2011年1月12日水曜日

いじめないこころを育てる教育(1) -暴力の理解-

三石博行

暴力行為としての「いじめ」の自覚過程


規則で「いじめ」を取り締まることは可能か

小学校でのいじめ(虐め)には、子供社会にある「お山の大将を決める行動」に由来するものから嫉妬によるものがある。

そのいじめの手口は悪口を言う、笑いものにする、悪いうわさを立てるなどの言葉による暴力、無視する等の態度による暴力から、集団暴行(暴力を振るう)、恥ずかしい行為を強制するとエスカレートし、最後は、金銭を要求する、万引きなどの犯罪行為を強制する等、刑事事件として扱われる暴力行為までに至る。

いじめの場合、前者のことばや態度による暴力による手口を使ったケースが、ほとんどの場合を占める。つまり、いじめている側からすると、日常的に行われるいじめは、極めて軽い気持ちでの行為であると言える。

つまり、意地悪行為、つまり悪口を言う、笑いものにする、悪いうわさを立てるなどの言葉による嫌がらせ、相手を無視する等の心理作戦の様な目に見えない暴力や意地悪行為は、こどもの社会では、日常的に、何処にでも起こる。その意味で、日常的な意地悪行為まで学校が取り締まることは不可能に近い。つまり、明らかに犯罪行為に匹敵する場合を除いては、意地悪行為で語られる「いじめ」を取り締まることは非常に困難であると言える。

最近では子供の間で、冗談半分にからかう行為を、悪意のある「いじめ」と区別するために、「いじる」ということばで表現している。「いじる・弄る」とは、指先や手で触ったりなでたりすることや、物事を少し変えたり、動かしたりすることを意味する。補説的に、「自分のことをいう場合には、軽い自嘲や謙遜の気持ちを、相手のことでは、小ばかにした気持ちを含むことがある。」(goo辞書) また、「ひねくる」とか「もてあそぶ」同義語である。「もとあそぶ」は、「なぶる」、つまりからかってばかにすると意味がある。冗談半分にからかう「いじる」という言葉を使うことで、悪意のある行為の意味をもつ「いじめ」ではないことを定義付けようとしているのである。

しかし、「いじる」とは行為をした立場からの行為内容の解釈である。しかし、その行為をされた立場から、「悪意のない冗談」として受け取られる場合もあれば行為者の意図に反して「悪意ある行為」と解釈される可能性もあることは否定されない。

つまり、「いじる」側と「いじられた」側の日常的な人間関係によって、「いじる・なぶる」(意地悪行為)にもなれば、「いじる・ひねくる」(冗談行為)にもなるのである。同じ行為の行為内容ではなく、行為者とその対象者の関係に依存して、悪意の存在有無が決定される。もし、「いじられた」側から、その行為が意地悪な行為として解釈されるなら、その行為は「いじめ」と同義語となるだろう。

このように、いじめと冗談の境界が行為者の視点から明確に意識されていない子供社会での行為を考えると、子供の社会でのいじめを無くする方法として、いじめへの処罰は難しい。つまり、こどもの冗談行為、軽い嫌がらせに対しても学校が懲罰(ちょうばつ)規則の設定することは不可能である。

いじめ・人を傷つける行為を理解する一歩とは

学生に、「いじめられたことがあるか」とい質問を投げかけると、ほとんどの学生が「ある」と答える。その逆の「いじめたことがあるか」という質問には「ある」と答える学生は少ない。さらに、「人を傷つけたことがあるか」と問いかけると「ある」とほとんどの学生が答える。

「いじめる」という行為は「ひとを傷つける」行為である。しかし、人を傷つけたと思う人でも、ひとをいじめたとは思っていない。何故なら、「人を傷つけてしまった」と思う現在の自分は、「傷つけるつもりで傷つけたからではなく、結果的に傷つけてしまった」ことを記憶している。「あのとき、あの人を傷つけたのだ」という思いが、「ひとを傷つけてしまった」という記憶として、心に留まり続けている。それがこの「人を傷つけたことがある」という答えの背景ではないだろうか。

また、多くの学生が「傷つけたことがあった」が、「いじめたこと」はないという答え(過去の行為に関する自覚)を示したのは、「傷つける」行為と「いじめる」ということばのニュアンスの違いがあるからではないだろうか。

言換えると、「いじめる」という行為がはるかに「傷つける」行為よりも悪意に満ちた意図的な行為であり、その意味で、いじめる行為の方が暴力的に聞こえる。傷つけるとは家族、友人や恋人のこころを傷つけたというニュアンスが大きい。しかし、いじめるとはあるいじめの集団の一員として意図的に弱い人をターゲットにして陰湿な暴力行為を行ったというニュアンスに近い。その意味で、いじめると傷つけるは大きく主観的な意味が異なることになる。

また、傷つけたと言うニュアンスには、その行為への罪悪感が匂う。すべての人が、何らかの形で、ひとを傷つけてしまったという罪悪感(良心)を持っている。特に自分の愛する人に対してこの感情を持つ。この感情が愛なのだろう。ある意味で、他者への愛が、人(友人)を傷つけたという気持ち(罪悪感と呼ばれる良心)として現れているのである。

例えば、「人を傷つけた」と答えた人に「あなたの傷つけた相手は誰ですか」と問うたとする。女子大生の多くは「母親」という答えが返ってくる。また、若い夫婦なら「自分のパートナー」、年を取った人々なら「過去に老いた両親の面倒をみてやれなかった」という答えが返ってくる。自分の行為の不十分さ、未熟さを省み、それを悔やんでいる場合に「不十分で未熟な自分の対応を受けた他者への思いが、何かもっとしてやりたかった。なにもあんなことを言わなくてもよかった。そうした悔恨の気持ちが「傷つけた」という感情として残り続けるのである。それは、悔恨と呼ばれる愛の姿、呵責という良心の姿である。

「いじめた」ことを思い出すことができれば、それは人を傷つけたという思いがあることになる。つまり、自覚的に自分が過去に誰かを虐めたことがあると意識することは、いじめた過去の自分に対して向き合う姿勢が生まれ、その行為(いじめ)を悔やんでいることを意味する。つまり、「いじめ」という卑劣な行為を反省的に理解する契機を得たことを意味する。言い方を変えるなら、いじめた過去を対自化(思い出して客観的にその卑劣な行為を理解)することができないより、いじめた自分の卑劣さを恥じている方が、いじめの問題を考え、解決していく糸口を持っていると云える。

暴力行為としての「いじめ」に対する自覚

漢字で「虐め」と書くよりも、平仮名(ひらがな)で書かれた「いじめ」と書かれることで、陰湿なその行為も遊び感覚のニュアンスを持つことになる。子供たちの間で、遊びに近いニュアンスをもった「嫌がらせ」や「仲間はずれ」、冗談のように相手をやっつける行為として「いじめ」は登場する。

そして、冗談のような「いじめ」が、言葉による嫌がらせからエスカレートし肉体的暴力や金銭を要求する恐喝行為まで進展する契機となる。ことばの暴力を軽い冗談と思う気持ちが、「いじめ」というひらがな用語から始まり、その自然な進展の行き先が犯罪行為であることを自覚することはできない。

ひらがなの「いじめ」をここではあえて漢字で「虐め」と書いたのは、この行為が「人を傷つけること」をそのことばの意味の中心におきたかったからである。その意味で「いじめ」が「ひとにいやな思いをさせる」という緩やかな、あそび心のある行為であったとしても、それは明らかに他者を「虐める」という暴力であることには変わりないと自覚しなければならない。

一般に暴力とは、「乱暴な力。無法な力。正当性と合法性を欠いて用いられる物理的強制力。対象となる個人や集団に身体的な苦痛を与え、自由や生命さえも奪うこと」と国語辞典では定義されている。この場合、「暴力」は直接的で肉体的にダメージを与える暴力を意味している。

しかし、暴力には、ことばの暴力から肉体的暴力、また個人の暴力から集団の暴力、そして社会や国家による暴力まで、その種類も形態も多様である。その意味で、「いじめ」は、必ずしも直接に肉体的なダメージを与える暴力ばかりでなく、ことばや態度で人を傷つけるやり方も含まれている。問題は、「いじめる」ことや「いじめた」ことが、暴力を行使したことと同義語であることを理解すること、少なくとも何らかのかたちで人を傷つけていることであることを自覚できることである。






にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

東アジア共同体構想の展開を進める日韓関係の強化

三石博行

最も近くて最も遠い国・韓国との関係から始まる東アジア共同体構想

韓日の親密な関係が、まず東アジア共同体の構想を展開していくための土台となる。東アジアの平和と繁栄のために、さらに日韓関係を発展する必要がある。つまり、政治的システムが共通する日韓両国の関係をより緊密にしていくことが、東アジア共同体構想を進めるための現実的一歩となる。

韓国の経済成長や先進国の仲間入りは、日韓両国の関係を更に発展させている。韓国が経済力や技術力において、日本と同格になることによって、東アジアの国際的重要性は益々大きくなる。そして、アメリカを向く中国外交や中国経済に東アジアを向くことの重要性を示すことができるのである。

そのためには、日韓経済共同体の形成が必要なことは言うまでもないが、更に、両国の文化的交流の促進、過去の戦争責任に対する日本側の真摯な対応、朝鮮半島と日本の長い交易と文化交流の関係や東アジアの視点からの両国の国内史の再解釈・再認識するための両国間の歴史認識の交流が必要となる。すでに、以上の課題は、近年精力的に、取り組まれている。

例えば、2003年4月から9月にNHKBS2で上映され反響を呼んだ「冬のソナタ」の以来、韓流ブームが起こり次々に韓国の映画やドラマが上映された。そして、ハングル語学習熱が起こり、大学でのハングル語受講学生数は英語についで2番目となっている。また、2009年にNHKが全10回にわたり放映したシリーズ「朝鮮半島と日本」は、多くの反響を呼び、相互の歴史認識の違いを再確認させました。

この韓流ブームがもたらした日本人へのカルチャーショックは、「韓国(朝鮮半島)は地理的にはもっとも近く、国民感情的には最も遠い国であった」ことではなかったろうか。多くの韓国朝鮮人が住む日本、絶対的な影響を受けた国でありながら、韓国朝鮮は非常に遠い国であったと理解したのではないだろうか。

一般に、異文化理解は、異文化誤解の現実を受け止めることから出発することを考えれば、近年の韓国朝鮮半島文化に対する理解・カルチャーショックと韓流ブームは、仲たがいした兄弟がよりをもどそうとしているようにも思える。異文化である(別々の個人である)緊密な二つの文化(東アジアの家族の一員)が、相互にそれぞれの存在を認め合い、そして共同体としての親密な関係を作ろうとしているのである。

東アジア共同体を目指す日韓の同盟関係を強化すること、経済、文化、大学(教育)、市民間の交流を活発にすることが、東アジア共同体の土台骨を着実に形成することになる。日韓の強固な関係が、米中関係を重視し軍事的に巨大化する中国に対する抑止力となり、中国に対して
東アジア国際地域の繁栄が持つ政治経済的意味を理解させる方法となるだろう。

この課題を展開させるには、米国との関係が鍵となる。何故なら、現実は日本も韓国もアメリカとの外交関係を最優先させて、日米関係重視路線の日本と韓米関係重視路線の関係において成立している、日韓関係重視政策であるからだ。

つまり、東アジア共同体構想を展開するためには、現実の米国との重要な関係を理解しながらも、独自の日韓関係を模索する外交が求められている。

----------------------------------------------------------------------------------------------------
ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」

5. 日韓関係

5-1、NHK ETV特集「日本と朝鮮半島」 イムジンウェラン 文禄・慶長の役のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/07/blog-post_6656.html

5-2、NHK 朝鮮半島と日本 「倭寇(わこう)の実像を探る  東シナ海の光と影」のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/07/blog-post_2310.html

5-3、NHK EV特集 「元寇蒙古襲来 三別抄と鎌倉幕府」の映像資料のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/07/blog-post_6943.html

5-4、姜尚中(カン・サンジュン)著『在日』プロローグのテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_29.html

5-5、東アジア共同体構想の展開を進める日韓関係の強化
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post_12.html






にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

2011年1月11日火曜日

「レポート材料の作り方」について(3)

三石博行

資料の整理分類と分析作業


資料の優先順位を決める

レポート作成に必要な資料を集める場合に、主なキーワードや課題名が事前に選択されて資料は集められる。それらの事前に選択されたキーワードや課題別に、資料をリストして行く。例えば、レポートの書き方の課題では、「図書館を活用した資料収集の仕方」に関する資料がリストされてくる。「図書館の活用」というキーワードで資料が採取される。「図書館の活用」に関する情報を持つ資料、著書、論文や報告書がリストされる。

資料目録を作りながら、レポート作成に必要な資料分析(精読必要)の優先順位を作る。つまり、速読しながらそれぞれの資料にA(非常に大切)、B(大切)、C(時間があれば読むに値する)、D(あまり重要でない)、E(まったく関係ない資料) の5段階評価を行う。



優先順位の高い資料の収集と保管

集められた資料の中で、まず、Aにマークされた資料を集める。それらの資料は、次に述べる資料分析作業の中ですぐに活用されるものである。そのため、資料の収集作業を行っておく。資料収集は、大学付属図書館を活用する。仮に付属図書館に収集したい資料がなくても、付属図書館のサービス機能を活用すれば必要な論文や著書を他の図書館から取り寄せることができるので、資料の収集は効率よく行うことができる。

次に、収集された資料(アナログ及びデジタルデータ)を保管する。保管作業は資料の整理や分類する作業を伴う作業である。上記した形態の異なる資料、アナログデータとデジタルデータの資料の整理と分類も、情報形態が異なり、その保存方法、つまりPC上のメモリーに保管するかもしくはファイルボックスに保管するかの違いはあるものの、資料整理の基準は基本的には同じである。この資料整理、分類の方法に関しては、別途、章を設けて詳しく述べる。


資料の読み方 精読と速読

一般によいレポートを書くためには、出来るだけ多くの資料を調べ、その中で色々な角度から書かれている資料を出来るだけ多く読解しなければならない。しかし時間の制限やレポートページ数の制限もある。そこで、レポート作成のために集めた多くの資料に重要度のリストを作り、まず大切な資料から読む必要がある。

一般に、レポート作成を進める中で、上記に示した資料リストの重要順位A,B,Cのものは、読まなければならない資料である。その読み方は優先順位によって異なる。

優先順位Aの非常に大切と評価された資料や、大切と評価されたBの資料の読み方は読みながら徹底的に文章を分析する作業つまり精読(しっかり読む)が必要となる。

また優先順位C つまり時間があれば読むに値する資料には一応目を通しおく必要がある。また、出来ればDのあまり重要でない資料にも、何が書いてあるかという情報を得るために簡単に目を通しておくのもよい。資料に目を通すというのは、資料をじっくり読むのでなく、ざっくり読む、つまり、その資料の中で重要な点を取り出しながら読む作業を意味する。

多くの資料に目を通すためには、一般に言われる速読の技術が必要とされる。速読とは資料の情報の概略をつかむ作業である。さらに、速読によって、資料の再評価を行い、また資料の部分的に存在している大切な情報をつかむ作業を行う。



資料分析ノート、「テキスト評価」の材料作成

優先順位AとBの資料は精読するのであるが、ただじっと本を読めばよいと言うわけではない。レポート作成のために精読するのである。そのため、精読された資料はその後レポートを各材料になっていなければならない。

レポート作成は、丁度、料理と似ている。まず、どんな料理を作るかを決める。例えば、餃子を作る(具体的なテーマ)と決める。餃子に必要な食材(情報)を集める。家にあるもの、無いもの。無いものは、どこに行けば手にはいるか。その価格は高いか。高いならそれに代わる安い食材はないかを検討する。そして、すべて必要な食材を集めて、それから食材を料理用に加工する。すべて必要な食材の加工が終了してから、料理に必要な調理器機(道具)を揃える。そしてすべての加工された食材、調理道具が揃った段階で、料理を始める。出来た料理を盛り付けるお皿やお野菜等々も忘れずに準備しておく。

つまり、レポート作成に活用する材料(料理用の材料と同じ)を用意しておくのであるが、レポートを書くためにすぐに役に立つように準備されていなければならない。

その準備の仕方の一つが精読であった。これは料理で云えば包丁の使い方のようなものである。包丁の使い方が分かったからといって料理用の食材の準備が完了した訳ではない。

レポート作成用の資料分析ノートは、資料(テキスト)の解釈や評価の作業によって作られる。その方法は大きく分けて、四つの要点によって構成されている。

一つは、その資料の説明(資料作成者、資料名、資料のあった論文集や著書名、資料を出版した組織や出版社名、資料の発行年度月日、資料ページ数)である。

二つ目は、資料に記載されている内容の紹介である。資料の文書を使いながら、出来るだけ資料に忠実に記載する必要がある。

三つ目は、資料の内容への評価である。評価とは、資料が示すテーマ(課題)に関して資料は十分に展開しているかという点に関する分析である。つまり、資料の内容で評価できる点や不十分な点を具体的に指摘する。

四つ目は解釈である。解釈とは、上記の評価を前提にして、こんどは自分の視点から、つまり自分のレポートの課題の視点から資料に関する感想(主観的であってもいい)を述べることであうる。

レポート資料分析ノート、もしくはテキスト評価解釈ノートは、上記した四つの課題を明確に示しながら書くことになる。つまり、テキスト分析ノートの構成は、はじめにで資料を選択した意味や課題を書く、第一節は資料の説明、第二節は資料内容の要約、第三節は資料評価と資料解釈(感想)となる。 出来れば、最後にまとめで資料分析作業に関する問題点を書く。


参考資料

1、「大学でのノートの作り方」(1)
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/1_24.html

2、「大学でのノートの作り方」(2)
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/2.html

3、「レポート材料の作り方」について(1)
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/1.html

4、「レポート材料の作り方」について(2)
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/2.html






にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

「レポート材料の作り方」について(2)

三石博行


資料情報を収集と資料リスト作り


資料の多様な情報形態

レポートのテーマが決定したら、そのテーマに関する資料を集める。レポート作成にとって資料収集は大切な作業であり、レポート作成作業の第一歩である。

ここで述べている資料は、筆記資料、音声資料、画像資料、統計資料等がある。それらの異なる資料にはそれぞれの収集(採集)作業の仕方がある。例えば、紙面に表記されている資料、つまりアナログ資料(データ)はノート、フォルダー、ファイル、バインダイー、ファイルボックス等に収集される。また、デジタルデータは、PC及びその周辺機器や記憶媒体によって収集される。

アナログ資料とは主に印刷されたもの、例えば図書館で調べた本、文献、インターネットを通じて調べた情報の印刷資料、チラシや配布資料や報告書等々である。また会議、研究会、講演会や取材活動で自ら筆記したノートや描写したスッケッチ等の資料も含まれる。 
取材など現場に行ってインタービューを行う作業では、筆記やスケッチした資料以外にも、録音した音声データ、デジタルカメラや写真機で取った静止画像データやビデオで撮った動画画像データもある。

特に、会議、研究会、講演会や取材での筆記資料の作り方に関しては、講義中のノートのとり方が基本となる。大学でのノートのとり方は、レポート作成資料のもっとも基本的な作業である。大学では、講義を通じて、口頭情報(声の情報)を筆記する技術、つまりノートのとり方を教える。その技術がそのまま取材ノートの作り方に活用できるのである。大学でのノートの作り方、特に口頭情報のスケッチ方法については、別途用意された教材( )に記述したので、それを参考にするとよい。

音声資料は取材で録音した音声資料、ラジオの番組や研究会や講演会等の口頭発表を録音したものなどがある。最近では、テープレコーダでなくIPレコーダーが使われ、そのデータの管理もPC上で保存できる。また、それらのデジタル音声データを掘り起こし、音声データを文書データと変換して、筆記資料として管理することもできる。同様に、取材やテレビ番組で録画した画像や映像資料もデジタル化してPC上で管理することができる。

