う-岩佐原発被曝裁判の記録-』「岩佐裁判の記録」編集委員会・編/八月書館1988年
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関連ブログ文書集「」
ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」
ブログ文書集「福島原発事故から立ちあがる市民」
ブログ文書集「持続可能なエネルギー生産社会を目指すために」
2012年4月3日 誤字修正
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三石博行
原発作業員の犠牲の上に成り立つ原発事故処理作業
原発は必然的に作業員の被曝問題を伴う。日常的な原発の管理に従事する作業員の被曝は避けられない。ましてや、今回の福島第一原発事故の処理は作業員の被曝を前提にして行われると言ってよい。つまり、作業員の犠牲は事故処理の作業に必然的に付随すると言える。原子力の平和利用の名の下に始まった原子力エネルギーの利用は、原子炉を維持する人々の犠牲の上に成立しているのであると言える。
関西労働者安全センターは1970年代から岩佐嘉寿幸岩氏(原発作業員)の原発作業に伴う労災職業病問題(被曝問題)に取り組んできた。当時、原発作業員の被曝問題を取り上げることは、タブーに近い行為であった。福井県敦賀市のある敦賀労働基準監督署で岩佐さんの労災申請をした。そして、労基署との交渉を行った。その時も、労基署の周りには私服警官が労災認定の申請と話し合いに来た岩佐さん、支援者を取り巻いた。
1970年代から反原発はイデオロギー問題であり、原発に反対する人々は日本みら社会制度を否定する人々であり、原発作業員の労災認定を求める人々も同様に非国民的存在であるとレッテルを張られ続けてきた。その結果、多くの原発作業員の被曝問題は隠蔽されてきたのである。
そして、今回の事故で、多くの原発作業員の被曝を前提にした事故処理が行われている中で、被曝し続ける作業員への健康管理に関する対策(労働安全衛生上の)が明確に保障されないのは、これまでの政府や電力会社の対応の結果であるとしか言えないのである。
いずれにしても、今後、福島第一原発の事故現場に多くの作業員が駆り出されることは確かである。多くの作業員の力なくして事故処理が進まないことは自明である。つまり、それらの人々の放射線被曝を前提にして事故処理が進むことになる。しかし、どれだけの人々がどれだけの被曝を受け続けるのか、その放射線被曝の全貌はつかめない。
メルトダウンした炉心を取り出す作業までに、どれだけの作業が必要か。その作業環境の放射線を下げるための対策や作業工程は具体化できるのか、それすらも明確にされていない。そして、この果てしない被曝地獄の中で黙々と働く人々を必要としている事実だけが残る。つまり、福島第一原発を廃炉にするまでに、途方もない事故処理作業と多くの作業員の犠牲があることだけは確かである。
西野方庸氏の講演YouTube公開
2011年7月16日京都奈良EU協会第三回講演会YouTube公開
西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」1/8
西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」2/8
西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」3/8
西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」4/8
西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」5/8
西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」6/8
西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」7/8
西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」8/8
引用、参考資料
「原発被ばく問題のこれから」西野方庸氏(関西労働者安全センター事務局長)の講演
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/06/blog-post_23.html
『原発と闘う-岩佐原発被曝裁判の記録-』「岩佐裁判の記録」編集委員会・編/八月書館1988年
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2012年4月3日 誤字修正
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「メルケル首相"脱原発"の裏側」 TBS報道特集
ドイツ緑の党が目指した課題
三石博行
政治的孤立から脱却するための反原発運動を目指したドイツ市民
みどり京都の代表 杉山廣行氏から動画『「メルケル首相"脱原発"の裏側」 TBS報道特集2012/03/24』が送られてきた。この動画で、原発推進をしてきたメルケル首相が福島第一原発事故の後に、脱原発へと政治的方針を変えた経緯が描かれている。
福島第一原発事故の後に、ドイツ国民も政府の素早く反応し、脱原発と再生可能エネルギー社会の構築にむかって進もうとしている。
また、ドイツの緑の党の結成の経過も語られていた。特に、興味を引いたのは、反原発運動を市民が非暴力直接行動で取り組んだことや、再生可能エネルギー社会を目指す活動とリンクし、環境問題(反原発)を経済問題(自然エネルギー生産活動)と結び付けて展開したことによって、ドイツの反原発運動が政治的孤立から脱却したことが語られていた。
さらに、教育活動として、またメディアを取り込んだ幅広い環境問題として反原発運動を展開し、その国民的な運動の中から緑の党が形成された経過が述べられていた。現在、日本でも緑の党の結成が進んでいる。ドイツの緑の党の結成の経過、考え方を学ぶ必要があると思う。
「メルケル首相"脱原発"の裏側」 報道特集2012/03/24
引用、参考資料
ブログ「上を向いてアンコウ(仮)」
英BBCドキュメンタリー「メルトダウンの内側」
三石博行 YouTube配信「ドイツZDF フクシマのうそ」
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ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」
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2012年4月3日 誤字修正
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三石博行
政治的孤立から脱却するための反原発運動を目指したドイツ市民
みどり京都の代表 杉山廣行氏から動画『「メルケル首相"脱原発"の裏側」 TBS報道特集2012/03/24』が送られてきた。この動画で、原発推進をしてきたメルケル首相が福島第一原発事故の後に、脱原発へと政治的方針を変えた経緯が描かれている。
福島第一原発事故の後に、ドイツ国民も政府の素早く反応し、脱原発と再生可能エネルギー社会の構築にむかって進もうとしている。
また、ドイツの緑の党の結成の経過も語られていた。特に、興味を引いたのは、反原発運動を市民が非暴力直接行動で取り組んだことや、再生可能エネルギー社会を目指す活動とリンクし、環境問題(反原発)を経済問題(自然エネルギー生産活動)と結び付けて展開したことによって、ドイツの反原発運動が政治的孤立から脱却したことが語られていた。
さらに、教育活動として、またメディアを取り込んだ幅広い環境問題として反原発運動を展開し、その国民的な運動の中から緑の党が形成された経過が述べられていた。現在、日本でも緑の党の結成が進んでいる。ドイツの緑の党の結成の経過、考え方を学ぶ必要があると思う。
「メルケル首相"脱原発"の裏側」 報道特集2012/03/24
引用、参考資料
ブログ「上を向いてアンコウ(仮)」
英BBCドキュメンタリー「メルトダウンの内側」
三石博行 YouTube配信「ドイツZDF フクシマのうそ」
関連ブログ文書集「」
ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」
ブログ文書集「福島原発事故から立ちあがる市民」
ブログ文書集「持続可能なエネルギー生産社会を目指すために」
2012年4月3日 誤字修正
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英BBCドキュメンタリーが伝えた福島原発事故の経過
「英BBCドキュメンタリー「メルトダウンの内側」日本語字幕版」
三石博行
配信希望の動画が届く
みどりの未来の仲間から、メールが送ってきた。その中に、「英BBCドキュメンタリー「メルトダウンの内側」日本語字幕版」の配信希望があった。この英BBCドキュメンタリー「メルトダウンの内側」の映像は、3.11の東日本大震災・津波の被害を受けた東京電力福島第一原子力発電所の事故の経過を非常によくまとめてあると思った。
福島原発事故の経過を正確に理解したいと思っている。その理解から、原発問題の本質が見えてくるのではないだろうか。
ブログ「上を向いてアンコウ(仮)」から
「英BBCドキュメンタリー「メルトダウンの内側」日本語字幕版作成しました
イギリスのBBCが2月23日に放送した約60分のドキュメンタリー番組「メルトダウンの内側」。すでにEX-SKF日本語ブログなどで英語版をご覧になった方も多いかと思います。わたしも見て、初めて目にする映像の数々に驚きました。
そこで、より多くの方に見ていただきたいと思い、英語のナレーション部分に日本語の字幕を付けました。大人の事情で4分割でアップしておりますが、いい切れ場が入っておりますので絶対に全部見たくなると思いますし、絶対に全部見たほうがいいです。冒頭近くのナレーションの一部を紹介します。
このドキュメンタリーは、災害の最前線で撮影された貴重な映像と、原子炉を救うために戦った男たちとともにのちに我々が撮影した映像で構成されている。実際に現場にいた者たちが語る福島メルトダウンの内側である。
実際に現場で撮影された緊迫した映像。作業に携わった人たちの生の証言。BBCの作り方に気に入らないところは正直いくつかありますが、この映像と証言を見るだけでも価値があると思います。それと、わたしのように震災当初すっかり混乱して何がなんだかわからなくなっていた方にとっては、何がどういう順番でどう起きたのかを改めて確認するのに適しています。
いろいろ知らないことが出てきました。いろいろなことを思います。どうぞご覧下さい。」
ブログ「上を向いてアンコウ(仮)」
英BBCドキュメンタリー「メルトダウンの内側」のYouTube動画
【Part1】「メルトダウンの内側」日本語字幕付き/"Inside the Meltdown"1/4
【Part2】「メルトダウンの内側」日本語字幕付き/"Inside the Meltdown"2/4
【Part3】「メルトダウンの内側」日本語字幕付き/"Inside the Meltdown"3/4
【Part4】「メルトダウンの内側」日本語字幕付き/"Inside the Meltdown"4/4
引用、参考資料
ブログ「上を向いてアンコウ(仮)」
英BBCドキュメンタリー「メルトダウンの内側」
三石博行 YouTube配信「ドイツZDF フクシマのうそ」
関連ブログ文書集「」
ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
ブログ文書集「福島原発事故から立ちあがる市民」の目次
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/03/blog-post_18.html
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三石博行
配信希望の動画が届く
みどりの未来の仲間から、メールが送ってきた。その中に、「英BBCドキュメンタリー「メルトダウンの内側」日本語字幕版」の配信希望があった。この英BBCドキュメンタリー「メルトダウンの内側」の映像は、3.11の東日本大震災・津波の被害を受けた東京電力福島第一原子力発電所の事故の経過を非常によくまとめてあると思った。
福島原発事故の経過を正確に理解したいと思っている。その理解から、原発問題の本質が見えてくるのではないだろうか。
ブログ「上を向いてアンコウ(仮)」から
「英BBCドキュメンタリー「メルトダウンの内側」日本語字幕版作成しました
イギリスのBBCが2月23日に放送した約60分のドキュメンタリー番組「メルトダウンの内側」。すでにEX-SKF日本語ブログなどで英語版をご覧になった方も多いかと思います。わたしも見て、初めて目にする映像の数々に驚きました。
そこで、より多くの方に見ていただきたいと思い、英語のナレーション部分に日本語の字幕を付けました。大人の事情で4分割でアップしておりますが、いい切れ場が入っておりますので絶対に全部見たくなると思いますし、絶対に全部見たほうがいいです。冒頭近くのナレーションの一部を紹介します。
このドキュメンタリーは、災害の最前線で撮影された貴重な映像と、原子炉を救うために戦った男たちとともにのちに我々が撮影した映像で構成されている。実際に現場にいた者たちが語る福島メルトダウンの内側である。
実際に現場で撮影された緊迫した映像。作業に携わった人たちの生の証言。BBCの作り方に気に入らないところは正直いくつかありますが、この映像と証言を見るだけでも価値があると思います。それと、わたしのように震災当初すっかり混乱して何がなんだかわからなくなっていた方にとっては、何がどういう順番でどう起きたのかを改めて確認するのに適しています。
いろいろ知らないことが出てきました。いろいろなことを思います。どうぞご覧下さい。」
ブログ「上を向いてアンコウ(仮)」
英BBCドキュメンタリー「メルトダウンの内側」のYouTube動画
【Part1】「メルトダウンの内側」日本語字幕付き/"Inside the Meltdown"1/4
【Part2】「メルトダウンの内側」日本語字幕付き/"Inside the Meltdown"2/4
【Part3】「メルトダウンの内側」日本語字幕付き/"Inside the Meltdown"3/4
【Part4】「メルトダウンの内側」日本語字幕付き/"Inside the Meltdown"4/4
引用、参考資料
ブログ「上を向いてアンコウ(仮)」
英BBCドキュメンタリー「メルトダウンの内側」
三石博行 YouTube配信「ドイツZDF フクシマのうそ」
関連ブログ文書集「」
ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」の目次
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ブログ文書集「福島原発事故から立ちあがる市民」の目次
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ブログ文書集「市民運動論」
目次
三石博行
0、はじめに
0-1、何故、今、市民運動論が問題にされるのか
1、多様化する社会運動・市民運動の社会文化的要因
1-1、多様化する現代社会の市民運動を構成する要因とは何か
1-2、市民運動の変遷を生み出す二つの社会的要因について
1-3、共同体秩序の脱構築・構築集団行動としての社会運動
2、生活資源欠乏状態の解決行動としての社会運動
2-1、共同体秩序形成と破壊的暴力的行動の要因としての一次生活資源の欠乏状態
2-2、生産様式の発展と二次生活資源の欠乏状態
2-3、二次生活資源欠乏に対する解決行為の三つのパターンとその時代的社会的要因
3、社会運動としての労働運動
3-1、政治運動化した日本の労働運動の歴史(戦前戦中から1960年代)
3-2、脱政治化し続ける労働運動(1970年代以降)
近日公開
3-3、生活資源の欠乏状態への解決行動として労働運動
近日公開
4、社会運動としての農民運動
4-1、中世日本の農民運動と百姓一揆
未完成
4-2、近代日本の農民運動と小作人闘争
未完成
4-3、現代日本の農業問題と農協運動
未完成
5、三次生活資源の生産と消費生活
5-1、社会運動としての消費者運動
未完成
5-2、商品開発の推進力としての消費者ニーズ
未完成
5-3、消費者によって創られる三次生活資源
未完成
6. NPO化する市民運動
6-1、現代社会のニーズに答えるための市民運動のNPO化
6-2、生活運動と市民運動
近日公開
6-3、危機管理機能としての市民運動
近日公開
7. PV-Net運動の今後
7-1、NPO太陽光発電所ネットワーク(PV-Net)の「再生可能エネルギー促進法」施行後のあり方について
7-2、生産・消費者運動としてのNPO太陽光発電所ネットワーク(PV-Net)の事業活動のあり方について
近日公開
8、国際交流運動の今後
未完成
9、市民メディア運動の今後
未完成
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関連ブログ文書集
「東日本大震災からの復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」
「原発事故が日本社会に問いかけている課題」
「福島原発事故から立ちあがる市民」
「国際社会の中の日本 -国際化する日本社会文化-」
「民主主義社会の発展のための報道機能のありかた」
2012年4月17日変更
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三石博行
0、はじめに
0-1、何故、今、市民運動論が問題にされるのか
1、多様化する社会運動・市民運動の社会文化的要因
1-1、多様化する現代社会の市民運動を構成する要因とは何か
1-2、市民運動の変遷を生み出す二つの社会的要因について
1-3、共同体秩序の脱構築・構築集団行動としての社会運動
2、生活資源欠乏状態の解決行動としての社会運動
2-1、共同体秩序形成と破壊的暴力的行動の要因としての一次生活資源の欠乏状態
2-2、生産様式の発展と二次生活資源の欠乏状態
2-3、二次生活資源欠乏に対する解決行為の三つのパターンとその時代的社会的要因
3、社会運動としての労働運動
3-1、政治運動化した日本の労働運動の歴史(戦前戦中から1960年代)
3-2、脱政治化し続ける労働運動(1970年代以降)
近日公開
3-3、生活資源の欠乏状態への解決行動として労働運動
近日公開
4、社会運動としての農民運動
4-1、中世日本の農民運動と百姓一揆
未完成
4-2、近代日本の農民運動と小作人闘争
未完成
4-3、現代日本の農業問題と農協運動
未完成
5、三次生活資源の生産と消費生活
5-1、社会運動としての消費者運動
未完成
5-2、商品開発の推進力としての消費者ニーズ
未完成
5-3、消費者によって創られる三次生活資源
未完成
6. NPO化する市民運動
6-1、現代社会のニーズに答えるための市民運動のNPO化
6-2、生活運動と市民運動
近日公開
6-3、危機管理機能としての市民運動
近日公開
7. PV-Net運動の今後
7-1、NPO太陽光発電所ネットワーク(PV-Net)の「再生可能エネルギー促進法」施行後のあり方について
7-2、生産・消費者運動としてのNPO太陽光発電所ネットワーク(PV-Net)の事業活動のあり方について
近日公開
8、国際交流運動の今後
未完成
9、市民メディア運動の今後
未完成
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関連ブログ文書集
「東日本大震災からの復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」
「原発事故が日本社会に問いかけている課題」
「福島原発事故から立ちあがる市民」
「国際社会の中の日本 -国際化する日本社会文化-」
「民主主義社会の発展のための報道機能のありかた」
2012年4月17日変更
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2012年3月24日土曜日
YouTube配信「ドイツZDF フクシマのうそ」
ドイツのジャーナリストから見た福島原発事故
三石博行
見てください
みどり京都の代表 杉山廣行さんから、「ドイツZDF フクシマのうそ」と題するメールを頂いた。このメールにリンクされていたYouTube動画「ドイツZDF フクシマのうそ」を見た。素晴らしい内容だった。多分、今、この動画はいたるところで開かれていると思う。
私も「ドイツZDF フクシマのうそ」のリンクを作りたいと思ったので、さっそく、やってみました。
YouTube動画
「ドイツZDF フクシマのうそ」
ドイツZDF フクシマのうそ 投稿者 sievert311
他の人々にも紹介してください
この動画は貴方のもっているブログやホームページでも共有できます。是非ともリンクして下さい。
また、YouTube等でも宣伝してください。
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関連ブログ文書集
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三石博行
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みどり京都の代表 杉山廣行さんから、「ドイツZDF フクシマのうそ」と題するメールを頂いた。このメールにリンクされていたYouTube動画「ドイツZDF フクシマのうそ」を見た。素晴らしい内容だった。多分、今、この動画はいたるところで開かれていると思う。
私も「ドイツZDF フクシマのうそ」のリンクを作りたいと思ったので、さっそく、やってみました。
YouTube動画
「ドイツZDF フクシマのうそ」
ドイツZDF フクシマのうそ 投稿者 sievert311
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また、YouTube等でも宣伝してください。
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関連ブログ文書集
ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
ブログ文書集「福島原発事故から立ちあがる市民」の目次
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知的生産の技術の基本課題 日常生活時間の管理と作業課題
生活管理システムノートの作成
三石博行
決意は解決の手段にならない
一日一日の生活を確りと過ごすこと。今日という時間を十分自分の納得行くように組織すること。こうした当たり前の作業が実は非常に難しのである。多くの場合、それは決意の問題になってしまう。そして、それが出来ないのは自分の意志が弱いからだと思ってしまう。
知的生産の技術の立場から考えると、この課題を決意主義で解決しようとする方法は、誤りである。何故なら、この課題は知的生産力を高めることを課題にしいる。そのための技術や方法、考え方を検討するのがこの課題の基本であるからだ。
もし、生活設計や目標達成に失敗し続けているなら、失敗を導く生活スタイルや生活設計の中身を検討しなければならない。いくら決意しても、現実にその目標は達成できない。その原因を意志の弱さにするなら、実現不可能な目標を立て、無理なライフスタイルを強いること、そのため常に目標を達成できず、いつも間にか目標と決めて生きるという生活様式を諦めているのだということを点検する機会を失うことになるだろう。
惰性態としての日常生活の危険性
惰性的に生活時間が経過する状態を日常生活と呼んでいる。この日常生活と異なる生活時間がある。それは例えば、旅とか災害や事故などのハプニングにあってこれまでの生活スタイルが持続不可能な状態になる時である。それぞれの場合、生活主体はそれらの生活環境の状況に適した行動を選ばなければならない。
非日常的な生活環境では、危険を避けるために行動は慎重になり、また大胆になり、状況に合わせて行為が選択される。状況を理解し自分を最も安全に守るために、そして危険要因を排除するために、正確な状況観察、状況打開のための適切な行動選択、生活者は日常的な惰性態から非日常的な加速態にライフスタイルを変えなければならない。その時、精神の集中が問われ、緊張が強いられる。
しかし、日常的な生活環境では、過去の生活環境で得てきた情報が現在の生活環境にそのまま活用されるため、状況認識に精神を過敏に集中する必要はない。その分、楽だと言える。しかし、この楽さこそが、困難を導く要因となる。一定速度で、直進車線を運転している人々が、曲がりくねった道を運転する人々よりも交通事故に出会う確率が高いのは、道路の環境によるものではなく、運転手をおそう運転行為に対する倦怠感の発生が原因となる。つまり危険は外的状況からのみ生じるのでなく、内的状況によっても導かれるというのが一般的な理解である。
言い換えると、惰性態としての日常生活の危険性は、生活者の意識において生じる。昨日と同じように今日があり、今日と同じように明日があるという生活こそ、目標を持って生きる人々にとって、最も困難な条件であると言える。何故なら、旅のように行かなければならない状況として目標は外に設定されることはない。行かなくても行ってもよい日常的な目標が常に設定されっぱなしになる。その目標を常に意識的に外に出し続け、具体化し続け、目標を持ち続ける行為を維持し続けなければならない。
日常生活の惰性態への対策
そこで、多くの人々は外に明確な目標を設定できない日常生活に強制的に目標を設定する。例えば、この仕事は何月何日までに終えるとか、論文の締め切りや学会発表日、講演会の日程、約束等々。一般に他者との契約上で成り立つ仕事はその契約に強制される。それを社会的な仕事と呼ぶ。自由にやれる仕事は他の誰からも期待されるものでも、また必要にされるものでもない場合がほとんどである。
その意味で、社会的な日常業務には社会的な制約が入り、その制約に規制されて行動が選択される。これを労働と呼んでいる。労働とは社会的需要に答えるために行う行為である。社会的需要がある以上、その要求に答えた場合には社会的評価を受ける。その社会的評価のことを労賃(賃金や供与)と呼んでいる。
しかし、ボランティア活動のように、社会的需要がある行為でも、その行為が賃金として評価されない場合もある。また、芸術家や小説家のように、作品が売れるという保障もなければ、誰かによって発注されて仕事を請け負ってやっていない場合もある。そこで、ここでは社会的労働に限定されない非常に一般的な日常生活の行為を対象とする。
外から目標を要請された行為(労働)の場合には日常生活の惰性態によって生じる行為者の目標喪失の危険性はないと考えて、ここでは問題にしない。ここで問題となるのは、日常生活のルーチン化した作業に組み込まれている課題である。それらの作業は毎日の日課作業である以上、その内容を一つひとつ検証の対象にすることはない。実は、このことが、日常生活の中で目標を設定し、コツコツとやりこなす場合の大きな支障となっているのである。
そこで、まず、一日のうちどれだけの時間が日常的な生活時間として費やされているか書き出してみよう。例えば、朝起きる時間、その後、朝食や弁当を作り、食事をし、その片づけをし、仕事に行くための準備、歯磨き、着替え、仕事場に持っていく資料や書類等々の確認と出発するまでに多くのルーチンをこなしている。それらの日課化した仕事(家事)にどれだの時間を必要としているか。
さらに、家を出発して仕事場に着くまでの時間、通勤に必要な時間であるが、その時間中にやるべきテーマは決まっているか。そして、仕事場について、作業が始まるが、その作業もよくよく観察すると一般的実務作業と課題作業がある。例えばメールを確認し連絡を取る。必要な資料を集める。会議をする。打ち合わせをする等々。それらの毎日繰り返される実務作業を終えると、その日の課題作業に取り組むことが出来る。出来るだけ、実務作業時間を短くし、つまり集中して実務を終えて、課題作業時間を多く持つように努めなければならない。
しかし、いつまでも仕事は出来ない。疲れるしまた帰宅時間が来る。帰宅のために仕事を終える。仕事を終える場合に、必ず今日の進捗状況と明日の課題が明確になるだろう。そして、疲れた身体を労るようにして帰宅することになる。だから、帰宅時間中は何かを集中して行うことがきない場合もあるだろう。
帰宅して、食事、着替えやお風呂に入り、明日の仕事の準備をし、テレビを見たり、家族と話したり、家事をしたり、休養のための生活時間が必要である。当然、健康のために、スポーツやジョギングをする時間も必要となるだろう。
一般に月曜日から金曜日までルーチンワークを基本とする生活時間が設計されている。土曜日や日曜日は、家族と過ごす時間や庭いじりや家の掃除などに使われるだろう。こうして、一週間が過ぎる。この一週間の生活時間を繰り返し、一ヵ月や一年間という単位の生活時間の設計が生まれる。
この日常生活の中に、色々な事件、病気や事故が起り、日常生活のリズムを破壊する。また、仕事上の都合で、出張や転勤が起り、日常生活の環境は変更され、新しい生活環境に適した生活のリズムが形成される。こうした生活を繰り返しながら、いつの日か老いて、退職し、そして老後と呼ばれる生活環境に入る。そうこうしている内に人生は終わる。
生活管理ノートの作成
日常生活の記録を取るという作業、日常生活の現実を明記し、日常生活を維持するために必要な生活時間を把握しておくことが、その日常生活の中で人生の目標を実現する方法の第一歩、基本的な態度であると言える。
一日の目標を書く前に、一日のルーチンワークの時間を書いてみる。すると、一日の中で、それほど多くの時間が目標に向かって作業するために用意されていないことを見つけるのである。時間のやり繰りこそ、日常生活の中で見つけなければならい技術である。どのように生活環境を維持するために必要な生活行為の時間を集中短縮するか。そして、仕事に必要な実務作業時間を集中短縮する方法を考え、その技術を開発することが、知的生産の技術の基本となる。
もっともいい方法として、日常生活での作業を書き出し、チェックする方法を見つけること。さらに、一日の生活時間を現実的に理解し、配分できる訓練を毎日行うこと、そうした作業を可能にする生活管理ノートを作る必要がある。
そして、毎日、生活行為を自己評価する作業を入れることで、日常生活の惰性態への対策が可能にとなる。しかし、それだからと言って、問題が解決したのではない。こうした作業は問題を解決するための入り口、生活時間、作業条件を整えるためのものでしかない。つまり、100メートル走が始まる前の準備体操のようなものである。よく準備体操をしていないと走れないのである。また、昨日準備体操をしたから、今日は不要だと言うことは絶対にないように、毎日、スタートラインに立たされた我々は毎日その前に準備体操をしておく必要があるのだろう。
引用、参考資料
三石式 生活管理ノート
近日中に公開します。
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関連ブログ文書集
三石博行 「知的生産の技術 基礎編」
2012年3月26日 誤字修正
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三石博行
決意は解決の手段にならない
一日一日の生活を確りと過ごすこと。今日という時間を十分自分の納得行くように組織すること。こうした当たり前の作業が実は非常に難しのである。多くの場合、それは決意の問題になってしまう。そして、それが出来ないのは自分の意志が弱いからだと思ってしまう。
知的生産の技術の立場から考えると、この課題を決意主義で解決しようとする方法は、誤りである。何故なら、この課題は知的生産力を高めることを課題にしいる。そのための技術や方法、考え方を検討するのがこの課題の基本であるからだ。
もし、生活設計や目標達成に失敗し続けているなら、失敗を導く生活スタイルや生活設計の中身を検討しなければならない。いくら決意しても、現実にその目標は達成できない。その原因を意志の弱さにするなら、実現不可能な目標を立て、無理なライフスタイルを強いること、そのため常に目標を達成できず、いつも間にか目標と決めて生きるという生活様式を諦めているのだということを点検する機会を失うことになるだろう。
惰性態としての日常生活の危険性
惰性的に生活時間が経過する状態を日常生活と呼んでいる。この日常生活と異なる生活時間がある。それは例えば、旅とか災害や事故などのハプニングにあってこれまでの生活スタイルが持続不可能な状態になる時である。それぞれの場合、生活主体はそれらの生活環境の状況に適した行動を選ばなければならない。
非日常的な生活環境では、危険を避けるために行動は慎重になり、また大胆になり、状況に合わせて行為が選択される。状況を理解し自分を最も安全に守るために、そして危険要因を排除するために、正確な状況観察、状況打開のための適切な行動選択、生活者は日常的な惰性態から非日常的な加速態にライフスタイルを変えなければならない。その時、精神の集中が問われ、緊張が強いられる。
しかし、日常的な生活環境では、過去の生活環境で得てきた情報が現在の生活環境にそのまま活用されるため、状況認識に精神を過敏に集中する必要はない。その分、楽だと言える。しかし、この楽さこそが、困難を導く要因となる。一定速度で、直進車線を運転している人々が、曲がりくねった道を運転する人々よりも交通事故に出会う確率が高いのは、道路の環境によるものではなく、運転手をおそう運転行為に対する倦怠感の発生が原因となる。つまり危険は外的状況からのみ生じるのでなく、内的状況によっても導かれるというのが一般的な理解である。
言い換えると、惰性態としての日常生活の危険性は、生活者の意識において生じる。昨日と同じように今日があり、今日と同じように明日があるという生活こそ、目標を持って生きる人々にとって、最も困難な条件であると言える。何故なら、旅のように行かなければならない状況として目標は外に設定されることはない。行かなくても行ってもよい日常的な目標が常に設定されっぱなしになる。その目標を常に意識的に外に出し続け、具体化し続け、目標を持ち続ける行為を維持し続けなければならない。
日常生活の惰性態への対策
そこで、多くの人々は外に明確な目標を設定できない日常生活に強制的に目標を設定する。例えば、この仕事は何月何日までに終えるとか、論文の締め切りや学会発表日、講演会の日程、約束等々。一般に他者との契約上で成り立つ仕事はその契約に強制される。それを社会的な仕事と呼ぶ。自由にやれる仕事は他の誰からも期待されるものでも、また必要にされるものでもない場合がほとんどである。
その意味で、社会的な日常業務には社会的な制約が入り、その制約に規制されて行動が選択される。これを労働と呼んでいる。労働とは社会的需要に答えるために行う行為である。社会的需要がある以上、その要求に答えた場合には社会的評価を受ける。その社会的評価のことを労賃(賃金や供与)と呼んでいる。
しかし、ボランティア活動のように、社会的需要がある行為でも、その行為が賃金として評価されない場合もある。また、芸術家や小説家のように、作品が売れるという保障もなければ、誰かによって発注されて仕事を請け負ってやっていない場合もある。そこで、ここでは社会的労働に限定されない非常に一般的な日常生活の行為を対象とする。
外から目標を要請された行為(労働)の場合には日常生活の惰性態によって生じる行為者の目標喪失の危険性はないと考えて、ここでは問題にしない。ここで問題となるのは、日常生活のルーチン化した作業に組み込まれている課題である。それらの作業は毎日の日課作業である以上、その内容を一つひとつ検証の対象にすることはない。実は、このことが、日常生活の中で目標を設定し、コツコツとやりこなす場合の大きな支障となっているのである。
そこで、まず、一日のうちどれだけの時間が日常的な生活時間として費やされているか書き出してみよう。例えば、朝起きる時間、その後、朝食や弁当を作り、食事をし、その片づけをし、仕事に行くための準備、歯磨き、着替え、仕事場に持っていく資料や書類等々の確認と出発するまでに多くのルーチンをこなしている。それらの日課化した仕事(家事)にどれだの時間を必要としているか。
さらに、家を出発して仕事場に着くまでの時間、通勤に必要な時間であるが、その時間中にやるべきテーマは決まっているか。そして、仕事場について、作業が始まるが、その作業もよくよく観察すると一般的実務作業と課題作業がある。例えばメールを確認し連絡を取る。必要な資料を集める。会議をする。打ち合わせをする等々。それらの毎日繰り返される実務作業を終えると、その日の課題作業に取り組むことが出来る。出来るだけ、実務作業時間を短くし、つまり集中して実務を終えて、課題作業時間を多く持つように努めなければならない。
しかし、いつまでも仕事は出来ない。疲れるしまた帰宅時間が来る。帰宅のために仕事を終える。仕事を終える場合に、必ず今日の進捗状況と明日の課題が明確になるだろう。そして、疲れた身体を労るようにして帰宅することになる。だから、帰宅時間中は何かを集中して行うことがきない場合もあるだろう。
帰宅して、食事、着替えやお風呂に入り、明日の仕事の準備をし、テレビを見たり、家族と話したり、家事をしたり、休養のための生活時間が必要である。当然、健康のために、スポーツやジョギングをする時間も必要となるだろう。
一般に月曜日から金曜日までルーチンワークを基本とする生活時間が設計されている。土曜日や日曜日は、家族と過ごす時間や庭いじりや家の掃除などに使われるだろう。こうして、一週間が過ぎる。この一週間の生活時間を繰り返し、一ヵ月や一年間という単位の生活時間の設計が生まれる。
この日常生活の中に、色々な事件、病気や事故が起り、日常生活のリズムを破壊する。また、仕事上の都合で、出張や転勤が起り、日常生活の環境は変更され、新しい生活環境に適した生活のリズムが形成される。こうした生活を繰り返しながら、いつの日か老いて、退職し、そして老後と呼ばれる生活環境に入る。そうこうしている内に人生は終わる。
生活管理ノートの作成
日常生活の記録を取るという作業、日常生活の現実を明記し、日常生活を維持するために必要な生活時間を把握しておくことが、その日常生活の中で人生の目標を実現する方法の第一歩、基本的な態度であると言える。
一日の目標を書く前に、一日のルーチンワークの時間を書いてみる。すると、一日の中で、それほど多くの時間が目標に向かって作業するために用意されていないことを見つけるのである。時間のやり繰りこそ、日常生活の中で見つけなければならい技術である。どのように生活環境を維持するために必要な生活行為の時間を集中短縮するか。そして、仕事に必要な実務作業時間を集中短縮する方法を考え、その技術を開発することが、知的生産の技術の基本となる。
もっともいい方法として、日常生活での作業を書き出し、チェックする方法を見つけること。さらに、一日の生活時間を現実的に理解し、配分できる訓練を毎日行うこと、そうした作業を可能にする生活管理ノートを作る必要がある。
そして、毎日、生活行為を自己評価する作業を入れることで、日常生活の惰性態への対策が可能にとなる。しかし、それだからと言って、問題が解決したのではない。こうした作業は問題を解決するための入り口、生活時間、作業条件を整えるためのものでしかない。つまり、100メートル走が始まる前の準備体操のようなものである。よく準備体操をしていないと走れないのである。また、昨日準備体操をしたから、今日は不要だと言うことは絶対にないように、毎日、スタートラインに立たされた我々は毎日その前に準備体操をしておく必要があるのだろう。
引用、参考資料
三石式 生活管理ノート
近日中に公開します。
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三石博行 「知的生産の技術 基礎編」
2012年3月26日 誤字修正
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沖縄と本土の二つの立場、敗戦国日本の戦後と現代に連なる課題として
山崎豊子著「運命の人」・TBSドラマの課題(3)
三石博行
密約提携の背景としての敗戦国日本の宿命
TBS日曜劇場ドラマ山崎豊子原作「運命の人」の中で、沖縄返還密約問題を巡って織りなされた人々の行動。もし、このドラマが密約問題を悪としそれとに闘う新聞記者を善とした構図でストーリーを展開されたなら、もっと分かりやすい単純な話となり、また同時に複雑な人間的な葛藤は消滅し、文学的な価値が失われるかもしれない。
このドラマの魅力は、それぞれの人々の行動が一見政治的な立場に立たされながらも、そこにそれぞれの人々が選択せざるを得なかった行動の背景が描かれていることであった。著書を読まないで、このような評価をすることは間違いかもしれないが、このドラマに登場した俳優たちの演技の中から、その課題を理解することが出来た。
このドラマが私を引きつけたのは、ドラマに登場した人々の行動が大きくは政治的な意図に利用され、またその政治的意図によって抹殺されながらも、異なる政治的立場から行動したと解釈されるそれぞれの登場人物たちの本心に共通する人間らしさを感じさせていたことであった。そして、このドラマが政治的事実への善悪を求める前に、その現実を生み出さざるを得なかった時代や社会的背景、敗戦国家として戦後日本の復興に立ちあがった社会の宿命を感じさせたからであった。
権力と闘うこと闘えないことの根拠(存在理由)
新聞記者弓成は、本来望んでいなかった状況、権力との正面対決、権力に一人で立ち向わざるを得ない立場に立たされることになる。この弓成の周りに多くの支援者が集まる。その支援者たちは共通する課題を持っていた。その課題とは当時の政府が進めた沖縄返還にまつわる密約協定(核の持ち込みや日本政府の400万ドルの支払い)に対する批判的意見であった。
しかし、その批判的見解が全く同じ内容であったかどうかは分からない。あるものは、米軍の沖縄基地の存続に反対し、あるものは国民を裏切る密約を結んだことに批判をし、あるものは政府が400万ドルを払ったことに憤慨していたかもしれない。いずれにしても、政府の沖縄返還のやり方に対して不審や批判を持っている人々であることには違いない。
政府は、密約はないという立場を国民に対しては取り、同時に機密文書が漏洩した事実を認め外務省では犯人探しを行った。弓成記者に情報を渡した三木事務官は、余りにも大きな社会的衝撃(密約と機密文書漏洩のスキャンダル)に対して耐えることは出来なかった。何故なら、彼女は政府の密約協定への批判や沖縄問題に関心があった訳ではなく、弓成記者への個人的感情によって、機密文書の情報を弓成記者に渡したからであった。
一人で権力と闘うことになる彼へのその社会的正義感や考え方に共鳴したのではない、その意味で彼を取り巻く支援者とは予め共通する立場を持っていない人物であることは確かだろう。その意味で、この事件は彼女にとっては悲劇の始まりであった。まず、弓成に利用されたこと、そして弱い一人の事務官が恐ろしい犯罪者となったこと、彼女に予定されていた公務員としての生活も未来もすべて粉々に粉砕された瓦礫となったのである。
個人的感情によって機密情報を流した事務官と社会的正義感によってそれを暴露(スクープ)した記者と、まったく異なる動機によって、一つの共通した行為を選択してしまったのである。このことを例えるなら、この二人は共に同じ場所にボタンを掛けたと思えたのが、その場所は全くことなる位置になっていた。「機密情報の暴露」という行為から見れば二人の行動は同じなのだが、その二人の行動の動機は全く異なっていた。
そのため国家機密漏洩罪で逮捕された三木事務官と弓成記者の間には、逮捕という現実を受け止める共通項は存在していなかった。三木事務官にとってこの事件は不慮の災害であった。彼女は弓成記者を信頼し、機密文書を渡した。その結果、弓成に裏切られた。弓成記者は、密約を糾弾する一人の新聞記者としての立場を持っていた。
そのため、この二人は国家権力の強烈な弾圧に対して異なる自己防衛の在り方を選択することになる。つまり、弓成記者にとって、この事件は沖縄返還に関する密約問題とその事実隠蔽のための国家権力の弾圧であった。彼はそれに対して闘うしか道は残されていなかった。しかし、三木事務官は、自分を守ってくれなかった弓成への憎しみ、自分が受けて同じ苦痛を弓成にも味合せたいと思った。彼を自分と同じ犯罪者とすることであった。
密約問題以上に弓成への憎悪が彼女の問題であった。その憎悪を権力によって利用され、密約問題が隠蔽されることに対して、彼女は政治的判断をする基盤を持たなかったし、また政治的判断によって密約の機密文書を弓成に渡したのではない以上、彼女の取る弓成への憎悪以外に彼女に別の行動を望めただろうか。
彼女の嘘の告白行為は、言い換えると積極的な国家機密漏洩事件という外務省側の現実への対応の姿であったと理解できないだろうか。彼女は逃げたのではない。彼女は闘ったのである。その相手は、弓成が相手にせざるを得なかった国家権力でなく、自分を裏切った一人の男であった。しかし、その闘いも、弓成と同じように望んでいたものでなく、受けざるを得ない闘いであったに違いない。
沖縄島民の犠牲を前提とした敗戦処理(国民の暗黙の了解)
こうした人間的な感情によって生み出される人々の行為を越えて、その行為をすべて飲み込み、大きな時代の流れを生み出す力を持つものを権力と呼んでいる。一人の人間の気持ちなど、この大きな流れに乗った者から見れば、流れに巻き込まれた小さな木片のようなものである。どれほど流れに抵抗しようと、また抵抗していると思っていようが、結果的には、大きな流れに飲み込まれていくことは明らかなのだ。
その大きな流れとは何か。それは敗戦国家として戦後日本の社会が始まったこと。悲惨な戦禍、焦土化した日本の国土、このどん底から這い上がるために、ありとあらゆる努力を重ねた戦後社会、その中で国民は平和な社会、経済の復興や豊かな生活を望んだ。勝戦国アメリカの支援を受け、その核の傘の下で守られ、強固な政治経済的共同体日米同盟を形成し、敗戦の焦土から現実的に立ち上がり、復興の道筋を作ること以外に、他の手段や政策(道)があったとは思われないのである。
その意味で、密約問題は当時の社会では政権交代を国民が迫る程の重大な課題ではなかったと言える。これが当時の状況であった。その状況を暗黙の裡に許していたのは、沖縄島民に課せられた日本国民が敗戦国日本の負うべき義務であった。つまり、この大きな流れを作っているのは、敗戦国家日本の宿命とその負担を沖縄島民に押し付けた我々本土日本国民の暗黙の了解ではなかったか。
こうした視点から見ると、弓成記者と三木事務官、そして佐橋首相や検事たちまでもが、一つの集団として括られ、その対立項が限りなく収束しながら、そしてその収束した点と別の対立項、つまり最終章で登場した沖縄の人々が現れてくるのである。そして異なる意見を持つ沖縄島民も一つに収束していく。沖縄問題にあまりにも鈍感な本土の人々、すべての戦後処理の犠牲を沖縄に強いて、豊かな反映を追い求める沖縄を省いている日本、その現実を知らされる時、反戦地主もまた基地使用を容認している地主も同じ沖縄の島民としての立場に収束されて行くのである。
最終章から飛び出してくる「本当に沖縄の痛みが分かるのか」という問いかけの中で、私が理解したのは敗戦処理を担った日本国民ではなく、本土の日本人の沖縄島民の二つの置かれた立場であった。その立場から見れば、私は明らかに弓成記者と同じ意見であり、そして同時に佐橋首相の政治的(外交的)対応によって擁護されている側にいることは確かだという事実であった。
鳩山由紀夫元首相の挫折の意味する課題
民主党政権が成立したとき、当時の鳩山由紀夫首相は沖縄問題に取り組んだ。沖縄問題の解決なくして戦後日本は終わっていないと政治家鳩山氏は考えていたのかもしれない。その意味で、鳩山由紀夫氏は沖縄にもっとも心を砕いた政治家の一人である。しかも、宜野湾市のど真ん中にある普天間基地ではこれまで航空機事後が多発し続けていた。
例えば、「復帰以降の事故発生件数についての統計は2002年12月末時点で固定翼機8件、ヘリ69件の計77件であり、復帰後から同時点までの沖縄県内米軍航空機事故217件の内35.5%を占める[16]。この間の死亡者は全て米兵であるが、民間人の死亡者を伴うような重大な事故の危険性が指摘されてきた。」(Wikipedia 普天間基地)