アンケートや街頭(街角で行う)調査で得られた資料は統計的に処理され統計資料となる。また、白書やインターネット上で公開されている政府や専門調査機関が作成した統計資料もレポート作成用の大切な資料である。それらの統計資料は論文や報告書の紙面に記載されたアナログデータかデジタルデータとしてExcel やPDFファイル形式になっている。


大学付属図書館での資料調査

まず、大学付属図書館の資料を調べる。付属図書館の資料検索はインターネット上で可能で、学内のパソコンから付属図書館のサイトを開くことができる。

付属図書館のサイトには必ず「資料検索」ができるようになっているので、その検索エンジンを活用する。例えば、「本学の資料」をクリックして、「所蔵検索OPAC」をクリックすると、検索用語入力によって図書館の資料(本、論文等)を調べることができる。例えば「レポートの書き方」と「検索語1」に入力し、「検索開始」をクリックすると、付属図書館にある「レポートの書き方」に関する蔵書12件が検索される。

絞込み検索は、検索語1「レポートの書き方」と入力した後で、「AND」で検索語2に「心理学」と入力すると、心理学系のレポートの書き方の資料が検索される。


論文や雑誌記事検索

論文を調べる場合には、「資料検索」の中の「データベース」をクリックする。「雑誌紀要等の論文・記事情報を調べる」の中の国立情報研究所の「CiNii 論文情報ナビゲータ」のサイトを呼び出し、同様にして調査した用語(キーワード)を入力して論文資料を検索することができる。

1. 論文情報ナビゲータで検索した資料を収集するには、図書館の窓口で相談するとよい。論文が学内にある場合は、すぐに資料を入手することができる。学外にある場合は、付属図書館から学外の図書館に資料の複写を依頼することができる。

2. さらに、図書館には日経新聞などの新聞記事のデータベースのCDもあり、キーワード入力で記事の検索ができる。レポートの材料として、日経新聞などに記載された記事を活用することもできる。記事検索を行う場合、そのやり方に関しては付属図書館の窓口に相談するとよい。


資料目録(リスト)の作成

レポート作成の課題を決め、それに関する著書、論文、報告書やインターネット上での資料を調べ、必要と思われる資料のリストを作る。

リストに記載されたものはあくまでも、レポート作成に必要と思われるものである。レポート作成に必要な資料を集める場合に、主なキーワードや課題名が事前に選択されて資料は集められる。それらの事前に選択されたキーワードや課題別に、資料をリストして行く。例えば、レポートの書き方の課題では、「図書館を活用した資料収集の仕方」に関する資料がリストされてくる。「図書館の活用」というキーワードで資料が採取される。「図書館の活用」に関する情報を持つ資料、著書、論文や報告書がリストされる。

課題別に資料リストに基づき、資料を集める。例えば「図書館の活用」という情報を持つ著書「山田太郎著、図書館学入門」、論文「佐藤和男著、図書館を活用した知的生産の技術」等数件の資料が付属図書館の中から見つかる。それらの資料名と作者名を記載しリスト化する。
それらの付属図書館が所有する著書や論文を閲覧しながら、それらの資料の大まかな情報を記載する。

課題別の資料リストの作成は、調べる資料を精読するのでなく、速読しながら、作成する。まず、著者名、著書名、出版社名、出版年月日、ページ数を記録し、レポート作成に必要と思われる章や節を拾い出す。それらの章や節のタイトルを記入する。簡単なコメントを書く。

上記した作業を繰り返しながら、一応必要と思われる資料には簡単に目を通す。簡単に、速読しながら、レポート作成に必要な資料分析(精読必要)の優先順位を作る。つまり、速読しながらそれぞれの資料にA(非常に大切)、B(大切)、C(時間があれば読むに値する)、D(あまり重要でない)、E(まったく関係ない資料) の5段階評価を行う。

資料リストは、レート課題の中の部分課題名、資料の重要度(AからEまで)、著者、資料タイトル、出版社名、発行年月日、ページ数、それらの大まかで簡単な情報、概略を記入する。これでリスト作成は終了する。


参考資料

1、「レポート材料の作り方」について(1)
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/1.html







にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

「レポート材料の作り方」について(1)

三石博行

レポートを書くための準備作業


レポートの材料作り・テキスト批評

高等教育では、自主的な研究の技法や姿勢を学ぶことが課題になっている。大学での知識の習得の中で重視される課題は、知識の習得姿勢を学ぶことである。

つまり、科学技術文明社会では知識は日々生産され、そして消費され、再生産され続ける。この社会が必要とする知識人とは、知識を所有する人だけでなく、知識を再生産する人である。つまり、つねに社会が要請しつづける新しい知識を学び、また研究し続ける人々がこの社会のリーダーとなる。

その意味で、現代社会は大学に対して、知識の再生産能力をもつ人々の育成を期待している。専門基礎教育を担う大学学部教育では、専門基礎科目と共に、知識の再生産の技法を教えることになる。

その課題を実現するために、「学部基礎教育における知的生産の技術」に関する課題、知的生産の技術としての講義ノートのとり方、レポートの書き方の学習を企画した。

学部でのすべての講義を通じ、講義情報をスケッチ、記述、収集、整理する技術と、資料を分析する技術、さらには課題にそって資料を調査し整理分類する技術について学ぶ。

ここでは、受講ノート作成、レポート提出など、演習ゼミや講義を通じて学部教育で日常的に行われている作業の中で、自主的な研究活動に必要な技術、知的生産の技術の基礎を身に着けることを課題にする。

このレポート材料の作り方を具体的に習得するため、河野哲也氏の著書 『レポート・論文の書き方入門』の「2章 テキスト評価という訓練法」pp13-29 のテキスト分析、評価と解釈の資料を作成してみた。資料の作り方は人それぞれであるが、資料作成の参考となる。



レポート課題を決める

まずレポートの課題を決めなければならないのであるが、決定したテーマが、必ずしも、書くために適正であるとは限らない場合も生じる。

例えば、テーマが大きすぎると、レポートとして纏められない。レポートのテーマに「人間とは何か」という課題を選んだとする、このテーマはあまりにも一般的で、漠然としている。そのため、人間の何について書いたらいいかとテーマを決めた後で課題が生まれる。人間とは何かという課題について考え、例えば「生物的な人間」のについて書いてみようかとか、また「社会文化的人間」な人間の側面について書いてみようかと、さらに課題が生まれる。このように大きなテーマを選ぶと、そのテーマからさらに新しいテーマがうまれるのである。

レポートのテーマが大きいのは、レポートに書く課題が具体的になっていない現状を物語っている。つまり課題が決まらないときには、必ず大きなテーマが浮かぶ。その大きなテーマをさらに検討することで、具体的なテーマに絞られてゆく。大きなテーマしか浮かばない場合は、テーマが決まっていないと思えばいいのである。その大きなテーマを具体的に考えることで、レポートのテーマは絞られる。

レポートのテーマを決める場合に、一般的な課題からテーマをイメージするのでなく、学習や生活の中で常日頃感じている疑問や問題意識から、具体的な課題を選択することが大切である。何故なら、レポート作成は研究調査活動の一つであり、自主的な学習態度を持たなければ出来ない作業である。その意味でも、知りたいと感じている課題を選ぶことによって、自主的な学習活動は自然と進んでいくものである。 疑問や問題意識がなければレポートを作成することは難しいといえるだろう。

一般に、専門的な論文やレポート(報告書)になるに従って、テーマは具体的で詳細になる傾向がある。すでに色々な知識があり、またそれに伴う具体的な問題意識を持つために、レポートのテーマもより具体的になる。すでにある課題に関して詳しく知っていることが具体的なテーマを選ぶ条件になる。つまり、具体的なテーマとは、より明確な課題にテーマが絞り込まれたことを意味している。

例えば「レポートの書き方」という課題から「レポート作成のための資料の収集の仕方」とすると、より具体的になる。さらに、「図書館を活用した資料収集の仕方」とするともっと具体的なレポート課題になる。

しかし、逆に余りにもテーマが詳細すぎると、レポートの体裁を作らない場合が生じる。例えば「大学付属図書館の「資料検索」サイトによる文献調査の方法」となると、レポートの形式を取って説明する必要もなく、資料検索マのニュアルとしてまとめることで十分となる。
レポートを書きなれていない学生にとって、レポートの課題を決めることすこし困難に思える。しかし、レポートを書く訓練を続けることで、その要領を理解できるようになる。大切なことは、日ごろ関心を持っている具体的な課題をレポートの課題として選ぶことである。

例えば「人間と倫理」の講義に関して「自由課題」のレポートの提出を求められた時、日ごろ自分が関心をもっている「人間と倫理」の課題、例えば「友情を大切にするこころ」とか「家族を大切にするこころ」などをテーマにすることでレポート課題が決まるだろう。

自分の関心のある課題を書き、それらの課題に関するして「何故、それに関心を持っているか」、「その課題を考えることの意味は何か」という疑問を投げ掛けてみて、それについて具体的に書くことができるなら、それらの課題はレポートの材料となることを意味する。


参考資料

1、「大学でのノートの作り方」(1)
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/1_24.html

2、「大学でのノートの作り方」(2)
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/2.html







にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

こどものいじめと人権教育の課題

三石博行

初中等教育での人権・人間教育課題

こどものいじめ・大人社会での人権意識の反映

学校でのいじめ(虐め)には、子供社会にある「お山の大将を決める行動」に由来するもの、嫉妬によるもの、そして刑事事件的な暴力行為まであると言われている。その具体的な手口は、悪口を言う、笑いものにする、悪いうわさを立てるなどの言葉による暴力、無視する態度による暴力から集団暴行(暴力を振るう)、恥ずかしい行為を強制する、金銭を要求する、万引きなどの犯罪行為を強制するまである。

一般に小学校のクラスで起こるいじめは、クラスの5、6人の小さな集団が中心となってクラス全体の傍観者を入れた、ある特定の個人への嫌がらせである。いじめにあっている子供がクラス(共同体)の秩序を破壊している訳でもなく、またその子供への制裁をクラス会で決めたわけでもないし、クラス全員が制裁に参加している訳ではない。それは、いじめを行っている少数のグループの子供たちが、同じクラスのある子供に対して、個人的な感情による陰湿な暴力行為である。

しかし、いじめている子供もまたいじめを傍観しているクラスの大半の子供も、その行為が人権を侵害する行為、暴力行為、卑怯な行為であるという自覚はない。この無自覚さは、こどもたちと呼ばれる社会性を身に着けていない人々が持つ「無邪気な行為」について理解しておく必要がある。

つまり、多くの人間関係を経験したことのない人々(子供)に、自らの行為によって引き起こされる他人の痛みについて理解する心を育てなければならない。そのこころが育ってない精神構造からは、自らが引き起こす、他者の心を傷つける行為が暴力であるという自覚は生まれない。つまり、子供のいじめの現状の全ての責任は、大人たちの教育にある。そのことがまず、こどものいじめを目の前にして、考えなければならない課題であると言える。

言い方を換えれば、こどもの社会でいじめが蔓延していることは、大人の社会に虐めが存在していること、その大人を観ながら子供たちは虐めを当然とする社会で育っていることを意味している。つまり、大人社会での人権意識の反映としてこども社会でいじめが蔓延すると理解すべきである。


民主主義文化のバロメータとしてのこどものいじめの現象

つまり、いじめに鈍感な日本社会は、ある意味で民主主義が社会の文化として定着していない現れと解釈できる。どのような小さな集団であっても人々の集いの全てが、民主的に運営され維持されているかということが「いじめ」を起こさないことを保障するのである。

いじめは暴力の一種である。暴力には色々な形がある。例えば、肉体的に痛めつける暴力、言葉によって心を傷つける暴力、コミュニケーションを遮断する暴力、人格を無視する暴力等々。つまり、他者を積極的に傷つける行為である点がそれらすべての暴力に共通する。いじめは個人的な憎しみや妬みをあらわす積極的な他者への行為である。

いじめに対して、民主主義社会の対応は極めて明快である。つまり、その暴力は社会的犯罪である以上、いじめへの対応は犯罪行為に対する対応となる。いじめを行った人々を裁くことである。つまり、いじめの行為が明らかに法律違反している限りにおいて、社会は暴力としてのいじめに対応できる。

しかし、多くの場合、子供の社会で行われているいじめは、被害者のこころの傷の大きさに比べて、加害者の社会的責任追及は不可能に近い。それが現実である。被害者が自殺するに至っても、加害者への責任追及、損害賠償や刑事的責任の追及は不可能である。

これまで多くの学校ではいじめに対する取り組みは遅かった。いじめを予防するための国や地方自治体の対策が出されるまで、現場、学校が率先していじめ対策を講じていくケースは少なかった。このことは、学校自体がいじめの環境を積極的に作っているという自覚が無いことを意味していた。教育課題としていじめを取り上げる、つまり人権教育の課題として、日常的な子供たちの行為を問題にし、それを学習教材にする対応が現場の学校で工夫されないことが問題なのである。

もし学校が、いじめ対応に対する法律の社会的対応を待ち、いじめを社会的制度の中で解決すると考えるなら、学校での人権教育を考えることを破棄したと言えるだろう。学校でのいじめの問題で、刑法などの法律的な暴力としてのいじめへの対応策はいじめ問題の基本的な解決を導くとは考えられないのである。

日常的に些細ながらもいじめがおこる子供社会とは、人権に鈍感な社会の反映である。つまりこども社会でのいじめ問題の解決は、大人の社会での人権重視の社会構築にあるだろう。
そして社会が、真剣に人権を守ることの大切さを考え、子供たちに、それを伝えようとしない限り、こども社会でのいじめを防ぐことは出来ないだろう。


虐め(集団的暴力)を是認する傍観者の存在

村八分は民主主義社会では認められない人権侵害行為であるが、日本人の「村落共同体意識」には、村八分を正当化しないまでも、それが行われていることを無言のうちに了承している人々の意識がある。この無言の人権侵害への傍観者意識が、人権侵害を起こす大きな原因となっている。

クラスで数人の子供がある子供を虐めているとする。クラスの多くの子供たちは、いじめっ子が絶好のターゲットを決めて、虐めが行われていることを理解している。しかし、大半の子供たちは、その虐めには参加してはいない。ただ、それを傍観しているだけである。虐めているグループにあえて虐めをやめるように忠告する訳でなく、もし虐めをやめろといえば逆に自分が虐めの対象にされる危険性があることを知っている。だから、ただその虐めの現実にかかわりたくないと決め込んでいるのである。それがクラスの大半の子供たちの姿である。

これらの傍観者の存在によって、つまり虐めを認めている人々の存在があることが、虐めている人々にとっては、自分たちの行為の承認者として映る。その消極的な承認者を得ることで、私怨(しえん)や個人的鬱憤行為(うっぷんこうい)も社会的存在理由を見つける。もはや、私怨による行為でなく、皆が認めている皆と共同してやっている行為に変貌するのである。

このクラスの大半の子供たち、不特定多数の傍観者の存在によって、いじめっ子の暴力は、社会的制裁行為の意味付けをもらい、伝統的に村の中で繰り広げられた村八分的行為に変貌するのである。

傍観者の存在は、伝統的な村落社会の無言の協同者を意味する。その存在は、古い村落共同体の社会運営に関する慣わし、つまり日本人の深層心理にしっかりはまり込んでいる「暗黙の同意」によって運営される村の掟を呼び覚ます。

いじめっ子が堂々とクラスで暴力を振るためには、傍観者の存在が必要なのだ。もし彼らがいなければ、その行為の主観性は見破られるのである。彼らは堂々と暴力を振るうことは難しくなるだろう。それだけでも、虐めはクラスの中で公然とは起こらなくなる。

そして、クラスの大多数の子供が、傍観者から虐めを批判する側に変わるなら、つまりクラスの多くの子供たちが、「弱いもの虐めをやめよ」というなら、いじめっ子の中で正当化したい暴力の公共性は忽ち(たちまち)崩れ去り、虐めという行為があらわに社会(クラス)の中に露呈(ろてい)するだろう。個人的感情によって生まれた自分の行為としての虐めに含ませたかった「社会的」制裁の意味合いを失うだろう。

私怨によって生じる暴力「いじめ」に、社会的制裁のニュアンスの混入を防ぐためには、つまり虐めが暴力であると明確に意識する契機を得るためには、その虐めを見て見ぬ振りをする大多数の傍観者達のモラルを問いかけ、彼らの協力を得る以外にないのである。


いじめについて考える人権教育

つまり、非常に日常的に起こる言葉や態度によるいじめに対して、教育の立場から常に敏感に対応する姿勢が必要である。いじめはこどもの社会では常に起こるものである。こども社会でのいじめを防ぐためには、いじめる子供たちに対する懲罰ではなく、いじめを考える人権教育の普及が必要である。いじめを通じて、こどもたちに人権教育の機会を作ることが出来るのである。つまり、日常的に生じるいじめを積極的に取り上げ学校側の教育姿勢が必要である。

もし、学校や教師が、そうした姿勢を持たないなら、学校や教師の側に人権に対する意識の低さがあり、そのことが学校でのいじめの蔓延を放置していると考えるべきであろう。日常的にいじめを積極的に取り上げることが教育の場として必要である。それを理解しない学校や教師は、現実の大人社会で行われている人権侵害の行為に対しても鈍感であると言えるだろう。

教育活動として虐めを問題にして、いじめた経験のある子供、いじめられた経験のある子供も共にそのことを考える機会を与えことで、教育の立場からいじめを防ぐことができる。換言すれば、いじめは人権教育のもっともよい教材となる。子供たちは、自らの行為をもって、人権について考える機会を得る。これがまず学校が取らなければならない虐めへの対策ではないだろうか。

教育プログラムとしていじめに対する対策が行われている事を前提にして、具体的に発生する虐めへ対策を考える必要である。虐めた子供も虐められた子供も含めて文部科学省が提案しているマニュアルなどを活用し学校やクラス全体で虐めに対する対応をしなければならないが、しかし、もっと大切なことは、教育現場で、具体的でしかも生きた教育材料を活用しながら、人権教育を企画できる教育力が教師や学校に求められている。

さらに、刑事事件の対象になる虐めに関しては発見した際に警察の協力が必要で、保護者も学校も警察に通告しなければならない。例えば自殺者を出すなど、重大な事件に発展し被害者の保護者の憤激を伴う場合、刑事事件として告訴しなければならない場合が生じる。

しかし、こどもの喧嘩(暴力を振るう行為)によっても傷害事件が発生する。それらのすべての事件を刑事事件として告訴することは出来ない。こども同士の喧嘩による暴力事件に対しても、単純に刑事事件として扱うのでなく、こどもと保護者を入れた話し合いを学校が企画し、こどもへの暴力に対する自覚を教えなければならないだろう。つまり、どのような事件がおこっても、マニュアル通りに解決するのでなく、そこにいる子供の現実と状況を理解したケースバイケースの教師と学校の対応が求められている。

こどもの人格を尊重する学校や教師の考え方がない所にこどもへの人権教育は芽生えないのである。




にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

国際化する人権思想・民主化過程

三石博行

自由主義経済の導入は民主主義制度・人権思想の発展を導く


現在、日本社会のみでなく世界の多くの社会が資本主義経済によって運営されている。北朝鮮を除く中国、ベトナムやその他の社会主義国家やイスラム宗教国家でも資本主義経済を基本とする社会運営が行われている。その場合、自由な経済的行為や財や富への欲望を肯定しない限り資本主義経済は成立しない。

富への欲望肯定は個人主義の発展に火をつけ、全体主義を維持するために必要であった禁欲主義を解体しつつある。21世紀社会に軍事的植民地主義を呼び戻すことが出来ない限り、富国の条件として自由な経済行為を認めなければならない。その富国の条件と全体主義や禁欲主義は拮抗することになる。

人権思想は、資本主義経済の推進力を果たす個人主義、自由主義に支えられ歴史的に発展してきた社会思想である。その意味で、資本主義経済の発展は同時に人権思想の普及を意味する。つまり、中世社会・封建制度を維持してきた社会思想は資本主義経済の発展と共に駆逐され、消滅を余儀なくされる運命にある。