ドラマのなかでも2004年8月13日 に 海兵隊所属のCH-53Dの内1機が普天間飛行場に隣接する沖縄国際大学の構内に墜落した事件「沖国大米軍ヘリ墜落事件」と1995年9月4日にアメリカ兵3名が、12歳の女子小学生を拉致した上、集団強姦した強姦致傷および逮捕監禁した「沖縄米兵少女暴行事件」と思われる場面が登場していた。米軍基地があることによって沖縄県民が日常的に被害にあい続けている現実は本土の新聞には殆ど取り上げられることはなかった。
普天間基地の沖縄県外移転という人間鳩山由紀夫氏の沖縄問題に対する姿勢は評価できる。しかし、政治家として鳩山氏は沖縄問題の困難さを理解していなかったともいえる。首相発言で混乱するアメリカと日本、そして結局は、鳩山氏は沖縄以外の所に普天間基地を移転させることが不可能であることに気付くのである。
沖縄県民は鳩山首相の発言を切っ掛けに今まで抑えられ続けた課題の解決の糸口の見つけたとお思った。鳩山氏の発言で沖縄の負担を少しでも少なくすることが出来るのではと県民は希望を持った。しかし、その希望もすぐに打ちのめされることになる。鳩山氏はアメリカの核の傘で守られている現実を正確に受け止めていなかった。さらに台頭する中国の軍事的脅威と国防問題も理解していなかったのだろう。結局は、外務省、与党は勿論のこと野党からの批判、そして何より世論(本土の)の批判に出会い、かっけなく発言を取り消すことになった。この鳩山首相(当時)の発言の責任問題を野党が見逃すことはなかった。その結果、鳩山内閣は総辞職し鳩山氏も首相を辞任することになった。民主党の評価は落ちた。希望をもった沖縄県人は再び諦めの谷間に突き落とされた。
自民党は勿論、日本の報道機関はことごとく鳩山由紀夫元首相の発言を批判した。その発言が混乱のすべての元凶であると報じた。つまり鳩山氏の間違いとは沖縄県民は混乱を持ち込こまれて迷惑を受けている。沖縄で集会が開かれのはその混乱に対する抗議の意味も含まれているというニュアンスが本土の報道から感じられた。
鳩山発言を沖縄県民の側から見たらどうだったのか。鳩山発言を支持し、沖縄から一つでも米軍の基地がなくなり、また軍事基地に依存しない沖縄経済を作りたいと願っていたのではないだろうか。そして、鳩山発言を批判する世論や政党に対して「沖縄は今まで通り、アメリカの北太平洋防衛戦力のために、犠牲になって貰う」というメッセージを感じていたのではないか。そうした世論や野党自民党の痛烈な批判に態度を変えた鳩山首相には絶望するしかなかったと思える。
現在、日本(本土)の世論では、沖縄問題がうまくいかないすべての責任は鳩山にあると言われているようである。しかし、本当にそうなのだろうか。私たち本土の日本人は戦後処理を沖縄の人々に一方的に押し付けている。その負担の構造を破壊し乱すものは決して許されないし少女暴行事件を起こす米兵が本土に多数来てもらってはこまるし、ましては自分たちの町に米軍ヘリが落ちるのは絶対に嫌だというのが本土日本人の本音ではないだろうか。
この大多数の日本人(本土の人々)の気持ちに押されて、今日も鳩山氏は批判され続けているようだ。しかし、この構図を沖縄から見たらどう見えるだろうか。
引用、参考資料
1、TBS 日曜劇場 「運命の人」
http://www.tbs.co.jp/unmeinohito/cast/
2、Wikipedia 沖国大米軍ヘリ墜落事件
3、Wikipedia 普天間基地
4、Wikipedia 沖縄米兵少女暴行事件
5、三石博行 「国民文化に根ざす報道の自由の意味と報道のモラル」 2012年3月22日
6、三石博行 沖縄の現実を直視できない我々日本人とは何か 2012年3月22日
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関連ブログ文書集
ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html
ブログ文書集「民主主義社会の発展のための報道機能のありかた」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_03.html
2012年3月26日 誤字修正
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三石博行
密約提携の背景としての敗戦国日本の宿命
TBS日曜劇場ドラマ山崎豊子原作「運命の人」の中で、沖縄返還密約問題を巡って織りなされた人々の行動。もし、このドラマが密約問題を悪としそれとに闘う新聞記者を善とした構図でストーリーを展開されたなら、もっと分かりやすい単純な話となり、また同時に複雑な人間的な葛藤は消滅し、文学的な価値が失われるかもしれない。
このドラマの魅力は、それぞれの人々の行動が一見政治的な立場に立たされながらも、そこにそれぞれの人々が選択せざるを得なかった行動の背景が描かれていることであった。著書を読まないで、このような評価をすることは間違いかもしれないが、このドラマに登場した俳優たちの演技の中から、その課題を理解することが出来た。
このドラマが私を引きつけたのは、ドラマに登場した人々の行動が大きくは政治的な意図に利用され、またその政治的意図によって抹殺されながらも、異なる政治的立場から行動したと解釈されるそれぞれの登場人物たちの本心に共通する人間らしさを感じさせていたことであった。そして、このドラマが政治的事実への善悪を求める前に、その現実を生み出さざるを得なかった時代や社会的背景、敗戦国家として戦後日本の復興に立ちあがった社会の宿命を感じさせたからであった。
権力と闘うこと闘えないことの根拠(存在理由)
新聞記者弓成は、本来望んでいなかった状況、権力との正面対決、権力に一人で立ち向わざるを得ない立場に立たされることになる。この弓成の周りに多くの支援者が集まる。その支援者たちは共通する課題を持っていた。その課題とは当時の政府が進めた沖縄返還にまつわる密約協定(核の持ち込みや日本政府の400万ドルの支払い)に対する批判的意見であった。
しかし、その批判的見解が全く同じ内容であったかどうかは分からない。あるものは、米軍の沖縄基地の存続に反対し、あるものは国民を裏切る密約を結んだことに批判をし、あるものは政府が400万ドルを払ったことに憤慨していたかもしれない。いずれにしても、政府の沖縄返還のやり方に対して不審や批判を持っている人々であることには違いない。
政府は、密約はないという立場を国民に対しては取り、同時に機密文書が漏洩した事実を認め外務省では犯人探しを行った。弓成記者に情報を渡した三木事務官は、余りにも大きな社会的衝撃(密約と機密文書漏洩のスキャンダル)に対して耐えることは出来なかった。何故なら、彼女は政府の密約協定への批判や沖縄問題に関心があった訳ではなく、弓成記者への個人的感情によって、機密文書の情報を弓成記者に渡したからであった。
一人で権力と闘うことになる彼へのその社会的正義感や考え方に共鳴したのではない、その意味で彼を取り巻く支援者とは予め共通する立場を持っていない人物であることは確かだろう。その意味で、この事件は彼女にとっては悲劇の始まりであった。まず、弓成に利用されたこと、そして弱い一人の事務官が恐ろしい犯罪者となったこと、彼女に予定されていた公務員としての生活も未来もすべて粉々に粉砕された瓦礫となったのである。
個人的感情によって機密情報を流した事務官と社会的正義感によってそれを暴露(スクープ)した記者と、まったく異なる動機によって、一つの共通した行為を選択してしまったのである。このことを例えるなら、この二人は共に同じ場所にボタンを掛けたと思えたのが、その場所は全くことなる位置になっていた。「機密情報の暴露」という行為から見れば二人の行動は同じなのだが、その二人の行動の動機は全く異なっていた。
そのため国家機密漏洩罪で逮捕された三木事務官と弓成記者の間には、逮捕という現実を受け止める共通項は存在していなかった。三木事務官にとってこの事件は不慮の災害であった。彼女は弓成記者を信頼し、機密文書を渡した。その結果、弓成に裏切られた。弓成記者は、密約を糾弾する一人の新聞記者としての立場を持っていた。
そのため、この二人は国家権力の強烈な弾圧に対して異なる自己防衛の在り方を選択することになる。つまり、弓成記者にとって、この事件は沖縄返還に関する密約問題とその事実隠蔽のための国家権力の弾圧であった。彼はそれに対して闘うしか道は残されていなかった。しかし、三木事務官は、自分を守ってくれなかった弓成への憎しみ、自分が受けて同じ苦痛を弓成にも味合せたいと思った。彼を自分と同じ犯罪者とすることであった。
密約問題以上に弓成への憎悪が彼女の問題であった。その憎悪を権力によって利用され、密約問題が隠蔽されることに対して、彼女は政治的判断をする基盤を持たなかったし、また政治的判断によって密約の機密文書を弓成に渡したのではない以上、彼女の取る弓成への憎悪以外に彼女に別の行動を望めただろうか。
彼女の嘘の告白行為は、言い換えると積極的な国家機密漏洩事件という外務省側の現実への対応の姿であったと理解できないだろうか。彼女は逃げたのではない。彼女は闘ったのである。その相手は、弓成が相手にせざるを得なかった国家権力でなく、自分を裏切った一人の男であった。しかし、その闘いも、弓成と同じように望んでいたものでなく、受けざるを得ない闘いであったに違いない。
沖縄島民の犠牲を前提とした敗戦処理(国民の暗黙の了解)
こうした人間的な感情によって生み出される人々の行為を越えて、その行為をすべて飲み込み、大きな時代の流れを生み出す力を持つものを権力と呼んでいる。一人の人間の気持ちなど、この大きな流れに乗った者から見れば、流れに巻き込まれた小さな木片のようなものである。どれほど流れに抵抗しようと、また抵抗していると思っていようが、結果的には、大きな流れに飲み込まれていくことは明らかなのだ。
その大きな流れとは何か。それは敗戦国家として戦後日本の社会が始まったこと。悲惨な戦禍、焦土化した日本の国土、このどん底から這い上がるために、ありとあらゆる努力を重ねた戦後社会、その中で国民は平和な社会、経済の復興や豊かな生活を望んだ。勝戦国アメリカの支援を受け、その核の傘の下で守られ、強固な政治経済的共同体日米同盟を形成し、敗戦の焦土から現実的に立ち上がり、復興の道筋を作ること以外に、他の手段や政策(道)があったとは思われないのである。
その意味で、密約問題は当時の社会では政権交代を国民が迫る程の重大な課題ではなかったと言える。これが当時の状況であった。その状況を暗黙の裡に許していたのは、沖縄島民に課せられた日本国民が敗戦国日本の負うべき義務であった。つまり、この大きな流れを作っているのは、敗戦国家日本の宿命とその負担を沖縄島民に押し付けた我々本土日本国民の暗黙の了解ではなかったか。
こうした視点から見ると、弓成記者と三木事務官、そして佐橋首相や検事たちまでもが、一つの集団として括られ、その対立項が限りなく収束しながら、そしてその収束した点と別の対立項、つまり最終章で登場した沖縄の人々が現れてくるのである。そして異なる意見を持つ沖縄島民も一つに収束していく。沖縄問題にあまりにも鈍感な本土の人々、すべての戦後処理の犠牲を沖縄に強いて、豊かな反映を追い求める沖縄を省いている日本、その現実を知らされる時、反戦地主もまた基地使用を容認している地主も同じ沖縄の島民としての立場に収束されて行くのである。
最終章から飛び出してくる「本当に沖縄の痛みが分かるのか」という問いかけの中で、私が理解したのは敗戦処理を担った日本国民ではなく、本土の日本人の沖縄島民の二つの置かれた立場であった。その立場から見れば、私は明らかに弓成記者と同じ意見であり、そして同時に佐橋首相の政治的(外交的)対応によって擁護されている側にいることは確かだという事実であった。
鳩山由紀夫元首相の挫折の意味する課題
民主党政権が成立したとき、当時の鳩山由紀夫首相は沖縄問題に取り組んだ。沖縄問題の解決なくして戦後日本は終わっていないと政治家鳩山氏は考えていたのかもしれない。その意味で、鳩山由紀夫氏は沖縄にもっとも心を砕いた政治家の一人である。しかも、宜野湾市のど真ん中にある普天間基地ではこれまで航空機事後が多発し続けていた。
例えば、「復帰以降の事故発生件数についての統計は2002年12月末時点で固定翼機8件、ヘリ69件の計77件であり、復帰後から同時点までの沖縄県内米軍航空機事故217件の内35.5%を占める[16]。この間の死亡者は全て米兵であるが、民間人の死亡者を伴うような重大な事故の危険性が指摘されてきた。」(Wikipedia 普天間基地)
ドラマのなかでも2004年8月13日 に 海兵隊所属のCH-53Dの内1機が普天間飛行場に隣接する沖縄国際大学の構内に墜落した事件「沖国大米軍ヘリ墜落事件」と1995年9月4日にアメリカ兵3名が、12歳の女子小学生を拉致した上、集団強姦した強姦致傷および逮捕監禁した「沖縄米兵少女暴行事件」と思われる場面が登場していた。米軍基地があることによって沖縄県民が日常的に被害にあい続けている現実は本土の新聞には殆ど取り上げられることはなかった。
普天間基地の沖縄県外移転という人間鳩山由紀夫氏の沖縄問題に対する姿勢は評価できる。しかし、政治家として鳩山氏は沖縄問題の困難さを理解していなかったともいえる。首相発言で混乱するアメリカと日本、そして結局は、鳩山氏は沖縄以外の所に普天間基地を移転させることが不可能であることに気付くのである。
沖縄県民は鳩山首相の発言を切っ掛けに今まで抑えられ続けた課題の解決の糸口の見つけたとお思った。鳩山氏の発言で沖縄の負担を少しでも少なくすることが出来るのではと県民は希望を持った。しかし、その希望もすぐに打ちのめされることになる。鳩山氏はアメリカの核の傘で守られている現実を正確に受け止めていなかった。さらに台頭する中国の軍事的脅威と国防問題も理解していなかったのだろう。結局は、外務省、与党は勿論のこと野党からの批判、そして何より世論(本土の)の批判に出会い、かっけなく発言を取り消すことになった。この鳩山首相(当時)の発言の責任問題を野党が見逃すことはなかった。その結果、鳩山内閣は総辞職し鳩山氏も首相を辞任することになった。民主党の評価は落ちた。希望をもった沖縄県人は再び諦めの谷間に突き落とされた。
自民党は勿論、日本の報道機関はことごとく鳩山由紀夫元首相の発言を批判した。その発言が混乱のすべての元凶であると報じた。つまり鳩山氏の間違いとは沖縄県民は混乱を持ち込こまれて迷惑を受けている。沖縄で集会が開かれのはその混乱に対する抗議の意味も含まれているというニュアンスが本土の報道から感じられた。
鳩山発言を沖縄県民の側から見たらどうだったのか。鳩山発言を支持し、沖縄から一つでも米軍の基地がなくなり、また軍事基地に依存しない沖縄経済を作りたいと願っていたのではないだろうか。そして、鳩山発言を批判する世論や政党に対して「沖縄は今まで通り、アメリカの北太平洋防衛戦力のために、犠牲になって貰う」というメッセージを感じていたのではないか。そうした世論や野党自民党の痛烈な批判に態度を変えた鳩山首相には絶望するしかなかったと思える。
現在、日本(本土)の世論では、沖縄問題がうまくいかないすべての責任は鳩山にあると言われているようである。しかし、本当にそうなのだろうか。私たち本土の日本人は戦後処理を沖縄の人々に一方的に押し付けている。その負担の構造を破壊し乱すものは決して許されないし少女暴行事件を起こす米兵が本土に多数来てもらってはこまるし、ましては自分たちの町に米軍ヘリが落ちるのは絶対に嫌だというのが本土日本人の本音ではないだろうか。
この大多数の日本人(本土の人々)の気持ちに押されて、今日も鳩山氏は批判され続けているようだ。しかし、この構図を沖縄から見たらどう見えるだろうか。
引用、参考資料
1、TBS 日曜劇場 「運命の人」
http://www.tbs.co.jp/unmeinohito/cast/
2、Wikipedia 沖国大米軍ヘリ墜落事件
3、Wikipedia 普天間基地
4、Wikipedia 沖縄米兵少女暴行事件
5、三石博行 「国民文化に根ざす報道の自由の意味と報道のモラル」 2012年3月22日
6、三石博行 沖縄の現実を直視できない我々日本人とは何か 2012年3月22日
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関連ブログ文書集
ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html
ブログ文書集「民主主義社会の発展のための報道機能のありかた」の目次
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2012年3月26日 誤字修正
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2012年3月22日木曜日
国民文化に根ざす報道の自由の意味と報道のモラル
山崎豊子著「運命の人」・TBSドラマの課題(2)
三石博行
二つの報道の自由の主張
このドラマが問いかけた課題として報道の自由と報道のモラルの問題があった。二つの報道の自由、一つは弓成記者が主張した報道の自由、もう一つは弓成記者のスキャンダルを追いかけた二人の週刊誌聞記者鳥井と松中の主張した報道の自由である。
政府の密約を報道する大手新聞記者弓成の報道の自由は、国民を欺く国家に対して社会正義を背景に主張されたものであった。それに対して週刊誌記者鳥井の報道の自由は情報という商品を自由に国民に売ることを前提とした報道の自由であった。さらに同じく週刊誌記者松中も鳥井と同じ立場にあるが隠されている事実を報道しようという姿勢をもって商品としての情報を提供する自由であった。
この三人を通じて理解される報道の自由の意味の中には二つの立場が存在している。その二つの立場に共通するものは企業体、新聞社と週刊雑誌社という情報商品を売買する企業であることだ。そしてその二つの違いは、双方の記者にある主観的な情報提供の意味である。ひとつは、社会に正しい情報を伝えるという立場、もう一つは社会の必要としている情報を伝えるという立場である。新聞記者はジャーナリストの精神、つまり正しい社会報道に対する責任を持つことを自覚的に理解しようとしている。もう一つの週刊誌記者は市民の興味、欲望を満たそうとする社会報道に対して報道の焦点を当てることになる。
商業活動としての報道
つまり、週刊誌記者にとって週刊誌が売れることが記事の評価となる以上、大衆の要求を満たす記事を書くことになる。市民にとって、男と女の情事やスキャンダルが沖縄返還にまつわる密約問題よりも興味深いテーマなら、週刊誌記者の報道活動は、密約問題ではなく、弓成と三木がどのホテルで密会していたかという課題となる。
記事とう商品が売れなければ週刊誌社の企業活動は成立しないために、週刊誌は大衆の知りたい情報、知りたい課題、欲望にもっとも敏感に反応し続けることになる。これが週刊誌社の情報商業活動としての宿命である。そこに、ジャーナリズムのモラルという空論は存在していない。「書いて何ぼのもん」という算盤がつねに動く世界で記事を作る(造る)ことになる。
さすがに、大手新聞社の記者には、この手の泥臭いそして企業利益を最優先する週刊誌社の記者のような図太さはない。やはりジャーナリストの使命という建前が彼らの報道活動の視点やあり方を決定している。しかし、大手新聞社も究極のところでは、情報商品を生産する企業体であることには変わりはない。その限り、弓成の所属していた毎朝新聞社も弓成を解雇(形式的には辞職)することになる。つまり、弓成を解雇しない限り、弓成が三木事務官への性的関係を口実にした情報強要の手口、新聞記者としてあったはならない反社会的行為(週刊誌が書き立てた記事による)を認めることになるという論理(口実)が成立していた。実際、毎朝新聞社は不買運動によって倒産の危機に追いやられるのである。
幻想としての報道の自由や報道のモラル
民主主義を守るためには報道の自由が前提であるというのは、弓成の主観的な信念であったのだろうか。民主主義の主人公である国民は、沖縄返還に伴う密約問題、核の持込よりも、弓成記者と三木事務官の情事に、そして弓成がどのようにして三木事務官から情報を入手したかということに関心を持っていたのではないだろうか。
言い換えると、弓成が思い描いていた民主主義の基本原則、報道の自由は当時1970年代の日本国民の大半にとってはどうでもいいことであり、それよりも、男と女の話しを面白く、しかも興味深く書く週刊誌の記事の方が大切であったのではないだろうか。報道の自由は弓成の幻想だったのだろうか。そして、その打ち破られた幻想の果てに、今の原発事故や官僚たちの不正行為、被災者をそっちのけで政局を論じる国会議員たちが存続できる国の姿となっているのではないだろうか。
沖縄での米兵による少女暴行事件にしても、「本土の記者・報道機関」は少女の家に押しかけ、また過去の事件を調査し、被害者たちの身元を調べ、実名入りで記事を書く。なぜなら、国民はその少女の名前を知りたがっているからだ。その少女の家族、住所を知りたがっているからだと記者たちは信じて疑わないのである。しかし、弓成は現地沖縄の新聞社、新聞記者たちの少女の人権に配慮した取材や記事を知った。そして、報道人、ジャーナリストのモラルとは何かを問いかけた。
人権を考えれば、読者の欲望を満たす刺激的な記事は書けない。少女が男たちに強姦され、どんな姿になっていたか。少女は今どうしているか。少女の人権という言葉に阻止されて、少女の年齢は、容貌は、親は、家族は、学校は、住所は、家柄は等々、尽きない読者の欲望を掻き立てる記事は生まれないのである。経営的にみればこの人権は企業にとっては大きな損失を生み出す要因以外の何者でもないということだ。
国民文化としての報道の自由とモラル
2011年11月の行われた大阪市長選挙で、大阪府知事から大阪市長に立候補した橋下徹氏に対して週刊誌の誹謗中傷の記事が連日記載された。親がヤクザだったとか、部落出身者であるとか、親戚に犯罪者が居るとか、これでもかこれでもかと書き連ねた。
しかし、橋下氏はそうした記事に動揺することなく、大阪都市構想や経済復興の政策案を出し、相手の候補を誹謗することなく、選挙戦を戦った。大阪市民の反応は、むしろそうした橋下氏への支持に大きく傾いていった。「家族がそんな状況でも、彼は早稲田に入学して学生時代に司法試験に合格し、立派に家族を守っているではないか」と人々は橋下氏の健闘を祝福した。そして、彼は見事に市長選挙に勝った。
つまり、大阪市民は、1970年代の日本国民のように週刊誌の書くスキャンダル記事に動揺することは一切なかった。そして、大阪の町を繁栄させるためには橋下氏の主張が正しいと判断した。多分、殆どの大阪市民は週刊誌の記事の内容を知っていただろう。しかし、その内容に対して、大多数の人々が批判的に受けとめたとしても、大切なことは立候補者の政策ビジョンであることを理解していた。これが、橋下氏が当選したという結果を超えて、大阪市民の選挙に対する姿勢という民主主義風土の勝利であったと言えないだろうか。
この大阪市長選挙と沖縄返還密約文書(弓成スキャンダル事件)の二つの時代を通じて、日本の民主主義文化が成長したことを理解できると思う。つまり、週刊誌が橋下氏を誹謗しようと、弓成氏の情事をスキャンダルラスに描こうと、それを報道の自由と呼ぼうと、市民はそれが週刊誌社の商品であり、それを面白がる人々へのサービスとして理解し、どんな企業でも消費者のニーズにあわせて商品を提供するように、週刊誌社も橋下氏の悪口を読みたい人の需要にあった商品(記事)を書いて、商売をしているぐらいに理解したのだろう。
橋下氏は、ロス疑惑でありとあらゆることを週刊誌に書きたてられた故三浦和義氏とは違って週刊誌を名誉毀損で告訴したとは聞いていない。だからと言って、週刊誌が書きたてた誹謗を認めた訳でもない。それはすでに市民が選挙を通じて判断を示したと理解しているのではないだろうか。
もし、週刊誌社や新聞社の記者にジャーナリストとしてのモラルがあるなら、この大阪市長選挙での週刊誌報道と市長選挙での市民の反応を自らの職業精神に基づき検証する必要があるかもしれない。そして、民主主義文化が成長した社会で市民が必要とする情報、情報ニーズをもっと正しく理解する契機になるかもしれない。これが報道機能機能のモラルに対して問題提起する唯一の手段ではないだろうか。
つづき
三石博行 「沖縄と本土の二つの立場、敗戦国日本の戦後と現代に連なる課題として 」
引用、参考資料
1、TBS 日曜劇場 「運命の人」
http://www.tbs.co.jp/unmeinohito/cast/
2、Wikipedia ロス疑惑事件
3、三石博行 沖縄の現実を直視できない我々日本人とは何か 2012年3月22日
つづき
三石博行 「沖縄と本土の二つの立場、敗戦国日本の戦後と現代に連なる課題として 」
2012年3月23日誤字修正
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関連文書集
1、ブログ文書集「民主主義社会の発展のための報道機能のありかた」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_03.html
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三石博行
二つの報道の自由の主張
このドラマが問いかけた課題として報道の自由と報道のモラルの問題があった。二つの報道の自由、一つは弓成記者が主張した報道の自由、もう一つは弓成記者のスキャンダルを追いかけた二人の週刊誌聞記者鳥井と松中の主張した報道の自由である。
政府の密約を報道する大手新聞記者弓成の報道の自由は、国民を欺く国家に対して社会正義を背景に主張されたものであった。それに対して週刊誌記者鳥井の報道の自由は情報という商品を自由に国民に売ることを前提とした報道の自由であった。さらに同じく週刊誌記者松中も鳥井と同じ立場にあるが隠されている事実を報道しようという姿勢をもって商品としての情報を提供する自由であった。
この三人を通じて理解される報道の自由の意味の中には二つの立場が存在している。その二つの立場に共通するものは企業体、新聞社と週刊雑誌社という情報商品を売買する企業であることだ。そしてその二つの違いは、双方の記者にある主観的な情報提供の意味である。ひとつは、社会に正しい情報を伝えるという立場、もう一つは社会の必要としている情報を伝えるという立場である。新聞記者はジャーナリストの精神、つまり正しい社会報道に対する責任を持つことを自覚的に理解しようとしている。もう一つの週刊誌記者は市民の興味、欲望を満たそうとする社会報道に対して報道の焦点を当てることになる。
商業活動としての報道
つまり、週刊誌記者にとって週刊誌が売れることが記事の評価となる以上、大衆の要求を満たす記事を書くことになる。市民にとって、男と女の情事やスキャンダルが沖縄返還にまつわる密約問題よりも興味深いテーマなら、週刊誌記者の報道活動は、密約問題ではなく、弓成と三木がどのホテルで密会していたかという課題となる。
記事とう商品が売れなければ週刊誌社の企業活動は成立しないために、週刊誌は大衆の知りたい情報、知りたい課題、欲望にもっとも敏感に反応し続けることになる。これが週刊誌社の情報商業活動としての宿命である。そこに、ジャーナリズムのモラルという空論は存在していない。「書いて何ぼのもん」という算盤がつねに動く世界で記事を作る(造る)ことになる。
さすがに、大手新聞社の記者には、この手の泥臭いそして企業利益を最優先する週刊誌社の記者のような図太さはない。やはりジャーナリストの使命という建前が彼らの報道活動の視点やあり方を決定している。しかし、大手新聞社も究極のところでは、情報商品を生産する企業体であることには変わりはない。その限り、弓成の所属していた毎朝新聞社も弓成を解雇(形式的には辞職)することになる。つまり、弓成を解雇しない限り、弓成が三木事務官への性的関係を口実にした情報強要の手口、新聞記者としてあったはならない反社会的行為(週刊誌が書き立てた記事による)を認めることになるという論理(口実)が成立していた。実際、毎朝新聞社は不買運動によって倒産の危機に追いやられるのである。
幻想としての報道の自由や報道のモラル
民主主義を守るためには報道の自由が前提であるというのは、弓成の主観的な信念であったのだろうか。民主主義の主人公である国民は、沖縄返還に伴う密約問題、核の持込よりも、弓成記者と三木事務官の情事に、そして弓成がどのようにして三木事務官から情報を入手したかということに関心を持っていたのではないだろうか。
言い換えると、弓成が思い描いていた民主主義の基本原則、報道の自由は当時1970年代の日本国民の大半にとってはどうでもいいことであり、それよりも、男と女の話しを面白く、しかも興味深く書く週刊誌の記事の方が大切であったのではないだろうか。報道の自由は弓成の幻想だったのだろうか。そして、その打ち破られた幻想の果てに、今の原発事故や官僚たちの不正行為、被災者をそっちのけで政局を論じる国会議員たちが存続できる国の姿となっているのではないだろうか。
沖縄での米兵による少女暴行事件にしても、「本土の記者・報道機関」は少女の家に押しかけ、また過去の事件を調査し、被害者たちの身元を調べ、実名入りで記事を書く。なぜなら、国民はその少女の名前を知りたがっているからだ。その少女の家族、住所を知りたがっているからだと記者たちは信じて疑わないのである。しかし、弓成は現地沖縄の新聞社、新聞記者たちの少女の人権に配慮した取材や記事を知った。そして、報道人、ジャーナリストのモラルとは何かを問いかけた。
人権を考えれば、読者の欲望を満たす刺激的な記事は書けない。少女が男たちに強姦され、どんな姿になっていたか。少女は今どうしているか。少女の人権という言葉に阻止されて、少女の年齢は、容貌は、親は、家族は、学校は、住所は、家柄は等々、尽きない読者の欲望を掻き立てる記事は生まれないのである。経営的にみればこの人権は企業にとっては大きな損失を生み出す要因以外の何者でもないということだ。
国民文化としての報道の自由とモラル
2011年11月の行われた大阪市長選挙で、大阪府知事から大阪市長に立候補した橋下徹氏に対して週刊誌の誹謗中傷の記事が連日記載された。親がヤクザだったとか、部落出身者であるとか、親戚に犯罪者が居るとか、これでもかこれでもかと書き連ねた。
しかし、橋下氏はそうした記事に動揺することなく、大阪都市構想や経済復興の政策案を出し、相手の候補を誹謗することなく、選挙戦を戦った。大阪市民の反応は、むしろそうした橋下氏への支持に大きく傾いていった。「家族がそんな状況でも、彼は早稲田に入学して学生時代に司法試験に合格し、立派に家族を守っているではないか」と人々は橋下氏の健闘を祝福した。そして、彼は見事に市長選挙に勝った。
つまり、大阪市民は、1970年代の日本国民のように週刊誌の書くスキャンダル記事に動揺することは一切なかった。そして、大阪の町を繁栄させるためには橋下氏の主張が正しいと判断した。多分、殆どの大阪市民は週刊誌の記事の内容を知っていただろう。しかし、その内容に対して、大多数の人々が批判的に受けとめたとしても、大切なことは立候補者の政策ビジョンであることを理解していた。これが、橋下氏が当選したという結果を超えて、大阪市民の選挙に対する姿勢という民主主義風土の勝利であったと言えないだろうか。
この大阪市長選挙と沖縄返還密約文書(弓成スキャンダル事件)の二つの時代を通じて、日本の民主主義文化が成長したことを理解できると思う。つまり、週刊誌が橋下氏を誹謗しようと、弓成氏の情事をスキャンダルラスに描こうと、それを報道の自由と呼ぼうと、市民はそれが週刊誌社の商品であり、それを面白がる人々へのサービスとして理解し、どんな企業でも消費者のニーズにあわせて商品を提供するように、週刊誌社も橋下氏の悪口を読みたい人の需要にあった商品(記事)を書いて、商売をしているぐらいに理解したのだろう。
橋下氏は、ロス疑惑でありとあらゆることを週刊誌に書きたてられた故三浦和義氏とは違って週刊誌を名誉毀損で告訴したとは聞いていない。だからと言って、週刊誌が書きたてた誹謗を認めた訳でもない。それはすでに市民が選挙を通じて判断を示したと理解しているのではないだろうか。
もし、週刊誌社や新聞社の記者にジャーナリストとしてのモラルがあるなら、この大阪市長選挙での週刊誌報道と市長選挙での市民の反応を自らの職業精神に基づき検証する必要があるかもしれない。そして、民主主義文化が成長した社会で市民が必要とする情報、情報ニーズをもっと正しく理解する契機になるかもしれない。これが報道機能機能のモラルに対して問題提起する唯一の手段ではないだろうか。
つづき
三石博行 「沖縄と本土の二つの立場、敗戦国日本の戦後と現代に連なる課題として 」
引用、参考資料
1、TBS 日曜劇場 「運命の人」
http://www.tbs.co.jp/unmeinohito/cast/
2、Wikipedia ロス疑惑事件
3、三石博行 沖縄の現実を直視できない我々日本人とは何か 2012年3月22日
つづき
三石博行 「沖縄と本土の二つの立場、敗戦国日本の戦後と現代に連なる課題として 」
2012年3月23日誤字修正
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関連文書集
1、ブログ文書集「民主主義社会の発展のための報道機能のありかた」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_03.html
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沖縄の現実を直視できない我々日本人とは何か
山崎豊子著「運命の人」TBSドラマの課題(1)
三石博行
ドラマ「運命の人」が問いかけるもの
TBSで10回にわたって放映された日曜劇場ドラマ「運命の人」。このドラマの原作は山崎豊子著「運命の人」である。ドラマが小説を忠実に再現したものか、この著書を読んだことがないので分からないが、山崎豊子らしい作品であると言えるだろう。
ドラマの舞台は1970年代の日本、沖縄返還を進めた当時の佐藤栄作総理の時代である。今では、当時、自民党政権が行った沖縄返還を巡る日米間の密約問題は、歴史的事実である。従ってこのドラマのテーマは、歴史的事実である密約問題を問い掛けるだけのものではないように思えた。
このドラマのテーマは、太平洋戦争で唯一地上戦の行われた国土・沖縄、その悲惨な戦禍、過酷な戦争体験、そして戦後、アメリカの支配下で軍事基地化し、その軍事基地は沖縄返還後も、現在まで続いた事実、そして、アメリカ統治下の時代はもとより本土復帰後も、沖縄では植民地のように村民の人権は踏みにじられてきた事実、事実を日本政府も、日本国民も受け止めることはなかった事実、言い換えれば、アメリカの核の傘の下で守られ、豊かな経済発展をしてきた戦後から現代までの日本社会は、この沖縄の犠牲の上に成り立っているという事実を示すことであったと思えた。最終回に集約されているこの課題がこのドラマの基本テーマだろう。
ドラマのあらすじ
正義感の強い新聞記者弓成亮太が沖縄返還に関する密約文書を外務省事務官の三木昭子から入手する。その密約を新聞に記載する。しかし、社会からの批判も政府の反応も生まれない。そこで、野党の国会議員横溝の協力を得て国会で追及する。だが、その追求に対して政府・佐橋首相は密約はないと断言する。憤慨した横溝がこともあろうに機密文書を振りかざし、政府を追求する。機密文書が漏えいしたことが政府の側に分かり、その犯人探しが始まる。
そして三木事務次官が告白し、国家機密漏洩罪で逮捕され、同じくその機密文書を横溝に渡したとして弓成も逮捕される。裁判で沖縄返還に関する密約問題として闘う姿勢を決めた新聞社と弓成であったが、検察は三木との情事問題を全面に出し、不当な取材によって機密文書を入手したとして弓成を告訴する。
三木は自らの人生を狂わす事態を引き起こしたのは弓成の自分への裏切りと理解し、激しく弓成を攻撃し、検察の意図にそって「無理やり情事を迫られ、それを脅され機密文書を渡さざるを得なかった』悲劇の主人公を演じた。第一審で、弓成は無罪となったが、三木は有罪が確定した。そのことを怒った三木は週刊誌記者にうその告白をし、またテレビにも出演し弓成の非道について語る。大衆報道によって弓成は批判の対象とされる。それに世間の流れが変わり、弓成の立場は悪くなる。そして第二審では、弓成も有罪判決を受ける。それを機会に弓成は新聞記者を辞める。
密約問題の事実を迫る弓成記者に対して「君が何を言おうが、もう勝負はついたのだ」と佐橋首相は答えた。確かに政治的勝負はついていた。弓成記者の一方的な敗北であった。世間の批判は、国家が国民に事実を隠蔽し、非核三原則を破り、沖縄に核を密かに持ち込んだ犯罪に向けられることなく、一人の男のスキャンダルに向けられ続けた。その意味で、明らかに弓成は政治的に当時の政権に打ち負かされ、社会的にも排除されたと言えるだろう。
ぼろぼろになった弓成がたどり着いた地は、沖縄だった。彼は沖縄の青い空と海に自らのすべてを投げ出し敗北への決着を付けようとしたが、思わぬ救いの手によって、さんご礁の海から再び拾い出され、生きなければならなかった。沖縄の地、そこに生きる人々、あまりにも悲惨な過去と向き合えない人々と自分とが重なり、次第に彼はその悲惨の中に息づく優しさに癒されてゆく。
そして、再び沖縄の現実に向き合うとき、新聞記者時代の正義感、機密文書のスクープ、裁判等々に対して自分が権力と闘い続けてきたその姿勢に欠如していたものに気付くのだった。それは、沖縄を本当に知らなかった自分であった。同じように傷ついいた人々、自分の痛みをその人々の痛みに共感させようとするとき、彼は再び筆を取り、沖縄の現実を書こうとするのである。沖縄新聞に弓成の投稿記事が記載される。
沖縄の現実は過去も現在も常に悲惨であった。本土決戦、集団自害、日本兵による殺戮、全土の米軍基地化、米国統治化での所有地の無条件借地、米兵による犯罪行為等々。沖縄返還後も状況は改善されなかった。日本政府は沖縄県民を守ろうとはしなかった。そして、米軍のヘリコプター墜落事故、少女暴行事件が起こる。県民の怒りが爆発し、米軍の基地に依存してきた沖縄から変わろうとする人々の闘いが始まるのである。弓成もその中にいた。しかし、今も、沖縄の現実は変わらない。だが、その闇に、いつの日にか未来に向かう人々によって、光が差し込むだろうと弓成は信じるのだった。
民主義国家の機密を守る理由と情報公開の義務
新聞は沖縄返還の機密文書の存在についてスクープした。そして野党議員も国会でその問題を追及した。しかし、政府や外務省はその事実を認めなかった。国会答弁に立った野党の議員によって機密文書の所在が明らかにされてしまう。そのことによって国会に衝撃が走る。だが、そのことは機密文書の漏洩問題に発展する。つまり、外務省内の情報提供者やそれを議員に渡した新聞記者を窮地に追いやることになる。
この事態を生み出す世論の理解について考えると、国家が国民に事実を隠蔽するとい権力の犯罪、その犯罪行為を暴くために政府機関内で機密文書を社会に公開するという公務員法に違反した犯罪の二つの犯罪の重みの理解が問題となるだろう。
この解決を導く糸口として公務員の義務という課題がある。極論すると公務員は国民の利益と政権の利益のどちらを優先するのかということになる。もしくは憲法違反を行う政権の言うままになるか、それともその政権を批判する立場を取れるかとういう課題になる。ある政党の率いる政権が国民に正しい情報を与えず、それを隠蔽するとき、公務員はこの政権の犯す犯罪行為を国民に暴露する権利があるのかという課題である。もしくは、どのような政権であろうと国民が選んだ政権であるかぎり、その政権が犯す誤りにたいして公務員は絶対に反対してはならないし、仮に国家的犯罪行為に加担するする結果となったとしても公務員は政府の方針に忠実に従う義務があるという二つの考え方である。
公務員の絶対的な守秘義務が、ドラマ「運命の人」の中で裁判所が三木事務官に下す有罪判決の根拠となっているといえる。昨年、国家の機密情報とされていた尖閣諸島で中国の漁船が海上保安庁の巡視艇に体当たりする映像を流した海上保安庁の職員がいた。国家機密漏洩罪で逮捕されたが、しかし、国民の支持や国会での野党・自民党の国会質問にあった民主党政権は、この職員を懲戒免職することはできなかった。この場合、社会は公務員が国民の利益に立つ限り国家の緘口令(かんこうれい)を破り、国家に不都合な情報を国民にしめすことは犯罪でないと判断したことになる。
もし民主主義社会を守ろうとするなら、情報公開は原則となる。例えば、政府(政権交代を行っている)が国民の利益に反する行為、国民に真実を伝えない行為、情報を隠蔽する行為を行った場合には、公務員に限らず、国民の誰でもそれを批判し、またその情報を公開する権利を持つ。
この考え方に対して、ある人々は「その情報は国家の安全にかかわる情報であるので、機密情報となっている」と説明するかも知れない。確かに、そうした情報もある。外交上、公開されてはまずい情報もあり、情報公開によって国家(国民)が結果的に損失を受ける場合もある。
それなら、アメリカのように、全ての情報は時間を置いて、例えば10年や15年後には、必ず公開されなければならないような制度を作る必要がある。そして、都合の悪い情報を隠蔽することを厳しく取り締まる必要がある。日本では、頻繁に情報が隠蔽されるだけでなく、都合の悪い情報は破棄されているようだ。
もし、そうした情報の破棄を行った場合には、厳しい罰則を科すようにしなければならないだろう。それが出来ていない限り、政府や一部の官僚に不都合な情報は常に破棄される危険性を持つことになる。
引用、参考資料
1、TBS 日曜劇場 「運命の人」
http://www.tbs.co.jp/unmeinohito/cast/
2、三石博行 「国民文化に根ざす報道の自由の意味と報道のモラル」 2012年3月22日
つづき
「国民文化に根ざす報道の自由の意味と報道のモラル」
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関連文書集
1、ブログ文書集「民主主義社会の発展のための報道機能のありかた」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_03.html
2012年3月23日誤字修正
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三石博行
ドラマ「運命の人」が問いかけるもの
TBSで10回にわたって放映された日曜劇場ドラマ「運命の人」。このドラマの原作は山崎豊子著「運命の人」である。ドラマが小説を忠実に再現したものか、この著書を読んだことがないので分からないが、山崎豊子らしい作品であると言えるだろう。
ドラマの舞台は1970年代の日本、沖縄返還を進めた当時の佐藤栄作総理の時代である。今では、当時、自民党政権が行った沖縄返還を巡る日米間の密約問題は、歴史的事実である。従ってこのドラマのテーマは、歴史的事実である密約問題を問い掛けるだけのものではないように思えた。
このドラマのテーマは、太平洋戦争で唯一地上戦の行われた国土・沖縄、その悲惨な戦禍、過酷な戦争体験、そして戦後、アメリカの支配下で軍事基地化し、その軍事基地は沖縄返還後も、現在まで続いた事実、そして、アメリカ統治下の時代はもとより本土復帰後も、沖縄では植民地のように村民の人権は踏みにじられてきた事実、事実を日本政府も、日本国民も受け止めることはなかった事実、言い換えれば、アメリカの核の傘の下で守られ、豊かな経済発展をしてきた戦後から現代までの日本社会は、この沖縄の犠牲の上に成り立っているという事実を示すことであったと思えた。最終回に集約されているこの課題がこのドラマの基本テーマだろう。
ドラマのあらすじ
正義感の強い新聞記者弓成亮太が沖縄返還に関する密約文書を外務省事務官の三木昭子から入手する。その密約を新聞に記載する。しかし、社会からの批判も政府の反応も生まれない。そこで、野党の国会議員横溝の協力を得て国会で追及する。だが、その追求に対して政府・佐橋首相は密約はないと断言する。憤慨した横溝がこともあろうに機密文書を振りかざし、政府を追求する。機密文書が漏えいしたことが政府の側に分かり、その犯人探しが始まる。
そして三木事務次官が告白し、国家機密漏洩罪で逮捕され、同じくその機密文書を横溝に渡したとして弓成も逮捕される。裁判で沖縄返還に関する密約問題として闘う姿勢を決めた新聞社と弓成であったが、検察は三木との情事問題を全面に出し、不当な取材によって機密文書を入手したとして弓成を告訴する。
三木は自らの人生を狂わす事態を引き起こしたのは弓成の自分への裏切りと理解し、激しく弓成を攻撃し、検察の意図にそって「無理やり情事を迫られ、それを脅され機密文書を渡さざるを得なかった』悲劇の主人公を演じた。第一審で、弓成は無罪となったが、三木は有罪が確定した。そのことを怒った三木は週刊誌記者にうその告白をし、またテレビにも出演し弓成の非道について語る。大衆報道によって弓成は批判の対象とされる。それに世間の流れが変わり、弓成の立場は悪くなる。そして第二審では、弓成も有罪判決を受ける。それを機会に弓成は新聞記者を辞める。
密約問題の事実を迫る弓成記者に対して「君が何を言おうが、もう勝負はついたのだ」と佐橋首相は答えた。確かに政治的勝負はついていた。弓成記者の一方的な敗北であった。世間の批判は、国家が国民に事実を隠蔽し、非核三原則を破り、沖縄に核を密かに持ち込んだ犯罪に向けられることなく、一人の男のスキャンダルに向けられ続けた。その意味で、明らかに弓成は政治的に当時の政権に打ち負かされ、社会的にも排除されたと言えるだろう。
ぼろぼろになった弓成がたどり着いた地は、沖縄だった。彼は沖縄の青い空と海に自らのすべてを投げ出し敗北への決着を付けようとしたが、思わぬ救いの手によって、さんご礁の海から再び拾い出され、生きなければならなかった。沖縄の地、そこに生きる人々、あまりにも悲惨な過去と向き合えない人々と自分とが重なり、次第に彼はその悲惨の中に息づく優しさに癒されてゆく。
そして、再び沖縄の現実に向き合うとき、新聞記者時代の正義感、機密文書のスクープ、裁判等々に対して自分が権力と闘い続けてきたその姿勢に欠如していたものに気付くのだった。それは、沖縄を本当に知らなかった自分であった。同じように傷ついいた人々、自分の痛みをその人々の痛みに共感させようとするとき、彼は再び筆を取り、沖縄の現実を書こうとするのである。沖縄新聞に弓成の投稿記事が記載される。
沖縄の現実は過去も現在も常に悲惨であった。本土決戦、集団自害、日本兵による殺戮、全土の米軍基地化、米国統治化での所有地の無条件借地、米兵による犯罪行為等々。沖縄返還後も状況は改善されなかった。日本政府は沖縄県民を守ろうとはしなかった。そして、米軍のヘリコプター墜落事故、少女暴行事件が起こる。県民の怒りが爆発し、米軍の基地に依存してきた沖縄から変わろうとする人々の闘いが始まるのである。弓成もその中にいた。しかし、今も、沖縄の現実は変わらない。だが、その闇に、いつの日にか未来に向かう人々によって、光が差し込むだろうと弓成は信じるのだった。
民主義国家の機密を守る理由と情報公開の義務
新聞は沖縄返還の機密文書の存在についてスクープした。そして野党議員も国会でその問題を追及した。しかし、政府や外務省はその事実を認めなかった。国会答弁に立った野党の議員によって機密文書の所在が明らかにされてしまう。そのことによって国会に衝撃が走る。だが、そのことは機密文書の漏洩問題に発展する。つまり、外務省内の情報提供者やそれを議員に渡した新聞記者を窮地に追いやることになる。
この事態を生み出す世論の理解について考えると、国家が国民に事実を隠蔽するとい権力の犯罪、その犯罪行為を暴くために政府機関内で機密文書を社会に公開するという公務員法に違反した犯罪の二つの犯罪の重みの理解が問題となるだろう。
この解決を導く糸口として公務員の義務という課題がある。極論すると公務員は国民の利益と政権の利益のどちらを優先するのかということになる。もしくは憲法違反を行う政権の言うままになるか、それともその政権を批判する立場を取れるかとういう課題になる。ある政党の率いる政権が国民に正しい情報を与えず、それを隠蔽するとき、公務員はこの政権の犯す犯罪行為を国民に暴露する権利があるのかという課題である。もしくは、どのような政権であろうと国民が選んだ政権であるかぎり、その政権が犯す誤りにたいして公務員は絶対に反対してはならないし、仮に国家的犯罪行為に加担するする結果となったとしても公務員は政府の方針に忠実に従う義務があるという二つの考え方である。