好むと好まざるに関わらず、富国政策を資本主義経済発展によって推進する場合、資本主義経済を維持するための社会制度(法律や行政機構)が発展し、その中で働く人々の効率のよい労働、役割、社会的機能を保障しなければならない。それらの社会的機能を維持する個人の役割が、個人の社会観念形態の基本を作るのである。

その集合表象形態、つまり共同主観性によって、社会的常識や社会習慣は形作られて行くことになる。資本主義経済の発展は、それを担う多くの社会要素や機能、つまり大衆的な役割集団を形成し、それによって資本主義経済制度をより強固に、より大きく展開し続けることになる。換言すれば、資本主義経済システムは個人主義や自由主義を再生産する人々を生み出し、それらの人々の占める社会での量的変化やその社会機能の質的変化が、全体主義的国家であろつと民主主義を基盤とする社会制度へ導くのである。

さらに、今日、21世紀の社会では、科学技術の進歩、つまり科学技術的知の生産力が経済発展の推進力となっている。20世紀の資本主義経済は、新しい文明形態(21世紀の科学技術文明社会形態)、国際化社会や情報化社会の社会文化形態を生み出した。国際化社会や情報化社会によって、科学技術的知の伝達や交流、知識人たちの国際的交流や移動が盛んになって行く。海外の情報が自由に持ち込まれ、国内の政治や社会が国際的な視点から相対化され始め、国民はマスコミを通じて経済的に進んでいる海外の社会モデルを知ることが出来るようになる。

現代社会では、すべての国と民族がその存続を掛けて世界経済競争のトラックを走っている。富国富民のために競争が繰り広げられている。そして、その過程で、それぞれの歴史や伝統文化を前提にした民主化過程が生まれるのである。例えば、社会主義政治制度やイスラム共和主義制度の国々においても、豊かさを求める国民は経済的行動や政治的行動の自由を国家に求めことになる。

資本主義経済を推し進める以上、民主主義制度への移行は避けられないし、民主主義制度の確立へ向かう以上、人権思想が社会に根付くことは避けられないのである。

参考
三石博行 「中国の近代化・民主化過程を理解しよう」
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_1850.html

三石博行 「イラン・イスラム国家の近代化過程と日本の国際戦略」
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_2293.html






にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

2011年1月6日木曜日

いじめを生み出す文化的構造

三石博行

はじめに

いじめやハラスメント(嫌がらせ)は日常茶飯事に起こっている。いじめという個人の行為が生じる社会文化的背景について考える。特に、子供社会でのいじめとその予防対策について述べる。


いじめとは何か、その行為の社会文化的構造について


日常的な行為としてのいじめが問う課題

いじめ(虐め)とは暴力行為である。いじめに近い概念に、ハラスメント(いやがらせ)、虐待(幼児虐待、老人虐待、障害者虐待)等がある。例えば、男の職員が女の職員に性的ハラスメント、上司が部下に仕事上のハラスメント、親の幼児虐待、女性差別、老人虐待、障害者差別、部落出身者差別、在日外国人差別等々がある。

言い換えると、いじめは、私たちの社会、つまり地域共同体、職場、学校、集団、家庭で、ことばの暴力、嫌がらせ、差別等々として日常茶飯事に行われている。社会に力の格差、つまり強い立場のもの、弱い立場のものがいる限り、強いものが弱いものに力の行使を行う。一方的な力による立場の主張が可能な人間関係において、ハラスメント(いやがらせ)、虐待やいじめが生じる環境が成立する。力の格差を使って行われる行為がいじめとよばれる目に見えにくい暴力の姿である。

つまり、いじめにはいじめる側といじめられる側が存在している。その関係は、社会的立場の優劣や力や能力等の格差によって生じている訳で、例えば、社会的立場や能力の違い、つまり、親子、大人と子供、男女、教師と生徒、上司と部下、健全者と障害者、健康人と病人、身体能力の違い、学力の違い、学歴の違い、経済力の違い、出身地の違い、国籍の違い等々、優劣関係を生み出している社会構造から、必然的に作られる。つまり、立場、能力、力等の格差の違いから生じる強い関係が、いじめの発生基盤となる。

いじめは、日常的に生じるハラスメント(いやがらせ)、差別、人を傷つける行為が、現在の日本の刑法に違反しないぎりぎりのラインで行われている。例えば、上司が部下で仕事上の理由で、部下を叱ることは当然の行為として考えられる。しかし、その部下に対して、個人的な理由、肉体的な特徴を叱るときに持ち出す行為は明らかにハラスメントとなる。

上司が部下を仕事上の理由で叱る行為でも、そこに仕事上の問題、個人的生活、人格上や身体的特徴等を持ち込むことは避けなければならない。上司の人格が叱るという行為に関わってくる以上、ハラスメントはその基本構造にある強い者から弱いものへの力の行使という構造的な 関係だけでなく、人のモラルも課題になるといえるだろう。


 
私怨による暴力行為としてのいじめ

いじめやハラスメントは、力の格差を使って行われる不当な力の行使(暴力)と考えた。しかし、その暴力は国家や社会が法律(悪法)によって行う社会的弾圧や社会的暴力と違い、ある集団や個人が行う私的(集団的)な暴力である。つまり、虐め(いじめ)は、私怨(しえん)によって生じている暴力である。

それにもかかわらず、どことなく組織を管理する人々(多数者)が、組織の秩序を乱す人々(少数者)に対する社会的な制裁のニュアンスを持ち込む。小学校のいじめっ子や会社で部下や女性社員をいじめている上司も、その行為が人間的に許されない行為、他者の人権を無視した行為であるにもかかわらず、どことなく、自分の行為が正義に基づいていると想っているのである。

例えば、男子の上司が部下の女子職員を、仕事上の理由で性的に虐待することは、現在(2010年の日本社会)では常識的に許されてはいない。しかし、その上司が部下の男子職員を、仕事上の理由で虐待している場合でも、それが虐待であると判断されない場合も起こる。と言うのも、企業では新入社員教育制度や業績向上や課長や部長職に就く前の研修があり、厳しい仕事上の注意事項やスキルが伝達される。また、古い世代の上司や役員には、伝統的な男性中心主義の社会制度からくる、男だからキツイ批判を受けても受け止めるのが当然だとする固定観念があるため、仕事上の理由で行われる教育と虐待の違いに相違が生じる可能性もある。

こうした、日本社会の伝統や文化の習慣からくる教育と虐待の境界不明瞭な問題が現実に存在している。そのため、上司も仕事を理由に行う行為は虐待だと自覚していない場合があり、仮に、自分の虐待行為を部下から指摘されたとしえも、理解できないことが起こる。しかし、明らかに職場での訓練や教育が常識を逸脱している場合がある。職場での虐待行為は現実に起こっている。

つまり、虐待やいじめが明確に犯罪行為として社会的に判断されるには、虐待やいじめによる被害が暴力行為の判定を受ける必要がある。その場合、刑法で定められた暴力行為の基準、つまり傷害罪の判定を受ける行為でなければならない。例えば、上司が部下の女子職員に対して虐待をした形跡が、肉体的に明確に証明される場合、つまり医者の診断書がある場合、上司の行為は刑法違反行為・傷害罪の容疑を受けることなる。

しかし、上司がことばで部下の女子職員を侮蔑した場合、その一言をもって、女子職員が上司を裁判や社会に訴える行為が成立することは日本社会では難しいだろう。しかし、日常的に、その上司は部下のある女子職員に性的虐待を行い続けたとする。そして、その女子職員が精神的(神経内科的)に病み、病院に行き、医者やカウンセラーと相談することになり、そのカウンセラーが問題解決のために、企業や労働監督所にその実態を報告し、それでも改善が見られない場合に、その上司と所属企業に対して警察や裁判所に訴えることになる。つまり、個人的な訴えでなく、社会的判断を得る手続きを経て、その上司の行為は社会的に刑罰の対象となる。

言い換えると、私怨による暴力行為としての虐め(いじめ)も、それが社会的に暴力行為であると理解されなければ、社会的制裁の対象にはならない。単に私怨による行為なら、その程度により、傷害罪が適用されるまでは、暴力行為として認定することは出来ない。そうした条件が、私怨によることばや暴力行為を止めさせることが出来ない現状を生み出している。
私怨による暴力を食い止めるためには、法的な問題としていじめを課題にする限界が存在していると言える。


暴力行為と教育・愛による懲罰行為の判断基準

もし、簡単にあることばや力をもつ立場からの行為を暴力として認定してしまうなら、おそらく、上司が部下を叱ることも、教師が生徒を叱ることも、相撲部の先輩が後輩を鍛えることも、暴力と解釈される可能性が生じる。

小学校の教諭が、例えば掛け算のできない子供を集めて罰を与えたとする。その行為は、一般に子供が掛け算をできるようにするための教育活動として理解されるだろう。しかし、その理解は、教諭の選ぶ罰の内容による。つまり、その罰が以下の条件を満たさなければならない。先ず、掛け算のできない子供たちをできるようにするための有効な方法であると評価されること、次に、罰を受けた子供たちが、掛け算をできないことで自分の人格が否定されていないと感じられていること、さらに、その罰を受けることで、掛け算を勉強しなければならないと自覚することができることである。

罰が子供に勉強をしなければいけないという自覚を促すなら、その罰は教育効果を持つと解釈できる。しかし、その罰が、身体的な体罰であり、精神的な苦痛や屈辱を受ける罰である場合には、それらの罰が及ぼす教育効果とそれらの罰が引き起こす身体的や精神的な苦痛を考え、その行為を点検する必要があるだろう。

つまり、教育行為として行われる罰は、それを受け入れる側(子供)のその罰を受ける立場への了解が必要となる。もし、その了解を逸脱する行為であれば、その罰は教える側と教えられる側の立場を使った力の行使と解釈される可能性がある。

家庭で、子育てをする親が子供を叱る、場合によっては体罰を与える。その体罰は、子供に善悪を教えるために行われる「愛の鞭」である。親は子育ての義務として、子供に社会的道徳心を教えなければならない。場合によっては、そのために厳しい折檻(せっかん)が必要となる。厳しい家庭教育と子供虐待の境界線は、親の子供への愛情の有無である。子供への折檻の局面のみで子供虐待と解釈することは間違いである。つまり、親の子供への制裁行為を日常生活のすべての経過の中で理解しなければならないだろう。何故なら、幼児虐待は、子供の生きる権利を奪う日常的な行為として生じている。暴力的行為に及ぶという局面のみで、それを幼児虐待として解釈することはできない。

しかし、子育てに疲れた母親たちが、告白しているように、ストレスを抱えた母親の子供への折檻が虐待と境界すれすれにあることを考えるなら、幼児虐待の課題は、虐待を受ける子供だけでなく、虐待的行為に走ってしまう母親たちの課題をも解決しなければならないことに気付くのである。

特に学校や家庭でのいじめと判断される行為の基準について、明確な概念を設定することは困難であると言える。日常生活の中で行われる教育や育児行為は、場合によっては、いじめ、虐待に変貌する可能性を持つ。その基準は、愛情をもって行われた行為か憎しみをもって行われた行為かという極めて行為者の主観的な領域にまで踏み込むことになる。


日本国憲法で禁止される懲罰

日本国憲法は、平和主義、基本的人権擁護と国民主権(民主主義)を基調にして成立している。当然のことだが、犯罪者を処罰するための法律も、この日本国憲法の基本精神に則して行われる。 

つまり、ある集団や社会が、その集団に利益に反した人々に対して、日本国憲法に違反するような懲罰規定を独自に決め、執行することは出来ない。例えば、村の有力者が、村落の決まりを守らない人に対して、彼らの生活権や人権を奪い取るような懲罰、村八分にすることはできない。当然のことだが、日本社会では、法律違反者に対して刑罰を科すことは国家以外にはできない。

また、組織や集団は、日本国憲法に違反しないことを前提にして組織の懲罰規定を設けることが出来る。例えば、会社であれば就業規則は、憲法、労働基準法に違反してはならない。例えば、就業規則違反者を、牢獄の代わりに会社の倉庫に閉じ込めるとか、懲罰行為として鞭打ちの刑とか平手打ちの刑に処することは出来ない。

しかし、就業規則上の懲罰規定で、会社へ損失を与えた職員に対して最も重い処分として、会社に所属している身分を奪う、解雇処分がある。さらに、会社は民事裁判を通じて、会社に与えた損失の賠償を請求することも出来る。

いじめによって傷害という結果を生み出すなら、現在の日本社会では、その行為は社会的に批判糾弾されることになる。しかし、言い方を変えるなら、格差によって生じる力の行使が法的な手続きをもって成立するなら、それはいじめでも暴力でもないと判断されることになる。


時代、文化や社会に規定されるいじめの概念

私たちの社会に社会的、経済的、能力的、身体的な立場の格差がある限り、より強い者から弱い者への力(肉体的、精神的、社会的、文化的な優越性を強調する行為)の行使は避けられない。すると、それらの格差を使って行われる行為は、ある意味で、社会の構造的関係によって生み出されると考えられる。つまり、社会に格差がある以上、いじめの発生源を絶つことは出来ない。つまり、いじめをなくするためには、社会の格差構造を根絶しなければならないことになる。

しかし、社会から格差を根絶することが可能だろうか。社会に分業が存在し、教育機能が必要とされ、スキルの高いものがスキルの低いものを育て、社会全体を豊かにし、豊かさを持続するために、社会は、能力や経験の豊かな者を優遇し、彼らに責任を与え、その経験を伝達し普及していく制度を作ってきた。その制度に必然的に組み込まれた格差を、いじめの発生源であるという理由から撤廃することは不可能だろう。

つまり、社会的格差一般がいじめの発生源であると帰結することは、これまでの社会発展を否定することになる。そこで、いじめの発生源は、社会的分業制度の維持から生じる教育的な評価、つまり能力や経験の社会的評価と切り離さなければならない。

いじめを格差から生じる「行為一般」から、「不当な行為」と定義し直さなければならない。では、誰が誰に対して不当という判断を下すのだろうかという疑問が生まれる。ここでも、不当という表現を点検しなければならないことになる。再び、いじめを語る場合に、一般的定義を持ち出すことの難しさに出会う。

そこで、いじめは、時代、文化、社会に規定された概念ではないかと考えてみよう。つまり、いじめの発生源は格差を不当に使った行為と考えるなら、「不当」の定義が、時代、文化や社会的状況によって変化しているために、いじめる行為を絶対的な概念軸で定義することが困難ではないかと考えてみる。

つまり、社会は格差を前提にした力の行使を、どこまでを当然、またどこまでを不当であると判断しているかという課題が存在している。この疑問から、このいじめの議論は、「今、ここに」生活している現実の社会状況を前提にしながら考える必要がある。言い換えると、いじめを課題にする議論は、現在進行形の一人称を含む世界、個人がもっている感情や感性を前提にして成立していることを理解する必要がある。客観的な条件のみで、いじめや虐待の存否を判断することは難しいと思われる。

その前提条件で、自分と他者が共に経験した事実に関して、そこで生じている行為が不当であるか否かの判断をしなければならない。不当であると判断する基準は、今、ここで生活している自分と他者の間に成立している共同主観的な了解事項から成り立つ。その基準は、いじめと判断される行為が、社会的に暴力として理解されること、それらの行為を法律的に規制する基準が存在していること、またそれらの行為を社会制度上認可しない風習や習慣が存在していることとなる。つまり、私が自分勝手に、他人の行為をいじめとして定義することは出来ない、その行為を他者もいじめとして了解しなければならないのである。

例えば、戦前の小学校で、悪戯をした児童に教諭が拳骨(ゲンゴン)を食らわすことは日常茶飯事であっただろう。社会で肉体的暴力が当然のように行われている社会では、悪いことをしたらゲンゴンが飛んでくるというのは、愛情や教育上の行為として受け止められていただろう。しかし、21世紀の日本社会で、小学校の先生が、教育上の理由で、戦前と同じ行為をしたら、多分、新聞沙汰になり、父兄や教育委員会からクレームが付き、場合によっては辞表を書かなければならない結果を導くかも知れない。

例えば、悪戯をした児童に教諭がゲンゴンを食らわすという行為が、ある時代には教諭の教育行為として社会的に了解され、ある時代には教諭のあるまじき行為として社会から批判の対象となる。この事実は、いじめを語る場合に、必要となる条件として、その行為だけではなく、行為を解釈し評価する社会文化的環境も、その行為がいじめなのかそうでないのかの判断基準になっていると言う事である。

つまり、いじめに関して語る条件は、今の社会文化的環境でのある行為が、いじめという暴力に相当する否かの問題となるということである。学校で、子供の社会での嫌がらせやことばによる差別などの行為を、目に見えない暴力として解釈するかどうかを議論しておかなければならない。それぐらいのことは問題でないと考える人々がその議論の中心なら、子供社会での嫌がらせは子供の自然な行為として了解されるだろう。しかし、ことばによる暴力も肉体的な暴力と同じように人権を侵害する行為であると考える人々がその議論の中心にいるなら、いじめは暴力として解釈され、いじめを防ぐ対策が講じられるだろう。

いじめという暴力に対する集団や社会的な理解、共同主観的な了解事項を問題にしない限り、いじめの問題は観えてこないとも言える。ある行為を「いじめ」、つまり暴力として判断することは、その社会が持つ人権意識によって決定されている。

戦後社会が戦前よりも人権意識が向上し、肉体的暴力は勿論のこと精神的暴力、ことばの暴力、プライバシーの侵害を人権問題として考えるようになって、戦前や戦後に何となく許されていた「嫌がらせ行為」が、今日の社会では、人権を侵害する許されない行為として社会的に評価されはじめたのである。民主主義や人権の社会思想が人々の生活の営みに浸透し、人間関係や人の社会的行為の基本的基準となることによって、いじめへの社会的対応が可能になるのである。


いじめを生み出す歴史的文化的な社会の構造


「いじめ」に混入する社会的制裁のニュアンス

「いじめ」は私怨によって生じている暴力であるにも関わらず、いじめ(虐め)と関連する他のことば、例えば「排除する」、「戒める」、「懲らしめる」等々、「いじめ」には処罰的意味合いが含まれている。つまり、処罰的意味には、つねにある決まりに基づいて、指導する誰かが指導される誰かに対して、ある理由つまり教育的行為や社会的規範に従った行為として、発動されるというニュアンスが付着しているように思われる。

社会的処罰的意味は、つねに社会や共同体的決まりから発動される、秩序を乱す者への戒め処罰というニュアンスを持つ。つまり、もし「いじめ」が「戒める」という意味を含んでいるなら、同時に、また暗黙の裡に(うちに)共同体の秩序を乱す者への懲罰を意味し、その上で、「いじめ」がその正当性や存在理由を主張しているように思われる。

では、なぜ個人的な私怨(しえん)や妬みから発生した「いじめる」という行為が、社会的な制裁のニュアンスを漂(ただよ)わすのだろうか。そして、極めて個人的な負の感情がどのようなカラクリを使って「社会的正義」の紋章を付けることに成功しているのか。それらの疑問を解明し、その原因を知る必要がある。その疑問を紐解くために、まず「いじめ」から連想される言葉を考えてみよう。

 
中世の村落共同体の秩序維持機能としての村八分

例えば、「村八分」という言葉がある。村八分は村の多数者がある少数者へ行う制裁行為であり、その制裁行為が強い者(多数者)によるよわい者(少数者)への行為と解釈される。その限りにおいて、村八分は「いじめ」と同じように集団からある人間を排除し、人間としての権利を奪い、名誉を剥奪する行為であると解釈されるだろう。その行為の現象面から観て、村八分といじめが同次元の行為、同義語として理解されることになる。

村八分は中世日本社会、取り分け村落共同体で行われていた共同体の秩序維持のための慣わしであり、村民は村の長(おさ)の私怨によって村八分を受けたのではなく、村の秩序を破壊したために、二分の権利、葬式と火事に対して村の協力を得られる権利を除いて、村の八分の権利を失うことになったのである。中世社会の村落共同体の秩序を維持するための掟が村八分であった。

この村八分は、国民の概念が成立する以前の社会、つまり国家としての社会的規範(憲法)が成立する以前の社会に存在した社会的規範の一つである。

中世前期(平安末期~鎌倉中期)までは、民衆(百姓など)の生活を維持管理するための法律、国家的な法令はない。当時の律令(法律)は公家や武家に対して定められた法令・公家法・本所法・武家法など支配者により定められたものしか存在していなかった。そして、民衆に対する司法権・警察権の行使(検断沙汰)も支配者である荘園・公領領主や地頭武士に限られていた。(Wikipedia)つまり中世前期の社会では、法度(法律)は支配者階級のための決まりであり、彼らが領民を支配、管理するための規則であった。

鎌倉後期ごろから室町前期にかけての中世日本社会の村落共同体では、強い自治意識と連帯意識に支えられた惣村(そうそん・多くは地縁的結合によって作られる共同組織)を形成する。その惣村では惣掟(そうおきて)と呼ばれる村落共同体での掟(おきて)を独自に作った。

惣掟とは、中世日本社会での百姓の自治的共同体である惣村において、その共同体の秩序を維持するための掟とそれに違反するものへの制裁を惣村の全構成員による寄合(よりあい)で決議したものである。そのため、惣村構成員に惣掟は厳しく適用された。特に、共同体秩序を崩壊させるような行為(窃盗、放火、殺人など)に対する罰則は、ほとんどの場合、死刑とされた。
つまり、中世前期の日本社会では、現代のように国民全体に適応される憲法や刑法があったわけではなく、村民は村の掟を独自に作り、その掟に従って村の維持、運営、管理のための政(まつりごと)や治安を行っていた。その意味で、村八分はこの惣掟の中に含まれる共同体独自の刑法である。

中世社会では、国民という概念がなく、封建身分制度社会の秩序を維持するために律令(法度)しかなかった。そのため村落では惣掟の制定以来、村独自に掟が定められ、それに従い、村の秩序に従わないものを処罰し排除してきた。村八分という制度は、村落共同体の十の共同行為の中で、葬式と火事以外の結婚式、出産、病気の世話などをしないという習慣を示すものである。江戸時代では、村八分にあったものは村落共同体で共有する土地の使用も禁止されるために、共同山林での薪炭(しんたん)・用材(ようざい)・肥料用の落葉の採取が許されず、事実上生活が不可能になる。

つまり、村八分は、中世の村落共同体で成立していた掟に従って執り行われた刑罰の一つであり、その目的は村の秩序維持であった。村落の掟を破る者に対する処罰として村八分は機能していた。


近代国家の中で存続していた村八分的処遇

江戸時代まで続く藩政では民衆は藩主の所有であり、勝手に藩から出ることは許されなかった。しかし、明治時代になり、明治の近代国家の成立によって民衆は天皇が治める大日本帝国の臣民となった。すべての臣民は大日本帝国憲法を守る義務を負うことになる。

つまり、大日本国憲法に違反する村の掟の存在は許されなかった。大日本国憲法がすべての村落共同体の規範より優位に位置することになる。憲法の基に刑法が制定されることによって、中世社会から存続していた村八分による村民の刑罰は禁止されることになる。換言すると、法治国家では、村落独自の刑法は存在しないため、村八分行為は憲法及び法律違反となる。

しかし、戦前の社会には、中世社会から続く地主制度が存続し、封建的社会観念の土壌は根強く存続した。そのため、村落共同体の掟に反する者に対しては、中世社会の村八分のように生存権を脅かすものではなかったにしろ、共同体の行事に参加できない村八分的な差別待遇の処罰が適用されていた。地主と小作人の関係に見られる封建社会の制度が続く戦前まで日本の農村社会では、村八分の習慣は根強く残存していた。

戦後民主主義社会になっても、村落の決まりを守らない人が出た場合、それらの人々を村の有力者が処罰することが出来るという考えが残存していた。例えば「2004年の新潟県関川村(せきがわむら)で村の有力者が「お盆の行事」に参加しない人たちを村八分にすると発言した事件は裁判にまで発展したことが記録されている」(Wikipedia)現在では、それらの村八分の習慣は、村の有力者による脅迫や人権侵害として法律上認められていない行為であると理解されている。

つまり、上記の事例から、村八分の伝統、村の秩序に従わない者は村八分にすることが出来るという意識は、つい最近まで、21世紀の日本社会でも存続していたと言える。


民主主義国家の理念に反する行為、人権侵害としての社会的排除行為

社会秩序の維持機能としての中世社会での村八分を、現代社会で古き伝統を守る村落共同体でも行うなら明らかに法律違反となる。中世社会では、民主主義社会や国民主権国家は成立していない。そのため、村の掟が村民に適用されることに対して、その是非を問う社会的機能(司法制度)はない。村民の同意が村の掟とその執行を決めていた。

しかし、現代社会では、憲法がありそれに基づく刑事訴訟法や民事訴訟法があり、訴訟された罪状を法律に基づいて認否評価する司法制度があり、個人への刑の判断と執行が決定するのである。

当然ながら、団地の集まり、自治会、学校、クラスでもし村八分が生じるなら、その村八分こそ基本的人権を守る日本国憲法に違反することになる。いかなる集団も勝手に人を罰することはできない。それらの集団が集団構成員に対する懲罰規定を作るなら、その条項は法律違反をしていないか国家によって検証される。

例えば就業規則での罰則規定に関しても、労働基準法に触れないか労働監督所によって点検される。もし就業規則(罰則規定)が法律違反と判断されるなら、直ちに就業規則改善命令が企業に出されることになる。

民主主義と国民主権で運営される現代社会では、どのような理由があっても村八分や法律を違反した社会的排除行為等、集団独自の懲罰行為は、人権侵害とされ、日本国憲法違反となることは言うまでもない。

そして現在、いじめという行為に含まれている古い村落共同体の慣習、集団的制裁のニュアンスは次第に喪失しつつあると言える。







にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

欧州連合国の成功が21世紀の国際化社会の方向を決める

三石博行

困難を乗り越えながら進む欧州連合国の形成


歴史的実験としての国際連合国・EU

第一次世界大戦と第二世界大戦の戦場になったヨーロッパはこれまでの歴史には記憶されていない程の甚大な被害(二つの大戦での数千万人の犠牲者数)が発生した。この凄惨な傷跡から立ち上がるために、そして二度とヨーロッパを戦禍の焦土にしないために、ヨーロッパ連合の構想が掲げられ、半世紀以上の長い時間を掛けて、ヨーロッパ連合国家の形成を進めてきたのである。

第二世界大戦直後の1946年9月19日にチャーチルがドイツのチューリッヒ大学の講演で提案した「欧州合衆国」の構想から、1949年5月5日ロンドン条約によってヨーロッパ評議会が発足する。1951年パリ条約によって欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)によってヨーロッパの経済共同体の歩みが始まる。1957年の欧州6カ国のローマ条約によって次世代エネルギー(原子力)や資源のヨーロッパ共同管理が決まり、1958年に欧州原子力共同体(EURAOM)が発足、1958年に欧州経済共同体(EEC)が発足、1960年に欧州自由貿易連合(EFTA)が形成され、1965年にブリュセル条約で欧州共同体(EC)が生まれた。

ヨーロッパはECの形成によって大きく変化していく。1969年のEC加盟国(6カ国)間での関税同盟と農業共同市場が発足、1986年までにEC加盟国はイギリス、西ドイツ、フランス、イタリア、スペイン等のヨーロッパ主要国を入れた12になる。そして、1973年からECは先進国首脳会議(サミット)にEC代表を送り、1979年からEC加盟国の市民による欧州議会の直接選挙を実施、1985年にはEC加盟国の共通パスポートを発行する。

ヨーロッパは第二世界大戦以後の世界経済への影響力を維持するために、軍事と産業の要であるネンルギーと資源の争奪戦を防ぐために共同管理を行い、経済大国の米国や第二の経済大国となった日本に対抗するために経済共同体を形成し、またヨーロッパの内紛の火種であった大気汚染や河川の環境問題を共同で解決し、ヨーロッパ市民社会を作るためにEC加盟国市民の選挙によって選ばれた議員による欧州議会を発足し、世界政治へのヨーロッパの影響力を維持するためにヨーロッパ共同軍を形成し、着実に欧州連合(EU)発足の土台を形成しつづけ、1992年のマーストリヒト条約に基づき1993年にEUが発足した。


歴史的実験としての国際連合国・EU

発足の段階から失敗するだろうと言われ続けてきたヨーロッパ連合は、現在も多くに課題を抱えながらも、類似文化圏内での国際共同体という新しい国の形を求めて試行錯誤を続けている。EUの形成は、20世紀にはじまった国際化社会の第一段階とも言うべき類似文化圏内での連合国形成の実験である。 

欧州の共同経済領域を形成する欧州経済領域(EEA)を1994年に形成、1995年に共同経済領域内の出入国管理体制・労働力移動の自由化をEUに加盟していない欧州の国々を入れて28カ国でジェンゲン協定を確立、1999年からEUの共通通貨ユーロを創り、現在、欧州憲法を批准する活動を展開、2007年には27カ国がEUに加盟している。

今、世界は新しい連合国家を目指す欧州連合の実験を注意深く観察している。この実験は21世紀の国際化社会の進化の方向を決定づけるだろう。EUが成功するのか失敗するのか、人類の歴史にとって大きな課題となる。


問題を解決しながら整備される連合国の機能

2010年にはEUはギリシャの赤字財政問題から大きな課題を抱えることになった。そして、現在でも財政危機を抱える他のEU加盟国、スペインやアイルランドが存在している。その解決のために、2007年に成立し2009年に発効したリスボン条約を見直すことになっている。

つまり、これまでEU、ヨーロッパ連合が連合国となるための文化、教育、軍事、治安、外交政策を決定執行する機能を創り上げてきた。さらに、新たな問題を抱えることで、EU、ヨーロッパ連合が連合国となるための国家的機能が整備がされていくだろう。

もはや、後戻りできない。連合国家の行政機構の整備が急がれる。これまで成立した色々な連合国家としての行政機能に不足していたものを、今回の財政問題でも指摘された。そして連合国の財政政策を決定し執行する機能が形成されるだろう。

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
6. EU関係及びEU協会運動

6-1、生活運動としての国際交流運動

http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_14.html

6-2、日欧学術教育文化交流委員会ニュース配信
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_8507.html

6-3、文化経済学的視点に立った国際交流活動
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_26.html

6-4、新しい国際交流活動のあり方を模索して
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/06/blog-post.html

6-5、我々はEUに何を学ぶのか
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/07/eu.html

6-6、東アジア諸国でのEU協会運動の交流は可能か
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/09/eu.html

6-7、東アジア共同体構想と日本のEU協会運動の役割
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/10/eu.html

6-8、欧州連合国の成功が21世紀の国際化社会の方向を決める
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/21.html

6-9、Eddy Van Drom 氏のインターネット講座 ヨーロッパ評議会の形成史
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/eddy-vandrom.html

ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」 から




にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

政治哲学から展開される政策学基礎論

三石博行

自己組織性の設計科学としての政策学の成立条件


政策学基礎論としての自己組織性の設計科学論

理念なき政策は、道の前方を見ないで運転と類似している。目の前の事態への対応に明け暮れ、長期的方向性を持たないため、政策は毎年変更され、その度ごとに多く費用が必要となる。昨日の政策は破棄され、そのために費やした労力や経費はごみとなる。

現在の日本では、政権交代毎に政策変更が繰り返される。一貫性のない政策運営は緊迫する財政赤字をさらに増幅していく。今、日本の政治に求められている長期安定政権とは、10年以上の長期戦略をもつ政策の不在と解釈できるのである。現在、日本の国家に問われているのは、政党の枠を超えた国家の利益という長期政策の確立である。

また、現実的でない政策は、遥かに遠くを見ながら歩く公園の散歩のようなものである。そのため、目の前の水溜りにも、ジョギングをしている人にも、植えてある花や花壇にも気づかず歩くことになる。これでは目の前の障害を気付かず、散歩の途中で怪我をしてしまうだろう。

一般的な政策はない。つまり政策とは具体的な何かの政策行為である。従って、政策行為では、具体的な問題を一つひとつ解決する技術、実務的処理能力が必要となる。政策である以上、完全であるが不可能な対処法は意味をなさない。それよりも不完全であるが、現状の課題を少しでも解決できる対処策が必要とされる。

理念を忘れることなく、最も現実的な処理作業を限りなく続けることが政策では求められる。つまり目標達成の答えは多数あり、そこへの接近方法を、与えられた状況の中で選択してゆく技能が求められる。多くの選択肢を選ぶ基準について政策行為者は思想的に問われているのである。

つまり、政策は、最も経済的に「富国富民」社会を実現するために企画実行された政治過程である。まず、政策を実行する場合、国民の生命と生活の犠牲や多額の費用出費は避けなければならない。換言すればよい政策とは、国家の繁栄と国民生活の質を向上のための政治的目標を達成する合理的現実的な技術であると言える。

政策を進める場合、政治理念を点検する政治哲学、具体的政策を点検する政策学基礎論・政策科学技術論(プログラム科学論としての政策科学論)、状況に適した政策行為を点検する俯瞰型研究としての政策科学技術論(自己組織性の設計科学論としての政策学)等々の新しい政策学の理解が必要とされている。


政治的行為プログラムとしての政策

政策とは、ある政治、経済、社会や文化的目標に到達するための政治的な行為プログラムを意味する。政策を構成する二つの文字の意味から考えると、政策の政はまつりごとを意味し、策は計画を意味している。従って、「政策」とはまつりごとの計画を立てることを意味することになる。政治課題に関する計画行為を政策と考えれば、計画を立てるまでが政策の概念に入る。

そこで、その政策を実行する行為は政策の概念に入らないのだろうかと云う疑問が生じる。しかし、現実に使われる「政策」の概念には、政治的計画を意味するだけでなく、その政治的計画を遂行する意味も含まれている。例えば、「2012年度(来年度)の厚生労働省が打ち立てた福祉政策」という表現は、将来の計画を意味している。しかし、その意味が「未来の福祉政策案」でないのは、すでにこの福祉政策は立法機関での審議を経て実行可能な状態、つまり来年度(2012年度)の福祉行政を行うための法律や制度が整備されている状態、実行予定の政治的行為プログラムを意味している。この場合の「政策」の意味は、施行予定(実施される条件で作られた福祉計画)と理解される。つまり、実行予定の政治的行為のプログラムが政策であると言えるのである。

しかし、「1990年代の福祉政策」という表現では、過去に実施された福祉プログラムを意味することになり、すでに政策は未来に計画され実行予定の行為ではなく、計画に基づいて既に実行された政治的行為を意味する。

一般的に政策の意味は、政治的目標を実現するために実行予定の計画(プログラム)、もしくは過去に実行された計画(プログラム)の意味を持つなら、政策は政治的目標を実現するための行為プログラムであると解釈されているのである。


行為プログラムとは何か

政治的行為プログラムを理解するために、行為プログラムの一般概念について考えてみよう。何故なら、行為プログラムとは、一般にすべての労働と生活の現場で日常的に実行され、反省され、修正されている作業目標と作業過程のプログラムを意味する。この行為プログラム・生活や労働に関する企画、人間的行為一般に関するプログラムの個別特殊ケース・政治的行為に限定したプログラムとして政策は位置付けられる。

しかし、具体的な生活や労働の現場では一般的な行為プログラムは存在しない。それは何かの行為プログラムである。例えば、ある学習目標を設定し、その目標に到達するための対策を教育プログラムと呼んでいる。つまり、教育プログラムは教育行為に関するプログラムである。その意味で、教育行為という個別特殊ケースに関する行為プログラムとなる。

小学校一年生の一学期の国語教育を例に取ると、与えられた教育環境で可能な教育課題を検討しなければならない。その教育課題は文部科学省が制定している小学校学習指導要領第1節「国語」の中の第2「学学年の目標及び内容」の「第1学年及び第2学年」の中に具体的に指示されている。その教育目標と内容、さらに教育内容の具体的な指示(言語事項や内容の取り扱い)が明記されている。

クラスの生徒数は教育環境の大きな要素となる、例えば2010年度の文部科学省の資料によると初等教育(小学校)の日本での平均のクラス生徒数は28人となっている。都道府県や市町村によってその数は若干の異なると思われるが、日本の教育現場では30人以下のクラスが45.8%、31人以上のクラスが54.2%で、都市の学校のひとクラスの生徒数が多い傾向となっている。つまり、個々の初等教育現場では生徒数に合わせて、小学校学習指導要領に即して教育を行う工夫が必要となる。

また、小学校学習指導要領に沿って一学期間に与えられた国語教育時間も教育環境の大きな要素となる。

例えば、教師は毎回異なる教育環境の中で、決められた教育目標を達成するために、受講者一人ひとりの理解度、積極性を注意深く観察し、出来る限り一人ひとりの生徒が教育目標に到達することに努めなければならない。そのために、教師は理解度を点検し、理解の悪い生徒への再教育プログラムを検討し実行しなければならない。教育行為に対する成果を評価解釈し、その結果によって教育行為の変更修正が常に求められ、与えられた教育時間内に教育目標を達成しなければならない。場合によっては、補習という教育時間の変更を余儀なくされる場合も生じる。

つまり、教師は与えられた教育環境の中で教育目標を実現するために、具体的に教育スケジュールを決定し、教材を準備し、教授法を事前に確認、検討することになる。しかし、現場の教育進行過程では予め計画したスケジュール通りに授業が進むとは限らない。教育進行過程では、恒常的にスケジュールの修正、教材補充、教授法や教育テクニックの検討修正が常に問題となる。これらの検討修正変更過程も教育プログラムの重要な一部である。結論すると、教育プログラムとは、教育行為に関する企画とその実行過程、さらにはその点検修正過程も含めて、教育目標への行為全体を意味する。

行為プログラムの一般概念を上記した具体的な行為プログラムの意味から理解するなら、行為目的の実現(目標)に対する行為主体を取り巻く環境要素の認識、行為目標を実現するための企画、行為過程での行為成果の点検、その評価の解釈と行為目標や行為企画に関する修正作業が含まれることになると云える。


吉田民人の「4フェーズ循環モデル」から理解される政治的行為プログラムの自己組織性

現実の行為は、行為目標、行為企画、行為実行、行為点検評価の単純な行程によって出来上がってはいない。行為目標の達成過程は、行為要素の自己組織化が行われている。

例えば、行為目的と目標の設定(欲望)、行為主体と行為環境要素の理解(認識)、行為過程の企画(予測)、行為過程での行為成果の点検(評価)、評価の解釈(再認識)と行為目標や行為企画に関する修正(予測)、修正された行為企画に基づく行為過程の点検(再評価)、その再評価の解釈(三度目の認識)と修正された行為目標や企画に関する再修正等々と、行為目標の達成に向けて、行為プログラムの修正作業が同時並行的に進む。

この行為プログラムの実行過程での行為プログラム要素、目標、行為主体、環境、企画、行為遂行、点検、評価、解釈、修正等の行為プログラム作動過程で生じる行為プログラム要素の自己組織化について、吉田民人は『自己組織性の情報科学』 第一部「4フェーズ循環モデル」で見事に説明している。

ここで簡単に吉田民人の「4フェーズ循環モデル」を紹介する。
1、「第1フェーズは、システムのプログラムが記録・保存され、再生されたプログラムによってシステムの制御が行われ、その結果がシステムの選好基準を充足し、当該の再生プログラムが再び採択されて、記録・保存過程に入る、という自己組織システムの構造保持のフェーズである。」つまり、「プログラムの貯蔵 ― 再生プログラムによる制御 ― 選好基準の充足 ― 再生プログラムの選択 ― プログラムの貯蔵」と定式化することができる。(YOSHtam90B p14)

この第1フェーズでは、政策は、最初に企画されたプログラムによって実行され、政策目標を達成することが出来る。

2、「第2フェーズは、システムのプログラムが記録・保存され、再生されたプログラムによってシステムが制御されるが、その結果がシステムの選好基準を充足せず、当該の再生プログラムが淘汰されてプログラムの変異過程に入るか、さもなければシステムの解体にいたる、という自己組織システムの構造崩壊のフェーズである。「プログラムの貯蔵 ― 再生プログラムによる制御 ― 選好基準の不充足 ― 再生プログラムの淘汰 ― プログラムの異変またはシステムの解体」と定式化することができる。」(YOSHtam90B p15)