公務員の絶対的な守秘義務が、ドラマ「運命の人」の中で裁判所が三木事務官に下す有罪判決の根拠となっているといえる。昨年、国家の機密情報とされていた尖閣諸島で中国の漁船が海上保安庁の巡視艇に体当たりする映像を流した海上保安庁の職員がいた。国家機密漏洩罪で逮捕されたが、しかし、国民の支持や国会での野党・自民党の国会質問にあった民主党政権は、この職員を懲戒免職することはできなかった。この場合、社会は公務員が国民の利益に立つ限り国家の緘口令(かんこうれい)を破り、国家に不都合な情報を国民にしめすことは犯罪でないと判断したことになる。
もし民主主義社会を守ろうとするなら、情報公開は原則となる。例えば、政府(政権交代を行っている)が国民の利益に反する行為、国民に真実を伝えない行為、情報を隠蔽する行為を行った場合には、公務員に限らず、国民の誰でもそれを批判し、またその情報を公開する権利を持つ。
この考え方に対して、ある人々は「その情報は国家の安全にかかわる情報であるので、機密情報となっている」と説明するかも知れない。確かに、そうした情報もある。外交上、公開されてはまずい情報もあり、情報公開によって国家(国民)が結果的に損失を受ける場合もある。
それなら、アメリカのように、全ての情報は時間を置いて、例えば10年や15年後には、必ず公開されなければならないような制度を作る必要がある。そして、都合の悪い情報を隠蔽することを厳しく取り締まる必要がある。日本では、頻繁に情報が隠蔽されるだけでなく、都合の悪い情報は破棄されているようだ。
もし、そうした情報の破棄を行った場合には、厳しい罰則を科すようにしなければならないだろう。それが出来ていない限り、政府や一部の官僚に不都合な情報は常に破棄される危険性を持つことになる。
引用、参考資料
1、TBS 日曜劇場 「運命の人」
http://www.tbs.co.jp/unmeinohito/cast/
2、三石博行 「国民文化に根ざす報道の自由の意味と報道のモラル」 2012年3月22日
つづき
「国民文化に根ざす報道の自由の意味と報道のモラル」
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関連文書集
1、ブログ文書集「民主主義社会の発展のための報道機能のありかた」
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2012年3月23日誤字修正
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ブログ文書集「人間社会学基礎論(1) 精神分析学とその科学方法論批判」
「人間社会学基礎論(1) 精神分析学とその科学方法論批判」の目次
三石博行
1. 精神分析の科学方法論批判
1-1、フロイト精神分析学の説明仮説(アブダクション)の有効性の点検で求められる科学哲学への課題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/blog-post_20.html
1-2、フロイト精神分析学の科学性の検証、アブダクションの批判的点検
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/blog-post_2734.html
1-3、フロイト精神分析学の説明仮説の拡張可能性
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post_2734.html
1-4、フロイト精神分析の解釈学的科学性の成立条件について
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/blog-post_24.html
2. 他者性の形成過程をめぐる議論
2-1、非自己としての身体性の発見 一次ナルシシズム的世界の亀裂現象
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/1_27.html
2-2、非自己としての空間の発見と場所的空間の形成
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/2_27.html
2-3、生理的感覚空間の形成から社会的関係空間の形成の前哨段階へ 欲望の形成
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post_31.html
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三石博行
1. 精神分析の科学方法論批判
1-1、フロイト精神分析学の説明仮説(アブダクション)の有効性の点検で求められる科学哲学への課題
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1-2、フロイト精神分析学の科学性の検証、アブダクションの批判的点検
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1-3、フロイト精神分析学の説明仮説の拡張可能性
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1-4、フロイト精神分析の解釈学的科学性の成立条件について
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2. 他者性の形成過程をめぐる議論
2-1、非自己としての身体性の発見 一次ナルシシズム的世界の亀裂現象
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2-2、非自己としての空間の発見と場所的空間の形成
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2-3、生理的感覚空間の形成から社会的関係空間の形成の前哨段階へ 欲望の形成
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ブログ文書集「人権学試論」
「人権学試論」の目次
三石博行
1. 人権学とは何か
1-1、問われる人権の概念
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/10/blog-post_19.html
1-2、人権問題の解決学・「人権学」は成立可能か
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/10/blog-post_2050.html
1-3、人権学 -三つの人権概念の定義-
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_2567.html
1-4、広義の人権の概念・人間社会科学での人権概念
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_9570.html
1-5、倫理と模範の関係
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/05/blog-post_20.html
2.暴力論
2-1、暴力の起源と原初的生存活動・一次ナルシシズム的形態
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/blog-post.html
2-2、非暴力主義かそれとも暴力による暴力抑止主義か
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/blog-post_20.html
2-3、民主化過程と暴力装置機能の変化
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/2.html
2-4、今村仁司のソレル暴力論の解釈
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/blog-post_08.html
2-5、人権主義政策 構造的暴力の抑制機能
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/blog-post_09.html
2-6、根源分割、生命力(エロス)、ナルシシズムと呼ばれる暴力性
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/blog-post_11.html
2-7、精神構造的暴力・自我を維持するための力
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/blog-post_17.html
2-8、精神構造的暴力と社会構造的暴力の相反構造
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/blog-post_18.html
2-9、精神構造的暴力と社会構造的暴力の相互補完関係
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/blog-post_21.html
3. 人権擁護のための社会思想の課題
3-1、現実則で機能する社会契約型の自由・民主主義社会の行動ルール
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_10.html
3-2、買うという行為の経済文化的変化(1)
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/1_10.html
3-2、買うという行為の起源(1)
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/1.html
3-3、中世社会の人々の意識 感覚中心主義と魔女の存在
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/06/blog-post_8208.html
3-4、中世的世界観の終焉 デカルトの方法的懐疑とその役割
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/06/blog-post_5933.html
3-5、魔女狩り裁判を引き起こす世界観
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/05/blog-post.html
3-6、中世社会の世界観の崩壊 ケプラーの地動説の影響
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/05/blog-post_13.html
3-7、人間的な感性、思い込みから生まれた歴史の悲劇とその精神構造
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/04/blog-post_27.html
3-8、魔女狩りは中世社会だけでない現代社会でもある
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/04/blog-post_22.html
3-9、再生産するドグマ(固定観念)との終りない闘い
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/06/blog-post_5448.html
4. 現代社会の人権問題
4-1、多様化する国際社会での問われる人権問題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_04.html
4-2、中国の人権問題で思うこと
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_03.html
4-3、現代科学技術文明社会と現代生活設計科学の課題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/blog-post_22.html
4-4、公害と呼ばれる人権と生活権への被害
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/06/blog-post_5401.html
5. いじめの構造とその対応
5-1、いじめないこころを育てる教育(1) -暴力の理解-
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/1_12.html
5-2、いじめないこころを育てる教育は可能か(2) -人間教育教材としての「いじめ」-
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/2_12.html
5-3、こどものいじめと人権教育の課題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/blog-post_1131.html
5-4、いじめを生み出す文化的構造
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/blog-post_3445.html
5-5、いじめるという行為 -「いじめない」ことの困難さ-
http://mitsuishi.blogspot.jp/2008/01/blog-post_9938.html
5-6、人権を守り維持する力・権力と文化
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/10/blog-post_9920.html
5-7、社会文化の構造としてのいじめ
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/08/blog-post_13.html
6. 人権問題としての「罪と罰」
6-1、犯罪被害者の人権問題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/06/blog-post_9712.html
6-2、犯罪防止と冤罪問題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/06/blog-post_16.html
6-3、菊田幸一著『日本の刑務所』第一章「受刑者はどのような存在か」のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_25.html
6-4、受刑者の人権問題を考える
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/07/blog-post_5933.html
6-5、冤罪防止と死刑廃止論
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/06/blog-post_4381.html
6-6、民主主義社会での裁判制度と正義
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/04/blog-post_26.html
6-7、「クローズアップ現代『犯罪“加害者”家族たちの告白』放映記録のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/06/blog-post_22.html
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三石博行
1. 人権学とは何か
1-1、問われる人権の概念
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/10/blog-post_19.html
1-2、人権問題の解決学・「人権学」は成立可能か
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/10/blog-post_2050.html
1-3、人権学 -三つの人権概念の定義-
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_2567.html
1-4、広義の人権の概念・人間社会科学での人権概念
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_9570.html
1-5、倫理と模範の関係
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/05/blog-post_20.html
2.暴力論
2-1、暴力の起源と原初的生存活動・一次ナルシシズム的形態
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/blog-post.html
2-2、非暴力主義かそれとも暴力による暴力抑止主義か
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/blog-post_20.html
2-3、民主化過程と暴力装置機能の変化
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/2.html
2-4、今村仁司のソレル暴力論の解釈
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/blog-post_08.html
2-5、人権主義政策 構造的暴力の抑制機能
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/blog-post_09.html
2-6、根源分割、生命力(エロス)、ナルシシズムと呼ばれる暴力性
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/blog-post_11.html
2-7、精神構造的暴力・自我を維持するための力
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/blog-post_17.html
2-8、精神構造的暴力と社会構造的暴力の相反構造
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/blog-post_18.html
2-9、精神構造的暴力と社会構造的暴力の相互補完関係
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/blog-post_21.html
3. 人権擁護のための社会思想の課題
3-1、現実則で機能する社会契約型の自由・民主主義社会の行動ルール
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_10.html
3-2、買うという行為の経済文化的変化(1)
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/1_10.html
3-2、買うという行為の起源(1)
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/1.html
3-3、中世社会の人々の意識 感覚中心主義と魔女の存在
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/06/blog-post_8208.html
3-4、中世的世界観の終焉 デカルトの方法的懐疑とその役割
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/06/blog-post_5933.html
3-5、魔女狩り裁判を引き起こす世界観
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/05/blog-post.html
3-6、中世社会の世界観の崩壊 ケプラーの地動説の影響
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/05/blog-post_13.html
3-7、人間的な感性、思い込みから生まれた歴史の悲劇とその精神構造
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/04/blog-post_27.html
3-8、魔女狩りは中世社会だけでない現代社会でもある
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/04/blog-post_22.html
3-9、再生産するドグマ(固定観念)との終りない闘い
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/06/blog-post_5448.html
4. 現代社会の人権問題
4-1、多様化する国際社会での問われる人権問題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_04.html
4-2、中国の人権問題で思うこと
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_03.html
4-3、現代科学技術文明社会と現代生活設計科学の課題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/blog-post_22.html
4-4、公害と呼ばれる人権と生活権への被害
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/06/blog-post_5401.html
5. いじめの構造とその対応
5-1、いじめないこころを育てる教育(1) -暴力の理解-
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/1_12.html
5-2、いじめないこころを育てる教育は可能か(2) -人間教育教材としての「いじめ」-
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/2_12.html
5-3、こどものいじめと人権教育の課題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/blog-post_1131.html
5-4、いじめを生み出す文化的構造
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/blog-post_3445.html
5-5、いじめるという行為 -「いじめない」ことの困難さ-
http://mitsuishi.blogspot.jp/2008/01/blog-post_9938.html
5-6、人権を守り維持する力・権力と文化
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/10/blog-post_9920.html
5-7、社会文化の構造としてのいじめ
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/08/blog-post_13.html
6. 人権問題としての「罪と罰」
6-1、犯罪被害者の人権問題
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6-2、犯罪防止と冤罪問題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/06/blog-post_16.html
6-3、菊田幸一著『日本の刑務所』第一章「受刑者はどのような存在か」のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_25.html
6-4、受刑者の人権問題を考える
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/07/blog-post_5933.html
6-5、冤罪防止と死刑廃止論
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/06/blog-post_4381.html
6-6、民主主義社会での裁判制度と正義