この第2フェーズは、政策過程では、最初に企画されたプログラムを運用しながら政策を進めるものの、その結、成果は得られない状態が生じている。そこで、現在のプログラムの中で有効に機能するものとそうでないものを選別し、有効に機能するプログラムのみを活用する現状のプログラム群内部で、システムの選好基準を充たすプログラムのみを活用している状態である。この段階ではプログラムの修正は試みられていない。このまま、最初の政策プログラムを使い続けるなら、明らかに政策は破綻するだろうと予測できるため、状況に適したプログラムの検討が急がれている過程を意味している。

3、「第3フェーズは、システムの異変プログラムが生成し、異変したプログラムによってシステムが制御されるが、その結果がシステムの選好基準を充足せず、当該の再生プログラムが淘汰されてプログラムの変異過程に入るか、さもなければシステムの解体にいたる、という自己組織システムの構造模索のフェーズである。「プログラムの変異 ― 再生プログラムによる制御 ― 選好基準の不充足 ― 異変プログラムの淘汰 ― プログラムの異変またはシステムの解体」と定式化することができる。」(YOSHtam90B p15)

この第3フェーズは、政策過程では、はじめのプログラムを破棄し、新たに変更したプログラムを使って政策を行ったが、改良プログラムも状況を打開することが出来ないため、政策は危機に面している。そのため政策プログラムの見直しや修正を続けている段階を意味している。プログラムの修正を行い続けない限り政策は破綻する状況にある。

4、「第4フェーズは、システムの異変プログラムが生成し、異変したプログラムによってシステムが制御されるが、その結果がシステムの選好基準を充足し、当該の再生プログラムが採択されて、記録・保存過程に入る、という自己組織システムの構造変容のフェーズである。「プログラムの変異 ― 再生プログラムによる制御 ― 選好基準の充足 ― 異変プログラムの採択 ― プログラムの貯蔵」と定式化することができる。」(YOSHtam90B p15)

この第4フェーズでは、修正・変更し続けたプログラムによって政策は進む状況が生まれてくる。そこでこの新しく改良したプログラムを維持し、政策を進めることになる。


政治的行為プログラムの修正に必要な技術学・失敗学の基礎知識

ある具体的な政策を展開する時、政策目的、課題、作業対象、作業主体、作業環境、作業日程、作業条件等々が検討され、政策費用が見積もられ、それによって政策企画の再検討が行われ、そして、政策が遂行される。しかし、必ず途中で、それらの政策判断は修正を迫られることになる。

例えば、「少子化問題の解決」と言う政策課題に対して、5年後の出生率を現在よりも0.5%上げて、1.8%にすると決める。そのために、こども手当てを与える、待機児童数を減らすために認可保育所を増やす、育児休暇を現在よりも2年長くする、産婦人科病院の施設を増やす等々、色々な支援策(法律、予算、制度改革)が行われる。

しかし、ことも手当てに関する予算が立たない、認可保育所を急激に増やすことができない、育児休暇を増やすことに中小企業から猛烈な反対がなされた等々の問題が発生してくる。その問題を解決するために、上記した四つのフェーズに具体的な政策を入れて思考実験を繰り返さなければならないのである。

政策、政治的行為プログラムを検討し修正するための技術を得るには、失敗学の基礎知識を理解することが求められる。


参考資料

1、文部科学省ホームページ 「少人数学級の実現」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/hensei/1291348.htm

2、吉田民人 『自己組織性の情報科学 エヴォルーショニストのウインナー的自然観 』 新曜社 1990年7月、296p (YOSHtam90B)

3、畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』文藝春秋、文春文庫、2005年6月10日第1刷、258p

4、ブログ 失敗学に関するテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_6897.html





にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

2011年1月5日水曜日

他者と共感しえない哲学は意味を持たない

三石博行

私にとってブログ活動の意味

生活をより豊かにすることが哲学の存在理由である。換言すると思想性の成立条件として日常性がある。人は哲学のために哲学をしているのでなく、生活を豊かにに過ごすために哲学をしているのである。結論すれば、哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠なのである。そして、哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言えるのである。

また、あらゆる哲学の入り口として、生活点検作業がある。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれる。それが日常性の宿命である。そこでその日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、哲学は反省と呼ばれる遡行作業の方法や技術を提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検検証する作業を意味する。つまり、時代性や社会文化性に支配され日常生活を支配している自我の機能、現実則や理性の点検活動が哲学の入り口となる。

生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善の具体的な指針を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶことにする。

また、他者と共感しない哲学は意味を持たない。ブログという道具を使い、共感を哲学性への評価と理解し、他者からの共感を自己点検の材料にしたいと希望した。これが、私のブログ活動の目的である。このブログ活動を通じ、共感が広がり、深まることへの喜びが哲学をする私への何よりのプレゼントとなっている。


修正(誤字)2011年3月2日




にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

中国との経済的協力関係の展開と中国への軍事的脅威への対応の二重路線外交を進めよ

三石博行

東アジア共同体の形成のために必要な二つの外交路線


軍事大国中国の台頭と東アジアの軍事力バランスの変動

管内閣・民主党政府は2010年12月に入って、1976年以降続いてきた専守防衛の方針を支えてきた基盤的防衛力構想を変更し、仮想敵国の侵略行為を未然に防ぐために自衛隊を積極的に活用する動的防衛力・脅威対抗型防衛構想を打ち立てた。この脅威対抗型防衛構想での仮想敵国とは、最も大きな経済関係を持つ中国と核を使い瀬戸際外交を繰り返す北朝鮮である。

そして、今後予想される仮想敵国として、軍事力を強化し続けている中国がある。2010年4月の防衛省の「中国の軍事力近代化、海洋活動について」の資料によると、2010年度の中国の国防費は約7兆2,671億円(5,190億8,200万元)で、対前年度当初予算比9.8%の伸びを示している。因みに、ストックホルム国際平和研究所の資料によれば、日本の軍事費は463億ドル(約5兆円)で世界ランキング7位に対して、中国は849億ドルで世界ランキング2位となっている。

日本の約2倍の軍事費を使い世界ランキング2位の地位を占めるに至った中国、富国強兵政策を取り続け、成るべくしてなった軍事強国中国に対して、東太平洋に制海権を持つ米国、その同盟国日本が中国に対して脅威を感じているのである。そして、2010年4月10日に中国艦隊が予告なしに沖縄近海を通過し台湾沖の太平洋で軍事演習を行った。この中国艦隊・中国軍の軍事演習が、これまでの軍事大国中国の台頭に対する脅威感から将来仮想敵国化する可能性を持つ中国への危機感へと変化したと言える。

そして、2010年9月7日の尖閣諸島近海での中国漁船衝突事件が発生、挑発的な衝突行為の後、停船命令を無視して逃走した中国漁船の船長を香味執行妨害で逮捕し拘置した。この日本の対応に対して、中国政府は抗議、中国国内の至る所で反日運動が起こる。また、中国政府はレアーメタルの輸出を妨害、さらには中国政府の要請で旧日本軍の毒ガス処理調査を行っていたフジタ建設の職員3名を9月20日に軍事区域へ無断に立ち入ったとして逮捕し、一人は19日間も拘置された。

2004年に貿易総額がアメリカを抜いて大最の貿易相手国となった中国、日中間の経済関係はますます緊密で重要になっていた。その矢先に、両国が尖閣諸島の領有権問題を取り出し、経済関係を犠牲にしてまでも、この問題の白黒を付けようとしているように思われた。両国、特に現中国政府の東アジア外交能力を疑う事態が起こっているのである。

さらに、同年11月23日に北朝鮮軍による韓国の延坪島(ヨンピョンド)に170発の砲撃事件と東アジアは朝鮮戦争以来の緊迫した状況に陥った。世界経済の中心に踊り出ようとした東アジアが北朝鮮の繰り広げる瀬戸際外交や核保有国化によって、世界の中でも政治的軍事的に不安定な地域、しかも、冷戦時代の復活とも言うべき、西側(日米韓連合)と東側(ロシア、中国と北朝鮮連合)の二つの政治勢力の対立関係が、日米韓ロシアで展開する経済的関係を犠牲にしてで、復活しようとしているかのようであった。


軍事的弱小国家の歴史的運命と観念的な非武装平和主義

植民地主義、人類が自らの歴史を刻み続けた時代から現代に至るまで、国家の概念は同時に戦争によって得られた領土の概念と不可分の関係にある。つまり国家は権力者によって拡張維持された地理的空間である。その国という概念は古代から中世を経てそして現代まで継承されている。その意味で、国家とは戦争によって領有地を獲得し、そこに自らの神話や政治システムを構築して出来上がったものである。

世界の最強国アメリカも極めて新しい国家である。アメリカは先住民の文化や伝統の歴史の上に存在するのでなく、その破壊の上に成立している。大航海時代を経て、先住民を軍事的に支配し、彼らの社会を破壊し、土地を奪い、そこに欧州文化や社会経済制度を持ながら作り上げてきた国家であった。

つまり、自らが誇る民主主義と自由の国も、先住民族の民族浄化の上に成立していることは否定できない。その過去の歴史を彼らは思い出すことはないだろう。彼らの歴史はイギリス植民地からの独立戦争から始まるのである。

我が国、日本においても、大和民族の神話、アイヌ等の先住民族の支配の後に出来た歴史物語から、この国の成り立ちが説明されるのである。それよりも古い時代の遺跡や遺物の発掘があったとしても、この国の成り立ちは日本書記に記された天照大神(あまてらすおおみのかみ)から説明されることになる。

つまり、有史以来、長年、紀元前の古代時代から20世紀まで、強国の民族が弱小国の民族を壊滅支配し続けてきた。戦争によって他国を滅ぼし、その領土を占領してきた歴史が我々の人類の歴史であるとも言える。この列強国家の覇権と支配、弱小国家の従属と分断の歴史は、半世紀まで世界の大半の国々にとって、国家という存在に付属した宿命であった。それらの歴史的事実を探すことは、世界史の流れを語ることに等しい。この世界史の流れから、平和共存が不可に近い理想や謳い文句であると言われるのは当然である。

古代ローマ、中世ヨーロッパ、大航海時代、帝国主義の時代、第一次と第二次世界大戦の古代から近現代史を語らなくても、現在という時代においても、イスラエルをはじめロシア等々のように戦争によって領土を拡大し続ける国家が存在し、アメリカのイラク戦争のように他国の気に食わない政権を倒すことが出来るのである以上、世界の平和共存は全く不可能であると断言できる。

弱小の国々が自国の防衛を真剣に考える時、平和共存とは、列強が他の軍事的劣勢の国々の植民地化のためにカモフラージュに観える。つまり、平和共存の理想に釣られて集まる小魚たちを一網打尽にすくい上げるための、餌であると理解するのである。

これまでの歴史の流れで、他国からの侵略の可能性を考えない国、自国の防衛を考えない国家は、尽く侵略され植民地化されたことを知っている。従って、平和共存でなく、軍備拡張が現実主義の立場に立つ外交政策の基本であると理解されたのは当然の帰結である。

人類の歴史を知るものは、軍事力を持たないで存続できた国家は有史以来存在しなかったこと、そして、現在日本の平和主義者たちのように非武装の平和主義論が極端な政治理論であることを理解しているのである。

軍事的執行過程(政策決定過程)を知る権利 民主主義国家の基本

戦争は国の目的ではない。それは国政の一つである。国政の目的は国の繁栄と国民生活の向上であり、国民の生命や生活を守るために選ばれた国政として戦争がある。国民のために国は戦争を選択するのである。

戦争も外交の一つの形態である。外国からの侵略は不利益の強制を跳ね除けるための政治的手段として軍事的行動が選択される。それを戦争と呼ぶ。

軍事的行動、つまり戦争は常に多くのものを消費し犠牲にする。そこで、政治家は軍事力の執行、つまり戦争という政治的手段を選択する前に、問題を解決し、なるべく戦争を避ける努力をするべきである。

アメリカの同時多発テロ9.11の後にすぐに戦争をすぐに選択した。その選択の前に政治家は、テロ組織を黙認しているアフガニスタン政府の転覆のための攻撃に必要な軍事費の計算を行い、そのテロへの戦争の経費と今後のテロ対策上の経費への経済的効果を前提にして戦争を選択したと思われる。

当然、その攻撃決断の前に、同時多発テロを黙認・支援したと推測されるアフガニスッタンの政府との交渉を行い、テロに関係する組織責任者の逮捕やアメリカへの連行を交渉したと思われる。こうした交渉が決裂したために、ブシュ大統領はアフガニスタンへの攻撃を決定したのであろう。つまり、常識的に、事前の政治的交渉を踏まえていないでアフガニスタンを軍事的に攻撃することは軍事的行動を起こすための条件を決める政治的手続の上でも考えられないことである。

軍事的執行という政治判断によって平和的に解決できる政治的判断よりも多くの費用、兵士の命を必要とする以上、その判断を下した政治に対して国民は知る権利を持つ。それが民主主義国民国家の基本である。


軍事的に緊張する東アジアと仮想敵国化した中国

2010年12月初旬に管内閣・民主党政府が決定した動的防衛力・脅威対抗型防衛構想について政府は国民に説明の義務がある。

核を使い瀬戸際外交を繰り返す北朝鮮に対する日本国の国防姿勢として動的防衛体制の必要性を国民は理解している。つまり北朝鮮から核攻撃を受ける可能性を持つ日本国とその国民を防衛するために、これまでの専守防衛の方針を変えなければならない。北朝鮮は中距離核弾頭ミサイルで我が国を攻撃する力を持つ。しかも、我が国と北朝鮮の間には平和的な国交が樹立されていない。2003年8月から始まった六カ国協議(六者会合)でも、2007年3月に第6回会議を最後に六カ国協議は北朝鮮の六カ国協定からの離脱や度重なる瀬戸際外交で破綻している。

しかも、東アジア諸国間で平和的に交渉が進展しない状況と、2009年4月に日本列島を向けられた中距離弾道ミサイル発射実験では2段目のロケットは日本列島を2100キロも越えた太平洋に落下した事件、同年5月の第二回目の核実験の実施、2010年3月の北朝鮮軍の攻撃による韓国哨戒船沈没事件、そして2010年11月23日に北朝鮮軍による韓国の延坪島(ヨンピョンド)に170発の砲撃事件と東アジアの軍事的緊張は北朝鮮の瀬戸際外交によって緊迫を増している。このことは、アメリカが1990年代に冷戦以後の東アジアの軍事状況を予測した通りになったといえる。

そして、1995年細川政権が試みた冷戦以後の日米関係の見直し、また2009年に鳩山政権が試みた東アジア経済共同体にむけた日米関係の見直しも、尽くアメリカに予測した東アジアの軍事的緊張論と北朝鮮の核装備を背景とする瀬戸際外交によって、非現実的な政策とされ、それ以上に日米同盟の強化と日本の軍備力強化の方向に進みつつある。その一つの段階が、現民主党政府の打ち出した動的防衛力・脅威対抗型防衛構想であると言える。

東アジアは軍事的に緊張を高めている。そのための日本防衛のための政策として動的防衛力・脅威対抗型防衛構想が不可欠になっている。北朝鮮のこれまでの動向を見る限り、動的防衛力による国防構想への日本の国政の転換は理解可能である。しかし、ここで問題になるのは未来の仮想敵国とて、現在最も大きな経済関係を持つ中国、さらにはこれから経済関係を構築することが未来の日本にとって重要であるロシアをも緩やかに入れたことである。

この判断は正しいのかということを考えなければならない。


現実的で対等な外交関係、経済的協力関係の展開と軍事的脅威への対応の二重路線

中国に対する外交路線が、21世紀の日本を決めると云われても不思議ではない。現実に最も大きな経済的関係を持つ日本と中国。尖閣諸島の領有権の経済的効果とこれかの日中間の協力で可能となる東アジア経済圏の形成から弾き出される経済効果を比較するなら、よほど子供でない限り、殆どの政治家は尖閣諸島の領有権問題を取り上げすぎて将来の経済関係を壊すことが不利であることは理解できるだろう。

しかし、中国との関係は、国の経済力や技術力に於いて日本が絶対的優勢にあった時代と異なり、すでに日本はGDP(国民総生産)において中国に追い抜かれている。その内、韓国にも追い抜かれるだろうと云われている。

日本がアジアの最先進国であった時代は終わり、日本より進んだアジアの国々の側面、そして優秀な人々に学ぶ時代が来ている。その発想の転換を私は日本の第三次の開国期と呼んだ。対等なアジアの国々や人々との関係を作ることとは、日本に多くの優秀なアジアの人材を受け入れ、それらの人々が日本社会のリーダーとして活躍できる場を提供する社会に変革することを意味するのである。アジアの国々との関係を変える我々の意識改革、制度改革そして外交路線の変更が求められている。

そして同様に対等な関係とは、自分の意見を確りと述べる関係である。

つまり、軍事的脅威を与える、反日運動を野放しにし、北朝鮮の瀬戸際外交を日本への軍事圧力として利用しようとする中国に対して云えば、それらの中国の外交・軍事路線が結果的に日中間の経済関係の悪化をもたらし、日中が共に不利益に受けることを説得する説得型外交努力と共に、日本国防路線の変更、つまり動的防衛力・脅威対抗型防衛構想を打ち出し、現在の中国政府の軍事外交路線は、結果的には東アジアの軍備拡大化、日本の軍事化を招くことを示すべきであろう。

日米同盟の強化と日本の動的防衛力・脅威対抗型防衛構想の展開によって、米中二大国指導で進めたい東アジアの政治地図を持つ中国は、強化する日米同盟への不安を抱くだろう。そしてアメリカとの関係改善を急ぐことになる。何故なら、アメリカへの最大の輸出国中国は米中関係を悪化したくないし、最大の米国国債を所有する中国に対してもアメリカも同じように、日米同盟の強化によって中国を北朝鮮の瀬戸際外交の後ろ盾に追いやろうとも思っていないだろう。2011年の政治課題を「富国」から「富民」に切り替え、国民の生活向上と格差是正に取り組もうとしている中国政府は、日米同盟の強化や動的防衛力による日本の軍事外交路線の推進によって、より現実的な日韓米への対応を選択することになる。

技術協力や経済関係の強化と日米同盟の基づく動的防衛力・脅威対抗型防衛構想の展開が、最も現実的な現在の日中関係の改善を導くのである。

また、日本はこの中国の動向を素早く見抜き、経済や技術の日中間の協力関係を強化する契機を見逃してはならない。中国での反日運動と日本での反中運動に対しては、市民レベルの日中友好運動の推進、文化事業交流活動、日中両国の歴史研究の交流とその成果の大衆化(すでに日韓の歴史研究交流活動とその大衆化によって一定の成果を得ている)を提案し、両国間の市民から噴きあがるネガティブな問題提起の力をポジティブな方向に導く政策が問われている。

この巧みな外交、つまり、フランス式外交のような、現実的でしたたかな、大人の、つまり二つの一見合い矛盾する経済協力と軍事的対峙路線を両立しながら調整する政治力、政策力や交渉力が、今日本の政治家と官僚、そして日本の外交の専門家たちに求められている。


---------------------------------------------------------------------------------------------------------------
2、日中関係

2-1、「日中友好に未来あり」)
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post.html

2-2、中国の人権問題で思うこと  
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_03.html

2-3、経済的発展か軍事的衝突か 問われる東アジアの政治的方向性  
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_13.html

2-4、中国の近代化・民主化過程を理解しよう
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_1850.html

2-5、中国との経済的協力関係の展開と中国への軍事的脅威への対応の二重路線外交を進めよ 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post.html

2-6、米中関係の進展は東アジアの平和に役立つ   
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post_5428.html

2-7、中国共産党による中国の民主化過程の可能性 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_3865.html

ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」から





にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

2010年12月16日木曜日

イラン・イスラム国家の近代化過程と日本の国際戦略

三石博行

近代化政策の失敗が生み出す手痛い損害と新たな近代化過程の形成


欧米的な社会イラン1979年

今から30年以上前、1979年のイラン革命の最中に、イランを旅したことがあった。インドから陸路でパキスタンのクエッタを通り、パキスタンのイラン国境の町ミルジャワからイランの入り口であるザヘダンを経てバスでテヘランに向かった。

テヘランからカスピ海の町、チグリスユーフラテス川岸にありイラクと国境を接する石油の町、アーバーダーン等々、バスで一週間ぐらいだったか、イラン国内をまわった。

当時(1979年)のイランは、それまで続いたイラン帝国、パフラヴィー(パーレビ)王朝の近代化政策もあって、生活様式全体がパキスタンなどの周辺国に比べて比較にならないぐらい欧米的で近代的な雰囲気を持っていた。パキスタンのミルジャワからイランのザヘダンに入った瞬間に、道路、バス、建物も豊かな石油生産国イランとイラン国民の生活状態を一瞬の内に理解させる、垢抜けた立派なものであった。イランは豊かだという印象が、特にバングラディシュ、インドとパキスタンを旅行してきた私に鮮明に残った印象だった。

この豊かなイランを導いたパーレビ前政権が崩壊しなければならなかったのか。疑問を抱えたまま、バスの旅行は続く。テヘランは美しい街であった。山地の麓から豊かに湧き出す水をふんだんに使い、テヘランの街の中心街にある大きな並木道の両側の小さな水路に透き通った清水が流れる。交通は整理され、多量の車、殆どが外車(GM、フード、トヨタ、ホルクスワーゲン等の車)がスムースに道路を流れていた。


崩壊した伝統的農業

この旅の目的はイランの農業を観察するためであった。そのため事前にイラン式農業についての資料を読んでいた。資料によると、雨量の極度に少ない乾燥地帯であるイランでは、ペルシャ時代から続く伝統的なカナートとよばれる灌漑技術を使った農業があった。カナートとは、高地の豊かな雪解け水や雨水を地下水として貯め、それを山の斜面に地下の水路(トンネル)を造って流すという当時としては画期的な灌漑技法であった。紀元前800年ごろの古代イラン(ペルシャ)で発達したカナートの優秀な技術は、ペルシャを征服したギリシャ人によって、古代エジプトに持ち込まれるなど、アジア、中東やアフリカに広がったと言われている。

豊かなイランの農業を想像した私が観たものは、耕運機で稲作をしていたカスピ海沿岸の豊かな水田地帯を除いて、荒廃したテヘラン近郊の畑、大型トラクターを使った巨大な農地、泥水で機能していない灌漑用のダム等々であった。

豊かなイランの社会的インフラは、石油生産で得られた莫大な収入を使って整備されたものであった。また、当時の食料はイスラエルやアメリカから輸入されていた。石油輸出国イランが輸入国との貿易収支を調整するために行った政策、世界の石油生産国という国際分業の一翼を担い、その分、他の国から農業生産物を輸入する経済政策が取られていた。

海外からの安価な農業生産物や工業生産物の輸入によって、国内農業はことごとく淘汰荒廃して行った。これが、パフラヴィー(パーレビ)体制の進めたイラン近代化政策であった。


拮抗した国際分業と近代化政策

国際分業論に基づくイランの近代化とは、国内産業の育成ではなく、先進国からの製品を国内に満たすこと、それによって国民は先進国並みの生活環境を手に入れることが出来た。

例えばインドは当時、海外車の輸入を厳しく制限し、古い型のインド国産車が走っていた。しかし、イランでは、多量の立派な外国車が道路にひしめいていた。その風景は、殆ど日本と変わらなかった。違いは日本の車は国内で生産されたものであるが、イランの車は海外のものであるということだけである。イランで、ヒッチハイクをしながら旅をした時、偶然、イラン国産自動車を運転する人に乗せてもらったことがあった。彼は、イラン国産車である自分の車を褒め称えたが、私を乗せてすぐに彼の自慢のイラン国産車はエンストしてしまった。それが、当時のイラン国産車の状態で、殆どの人は、故障の多い国産車を買おうとはしなかったのだろう。

旅行者の私には、一見、豊かな社会に観えたイランは、その経済構造は先進国(特にアメリカ)の経済植民地に近い状態になっていた。豊かな王族、貴族、資産家や商人達とテヘランの下町に移住してきた失業者・貧民の群れ(と言ってもインドの貧しい人々に比べれば豊かすぎる人々であったが)に石油から得た富の分配を問題になっていた。

自国産業の育成を前提にした近代化過程が形成されないまま、海外からの豊かな工業生産物で社会は満たされていた。石油が生産でき、その莫大な収益がある以上、他の産業の育成の必要性は緊急な課題ではなかったのだろう。しかし、その政策のもっとも大きな犠牲者は伝統的ペルシャ農業を続けてきたイラン中部地帯の農民であったといえる。


挫折したイラン民主化運動とイラ国民運動としての近代化過程

再び、テヘランにかえて来た私を友人が「面白い場所に連れて行ってあげる」と言う事で、彼の通うテヘラン大学の正門の付近まで行った(そう記憶しているのだが)。学生達が自動小銃おをもって警戒していた建物があった。それが、当時、世界中を騒がせていた「イランアメリカ大使館の占拠」の現場であった。

一ヶ月以上も、インド国内の鉄道の旅をして、パキスタンとイランを回ってきた私は世界の情勢(出来事)について全く情報を持っていなかった。まさか、自分が立っている前の建物が世界を騒がせている現場であると思いもせずに、その入り口まで行った。

友人から説明を受けてびっくりした。大使館の前でマシンガンをもっている学生と話しを始めた。どうしても聞きたいことが一つあった。何故なら、彼はマシンガンを片手に、コカコーラを飲んでいた。

「君は、右手にアメリカ帝国主義に闘うためのマシンガンを持って、左手でアメリカのコカコーラを飲んでいるのだが、どうなんだい。なぜアメリカが嫌いなのかね? 」と尋ねた。その学生は、真剣なまなざしになった。そして、議論が始まった。
「イランには伝統的な乳製品ののみのもがあるじゃない? なんで、その飲み物でなく、コカコーラなんだい? 君はアメリカ文化が本当は好きなのだろう?」と際どい質問に対して、彼は考え込んでしまった。その真剣な眼差しを今でも思い出す。

あれから、イランイラク戦争が起こった。私を歓迎した多くのイランの若者たち、私がただ日本人であるという理由で、家に招待し、ご馳走し、泊めてくれた若者達、彼らが今生きているのだろうか。彼らは、戦争に駆り出され死んだのではないだろうか。もしそうなら、本当にイランの将来のためには、残念なことだったと思える。

右手に自動小銃を持ちながらも、左手でアメリカのコカコーラを飲んでいの若者達こそが、イラン国民のためのイラン国民によるイラン国民の近代化を成功させる道筋を提起できたのではないだろうか。


近代化政策の失敗によるイスラム回帰化 

その後のイランの社会的変貌を、先進国の政治勢力の誰が予測できただろうか。

フランスの亡命していたイスラムシーア派の指導者ルーホッラー・ホメイニーが英雄的に帰国し、パフラヴィー(パーレビ)皇帝は国外に亡命した。イラン帝国は壊滅し、イラン・イスラム共和国が建国した。国家の構造の変化を簡単に述べると、王国からイスラム共和国にイランの政治体制が変化したといえる。

パフラヴィー(パーレビ)王朝の王族や貴族を中心とする絶対君主制が解体し、イスラムシーア派の国民を中心とした宗教国家が形成された。つまり、宗教指導者の権力の下に、国民は選挙で共和国を運営することになる。その限りにおいて、王朝時代よりも、イラン国民の政治参加の自由度は増えたと解釈できる。

しかし、パーレビ帝国の時代にアメリカ文化や思想に非常に大きな影響を受けたことで、多くの若者が欧米式の考え方やライフスタイルを経験理解することになるが、その全てを、イスラム主義は排除する方向で政治体制を構築することになる。

パーレビ王朝の近代化によって生まれた欧米民主主義文化を吸収した若者、そして彼らはその民主主義の思想において王政主義を批判しイランに民主社会を実現しようとした。また、他方、パーレビ王朝の近代化政策の犠牲によって生み出された膨大な数の失業者(イスラム教徒)、彼らは近代化によって破壊されたイスラム伝統文化と社会制度を復活しようとした。

つまり、イラン革命は二つの異なる集団の共闘によって展開し、結果的には、多数を占めたイスラム教徒、イラン民衆の勝利で終わるのである。そして、どの社会の革命に共通するように、少数派である知識階層の人々の革命理念は挫折、多数派のイスラム主義者・イスラム原理主義によって駆逐排除されるのである。

イランのイスラム革命の主流派の形成は、明らかにパーレビ帝国時代の近代化政策の失敗によるものであった。イランの近代化政策の失敗によってイスラム原理主義への回帰運動が起こったと理解できるのである。


イスラム回帰化から生じる新たなイランの近代化政策 

イラン・イスラム共和国がイスラム主義と呼ばれる宗教イデオロギーによって運営されようと、政治指導部は、国の産業化政策や富国強兵政策を推し進めなければならない。そのためには、好むと好まざるに関わらす、欧米先進国を中止のとする科学技術を取り入れなければならない。もし、国が近代化政策に失敗し、豊かな経済や強固な軍事力を形成することが出来なければ、国民経済は困窮し、海外からの侵略におびえることになる。

当然、欧米の科学合理主義の思想や資本主義・民主主義の制度を拒否したとしても、明治時代に日本が経験したように、部分的に、欧米民主主義、資本主義、西洋の科学技術文化、科学主義を取り入れざるを得ないのである。

考え方を変えて観れば、近代化過程に失敗したイランが、イスラム共和国という道具を使って、イラン式の、イラン的な近代化過程を模索、構築しようとしていると理解できないだろうか。


日本の近代化過程の分析研究の成果を発展途上国の近代化政策に役立てよう

問われている問題は、発展途上国称される国々、しかし古代ペルシャ文明からの古い伝統文化とそれに対する誇りを持つ民族・イラン国民による、イラン国民のための近代化過程を我々が正しく理解するために課題を考えなければならない。

何故なら、以前、米国を代表する欧米列強(帝国主義)が行った周辺国家への自国流の民主主義と近代化過程の押し売りという失敗を繰り返さないためである。そのために、我々は、イスラム共和国という過程を通じて展開しつつある近代化過程に関して理解を深めなければならないだろう。

これからの世界経済の担い手、国際政治の表舞台で活躍する人々、それは、現在近代化過程に格闘している発展途上国と呼ばれる国々である。その大先輩が我が国日本である。大先輩としての日本の政治、外交、産業、教育研究活動等々すべての我が国の歴史的社会的資産を展開し、これらの国々に発展に貢献することが、日本が、国際社会で大きな影響を持つ国として展開する将来の課題となる。





にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

進行する核拡散を食い止められるだろうか

三石博行

核拡散を防ぐために必要な国際政治課題


瀬戸際外交の切り札としての核所有

1974年にインドは初めての核実験を行い、1998年5月11日と13日に合計5回の核実験を繰り返した。その直後、1998年5月28日にパキスタンが地下核実験に行う。そして、2006年10月10日に北朝鮮が初めての地下核実験を行った。そして、現在、イランが核開発を加速させ、核はさらに拡散しようとしている。

核を持つ国々は、他国からの軍事攻撃に対する抑止力を手に入れることが出来た。そして、同時に核を持たない国は、核を持つ国からの軍事的圧迫を受けることになる。核所有国と非所有国の間に生じた軍事力の不均等関係によって、国際政治が動き出すことになる。

つまり、北朝鮮が核所有国の紋章を彼らが持つことで、如何に経済力(現実の国力)が弱くとも、彼ら大胆不敵な瀬戸際外交を続けられる所以を示すのである。アメリカによってイラクの核兵器開発を阻止する名目で繰り広げられた2003年3月からのイラク戦争の教訓に学び、北朝鮮はアメリカの攻撃の前に、2006年10月に核開発を成功させたのである。

核を持たない反米外交を行う国は、イラクの運命を辿る。そうでないためには、北朝鮮のように核を所有することで、アメリカに対しても瀬戸際外交が可能になる。イラク戦争と北朝鮮の核開発の二つの歴史的事実の教訓は、多くの反米外交を行っている国々の教訓となったに違いない。その一つの典型としてイランの核開発がある。


イラク戦争の歴史的負債 北朝鮮とイランの防衛のための核開発

当分、イランだけでなく、多くの発展途上国が自国の独自外交路線を維持するために、アメリカからの政治的圧力に屈しないために、核を所有する方向で動き出すことを止めることが出来ないかもしれない。それらの政府の存続が核の所有か非所有の条件に掛かってくる以上、秘かに、核開発の計画は進行し続けるだろう。

イラク戦争の歴史的評価は、今後1世紀の時間を掛けて行われることとなるが、あの戦争が軍事大国は如何なる場合でも小国政府の独自外交路線に干渉できる帝国主義の時代の国際政治の決まり、帝国主義の政治作法が存続し続けていることを証明した。そして、帝国主義的な力関係に屈服しないためには、戦前、日本が選択したように軍事大国になることが唯一の方法であると理解された。その結果が、北朝鮮とイランの現政権の外交政策として反映されることになる。


国連防衛会議と国連軍の形成

小沢一郎氏をはじめとして、日本の政治家の中でも、「国際紛争解決のための軍事的執行能力を持つ国連軍の形成」を21世紀の国際政治のテーマにした人々が居る。この視点は、脆くも、21世紀の突端に、アメリカのイラク戦争によって、粉々に粉砕された。

しかし、国際紛争によって核戦争が起こること、また核の力を使って瀬戸際外交を行うこと、核拡散が進行することを防ぐためには、もう一度、国際紛争の解決に必要な国連機関の設定、その機関が国際紛争を解決するための執行力を持つ国連防衛会議や国連軍の構想が必要となる。イラクのクウェート侵攻を国連が非難し、国連を中心とした連合軍が形成された歴史があった。その教訓に、もう一度、学ぶ必要がある。

また、同時に、国連の決議や議論の過程を無視して、アメリカが行った2003年3月のイラク侵攻が、上記した国連防衛会議と国連軍の形成の構想を破壊した歴史的経験にも学ばなければならないだろう。

大国のやり方が一方的に通ることで、国際社会の平和は、一時的には大国の巨大な軍事力に抑制された平和な社会を醸し出すことが出来るかもしれないが、いつか、力を得た周辺国家、発展途上国によって、厳しい反撃の機会を用意することに繋がるのである。

イランが核所有国家になり、アメリカやイスラエルの中東での軍事的力に対して、瀬戸際外交を展開する切符を手に入れるなら、中東はさらに世界戦争や核戦争の危険に晒されることになるだろう。そうした事態が生じないように、日本は外交を展開しなければならない。





にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

2010年12月13日月曜日

中国の近代化・民主化過程を理解しよう

三石博行

経済大国中国、中国的民主制度形成の基盤


中国の正しい理解と東アジアの発展のための政治方針

日本の将来は、アメリカの理解を得ながら中国、韓国、台湾、ロシアと共に東アジア経済圏を形成することが出来るかどうかに大きく影響を受けるだろう。

日本将来が掛かる課題を考える上で、いま一つ理解しなければならない大切なテーマがある。それは、現在の中国と中国政府に対する我々日本のそして日本人の理解である。

私たちの中国の理解が、東アジア共同体を共に形成するために必要である。台湾、韓国や中国の飛躍的経済発展によって、これまで日本を中心とする東アジア経済圏が、東アジア経済共同体の前哨段階として、世界的な経済圏に成長しつつある。

現在の中国を理解するためには、まず現在の中国共産党の役割、特に中国の近代化過程に必要であった中国共産党の役割について理解して必要があるだろう。


多様な近代化過程

封建的経済体制から近代的工業経済体制への移行過程を一般に近代化過程と呼んでいるが、一方において、この近代化過程と欧米化と理解する意見もある。ここでは、近代化とはヨーロッパでの17世紀から始まる近代合理主義から18世紀の啓蒙主義と科学主義を経て、19世紀の資本主義経済の発展と工業化社会の形成過程とまったく同じ歴史的な社会発展の過程を意味するのではない。国際社会にはそれぞれの伝統文化や経済発展の歴史の違いがある以上、全ての社会での近代化が同じ過程を経ると言う事は不可であると言える。

取り分け20世紀になって世界のあらゆる国や国際地域で進む近代化過程は、欧米社会の近代化過程の反復ではなく、それぞれの文化的、社会駅背景を前提にして執り行われた、国を揺るがす大構造改革であったといえる。

近代化過程で取り上げられる課題は、自由、平等や友愛の社会思想から成立している国家の形成である。つまり、近代西洋科学を土台とする技術や生産様式、民主主義による政治制度と資本主義による経済制度の確立過程を近代化過程と呼んでいる。

しかし、これまでの歴史を振り返ると近代化過程はそれを最初に行ったイギリス、フランス、ドイツ、イタリアやアメリカなどの欧米型だけでなく、その周辺国家での近代化過程である、例えばロシア型、日本型、中国型、イラクやイラン型、インド型等、アジアやアフリカの発展途上国の近代化過程が存在する。


日本の近代化過程 天皇制による近代化過程

例えば、近代化を欧米列強の帝国主義植民地時代の真っ只中、すでに江戸末期に列強と取り結んだ不平等条約でのハンディを克服するために、つまり政治的にも列強の植民地にされないために、日本はアジアの国の中で最も素早く近代化政策を取り入れた。

まず、大政奉還を行い、徳川将軍家が帝へ征夷大将軍の位を返上し、政権は天皇中心とする(実際は薩長土肥の維新推進藩を中心とする勢力)が中止となる中央政権を作り、廃藩置県を行い封建領主制度を廃止し、明治政府の支配する中央集権制度を確立した。すべての大名は領土を天皇に還し、武士は自らその社会的地位を廃止し、日本国政府を創り上げていった。

明治政府がまず取り組んだ政策、天皇を中心とする中央集権制度による敏速な国家としての意思決定機能の形成、封建的身分制度の撤廃によって日本国民全体から人材採用の制度化(義務教育制度等々)、近代国家形成のための富国強兵政策(国家資本主義体制)等々である。

この日本の近代化過程は、イギリスやフランスに代表される欧米型近代化過程とは全く異なる形態である。アジア的伝統社会風土の上に(を前提に)形成する以外に不可能な過程であった。政治的意思決定機関(天皇制度)、産業化過程(国営企業による産業育成)、近代的技術形成過程(農業機械一つ改良を見ても、アメリカのトラックターが日本本土の田んぼでは使えないために日本式の耕運機を改良したように)等々、欧米型社会とは異なる政治、経済、社会制度を採りながら近代化を行った。


後発型近代化過程、社会主義による近代化過程

一つの社会経済史的な類似性を見出すのは、日本の例も入れて、後発資本主義国家は先行資本主義国家との競争を打ち勝つため(そうでなければ植民地化の危機に襲われる時代であったために)、国家が経済活動、企業活動に深く関係し、国営企業によって海外の巨大資本から自国の産業を守る傾向にあると言える。

例えば、周辺国ロシアの近代化の簡単に過程を分析してみる。日露戦争によって敗北した帝政ロシアは政治的に崩壊し、1917年のボリシェヴィキ(1919年共産党と改称)の武装蜂起とロシア革命、その後、列強(日本も含めて)ロシア干渉戦争に対して共産党は戦時共産主義を導入し共産党による一党独裁政治が確立した。1922年にロシア内戦が終わり、ソビエト社会主義共和国連邦が樹立した。強烈なソビエト共産党の独裁政権化での経済や軍事政策によって、ソビエト連邦は巨大な国家に成長して行った。

また、アジアの大国中国の近代化の歴史を振り返ってみる。この時代、つまりヨーロッパ列強が清国を部分的に植民地化して行った時代、1840年のイギリスとの阿片戦争に敗北し、1842年の南京条約締結以来、首都北京の外国軍隊の駐屯を認めた1900年の北京協定書締結を経て、中国全土の植民地化が進行した。