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/04/blog-post_26.html
6-7、「クローズアップ現代『犯罪“加害者”家族たちの告白』放映記録のテキスト批評
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2012年3月21日水曜日
谷口修一医師講演「原発作業員に対する自己造血幹細胞事前採取の提言」をYouTubeで紹介
谷口修一医師講演YouTube動画目次
三石博行
谷口修一医師の講演会の意味
2011年12月3日、京都市山科区の医療法人クリニックサンルイで、自己造血幹細胞移植による白血病の治療で世界的にも有名な東京、虎ノ門病院の血液内科部長谷口修一医師を招待して、京都奈良EU協会の第五回京都講演会「医師・専門家からみた福島原発事故」を開催しました。
谷口修一先生は、お忙しい中を京都に駆けつけ、9月に予定していた講演「原発作業員に対する自己造血幹細胞事前採取の提言」を三時間も時間を割いてお話ししてくださいました。
谷口医師はこれまで開発してきた「自己造血幹細胞移植による白血病の治療法」を、原発作業員の職業病(白血病)予防に活用するために「谷口プロジェクト」を立ち上げてきました。この谷口プロジェクトの提案は残念ながら現在でも政府・厚生労働省でも評価されていません。
世界が評価する谷口プロジェクトを日本も認めるべきだと2011年5月14日に開催され「医師・専門家からみた福島原発事故」講演会シリーズの第一回目の講演会で平岡諦医師(大阪中央病院顧問)が述べ、その後平岡医師の計らいで谷口修一医師の講演が実現しました。
放射能汚染と住民の被曝の実態は時間が経つごとに深刻さを増しています。この現実は福島原発事故の当初からあったわけですが、被曝情報が公開されなかったために、さらに放射線被曝を深刻にさせてしまったと思われます。
と同時に原発事故の処理は困難を重ねながら行われています。この事故処理にかかわる多くの作業員の安全や健康問題は真剣に議論されているのだろうか。現在の政府や東電の対応が問われています。つまり、命をかけ原発事故処理に携わる多くの作業員の今後発症するかもしれない白血病等の職業病に対して真摯に対応しなければなりません。それは最低限の東電や国のやるべきことだと思えるのです。
誰がこの重大な原発事故から国土を守っているのかを考えれば、事故処理を行う作業員のこれからの健康や生活を守ることは当然の行為だと思うのです。
さらに、東日本の広範囲に拡散した放射能物質が引き起こす環境汚染や放射線被曝は日を増すごとに深刻な問題となるように思えます。1986年4月26日に世界を震撼させたチェルノブイリ原子力発電所事故による環境汚染や住民の健康障害の事実が示すように、地域経済の打撃のみでなく、福島県やその周辺の人々、特に幼児の放射線被曝による健康障害が問題となる可能性を否定できないと思います。
そのため、出来るだけ早く日本国民の放射線被曝による健康障害(白血病)対策を行うべきだと考えます。そして、国は谷口プロジェクトを拒否するのでなく積極的に谷口プロジェクトと今後の国民の健康障害対策を急ぐべきだと思います。
YouTube動画紹介
谷口修一医師講演「原発作業員に対する自己造血幹細胞事前採取の提言」1
平岡諦医師(大阪中央病院)からの講演の説明
第1回京都奈良EU協会京都講演会「医者・専門家から見た福島第一原発事故」の講演者平岡医師が放射能物質の汚染とそれによる被曝問題は人権問題となる。また、国際化する被曝問題、40年前の原発技術の検証、食品汚染(消費者庁の機能不全)、谷口プロジェクトの課題、被曝者救済の幹細胞移植課題、自己造血幹細胞移植の推進、そのための行政の課題、全員を対象とした人権問題の配慮、自己造血幹細胞事前採取を行った作業員への配慮等々が提案された。
YouTube動画
谷口修一医師講演「原発作業員に対する自己造血幹細胞事前採取の提言」2
YouTube動画
谷口修一医師講演「原発作業員に対する自己造血幹細胞事前採取の提言」3
YouTube動画
谷口修一医師講演「原発作業員に対する自己造血幹細胞事前採取の提言」4
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谷口修一医師講演「原発作業員に対する自己造血幹細胞事前採取の提言」5
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谷口修一医師講演「原発作業員に対する自己造血幹細胞事前採取の提言」6
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谷口修一医師講演「原発作業員に対する自己造血幹細胞事前採取の提言」7
YouTube動画
谷口修一医師講演「原発作業員に対する自己造血幹細胞事前採取の提言」8
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谷口修一医師講演「原発作業員に対する自己造血幹細胞事前採取の提言」9
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谷口修一医師講演「原発作業員に対する自己造血幹細胞事前採取の提言」10
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谷口修一医師講演「原発作業員に対する自己造血幹細胞事前採取の提言」11
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谷口修一医師講演「原発作業員に対する自己造血幹細胞事前採取の提言」12
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谷口修一医師講演「原発作業員に対する自己造血幹細胞事前採取の提言」13
YouTube動画
谷口修一医師講演「原発作業員に対する自己造血幹細胞事前採取の提言」14
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MRIC by医療ガバナンス学会Vol.85 「なんとしても原発作業員は守らねばならない」
http://blogs.yahoo.co.jp/tankou_2008/34413464.html
「青山繁晴氏のファンサイト・淡交プログ」より
MRIC by 医療ガバナンス学会
http://medg.jp/mt/
のVol.85 「なんとしても原発作業員は守らねばならない」
http://medg.jp/mt/2011/03/vol85.html#more
に記載された谷口先生の文章を紹介します。
医療ガバナンス学会 (2011年3月25日 14:00) 虎の門病院血液科 谷口修一
2011年3月25日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
以下引用文
「福島原発の放水作業に従事された東京消防庁職員の記者会見に胸を打たれた方が多いのではないかと思う。指揮をとられた隊長さんが男泣きをこらえ、時に嗚咽しながら、出動した隊員や送り出されたご家族に対して感謝と謝罪の言葉を述べておられた。出動された隊員およびご家族も、想像を超える世界ではあるが、我が身顧みずとも、なんとしても地域住民ひいては日本国民を守りたいという強烈な使命感で業務に従事されたものと考える。しかし、それではいけない。彼らにそんな思いをさせてはならない。技術者は現代の先駆技術を駆使して彼らを守り、我々医療者は有効な予防法を考え実行し、万が一の不測の事態でも、絶対に救命するという覚悟で、たった今準備、実行せねばならない。
その準備とは、私の携わっている領域で言えば、作業に当たる方々の自己幹細胞を事前に採取し凍結保存しておくことであり、場合によってはそのために未承認薬を用いることである。
急性の放射線障害は、嘔気、嘔吐、疲労感などの全身症状から個々の臓器障害に伴うものまで、さまざまな症状が発現しうる。造血幹細胞移植領域では、白血病などの悪性細胞を死滅させる目的で広く全身放射線照射が行われている。通常の移植医療では全身に12Gyの照射が行われる。放射線障害は細胞回転(分裂) が速い細胞が障害を受けやすい。よってこの線量を照射すると、まず生殖機能と骨髄(造血)機能が確実に破壊される。ほかの臓器は比較的維持されるため造血組織が障害されている白血病などの血液疾患には適切な治療法とされる。この場合、精密に計測された情報から全身に一様に放射線が照射されるが、放射線事故ではまだら状に照射を受け、局所の被曝量も大きく異なるため、全く同じようには考えられないが、参考にはなる。さまざまな悪性腫瘍の治療(脳、肺、食道、乳がんなど)で局所の放射線治療が行われるが、その線量は照射野を限定しながらではあるが、通常30-50Gyの照射が行われる。いかに生殖機能と造血機能が放射線に感受性が高いかがご理解いただけると思う。これを逆に考えると、急性放射線障害の中には、造血障害だけが致命的であるという状況も起こりうるわけである。
造血幹細胞移植医療ではこの12Gyの全身照射の後、血液を作りだしていく造血幹細胞を血管から点滴で輸注する。一時的な効果の輸血と異なり、この造血幹細胞は骨髄組織にたどり着き、そこで細胞分裂が始まり(生着)、新たなる血球を作り始め、その造血機能は一生涯維持される。白血病細胞は全身放射線照射で死滅し、あらたなる正常な造血が始めることにより、白血病が治癒するわけである。この場合、造血幹細胞はHLA(組織適合性抗原;兄弟で1/4の確率で一致)が適合したドナーから、もしくは患者さん自身から採取される。通常、全身麻酔下で骨に針を刺して骨髄液を採取する方法とG-CSF(顆粒球コロニー形成刺激因子:本来体内に存在する白血球を増やすサイトカイン)を投与した上で血管から特殊な採血で採取する(3時間ほどかかる)。いずれの方法もその高い安全性が日本造血細胞移植学会の長期間にわたるドナー調査で証明されている。
これらの知見から考えるに、高度な危険状態に置かれる可能性のある原発作業員から事前に幹細胞を採取・保存しておくと、仮に不測の事態となり、造血機能が危機に陥っても、この幹細胞を点滴で輸注するだけで回復する。ドナーさんから移植する方法もあるが、この場合GVHD(移植片宿主病)と呼ばれる免疫反応 (副作用)が生じ、時に危機的となる可能性があるが、自己幹細胞であればその心配もない。もちろん他の臓器の障害もある場合は同時にその治療も行われるが、過去の事例が示しているがGVHD予防・治療を行いながらの診療はかなり複雑なものになる。この方法の有用性は、未だ実施はされていないものの(実際にこれらの技術が可能となってから放射線事故が起こっていない)、世界中の専門家諸氏からその有用性が積極的に指摘されている。具体的には、私信ではあるが、Powles R博士(ヨーロッパ骨髄移植学会原子力事故委員会委員長)、Gale RP博士(元国際骨髄移植登録機関代表、チェルノブイリ・ブラジルの放射線事故時も率先して治療に参加した放射線障害医療の第一人者)、Champlin R博士(米国MDアンダーソンがんセンター)らも高く推奨しており、この福島原発事故を受けてLancet誌でも取り上げられる予定である。これらは必要ならば許可を得た上で開示する。Gale博士は既に来日しており、記者会見で「移植は他人からでもできるが、遺伝子の違いによるGVHDと呼ばれる合併症の危険などがあり、場合によっては命にかかわることもある。この危険は、自分のものを使えば避けられる。なので、作業にあたる人は、前もって自分の末梢血幹細胞を採取、保存しておき骨髄移植に備えておくべきだ」と述べている。
(https://aspara.asahi.com/blog/kochiraapital/entry/sWh2otqZz6 参照)
実際にG-CSFを使用して幹細胞を採取するには4-5日かかる。1-3日目はG-CSFを筋肉注射するだけではあるが、やはり重要な任務を前に時間がかかりすぎると思われる。虎の門病院では海外で使用されているが国内未承認のモゾビルという薬剤の使用を考え、既に当座の50人分の輸入の手続きをとり成田空港までは届いている。この薬剤とG-CSFを使用して、1泊2日(もしくは2泊3日)の入院で採取・保存する計画である。初日は午後入院で、事前の検査を行い、夜12時頃このモゾビルを皮下注射で投与し、翌朝G-CSFを皮下注射し、9時頃から採取を開始、12時頃に終了し、夕方には安全性を確認して退院という方法で、既に当院では準備が整っている。これで6-7割の方は目標量が採取できるが、達しない場合はもう一泊していただく。もちろん未承認薬を使用するため、関係諸氏にその効果と安全性については十分な説明を行い、一定のコンセンサスが得られる必要があるが、既に海外での広い使用実績があり、また民族的に近いとされるアジア地域でも使用されている薬剤であるので、この緊急時に使用するのが妥当である。ここで考えているのは、保険診療ではない。作業にあたる人を医学的に保護しようという『事業』である。是非、政治判断で迅速な判断をお願いしたい。
本日になって飛び込んできた情報であるが、米国国防省が放射線被爆時救命目的で開発した5-androstenediol(NEUMUNE) なる薬剤も既に動物実験での有用性とヒトでの安全性が確認されており、その使用を打診されている。実際の使用に関しては国防省がらみで米国が動いてくれるとのことである。得体の知れぬ物質の投与は躊躇されるが、事態は急を要する。現場の治療者・医学研究者の知識としてはモゾビルが精一杯であるが、使用するなら政治判断であろう。
この文章はいたずらに国民の不安をかき立てる目的ではなく、不測の事態を危惧しながらも決死の覚悟で原発最前線の業務に従事される方々を守らねばならないという一心で記載した。関係者の英断を期待する。」
引用、参考資料
1、MRIC by 医療ガバナンス学会 Vol.85 「なんとしても原発作業員は守らねばならない」
http://medg.jp/mt/2011/03/vol85.html#more
2、「青山繁晴氏のファンサイト・淡交プログ」
http://blogs.yahoo.co.jp/tankou_2008
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関連ブログ文書集
ブログ文書集「東日本大震災からの復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
ブログ文書集「福島原発事故から立ちあがる市民」の目次
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/03/blog-post_18.html
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三石博行
谷口修一医師の講演会の意味
2011年12月3日、京都市山科区の医療法人クリニックサンルイで、自己造血幹細胞移植による白血病の治療で世界的にも有名な東京、虎ノ門病院の血液内科部長谷口修一医師を招待して、京都奈良EU協会の第五回京都講演会「医師・専門家からみた福島原発事故」を開催しました。
谷口修一先生は、お忙しい中を京都に駆けつけ、9月に予定していた講演「原発作業員に対する自己造血幹細胞事前採取の提言」を三時間も時間を割いてお話ししてくださいました。
谷口医師はこれまで開発してきた「自己造血幹細胞移植による白血病の治療法」を、原発作業員の職業病(白血病)予防に活用するために「谷口プロジェクト」を立ち上げてきました。この谷口プロジェクトの提案は残念ながら現在でも政府・厚生労働省でも評価されていません。
世界が評価する谷口プロジェクトを日本も認めるべきだと2011年5月14日に開催され「医師・専門家からみた福島原発事故」講演会シリーズの第一回目の講演会で平岡諦医師(大阪中央病院顧問)が述べ、その後平岡医師の計らいで谷口修一医師の講演が実現しました。
放射能汚染と住民の被曝の実態は時間が経つごとに深刻さを増しています。この現実は福島原発事故の当初からあったわけですが、被曝情報が公開されなかったために、さらに放射線被曝を深刻にさせてしまったと思われます。
と同時に原発事故の処理は困難を重ねながら行われています。この事故処理にかかわる多くの作業員の安全や健康問題は真剣に議論されているのだろうか。現在の政府や東電の対応が問われています。つまり、命をかけ原発事故処理に携わる多くの作業員の今後発症するかもしれない白血病等の職業病に対して真摯に対応しなければなりません。それは最低限の東電や国のやるべきことだと思えるのです。
誰がこの重大な原発事故から国土を守っているのかを考えれば、事故処理を行う作業員のこれからの健康や生活を守ることは当然の行為だと思うのです。
さらに、東日本の広範囲に拡散した放射能物質が引き起こす環境汚染や放射線被曝は日を増すごとに深刻な問題となるように思えます。1986年4月26日に世界を震撼させたチェルノブイリ原子力発電所事故による環境汚染や住民の健康障害の事実が示すように、地域経済の打撃のみでなく、福島県やその周辺の人々、特に幼児の放射線被曝による健康障害が問題となる可能性を否定できないと思います。
そのため、出来るだけ早く日本国民の放射線被曝による健康障害(白血病)対策を行うべきだと考えます。そして、国は谷口プロジェクトを拒否するのでなく積極的に谷口プロジェクトと今後の国民の健康障害対策を急ぐべきだと思います。
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谷口修一医師講演「原発作業員に対する自己造血幹細胞事前採取の提言」1
平岡諦医師(大阪中央病院)からの講演の説明
第1回京都奈良EU協会京都講演会「医者・専門家から見た福島第一原発事故」の講演者平岡医師が放射能物質の汚染とそれによる被曝問題は人権問題となる。また、国際化する被曝問題、40年前の原発技術の検証、食品汚染(消費者庁の機能不全)、谷口プロジェクトの課題、被曝者救済の幹細胞移植課題、自己造血幹細胞移植の推進、そのための行政の課題、全員を対象とした人権問題の配慮、自己造血幹細胞事前採取を行った作業員への配慮等々が提案された。
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谷口修一医師講演「原発作業員に対する自己造血幹細胞事前採取の提言」2
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谷口修一医師講演「原発作業員に対する自己造血幹細胞事前採取の提言」14
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MRIC by医療ガバナンス学会Vol.85 「なんとしても原発作業員は守らねばならない」
http://blogs.yahoo.co.jp/tankou_2008/34413464.html
「青山繁晴氏のファンサイト・淡交プログ」より
MRIC by 医療ガバナンス学会
http://medg.jp/mt/
のVol.85 「なんとしても原発作業員は守らねばならない」
http://medg.jp/mt/2011/03/vol85.html#more
に記載された谷口先生の文章を紹介します。
医療ガバナンス学会 (2011年3月25日 14:00) 虎の門病院血液科 谷口修一
2011年3月25日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
以下引用文
「福島原発の放水作業に従事された東京消防庁職員の記者会見に胸を打たれた方が多いのではないかと思う。指揮をとられた隊長さんが男泣きをこらえ、時に嗚咽しながら、出動した隊員や送り出されたご家族に対して感謝と謝罪の言葉を述べておられた。出動された隊員およびご家族も、想像を超える世界ではあるが、我が身顧みずとも、なんとしても地域住民ひいては日本国民を守りたいという強烈な使命感で業務に従事されたものと考える。しかし、それではいけない。彼らにそんな思いをさせてはならない。技術者は現代の先駆技術を駆使して彼らを守り、我々医療者は有効な予防法を考え実行し、万が一の不測の事態でも、絶対に救命するという覚悟で、たった今準備、実行せねばならない。
その準備とは、私の携わっている領域で言えば、作業に当たる方々の自己幹細胞を事前に採取し凍結保存しておくことであり、場合によってはそのために未承認薬を用いることである。
急性の放射線障害は、嘔気、嘔吐、疲労感などの全身症状から個々の臓器障害に伴うものまで、さまざまな症状が発現しうる。造血幹細胞移植領域では、白血病などの悪性細胞を死滅させる目的で広く全身放射線照射が行われている。通常の移植医療では全身に12Gyの照射が行われる。放射線障害は細胞回転(分裂) が速い細胞が障害を受けやすい。よってこの線量を照射すると、まず生殖機能と骨髄(造血)機能が確実に破壊される。ほかの臓器は比較的維持されるため造血組織が障害されている白血病などの血液疾患には適切な治療法とされる。この場合、精密に計測された情報から全身に一様に放射線が照射されるが、放射線事故ではまだら状に照射を受け、局所の被曝量も大きく異なるため、全く同じようには考えられないが、参考にはなる。さまざまな悪性腫瘍の治療(脳、肺、食道、乳がんなど)で局所の放射線治療が行われるが、その線量は照射野を限定しながらではあるが、通常30-50Gyの照射が行われる。いかに生殖機能と造血機能が放射線に感受性が高いかがご理解いただけると思う。これを逆に考えると、急性放射線障害の中には、造血障害だけが致命的であるという状況も起こりうるわけである。
造血幹細胞移植医療ではこの12Gyの全身照射の後、血液を作りだしていく造血幹細胞を血管から点滴で輸注する。一時的な効果の輸血と異なり、この造血幹細胞は骨髄組織にたどり着き、そこで細胞分裂が始まり(生着)、新たなる血球を作り始め、その造血機能は一生涯維持される。白血病細胞は全身放射線照射で死滅し、あらたなる正常な造血が始めることにより、白血病が治癒するわけである。この場合、造血幹細胞はHLA(組織適合性抗原;兄弟で1/4の確率で一致)が適合したドナーから、もしくは患者さん自身から採取される。通常、全身麻酔下で骨に針を刺して骨髄液を採取する方法とG-CSF(顆粒球コロニー形成刺激因子:本来体内に存在する白血球を増やすサイトカイン)を投与した上で血管から特殊な採血で採取する(3時間ほどかかる)。いずれの方法もその高い安全性が日本造血細胞移植学会の長期間にわたるドナー調査で証明されている。
これらの知見から考えるに、高度な危険状態に置かれる可能性のある原発作業員から事前に幹細胞を採取・保存しておくと、仮に不測の事態となり、造血機能が危機に陥っても、この幹細胞を点滴で輸注するだけで回復する。ドナーさんから移植する方法もあるが、この場合GVHD(移植片宿主病)と呼ばれる免疫反応 (副作用)が生じ、時に危機的となる可能性があるが、自己幹細胞であればその心配もない。もちろん他の臓器の障害もある場合は同時にその治療も行われるが、過去の事例が示しているがGVHD予防・治療を行いながらの診療はかなり複雑なものになる。この方法の有用性は、未だ実施はされていないものの(実際にこれらの技術が可能となってから放射線事故が起こっていない)、世界中の専門家諸氏からその有用性が積極的に指摘されている。具体的には、私信ではあるが、Powles R博士(ヨーロッパ骨髄移植学会原子力事故委員会委員長)、Gale RP博士(元国際骨髄移植登録機関代表、チェルノブイリ・ブラジルの放射線事故時も率先して治療に参加した放射線障害医療の第一人者)、Champlin R博士(米国MDアンダーソンがんセンター)らも高く推奨しており、この福島原発事故を受けてLancet誌でも取り上げられる予定である。これらは必要ならば許可を得た上で開示する。Gale博士は既に来日しており、記者会見で「移植は他人からでもできるが、遺伝子の違いによるGVHDと呼ばれる合併症の危険などがあり、場合によっては命にかかわることもある。この危険は、自分のものを使えば避けられる。なので、作業にあたる人は、前もって自分の末梢血幹細胞を採取、保存しておき骨髄移植に備えておくべきだ」と述べている。
(https://aspara.asahi.com/blog/kochiraapital/entry/sWh2otqZz6 参照)
実際にG-CSFを使用して幹細胞を採取するには4-5日かかる。1-3日目はG-CSFを筋肉注射するだけではあるが、やはり重要な任務を前に時間がかかりすぎると思われる。虎の門病院では海外で使用されているが国内未承認のモゾビルという薬剤の使用を考え、既に当座の50人分の輸入の手続きをとり成田空港までは届いている。この薬剤とG-CSFを使用して、1泊2日(もしくは2泊3日)の入院で採取・保存する計画である。初日は午後入院で、事前の検査を行い、夜12時頃このモゾビルを皮下注射で投与し、翌朝G-CSFを皮下注射し、9時頃から採取を開始、12時頃に終了し、夕方には安全性を確認して退院という方法で、既に当院では準備が整っている。これで6-7割の方は目標量が採取できるが、達しない場合はもう一泊していただく。もちろん未承認薬を使用するため、関係諸氏にその効果と安全性については十分な説明を行い、一定のコンセンサスが得られる必要があるが、既に海外での広い使用実績があり、また民族的に近いとされるアジア地域でも使用されている薬剤であるので、この緊急時に使用するのが妥当である。ここで考えているのは、保険診療ではない。作業にあたる人を医学的に保護しようという『事業』である。是非、政治判断で迅速な判断をお願いしたい。
本日になって飛び込んできた情報であるが、米国国防省が放射線被爆時救命目的で開発した5-androstenediol(NEUMUNE) なる薬剤も既に動物実験での有用性とヒトでの安全性が確認されており、その使用を打診されている。実際の使用に関しては国防省がらみで米国が動いてくれるとのことである。得体の知れぬ物質の投与は躊躇されるが、事態は急を要する。現場の治療者・医学研究者の知識としてはモゾビルが精一杯であるが、使用するなら政治判断であろう。
この文章はいたずらに国民の不安をかき立てる目的ではなく、不測の事態を危惧しながらも決死の覚悟で原発最前線の業務に従事される方々を守らねばならないという一心で記載した。関係者の英断を期待する。」
引用、参考資料
1、MRIC by 医療ガバナンス学会 Vol.85 「なんとしても原発作業員は守らねばならない」
http://medg.jp/mt/2011/03/vol85.html#more
2、「青山繁晴氏のファンサイト・淡交プログ」
http://blogs.yahoo.co.jp/tankou_2008
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2012年3月19日月曜日
ブログ文書集「知的生産の技術 基礎編」
「知的生産の技術 基礎編」の目次
三石博行
1. カード式ノートの作り方
1-1、大学でのノートの作り方(1)
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/1_24.html
1-2、大学でのノートの作り方(2)
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/2.html
1-3、ノートの作り方
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/tensou/note2.htm
1-4、ノートの作り方 技術
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/tensou/note1.files/frame.htm
1-5、カード式ノートの提供
Excel文書(近日公開)
2. レポートを書くためのステップ1
2-1、「レポート材料の作り方」について(1)
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/1.html
2-2、「レポート材料の作り方」について(2)
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/2.html
2-3、「レポート材料の作り方」について(3)
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/3.html
3. レポート材料の作り方 テキスト批評
3-1、「テキスト批評」書き方実例紹介
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/blog-post_13.html
4. 本や論文の読み方(テキスト批評の例)
4-1、姜尚中(カン・サンジュン)著『在日』プロローグのテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_29.html
4-2、畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』第一章「失敗学の基礎知識」のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_6897.html
4-3、菊田幸一著『日本の刑務所』第一章「受刑者はどのような存在か」のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_25.html
5. 映像や録音資料の分析(テキスト批評)
5-1、「クローズアップ現代『犯罪“加害者”家族たちの告白』放映記録のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/06/blog-post_22.html
5-2、NHK 朝鮮半島と日本 「倭寇(わこう)の実像を探る 東シナ海の光と影」のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/07/blog-post_2310.html
5-3、NHK EV特集 「元寇蒙古襲来 三別抄と鎌倉幕府」の映像資料のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/07/blog-post_6943.html
5-4、NHK ETV特集「日本と朝鮮半島」 イムジンウェラン 文禄・慶長の役のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/07/blog-post_6656.html
6. レポート作成作業
6-1、レポートの書き方
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/tensou/report.files/frame.htm
7. 知的生産の道具としての日記・ブログ.etc
7-1、Blogger から投稿実験
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/09/blogger.html
7-2、ブログという知的生産の技術について
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/01/blog-post.html
7-3、日記的記述法(ブログ)から物語的記述法(ホームページ)へ
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/blog-post_919.html
8. 議論や討論の仕方、纏め方や文書化
8-1、インターネット公開議論の可能性(ソーシャルメディアの活用)
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/10/blog-post_30.html
8-2、仮面を被った討論参加者に囲まれて(Mixiとフェイスブック)
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_4551.html
8-3、フェイスブックで書く作業について
http://mitsuishi.blogspot.jp/2015/01/blog-post_51.html
2012年4月4日、2015年1月19日変更
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2. レポートを書くためのステップ1
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2-2、「レポート材料の作り方」について(2)
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3. レポート材料の作り方 テキスト批評
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4. 本や論文の読み方(テキスト批評の例)
4-1、姜尚中(カン・サンジュン)著『在日』プロローグのテキスト批評
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4-2、畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』第一章「失敗学の基礎知識」のテキスト批評
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4-3、菊田幸一著『日本の刑務所』第一章「受刑者はどのような存在か」のテキスト批評
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5-1、「クローズアップ現代『犯罪“加害者”家族たちの告白』放映記録のテキスト批評
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5-2、NHK 朝鮮半島と日本 「倭寇(わこう)の実像を探る 東シナ海の光と影」のテキスト批評
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5-3、NHK EV特集 「元寇蒙古襲来 三別抄と鎌倉幕府」の映像資料のテキスト批評
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5-4、NHK ETV特集「日本と朝鮮半島」 イムジンウェラン 文禄・慶長の役のテキスト批評
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7. 知的生産の道具としての日記・ブログ.etc
7-1、Blogger から投稿実験
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7-2、ブログという知的生産の技術について
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7-3、日記的記述法(ブログ)から物語的記述法(ホームページ)へ
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8-3、フェイスブックで書く作業について
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2012年3月18日日曜日
ブログ文書集「生活の哲学」
「生活の哲学」の目次
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1. 生活世界と哲学
1-1、生活世界の哲学
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1-2、哲学的知の成立条件について
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/10/blog-post.html
1-3、哲学の存在意義
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/09/blog-post_18.html
1-4、現代哲学の意義を問う
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/08/blog-post_31.html
1-5、他者と共感しえない哲学は意味を持たない
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1-6、生きること知ること
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_11.html
2. 現代社会と哲学
2-1、哲学的探求の宿命
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010_08_01_archive.html
2-2、哲学的、科学的、生活技術的な知の相互関係
http://mitsuishi.blogspot.jp/2009/03/blog-post.html
2-3、厳密な哲学的思索の成立条件とは
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/blog-post_8154.html
3. 生きる力としての哲学
3-1、日常性を維持する力
http://mitsuishi.blogspot.jp/2008/01/blog-post_31.html
3-2、前向きな悲観論
http://mitsuishi.blogspot.jp/2008/01/blog-post_28.html
3-3、失敗は成功の母(中国の言葉らしい)
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/03/blog-post_7450.html
3-4、批判的にも共存する方法
http://mitsuishi.blogspot.jp/2009/10/blog-post.html
4. 教育としての哲学
4-1、教育としての哲学の課題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/09/blog-post_01.html
4-2、人的資源の確保と育成のために
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/04/blog-post.html
4-3、労働の質を高めることの意味
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4-4、問題解決の思想
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/03/blog-post.html
4-5、指導者の姿・思考実験への不断の取り組み
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/12/blog-post_09.html
4-6、企業経営の危機から何を学ぶのか、逆境に学ぶ力
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/12/blog-post_02.html
4-7、人間教育者、岩松弘先生
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/07/blog-post_7143.html
4-8、教師について
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/blog-post_7657.html
5. 他者性の認識としての哲学
5-1、共同主観的合意行為・高速道路の運転風景
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/09/blog-post_02.html
5-2、感謝の気持ちを持つとは何か
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/02/blog-post_22.html
5-3、東日本大震災犠牲者の冥福を祈る
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/03/blog-post_14.html
5-4、脱原発を訴えた瀬戸内寂聴さんのお話し
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/10/blog-post_9970.html
6. パスカルについて
6-1、人間と倫理2 「人は天使でもなければ禽獣でもない」(パスカル)
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/04/2.html
6-2、理性と情念の両方を持つ人間の姿 パスカルから
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/05/blog-post_6407.html
6-3、自己を罪びとと思っている義人と自己を義人と思っている罪びと
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/05/blog-post_183.html
6-4、善悪の確率的彼岸とは何か
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/10/blog-post_1063.html
6-5、人間と倫理1「倫理、道徳と規範の意味」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/04/1.html
6-6、人間と倫理1「性善説と性悪説」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/04/1_15.html
6-7、人間と倫理1「性善説と性悪説から推できるモラルのあり方」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/04/1_4802.html
6-8、倫理と模範の関係
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/05/blog-post_20.html
7. 失敗学
7-1、畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』 第一章「失敗学の基礎知識」のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_6897.html
7-2、新しい日本社会・民主主義と個人主義時代の責任の取り方
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/12/blog-post_2503.html
8. 私という他者
8-1、私にとって研究活動とは何か
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/08/blog-post_1705.html
8-2、ブログをはじめた原点に戻って
http://mitsuishi.blogspot.jp/2008/11/blog-post.html
8-3、日常性の点検としてのブログ活動
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/03/blog-post_25.html
8-4、日記的記述法(ブログ)から物語的記述法(ホームページ)へ
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/blog-post_919.html
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ブログ文書集
ブログ文書集「東日本大震災からの復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
ブログ文書集「21世紀日本社会のための大学教育改革の提案」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_6795.html
ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html
ブログ文書集「持続可能なエネルギー生産社会を目指すために」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/11/blog-post_2842.html
ブログ文書集「民主主義社会の発展のための報道機能のありかた」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_03.html
ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」
http://mitsuishi.blogspot.com/2012/03/blog-post.html
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三石博行
1. 生活世界と哲学
1-1、生活世界の哲学
http://mitsuishi.blogspot.jp/2008/01/blog-post_30.html
1-2、哲学的知の成立条件について
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/10/blog-post.html
1-3、哲学の存在意義
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/09/blog-post_18.html
1-4、現代哲学の意義を問う
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/08/blog-post_31.html
1-5、他者と共感しえない哲学は意味を持たない
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/blog-post_05.html
1-6、生きること知ること
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_11.html
2. 現代社会と哲学
2-1、哲学的探求の宿命
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010_08_01_archive.html
2-2、哲学的、科学的、生活技術的な知の相互関係
http://mitsuishi.blogspot.jp/2009/03/blog-post.html
2-3、厳密な哲学的思索の成立条件とは
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/02/blog-post_8154.html
3. 生きる力としての哲学
3-1、日常性を維持する力
http://mitsuishi.blogspot.jp/2008/01/blog-post_31.html
3-2、前向きな悲観論
http://mitsuishi.blogspot.jp/2008/01/blog-post_28.html
3-3、失敗は成功の母(中国の言葉らしい)
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/03/blog-post_7450.html
3-4、批判的にも共存する方法
http://mitsuishi.blogspot.jp/2009/10/blog-post.html
4. 教育としての哲学
4-1、教育としての哲学の課題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/09/blog-post_01.html
4-2、人的資源の確保と育成のために
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/04/blog-post.html
4-3、労働の質を高めることの意味