清朝末期、日本の明治維新に習って近代化を行おうとした勢力の敗北、そのため近代化改革は遅れる。清朝政府は、1908年欽定憲法大綱を公布して近代国家の体を作ろうとするが、孫文らの清朝打倒運動によって、清朝政府は崩壊して行く。その後、日中戦争を通じて、日本帝国主義と戦った中国共産党が台等していく。

第二次世界大戦へと突進した帝国主義の時代は、ヨーロッパ戦線でのナチスドイツの敗北、太平洋戦線での日本帝国主義の敗北によって終焉した。中国では、毛沢東指導する中国共産党によって中国全土を分断し続けていた日本帝国主義をはじめとした列強の植民地化は終止符を打たれることになる。

中国共産党なくしては、列強の植民地支配(特に戦前の欧米列強、戦中の日本帝国主義と戦後のアメリカの介入)から中国を守ることは出来なかったし、戦禍と飢えに苦しむ悲惨な中国国民の救済することは出来なかったのである。


工業化と富国強兵の近代化過程を推進した中国共産党の役割

1949年、国民党との内戦に勝利した中国共産党を代表し毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言した。建国一年後の1950年に朝鮮戦争が勃発した。東西冷戦の時代始り、ソビエトとアメリカの代理戦争が朝鮮半島を舞台にして繰り広げられる。社会主義勢力の一翼をになう中国は資本主義陣営の先頭に立つアメリカと闘うことになる。

毛沢東の指導する中国共産党の戦時共産主義体制によって東西冷戦時代に中国に襲い掛かった政治介入や経済的攻撃を防いだ。毛沢東は彼の共産主義革命論で国を武装しようとして、大躍進や文化大革命を行った。

しかし、その現実の結果は毛沢東の理論で語られるものと大きくかけ離れ、国の経済は疲弊して行った。毛沢東は革命の力によって共産主義社会と呼ばれる生産力の高い工業産業化や農業産業化が可能になると信じていたい。しかし、社会主義統制経済化での近代化は思うように進まなかったといえる。それは、東西冷戦時代での敵国中国に対する資本主義大国の政治的な意図も加味しながら、社会主義国中国のその時代の政治路線を理解する必要がある。

1980年代を向かえ、東西冷戦が終結の一途を辿り始めたとき、鄧小平指導する中国共産党による改革開放政策が行われた。今日の中国の経済発展を導いた。

社会主義中国の形成過程で登場する毛沢東と鄧小平の二人、その政治方針はまったく異なって見えるが、中国近代化過程流れから観れば、この二つの政策は一つの視点から生み出されたものに見える。

つまり、毛沢東の中国共産党は、文化大革命が典型的であったが、古い中国伝統の儒教思想を破壊する運動を行い、中国的近代化過程を展開するための文化的土壌を創ったと云えないだろうか。そして、その文革の成果の上に、鄧小平の中国共産党は、改革開放が典型的であるが、国際経済を相手にした中国近代化政策を実現したのである。

つまり、中国伝統の儒教思想に縛られた世界では、自由競争を前提とした市場経済の導入、それを支える優秀な人材の市場からの市場原理に基づく登場は不可能であっただろう。今、中国の殆どの人々が、豊かになるために勉強をして有名大学に入学し、共産党員に推薦され、いい職を探し、役に立つ人脈を持つ。国家の選ばれた人材群に参加するために、中国の若者は必死に勉強しているのである。


劉暁波氏の存在は改革開放の成功の証

中国政府が、劉暁波氏への2010年のノーベル平和賞授与を内政干渉として批判したことで、逆に世界中から中国の人権問題が課題になり、中国政府が劉暁波氏のノーベル平和賞受賞式典参加を妨害したことで、中国政府に対して国際的は批判が起こっている。

以前(2010年11月13日)、このブログで「中国の人権問題で思うこと」と題する文書を書いたが、その中で、劉暁波氏の存在は中国共産党の改革開放の成功の結果生まれたものであると述べた。

中国共産党が中国の発展に必要な近代化を国家を挙げ、強烈な一党独裁体制で推し進めた結果、今日の経済的発展があることは否定できない。つまり、この近代化過程は、丁度、絶対的権力者天皇を奉り国家挙げて富国強兵政策に奔走した明治から大正・昭和初期の日本の姿と基本的には同じである。その結果、少し経済的に豊かな日本で大正デモクラシーが起こるように、経済的に豊かになった中国で、自由を求める声が起こるのは当然のこと、歴史の必然のように思える。言い換えると、改革開放の成功によって、劉暁波氏が誕生したのである。


近代化のための手段としての中国共産党

この改革開放の成功の証である劉暁波氏を、それを導いた中国共産党が弾圧しなければならないのは皮肉な話である。しかし、実はここに中国での民主化の鍵が隠されている。つまり、生活の豊かさの彼方に、必然的に、民主主義社会への憧れが生まれる。

何故なら、人は衣食住のような基本的な生活資源(一次生活資源)を確保した後に、さらにその質的な豊かさ(二次生活資源)を求める。そして生活の質を向上させながら、さらに精神面の豊かさや自己独自の欲望(三次生活資源)を満たそうとする。

毛沢東率いる中国共産党の力で、中国人民は一次生活資源を確保し、鄧小平率いる中国共産党の力で、さらに二次生活資源を獲得している。中間富裕層が凄い勢いで増加する中国が示す社会文化の進化の方向は、民主化である。この流れは中国共産党という道具を使い、中国人民が実現したかった国の近代化過程の目的であったと云える。

言い換えると、近代化のための道具(機関)として日本での天皇制道具説を提唱したように、中国での共産党・社会主義体制道具説が成立するのである。

その道具を社会が必要である以上、その道具は活用される。しかし、それが不要になると、社会はそれに換わる別の道具を準備する。しかし、その準備とは、社会秩序や制度そのものが道具である以上、家の大工道具のように簡単に買い換えるわけには行かない。

太平洋戦争という悲惨な歴史的事件とそれの伴う多くの犠牲者を引き換えに、その道具の変換が可能になる場合もある。しかし、ソビエト連邦の崩壊のように、道具(共産党)を職人(党幹部)が捨てる場合も起こる。この道具の変換(政治的パラダイムチェンジ)の方法は予測不可能であるが、道具が変換されることはこれまでの歴史的な事実から、予測可能であると言える。


豊かな中国の彼方にある民主国家中国の姿

中国では、共産党員になることが国家や社会の政治に参加できる資格を得ることを意味する。社会的、経済的な利権を得るためには共産党員の資格が必要である。この資格は、高校までに成績が優秀でなければならない。大学の成績も優秀でなければならない。この資格を得るために若者は勉強をしている。

党員になれた人々とそうでない人々は、その出発点から違いが生まれる。つまり、これからの中国では、共産党員と非共産党員の格差社会が生み出される。

現在の共産党員の中に、国家の利益よりも個人の利益を優先する者がいるなら、党はそれを許さないという中国共産党の伝統が行き続ける限り、格差社会を生み出されたとしても、その格差は経済発展のために必要な道具と理解されるだろう。

しかし、豊かな社会となった未来の中国では、共産党員たちの利権を守るために党を運営し始めるなら共産党が社会発展を阻害する要素となる問題が発生し始めるだろう。つまり、官僚化した共産党の国家の運営が始まりだろう。形骸化した党の指導、政策によって合理的な経済政策が打ち出されなくなった時、中国人民は形骸化した共産党の一党独裁を否定し、多様な意見と持つ人民がそれぞれ政治参加できる議会制民主主義を要求するだろ。

しかし、現在の中国共産党にとって、欧米型民主主義制度、つまり他の政党を認め、選挙によって政権が交代し、立法、行政と司法の三権分離によって国家運営は、中国の経済発展のためにはならないと判断している。その判断を中国の大半の国民が支持している。その限りにおいて、アメリカやヨーロッパ、そして日本の市民が望む中国の民主化は起こらないだろう。だが、中国経済が急速に発展する中で、経済大国中国の国民が、いずれ我々先進国とよばれる国々の国民のように精神や信仰の自由を持つ民主主義社会を創ると信じることが出来るのである。


中国の近代化・民主化過程を日本から観てはならないだろう

我々は、劉暁波氏を代表とする中国国内での民主化運動に理解を示している。しかし、同時に、現在の政治体制が形成された歴史も理解している。問題は、アメリカ人であればアメリカから中国、その他発展途上国の近代化過程、民主主義社会の形成過程を観ない事、日本人であれば現在の日本の社会観から中国やその他の国々の現状を解釈しないことである。

先進国、以前は帝国主義列強と呼ばれた国々のこれまでの失敗は、今回のイラク戦争に代表される。アメリカはありもしない大量殺人兵器を理由に、一国の政権を滅ぼした。これの歴史的事実を未来の社会が判断するだろうが、こうした先進国(大国)の軍事行動が許されるなら、国連は不要となる。

大量殺人兵器を発見できないアメリカのイラク戦争の口実が、「イラク国民の望む民主主義社会を創るための戦」であった。常に、大国はその利権を得るために色々な戦争の口実を見つけようとする。歴史の中でそれらの例を山のように見つけることが出来る。

帝国主義の時代を終えて、国際協調の時代に入ろうとする時代、多様な近代化過程や民主主義過程が存在することを了解しなければならない。しかし、いずれの国も、国際人権宣言を尊重することは最低限の決まりとして了解しなければならない。民主主義の多様性を認めることは、非人道的独裁政権を認めることでなく、多様な民主主義制度の形成過程と多様なその段階を理解することを意味する。

今回の劉暁波氏のノーベル賞受賞に対して、我々は賞賛している。しかし、中国がそれを内政干渉だと言うのは現在の中国政府の立場である。それを批判するつもりはない。しかし、中国がノーベル平和賞授賞式に出席しないように要請することも、我が国に対する内政干渉である。我が国はこれまでの慣例に従って、出席をすればいいのである。

また、このような問題を外交問題の課題にしてはならない。ありえないことであるが、もし中国政府は、日本政府が劉暁波氏のノーベル平和賞受賞式に参列したことで、経済的関係を一部変更すると言う事が起これば、日本政府は正々堂々と、両国双方の国益を守るための、今必要とされる現実的な外交課題を中国政府と話し合えばいいのである。そして、それを国際社会に問い掛けると良い。

もちろん、以上のような提案は日本と中国の外交官にとっては当然な話しで、「釈迦に説法」というきらいがあるが、この機会を通じて、日本と中国が共に、世界経済の中心としての東アジア経済共同体の形成に向けて努力することを再確認することが出来れば、未来の中国を担う劉暁波氏も満足するだろう。



参考資料

三石博行 「中国の人権問題で思うこと」
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_03.html

三石博行 「生活資源論」
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_02_02.html

三石博行 「中国共産党による中国の民主化過程の可能性 ‐大衆化する中国共産党・政治思想集団から社会エリート集団への変遷‐」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_3865.html


訂正(参考資料追加) 2011年2月21日


---------------------------------------------------------------------------------------------------------------
2、日中関係

2-1、「日中友好に未来あり」)
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post.html

2-2、中国の人権問題で思うこと  
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_03.html

2-3、経済的発展か軍事的衝突か 問われる東アジアの政治的方向性  
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_13.html

2-4、中国の近代化・民主化過程を理解しよう
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_1850.html

2-5、中国との経済的協力関係の展開と中国への軍事的脅威への対応の二重路線外交を進めよ 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post.html

2-6、米中関係の進展は東アジアの平和に役立つ   
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post_5428.html

2-7、中国共産党による中国の民主化過程の可能性 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_3865.html

ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」から



にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

経済的発展か軍事的衝突か 問われる東アジアの政治的方向性

三石博行

世界経済の中心になる可能性をもつ東アジア経済圏

東アジア経済共同体の可能性を危機に落とす軍事的衝突

現在東アジアの国々では政治的や軍事的な衝突が頻繁に起こっている。例えば、2010年になって、韓国と北朝鮮の間で頻繁に軍事的衝突が発生している。例えば、2010年3月26日、黄海上で北朝鮮の魚雷によって韓国軍の哨戒艦「天安」が撃沈、2010年11月23日に北朝鮮軍による韓国の延坪島(ヨンピョンド)に170発の砲撃による民間人2名を含む4名の犠牲者と2010年10月の中国と日本の尖閣列島領有権問題等である。

さらに、北朝鮮の軍事行を抑止するために韓国と米国が共同で行った黄海での米韓軍事共同演習と日本と米国が東シナ海を中心に行った日米軍事共同演習に対して、中国(北朝鮮は当然なのだが)は不快懸念を示した。この二つの軍事演習が台等する中国軍への抑止力を示すものであることは明らかであった。

中国の軍事力の強化、つまり中国海軍の東太平洋への進出はこれまでの米韓日の東アジアの軍事同盟が作っている軍事的支配権に対抗し中国軍の存在を示すことになった。東アジアと東太平洋でのアメリカの軍事力指導権を維持するために韓米軍事共同演習が行われた。


東アジアを地域国際冷戦構造にしてはならない

この局面は、東アジアに地域国際的冷戦構造を持ち込む可能性が生じている。北朝鮮にとって東アジアが二つの勢力、つまりロシアと中国の勢力とアメリカ、韓国と日本の勢力に二分されていることが望ましいことは誰の目から見ても明らかだろう。

しかし、中国やロシアは、北朝鮮の望む東アジアの経済発展を犠牲にしてまでもアメリカ、日本や韓国と軍事的な対立を作り出す方針に賛成をしているわけではない。むしろ、中国は北朝鮮の瀬戸際外交に迷惑しているだろう。また、中国がその瀬戸際外交を利用するにしても、かなりのリスクを抱えなければならない。そのため、北朝鮮の外交路線への一時的な同調はするものの、常時、中国が北朝鮮の瀬戸際外交を承認する訳には行かないだろう。

そして、中国、ロシア、韓国と日本相互に進めている経済協力関係を犠牲にしてまでも、相互にある領有権問題を取り上げるつもりはない。一世紀前の帝国主義の時代と同じような日本の政治方針、つまり中国軍事力の対抗のために日米軍事同盟を強化し、その軍事力をもって中国と対立する方向で進むなら、日本政府は時代錯誤の政治を行っていると言える。


日本政府の現実的な外交力が求められる

今、大切なことは、21世紀の最大の国際経済圏としての東アジア経済共同体を創ることである。そのために、日本政府は努力しなければならない。

当然、こうしたことは、私が主張するまでもなく、日本政府や外務省幹部の方々は理解されていると思う。問題は世論、ジャーナリズム関係者である。報道は、視聴率を獲得するために、北朝鮮と韓国の軍事衝突、第二次朝鮮戦争の可能性とか中国軍と日米軍の尖閣列島での軍異衝突の可能性など、まるで劇場に行って戦争映画でも観るような刺激的な話(ストーリー)を面白半分怖さ半分で報道し続けるだろう。商売上の理由とは言え、こうした無責任な扇動を行うことを反省しなければならない。

もちろん、報道の自由は保障されるべきである。前回の尖閣列島中国船拿捕の問題への政府の対応は余りにも未熟であった。海上保安庁職員からの政府の言う「国家機密映像の漏洩」事件によって、正確な情報が国民に知らされた。こうした対応を続ける限り、報道機関は政府の対中国外交を批判するのは当然であり、その限りに於いて、国民の支持を得るだろう。

最終的な問題は、政府の外交力にある。国民に対して、現政権が昨年提案した東アジア共同体構想を維持し展開する政治姿勢を明確に示し続けなければならない。その理由、つまり、東アジア共同体の第一歩である東アジア経済共同体の実現が、近未来の日本の繁栄を導くこと、さらに21世紀の国際社会での日本の地位を東アジア共同体の中で発揮できることを明確に語り続けなければならないだろう。


---------------------------------------------------------------------------------------------------------------
2、日中関係

2-1、「日中友好に未来あり」)
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post.html

2-2、中国の人権問題で思うこと  
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_03.html

2-3、経済的発展か軍事的衝突か 問われる東アジアの政治的方向性  
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_13.html

2-4、中国の近代化・民主化過程を理解しよう
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/12/blog-post_1850.html

2-5、中国との経済的協力関係の展開と中国への軍事的脅威への対応の二重路線外交を進めよ 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post.html

2-6、米中関係の進展は東アジアの平和に役立つ   
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/blog-post_5428.html

2-7、中国共産党による中国の民主化過程の可能性 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/02/blog-post_3865.html

ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」から





にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

2010年12月9日木曜日

指導者の姿・思考実験への不断の取り組み

三石博行

日常の姿勢の中から指導者が生まれる


サンホセ鉱山事故でのルイス・ウルスア氏の指導力

チリのサンホセ鉱山で2010年8月5日に発生した坑道崩落事故で33名の労働者が坑道内に閉じ込められた。事故後18日目の8月22日に全員の生存が確認されて、国を挙げての救出活動が始まり世界中の話題になった。そして日本を始めとして多くの国々は、この救出作業に協力し、救出作業は世界の大ニュースとなった。

はじめ12月末まで掛かると予測された救出活動は、チリの国家を挙げ、また世界中の支援を受け、10月13日に全員を無事に救出して終了した。

この救出活動で、「極限で生きるリーダーシップ」(日経新聞 2010年10月14日夕刊)を発揮したルイス・ウルスアさんのことが話題になった。彼は、事故発生から生存が確認するまで、坑道に閉じ込められたしまった33名の先頭に立ち、全員が助かるためにありとあらゆる努力をした。

例えば、いつ救出されるか分からない絶望的な持久戦に備え、食料や水の配給、闇の坑道で想像絶する恐怖心との闘争等々を行った。パニックにならないように全員を勇気付け、一致団結させた。生き延びるために坑道内での生活秩序を決め、それを守らせ、衛生管理を徹底し坑道での疫病対策を行った。

そして何より、彼が自らに徹底させたことは、「自己犠牲の精神」であったと云う。

この救出劇は、最後まで劇的に進んだ。まず感動は救出順番の決め方から始まった。ルイス・ウルスアさんは身体の弱い者から順に脱出させた。そして、彼は最後に救出カプセルから出てきて、10月13日の救出劇の最後を括ったのである。


指導者の条件という知識

このチリのサンホセ鉱山坑道崩落事故での33名の生存者の戦いの経過から、リーダーシップ論、指導者のあり方や考え方が課題になった。事故現場(坑道)約2ヶ月1週間、33名のリーダー として生還まで闘ったルイス・ウルスアさんの指導力が話題になっている。

指導者の条件とは何か。それは、今、私たちの社会で最も大きな課題として取り上げられている。イス・ウルスアさんのように指導者として評価された人々の評価の結果を私たちは知りたいと思う。つまり、彼が暗い事故現場で長期に及ぶ全員生還のために闘ったかという経過を知りたいと思う。例えば、坑道での避難生活の規則、水や食事の配分の仕方、衛生管理、汚物やトイレに関する規則、喧騒を避けるための規律等々、知りたいことが山のようにある。

その一つ一つの有意義な情報によって、今後の問題解決の糸口、危機に遭遇した場合の行動、リーダーとしての教訓を見つけることが出来る。

しかし、イス・ウルスアさんは、坑道に閉じ込められてから、危機的状況を打開するための行為を考え出したのではない。多分、これまで彼が鉱山労働と監督作業を通じて日常的に経験したことが、この事故への対応を可能にしたと思われる。

従って、イス・ウルスアさん事故時の危機管理行為だけでなく、彼のそれまでの仕事上、身に付けてきた危機管理に関する知識(暗黙知や形式知)と、それを学ぶことができた日常的な労働や生活様式を理解しなければならない。

つまり、結果としての行為の理解ではなく、成功の結果を導いた行為の選択過程を知ることが必要である。


問題解決力を鍛える方法・思考実験

NHKが三年を掛けて製作している司馬遼太郎原作「坂の上の雲」第7回「子規、逝く」の一場面で、海軍大学校の教官となった秋山真之が、学生達に戦術論を教える方法として、講堂に作った海戦図を使った戦闘ゲームを行う場面があった。

学生たちは書物の上で戦術を学ぶために、成功した戦術の結果だけを拾い出し、それを戦闘ゲームの場面に活用する。その結果、実際には、成功した戦術が失敗を導く結果になる。学生たちは戸惑い、苦しむ。そして教官秋山が語る。

正確な台詞は忘れてしまったが、「君たちは過去の成功した戦術の結果のみを学ぼうとする。それがどのような条件で成功したか、ありとあらゆる角度から検討しながら学ばなければならないことを、その結果の情報のみを拾い出そうとする。それは間違いなのだ。もし、この戦闘で犠牲者が出ると言う事、自分の部下を死なすという緊張を引き受け、ありとあらゆる仮定を立て、あらゆる条件での思考実験を試み、それで結論を慎重な限りを尽くし導き出す精神が必要である」という内容のことを秋山は述べたと記憶している。

指導者にとって必要な条件、それは日頃、色々な失敗の可能性を想定し、思考実験を繰り返す習慣を身に着けておくことである。そのための材料は事を欠かない。例えば、自分の同僚、すぐ上の上司、その上の上司と最高責任者まで、彼らが色々な現実の状況で下す判断とその結果を材料にしながら、自分がその立場にあると仮定して、自分の判断訓練を行い鍛えることである。これは、秋山が学生の授業に取入れが戦闘ゲームであり、また、畑村洋太郎氏の失敗学の基礎知識の一つ、思考実験の考え方である。

教訓と呼ばれる成功例の結果を鵜呑みにするのでなく、寧ろ多くの失敗例を調査し、その失敗の要因を見つけ出す。つまり、日常的に、他の人々の経験値を挿入しながら、色々な状況を想定し思考実験を繰り返し行い、そのデータを蓄積し続ける。そのことによって、千差万別の現実の状況に合った問題解決力を身につけることの一歩が始まるのである。

それでも、失敗をする確率をゼロにすることができないことを理解しているのが、リーダーの姿ではないだろうか。





にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

2010年12月8日水曜日

21世紀の課題、生活大国日本に向かって何をなすべきか

三石博行

GDP(MER)とGDP(PPP)

国内総生産(Gross Domestic Product ・ GDP)とは、一定期間内(一年間)に国内で生み出される付加価値(ふかかち)の総額を言う。原則として市場で取引された財(物的な商品)やサービスの生産のみが計上されるため、家事労働やボランティア活動は国内総生産には計上されない。GDPの算出方法には二種類ある。

一つは、ドルなど国際通貨(外貨)によって、国際市場で決定されたレート(Market Exchange Rate)でGDPを計上したものをGDP(MER)と表現している。

もう一つは、商品の物価(円)をアメリカでの同じ商品の物価と比較し、双方の国での生活物価指数を前提にしながら、GDPを計上する方法である。基準になるのは米国での商品価格で、同じ商品の米国での価格と他の国での価格を比較し、為替レートに関係なく同じ商品の価格は一つに決まると考える。これを一物一価の法則と呼ぶ。

この一物一価が成り立つとき、国内でも海外でも、同じ商品を同じ価格と考えることが出来る。これを購買力平価(こうばいりょくへいか)と呼ぶ。この購買力平価によってGDPを評価したものをGDP(PPP)と表現している。そして一人当たりのGDP(PPP)が実際の国民の経済生活の質を示す評価により近いと言える。


一人当たりのGDP(PPP)から観る日本の経済力

2008年の東アジアの主な国のGDP(PPP)を比較すると、日本は43,560億ドル、韓国は13,423億ドル、中国は79,164億ドル、台湾は6,818億ドルである。つまり、2008年度でも、中国のGDP(PPP)は日本のそれを越えているのである。

しかし、2008年度の東アジアの上記の国々の国民一人当たりのGDP(PPP)を比較すると、日本は34,115ドル、韓国は27,646ドル、中国は5,962ドル、台湾は30,100ドルである。つまり、2008年度の、中国の一人当たりのGDP(PPP)は日本のそれの約6分の1である。そして、日本、韓国と台湾は殆ど同じレベルであると言える。

今後、日本は国民生活の向上、国民一人当たりのGDP(PPP)を基準にしながら、国の豊かさを議論する必要がある。2009年の国際通貨基金(IMF)の調査による日本の国民一人当たりのGDP(PPP)は32,443ドルで、世界23番目である。因みにシンガポールは50,701ドルで世界4位、香港は43,826ドルで世界8位である。また、2009年度の世界銀行(World Bank)の評価では、日本の国民一人当たりのGDP(PPP)は世界で29番目と評価されている。

世界で二番目とか三番目の経済大国と自称した日本は、2009年度の国民一人当たりの国内生産力は世界の二流国家であると言える。そして、生活経済大国を目指すために、これかの日本での国民経済のあり方を検討する必要がある。


一人当たりのGDP(PPP)から観る日本の経済力

国内総生産(GDP)は、市場で取引された財(物的な商品)やサービスの生産のみが計上される。つまり、家事労働やボランティア活動はGDP(国内総生産)には計上されない。

市場で交換された商品(物やサービス)だけでなく、地域社会での共同作業、家事、家での育児教育、文化活動、ボランティアなどによる労働が行われ、社会経済システムの機能を担っている。国民の社会経済活動は、市場経済、生活経済と文化経済の三つの活動も含まなければならない。


成熟した民主主義社会・日本へ向かうために

2010年12月2日の深夜、NHKハイビジョンの番組「マイケル・サンデル「白熱教室」を語る」で、サンデル(Michael Sandel)教授は、共同体主義者(コミュニタリアン)として自らの社会思想的立場から、日本のこれからの社会発展に関して意見を述べた。

簡単に述べると、日本が第二の経済大国から中国にその地位を奪われ、第三番目になったことは大きな問題ではなく、21世紀の日本が成熟した民主主義社会に向かうことが問われていると言うのが彼の意見であった。

この見解を受け入れ、展開するために、市場経済主義で計られる豊かさの概念を生活経済から了解できる豊かさの概念に転回しておく必要がある。生活の豊かさの中に市場経済では計量し難い、精神的満足度や幸福感を入れなければならない。

さらに、経済効果をもたらす資源に関する考え方を変えなければならない。生活環境を豊かにするために最も重要な資源は人的資源である。つまり、明治初期に、貧しい国・日本を豊かにしてきたこれまでの経過を振り返り、我が国に非常に豊かにある資源・高度な教育を受けた人的資源の生産と再生産、そしてその十分な活用を行う社会文化経済政策を展開する必要がある。

また、国民生活の豊かさを示す評価基準として、国民生活指標(新国民生活指標・PLI)という概念を用いて、生活経済を豊かにする活動を社会的に評価する必要がある。

まだまだ、多くの課題があるが、以上述べた基本的な課題を今後の社会経済活動の中で再度位置づけなければならない。






にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

アメリカの大学教授法を紹介したサンデル教授の「白熱教室」

三石博行


2010年4月4日にNHK教育テレビが放送した番組、Michael Sandel教授(哲学)の「ハーバード白熱教室」、そして同教授が2010年8月に東大で行った「東京大学特別授業(前編)(後編)」は日本社会に大きな反響を生んだ。特に、学生、大学教育者や大学運営者にとって、日本の大学の教育のあり方、つまり授業や講義のあり方を考える大きな課題を投げかけた。

アメリカの大学では、「現実の社会で問われている課題を考え、それを解決するために学ぶ」方法を身につけるための大学教育のあり方として問題解決型の授業が行われている。例えば、ハーバード方式やカルフォルニア大学バークレー校及びサンフランシスコ校でのPBL(Problem based leaning)は非常に進んだ教育方法を提起している。

そして、今回のマイケル・サンデル(Michael Sandel)教授の授業が特別なのでなく、アメリカの大学で普通一般に行われている参加型授業の中で、ハーバード大学の中で最も評価を得ている授業の一つとして紹介されていると理解することが出来る。

2010年12月2日の深夜、NHKハイビジョンの番組「マイケル・サンデル「白熱教室」を語る」があった。サンデル教授が、講義テクニックについて非常に興味ある話を聞くことが出来た。中でも、講義に参加した学生の一刻一刻と変化する反応を観察し、学生の講義への興味や参加状態を理解する観察力とその的確な対策には感心した。

例えば、学生が講義に興味を持ってない場合、彼らは自然に講義への集中力を喪失し、色々な身体反応の信号(足を組みなおす、咳をする、ヒソヒソと話を始める等々)を講師に送る。その反応を敏感に感じる力が問われ、また、即時的に講義の内容を、状況に合わして変える展開力が必要であると思われた。


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

2010年12月2日木曜日

新しい日本社会・民主主義と個人主義時代の責任の取り方

責任を取る行為・考え方の転回期を迎えた現代日本社会


三石博行



失敗したら切腹、美しい国日本の文化

切腹という異常なまでの責任の取り方をもつ武士の文化、それを精神文化の基本としていた日本人が、全く、責任を取らない日本人と、国内の企業や組織の中は勿論のこと、アジアや国外からも言われるようになったのは、いつごろからだろうか。

そして、何故、我々の日本文化から責任を取らないという習慣が生まれたのだろうか。また、責任を取るという個人の態度やモラルは、いつごろから喪失したのだろうか。

そこで、つい最近までの、日本人の中にあった失敗の取り方の習慣を考えてみる。つい最近まで、少なくとも1990年代までは、失敗の責任を取る仕来りがあった。それは辞めることであった。つまり、辞表する。失敗の程度によるが、会社に損失を与えた場合、役員であれば会社を辞表する。職員であれば減給にする。組織の長や執行部の失敗は、その程度によりけりで、組織を去る、職務を辞める、減給する等々である。しかし、最も立派とされる失敗の責任の取り方は辞表であった。

どのような立場の人も、もし失敗を認めれば辞職しなければならないと言う極端な結論は、ある意味で、日本的なものではないか言える。何故なら、間違いを犯した場合武士は切腹、やくざは指をつめるという習慣(失敗の取り方の作法)のように、自らの死(辞表)をもって、失敗の責任を取らなければならないからである。

この失敗したら会社を辞めるという考え方はつい最近まであった。今もやはりある社会では確りと残っている。

日本式責任の取りか方の消滅の理由、終身雇用制度の崩壊

考え方を換えて観れば、今の日本人は、失敗を取らなくなったのでなく、今までのような失敗の責任の取り方をしなくなったと理解すべきではないか。

それも失敗の程度によるが、企業に甚大な被害を及ぼすような失敗でなく、事業計画などが失敗したことで企業にある程度の損害が生じしても、以前のように切腹まではしなくて済むようになった。精々、役職を辞めればいいのである。

そして、今の日本では、新しい責任の取り方が見つかっていない状態にある。それが、失敗と取らない日本人の姿として観えるのではないだろうか。

失敗の責任の取り方には、あるモラル、行為の美学や作法に関する美意識が内在している。

桜の花が散るように、武市は見事に腹を切った。
桜の花が散るように、健さんは見事に弟分の責任を取って、指をつめた。
そこには、日本的美談、潔い行き方への憧れがある。

年功序列、終身雇用制度があった時代には、こうした美談に憧れる余裕があったかもしれないが、いつでもリストラされる社会で生きる人々には、その余裕もないのが現実である。

武士の社会文化も終身雇用制の終焉とともに、この日本から消滅使用としているのかもしれない。つまり、企業戦士(侍)は、明日は浪人になる立場に立っている。企業のために命を掛けた戦士も、その企業から簡単にリストラされる時代に直面している。今までのように、命を無駄にしていたら、何回も腹を切ることになり、終には、万年浪人の生活がまっており、ホームレスで終わる可能性もある。

日本的責任の取り方が消滅したのは、日本的な雇用制度、終身雇用制がなくなったのと無縁ではなさそうである。

そのため、今までのように、武士は潔く腹を切ることを辞めた。今までのように、日本式の責任の取り方をしなくなったといえる。


今、失敗に対する対応が問われている

しかし、一方で、責任を取らないという、新しいサラリーマン文化がもたらす社会的問題が生じている。そして、日本では、誰も責任を取らない体質が企業や組織で蔓延していると言われているようになった。

例えば、ある企画を行った人々が、その結果に対して責任を取らないために、組織では、生じた課題を基本的に解決することが出来ない。そのため、同じような失敗を繰り返す結果となる。最も代表的な例は、ブログ「畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』第一章「失敗学の基礎知識」のテキスト批評」
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_6897.html
で示した、雪印食品や動燃の失敗例である。

同じ失敗を繰り返すことで、その組織や企業は、社会的信頼を決定的に失うことになる。つまり、組織の失敗を、組織内部で点検、修正する力がなければ、また同様に、組織内部で失敗に対する処理を間違えば、その結果は、いずれ、その組織の外部評価の損失、社会的信頼を失い、その組織が存続することは不可能となる。

つい最近、例えば三菱自動車や雪印食品のように、それに近い状況で、企業が危機に瀕し、倒産した事件があった。失敗に対する対応の失敗に結果で、企業は倒産する時代が来ていることも確かである。

つまり、日本伝統の責任の取り方の文化が消滅しながらも、新しい責任の取り方の社会文化や組織運営のあり方が見つからないために、結果的には、社会全体が大きな損失を蒙っていると言えるのではないだろうか。

失敗学から導かれる行為責任論

この答えを導くために、畑村洋太郎氏が提案してきた『失敗学』は大いに参考となる。畑村氏の失敗の概念は、成功の反対概念ではなく、行為の目標値(期待値)に対する負のズレである。そのため、失敗は個人個人の目標に対して、計量的に(程度としても)測定可能になる。

また、失敗という目に見える現象を生み出すもの、つまり失敗の原因と呼ばれているものを、畑村洋太郎氏は、「からくり」と「要因」に区分した。「からくり」とは、行為の主体者、個人や組織の性質、体質、技能、考え方、方法論などである。つまり、行為を導き出す作法や様式に近い概念である。「要因」は、その行為主体を取り巻く環境や条件である。

要因は色々と考えられるのであるが、からくりを見つけることが一番大変なことである。
何故なら、自分の癖は自分では分からないからだ。組織の体質も組織内部にどっぷりつかった人々には見えない。日本社会の習慣も日本から出たことのない人々には理解できない。

この失敗学から導かれる失敗の責任の取り方のヒントは
1、 ある部署で、失敗を起こしたら、その部署の人々で、まず、そのからくりや要因を見つけ出す。
2、 しかし、そこで導かれた「からくり」つまり失敗の原因と考えられる組織や個人の考え方、体質、方法、技能等に関しては、外部から人を入れて、再度点検する必要がある。
3、 それらの失敗から学んだこと、教訓を出来るだけ情報公開して、さらに他の失敗例との関係を求め、普遍化する必要がある。


仕事のスタイルとしての責任の取り方を見つけ出す必要性

新しい時代、つまり、個人主義は日本社会の中に確りと根付き、今までの古い雇用制度でなく、能力評価を得ながら、その個人の力の評価を基にして、雇用関係が成立する時代に向かった、失敗の取り方一つにしても、社会は真摯に考え、そして解答を見つけ出さなければならないだろう。

日本人は責任を取らなくなったのではなく、新しい責任の取り方を見つけ出せない状態にあると言える。そのことを理解した上で、失敗学から導かれる責任論をさらに展開する必要がある。

新しい時代での、失敗に対する責任の取り方を見つけ出すことによって、企業が存続するあり方や、日本という社会が国際社会の進展から取り残されない方法を、見つけ出すことが出来ると思う。


参考文献


畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』文藝春秋、文春文庫、2005年6月10日第1刷、258p、 





にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

2011年6月28日 大幅に修正の予定

企業経営の危機から何を学ぶのか、逆境に学ぶ力

三石博行

危機をチャンするために必要な備えとは


つねに危機的状況は存在する

社会や組織を取り巻く状況が悪くなると言う事は、それに関わる、またはそこで生きている人々にとって、労働条件、生活条件や社会環境が悪化することを意味する。その意味で、状況の悪化は危機である。

企業の経営が苦しくなる。すると、リストラが生じる。多くの人々がリストラされる。失業することになる。失業によって生活の糧を失う。

しかし、その会社の経営が行き詰ることに対して、企業で働く人々は、意見を持ち、また改善策を検討してきたと思われる。その上の結果であれば、その責任の一部を引き受けることも出来る。

また、社長や経営陣の度重なる失敗の結果、会社経営が悪化したとする。それに対して、意見しても、聞く耳を持たない経営者の下にいては、将来の見通しは暗い。それなら、割り増し退職金が出るうちに辞めるほうが得策だと思う。

何故なら、その会社の再建は、これまでの企業の体質を根本的に変えなければ不可能であるし、会社の執行部でもない自分ひとりだけでは、会社の変革は不可能である。


辞めるまえにすること

辞めるにあったて、

1、 何故この会社の経営が破綻したかを徹底的に調査する
2、 この会社の執行部の体質を調べ、何故、会社の再建が不可能かを調べる。

これだけの現実のデータを集め、これまでの会社での出来事やそれに関する会社や自分の対応をデータ化して置くだけで、非常に大切なものを獲得したと思える。

言い換えると、ここまでやったときに、危機的な状況から学ぶことが可能になり、その結果が、次の行動に生かされる。もし、この調査のデータを勤務している会社が活用しなかったとしても、自分も味わった(経験した)企業の失敗例からの学習は、どこかで活かされるだろう。


逆境に学ぶ力

よく、危機的状況は、観かたによればチャンスであるということばがある。このことばの裏には、危機的状況に学ぶ、そしてその状況から立ち上がる具体的計画や実行力を前提にして語られている。

多くの場合、危機的状況はネガティブにしか作用しない。しかし、それをポジティブに転回するのは、そのネガティブファクターを掴み出し、それを改善することを理解した場合に限られるのである。

危機的状況を経験し、その状況から理解(分析、解釈した)経営不振を導いた原因(失敗学の用語では、からくりと要因)を理解することが、危機はチャンスという状況の転回を導く力を与えるだろう。






にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

第三次開国期を迎えた日本

三石博行

第三次開国、アジアの中の日本

2010年11月30日(日曜日)だったと記憶しているが、NHKの人気番組「爆笑学問」で、中国人の日本人観、日本人の中国人観を巡って議論がなされていた。

面白かったのは、まず、中国人の参加者は、中国人は国際スタンダードに近いと自ら自負していたこと、それに対して、日本人の参加者は、日本人は特殊な民族文化を持っているが、しかもその特殊性を自覚していないと考えていたことであった。

私は長年、海外、ヨーロッパで生活をしてきたので、むしろ、中国人のやり方が理解できる。例えば、自分を確りと主張した上で、他者との関係を作る。買い物の例が出されていた。買い手が「これは高い」と言って決裂した後に、売り手は追いかけてくる。そして再び交渉が始まる。日本であったら、そこで交渉決裂であるが、中国では、そこからが交渉の始まりである。

他人と意見の違いを明確にしない、事前に他人の意見を調べ、反対意見の人に対する対策を考え、交渉に臨む。これが基本的には日本で多くの人々が行っているやり方である。その話し合いで、交渉が決裂すれば、そこで終わりとなる。

これから日本人は、自信をもった東アジアの友人たちと付き合わなければならない。今までと話が違う。150年前に一早く、アジアで近代化政策を興し、列強の仲間入りした日本、日本人を自負している時代は終わり、日本の近代化や高度成長の何倍かのスピードで国が発展している近隣の国、シンガポール、台湾や東アジアの国、韓国や中国の人々を相手にした新しい付き合いが始まろうとしている。

中国の態度が典型的であるが、偉そうで何となく優越感をもった日本人に対して、アジアの国々の人々は、今までのように接してくれないのは明らかである。

問題は、我々、日本人がこの発展するアジアの状況に適応しなければならないだけなのだ。

言い換えると、明治の初めのように、欧米社会に自らを開いた文明開化と同じように、また、戦後民主主義社会を作った第二の開国期と同じように、今、日本では東アジア、アジアの国々に学び、国を開く第三次の開国が要請されている。

ここで再び、日本人論が問題になる。何故なら、我々日本人は、当然ながら、どの国の人々と同じように、日本的なものを大切にしたいという気持ちがある。発展するアジアの中で、生き延びるために、アジアの国際化の波に乗り遅れないために、我々の文化を知り、我々の社会と文化の国際化の方向や方法を検討しなければならないだろう。







にほんブログ村 哲学・思想ブログへ