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/03/blog-post_9095.html
4-4、問題解決の思想
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/03/blog-post.html
4-5、指導者の姿・思考実験への不断の取り組み
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/12/blog-post_09.html
4-6、企業経営の危機から何を学ぶのか、逆境に学ぶ力
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/12/blog-post_02.html
4-7、人間教育者、岩松弘先生
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/07/blog-post_7143.html
4-8、教師について
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/blog-post_7657.html
5. 他者性の認識としての哲学
5-1、共同主観的合意行為・高速道路の運転風景
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/09/blog-post_02.html
5-2、感謝の気持ちを持つとは何か
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/02/blog-post_22.html
5-3、東日本大震災犠牲者の冥福を祈る
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/03/blog-post_14.html
5-4、脱原発を訴えた瀬戸内寂聴さんのお話し
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/10/blog-post_9970.html
6. パスカルについて
6-1、人間と倫理2 「人は天使でもなければ禽獣でもない」(パスカル)
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/04/2.html
6-2、理性と情念の両方を持つ人間の姿 パスカルから
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/05/blog-post_6407.html
6-3、自己を罪びとと思っている義人と自己を義人と思っている罪びと
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/05/blog-post_183.html
6-4、善悪の確率的彼岸とは何か
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/10/blog-post_1063.html
6-5、人間と倫理1「倫理、道徳と規範の意味」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/04/1.html
6-6、人間と倫理1「性善説と性悪説」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/04/1_15.html
6-7、人間と倫理1「性善説と性悪説から推できるモラルのあり方」
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6-8、倫理と模範の関係
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/05/blog-post_20.html
7. 失敗学
7-1、畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』 第一章「失敗学の基礎知識」のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_6897.html
7-2、新しい日本社会・民主主義と個人主義時代の責任の取り方
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/12/blog-post_2503.html
8. 私という他者
8-1、私にとって研究活動とは何か
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/08/blog-post_1705.html
8-2、ブログをはじめた原点に戻って
http://mitsuishi.blogspot.jp/2008/11/blog-post.html
8-3、日常性の点検としてのブログ活動
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/03/blog-post_25.html
8-4、日記的記述法(ブログ)から物語的記述法(ホームページ)へ
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/01/blog-post_919.html
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ブログ文書集
ブログ文書集「東日本大震災からの復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
ブログ文書集「21世紀日本社会のための大学教育改革の提案」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_6795.html
ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html
ブログ文書集「持続可能なエネルギー生産社会を目指すために」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/11/blog-post_2842.html
ブログ文書集「民主主義社会の発展のための報道機能のありかた」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_03.html
ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」
http://mitsuishi.blogspot.com/2012/03/blog-post.html
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ブログ文書集「プログラム科学論・自己組織性の設計科学」
「プログラム科学論・自己組織性の設計科学」の目次
三石博行
1. 吉田民人研究
1-1、吉田民人先生の論文リスト完成
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/01/blog-post_28.html
1-2、吉田民人研究のために1
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/05/1.html
1-3、吉田民人社会学理論第一期前半の研究に関する検討
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/08/blog-post.html
1-4、第一期吉田民人社会学理論 社会・生活空間の構造-機能分析
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/08/blog-post_12.html
1-5、吉田民人論文 『俯瞰型研究の対象と方法:「大文字の第二次科学革命」の立場か』に関する評価
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/09/blog-post.html
1-6、学生時代の読書会スタイルでの三つの研究活動
プログラム科学論研究会活動報告(1)
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_20.html
2、プログラム科学論研究活動
2-1、プログラム科学論研究会への参加のお願い
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_20.html
2-2、サイバー研究会としてのプログラム科学論研究活動
http://mitsuishi.blogspot.com/2008/01/blog-post_18.html
2-3、吉田民人先生を偲ぶ
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/02/blog-post.html
2-4、吉田民人先生を語る会に参加して
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/03/blog-post_2783.html
2-5、吉田民人先生を偲ぶ2
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/05/blog-post_18.html
2-6、第一回吉田ゼミナールからの報告
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/10/blog-post_25.html
2-7、「科学の大衆化」研究と「吉田民人情報科学」の学習
プログラム科学論研究会活動報告(2)
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_21.html
3. プログラム科学論(科学哲学)
3-1、生活運動から思想形成へ
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post.html
3-2、思想運動としてのプログラム科学論研究
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_8200.html
3-3、プログラム科学論での秩序概念
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_18.html
3-4 プログラム科学論研究の今日の課題とは
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_8646.html
3-5、科学主義を超えられるか
http://mitsuishi.blogspot.com/2008/01/blog-post_17.html
3-6、メタ科学としてのプログラム科学論
http://mitsuishi.blogspot.com/2008/01/blog-post_25.html
3-7、プログラムj科学論の研究課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/08/1-2-3-4-5-6-b-1-2-3-4-5-6-7-c.html
3-8、人工物プログラム科学論の役割
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/03/blog-post_3104.html
3-9、プログラム科学論研究のあり方
http://mitsuishi.blogspot.com/2012/02/blog-post_29.html
3-10、プログラム科学(自己組織性の設計科学)の科学哲学的課題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/11/blog-post_1941.html
4. 自己組織性の設計科学
4-1、吉田民人先生のプログラム科学論「自己組織性の設計科学」に出会って
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/03/blog-post_3330.html
4-2、自己組織性の設計科学とは
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/03/blog-post_7438.html
4-3、自己組織性の設計科学の研究
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/03/blog-post_24.html
4-4、自己組織性の設計科学概念
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/03/blog-post_1456.html
4-5、人工物プログラム科学論的分析による設計科学の成立条件
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/03/blog-post_26.html
4-6、吉田民人の設計科学概念の構築過程について
設計科学の成立とその概念(1)
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_02.html
5、政策学基礎論試論
5-1、生活科学基礎論1
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/07/19-human-ecologyhome-economics.html
5-2、政治哲学から展開される政策学基礎
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post_06.html
5-3、人間社会科学の目的(時代性、文化性と社会性)
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/03/blog-post_7585.html
5-4、プログラム科学・自己組織性の設計科学としての政治社会学
http://mitsuishi.blogspot.jp/2013/01/blog-post_23.html
6.統計学的方法論とプログラム科学論
6-1、統計的分析方法による生活世界の解釈方法
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/03/blog-post_4455.html
6-2、新たな世界認識の始まり・二元論的世界から確率論的世界へ
http://mitsuishi.blogspot.jp/2010/10/blog-post_3401.html
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ブログ文書集
ブログ文書集「東日本大震災からの復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
ブログ文書集「21世紀日本社会のための大学改革の提案」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_6795.html
ブログ文書集「日本の政治改革への提言」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html
ブログ文書集「持続可能なエネルギー生産社会を目指すために」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/11/blog-post_2842.html
ブログ文書集「民主主義社会の発展のための報道機能のありかた」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_03.html
ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」目次
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三石博行
1. 吉田民人研究
1-1、吉田民人先生の論文リスト完成
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/01/blog-post_28.html
1-2、吉田民人研究のために1
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/05/1.html
1-3、吉田民人社会学理論第一期前半の研究に関する検討
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/08/blog-post.html
1-4、第一期吉田民人社会学理論 社会・生活空間の構造-機能分析
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/08/blog-post_12.html
1-5、吉田民人論文 『俯瞰型研究の対象と方法:「大文字の第二次科学革命」の立場か』に関する評価
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/09/blog-post.html
1-6、学生時代の読書会スタイルでの三つの研究活動
プログラム科学論研究会活動報告(1)
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_20.html
2、プログラム科学論研究活動
2-1、プログラム科学論研究会への参加のお願い
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_20.html
2-2、サイバー研究会としてのプログラム科学論研究活動
http://mitsuishi.blogspot.com/2008/01/blog-post_18.html
2-3、吉田民人先生を偲ぶ
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/02/blog-post.html
2-4、吉田民人先生を語る会に参加して
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/03/blog-post_2783.html
2-5、吉田民人先生を偲ぶ2
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2-6、第一回吉田ゼミナールからの報告
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/10/blog-post_25.html
2-7、「科学の大衆化」研究と「吉田民人情報科学」の学習
プログラム科学論研究会活動報告(2)
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_21.html
3. プログラム科学論(科学哲学)
3-1、生活運動から思想形成へ
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post.html
3-2、思想運動としてのプログラム科学論研究
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_8200.html
3-3、プログラム科学論での秩序概念
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_18.html
3-4 プログラム科学論研究の今日の課題とは
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_8646.html
3-5、科学主義を超えられるか
http://mitsuishi.blogspot.com/2008/01/blog-post_17.html
3-6、メタ科学としてのプログラム科学論
http://mitsuishi.blogspot.com/2008/01/blog-post_25.html
3-7、プログラムj科学論の研究課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/08/1-2-3-4-5-6-b-1-2-3-4-5-6-7-c.html
3-8、人工物プログラム科学論の役割
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/03/blog-post_3104.html
3-9、プログラム科学論研究のあり方
http://mitsuishi.blogspot.com/2012/02/blog-post_29.html
3-10、プログラム科学(自己組織性の設計科学)の科学哲学的課題
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/11/blog-post_1941.html
4. 自己組織性の設計科学
4-1、吉田民人先生のプログラム科学論「自己組織性の設計科学」に出会って
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/03/blog-post_3330.html
4-2、自己組織性の設計科学とは
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4-3、自己組織性の設計科学の研究
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/03/blog-post_24.html
4-4、自己組織性の設計科学概念
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/03/blog-post_1456.html
4-5、人工物プログラム科学論的分析による設計科学の成立条件
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/03/blog-post_26.html
4-6、吉田民人の設計科学概念の構築過程について
設計科学の成立とその概念(1)
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5、政策学基礎論試論
5-1、生活科学基礎論1
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5-2、政治哲学から展開される政策学基礎
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post_06.html
5-3、人間社会科学の目的(時代性、文化性と社会性)
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5-4、プログラム科学・自己組織性の設計科学としての政治社会学
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6.統計学的方法論とプログラム科学論
6-1、統計的分析方法による生活世界の解釈方法
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6-2、新たな世界認識の始まり・二元論的世界から確率論的世界へ
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ブログ文書集
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ブログ文書集「21世紀日本社会のための大学改革の提案」の目次
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ブログ文書集「日本の政治改革への提言」目次
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ブログ文書集「持続可能なエネルギー生産社会を目指すために」目次
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